それは何気ない一言だった。
「大佐、課題できたので見てください」
マスタング家にて。ロイの部屋を訪れたの言葉に、部屋の主は溜息をひとつついた。
「……君はいつまで私を『大佐』と呼ぶのかね?」
「え?」
問いかけに対しきょとんとロイを見つめるの姿に、早めに言ってよかったなと焔の錬金術師は思ったとか。少なくとも、この時は。
完全に予想外の質問だと、その姿が示している。黙っていたらずっと階級名で呼ばれ続けたに違いない。
ロイとしてもそれは悪くはないのだが……やはり、欲は出るもので。
「嫌いではないのだがね、やはり家でまでそう呼ばれると仕事を持って帰ってきているような気分になってしまうのだよ」
「……そういうものですか?」
「そういうものだよ」
まだ納得――というか理解していない様子の彼女に、ロイはその一言を放つ。
それが地雷であったということは、踏んでみないと気付けないのだと。そう身を以って体験するまで数分かからなかった。
「それに私たちは家族なのだから。他人行儀なことはやめにしないかい?」
上司と部下ではなく家族なのだから、それらしく呼んで欲しいと。ただ、そう願っただけだったのに。
にっこり笑って言ったはずのロイは、大きく目を見開き固まってしまった。
目の前に立つ少女も固まっている。
ロイを見つめたまま、その頬を涙で濡らして――
「……、……?」
「……ッ」
名を呼ばれて我に返ったらしいは、持って来た課題だけを置いて逃げるようにロイの部屋から出て行ってしまった。
残されたロイは、一度浮いた腰を再び椅子に沈め、呆然としたまま前髪をかきあげた。
珍しくも真っ白になってしまった頭の中はなかなか元に戻ってはくれず、思考をまとめるどころか状況把握すらできずに、かなりの間が出て行った扉を見つめていた。――見つめていることしか、できなかった……
規則正しい足音を響かせ、リザは司令部の廊下を歩いていく。
目的地は資料室。上司であるロイの指示で必要な資料を取りに行くのと、そこでロイの出した課題に取り組んでいる彼の養女であるの様子を見るために。
その性質上、最奥に位置する資料室の扉を開け中へ入る。整然と並ぶ本棚の間を通って小さな紙ずれの音が届いた。奥に設置された閲覧用の机からのものだろう。
邪魔をするのも悪いと思い、足音を消してそっと近付いた。
――それが良かったのか悪かったのか。判断は全くできないことだったが。
棚の間からの艶やかな黒髪が見えた。いくつかの本を開き、ロイお手製の問題用紙に何やら書き込んでいる。カリカリとペンの走る音が定期的に耳についた。
順調に進んでいる様子に安堵の息をつき、その場を離れようとした。直後、リザの耳に届いたのは小さな溜息。そして……
「……何で……あんなこと……」
消え入りそうな、声。
「わかんないよ……っ」
震えた……涙声。
俯いた頭。小刻みに震える肩。そして――嗚咽。
――初めて目にする、の弱気な姿……
一体何があったのか。その解は、彼女の呟きから得られた。
「……大佐の……ばかぁ……」
無意識にこめかみへと伸ばした手が棚へと触れた。
小さな音が立ち、気付いたが振り返った。……その瞳は、涙で濡れていた。
「……中、尉……? ――あっ」
リザの出現に驚いていたは自分の状態に気付いたのか、乱暴に目元を拭うと問題用紙を手に勢いよく立ち上がった。
「あの、コレ大佐に渡しておいてください!」
そう言うと、リザに紙束を渡しては資料室から走り出していった。その小柄な背を、呆然と見送る。
――泣いていた?
リザは混乱していた。
今し方目にした光景が信じられなかった。
いきなり見知らぬ地へ連れて来られたというのに全く動じなかったあのが?
初対面の人間をいきなり抱きしめるという行動にでたが?
すぐには帰れないと知らされても冷静に成すべきことを導き出していたが?
――泣いていた。
唐突に現実感がわいてきて、リザは溜息をついた。
どうやら失念していたようだ。彼女がまだ15歳の子供であるということを。
もう一度溜息をつくと、リザはの使用していた錬金術書を片付け、ロイの求める資料とに渡された問題集を手に資料室を後にした。
「おっ。姫さん」
開け放たれた扉の向こう、通りかかった少女へと声を掛けた。
気付いた少女と眼前の同僚が同時に振り返るのを視界に収めつつ、ジャン・ハボック少尉は手元のカードを二枚テーブルに放る。
残った手札を正面に座るハイマンス・ブレダ少尉に差し出し、休憩室に入ってきたを迎えた。
「よぉ」
「ハボック少尉、ブレダ少尉。何してるんですか?」
「見たまんま。カードゲームだよ」
「……って、仕事はいいんですか?」
呆れたように聞いてくる、至極もっともな問い。
今はまだ勤務時間内であり、休憩時間には程遠いのである。
ハボックはブレダの手札から一枚抜き取りながら答えを返す。
「特に急ぐものもないからな。大体司令官自らサボりの常習犯なんだ。少しぐらい俺らがサボっても文句は出ないさ」
「それは……まあ……」
短期間で既に養い親の勤務状態を熟知したのか、は歯切れの悪い返答をした。
再び二枚のカードを放り、残り二枚となったハボックの手札の上を彷徨うブレダの手を眺めて。
「姫さんはどうしたんだ? 今日の勉強は終わったのか?」
「あ……えっとぉ……採点、待ち……」
今まで一度も聞かなかった単語にチラリとのほうを見てみれば、彼女の目は魚になっていた。
彼女もサボりか、と。ふと思った。
記憶を失(な)くし彷徨っていたのをエルリック兄弟が見つけ、ロイが保護したと聞いた。錬金術が使えたためロイの養女となり、抜け落ちた理論を取り戻すために毎日勉強していることも知っている。
強制されているわけではないからか嫌な顔をしているところは見たことがないが、昼も夜も毎日毎日勉強漬けでは流石にストレスも溜まったのだろう。
ハボックはブレダの手札から迷いなく一枚抜き取った。
「ほい、あがりっと。ほんじゃ、ま、姫さんも一緒にやってくか?」
「え?」
「次は絶対ポーカーだ!」
ババ抜きに負けた悔しさからか、かなり意気込んでカードを切るブレダを二人揃って呆れ気味に見やる。
「……だってよ。ポーカー、知ってるか?」
「一応、知ってますけど……」
答えたに席を勧め、笑顔を向けた。
「別に何も賭けたりしないんだしよ、気楽にやろーや。姫さん、大佐に引き取られてからずっと勉強漬けだろ? たまには息抜きしないと疲れるだけだしな」
気を利かせたつもりはなかった。ただ暇なら一緒に遊ぶのもいいのではないかと思っただけで。
遊びたい盛りの年頃だろうし、とは考えはしたが。
他意はない――つもりだった。
だが。
「……姫さん……?」
「……あ……」
自分の言葉を相手がどう受け取ったのか、ハボックにはわかるはずもなかった。わかるのは、このような反応は少なくとも予測していたものの中に存在していないということだけ。
「……え? ……あれ……?」
――は、泣いていた。
自分でも泣くつもりはなかったのか、しきりに目元を拭っているが涙は止まらないようで。
「――ッ、ごめんなさいっ!」
とうとうは逃げるように休憩室を後にした。
休憩室内に気まずい空気が満ちてきて。
「……俺、なんかマズイこと言ったか……?」
「……さあ……」
呆然と入り口のほうを眺める少尉が二名、取り残されていた。
司令官執務室では、冷や汗を浮かべた東方司令部司令官が机に張り付いていた。
その目の前にはいつもと変わらぬ表情の、けれどまとう空気が異常なほどに冷たい補佐官の姿がある。
「ホークアイ中尉……何かあったのかね?」
絶対零度の空気に耐えかねて、ロイはそう訊ねてみた。
けれど答えはなく、代わりに返ってきたのは頼んでおいた資料とひとつの紙束。
見覚えのあるそれは……
「これを、から預かりました」
ロイ自身がのために作った錬金術の問題集。
事故でここへ来てしまった。錬金術の存在すら知らなかったはずの彼女は、何故かエドワードと同じ方法で術を行使できた。
エドワードの練成陣を必要としないあの練成方法を、ロイは詳しく知らない。しかし、エドワード自身もが何故自分と同じ練成ができるのかはわからないようだった。ついでに言えば、できるはずがない――とも洩らしていたが。
何にせよ、錬金術が使えるのは紛れもない事実。それはこの地で彼女が生きていく上で、かなり有利なことだった。
ただ……問題は、あった。
――彼女は、錬金術の知識を全く持っていないのだ。
『理論』が抜け落ち『力』だけが一人歩きしている状態。
本来ありえない状況だがそれもまた事実。そして、それは望むモノを造り出せないだけではなく、下手をするとリバウンドを引き起こす。エルリック兄弟の二の舞になりかねない――という、極めて危険な状態だった。
だからロイはに錬金術使用禁止令を出し、何よりも先に錬金術の理論を教えていた。
渡された紙束、もとい問題集に一通り目を通し、ロイはリザへと視線を向けた。
「は……どうしたのかね」
「それを私に預け、どこかへ行ってしまいました」
リザのその言葉は予想の範囲内だった。昨晩のあれ以来、普通を装ってはいるがどこか避けられているのはわかっていたから。
「『大佐のばか』」
「!?」
一点を凝視し、思考の海に沈んでいたロイはリザの言葉で顔をあげた。
「がそう言っていました」
「…………」
頬を一筋の汗が伝う。
「泣いていましたよ」
射抜かれるような視線が痛い。
無表情なのに瞳にだけ猛禽類が持つ鋭い光を宿していて。
――正直、怖かった。
「大佐。彼女に何をしたんですか?」
「……何も、していない……」
今にも銃を抜き放ちそうな雰囲気にかなり焦る。
「本当に何もしていない! ……ただ……」
「ただ?」
「一応家族となったわけだし、せめて家にいるときは階級名以外で呼んで欲しいとは言ったが……」
「それだけですか?」
「それだけだ」
ロイの答えに、ようやくリザの周りの空気が和らいだ。
「そう言ったら、泣かれてしまった」
リザの威圧に詰めていた息を、内の想いと共に吐き出す。それから、すがるようにリザを見上げた。
「私は何かおかしなことを言ったのだろうか……?」
考え込むようにリザは一瞬目を泳がせ、
「返答しかねます」
答えを導き出した。
ロイは背もたれへ上体を預け天井を仰ぐ。
「何が……いけなかったのか……」
ただ、願っただけだ。ささやかな望みを、口にしただけ。
あの少女を、悲しませたかったわけではないのに……
思わず溜息を洩らしたロイに、声が届いた。
「それは本人にしかわからないのではないですか?」
先程とは違う、やわらかい声音。
取るべき道を示す、声。
「行ってください、大佐」
「中尉……」
「これだけあれば……残りは明日でも消化可能でしょうし」
決裁済みの書類を手に取って確認しつつ、リザは言った。
「何よりの泣き顔なんて、見たくありませんから」
滅多に見ないやわらかい、優しい笑顔を向けられロイも自然と微笑む。
「すまない」
そう一言残して、ロイは執務室を後にした。
「さて、どうしたものか……」
意気込んで執務室を出たのはいいが、の行方がわからなかった。
司令部の外には出ていないとは思うが、司令部内も決して狭くはない。
とりあえず資料室から順に見て回ることにしたロイは、休憩室で固まっている二人の部下を発見した。
「何をしているのかね?」
「あ、大佐……」
ロイの声に我に返ったらしいハボックとブレダは、それでもまだぎこちない動きで敬礼した。
明らかにサボり組の上に何があったのか気になるが、今はそれよりもの行方のほうが先だった。
「ハボック少尉、を見なかったか?」
「ああ、姫さんならつい先程ここを出て行きましたけど……」
ハボックの台詞に引っ掛かりを覚え、目で何があったのかを問うと。
「カードゲームに誘ったんスけど……何故か泣かれてしまいました」
「……ここでもか……」
溜息と共に呟き、疑問の眼差しを向けてくる部下に「気にするな」とだけ伝え、新たに得た情報を元にの後を追った。
穏やかな陽射しの降り注ぐ中庭に心地好い風が吹き過ぎる。
その風に髪を弄ばれている少女が一人。
「うあ~……自己嫌悪……」
中庭に設置されたベンチの上で自らの膝に頭を乗せているその姿が物語るように、彼女のまとう空気は外の陽気とは裏腹に酷く暗かった。
口から洩れる声も、かなり低い。
誰にも会いたくなくてやって来た中庭で、しばらく日光浴をしていた。暖かな風に吹かれるうちに涙は止まったが、気持ちは一向に晴れてくれない。
「全っ然ダメだよ~……なんでぇ……」
身を起こして呟いたそれは確かに独り言。
周囲には誰もおらず、答えなど返るはずもなかった。……なかったのだが……
「何がだい?」
「きにゃああああああっ!!」
あるはずのない返答が背後から掛かり、は思いっきり叫んでベンチから転げ落ちてしまった。
うるさいぐらいの動悸を抑えつつ振り返れば、呆れた様子のロイが立っていて。
「何もそこまで驚くことはないだろう」
「驚きますよ!!」
やはり呆れ気味に言われた言葉に即反論してからは立ち上がった。その眼前に差し出された白い紙束。――リザに託した錬金術の問題集。
「特に間違いはなかったよ。相変わらず君の飲み込みの早さには感服するね」
渡されながら言われた言葉も、の耳には半分以上入っていなかった。
まともにロイの顔を見れずに、俯いたまま問題集を受け取ってそのまま駆け出そうと踵を返した。――が。
「おっと……逃げるのは禁止だ」
先手を打たれた。
腰に手をまわされ、完全にロイの腕の中におさまる形になっている。
「にゃあああ! バカバカバカバカぁ! 大佐のスケベぇ!!」
ばたばたと両手を振り回して抵抗してみても敵うはずもない。
男と女。大人と子供。軍人と一般人。
諸々理由はあれど、一番不利となっているのは姿勢だった。
――ロイは、の後ろにいた。
「……女性が好きなのは認めるが、自分の娘に手を出すほど堕ちてはいないよ」
溜息と共に聞こえた単語に、思わず動きを止めてしまう。
けれどそれも一瞬のこと。今度は一点集中攻撃で逃れようと、自分の腹部にあるロイの手を掴む。が、やはりびくともしない。素手の手の甲に爪を立ててみても同じで。
「」
名を、呼ばれて。
下唇を噛んでまで耐えてきたものが……溢れた。
「……泣いているのかい?」
答えられるはずもない。けれどロイの手を掴んでいる自分の手に感じる水滴は紛れもなく自分から出たもので。当然ロイの手にも落ちているそれが、何よりの答えとなっていた。
不意にロイの手が緩む。そして……
「泣くほど……私のことが嫌いなのかい?」
耳を打つ、悲しげな声――
「私の娘となるのは、それほど嫌なことだったのかい?」
「違う!!」
思わず叫んだ。
でも……ロイのほうを見ることはできなかった。
既にロイの手からは解放されているのに。こんな悲しげな声をさせたかったわけでもないのに。
自分の中の感情を持て余している今のには、その原因をもたらしたロイを見ることは……できなかったのだ。
そんなの行動をどう思ったのか、ロイは問いをやめることはしなかった。
「では何故泣いているんだい? 昨日も今も……何故逃げたりしたんだい? 嫌いなわけではないのなら、何故私を避ける――……?」
ロイの言葉が。ロイの、声が。
深くの胸に突き刺さって。
「…………いよ……」
頭の中を掻き乱して。
「わからないよ……っ」
何も――考えられなかった……
「なんで泣いたのかなんて、わたしにもわからないよ!」
涙を止めることもできず、どう言葉を紡いでいいのかもわからずに。
ただ……ロイの言葉を待った。
「……私の養女となることは、嫌ではなかったのだね?」
ややあって問われたことに、素直に頷く。
「では……嬉しかった、ということかな?」
「…………わからない」
「何故、わからないんだい?」
「『家族』っていうのがどういうものなのか、わからないから……」
ロイの言葉が途切れた。掛ける言葉が見つからないのかもしれない。だが、一度堰を切ってしまえば言葉は止まらなかった。
「わからないよ……だって、わたしの両親は仕事ばっかりで家にいることが少なかったから……一緒に食事をしたこともなければ、名前……呼んでもらったことだって数えるほどしかないもの……わたし、あの二人の顔も声も、覚えていない……」
「…………」
「わたしには、『家族』と『他人』の違いがわからない……」
難しい錬金術に関することは大体一度で理解できているのに、こんな単純なことがわからない。
それが酷くもどかしく思えて、今までとは意味の違う涙をこぼしたその時。ぽん――と、何かが頭の上に乗せられた。
「……それは違う。君は本当はわかっているはずだよ」
髪を梳くように優しく上下するそれは……暖かい、大きな手。
「家族は無条件に愛してくれる存在であると。甘えられる暖かいものであると識(し)っているはずだ。ただ、それを経験したことが……なかった、から……困惑しているだけさ」
落ち着かせるように。諭すように。
もたらされるのは優しい、行動と言葉。
「君はね、嬉しかったんだよ。欲しいと願っても実の両親からは与えられなかったものを手に入れたことが……とても嬉しくて、涙が溢れたんだ」
欠けていたパズルのピースが、はまったような気がした。
わからなかった自分の行動。その源となる感情を自覚した途端、また涙がこぼれた。
でも、今度は止めようとはしなかった。
優しく抱き寄せてくれたロイの腕の中で、は初めて手に入れた幸せを噛み締めていた。泣き疲れて眠るまで、ずっと……
基本的な錬金術の理論を吸収したが錬金術使用禁止令を解除されて数日後のこと。
東方司令部休憩室にて。
「よぉ、姫さん」
「あ、ハボック少尉」
いつぞやと同じ状況下で似たような会話をする二人の姿があった。
休憩室へ入り、今回ははじめからポーカーをしているブレダとハボックの側へ行くと、はぺこりと頭を下げた。
「この前はすみませんでした。情緒不安定だったもので……」
「気にすんなって。俺らも気にしてねえしよ。……まあ、びっくりはしたけど」
「あ……はは~。良ければまた今度誘ってください」
「今はダメなのか?」
「はい~。逃亡中の大佐、捜索中ですので~」
言って、は手に持っていた物を二人に見せた。
ジャラリと音を発したのは、一本の鎖。それと何故か陶器のカップがひとつ。
「折角コレ用意したのに、使う前に逃げられちゃって……」
困ったように笑うに、少尉二名は本当に困ってしまった。
その鎖とカップをどのように使うつもりだったのか。
聞きたいような聞いてはいけないような。そんな気分に囚われて。
導き出された結論は、彼女は間違いなくロイの娘である――と。
「手っ取り早く、誘(おび)き出す方法ってないのかなぁ?」
鎖を持っていないほうの手を顎に当てて悩む様は実に可愛らしいのに。
そんなことを思いつつ、好奇心に駆られたブレダが声を掛けた。
「あるぜ。大佐を誘き出すいい方法」
「え?」
「ホントかよ」
「確証はないけどよ、確率は高いと思うぜ?」
首を傾げる二人を手招きし、その内容を耳打ちする。
「あ~……たしかに確率は高そうだな~」
「だろ?」
ブレダの作戦を聞いてハボックは納得した模様。けれどは半信半疑で。
「本当にそれで出て来てくれるの?」
「物は試し。成功すればめっけ物だろ」
「う~……」
ブレダの言うことももっともなので一応試してみることにする。
本当にこの方法で出て来てくれるならかなり嬉しいのだけど……という期待も込めて。
は大きく息を吸った。そして……
「キャ――――――!! 助けて! ハボック少尉におそわれるぅ――――!!」
叫んだ。
「なんで俺!?」
名指しされたハボックがそう言ったときには既に四方八方から銃口が向けられていて。反射的に両手を挙げた。
休憩室を埋め尽くさんばかりの人、人、人。
司令部のほとんどの者が来たのではと思える人数に、この提案をしたブレダも目を丸くしている。
さて、目的の人物はというと……
――ゆらり、と。ハボックの後ろで影が動いた。
「私の娘に手を出すとはいい度胸だな、ハボック少尉」
どすの利いた声が耳を打ち、油の切れた機械のような動きで後ろを振り返ったハボックの目に映ったのは、発火布の手袋をはめた手をいつでも練成できるように構えたロイの姿。
「覚悟はできているんだろうな?」
「できてるわけないっスよ――――――!!」
ハボックの叫びも虚しくロイが指を鳴らそうとした、まさにその時。
「はい、そこまで~」
明るい声と共に発したのは、手を合わせる音と空気を裂くような音と光。
全ての練成が終わった後、その場の全員が目にしたものは。
――鎖のついた陶製の首輪をはめられたロイ・マスタング大佐の姿……
ロイ含め全員が呆気にとられる中、事を行った張本人は満面の笑顔で。
「大佐捕獲完了~♪ ってワケで、中尉。このまま連行しちゃってください」
近くで銃を構えたままでいたリザに鎖を渡す。
リザはの意図を察し、瞬時に頭を切り替えるとその鎖を引いて休憩室を出て行く。
半ば引きずられる形で色々文句を言いつつ連行されていくロイと、その後ろを軽い足取りでついていくの姿を室内の人間は呆然としたまま見送っていた。
入り口のところでは室内を振り返り、
「ご協力、感謝します」
ピッ、と。悪戯っぽく敬礼してから出て行ったのであった。
休憩室内に訪れた奇妙な沈黙はしばらく続き、それが去った後、ハボックが事情説明を求められていたのは言うまでもない。
一方、執務室へ連行中のロイはというと……
「! これは何だね!?」
かなりご不満な様子。……当たり前だが。
対するは上手く事が運んでご満悦。
「く・び・わ♪」
笑顔で答えを返している。
「何故首輪なんだね!?」
「国家錬金術師は軍の狗(いぬ)って言われてるって聞いたから。しょっちゅう職務放棄してる大佐には丁度いいかな~って。ねえ、中尉?」
「ええ。これで『軍の犬』らしくなったのでは?」
話を振られたリザも鎖をロイに見せるように持ち上げて同意した。
二人のその態度に流石のロイも怒りに肩を震わせて。
「君たちは私を何だと――」
「仕事サボるロイ兄が悪い!!」
怒鳴りかけたロイの言葉を遮りが強い口調で言った。
「上司がそんなんじゃ部下に示しがつかないでしょ!? 敬われたいなら、それなりの行動をしなきゃ。ただでさえ、雨の日は無能なんだから」
娘に説教された上に無能呼ばわりされて、ロイは廊下の隅に蹲り『の』の字を書いている。
暗雲背負っていじけていたロイは、不意に目を見開いて勢いよく立ち上がりを見た。その表情は、信じられないようなすがるような、そんなもので。
「……さっき……」
様子が一変したロイにリザはその意味を測れずにいたが、は……知っていたから。
「なぁに? ロイ兄」
笑顔で、呼んだ。
初めて階級名以外で呼ばれたことに、ロイの胸は途方もない歓喜に満ちた。自然、笑みが浮かんで。
「……いや。行こうか」
歩き出した。
急に機嫌の直った上司に首を傾げていたリザに、はその理由をそっと耳打ちして。
二人は笑い合ってから、ロイの後に続いた。
それは何気ない一言だった。
小さな騒動を巻き起こしたのも、新たな日常に彩りを添えたのも。
たった一言。
けれど、とても大切な――ことば……