【 闇の墓標 (ざっくりと) 】 0 7

 ――『ラファエルの瞳』に頼っても、己は無力だった……
 己がここにいる価値は、ない……プラスの存在になれないのなら、せめて、マイナスにならないようにすることだけが、己にできる唯一のこと……





 心霊現象というものは部外者を嫌うもの。無関係な人間が入ってくると一時的に鳴りを潜めるのが通常。
 それが初日から反応があったどころか、これまでになかったほどの大きさで現れたということは、反発を意味する。
 ポルターガイストとしか思えない現象によって斜めだの逆さだのにされた家具を総出で元に戻し、カメラを設置してはみたものの、それ以上の異変は何も起きぬまま夜が明けた。

「なんつーか、なんとかできるもんならしてみろ!! とか、挑発されてる気分だな」

 仮眠中のリンに代わってその定位置に座る滝川がこぼした呟きには、ナルも同感だった。
 暗示実験の結果も、案の定シロ。RSPKの可能性は排除され、建物や土地にも異常は認められず、人間以外の存在による超常現象だと半ば確定した調査二日目の午前のこと。
 ジーンとによる霊視では、子供の霊が多数いるという結果。
 子供特有の、ある種の残忍ささえ含んだような悪意をそこはかとなく感じるのは、霊視結果を念頭に置いた先入観だろうか。
 麻衣ですら何とはなしに感じているそれらを、おそらく唯一感じていないであろう自称・巫女の松崎は、現在巫女装束に身を包んで御幣を振っている。

「効果、あるのかな?」
「さあね。あいつ、偉そうなだけで役に立たねえからなぁ」

 モニター越しに松崎に向けられる視線は、見事に不信感一色。
 誰一人効果を期待しない中、神道の儀式はひとまず終わった様子だ。片づけに入る姿を見る気のないナルは、ソファで横たわる兄へ目を向けた。
 グッド・タイミング、とでもいうべきか。むくりとジーンが起き上がった。

「ナル」
「お、坊ちゃん起きたのか。綾子の除霊は終わっちまったぞ」
「はい、わかってますよ」
「は?」

 気づいた滝川がからかうように言った言葉に、ジーンは困ったような笑顔を向けながら短く答えた。――当然だ。寝ていたわけではないのだから。
 わざわざ説明する気など毛頭ないナルは、無視して本題を口にする。

「結果は?」
「う~ん……微妙?」
「なんだ、それは。思い込みが激しいだけの、つもり霊能者ということか?」
「そうじゃなくって……一応ね、『追い払う』ことはできてる感じなんだけど、一時的っていうか……すぐに戻ってきちゃってたから……」
「本人の力不足か、相手の力が上か、判断がつかない、と?」
「んん~と……なんていうのかなぁ……滝川さんみたいな僧侶っていうのは、修行とかで自分の能力を引き出し、制御できるように訓練して、自分の力で除霊する人たち――ですよね?」
「んあ? まあ、そうだわな。ちなみに、ぼーさんでいいぞ。敬語もいらん。ナル坊と同じ顔で敬語を使われても嫌味にしか聞こえんから」
「あ、うん、わかった」
「それで?」
「あー、えーと……巫女っていうのは、それとは違うと思うんだ」
「どう違うと?」
「自分の力じゃなく、別の存在から力を借り受けて除霊をする人たち――なんじゃないかな」
「あ……ジョンが、あのノリトっていうのは神様に霊を祓ってくださいってお願いしている呪文だって説明してくれたっけ……」
「うん。こう……自分の一部を空にする感じが、ぼくら霊媒と似ている気がするから、多分そういうことなんじゃないかなーって……」
「やっぱ霊媒なのか、おまえさん。ひょっとして今さっきの、寝てたわけじゃなく、幽体離脱して綾子の除霊を視てたのか?」
「あー……ははっ、実は。全体を見通すのは霊体じゃないの無理なんで」
「ってことは、この家には確かに霊がいて、且つ綾子は今回も役立たずだってことか?」
「ぅえ!? やっぱ幽霊いるの!?」
「うん、結構な数」
「うひーっ!?」

 前回の超能力に関する知識といい、今回の反発だという判断力や会話などから必要な情報を汲み取り推察する洞察力といい、滝川はプロとしての素質を兼ね備えてはいるようだ。……一番重要なのは、除霊能力に関してなのだが。
 麻衣に関しては、うるさいだけの雑用係以上の価値はない。せめて静かであればいいものを。
 ナルは溜息を落として、乱入者によって横道に逸れた話を元に戻す。

「つまり、前回も今回も、力を借り受けられていないだけだ、と?」
「うん、そんな感じがする。詳しいことはぼくじゃわからないけど、何か特別な条件が必要だったりするんじゃないのかな?」
「条件、ねえ……」
「問題となるのは、本人がそれを把握しているのか、それとも無自覚なのか」

 結論に達した、まさにそのときだった。
 扉が開いて巫女装束姿の松崎が現れ、実に機嫌よく笑った。

「楽勝よ楽勝! これで事件は解決したもどーぜん!」
「……無自覚以外の何物でもない気がする、あたしは」
「自覚あってコレなら、性格悪いだけじゃねえか」
の慎ましさを分けられたらいいのにね」
「「 同感 」」

 現状と結果を既に知っている人間の目には、無意味な松崎の自信など単なる張りぼてにしか映らない。これで結果の確認もせず礼金だけ受け取って帰ろうとするなら、完全な詐欺師だ。そうしないだけ、まだプロとしての自覚ぐらいは幾分かはあるのだろうが、それでも信用には到底値しない。
 他の者の松崎に対する評価も似たり寄ったりらしい。そして、気づかぬは本人のみ、と。

「……ナル? 何かありましたか?」
「僕は出かけてくる。ここは任せる」
「はい」

 起きてきたらしいリンが室内の様子にか怪訝そうに尋ねてきたのに対し、短く答える。
 調査として有益なデータが取れるのは、霊が活性化する夕方から夜にかけてとなるだろう。ならば、日中は他の情報を集めておいたほうが効率的だ。

「ジーン。はどこだ」
「池の所にいたよ」

 必要な情報を得たナルは、カバンを手にしてさっさと歩きだす。その背を追ってくる野次など聞く気は毛頭なく、扉を閉めることによって追い返した。
 そして、足早に庭へと出たのだが……人影は見当たらなかった。
 既に移動したのか、それとも人目につかない場所にいるのか。可能性としては後者のほうが高そうか……一応池に近づきその周辺を見て回ることにした。
 池とはいっても一個人宅の所有ではないらしく、ボートが浮かべられるほど大きなものだ。森下邸に面する部分だけでも結構ある。
 池に向かって傾斜している芝生の上を、周囲に注意を向けながら歩いた。やはり人影は見当たらない。
 ハズレか、と。思ったときだった。


「――仲間なんて、いらない……」


 声が、聞こえた。
 周囲に溢れているセミの声に掻き消されそうなほど小さなものではあったが、確かに探し人の声だ。
 独白のようなその内容に眉根を寄せたナルは、ざっと周囲を見渡す。――人影は、相変わらずない。ならば姿を隠せそうなもの……池のほとりにある茂みに目をつけ、近づいてみた。
 すぐ近くまで行くことで、茂みの向こうに頭だけが見えた。……流石は、物質を透かし視れるトランス状態にあったジーンの情報だ。茂みに隠れているならちゃんとそう言え――と。内心苛立ちを兄へぶつけていると、再び声が聞こえてきた。

「必要なのは仲間じゃないの。だって、こんなに沢山の仲間がいても、淋しい気持ちはなくなっていないでしょう? むしろ、仲間が増えたら淋しさも大きくなっていない?」

 芝生が足音を消し、セミの声が気配を紛らわせているのか、こちらには全く気づいていない様子で、『誰か』に話しかける
 茂みの大きさは、屈んだ状態でやっと一人が隠れられる程度。そして、見えている頭部は明らかに池の方向を向いている。
 内容から考えても、その『誰か』は、この家に捕らわれているという子供の霊だろう。

「だからね、これ以上淋しくてつらい気持ちにならないためには仲間を――オトモダチを増やしちゃダメなのよ」

 礼美を守るために説得している、といったところか。
 しかし子供の精神構造は単純で、そして欲望に忠実なものだ。生きていてもそうなのだから、死霊なら尚のことこの世に留まる核となっている思いから離れられるはずもない。
 専門知識はないと言っていたことが真実なら、知らないのか。それとも、知っていても言わずにはいられないのか。

「……ごめんね、何もできなくて……フェアローレンの鎌があれば魂に絡みつくすべてのものを断ち切ることができるから、あなたたちをここから解放してあげられるんでしょうけど……あれを扱えるのはフェアローレン本人と斬魂ゼヘルだけだから……」

 後者の可能性を示唆するような、謝罪の言葉。
 それよりも、後に続いた聞き覚えのない単語のほうにナルの気は留まった。
 フェアローレン、ゼヘル、そして鎌……鎌を扱い魂に干渉する存在といえば、単純だが『死神』が思い浮かぶが……何かの神話だろうか。
 しかし、彼女の声には、それは実在するものだという色がにじみ出ていた。
 霊を捕らえる『鎖』といい、一体彼女は何を見て、どんな世界に生きているというのだろう……正直に、興味が湧いていた。――けれど。

「ないものねだりをしても仕方がないわね。今、この家に来ている、綺麗な顔をしたお兄ちゃんたちが、必ずみんな一緒にここから解放してくれるから。もう少しだけ待ってて」

 ……この、言葉は。こちらを信用していると受け取って、いいのだろうか。
 声のトーンからは、単なるリップサービスだとは思えない。もしそうならかなりの役者だが、彼女の負うものを考慮すれば可能性は限りなく低いだろう。
 ナルの口からは、自然と溜息がこぼれた。
 とりあえず話も一段落したようなので、今一歩近づいて茂みに手をかけた。


「っ、――あ……っ!?」
っ!?」

 声をかけると、彼女は文字どおり跳ね上がって振り返った。
 池のすぐ傍にある茂みの陰など、元より足場が悪い場所で。そんな大きな動きをすれば、バランスを崩すのは道理。
 背中から池へと傾いていく体を繋ぎ止めようと、咄嗟に彼女の右手を掴んだ。しかし、踏ん張れるような体勢でもなく、また間にある茂みには二人分の体重を支えられるだけの強度はない。
 落ちる――と。
 思った、刹那。

「「 !? 」」

 竜巻のような突風が起こって、二人の体は芝生の上へと押し戻されたではないか。
 驚愕で止まる二人の周囲にあった風が、上空へと吹き過ぎていく一瞬のこと。

 ―― 待ッテル……デモ、急イデ ――
 ―― アノコガ、仲間ニ、ナル前ニ…… ――

 子供の声が、聞こえた。
 すぐ耳元で囁かれているようでいて、直接頭に響いたようにも感じた、妙にはっきりした声だった。

「あ……ありがとう……っ」

 風の行く先を追って空を見上げたが、声を投げた。
 ――返答は、ない。
 後には何事もなかったかのような、普通の家と庭があるだけだった。
 半ば呆然としていたのは、そんなに長くはなかったはずだ。ナルは掴んだままのの手を引いて座り込んでいた彼女を立たせた。

「あ、ありがとう、ございます……」
「いや、驚かせてすまない。今、いたのか、ここに……」
「……はい」
「そうか」
「あの……何か、仕事、ですか?」
「ああ。出かける。君も来てくれ」
「え、あ……はい、わかりました……」

 多くを語ろうとはしない彼女に、ナルも多くは聞かずに用件だけを告げる。
 相変わらず、おずおずと小動物のように小さくなりながら追従の意を示す姿に、自然と溜息がこぼれた。
 障害を抱えているのだから仕方がない――と、割り切ることは彼女のためにはならないだろう。それは単なる過保護でしかなく、何より本人は障害を克服することを望んでいるのだから。
 障害克服への協力として意識改革を促すための策は一応用意してあるが、余計な邪魔が入られてはすべてが台無しになる。
 策を実行するためにも、まずは目的地へ向かうことにした。

 森下邸を出て程なく、ナルは軽く後悔していた。
 暑い、のだ。
 然程遠くはないからと徒歩にしたものの、正午近い時間に降り注ぐ夏の陽射しは、木陰を選んで歩いたとしてもアスファルトからの照り返しでかなり暑かった。
 標準以下の体力であるを出歩かせたのは失敗だったか――と。チラリと目を向けて確認した彼女の様子は、至って平常だった。
 だが、表面上平気そうに見えても実際どうなのかはわからないこともある。
 暑さを紛らわせるという意図も含め、人通りのない今のうちに疑問を解消しようと、少し後方を歩く彼女へナルは問いを投げかけた。

。例の鎖について確認しておきたいことがあるんだが」
「――え……あ、はい……何でしょう」

 反応が鈍っているのは暑さのためか? ――否、普段も考え事などをしていたらこんなものか。やはり判断は難しいな。
 少なくとも、能力に関する質問に対しては身構えてしまっているのは間違いないだろうが。
 逐一気にしていては先へ進めない、と。本題を口にする。

「君は、鎖の発生源を除霊しなければ数を減らすことすらできないというようなことを言ったな? 霊が集団で一個の霊存在を形成する例はある。互いに引き合うことでエネルギーを維持し、祓われても消えずに戻ってくるんだ。だが、君の視た鎖は、そのようなものではないということか?」
「え、と……はい。少なくとも、今まで見かけた子たちの間を繋いでいる鎖は一本もありませんでした、けど……」
「集団を形成する核のみと繋がっている、と?」
「……はい」
「その核が、何、若しくは誰、なのかはわかるのか?」
「いいえ。鎖の先は、床下に消えていましたので……」
「床下? それは家に繋がっている、ということではなく?」
「はい」
「何故断言できる?」
「その……鎖は、子供たちの体に、直接繋がっているんです……」
「直接? 絡みついているということではなく?」
「はい……その……同化、といえばいいんでしょうか……皮膚が引きつれて、そこからまるで生えているかのようにして鎖が伸びているんです。……でも……」
「反対側は、そのような形にはなっていない、と?」
「……はい」
「なるほど……」

 道理でつらそうな表情で言いにくそうに話すわけだ。まさかそんなふうに見えていたとは……完全に予想外だ。
 幼い頃より能力の高さはよく知っているジーンでさえ、そのような視え方をしたという話は聞いたことがない。
 治癒能力、PK、霊視……持ちうるどの能力もが、既存の型にはまらないものばかりの彼女。
 面白い――と、正直に思う。
 だが口に出すべきではないだろう。研究対象にしていると勘違いされて、折角幾許かでも得ている信用を失くす気などないからだ。
 ここで信用を失くせば、こちらの言動のすべてを邪推され受け入れられなくなってしまう。それではいくらこちらが障害克服に協力しようとしても、却って逆効果になるだけだ。
 自らすべてを水の泡にするような愚を犯す気など毛頭ないナルは、それ以上は何も言わず、見えた目的地へと真っ直ぐに足を進めた。
 高級住宅街にあっても遜色のない大きな門と生垣は、しかし森下邸とは違って純和風の佇まい。何より違うのは、玄関にのれんがかかっていることだろう。
 ナルは早々にのれんをくぐった。

「いらっしゃいませ」
「ランチセットを二人前、それと帰りに一人前をテイクアウトで」
「かしこまりました。……失礼ですが、二名様、でよろしいのでしょうか?」
「そうですが」

 迎えた店員に注文を済ませると、何故か見ればわかる確認を返された。もしやと思って振り返れば――やはり、の姿がない。
 もう一度のれんをくぐって戻ってみれば、門はくぐったものの玄関前でぽかんと建物を見上げていて。
 再び感じた暑さへの不快感と相俟って、ナルは眉間にしわを刻む。

「何をしている、早く来い」
「え、あ、はい……」

 急かすことでようやく動きだした彼女を伴い、店員の案内に従って席に着いた。
 クーラーの効いた店内でようやく一息ついたナルとは違い、は事情が呑み込めないらしく居心地悪そうにしている。

「あの、所長……ここは?」
「精進料理の専門店だから、肉も魚も一切使われていない料理しかない。安心しろ」
「いえ、そういうことではなく……わざわざ、わたしのために……?」
「僕もリンも菜食主義だ。調査中は特に精進潔斎している。だから、ついでにすぎない」
「そうですか……」

 あからさまに胸を撫で下ろす様子に、ナルは嘆息を落とす。
 特別扱いを嫌っているようにも見えるそれは、自分の抱える障害を突きつけられることが嫌だからだろう。
 それはいいとして……否、厳密にいえば良くはないのだろうが、問題なのはむしろ過小評価による弊害の疑いがあることだ。
 『無力さ』を抱えているだけではなく、常に自分を人より下に置いて接する癖があるように思う。同じ立場にあるはずの麻衣に対してでさえ、言葉遣いこそ対等なものの、その実かなりの距離を置いているのは明白だ。
 それは謙遜というよりは、身を守るための処世術のようでもあり――否……むしろ、そうあるべきだと自分に言い聞かせている節が見え隠れしている。
 孤児として育った影響もあるのだろうが、障害の有無を別にしても、そのままでいいはずがない。
 だから――

。君の場合、松崎さんの自信過剰や、ジーンや麻衣の図々しさを大いに見習ったほうがいい」
「……え……?」
「克服するために関わることを選んだのだったら、吸収できるものはすべて自分のものにするべきだろう」

 まずは、視点を転換するよう促すこと。
 それができなければ、何ひとつ変わることなどできないのだから。

「あの……それって、どういう……?」
「……本気で変わりたいと願っているのなら、よく考えることだな」
「っ、わかり、ました……」
「お待たせしました、ランチセットです」

 理解はできずとも意図ぐらいは伝わったようで、ひとつ頷いた彼女の前に丁度やってきた店員がプレートを置いた。そしてこちらにも同じプレートが置かれ、店員は営業スマイルで「ごゆっくり」と言い残して去っていく。
 とりあえず、ひとつめの手は打った。次がいつ、どうなるかは、彼女次第――と。
 食事に手をつけた己に倣って食べ始めたを、ナルはそれとなく観察した。

 己もそれほど量を食べるわけでもなく、また早くもないほうなのだが、は更に輪をかけて少食で遅食だった。
 大して会話もなかったのに一時間近くかけて食事を進めた彼女は、結局ランチセットの半分を食べたところで「すみません……もう、いいです……」とギブアップしたのだった。
 どうやら痩身の理由は、肉類が食べられないだけではないらしい。栄養失調で入院したのも納得の摂食状態だ。
 一度、医師からの正式な診断書を提出させる必要があるかもしれない。特別扱いを嫌おうが、こちらには雇用主としての責任というものがあるのだから。
 またひとつ増えた考えるべきことに、溜息がこぼれた。
 だが、今は目の前の調査を終わらせるのが先、と。
 気持ちを切り替えたナルは、リンへの弁当を持たせてを帰したあと、ジーンが集めた情報の裏を取るためタクシーに乗って市街地に向かったのだった。





「ただいま戻りました」
「おう、お帰り」
「っ」
「「 お帰り、ー 」」
「――って、嬢ちゃん一人か? ナル坊は?」
「調べ物に、向かい、ました……」
「なに? アンタはそれ持ち帰らせるために連れ出されたってワケ? それ何よ? ――って、ちょっとシカト!?」

 覚悟をして扉を開けたはずなのに、思った以上に近場に立っていた滝川に迎えられ、思い切り体が跳ねてしまった。
 訝しげな視線すら、まともに見返すこともできずに目を逸らす。ソファでティーブレイク中らしい麻衣とジーンが手を振り、松崎もこちらを見ているのが視界におさまる。
 滝川の当然の疑問に何とか答えられたが、そこまでが限界だった。
 松崎の質問に答えることはできず、彼女の視線からも逃れるようにして、足早にリンのいるデスクへと向かって――

 ――本気で変わりたいと願っているのなら、よく考えることだな――

 唐突に脳裏に蘇った先程のナルの言葉に目を瞠り、無意識に足が止まった。
 耐えようともせず、心のままに逃げることを選んだ今の自分を責められているようで、自然と俯いてしまう。

「……?」

 変わりたい、とは、願い続けている……けれど、変われなかった十数年。
 今度こそ変わろうと決めて関わることを選んだ、はずなのに……現実は、感情に流されるままで、結局変わる努力を一切していなかった。
 ナルの言うとおり、本気で変わりたいと思っているのなら、感情に流されないよう思考を止めてはいけないのだ。
 けれど……

 ――本当に、そのためだけにここにいて、いいのだろうか……
 自分を変えるために何も知らぬ他人を利用しているような立場が、本当に許されるのだろうか――

「――!?」
「っ、……麻衣、ちゃん……?」
「どうしたの、大丈夫?」

 強く名を呼ばれて反射的に顔を上げれば、目の前には心配を刻んだ麻衣の顔。気づけば、リンを含む室内の全員が似たり寄ったりの表情を向けていた。
 ……また、悪い癖が出てしまった。

「大、丈夫……なんでもないから……」
「本当に?」
「ええ、ちょっと考え事しちゃって……ごめんなさい、わたしの、癖なの」
「なら、いいけど……」

 何とか取り繕って、止まっていた足を進めリンの傍らまでやっと着いた。
 せめて言われたことぐらいはきちんとこなさなければ、本当にただの足手まといの役立たずでしかない。
 ――これ以上、誰かの負担になってはいけない……
 だから、持っていた紙袋をリンへと差し出した。

「所長からです」
「ありがとうございます。……ナルに、何か気になることでも言われたのですか?」
「――え?」

 何事もなくただ受け取ってくれたリンは、これでひとつ用件を終えたという安堵をすぐに打ち消してくれた。
 思いがけない鋭い指摘――よりも、日本人嫌いを明言した彼が、必要最低限の用件以外の言葉を向けてきたこと自体に驚いた。
 一体どうしたことだろう。
 しかし、その疑問は、周囲の騒々しさに流される。

「ひょっとして考え事って、ナルに言われたことだったの? ! あの冷血漢ナルシストの嫌味なんか気にしちゃダメ!! 人見下して楽しんでる人でなしの思うツボになるだけだよ!!」
「え!? いえ、その、大丈夫……嫌味は言われてないから……だけど……」
「だけど、なに?」
「麻衣ちゃん、ちょっと偏見すごくない?」
「偏見じゃなくてジ・ジ・ツぅー!! ってか、今はがヤツに言われたことが問題ー!!」
「あの、もうちょっと静かにしたほうが……」
「はぅっ! ――って、誤魔化さない!!」
「えーと……」
「なによ、そんなに言いにくいことって、まさかあのボウヤに愛の告白でもされたワケ?」
「違います! ありえません!」
「だよねー。もー巫女さん、うすら寒くなるようなこと言わないでよ」
「男女間に恋愛関係しか発想できねーのは欲求不満の証拠だって聞いたなー……」
「お黙り破戒僧! 嫌味でも告白でもないなら、なに悩むようなことがあるっていうのよ!?」

 誤魔化されてくれなかった麻衣のみならず、松崎までが消去法で問い質してきて――滝川はニヤニヤ笑って傍観してるし、ジーンも気になっているのか二人を止める気はない模様。リンに至っては、元になった発言者ということもあって言わずもがな。
 ……言わなければ、いけないのだろうか。というか、本人たちがいる前で言っていいことなのだろうか。

「えーと……そのぉ……個人的な問題、といいますか……」
「煮え切らないわねぇ……目の前で不景気な顔されちゃ、気になって仕方ないのよ! さっさと白状しなさい!!」
「はい、すみません!! わたしの場合、松崎さんの自信過剰や、麻衣ちゃんやジーンの図々しさを大いに見習ったほうがいいって言われたんですっ!!」
「「 んなっ!? 」」
「「 ぶっ 」」

 松崎に悪気がないのはわかっているが、どうにも威圧的な物言いの前では萎縮してしまう。それに苛立ちなどの負の感情が含まれていれば尚のこと。
 反射的に身を縮めて急かされるままに答えると、案の定の反応を示したのは女性二人で。
 もう一人名前の挙がったジーンはといえば、予想外にも滝川とともに笑っている。

「ナルらしい言い方だね……ふふっ」
「笑ってていいのジーン!?」
「あはははっ、確かに足して2で割りゃ丁度いいな、おまえら!!」
「うるさいわよ破戒僧!!」

 二人が笑っているのは、ナルが言ったことの意味がわかったから――ということのようだけれど……笑うような意味、なのだろうか。
 未だに理解できずに、どう反応していいかもわからず立ち尽くしていると、すぐ傍らでリンが溜息を落としてから、言った。

「それで、その言葉の意味が理解できずに悩んでいたというわけですか?」
「あ……はい。その……わたしが自分で気づいていない欠点とその克服方法を言われたのだとは思うのですが、具体的なことがわからなくて……」
「真面目だねー、おまえさんは」
「真面目というより、人が良すぎだよ……なんであんなヤツのひねくれた言葉をそこまで好意的に受け取れるのか不思議だにゃー」

 別に真面目でも人が良いわけでもない。目的が、皆とは違うだけの話だ。
 己がここに来た目的は、自由を得るため……闇に囚われたままの己を変えるためだ。けれど、具体的に何をどうすべきなのかもわからず、結局感情に流されるだけだった現実。そこへ与えられた指標だから、すがりついているだけのこと、なのだ。
 けれど――松崎の自信過剰を見習うとは、どういうことなのだろう。自信を持てという意味なのだろうか……それは土台無理な話だ。何故なら――

「嬢ちゃん、っていったか?」
「――え……あ、はい」
「おまえさん、自分にできることは高が知れてるとか思ってないか?」
「――……」
「ヒーリングについて、これが自分の役目だって言ったよな? それ、俺には、自分がここにいる価値はそれしかないって言ってるようにも聞こえたんだわ。ナルちゃんが指摘したのも、多分そこじゃねえの?」

 滝川の、言うとおりだからだ。己がここでできることなど何もないに等しいのに、一体何に自信を持てばいいのだろう。

「わたしにできることがそれしかないのは事実、ですよね?」
「どんだけ慎ましいの!?」
「いや、麻衣ちゃんや。そーゆーレベルの話じゃねえんだわ」
「謙遜も度がすぎれば自己卑下になり、思い込みは能力に多大な影響を与えるということです」
「へ!? なに!? どゆこと!?」

 リンはあくまでもこちらへと話しかけている。麻衣へは一瞥をくれただけで答える様子はない。
 それを見取って、滝川が説明役を引き受けた。

「ん~……麻衣、逆上がりで苦労した覚え、あるか?」
「ある」
「できるときとできないときがあったり?」
「した」
「つまりそれは、身体能力的には逆上がりができるだけの力は備わってたのに、単純に恐怖心とか、失敗したらどうしようって不安とか、できっこないって思い込んだりとか、そういうマイナスの気持ちがブレーキっつーかストッパーになって、持ってるはずの力を発揮できなくさせちまってたってコト」
「そーなの!?」
「そーなのよ。こいつはできないこともできると言い張るだろ?」
「ちょっと!」
「で、おまえさんは、できるはずのこともできないと思い込んでる。ナル坊が見習えっていったこと、俺が足して2で割りゃ丁度いいって言った意味は、そーゆーことさ」
「必要以上に自分を制限すべきではないということです。挑戦なくして成長はありえません」
「挑戦……」

 滝川の説明補足するかのようなリンの言葉が、胸に小さな光を灯した気がした。
 できることはないと決めつけ、足手まといなのだと思い込むのを止めろ、と。自信はなくてもいいから、できないと決めつけずに挑戦してみろ――と……そういうこと、なのだろうか。
 ……でも……やはり、それでも……手を出すべきではないことはあると、思う……
 それに気づくことすらできず、却って邪魔をするような結果になってしまったら――

「あ、そうそう。原さんと連絡ついたよ。明日か明後日には時間取れそうだから、こっちに来るって」
「え!? 真砂子も呼んだの!? だってジーン幽霊視えるんでしょ!? 真砂子とおんなじことできるんだよね!?」
「うん、まぁね」
「なによ、ボウヤ霊視できたワケ? だったら、さっさとそう言いなさいよね」
「ぼくだって聞く耳のない人相手には口を噤みますよー」
「聞く耳ないって、誰がよ?」
「原さんの意見、頭ごなしに否定しかしなかったの誰でしたっけ?」
「う……っ」
「ま、自業自得ってヤツだからなー、責める権利はねえよなー」

 思考を遮るようにもたらされたジーンからの情報。しかし、それらも良い方向には受け取れない。

「真砂子ちゃん……忙しいのに、悪いことしちゃった……」

 真砂子がここへ来るのは、仕事ではなく己のため。それは即ち、己の身勝手により負わせた負担でなくて何だというのだろう。
 ジーンも、ナルも。こちらの事情を、滝川たちに知らせないよう事あるごとに誤魔化してくれているのだ。
 これ以上迷惑をかけないようにしようと思うなら、やはり挑戦なんてできるわけが――

「はい、ストーップ」

 ピッと。目の前に立てられた手の平と、言葉とで、再び思考が遮られた。
 知らず下を向いていた目を上げると、珍しく真面目な顔をしたジーンがいて。言った。

「悪いなんて勝手に決めつけたらダメだよ。原さんは、原さんの意志でここへ来るんだから。それを悪いなんて決めつけるのは原さんに失礼だよ。違う?」
「でも……」
「スケジュールとか事情とかは、本人のものだよ。大きな視点でいえば、人生はその人のもので、その人生の中でいつ何をどうするか決めるのは本人の自由なことなんだ。他人がそれに口を出す権利なんてないし、その決定を勝手に評価することのほうが悪いことなんじゃないかな?」
「――っ」
「そういうことじゃなくってさ、原さんに会えるんだよ? その事実に対して、はどう思うの?」

 関わることを決めたあの病院での出来事から、三ヶ月。電話で話したことは何度かあるが、会うのはあのとき以来になる。
 どう思うかと聞かれれば、それはもちろん。

「……嬉しい、けど……」
「うん。それでいいんだよ。ナルが言ったもうひとつのほう。ぼくも麻衣も自分が思ったことは素直に表現するタイプだからね。あんまり考えすぎるのもよくないってことだよ。もう少し素直に感情表現していいってコト」
「って、図々しいってそういう意味だったの!?」
「うん、そういう意味だね、この場合」
「もっと他の表現あるだろーがあのナルシストめー!!」
「ほら、素直な感情表現」

 あらぬ方向に拳を振り上げ、この場にいない人物への怒りを叫ぶ麻衣。それを呆れた眼差しで見やる松崎や、笑顔で見守る滝川やジーン。
 そこにあるのは、無条件の許容。
 人生の選択は本人のもので、それに同意し受け入れ合った者たちが集まり和ができる?
 ――それは、つまり、リスクすらも承知の上だ、ということ?

「……っ」
「あれ?」
「って! なに笑顔で泣かせてるのさジーン!!」
「ええ!? ぼくの所為!?」
「違うの、ごめんなさい……っ」

 受け入れられていたのに、線を引いていたのは己のほうだった。
 ――ああ、そうだ。己を闇に縛りつけていたのは己だと知り、その呪縛を絶つために彼らが認めてくれたままの己を受け入れようと決めたはずだったのに……
 いつの間にか、また元に戻ってしまっていたのだ。
 受け入れられているという事実を信じ切れていなかった……拒絶、されないように、取り繕おうとしていただけだったのだ。

「ごめんなさい……っ、ありがとう……っ」
「お礼なら笑ってくれたほうが嬉しいな♪」
「素直に感情表現しろって言った口でわがまま言わない!」
「麻衣ひどい!」

 呪縛に気づかせてくれて、それを絶つチャンスをくれた感謝を伝えるために。
 涙を拭って、笑って見せた。

「ありがとう」
「――どういたしまして!」

 挑戦、してみよう。成長するために。
 けれど、その前に、まずは言われたことを果たそう。

「そうだ、ジーン。床下って視ることできるの?」
「床下? そりゃ、霊体になれば物質の制約受けないから可能だけど……って、まさか」
「所長からの言伝。どうせ調べるなら表層だけじゃなく全体を見ろ――って……」
「あ、はは……りょーかい」
「んで、嬢ちゃんは何すんだい?」
「とりあえず気温計測に回ります」
「あ、あたしも――」
「麻衣は礼美ちゃんとこ行ってきたら? それこそ、鬼の居ぬ間に仲良くなっておいでよ」
「ジーン……そだね!」
「……ひょっとしておチビさん、キーパーソン?」
「ぼくの見立てでは」

 温度計などを用意する耳に、滝川とジーンの小声の会話が届く。
 それぞれに役割を与えられて動く。その中に初めて混ざれた気がして、は心持ち足取り軽くベースを後にした。