第 2 話
2・赤い恐怖 黒の安心

「だから、何でおまえまで来るんだよ」
「ロイ兄からの手紙に書いてあるとおりだよ」
「別に今、旅なんかしなくたっていいだろ」
「国家資格も取れて、イーストシティにある本は大体読み尽くしちゃったし。『傷の男』の攻撃は効かないから、わたしには関係ないし」
「関係なくはねえだろーがよ」
「エド君に拒否権はないでしょ」
「……愚痴る権利ぐらいある」
「…………女々しい……」
 顔を合わせてから、エドワードとはずっと言い合いを続けていた。アームストロングは書物に目を落としたまま、忍び笑う。
 言葉だけを見るなら険悪に思えるが、彼にはただの痴話喧嘩にしか見えないからだ。
 彼が知る限り、汽車が出発するまでのエドワードはどことなく沈んでいたのだが、今はそのような影は全くない。にしても、タッカー邸での彼女を見ているせいか、エドワードと話しているはとても楽しそうに見えるのだ。
 仲良きことは幸いかな。
 微笑ましく二人を見守っていたアームストロングの目に、見覚えのあるモノが映った。
 それはホームを歩く一人の男。
 見間違いではないことを確かめたくて、窓から顔を出してその男を見る。そして。
「ドクター・マルコー!!」
 その男の名を、呼んだ。
 半ば賭けのように叫んだ名に、男はゆるりと振り返り、アームストロングは確信する。
「ドクター・マルコーではありませんか!? 中央(セントラル)のアレックス・ルイ・アームストロングであります!」
 自分の存在を知らせるために大声で名乗った途端、マルコーと思しき男は逃げるように走り去ってしまった。
「知り合いかよ」
 一連の出来事を見ていたエドワードの問いに、アームストロングは肯定を示して詳細を説明した。
 中央の錬金術研究機関にいた、かなりやり手の錬金術師であったこと。錬金術を医療に応用する研究に携わっていたこと。そして、彼の内乱の後行方不明になっていたことを。
 それを聞いたエドワードの行動は早かった。
「降りよう!」
 アームストロングの巨体を器用にすり抜け、出口へ向けて歩き出す。
「ちょっと、エド君!?」
「む? 降りるのはリゼンブールという町ではなかったのか?」
「そういう研究をしていた人なら、生体練成について知ってるかもしれない!」
 一人さっさと車内から消える後ろ姿を見送る形で見て、と顔を見合わせる。二人の心中は同じだったようで、彼女は溜息を洩らして立ち上がり、アームストロングは軽くかぶりを降って棚の荷物を手に、エドワードの後を追った。


「やっぱり、来てたんだね」
 町人に聞いたマウロという偽名を使っているらしいマルコー氏宅へ向かう途中、木箱に入れられたアルフォンスが言った。
 独白ともとれるその言葉に対して過剰に反応を示したのは、やはりというかエドワードで。
「やっぱりって、アル! おまえ知ってたのか!!」
「知ってたわけじゃないよ。兄さんの叫び声が、家畜車両まで届いただけ」
「あれはすごかったからねえ。難聴になっちゃうかと思っちゃうくらいの声量だったよ」
 けらけらと笑うを見下ろして、アルフォンスは安堵を覚えた。
 アルフォンスもアームストロング同様、タッカー邸での一件以降、彼女のまともな笑顔を見ていなかった。だから、こうして普通に笑えている姿に、酷く安心したのだ。
「大丈夫だったの?」
「うん。なんとなく予想できたからね」
 事前に両耳はしっかり塞ぎました。
「そっか……兄さんの行動って破天荒なことが多いけど、基本的にはわかりやすいからね」
「そうそう。よく寝てよく食べて、でも結構な無茶を平気で通して……そして怒らせやすい!」
「ほ――――――。で、今も怒らせようとしてるのか?」
「うん♪」
 額に青筋浮かばせたエドワード。その怒りを無理矢理抑え込んだ問いに、はわざと逆撫でするようににっこり笑って肯定した。
 アルフォンスは同意することもなく、ただ見守ってみる。
 かなり剣呑な眼光を隠すこともなく見せていたエドワードだが、やがて引きつった笑顔を作って。
「ふっ……言ってろ。そんな子供みたいな手には乗らないぜ……」
 言葉とは裏腹に、浮き出たままピクピク痙攣している青筋がかなり無理をしていると証明している。
 そんな風に精一杯大人ぶっているエドワードを、は笑みを浮かべたまま見て「ふーん……」と呟く。そして。
「無理して背伸びしてみたところで、お豆さんはお豆さんなのにね」
「誰が豆粒ドちびか――――!!」
「エ・ド・君♪」
 結局、付け焼刃をはがすことなど容易だと言わんばかりに禁句を口にしたが、今回もあっさりと勝利を治めたようで。
 がなるエドワードの頭を、ぽすぽすと笑顔で撫でるの姿がしばらくの間見られた。

 さて、件のマルコー氏。
 偽名を使っている上に、逃げ出した理由について、アームストロングの見解は次の通り。
 彼が行方不明になった際、極秘重要資料も同時に紛失。この二件を同一視する者は決して少なくはなく、彼が持ち逃げしたのではという噂が流れたが、真相は定かではない。ただ、今回の彼の行動を見るにその可能性は高いようだが、どちらにしろ、後ろめいたいことのある彼にはそれをつつきに来た機関の回し者と思われているのでは――と。
 果たして、その推測は見事的中した。
 辿り着いた目的地。ノックをしてからそっと開けた扉の先には、銃口が待ち構えていたのだから。

 ――ドンッ。
「うお!!」
「エド君!?」

 いきなり響いた銃声と、間一髪で銃弾を避けたエドワードの悲鳴。そしての叫びが見事に繋がった。
「何しに来た!!」
 戸口に立ち、震える手で銃を構えた男、ティム・マルコーが言った。
「落ち着いてください、ドクター」
「私を連れ戻しに来たのか!?」
 アームストロングの言葉を聞いている様子がまるでない反応。完全に興奮状態で、冷静さを欠いているのは一目瞭然だった。
 ここに来る前、アームストロングから聞いた研究資料の持ち逃げの件から自分たちを機関の回し者と思っているかもしれないと言われてはいたが、どうやら予想は大当たりらしい。
 その証拠に――
「もうあそこには戻りたくない! お願いだ! 勘弁してくれ……!」
「違います。話を聞いてください」
「じゃあ口封じに殺しに来たのか!?」
「まずは、その銃をおろし……」
「だまされんぞ!!」
 まったくもって埒が明かない、会話にすらならない遣り取りが繰り広げられる始末。
 そして、とうとうアームストロングが切れ、実力行使に出た。
「落ち着いてくださいと言っておるのです」
 ただ見ているしかできなかった子供三人の目の前で、肩に担いでいたアルフォンスの入れられた木箱をマルコーに向かって投げ落として。
 ようやくマルコーは静かになったのだった。

「私は、耐えられなかった……」
 木箱アタックにより、強制的に冷静さを取り戻したマルコー。招き入れられた室内でそれぞれが腰を落ち着けた時、彼はそう切り出した。
「上からの命令とはいえ、あんな物の研究に手を染め……そして、それが東部内乱での大量殺戮の道具に使われた……本当に酷い戦いだった……無関係な人が死にすぎた……」
 ぽつりぽつりと告白するマルコーは、本当に辛そうだった。
 その姿が痛々しくて、アルフォンスは少し目を逸らした。――と、マルコーの代わりに見えたのは、。何故かそわそわとして落ち着きがない様子に、小首を傾げる。心持ち、顔色も悪いように見えた。
「私のしたことは、この命をもってしても償いきれるものではない」
 声を掛けようか、と。思っていた矢先、マルコーの言葉が続いて意識をそちらへと向けた。
「それでもできる限りのことをと……ここで医者をしているのだ」
「一体、貴方は何を研究し、何を盗み出して逃げたのですか?」
 アームストロングの問いに、辛そうに目を閉ざしたマルコー。
 しばしの沈黙が降りて――そして、彼は言った。

「賢者の石を作っていた」

 信じ難い言葉だった。
 ずっと探し求めていた物の手掛かりを、今――ようやく掴める……
 言いようもない程に嬉しいことのはずなのに、信じられない。今までの道のりを思えばこそ、夢みたいに感じるのかもしれない。
「私が持ち出したのは、その研究資料と石だ」
「石を持ってるのか!?」
「ああ」
 半信半疑、けれど希望を込めたエドワードの問いに答え、マルコーは席を立つ。そして、背後の薬品棚からひとつの小瓶を取り出した。
「ここにある」
 そう言って、手にした小瓶をこちらに見えるように差し出した――刹那。

 ――ガタンッ。

 家具が奏でた、大きな音。それは、が立ち上がったために起きたものだった。
 急にそんな行動に出た理由は、アルフォンスにはわからなかった。ただ、真っ青な顔で小瓶の中にある赤い液体を、釘付けにされたように凝視している姿が尋常ではないということが理解できただけで。
「……?」
「あ……」
「どうした? 顔色悪いぞ、おまえ」
 自分の体を抱くようにして腕を掴んでいた彼女が、呼び掛けで我に返ったのか、それでもどこかぎこちない動きでエドワードのほうを向いた。
「ごめん、エド君。わたし外で待ってるね」
 早口にそう言い残し、まるで逃げるようにこの場を去っていく。
 その後ろ姿を半ば呆然と見送って、アルフォンスは呟いた。
「どうしたんだろう……」
「……あの子には、わかったのかもしれないな……」
 独白のようなマルコーの言葉が、妙に響いた。
「これが……どんなモノなのかが……」


 外へ出たは、マルコー宅の階段に座り込んでいた。
 強く、自分の体を抱きしめる。震えが、止まらない。
「なんで……こんなに、こわい……」
 胸中を支配するのは『恐怖』だけ。けれど、その理由がわからない。わからない、けれど……これが『失うこと』に対するものとは明らかに違っていることだけは理解できた。
 ――こわい……
 家の中に入ったときから、どこか胸騒ぎのようなものを感じていた。背後にぴったりと、得体の知れない恐ろしいものがいるような、そんな感覚。
 そして、あの赤い物体を見た瞬間に、それは一気に増長した。
 ただ背後にあっただけのものが、周囲を取り囲み、そして――
「どうしたの、お嬢ちゃん?」
 不意に掛けられた声。
 恐怖に囚われていたは現実に引き戻されて、はっとしてその人物を見上げた。
 ゆるく波打つ漆黒の髪を持つ、美しい女性が自分を覗き込んでいて。
「真っ青よ。具合が悪いなら、お医者様に見てもらったほうがいいんじゃない? 確かここ――」
「いえ、平気、ですから……ッ」
 中には戻りたくない――その一心で平静を装って立ち上がろうとしたけれど、膝に上手く力が入らず女性のほうへとバランスを崩してしまった。
 ふわり、と。抱き止められた女性の腕の中。
 不思議と、恐怖が和らいだ気がした。
「やっぱりどこか悪いんじゃ……」
「いえ、本当に、大丈夫ですから……」
「でも……」
「大丈夫、だから……すみません、少しだけこうしててもらえますか?」
 心配してくれる女性の服を、すがるように掴む。
 当惑しているのか少しの間が空き――そして、はあたたかなぬくもりに包まれた。
 人の、体温が……恐怖で冷え、強張った体を、温めてくれる。その、安心感。
 の記憶にはないけれど、きっとこれが母親の腕に抱かれている時の安心感――揺り籠の中の安らぎ。
 女性の年齢的には失礼かもしれないけれど、そう思った。
 どれだけそうしていたのか……実際はそんなに経ってはいないのかもしれない。
 それでも落ち着きを取り戻せたは、女性から離れた。
「もう、いいの?」
「はい、ありがとうございました」
 女性の問いに、笑顔で返すことができた。――もう、大丈夫。
 深々と頭を下げて感謝を表わすと、女性もまた笑ってくれて。
「そう。それはよかったわ。それじゃあ、私は行くわね」
「はい、お時間を取らせてしまってすみません。本当にありがとうございました」
 そう言って、去っていく女性を見送った。
?」
 女性の姿が完全に見えなくなった頃、背後から呼びかけられて振り向けばエドワードたちが下りてくるところで。
「エド君……目的のものは手に入ったの?」
「いや、断られちまったよ」
 隠そうともしない不機嫌さが、言葉通りであったことを物語る。
 あの恐怖の元がないことに心から感じた安堵が、そのまま表面に出てしまったらしい。エドワードが眉間に皺を刻んで怪訝そうに見てくる。
「何笑ってんだよ」
「べっつに~♪」
「……つーか、さっきのは何だったんだよ?」
 一足先に階段を下りきって、体ごとくるりと振り向くと、は意地の悪い笑みをエドワードに向けて。
「女の事情に深く突っ込むものじゃないよ? お・チ・ビ・さ・ん♪」
「誰がミジンコどチビか――ッ!!」
 どかんと噴火一発。
 追いかけてくるエドワードから逃げながら、軽い足取りで駅への道を戻っていった。


「アームス少佐、膝を借りてもいい?」
 汽車を待つためホームのベンチに座った自分にそう訊いてきた少女へ、アームストロングは二つ返事で了承した。それを確認してから、はアームストロングの片膝へと座り、もたれかかってくる。
 そして、小さく息をつき、目を閉ざした少女。
「ひょっとして、眠いのですかな? 殿」
「うん、ちょっと……誰かさんのおかげで寝不足だから……」
 ――ぶっ、と。思い切り吹き出したのはエドワードだ。
「ん? エドワード・エルリックに何かされたのですかな?」
「ん~……ちょっとね……」
「兄さん、に何したの?」
「何もしてねえ!! 誤解を招くような言い方すんな!!」
「そうねぇ……本当に何かあったら、今頃エド君ケシ炭だよねぇ……けど、しがみついたまま、離してくれなかったのは……本当、だし……」
「んなっ!? あ、あれは、元はといえばおまえが――」
「エドワード・エルリック」
 反論しかけたエドワードを、アームストロングは制した。
 口に当てていた人差し指をそのまま下へ向ける。それだけで察したエドワードは、脱力したようにベンチにもたれかかる。
「寝たのかよ」
「うむ」
 エルリック兄弟に背を向ける形で座っているの様子は、アームストロングにしかわからないことだろう。短く肯定を返した。
 そうして、別の問いを投げ掛ける。
「本当にいいのか? 資料は見れなかったが、石ならば力ずくでも取り上げることもできたろうに」
「あ~~、喉から手が出るほど欲しかったよ、マジで!!」
 返ってきたのは、実に率直な答え。しかし、後に「でも」と反対の意味を示す接続詞で二人の心内が続く。
「マルコーさんの家に行く途中で会った人たちのことを思い出したらさ……」
 彼のことを尋ねた時、一人の例外もなく笑顔でいい人――いい医者だ、と。そう答えた。
 そんな町の人たちの支えを奪ってまで元の身体に戻っても、後味が悪いだけだ、と。
「まだ別の方法探すさ。な」
「うん」
「そういう少佐もよかったのかよ。マルコーさんのことを中央に報告しなくてさ」
 エルリック兄弟の想いは、自分と何も違いはない。故に、彼のこの問いの真意も自分と同じなのだろう。
 ――答えはわかっているけれど、ただ確認しておきたいだけ。
「我輩が今日会ったのは、マウロというただの町医者だ」
 だから、アームストロングもそう答えた。
 エドワードは、笑う。
「あーあ、また振り出しかぁ。道は長いよ、まったく」
 自分が選んだ道に、後悔はない。そういう響きで呟いたエドワードに、呼びかけた声は――
 つい先ほど別れたばかりのマルコーだった。
「……私の研究資料が隠してある場所だ。真実を知っても後悔しないというのなら、これを見なさい」
 息を切らしてやってきた彼は、そう言ってエドワードにひとつの封筒を手渡した。
 そして、もうひとつ――言いかけた何かを途中で切り、代わりに、元の身体に戻れる日が来るのを祈っている、と。そう言い残して帰っていった。
 エドワードはただその背に頭を下げ、アームストロングは――がいるため動けなかったのだが、それでも敬礼をして見送った。
 ベンチに戻ってきたエドワードが、早速開けた封筒の中身――それは。
「『国立中央図書館第一分館、ティム・マルコー』……」
 エドワードが読み上げた、たったそれだけの言葉。
 それでも、彼らにとっては充分だった。
「なるほど、『木を隠すには森』か……あそこの蔵書量は半端ではないからな」
「ここに、石の手掛かりがある……!!」
「兄さん、道は続いている!」
「――ああ!」
 一度は離れかけて、でも再び戻ってきた希望に瞳を輝かせるエルリック兄弟。
 彼らとは対照的に、が眉根を寄せ、体を強張らせていたのを――アームストロングだけが気付いていた。