【 闇の墓標 (ざっくりと) 】 0 3

 ――己が生きることを望んだ所為で……本来なら存在しえない己がいるがために、誰かが代わりに死んでしまうなんて……っ。
 そんなことがあっていいはずがないっ!!

 ……でなければ……っ。





「真砂子!! ――と、!?」
「え!? 麻衣、彼女と知り合いなの!?」
「あ、うん……でも、どうしてがここに……」
「そんなことより真砂子が先でしょ!!」

 二階から転落した、校長が旧校舎の除霊のために大量に呼んだ霊能者の一人、原真砂子の許へ真っ先に駆けつけた馬鹿二人――もとい、麻衣とジーンの会話に割って入ったのは、巫女を自称する松崎綾子だった。
 ジーンの完全な自己中心的疑問はともかく、いるはずのない人物に対して疑問を抱く麻衣の反応は当然のもの。しかし、それは後回しでも何ら問題のないことで、優先すべきは怪我人の救助。
 反論の余地はない正論だが、これまでの態度とはまるで違う剣幕に少なからず驚いたのは、おそらく全員だろう。

「救急車の手配――」
「呼びました」
「なら男ども! 早く真砂子の上に載ってる物どかして! 圧死しちゃうわ!」
「あ、おう!」
「はいです!」
「麻衣はシートの留め具外して、救急隊員が出入りしやすいようにして!」
「わかった!」

 高慢で高飛車、他人を貶すような言動しかしてこなかった姿からは想像もつかないほど的確で迅速に指示を出す松崎に、反抗を示す者は誰もいなかった。
 それぞれが指示どおりに動き始めたのと、ほぼ同時。
 蒼白な顔で口許を覆い立ち尽くしていたの体が、ふらりと動いた。真砂子の傍らに座り込み、彼女へと手を伸ばす。

「……死んじゃ、だめ……っ」
「ちょっとアンタ止めなさい! 下手に触っちゃ――って、なんで止めるのよボウヤ!?」
「お願い死なないで……っ!!」
「――っ!?」

 を止めようとする松崎を、ナルはに目を向けたまま手で制した。非難を含む疑問をぶつけてきた彼女だが、すぐに驚愕に染まり息を呑んだ。
 傷のないほうの真砂子の手を両手で握って自分の額に当てたが懇願するように小さく叫んだ次の瞬間、光がドーム状に発生し真砂子を包み込んだからだ。
 前例から判断するに、球状に発現する光は治癒のものだろう。リンのときよりも広範囲なのは怪我の大きさの故であり、光が強いのは――おそらく使用されている力の量・強さの表れだと思われる。
 この推測が正しいのなら、長引けばへの負担もまた大きくなるということ。
 ナルは彼女と反対側の真砂子の傍らに屈むと、その腕に刺さっていたベニヤ板の破片を引き抜いた。

「っ」
「――真砂子! 大丈夫!?」

 衝撃にか、ぴくりと腕が動き真砂子の目がうっすらと開かれた。しかし、まだ意識ははっきりしていない模様。麻衣の言葉に反応することはなく、ぼんやりと宙を見ていて。
 動かない真砂子の腕では、傷口を塞いでいた異物がなくなったことで血が噴き出したが、それも一瞬のことで、見る間に出血は止まり傷口は塞がった。
 こうして目の当たりにすると、異様な光景であり、驚異的な能力だと思わざるをえない。
 しかし、驚いている暇はない。強大な能力を使用することで生じる体への負荷を、ナル自身、よく知っているから。
 崩れた廃材に手をかけると、驚愕に動きが止まっていた面々も事態を思い出したのか動きを再開し、程なくして真砂子の上からすべての物はなくなった。
 障害物が消えることで露わになったのは、血まみれの着物と地面……が居合わせなければ真砂子の命はなかっただろうと思わせる惨状で。
 けれど――

「ねえ! もういいよ!! 救急車呼んだから、命に別状がないくらい癒せたのならもう無理はしないで!!」

 元から蒼白だったの顔色は、治癒の光に照らされてより悪く見える。
 ナル同様、能力者にかかる負荷を心配したジーンが傍らに屈んで制止を呼びかけたが――反応は、ない。
 最初から真砂子以外見えていない様子だったことから考えるに、聞こえてすらいない可能性が高い。
 だとするなら――強制的な手段以外で彼女を止められるのは、真砂子しかいない。
 その真砂子は……ジーンの言葉に反応を見せた。ようやく意識がはっきりしてきたのか、まばたきを繰り返した瞳には理性の光が戻っていて、緩慢な動きでのほうを向いた。握られている己の手と祈るようなを見上げていた彼女は、その手を握り返した。
 あまり力が入っているようには見えなかったが、は弾かれたように目を開けて真砂子を見た。真砂子も彼女を見て――そして、微笑を浮かべて。

「もう、だいじょうぶ、ですわ……ありがとう、ごさいます……」

 弱々しくではあったが、はっきりと告げた真砂子。
 安堵からだろうか。大粒の涙が浮かんだの顔はくしゃりと歪められ、それを隠すように再び握ったままの真砂子の手に額を押しつけて――そうして、ようやく光が消えた。
 真砂子の意識がはっきりとし、異様な光景がひとまず消えたからか。誰もが胸を撫で下ろした雰囲気が生まれ始めた頃、救急車のサイレンが聞こえてきて、安堵の空気を定着させた。

「ジーン、救急車を誘導してこい」
「あ、うん、わかった!」
「あ!? ごめんまだシート外せてない!!」

 一連の出来事で完全に手が止まっていた麻衣の叫びに、苦笑を浮かべ男性陣が手伝いに入っていく。
 ……シートがそのままになったのは、結果的によかったのだろうとナルは思った。グラウンドには部活動中の生徒たちもいる。の持つ能力を、余計な人間の目から隠すという役目は果たせたのだから。
 だが、緊急事態とはいえ、これだけの霊能者と――麻衣と、黒田直子という同じ学校に通う生徒に知られてしまったことに関しては、果たして当人はどう思うのか。……それ以前に、いつ気がつくのか。
 に目を向けてみると、真砂子の怪我の程度を検め始めた松崎には気づいたのか、邪魔にならないよう真砂子の手をそっと地面に下ろして立ち上がった。――が。

「ちょっとアンタ大丈夫!?」

 ぐらりと傾いだ体が地面に激突する前に抱きとめた。……腕に落ちてきた体はあまりにも軽く、そして冷たかった。やはり負荷がかかったか。

!?」
「騒ぐな。さっさと通路を確保しろ。ジーンは救急車」
「「 あ、うん!! 」」

 松崎の声でこちらに気づいた面々を代表して一番うるさい二人に改めて指示を出せば、声を揃えて返事をし、ジーンはようやくシートから出てグラウンドのほうへと走っていった。
 横目で確認したナルは、腕の中のぐったりとした体を仰向けにし、呼吸と脈を診る。……どちらも特別異常はない。強いて言えば、脈が少し弱い気がする程度だ。

「そっちは大丈夫なの?」
「呼吸も脈も異常はありません。詳しい容態は医療機関でないと無理ですね。原さんは?」
「止血が必要なほどの大きな傷は大体塞がってるわ。神経や内臓とかはこっちも病院じゃないとはっきりしたことは言えないけど、この現状を見る限り輸血ぐらいはしたほうがいいかもしれないわね」
「そうですか」

 松崎の報告を聞き終え、再びへと目を落とす。固く双眸を閉ざした青白い顔は、まるで死体か蝋人形のようだ。
 その冷えた頬に手を添え、軽く叩いてみる。

「おい、大丈夫か」

 声をかけると同時に叩くこと数回。軽く眉が寄ったあと瞼が震え、ヘーゼルの瞳が姿を現した。
 ぼんやりとしていた瞳は幾度かのまばたきで光を取り戻した。――けれど、その瞳にこちらの姿を映した途端、怯えた色に染まり、すぐに目を逸らされた。腕の中の体も明らかに強張って固くなっていく。
 しかし、暴れる様子もなければ、ジーンにしたように特殊能力によって吹き飛ばしてくるような兆候も見られないあたり、余程無理がかかっていると見えた。
 とりあえずの無事を確認し、息を吐いたとき、真砂子に呼ばれた。

「渋谷さん……これは、事故ですわ……あたくしの、不注意です……やはり、霊は、いません……」
「アンタ、こんなになってまでまだ強がる気!?」
「こんなとき、だからですわ……あたくしは、依頼を受けてこちらに来たのですもの……自分の身勝手な自己満足のために、無責任な発言で他人を振り回して満足しているような子供ではありませんから……プロとして、依頼されたことに責任を負っているだけのことですわ……ここに、霊は、いません」

 松崎の、それこそこんなときにまだ言うかというような、ただ相手を否定するだけの発言に、真砂子は静かに正論を紡いだ。途中、離れて立つ黒田に目を向けたあたり、襲われたと主張する彼女の発言が虚言であり、また証拠だという映像が消えていたのが狂言だと気づいた可能性が高い。
 図星を指された黒田が息を呑み、松崎が更なる反論に口を開きかけたとき、救急車が到着して無意味な論争は避けられた。

「所、長、さん……」

 一気に騒がしくなった中、小さな呼び声が腕の中から聞こえ、目を向ける。
 目を合わせようとはしないながらも、何か伝えることがあると踏み、雑音に掻き消されぬよう耳を近づけてみた。

「ファイル……半透明の、青い、ファイル……見て、ください……」
「……なんだ?」
「ここ、危険、です……地盤沈下を、起こしているのかも、しれま」

「あー!! ナル、何やってるんだよ!!」

 の声に重なって発生した大声で最後は聞き取れなかった。
 重要なことは聞き取れたからいいようなものの、この兄の愚行には苛立ちを覚えざるをえない。――が、今は救急車を送り出すことが先で。

「話を聞いていただけだろう。それより、おまえは何を持っているんだ」
「途中に落ちてたから、彼女の物じゃないかと思って拾ってきたんだけど。これ、君の?」

 状況も考えず無遠慮に近づいたジーン。腕の中での体がびくりと跳ね微かに震え始めた。……やはりジーンを警戒はしているらしい。それでも彼の手にしたショルダーバッグと青い半透明のファイルを確認し、頷くことで答えとした。
 ジーンの手からそれらをひったくっての手に持たせると、ジーンがこれ以上騒ぎを起こす前に彼女の体を抱き上げて救急車へと運ぶ。
 丁度真砂子を乗せたストレッチャーを収容するところに近づくと、救急隊員もの顔色を見てすぐに彼女を受け取りに出てきた。

「彼女もお願いします。外傷はありませんが、動けないようなので」
「わかりました」
「二人の治療費はこちらに請求してください」

 を引き渡したあと、真砂子を収容したほうの隊員に連絡先を記したメモを差し出すと、ひとつ頷いて受け取った。を救急車に運び入れたほうは……先程のナルと同様に耳を近づけたあとショルダーバッグを漁り、何かの紙片を見て運転席のほうへと指示を出しているようだった。
 見えたのは、そこまで。扉は閉められ、救急車はサイレンを鳴らしながら病院へ向けて出発していった。
 後に残ったのは見送った霊能者たちと、を救急隊員に渡してから回収した彼女が告げたファイル。遠巻きには野次馬の姿とざわめきもあり、煩わしげに一瞥したナルはそれらを避けるため、足早に旧校舎内へと踵を返した。
 ベースとして設置した元は実験室か何かだったらしい教室へと戻って早々、例のファイルを開いて中身を確認する。
 薄いファイルの中には、コピーされたものだろう古い地図や地層図、水脈図などが挟められていた。
 ざっと目を通していると、遅れて霊能者御一行も戻ってきた。

「いやはや、まさかこんなところであんなどえらい治癒能力者にお目にかかれるとは思わんかったぜ……ニーナ・クラギーナ以上なのは間違いねえだろうが、ありゃPK-LTなのかね?」
「ぴーけー……って何それ?」
「つまり、さっきの嬢ちゃんみたいに手を触れただけで怪我や病気を治しちまえるっつう、超能力の一種、分類表現だ」
「ふわー、すごーい……って!? 、超能力者だったってこと!?」
「他にどう説明できるよ、アレ」

 高野山にいた坊主だという滝川法生の言葉に、麻衣が大袈裟なほど驚き叫ぶ。うるさいことこの上ない。ジーンといい、もう少し静かにできないものか。
 それはともかく。やはりは己の能力を隠していたようだ。

「せやけど、PK-LTに限らず、能力の使用で対象が光るゆうのは、聞いたことおまへん」
「だな。気功とかで陽炎みたいに周囲が歪んで見えることがあるってのは聞くが」
「へ~、そういうもんなんだー……」
「あんなに一目瞭然としたものばっかりだったら、もっと超能力だの霊能力だのが当たり前だと認められる社会になってるはずでしょ。ホントかどうか大衆には判断つけられないからこそ、インチキだの胡散くさいだのいわれてるのよ」
「あ、そっか」

 松崎と麻衣の感想はともかく、オーストラリア人でありながら京都訛りのおかしな日本語を使うエクソシストの少年――に見える――ジョン・ブラウンと滝川はそれなりに専門知識を持ち合わせている模様。
 とはいえ、ここで論じても仕方がないのは事実。

「霊能力をESPの一種だという研究者もいれば、全くの別物だとする見解もあるように、すべての治癒能力がPK-LTに分類できるとは限らないだろう。どちらにしろ、彼女の治癒能力が本物である事実に変わりはない」
「……さいですね」
「彼女の能力が本物で、ホントにすごいってことは、ぼくが生き証人になれるよ!! 彼女がいなかったら、ぼく今生きてないからね!!」
「へ!?」

 無意味な時間を終わらせようとしたこちらの意図を、ジョンは正しく汲んでくれたというのに。気づきもせずに、蒸し返すという愚行を犯してくれたのは、現在プチ暴走状態にある愚兄ジーンしかいない。
 ナルが深々と嘆息をこぼしつつファイルを閉じる中、興味を持ってしまった面々を代表し滝川が嬉々としたジーンに問いかける。

「何があったんだ?」
「轢き逃げされたぼくを助けてくれたんだ!! 彼女が通りかかってくれなかったらトドメ刺されてたし、通りかかってくれたのが彼女でなかったら手遅れになってたはずだよ絶対!!」
「ぅえっ!? トドメって!?」
「さらっととんでもないこと言う坊ちゃんだな……」
「病院で目が覚めたらもう彼女いなくって、救急車呼んでくれたのは車で通りかかった男の人だっていうし、実際その人の車のドライブレコーダーの映像から轢き逃げ犯は捕まったんだけど……結局、彼女のことは誰の口からも出てこなかったし、その男性にも会えないままで確かめられなかったしさー……夢か幻かと思ったりしなかったわけじゃないんだけど……でも、やっと見つけたんだ! やっぱり夢なんかじゃなかったんだよ!!」
「うるさいっ!!」
「いたっ!?」
「……そして全く容赦ってもんがねえな、ここの兄弟関係……」

 手にしていたファイルの背でジーンの頭を思い切り殴りつけると、ぼそっと滝川の呟きが耳に入り込んできた。
 容赦する必要がどこにあるというのだ、この馬鹿に。
 ……服を借りたときに、サイコメトリの能力が意図せず発動してジーンと同調したことがある。それが件の事故の瞬間だった。ジーンと同じ視点で、一部始終を見たのだ。
 意識が朦朧としていたジーンとは違って冷静にすべてを見届けることになったナルには、彼の話が夢や幻の類でないことは初めからわかっていたこと。
 だが、それをわざわざ教えてやるほど親切でない自覚はある。
 当時は、超常現象の研究に興味はあっても、サイ能力研究には然して魅力を感じなかったから。現在は、ジーンの暴走を煽るだけなのが目に見えて明らかだからだ。
 彼の暴走状態が問題なのは、不快感や迷惑を被ると思うナルの個人的感情の都合だけの話ではない。
 が隠してきたこと――治癒能力以外にも特殊能力を有しているということをはじめ、こちらの素性や事情までも、信用できるかも定かではないこの霊能者集団等に口走りかねないという懸念が強くあるためだ。
 そのようないらん気苦労をかけさせられている苛立ちを晴らすついでに力ずくで暴走を止めにかかったナルへと、まるで理解していないジーンの非難めいた視線が向けられる。

「ナル!! お兄ちゃんの扱いひどくない!?」
「今に始まったことか」
「って、兄こっち!?」
「双子に上下の差などないに等しいだろう。さっさとこれ読んで、必要な物を揃えてこい」
「これって、さっきの……あの子の持ち物じゃなかったっけ?」
「え? ひょっとして、があの場にいたのって、コレ届けに来たからとか?」

 今更な事実にジーンを指差して驚く麻衣。リアクションがいちいちうるさいあたり、ジーンと良く似ている。不快感をそのまま視線に込めて睨みつけてやればすぐに大人しくなる点では愚兄よりマシか。
 当の愚兄はといえば、指示に素直に従うような賢さを見せることもなく、殴りつけてそのまま突き出したファイルを見て、案の定余計なことを口走る始末。
 彼の言葉を拾って向けられた麻衣の見当違いの問いが、勝手に誤魔化されてくれるには丁度良いかとも思われたのだが……

「って、あれ? 確かナル、に頼みたいことがあって捜してたって言ってたよね。……まさか、にも調査の手伝いを頼んでたってこと!?」
「ちょ、それホント麻衣!? ぼく何も聞いてないよ!?」
「えーと、ほら。壊れたカメラの弁償に怪我した助手の代わりしろって命じられたあの日だよ。あたしがここでその棚組み立ててる間には帰っちゃったみたいで、入れ違いにジーンが来たんだけど……」
「あのとき!? ナル何も言わなかったじゃないか!? 感謝のしるしに食事に誘おうと思ってあの子捜してたの知ってたくせに、なんで!?」
「あー……ジーン。それ、無理。多分、、行かないと思う」

 愚兄に良く似た麻衣も、やはり愚行を犯すのが運命だとでもいうのか。
 折角黙っていた事実を暴露された上に、ぎゃあぎゃあと騒ぐ兄……頭痛を覚えてこめかみを押さえたときだった。
 これらの事態を引き起こした張本人が、意外な言葉でジーンを静まらせたではないか。
 きょとんとした表情を向けたのは、ジーンだけではない。

「え、なんで?」
、お肉ダメなんだって。だからあんまり外食とか……ほら、学校帰りに友だちとファーストフード店とか寄ったりもできないって言ってたから。貰い物だっていう焼肉屋のタダ券くれたときにそう聞いてさ、こんな美味しいもの食べられないなんて可哀想って思ったもん」
「だからあんな細っこいのか、あの嬢ちゃん」

 随分と軽かったのもそのためか、と。滝川の呟きに胸中で同意した次の瞬間には、新たな疑問が頭をもたげていた。
 肉食を避けるその行為は、果たして体質的な問題によるものなのか、それとも精進潔斎を意味しているのか。
 体格等から見て前者である可能性は決して低くはないのだが、もし後者であるならば――彼女は自分の能力をかなり重視しているということになるだろう。
 研究者を警戒しながらも能力を使うことを止めようとはせず、むしろ進んで人を癒そうとする……その理由は一体何なのか――

「それって、スイーツ系なら問題ないってことだよね!?」
「えーと……さあ?」
「ダメならダメでまた別の方法考える! そのためにも、まずは会って話しなきゃ始まらないのに……だから、なんでナルはぼくに彼女のこと教えてくれなかったのさ!!」

 当てが外れたことが判明した時点で大人しく諦めればいいものを……わざわざ蒸し返してまで不満をぶつけてくる兄に対し、嘆息をこぼすことでナルは己の気持ちを落ち着かせようと試みた。

「自分が彼女に何をしたのか覚えてすらいないのか、馬鹿が」
「……何しでかしたの、ジーン」
「何って何!?」

 何とか頭だけは冷静さを保てたものの、思考を邪魔されたことから始まる苛立ちが声音に表われてしまった言葉に、けれどジーンは案の定というかまるでわかっていなかったらしく聞き返してきて。
 もう何度目になるかわからない嘆息を盛大に吐き出してしまったのは、むしろ当然の結果といえよう。

「初対面同然の異性に対して、いきなり抱きついたのは、どこの馬鹿だ?」
「何してんのジーン!?」
「ええ!? やっと恩人を見つけ出せた喜びを体で表現しちゃうのは自然なことでしょ!? ってか、それ、そんなに悪いこと!?」
「おーい坊ちゃーん、そりゃ下手すりゃ痴漢行為扱いだぞー」
「うそ!?」
「嘘なわけないじゃない。実際それで捕まった中年オヤジとかいるわよ」
「そんなやましい気持ちないよ、ぼく!!」

 自分がしたことの意味を――日本と西洋の文化の違いを、本当に全く理解していなかったらしいジーン。やはり客観性はどこかに落としてきたようだ。
 呆れるしかないナルは嘆息を落としつつ、これ以上余計なことを口走らせないよう、トドメとばかりに彼が求める理由を嫌味でもって突き立ててやった。

「おまえの気持ちの在り方は問題じゃない。明らかにおまえを警戒していた上に、怯えているようにさえ見えた彼女の情報を、自分がしでかしたことを自覚すらしていない馬鹿にくれてやる理由がどこにある」
「あー……そーりゃナル坊の判断が正しいわー」
「うん、ナルが正しいとあたしも思う」
「ぼくの味方がいない!?」
「当たり前でしょ。例え同性だって警戒するわよ。自分の気持ちを押しつけてくるだけのヤツなんて迷惑以外の何物でもないんだから、普通に引くもの」
「ホントに誰も味方がいない!!」
「ま、まあまあ。少し落ち着かはれたらよろしいかと」
「ジョンの言うとおり少し落ち着け少年ー。落ち着いて客観的に物事見れるようになってから、まずは謝れ。感謝の気持ちを表すのは、そのあとだな」
「うぅー……」
「その前に、今は調査を終わらせるのが先だと前にも言ったはずだがな。さっさと必要な物を取りに行け、馬鹿が」
「……ふぁい、いってきまふ……」

 兄弟故の気安さが却ってあだとなってナルの注意など歯牙にもかけなかったジーンも、流石にこれだけの人数に指摘されれば自分の過ちを認めざるをえなかったらしい。
 すっかり意気消沈してとぼとぼとベースを出ていくジーンを一部は冷ややかに、一部は生温かい眼差しで見送った。
 そうしてようやく横道に逸れていた話題が本筋へと戻ったのだが……ナルは聞くともなしにただ聞くだけだった。

 旧校舎に霊がいないことは、ジーンの霊視で初めからわかっていた。ジーンの能力を超える存在がいる可能性も考慮して調査を進めてきたが、収集できたのは『霊はいない』と証明するデータだけだ。
 ならば原因は現実的な問題となる。
 建物自体の欠陥等を調べようと思っていた矢先、によって裏づけとなる資料を集める手間は省けた。あとは実際に計測したデータを揃えれば調査は終了となろう。
 とすれば……残る問題はのこと。今日の資料のことも含め、謎は増える一方の彼女との関係をそのまま断ち切る事態は、ナルとしても避けたいところ。
 心霊関係の調査より余程厄介なその問題について、とりあえず最悪のパターンを回避する方法から考え始めていた。





 世界が、ぐらぐらと揺れている……体が、動かない……
 この感覚は、嫌だ……嫌なことを、思い出してしまう……

「こちらの声が聞こえていますか? ――何か持病がありますか?」

 誰かが、何かを言っているのが聞こえた。
 嫌な記憶を掘り起こさせないために、聞こえたものに思考を傾ける。
 持病……病気……病院……ああ、病院に行けば、きっと治してもらえるはずだ。

「さいふ、の、なかに……しんさつけん……かかりつけ、の、びょういん……」
「――こちらですね?」

 目の前に示された物に、けれど頷くことすらできなくて。
 動かしたいのに、動かない体……どうして動けないの……?

 ――どうして、こんなことになってしまったの……?

 心に浮かんだたったひとつの疑問が、ぐらぐらと揺れる視界に忌むべき光景を映しだす。まとわりついていた濃い血臭が、それを一瞬で鮮明なものに変える。
 繰り返される悪夢――死の記憶――刃――牙――悪意――……

「しに、たく、ない……たすけて……ころさ、ないで……っ」

 鮮明だった光景に、突然ノイズが走った。
 チラチラと点滅するようにモノクロの映像が挿入され、それに合わせて声も頭の中に響く。


『 ―― タ ス ケ テ ―― 』

 幼い頃の己と同じ声が、どこか無機質な響きで救いを求める。
 沢山のコードに繋がれた小さな体は傷だらけで、そして自らの意志で動かすことは叶わない。……今の、己と、同じ……

『もうやめて!! もうころさないで!! こわさないで!!』

『もう……だれも……ころしたくない……』

 幼いふたつの子供の声が、片や力の限り懇願し、片や絞り出すように訴える。
 自分の力ではどうすることもできない、他者によりもたらされた理不尽な現実への叫び――唯一の、抵抗。……己には、それすらも許されなかった。

『お前は、もういらないのだ。オウカ』

 非情なことを告げる男の声は、笑みさえ含んでいて――心を、深く、えぐられる。

 ――やめて、お願い……いらないなんて、言わないで……っ。
 ――どうして、どうして、どうして、どうして……っ!?


「PTSDの疑いのある患者一名! ――担当医に連絡を――」