第 1 話
4・仮説の立証

 別に捨て身になっているわけではない。
 ただ、知りたかっただけ。
 何より、もう……失いたくはなかったから――……


 激しく雨の降りしきるその場を、一発の銃声が切り裂いた。
 それまでの流れを断ち切る号音(あいず)。
 俯いたまま座り込むエドワードと、彼にその破壊をもたらす右手を伸ばす『傷の男』。兄を助けたくても動くことも叶わず、叫ぶことしかできないアルフォンス。
 銃声は確かに彼らの動きを――一人の少年が死にゆく流れを、止めた。
「その人から離れなさい!」
 凛とした声が響き、流れを止められた者たちがほとんど同時に声の主へと視線を向ける。
 いたのは、たった一人の少女。
 雨に濡れ艶の増した黒髪に、血に染まったスカートをはき銃を真っ直ぐに構えている少女――
 は銃を構えたまま、手前の二人の奥、崩された路地の前に横たわる鎧へと目を向けた。胴の部分を破壊されて尚動き、そして言葉を発する空の鎧……それが『今』のアルフォンスなのだ、と。何故かすんなり納得してしまっている自分に違和感を覚えた。
「……
 小さな、呟きにも似た呼びかけに視線を戻す。
 機械鎧の腕を壊され、膝をついているエドワードがいる。
 生きている――そのことに……間に合ったということに、果てしない安堵を感じて目元が緩んだ。だがそれも一瞬のこと。すぐさま『傷の男』へと厳しい眼差しを向ける。
 しばらく観察するようにを見ていた『傷の男』が口を開いた。
「おまえは、タッカー邸にいた娘だな?」
「あなたがニーナたちを殺した犯人ね」
 問いに対して確信の込められた指摘。各々それが答えとなっている。
「……何者だ?」
 『傷の男』の問いには目をすがめた。
 自分が殺されずに済んだのは、『傷の男』の邪魔になるような状態ではなかったからか、男がも国家錬金術師であると知らなかったからだろうとヒューズは言っていた。
 そして、今の誰何――ヒューズの推測は当たっていたといっていいだろう。
 だが全てではない。
 は国家資格を取得してから、まだ一週間も経っていないから顔は知られていなくて当然だ。しかし、名前なら知っているかもしれない。
 情報源が何なのか知る由もないが、確実に国家錬金術師を殺してきていることから見ても、名前と……二つ名ぐらいは覚えているのだろう。
 だから、これは賭けだ。
 相手が自分を知っていようがいまいが目的は果たせる。
 は一度大きく息を吸い、名乗った。
・マスタング」
「マスタング……国家錬金術師の?」
「違う!!」
 男の言葉をエドワードが強く否定する。右肩を押さえ未だ座り込んだままで、きつく男を睨みつけて。
「国家資格持ってるのは父親のほうだ! ソイツは関係ねえ!!」
 男はエドワードを一瞥し、へと再び目を向ける。
「焔の錬金術師が父親……ならばおまえは輝石の錬金術師か?」
 告げられた言葉にエドワードが目を瞠るのが見えた。
 そういえば、まだ合格したこと言ってなかったんだっけ……と、今更ながらに思う。そして自分の推測が当たったことに苦笑をこぼし、真偽を問う二対の瞳に不敵な笑みを返して、言った。
「つい先日もらったばかりの名をよくご存知で」
 言葉と同時、明らかな殺気が向けられる。
 は、銃を握る手に力を込めた。
 生まれて初めて自分に向けられた明確な殺意に気付けないほど鈍感でもなければ、まして恐怖を抱かぬわけでもない。けれど、死ねない理由があるから。
 男が動いたその瞬間、は迷うことなく引き金を引いた。
 軍隊格闘の達人をもその手にかけている『傷の男』を、自分如きが仕留められるはずもない。迷いは禁物。それはそのまま死に繋がるから。
 今の自分にできることは少ない……――否。やるべきことは、たったひとつ。
 ――ロイたちが辿り着くまでの時間を稼ぐこと!
 弾道を見切ってかわす男の動きを反射だけで追って撃つ。エルリック兄弟から距離を取らせるように狙い、同時に撃ち放った弾数を数える。
 男もそれをしていたらしく、弾切れを狙って一気に間合いを詰めてきた。
 繰り出される攻撃を紙一重でかわすと同時に空のマガジンを投げ捨て、男との距離を保ちつつ新しいマガジンをセットした。――その動きは既に軍人のものと大差はない。だが……
 再び男へと銃口を向けた、その時――
「――あっ!」
 男の蹴りによっての手から銃が離れた。直後、ひたりと額に添えられる大きな手……
「神の道に背きし錬金術師――滅ぶべし!!」
 告げられる死の宣告。
 そして、目を灼く眩い練成反応の――光……
!!」
 エドワードの叫びを聞いたと思った、刹那。大きな音が耳を裂いた。
 ――それは、力の生まれた音……反発という名の、力。
 『傷の男』の右手との頭と……互いに弾き合い、そしては数歩後ろへよろめいて、その場に座り込んでしまった。
 驚愕が沈黙を連れてやって来る。
 一体何が起きたというのか。それがわかるものは、この場に誰一人いなかった。
「何故だ……何故『人体破壊』で壊せぬのだ……」
 『傷の男』は呟く。
 それはに問いかけているようであり、ただの独白のようでもあった。例え、それが問いだったとしても、には答えられるはずもないのだが。
!」
 アルフォンスの緊迫した声。
 男が再び――自分がこの場に辿り着いた時、エドワードにしていたように、手を伸ばしてきたのが気配でわかったが、は動かなかった。――否。動くことができなかった。
 全身の感覚が麻痺したかのように力が入れられず、座っていられるのすら奇跡と思えるような状態に陥っていたから。
「くっ……」
 エドワードが動く。を助けるため、立ち上がり駆け出した。
 そして……

 ――ガゥンッ。

 再び銃声がその場を一時的に鎮めた。
「そこまでだ」
 聞き馴染んだ――待ち望んでいた声が耳に届き、は顔を上げた。
「……ロイ兄……」
 安堵が声ににじむ。しかし、それはすぐに鳴りを潜めた。
 ロイと目が合った途端に嫌な予感が胸を襲ったのだ。
 それは直感的なものではなく、経験則から来る――予感。こういうものは得てして当たるもの。
「私の娘に何をした」
 低い、ロイの声。滅多に聞けない、本気の怒りを露にした声音……
(ダメ……)
 無意識に思った。
「娘……おまえが焔の錬金術師か?」
「いかにも! の父、『焔の錬金術師』ロイ・マスタングだ!」
 発火布を手にはめるロイの姿が視界におさまる。
「神の道に背きし者が、裁きを受けに自ら出向いて来るとは……」
 『傷の男』の意識が完全にロイへと移行したのがわかり、は力の入らない手を何とか持ち上げ両手を合わせる。
「今日は何と佳き日よ!!」
「私を焔の錬金術師と知って尚、戦いを挑むか!! 私の娘に手を出したことを後悔するがいい!!」
 『傷の男』がの前から消え、ロイが構える。
 は持ち上げた腕を、重力に任せて地面に落とした。
「ロイ兄! ダメぇ――――――!!!」
 の叫びが響く中、リザがロイに足払いをかけ『傷の男』へ向けて自分とロイ、二丁の拳銃の装填されていた全ての弾丸を撃ち切る。不規則に放たれる銃弾を避けるため距離を取らざるを得なかった男へと、地面から細い針のようなものが幾つも突き出し、更にロイたちとの間を空けさせた。
 それを見届ける気力も失くし、乱れる呼吸を抑えられずには練成した姿勢のまま、地面についた両手を支えにして大きく肩を上下させていた。
!」
 間近で聞こえた声に顔を上げる。腕のない肩を押さえたエドワードと、ライフルを持ったハボックがこちらへ寄って来ていた。
「大丈夫か、姫さん」
「エド君……ハボック、少尉……アル君、は?」
「ブレダが護衛にまわってる。立てるか?」
 いつもはのらりくらりとしているハボックも、流石に今は軍人らしい顔つきで言葉短に訊いてくる。も余裕など既に残ってはおらず、顔を上げ続ける力もなくなって俯いた頭を左右に力なく振る。
「体に、ちから……はいんない……」
 舌打ちが聞こえ浮遊感に包まれた。
 目の前に真剣な面持ちのハボックの顔。視界の隅には、先程ハボックが持っていたライフルを唯一残った手に抱えているエドワードの姿が少し下に見え、抱き上げられたことを理解した。
「大佐たちと合流するぜ!」
 言って、アームストロングと『傷の男』の戦いを横目に、副官に無能呼ばわりされて未だ落ち込んだままの上司の元へ走るハボックの腕の中、は自分の役目が終わったことを実感して静かに目を閉じた。
 だからは気付かなかった。
 ロイを立ち直らせるためとはいえ、ハボックが上官を足蹴にしたことを。
「ホラ、大佐。いつまでも落ち込んでないで、姫さんのことしっかり守ってやってくださいよ。――父親でショ?」
 少しだけ普段のような明るく軽い調子に戻った言葉の後、不安定だった浮遊感から馴染んだぬくもりと、雨と血の間に香るロイの匂いに包まれて、閉じていた目を薄く開いた。
! 大丈夫か!?」
 見るからに『心配です』と書いてあるようなロイの顔がすぐ側にあって、は微笑む。
「うん……練成の光、間近で見た所為で、目の奥に残像現象起きてる他は……体に力、入らないくらい?」
 初めて会った時から、何故かこの手の隠し事はあっさり見抜かれてしまっていたので、素直に答えた。……まあ、逆にリザにすら悟らせないようにしているロイの不調をこちらも見抜けるようになっていたので、おあいこなのだが。
 ロイは安堵の息を長く吐き出した後、そのまま大きく息を吸い込んで。
「馬鹿者が! 何故タッカー邸で大人しくしていなかったんだ!?」
 怒鳴り声を上げた。
 それは丁度アームストロングが起こした轟音に掻き消され、と二人の側にいたエドワード以外には届かなかったのだが。
「少佐! あんまり市街を破壊せんでください!!」
 ハボックのそんな叫びを聞きながら、は笑う。
「わたしにできることがあるなら、するよ? もう、後悔はしたくないからね。ロイ兄たちが到着するまでの時間は稼げたし、エド君たちも殺されずに済んだもの。わたしが来た甲斐はあったでしょ?」
「それで君が殺されては意味がないだろう!?」
「死なないよ」
 ロイの剣幕にも怯むことなくあっさり返した。
「約束したでしょ? わたしは死なないよ。まだ望みを叶えていないもの」
 叶えたい願望……手にすべき未来はたったひとつだけ……
 そのために、二年という時間を費やして準備を整えたのだ。
 だから――
「それを叶えるまで、わたしは……死ねないから……ね?」
 真っ直ぐにロイを見据えて言い切った。
 初めてロイと出会った時、望みを問われた時のように。
 迷いなど微塵も無く、ただ真っ直ぐに。あの時にはなかった、確信もプラスして。
 一点の曇りもなくどこまでも澄んだその瞳に見つめられて、ロイは一瞬目を丸くした後、嘆息して言った。
「馬鹿者……」
 ロイの言葉にほぼ重なるようにして銃声がこだまし、発生源へと目を向けた。
 ライフルを構えたリザの姿に、飛び出る薬莢。僅かに舞う血液、踊るように銃弾を避ける『傷の男』。続く銃声――そして、地に落ちたサングラス……
 全てがはっきりと、まるでコマ送りの映像のように見えた。
「やったか!?」
「速いですね。一発掠っただけです」
 リザの言葉通り、こめかみ付近から血を流しているだけの『傷の男』が顔を上げ、睨む。
 その瞳は――深紅。
「褐色の肌に赤目の……!!」
 アームストロングの言葉。
 を抱くロイの手に力が加わり、彼が息を呑んだのがわかった。
「イシュヴァールの民か……!!」
 苦々しく呟かれた言葉に、重い沈黙が訪れる。
 ある者は驚愕を隠し切れず、またある者は苦虫を噛み締めたように眉根を寄せて『傷の男』を見る。
 にとっては、ただの知識としての史実でしかなく、特別な感情は何も湧いてはこない。
 ただ……ロイにとってこの事実がどれほど重いか。それは、知っていたから……
 は自分の肩にあるロイの手に己の手を重ねた。目を向けてきたロイに笑いかけ、大丈夫、と。彼にだけ聞こえるように囁く。
 一瞬、僅かに緩んだ手がもう一度確かな強さを持って、けれどに負担が掛からないように抱いてきて。もそれに応えるように笑みを深くして、ロイの手を力が入る限り強く握った。
 それは長いようで短かった沈黙の時間。
 『傷の男』の独白によって、再び時は動き出す。
「……やはり、この人数を相手では分が悪い」
「おっと! この包囲から逃げられると思っているのかね」
 ロイが片手を挙げ、アームストロングと男が戦っている間に到着した憲兵たちが一斉に銃を構えた。それに怯むこともなく振り上げた右手を地面に落とす『傷の男』。男を中心に広範囲に練成の光が走り、派手な音を立てて地面は崩れて一瞬にして大きな穴が作られた。
 その中へと落ちていく『傷の男』と、目が……合った。
 ――おまえは何者だ、と。
 そう問い掛けていた深紅の瞳に答える術を、は持っていない。
 仮説は立証されてしまったけれど、それの示すものが何なのか知る術はまだないから。
「そんなこと……知らないし……きっと、どうでもいいことだよ……」
 望みを叶えるのに都合がいい。ただ、それだけだから。
 『傷の男』が完全に地下水道に姿を消したのを見届けて、はその意識を闇へと委ねた。