。15歳。帰宅途中で倒れ、気がつけば見知らぬ地にいた。
突然現れた少女の事情を聞き、東方司令部執務室には不穏な空気が漂っていた。
この部屋の主である『焔の錬金術師』こと、ロイ・マスタング大佐は盛大な溜息をつき、正面に座る金髪の少年を見た。
「鋼の……君は一体何をやらかしたのかね」
「オレの所為かよ!?」
「当たり前だろう」
君が練成に失敗した結果、彼女が現れたのだから。
そう言うと、少女が現れた現場に居合わせたアルフォンス・エルリックとリザ・ホークアイ中尉は同時に頷いた。
それを見た少年、『鋼の錬金術師』ことエドワード・エルリックは「アルの裏切り者ぉ――――!」などと、今は鎧姿となっている弟に抗議し始めた。
相も変わらず変化のないその姿を一瞥し、ロイは少女へと目を向けた。
少女は中尉の淹れた紅茶を飲んでいる。よほど美味しいのか、かなり幸せそうな表情だ。――話題の中心人物だという自覚は全くないように見える。
視線に気付いたのか、顔を上げた少女と目が合う。
にっこり笑いかけてみれば、きょとんと小首を傾げた。その姿がなんとも愛らしい。
「断じてオレの所為じゃねえ!!」
エドワードが叫ぶ。やかましいことこの上ない。
「大体、俺が失敗なんかするかよ!!」
言って両手を叩き合わせ、その手をテーブルの上に置かれたカップの上にかざす。見慣れた光が走り、カップは天馬の置物へとその姿を変えた。
「ほら見ろ!!」
「少しは静かにしたまえ。それと、備品を勝手に作り変えるな」
エドワードの主張をあっさり流して突っ込むロイに、再び大声を上げようとした時、彼よりも先に声を発した者がいた。
「……すごい……」
然して大きくはないその呟きは、妙に響いて聞こえた。
「今の何? 面白い!」
瞳を輝かせている少女に流石のエドワードも毒気を抜かれたのか、半ば呆気に取られて少女を見やる。
「何って……錬金術だけど……」
「錬金術? って何? 手品――って言うより魔法みたい」
「んなワケわからんものと一緒にするな! 錬金術はちゃんとした法則のもとに成り立って――」
「何であんなことできるの? ただ手を合わせただけなのに」
「……聞いちゃいねーし……」
ガックリと肩を落とすエドワードに構うことなく、少女は自分の両手を好奇心いっぱいに見て、エドワードの真似をした。
両の手を合わせ、それをカップの上にかざす。――その瞬間、
――バシィ!
音と共に発したのは、見慣れた光。練成反応の、光……
「……な……」
室内にいた誰もが目を瞠った。
そこにはもうカップはなく、代わりに現れたのは一枚の皿。
誰が見ても一目瞭然。彼女が行(おこな)ったのは錬金術だった。
「なん……で……」
「……ウソ……」
エドワードと少女の呟きが重なる。
「できちゃったよ……アレって、誰にでもできるものじゃあ……ないよね?」
呆然と自分の手を見下ろす少女。
彼女は――何も知らない。何も知らないのに錬金術を行使した。
ロイの内に何とも形容し難い感情が広がる。
それを押し隠し、ロイは少女を手招きした。やってきた少女の前に自分のカップを差し出し、言った。
「もう一度、やってみてくれるかい?」
言われるまま、少女は動く。
音、光。そして現れたのは、カップと受け皿、双方合わせた質量の少々小ぶりな花瓶。
「ふむ……どうやらマグレではないようだね」
予想通りの現実に満足げに微笑んで、ロイは少女を真正面から見据える。
「君はこれからどうするつもりかね」
「え……どうって……」
「元の場所に戻る方法を探すのかい?」
ようやくロイの言わんとしていることを理解したらしい少女は、目を細めてロイを見返してきた。
「戻れる……の、でしょうか?」
問いをもって返される答えは、何よりも彼女の心情をよく表している。
だからこそ、ロイも曖昧な答えは返さない。
「断言はできないよ。何しろ前例のないことだからね。だが来れた以上は戻る方法も存在すると、私は思うがね」
少女は答えない。ただじっとロイの瞳を見据えている。――まるで真偽を見定めるかのように。
ふと、少女は目を閉じた。薄茶の瞳が隠される。
何かを思案するように、動かない。
ややあって、少女は口だけを開いた。
「……そうだとしても、それは簡単に見つかるものではないですよね?」
「だろうね。だが、諦めない限りは可能性はあるのでは、ないかね」
ロイはちらりとエドワードのほうを見た。それを実行している者が、そこにいるから。
未だ揺らぐことのない、炎を宿した瞳の少年……
眼前の少女は、果たしてどのような決断を下すのか。
少女は、閉じた時と同じように前触れもなくその双眸をさらす。
そして、下された決断は――
「だったら、わたしはここで生きていく術(すべ)を身につけたい」
強い意志をもって、ロイを見据える。
「探すにしてもわたしはここのことを何も知らないから。だからまずはそれが欲しい」
その揺るぎない視線を、ロイは受け止める。
「この世界の知識と身を守る技術。わたしはそれを手に入れる」
はっきりと言い切った少女の姿に、ある影が重なって見えた。
それは一年前のエドワード。国家資格を取ると決めた時、そして与えられた二つ名を背負うと決心した時の彼の姿と――重なった。
確かな覚悟を感じさせる、熱く強い瞳。
エドワードは炎を宿していると思ったが、この少女は光を……星のような輝きを宿しているように見える。
ロイはふっと口の端を持ち上げた。そして背もたれに上体を預けて少女に言った。
「いいだろう。君は私が引き取ろう」
「大佐ッ!?」
非難の混ざった驚愕の呼びかけに、ゆるりと視線を向ける。
エドワードだけではなく、中尉も珍しく目を丸くしていた。
「何かね?」
「何かね、じゃねーだろッ! 一体何企んでやがる!?」
「企むとは心外な。彼女を助けたいと思ってはいけないのかね?」
「アンタはタダじゃ動かねえだろ!! 絶ッ対に!!!」
「大佐。彼女に手を出すのは流石に犯罪ですよ」
「君たちは……私を何だと思っているのかね……」
全く信用されていない事実に、項垂れる。
15歳なら犯罪にはならないだろうと、実にどうでもいいことを頭の隅で考えつつこめかみを押さえたロイに、もっともな疑問をエドワードが投げかけた。
「大体、引き取るったってそう簡単にできるのかよ」
「なに、国家資格を取れる資質を持つ記憶喪失の少女を保護したとでも言えばいいだけさ」
「なっ……!?」
エドワードが目を見開く。その直後怒りを露に叫んだ。
「アンタはソイツを人間兵器に仕立て上げる気なのかよッ!?」
溜息をひとつつき、ロイはエドワードに厳しい目を向ける。
「鋼の。二年前君に言ったように、私は強制するわけではない。ただ可能性を提示するだけだ。上を納得させるのに丁度いい口実ではあるが、事実は事実。国家資格を取ろうが取るまいが、彼女も私も損失はない。彼女の望みであるここで生きていくために必要な戸籍を取得できるだけさ。知識と技術を身につけた後、帰る方法を求めて人間兵器となるか否か。それを決めるのは彼女自身だ。――かつての君のようにね」
「……ッ」
言葉を詰まらせるエドワードを、ロイは静かに眺める。
国家資格を取るということがどういうことなのか、彼らが一番よく知っていた。それでもその道を選んだのは、お互い叶えるべき望みがあるから。いかなる茨の道だとしても辿り着かねばならぬ理由があるから。
選んだのは自分自身。誰に強制されたわけでもない。
だから彼女もそうするだろう、と。
誰にも彼女の道を定めることはできない。選ぶのは彼女自身だ、と。
ロイにも、そしてエドワードも……それはわかって、いた。
口を閉ざし少女へ視線を向けたのを確認し、ロイも少女へと目をやる。
「それで、どうするかね? 私の提案に乗るかい?」
流石にエドワードの態度に尋常ではないことを察したのか、少し固まっている……と思ったのは間違いだったようで。
「いえ……わたしとしては願ってもないことなんですけど、本当にいいんですか?」
「何がだい?」
「自分で言うのも何なんですが、かなり得体が知れないって思うんですけど……わたし……」
あっさり自分を受け入れたロイに驚いていたようで。
ロイは喉の奥で笑う。
「構わないよ。私は君が気に入ったからね」
この答えに、呪縛が解けたように少女は笑顔を浮かべ、
「よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げた。
数日後、少女は『・マスタング』という名と共に、東方司令部にて新たな生活を始めた。
第0話 はじまりのうた・完