――声が、聞こえる……
「……確かかの……」
「はい……確認は……」
「やっぱり……あれは……」
夢現に聞こえてくるみっつの声。どこか聞き覚えがある、と。はぼんやりと思った。
特に、最後のひとつが――
(聞き覚えっていうか……聞き馴染んでるような……)
「虚の行動も、それなら納得がいくか」
「ですが、どうやって……」
「さぁな。本人が知らなきゃ知りようもないだろ」
疑問は答えを求めるように働きかけ、覚醒を促された脳が、より一層はっきりと音を拾っていく。そして記憶回路がゆっくりと回りだした。
――確かに、知っている声だった。それを聞くことを楽しみにさえしていた気がする。けれどそれは、直接話したりした類のものではなくて……
(観賞用……? というか……愛でる対象、というか……萌え?)
「して、怪我の具合はどうなのじゃ?」
「怪我自体は大したことはありません。霊力も高いので完治は早いかと」
「……貧血とかは?」
「そればかりは、どうにも……」
「……ん……」
「ん? 気がついたのか?」
今一度、聞こえた声。そして、思い浮かんだひとつの単語が、記憶の中から膨大な量の映像を引っ張り出した。その中の、ひとつ。
(そう……コレはアレよ……三つ編み金髪な豆っ子……)
「エドもといぱっくんボ――――イス!!」
「……は?」
ようやく導き出せた答えを大絶叫。突飛な行動に対してその場が微妙な空気に包まれていたが、本人にはそれを察するだけの思考力はまだ戻っていない。
疑問が解消したことですっきりしたのも束の間、新たな疑問が頭をもたげてきたから。
「あれ……? あたし、テレビつけっぱなしで寝たっけ?」
「知るか!」
口をついて出た疑問は、独白のつもりだった。それなのに返ってきた答え……しかもその声は、先程思い出したばかりのものと全く同じ――『鋼の錬金術師』というアニメの主人公、エドワード・エルリックの声、そのものだった。
有り得ないこと……けれど、未だどこか夢心地の残る頭には僅かな疑問しか浮かばず、飛び起きた姿勢のままは首だけ声のほうへと向けた。
静かに佇んでいたのは三人。女性と老人と少年。当然ながら金髪に朱の外套が特徴の、架空の人物がいるということはなかった。――なかったのだが……
「銀髪――――!!」
「ぅお!?」
金髪の代わりに視界に飛び込んできた見事な銀髪に、思わず感激の叫び声をあげてしまった。
当の銀髪の主である小学生くらいの少年は思い切り引いているが、気にせず身を乗り出す。
「本物!? 染めてるとかじゃなく地毛!?」
「あ、ああ……」
「うわ、すっごーい、初めて見た! きっれーい! あ、目も緑だ! 北欧系の人?」
「いや、違うけど……」
「うわ~うわ~天然モノだ~……ねえねえ名前は? あたしはっていうの!」
「ひ、日番谷、冬獅郎だ……」
「へー、トウシロウくんか~…………とうしろう?」
本能の趣くまま質問攻めを繰り返していたが、はたっと止まる。そして銀髪の少年を、もう一度まじまじと見つめた。
見事な銀髪をツンツンに逆立てた髪型と、翡翠のような大きな瞳。身にまとっているのは、黒い着物と白い陣羽織。そして、背には日本刀らしきもの――……
「……おい? どうした?」
――まさか、と思う。
「や、か、変わった名前、だよね……どういう字、書くの……?」
先程の勢い一変、引きつった顔で問うに、怪訝な顔をしつつも少年は教えてくれた。
「日付の『日』に門番の『番』に『谷』。下は『冬』に獅子の『獅』に『郎』だ」
(――マジっすか!?)
衝撃の事実。
は、知っていた。この少年のことを。先程自分が叫んだエドワードとは作品が違えど、同じ『架空の人物』として。
「……ここはどこのコスプレ会場デスカ……?」
「は? こすぷれ?」
一縷の望みを掛けた問いも、その慣れない発音から否だとわかる。
(マジで!? マジでひっつんなの!? ひっつんだよね~、声、エドと同じだし……たっくんボイス生聴きラッキー!? って、違うし!!)
「おい、今度は何だ? 急に黙るな」
(死覇装に斬魄刀だよね……背中見えないケド、きっと『十』って書いてあるよね……てことは、あとの二人は卯ノ花隊長と山じいっすか!?)
「卯ノ花、コイツ大丈夫なのか?」
「……混乱しているだけでしょう」
「今更かよ……」
(やっぱり卯ノ花隊長だぁ……あの特徴的な三つ編みはそうだよね……ってかマジなの!? 本当に『BLEACH』の世界!? ビバ奇跡体験!? だからそうじゃなくって!! ファンとしては生キャラご対面は嬉しすぎだけど、本気で現実なの!? 夢――じゃないよね、さっきまで寝てたんだし……ってことは、あたしが迷い込んだってことになるのかな……なんで? 死神さんたちが見えるってことは、尸魂界だよね、ココ……)
悶々と考え込んでいたの脳裏に、ある映像がフラッシュバックする。
「あ……」
それは自分が考えついたふたつの単語がきっかけとなって蘇った、記憶。
この場所で目覚める前に見た、最後の光景――否。『最期』だ。
「あたし…………死んだ……?」
意味不明なことを叫んで飛び起きた上、奇抜な行動を一頻(ひとしき)りとった旅禍の少女――は、急に黙り込んだかと思うと、次に目を瞠って呆然と自分の死を呟いた。
その後は一切の動きはなく、事情を聞こうにも、また説明しようにも完全に上の空。
烈曰く、自分の死を受け入れるには時間を要するとのこと。
全てはの心の整理が済んでから――と、とりあえず冬獅郎は残っていた朝の事後処理と日常業務に戻ったのだった。
そして、いつものように残業を終えての帰宅途中のこと。
風に乗って微かに届いた歌声に、冬獅郎は足を止めた。
夜空には既に月が高く輝く時間。通りを歩く人影もまばらで、明かりのある建物は数件の飲み屋だけ。
酔っ払いが歌っている――ということもなさそうだ。
何となく予想がついた冬獅郎は、溜息をひとつこぼしてから歌の出所へと方向転換をした。
おおよその当たりをつけて進む間、歌は途切れることはなかった。また、道筋が正しいことを告げるように徐々にはっきりと聞こえてくる。
そうして辿り着いた四番隊舎・総合救護詰所。そこに、月を見上げて歌っているの姿があった。
冬獅郎は溜息を再びついて、音を立てずに彼女の隣へと立って。
「ここで何してんだ?」
声を掛けて一呼吸後、歌が止んだ。それから、酷く緩慢な動きでこちらを見上げてくる。
月明かりの中でもはっきりとわかる緋色の瞳の中に冬獅郎の姿を映し込んで、は目を細めて笑った。
「あー……ひっつんだぁ……」
「――何だそれは」
「ひつがやの頭二文字を取って、ひっつん」
「妙な呼び名つけてんじゃねえ」
「あはは♪」
なんというか、調子が狂う。乱菊と話している時よりも面倒で、の相手をしている時とは別の意味で疲れる感じだ。
一言で言えば、掴みづらい。
それでも、今はひとつだけわかることがある。
それは、今の状態は本来のの姿ではない――ということ。
まだ会ったばかりで、話したのも少ないが、それでもわかる。今のが、どれだけ不安定で、そして無理をしているか。
冬獅郎は、がしがしと頭を掻いた。
「つーか、質問に答えろ。ここで何してんだよ?」
「ん~、お月見」
「部屋で見りゃいいだろうがよ。何で屋根の上にいるんだ」
――そう、今二人がいるのは屋根の上。膝を立てて座っているを冬獅郎が見下ろしている形だ。
総合救護詰所にいるが歌の出所だとは思ったが、屋根の上にいたのは流石に予想外だった。
「だって、あたしのいた部屋からじゃ見えなかったんだもん。だから月の見えるとこ探して歩いてたら、丁度梯子(はしご)があったから」
「だからって、普通登るか? 死神でもねえ奴が」
平屋の上ならいざ知らず、ここは三階建ての病棟の上だ。死亡直後――つまり感覚的には生身の人間と同じ状態では、恐怖心というものが多大にあるはずだが……
「あたし、高い所は好きだから♪」
「……おまえ、バカだろ」
「あはっ、そうかも♪」
ヒーローとバカは高い所が好き~ってね。
けらけらと笑って言ったあと、は再び月を見上げて歌い出した。
歌詞はない。鼻歌のようにメロディーだけだ。
「歌、好きなのか?」
しばらく彼女の歌を聴いたあとに訊ねてみた。は月へ目を向けたまま、答える。
「好き……そうだねぇ……ほら、声を出すことってストレス発散にいいって言うし、よく友達とカラオケには行ってたなぁ……あたしアニソンばっか歌ってたけどね」
最近の曲から結構古いものまで、幅広く歌えます。
「まあ、それも悪くはないんだけど……どっちかっていうと、自分で歌作るほうが好きかなぁ……」
「……さっき歌ってたヤツか?」
「うん、そうだよ」
あっさり肯定して、は深く息を吸い込んだ。
そして、夜に歌声が踊りだす。
全てはただの泡沫(うたかた)の夢
刹那の現(うつつ)に生きる間に何が残るというのだろう
出会いによって人は変わる 別れによっても人は変わる
出会いの数だけ別れがあり 幸と同じだけ不幸がある
傾くことのない天秤が流れの中に佇むだけ
風が悲しみを運んでくる
涙で湿った青い風が
『別れ』という名の悲しみを
全ての人に運んでくる
くるりくるりと巡る時に残るものなど何もない
消えゆくことが運命(さだめ)ならば 静かに目を閉じましょう
全てはただの泡沫の夢
欠けゆく月に想いを重ねて……
「……鎮魂歌(レクイエム)か?」
初めて聴いた歌詞に、素直に呟く。
メロディーだけ聞いた時はそう思わなかったのだが、歌詞を聞く限りではそうとしか思えない。
絶望にも似た儚さを、歌っている気がした。
「うん……結構前にね、おばあちゃんが死んだ時に作った歌なの」
「今は自分のため――か?」
「そうだねぇ……まさか自分のために歌う日が来るとは思わなかったよ」
月を見つめて静かに話す彼女の顔は、笑っていた。
「いつもの日常が、ずっと続いていくって自然に思ってた……こんな突然に終わりが来るなんて、考えなかったなぁ……」
苦笑でも自嘲でもなく、ただ静かに――仮面のような笑みを作っていた。
「でも、そうだよね……突然に起こるから『事故』っていうんだよね……」
独白のように話し続けるを、冬獅郎はただ見つめる。言いたいことは全部吐き出させたほうがいいと、そう思ったから。
冬獅郎の思いを知る由もないは、貼り付けた笑顔のまま彼を振り仰いで。
「あたしね、乗ってた飛行機が山の中に墜落して、死んだの」
自らの死を、告げた。
今度は半信半疑ではなく、はっきりと断言して。
わからないかな、と。小さく笑い声をこぼして、続ける。
「修学旅行の帰りだったから、すごいだろうなぁ……学校側も、卒業生が一人も出ない年が来るとは思わなかったよね、きっと。ってか、両親が大変だね。腕とか足とか、一部でも見つかればいいけど……」
くすくす笑いながら自分の凄惨な最期を他人事のように話すその様に、冬獅郎は眉根を寄せた。
流石に、見ているのが痛くなってきたし、このままでは何の解決にもならない気がした。
「おまえ……何で泣かないんだ?」
「……泣いたからって、どうにかなるの?」
「笑っててもどうにもならねえだろ」
「泣いてもどうにもならないでしょ」
堂々巡りな会話に深く溜息をついて、頑なに笑顔を守るの頭をくしゃくしゃと多少手荒く撫でる。
「わっ! な、なに?」
「泣けよ」
「……ヤダ」
「泣け。そうすりゃ、少なくとも心の整理はつくだろうが」
冬獅郎の手から逃れようとする。笑顔の消えた彼女の頭を、無理矢理押さえ込んで言葉を続ける。
「おまえ、声を出すのはストレス発散だって言ったよな。けどよ、発散なんてできてねえだろ」
「そんな、こと……」
「ある。こんだけ体冷えるまで外で歌ってたんだろ。それでもまだ歌い続けてたのが証拠だろうが。感情なんてものはな、歌で誤魔化せるようなモノじゃねえんだよ」
だから、泣け。……泣いてもいいんだ。
抵抗する気配のなくなった腕の中の少女に、そっと囁きかける。
しばらく何の動きもないまま時が流れて――くいっと、着物を引かれる感覚。然して間もなく聞こえ始めた嗚咽に、の頭を押さえていた手を彼女の背へと回して。
冬獅郎は、静かに中天に浮かぶ下弦の月を仰いだ。