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POETRY
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エッセイ #2  ■作家、横谷福子
■作家、横谷福子

 一九九八年六月九日、午後十時頃、携帯電話の呼び出し音が誰も居なくなった社内に響いた。所用で電話中だった私は、とりあえず保留ボタンを押し、携帯電話に出た。家人からだった。家人がそれを告げた。「横谷先輩が、亡くなったって連絡があった。」彼女が亡くなって十二時間後の出来事だった。

 横谷福子(よこたに ふっこ)さん。享年28歳。私の最初の一声は、「嘘」だった。

 今思えば、以前からそんな予感はしていた。というか、いつかこんな連絡が来るんじゃないかという予想はしていた。それほどに病魔は彼女の体を蝕んでいた。仲間とも集まるたびに、彼女の状態を懸念し、健康を祈った。変な言い方だが、覚悟はできていた。が、最初に出た言葉は「嘘」だった。

 福子さんは、私が在籍していた某高校写真部の先輩で、いつも明るく、ユーモアにあふれ、暖かい、個性に満ちた人だった。福子さんは高校卒業後、専門学校で学び、東京でフリーター生活をはじめてから、少しずつ紙粘土細工や木工細工といった手工芸作品を作り続け、ディズニーでもキティでもない、独自の世界を持った作品を残してきた。しかし、ついに日の目を見ないまま、小箱の中に入れられてしまった。

 福子さんの夢は、作家として認められること。そしてそれ以上に、自分の作品をたくさんの人に見てもらい、楽しんでもらうこと。いつも笑顔で人に接し、決して他人に不快感を抱かせることの無かった彼女は、最後まで、自立した生活を望み、故に作家として周知されることを望んでいた。

 そんな望みを少しでも叶えたい。福子さんが、横谷福子というすばらしい作家がこの世にいたことを、少しでも多くの人に知って欲しい。病とは関係なく、福子さんの優しく、暖かく、楽しい世界を、多くの人に楽しんでもらいたい。そんな思いを持った仲間で、福子さんの作品をご両親の了解の下、ポストカードという形にするとともに、彼女の生活が最も充実していた松本で、最初の、そして最後になるかもしれない作品展を開催することになった。不安は多い。自分たちの自己満足で終わりはしないか。福子さんのことを誤解されはしないだろうか。何より、福子さんは喜んでくれるだろうか。

 あの電話から、一年が過ぎようとしている。いくら思い出しても、福子さんの笑っている顔しか思い出せない。どう考えても、彼女の怒っている顔を、悲しんでいる顔を私は知らない。よく思い出は尽きないという言葉を耳にすることがあるが、決してそんなことはない。福子さんとの出会いから、順次時間を追って思い出していく。けれど、あの日を境に福子さんの笑顔が途切れる。すべてを思い出し尽くしてしまう。

 未だに福子さんの死をどう受け止めたらよいのかわからない自分が居る。ただ、はっきりしていることは、福子さんにはもう会えないということ。そして、私はかけがえのない人を一人失ったということ。それだけが、妙にはっきりとしている。

 とりとめのない文章になってしまい、読んでいただいた方もよくわからなかったと思います。私もよくわからないのです。ご容赦ください。

 末筆ではありますが、作家、横谷福子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

1999.03


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