【 闇の墓標 (ざっくりと) 】 0 8

 もう一度、考えてみよう。『ラファエルの瞳』に頼らずともできることを。
 『瞳』の存在を踏まえた上で、彼らの邪魔にはならずにできることは何なのかを、前向きに考えてみよう。





「ただいまー」
「遅い。どこで油を売っていた」

 ジーンに提案されたとおり礼美と交流して夕刻にベースへと戻った麻衣は、扉を開けるなり飛んできた所長であるナルの叱責にカチンときた。

「あ、あ~ら、そちらこそ遅いお戻りではありませんか、所長サマ。仕事も指示せず、ふらりと姿を消していたような上司に叱られるいわれはないと思いますが?」
「僕は遊んでいたわけじゃない。から聞いていないのか? 第一、何のためにジーンとリンがいると思っているんだ。やるべきことがわからないなら聞けばいいだけの話だろう。そんな単純な解決法すら思いつく頭もないのか、おまえは」
「その! ジーンに! 言われて! 礼美ちゃんのところに行ってました!!」

 嫌味で反抗してみれば、倍の嫌味で返されて、更に頭に血が上る。どうあっても勝てるわけがないのがわかっているだけに余計に腹立たしい。やっぱり嫌いだ、こんなヤツ。
 チラリ、と。室内に目を向ければ、話題の人物はソファに横たわっていた。多分、トランス中、とかいうヤツだろう。から聞いたナルの指示で、幽体離脱状態で屋敷を調べているっていうことらしい。
 は――どうしたらいいのかわからないと、ありありと表す顔でおろおろしている。……うん、何してても可愛い、けど、困らせてゴメン。
 大人組は完全に傍観態勢……って、援護してくれる気はないんかい。

「ほぅ? それで何か収穫はあったのか?」

 孤立無援の現状に、いじけた気持ちになる。そんな状態でナルに小馬鹿にされても、怒りはあまり湧かず却って気分は沈んでいって。
 更には扉を開ける前に抱いていた不思議というか不気味な気持ちまで蘇ってきて、麻衣は溜息とともに肩を落とした。

「……うん。なんか、礼美ちゃんが変なこと言ってた」
「変なこと?」
「それがさ」

「うあっ!?」

 詳細を語ろうとした瞬間、唐突に悲鳴が上がって、びくっと体が跳ねた。次にはどすっ、と何かが床に落ちた音までして、何事かと目を向ければジーンが床で体を丸めている。
 どうやらソファから落ちたらしい。しかし、何故に?

「ジーン、大丈夫?」
「おい、どうした坊ちゃん」
「~~っ」

 が駆け寄り、滝川が声をかけるが、返答はない。
 何とかといった体で上体を起こしたものの、軽く頭を振り、片手で額を押さえることで半分隠された顔には苦悶の色が浮かんでいて。
 傍らに膝をついたが治癒能力を使い始めた。

「何があった」
「……弾かれた……」
「何に?」
「女の子に、拒絶された」

 完治を待たずに問いかけたナルへ、ジーンはやっと口を開いた。しかし端的すぎて意味も状況も正確なことは何もわからない。
 聞こうにも、まだ苦悶の表情はそのままで、両手を握ったり開いたりしていて。
 とにかく今は完治を待つことにした。――刹那。


「キャアァッ!」


 今度は住人の悲鳴が聞こえて、一同に緊張が走り、松崎が腰を浮かせた。
 麻衣の意識も完全にそちらへと向いて。

「何があった」
「カメラの監視エリア外です」

 ナルとリンの会話も聞かず、滝川ともどもベースを飛び出した。





 ジーンの治療を終わらせてから向かった先は、家の奥。少し遅れて着いた台所では、天井近くまで火柱を上げるコンロに向けて消火剤を噴きかける麻衣たちの姿と、出入り口付近で立ち尽くす香奈と彼女に寄り添う典子の姿があった。
 消火活動は滝川たちに任せ、は香奈の側へと近づく。

「大丈夫ですか、火傷とかはしていませんか?」
「あ……あ……」
「……この場を離れましょう」

 恐怖のあまり、完全に思考が停止しているらしい。
 己も、幾度となく身に覚えのある状態。だが、恐怖を与えたモノは己とは違う。
 落ち着かせるためにも、まず恐怖の元となっている現場から引き離そう、と。彼女の手に触れ、背をさすりつつ、コンロから目が離せないでいるその体の方向転換をさり気なく促す。

「典子さん、ガスの元栓はどこです」
「あ……」
「消火器は他にもありますか?」

 ナルに問われ勝手口を示した典子は、次いで台所を出て行く。丁度やってきたジーンが何を聞くでもなく彼女について行き、ナルは勝手口へと向かった。
 その、一瞬。目が合ったナルは、小さく頷いて見せた。
 許可を得られたと判断し、は香奈を連れて台所を離れる。とにかく落ち着けそうな場所へ、と。近いが喧騒の届かない応接間に入って、香奈を座らせた。

「失礼します」

 自然と俯いていた香奈の顔を、一言断わってから少しだけ上向かせ、容態を確認する。
 前髪が少し焦げたようだが、幸いにも顔に火傷は負わなかった模様。ただ、手が少し赤くなっていた。
 患部には触れないよう気をつけつつ、微かに震える手を取り、左手をかざして癒しを施した。
 数秒で事足りる程度の傷。それでも光が発生し痛みと赤みが消えれば夢幻とも思えないのか、香奈の意識がこちらへと向いた。

「あなた……」
「他に痛いところなどありませんか?」
「え、ええ……だいじょうぶ……だけど……あれは、何……?」

 恐怖は驚きによって緩和された模様。けれど、未だ残るは強い衝撃。
 衝撃がそれを与えた出来事を回想させ、再び恐怖を呼び起こす。……それは、誰よりも己がよく知る経験。

「触ってもいないのに、いきなり火柱が上がったわ……ああいうことがないように、祓ってくれたんじゃなかったの……?」
「……すみません……」
「一体、何が起こっているの……? あんなこと、人間の、悪戯でできるようなことじゃあ、ないでしょう? 何か、いるの、この家……?」
「……」
「私も、皆、この家が気に入って……楽しみにして引越してきたのに……礼美ちゃんも、あんなに懐いてくれていたのに……この家に来てからは、急に、返事もしてくれなくなって……家族になれたと思っていたのは、私だけだったの……?」
「香奈さん……」
「私だけ、蚊帳の外なの……? 私を、追い出したいの……? ねえ、この家で何が起こっているっていうの……っ!?」

 取り留めのない心情をこぼしていた香奈は、震える手での腕を掴んできた。すがりつくようだったそれも徐々に力が入り、今や痛みを感じるほどの強さとなっている。
 加えて、鬼気迫る様相で見上げられ、恐怖心が刺激された。
 しかし、あえてそれから思考を逸らして、別のことを意識的に考えることで抑え込む。

 来ないほうが良かったのに訪れてしまった治癒能力を役立てる機会……治療が済んだ今、既に役目は果たしたし、これ以上関わるべきではない――と、少し前なら思っていたことだろう。
 でも、ナルをきっかけにして、皆が助言を与えてくれたから。
 考えなければいけない。変わるためにも。特殊能力に頼らず、今の己にできることを。
 それに――今の香奈が抱えている疎外感から来る不安や恐怖……その、つらさは。この家にいる誰よりも、己が一番よく知っていることだから。
 何とかしてあげたい、とは、思う、けれど……

「……まだ、はっきりしたことがあまりわかっていない、半端な情報では、却って不安を煽るだけになってしまうかと……」
「何もわからないままのほうが不安なのよ! 悪い方向にばかり考えてしまうのよ! 半端でも構わない……っ、私を追い出したいわけじゃないなら教えて!!」

 すがりつく香奈の思いの強さは、そのまま掴む力の強さとなって。腕に走る痛みが、如実に表している。
 彼女が望むとおり事情を知ることでそれが少しでも和らぐのなら、話してもいいのかもしれない。何より、彼女が最も恐れているのは怪現象などではなく、人間の悪意のようだから、その疑惑を解消することなら事実を告げることでできるだろう。
 きゅ、と。一度唇を引き結んだは、覚悟を決めてその口を開いた。

「この家には、子供の霊が沢山……本当に沢山いるんです」
「子供の、霊……?」
「礼美ちゃんと同じ年頃の子供ばかりです。淋しくて、仲間が欲しいと思っている、その思いに囚われて留まっている、魂です」
「……礼美ちゃんを仲間にしようとしている、ということ……?」
「はい。仲間にするためには、同じ思いを強く抱かなければならないのだそうです。だから礼美ちゃんを孤立させて、淋しさを強く植えつけようとしているのだと思います」
「じゃあ、礼美ちゃんが口をきいてくれなくなったのは……」
「具体的な方法は、まだわかりません。けれど、嘘を吹き込んでいる可能性はあると思います。自分たちが味方で、大人は皆敵なのだと思い込ませるような嘘を」
「……お祓い、したのに、あんなことになったのは……?」
「儀式としてのお祓いは、市販の風邪薬のようなものなのだそうです。ある程度のモノには効果がありますが、肺炎やインフルエンザは病院での治療でなければ治せないように、大本となっているものを探り出そうとしている段階なんです」
「子供の霊が原因ではないの?」
「あの子たちも被害者です。ですから、大本、つまり、すべての始まりの一人を見つけ出すために、揺さぶりをかけたところだったんです」
「見つけ出せなかったから、あんなことが起きたということ?」
「まだ、結果は出ていません。けれど……すみません。怖い思いをさせてしまって、不安を煽る結果になったのは、こちらの力不足です。怪我まで負わせてしまって、本当に申し訳ありません。ですが、必ず……必ず解決してみせますので、もうしばらく時間をください」

 半信半疑といった体で話を聞いていた香奈の手からは、徐々に力が抜けていき、今はもう痛みも感じない。ただ、その手のぬくもりが、真偽を見定めるかのような眼差しとは裏腹にすがりつかれているようで。
 真っ直ぐに、彼女の瞳を、見返した。疑いが少しでも晴れて不安が和らいでくれるよう願って。
 どれだけの時が流れたのだろう。

「命の危険にあるのは、礼美ちゃん――なのね?」
「はい」
「……私は、蚊帳の外では、ないのね?」
「もちろんです」

 ぽつり、と。呟くように向けられた確認に即答する。
 ふっ、と。力の抜けた表情になった香奈が俯いた。そして再び、僅かに手に力が込められて。

「……わかった……あなたを、信じるわ……」
「ご期待に添えられるよう、尽力します」

 ひとまず落ち着いてくれた香奈の手に己のそれを添えて、力強く言い切った。
 そしてその言葉を実行すべく、はすぐに動きだした。





「……、戻っていたのか」

 ベースに戻ったナルは、ソファに思いがけない姿を見て、思わず呟いた。

 香奈の治療を任せたが去ったあとも、台所はある意味戦場だった。何とか無事消火し終え被害が大きくならずに済んだことに一同が安堵したのも束の間、今度は麻衣が窓辺に子供の影を見たと言いだしたのだ。
 この家にいる霊が子供のものであることを知らない彼らにとって、『子供』と聞いて思い浮かぶ存在は礼美しかいない。
 真偽を確かめるため典子とともに礼美がいるはずの典子の部屋へ行ってみると、そこに礼美はいた。暗がりの中で人形相手に言葉をかけている無邪気な姿には、外へ出ていた様子は微塵も見受けられなかった。
 それでも不安からか、台所を覗かなかったかと問い質す典子に、礼美は否定を返した。
 問題は、そのあとだった。
 拗ねたように頑なに否定の言葉を礼美が繰り返す度に、ポルターガイストが起こり、強さを増していったのだ。
 天井裏で大きく飛び跳ねたかのような衝撃音から始まり、家具が揺れだし、とうとう部屋全体地震かと紛うほどに揺れた。その揺れのためだけではないだろう動きで傾いだ本棚が典子へ向かって倒れかかったのだ。
 幸いにも直撃は免れ怪我人は出なかったとはいえ、精神的な衝撃はかなりのものだったらしく、落ち着かせるのにしばらく時を要した。
 典子と礼美を松崎と麻衣が落ち着かせている間、男手で倒れた本棚とその中身を戻し、更に消火剤まみれになった台所もできうる限りの現場検証をしつつ片づけていけば、かなりの時間が経過するのは道理というもの。

 その間、一度も姿を見ることがなかった
 火に対する恐怖心は動物的本能によるものだ。自動発火現象を間近で見ることになった香奈の衝撃は、礼美や典子の比ではないだろう。
 落ち着かせるのに手間取ることは容易に想像がついたので、己より先に戻っているとは思わなかったのだ。

「ご苦労様です、ナル。何かわかりましたが?」
「ああ、自動発火に、本棚を倒すほどの揺れと衝撃音のポルターガイストだ。カメラを追加設置する」
「わかりました」

 声をかけてきたリンに答える間も、からの反応はない。
 彼女の性格上、無視することは考えられないが一体どうしたのか、と。近づいて見えた全容に、疑問は氷解した。

「あー、疲れた。……って、嬢ちゃん、何やってんだ?」
「うわ、、すごっ! パソコン使えたんだ!」
「……」

 全員がベースへと戻ってきたが、うるさいぐらいのその声にもやはりは無反応で。
 その理由は、麻衣の言葉どおり。ノートパソコンと向き合いキーボードの上に手を滑らせるように動かす様子は実に慣れたもので。つまり、集中していて周囲を認識できない状態にあるということだ。
 使える技能がまたひとつ明らかになったのはいいとして、一体何を打ち込んでいるのか。
 ナルがリンに尋ねようとしたときだった。がようやく動いたのは。

「リンさん、できました!」
「はい。あとは、ここをクリックすればプリントアウトできます」
「わかりました。お手数おかけしました。ありがとうございます」
「いえ。戻られましたよ」
「あ……」

 ノートパソコンをリンの元へ持っていき操作方法を教えてもらった彼女は、リンに言われてようやくこちらに気づいたらしい。
 プリンターが動きだす中、真っ直ぐにこちらへ向き直った彼女は、姿勢を正すなり勢いよく頭を下げた。

「あの、所長、すみません!」
「……何がだ」
「えと、許可を、いただきたいことがあるんですが、その前に、その……勝手な判断を、してしまいましたので……」
「だから何をだ」
「プリントアウト、終わりましたよ」
「あ、ありがとうございます! これ、その報告書になります」

 全く要領を得ない言葉に苛立ちかけた気持ちは、ここにきて納得に染まる。
 何をしていたのかと思えば、別行動を取っていた間の報告書を作成していたとは……律義なことだが、口頭で報告しない理由は何なのか。
 口を閉ざされるよりは助かるのは事実だが、昼間とは随分印象が変わったように感じるのも気になる。前向きさを感じるのは悪いことではないが、短時間でここまで変わるとは……昼食の時点ではまるで理解できていない様子だった助言が効いたとは到底思えないのに、何故なのか。
 そんな疑問を抱きつつ、とりあえず渡された紙面に目を通した。

「……なるほど。それで許可とは?」
「あの、今夜、香奈さんについていてもよろしいでしょうか?」

 許可を求める内容を言い終えたあとの唇が、更に動いた。音には出さずに紡いだのは、『カメラ』という単語。つい、と。視線を上げれば、不安そうな表情とは裏腹に強い意志を秘めた瞳が真っ直ぐこちらを向いていて。

 ――そちらこそが真の本題、というわけか……

 即ち、香奈の部屋のカメラの設置は見送ってほしい、と。
 先程のリンへの言葉を聞いていたとは思えないし、はじめから予測済みだったということなのだろう。やはり、調査員として――助手として有能そうだ。
 それはさておき、求めてきたのは彼女と結んだ契約条件の履行だろう。何かをするつもりがあるのか、単に万が一に備えてなのかはわからないが。
 データを破棄する事態は避けたいし、滝川たちの目もある以上、断わる理由などない。

「わかった、構わない」
「あ、ありがとうございます! では、失礼します」

 承諾と許可を得られるや安堵を浮かべたは、一礼してすぐにベースを出ていった。
 ……やはり、行動力が増している。まるで自らに課していた余分なリミッターを解除したかのようだ。あれが、本来の彼女なのだろうか。

「やる気マンマンになってんのはいい傾向として、勝手な判断って何やったんだい?」

 似たようなことを感じたのか……否、何か知っていそうな滝川に一瞥をくれたナルは、無言で手にしていた報告書を差し出すことで答えとした。
 の急激な変化に彼らが関わっているとわかっただけで答えとしては充分だ。
 ならば今は調査に戻るべき、と。口を開く。

「松崎さんも目を通してください」
「なによ」

 疲労感からか不快そうに顔を歪ませて、滝川から報告書を受け取る松崎。その横手から麻衣とジーンも覗き込む。
 紙面に記されているのは、香奈から得た情報と彼女の状態を箇条書きにした報告。そして曰く『勝手な判断』である香奈への調査の経過報告の内容だ。
 見る間に決まり悪そうな表情になった松崎へ、麻衣が呆れた眼差しを向ける。

「巫女さん、プロだっていうならクライアントのケアぐらい自分でしなよ」
「あの状況でそんな余裕がどこにあったのよ! それこそ適材適所ってヤツでしょ!?」
「んまあ、今回は治療に当たった嬢ちゃんにそのまま流れちまった感じではあるがよ、それにしたってド素人にフォローされてて情けなくならねーか?」
「う、うるさいわね! 大体、アンタだって何も報告してないんじゃないの!?」
「俺はまだ報告するような仕事してねーからな。除霊して、失敗したのは、おまえ」
「うぐ……っ」

 素直に己の非を認められないのは性格なのか。他人の揚げ足を取らずにいられないのは趣味なのか。
 生産性のない不毛な遣り取りにナルは深々と嘆息し、本題を告げる。

「ともかく、今後クライアントへ報告することがありましたなら、齟齬がないようにしていただきたいですね。こちらへの信用にも関わりますので」
「わ、わかったわよ……っ! でも、ここに書かれてることって全部ホントのことなワケ!?」
「松崎さんの祈祷に関して以外、虚偽報告はしなかったようですが?」

 どうやら松崎だけ未だにジーンが得た情報を知らないらしく、あっさり認めれば勢いよく彼女は滝川を振り返った。
 何かを言われる前に、滝川は肩をすくめて彼女が求めているだろう答えを口にした。

「坊ちゃん情報で、大量の霊がいるってことと、おチビさんがキーパーソンだってのは聞いたが、いるのが子供ばっかでおチビさんが危険ってのは知らんな」
「はーい、昨日の時点でのぼくの見解でーす」
「んで、専門知識のない雑用係を自称した割には、しっかりした説明できてるようだが、その出所は?」
「旧校舎の調査記録なら昨夜読ませましたし、霊の同化に関しては昼間に聞かれたので教えましたが?」
「あ、もしかしてあの英語がびっしり書かれてたヤツ!?」
「なーる……『調査員』としての有能さを底上げ、育成してるってことか」

 勝手に納得している滝川に対し、ナルは特に何も言わなかった。嘘などついていないのだから訂正する事実もないし、事実をわざわざ肯定する必要だってないからだ。
 そう、嘘ではない。昼食時に彼女が、複数の霊が一個の霊存在を形成する条件はなんなのかと聞いてきたのは、紛れもない事実だ。
 ただ、その前に『鎖』の形で視えるものは未練といった『感情の具現』なのかと聞いたのは己であり、目的は彼女の持つ情報を引き出すことだったのだが。
 そんなこと、言う必要などあるはずもない。
 言うべきことがあるとすれば、もう一人のアルバイトへだ。

「はっきりとした解決策が見つかるまでは、不安を煽るだけになるので典子さんへの報告は控える。麻衣、くれぐれも口を滑らせるなよ」
「っ、ラジャー!」

 ピッと敬礼までして応じた麻衣の頭をくしゃくしゃと撫でた滝川は、意外にも真面目な表情をしていて。
 話の区切りがついたと見て口にしたのは、宙に浮いたままの件についてだった。

「クライアントへの対応はそれでいいとして、ジン坊と麻衣、さっき言いかけたことってなんだ?」
「そ、そうよ! 情報はちゃんと寄越しなさいよ!」
「別に秘密になんてしてませんて。聞く気があるならちゃんと答えるって言ったじゃないですか」
「だから今聞いてるでしょ!」
「……ジーン、何が視えた?」

 だから、どうして松崎は話の腰を折るようなことを言うのか。
 ジーンも応じなければいいだろうに、と。嘆息とともに、言外にさっさと言えと告げれば、やっとジーンが表情を引き締め口を開く。

「ああ、うん。言われたとおり床下視てみたら、確かに何かはいたんだけど、それがなんなのか詳しく視ようとして近付いたら、いきなり目の前に女の子が現われて弾き飛ばされちゃったんだ」
「その少女は、床下の存在を守ろうとしているということか?」
「うーん……『守る』って感じじゃなかったなー……なんていうか、ただ近づくのを拒む感じ」
「守るんでなきゃ、ひょっとして独占したいから近づくなって感じか?」
「あー、そう、そんな感じかも! ぼーさん、ナイスアシスト!」
「どーも。あのおチビさんくらいの子供っていやー、友だちはいっぱいいたほうが楽しいって思ってる年頃だろ? それが独占したがる存在っていやー、やっぱ親って気がするが……」
「でも、それじゃあ同化の条件が合わないんじゃないの?」
「なんだよなー」
「そもそも、床下にいるのがホントに大本となってる最初の一人ってヤツなワケ?」
「だから、そこまで視るヒマなかったんですってば」
「どの部屋の下にいた?」
「それも不明。そんなはじっこじゃなかったとは思うけど」
「使えないな」
「そんなこと言ったって! ホントにいきなりで思いっきり弾かれちゃって、その衝撃で見た記憶も一部飛んじゃったんだから仕方ないじゃないか! ちゃんと体に戻れただけ偉いよ、ぼく!!」
「自画自賛!?」
「いいよ! もっかい視に行ってくるよ!!」
「やめておきなさい」

 推測ばかりで確固たる情報がほとんどないのでは役に立つはずもない。
 事実は事実なのに認めたくないのか、自棄を起こした愚兄を制止したのはリンで。全員の注目がリンへと向く。
 リンは体ごとジーンへと向き直って、厳しい眼差しで警告した。

「弾かれたということは、向こうにあなたの存在が敵として認識されている可能性が高いということです。今度は弾かれるだけでは済まないでしょう」
「弾かれるだけじゃ済まないって……」
「戻れなくなられるのも面倒だが、それ以上に空になった体に他の霊が入られるほうが厄介だということだ」

 リンの言葉ではまだ納得していないジーンと、意味自体を理解していない麻衣たちへ、ナルが具体例を挙げて警告した。
 ようやく事の重大性を理解したのは、霊能者として一応の知識を持つ二人。
 イマイチ理解できていない麻衣に、理解はしていても納得していない愚兄という馬鹿コンビに、ナルは嘆息をこぼす。そして、わかりやすくその危険性を告げた。

「もし万が一憑依されようものなら、僕もリンも手加減などしないからな」
「してよ手加減くらい! 体に戻れないまま本物の幽霊になっちゃうじゃないか、ぼく!!」
「ぅえ!? そんな危険なの!?」
「なりたくないなら憑依されるような隙を作るなと言っているんだ。警告してやっただけ有難いと思え、馬鹿」
「トランス状態にならずとも霊視の精度を上げることはできるでしょう?」
「だって、苦手なんだもん、そっち……」
「もん、って……坊ちゃんや……」
「危険を冒してまで楽な手段に逃げるのと、チャンスと捉え安全を確保した状態で苦手を克服するために挑戦するのと、どちらがマシですか」
「折角、に拾われた命、今度は自分の愚かな選択でドブに捨てる気か」
「うぐぅ……っ」

 身勝手な言い訳で抵抗を試みたジーンも、流石にに命を救われたという事実の前では引き下がらずをえなかったようだ。
 非難じみた視線を四方から向けられ床に小さくうずくまる姿を一瞥し、ナルはもうひとつの本題へ話を戻す。

「それで、麻衣は一体何を聞いてきたと?」
「あ、うん、香奈さんがおやつ持ってきてくれたんだけど、毒が入ってるから食べちゃダメって言ったの」
「どくぅ!?」
「香奈さんは悪い魔女で、お父さんを魔法で家来にして、邪魔な自分と典子さんを毒で殺そうとしてるんだって」
「なんなの、その白雪姫的な設定は」
「問題はそこじゃなくって、それをミニーが教えてくれたって言ったってことだと思うんだけど」
「ミニー?」
「礼美ちゃんがいつも抱えてる人形の名前だよ」

 胡散くさそうな表情で相槌を打っていた松崎も、ここにきてようやく全容がわかったらしく、見るからに嫌そうな顔になった。
 滝川の表情も険しさを持って。

「あのアンティークドールか……嬢ちゃんの予想がズバリ的中ビンゴってたわけか」
「つまり、この家にいる霊が人形に憑依して、あの子を取り込もうとしてるってコト? 人形に憑いてるっていったら、大抵前の持ち主とかじゃないの?」
「おまえね、今までの話聞いてたか? さっきのポルターガイストだって、あの子の叫びに反応してる感じだったじゃねえか。詰問してきた典子さんを敵と見做して排除して自分たちこそ味方だってアピールしようとしてたってことだろ?」
「原因がひとつとは限らないんじゃないの? だって、まだはっきりとしたことは何もわかってないんでしょ? ボウヤだってすべての可能性を視野に入れておけって豪語してなかった?」

 根拠のない自分の推測を、無関係な他人の言葉を勝手に後援のように用いてまで押し通そうとするなど、どれだけ自己中心的で頑固でひねくれているのか。
 己に向けられた視線に、ナルは何度目になるかわからない嘆息を落とす。

「推測ばかりしていても意味はない。まずはカメラを追加設置して事実を確認する。一階の主要な部屋全部と、念のために典子さんの部屋だ」
「げ、そんなに!?」
「文句は場所を特定できなかったこの馬鹿に言え」
「いだっ!?」
「いつまでもいじけていないで、カメラの設置がてら、自分を弾き飛ばした少女を捜して、人形に何が憑いているのかも視てこい」
「うぅ……りょーかい~……」
「……相変わらず、容赦のない兄弟関係だな……」

 ジーンを足蹴にしたことに、滝川の呆れた呟きがこぼれたが、ナルは無視して新たに増やす分の機材の調整を始めた。





 ベースを後にしたは、真っ直ぐ二階にある香奈の寝室へと向かった。
 ノックとともに声をかけると、すぐに扉が開いて安堵を浮かべた香奈に招き入れられる。
 中は、夫婦の寝室ということもあって広めな上、更に窓辺にはテーブルとソファも置かれていて、まるでホテルの一室のようになっていた。
 その、窓辺のテーブルの上には、ワインとつまみの載った皿があり、はソファへと招かれるまま腰を下ろした。

「お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ、いいのよ。わがままを言ったのは私だもの。好きなものつまんでちょうだい。飲み物は麦茶だから安心していいわ」
「すみません、ありがとうございます」

 彼女の言葉どおり、陰になる場所には氷の入った冷水筒もあった。つまみとして用意されていたのは、個包装になったキャンディタイプのチーズと菓子類のようだ。
 社会人になった経験のないには、このような状況はもちろん初めてで、はっきりいって戸惑いのほうが大きい。でも、今の己にできることをやってみようと決めたから。

「今のわたしにはお話を聞くことぐらいしかできませんが、所長の許可はいただいてきましたので朝までおつきあいさせていただきます」

 それで香奈の抱えている不安が晴れ恐怖が薄れるのなら、と。
 どこか陰のある笑みでワイングラスを軽く掲げる香奈に倣って、も麦茶の入ったグラスを掲げ、軽く触れ合わせた。

「「 乾杯 」」