第 0 話
1・問いかけるは望み

 何故ソレだったのかはわからない。
 ただ、惹かれた。
 他のどんな物語でもなく、そのひとつに。
 心酔していたのかもしれない。
 そう……その世界へ行きたいと、願ってしまうほどに――……


 三月。
 まだ肌寒い日が続く中、某私立中学で卒業式が行われた。
 校門前では多くの生徒たちが名残惜しそうに騒いでいたけれど、そんな中、唯一人無表情に空を仰ぐ少女がいた。
 喧騒の中、静かに佇むその少女は明らかに浮いていた。けれど、それを気にした様子など微塵もなく、ふらりと少女は歩き出す。
 校門を出て帰路につく少女は、後ろを振り返ることもなかった。彼女には何の感慨もないことだったから。
 そう……中学のすぐ隣にある小学時代から九年、歩き続けた通学路を歩いていても、何も感じることはなかった。
 少女にとって学校は意味のないところなのだ。学校だけでなく、家も街も、全ては無意味だった。
 ただ、たったひとつだけ意味のあるものがあった。他の者から見ればそれこそ意味のないもの。それでも、少女にとっては唯一意味のあるものだった。
 それは『鋼の錬金術師』という物語。
 理由もなく街を歩くことの多かった少女が、偶然出会った一冊の本。何かに突き動かされるように購入し、夢中になった。
 今はそれだけが楽しみだった。
 急ぐということもなく歩いていた少女の足が不意に止まった。そのままバランスを崩したようによろめき、近くの塀に手をつく。
「……ッ」
 小さく息を詰める。
 少女の顔は真っ青だった。
 目の前が暗くなる。症状としては眩暈と似ている。けれど、これが眩暈などではないことは少女自身が一番良く知っていた。
 身体が重力に引かれる感覚も一瞬のこと。
 少女の意識は深い闇の中へと堕(お)ちていった。


《おまえは、何を望む》
 そんな声が聞こえて、少女は目を開けた。
 そこは真っ暗な空間だった。けれど闇の世界ではなく、小さな光が幾つも輝いている。
 ――宇宙。
 そう表現するのが一番近いかもしれない。
 だが宇宙ではない。なぜなら、目の前には大きな扉があったから。
《おまえは、何を望む》
 再び、声がした。
 目の前の、門のように大きな扉のその向こうから。
「……あなたは、わたしの望みを叶えてくれるの?」
 少女は問い返した。
 ここはどこかとか、この扉は何だとか、声の主は何者だとか。そんなことはどうでもよかった。
 今の彼女にとって重要なことは、望みが叶うか否か。
 ――時間を失うか、与えられるか。
 ただ、それだけだったから。
 声は答える。
《おまえの支払う代価次第だ》
 その言葉に、少女は微笑んだ。
「わたしの望みは時間……彼らと過ごせる時間と能力。それ以外の不必要なもの全てを代価としてあなたに支払うわ」
 そうして紡がれたのは契約のことば。
 少女の運命は定められた。――否。少女は自らその運命を定めた。
《契約は成された。さあ、扉をくぐれ》
 声と同時に開かれたその扉を、少女は躊躇うことなくくぐった。
 そして扉は閉ざされる。
 少女の支払った代価を呑み込んで……



 眩しい光が収まって、少女は閉じていた目を開けた。
 全く見覚えのないそこは、少女の望んだ世界。
 そして眼前には少女が共に過ごすことを望んだ相手が、いた。
 ――もっとも、この時既にその記憶は少女の中から抜け落ちていたのだが。
 かなり驚いた表情のまま固まっている金髪の少年。
 何が起きたのかわからずきょとんとする少女。
 両者そのままかなりの時間見つめ合っていたが、不意に少女のほうが動いた。
 何が何だかわからなかったのだが……
「きゃああぁ! かわいい――――――!!」
「んなっ!?」
 とりあえず、眼前の少年を抱きしめてみた。
 そう……本能の赴くままに。