問題を解決するために、それぞれが動いた。
その結果が吉と出るか凶と出るかはわからないけれど、やるべきことは決まっている。
だから、せめて、より良い結果になってくれるようにと、ただ願うだけ。
「あの人形に憑いているのは、立花ゆき。ぼくを弾き飛ばした女の子で、この家での最初の犠牲者。すごく貪欲で、子供たちすべてを支配している。ぼーさんが言ったように、黒幕を独占したくて誰も近づかせないようにしていて、黒幕が望んでいるもの――つまり8歳前後の子供を集めているんだ」
人形を抱えたまま夕食も摂らずに自室で眠り込んでしまった礼美を典子に託し、ようやく人形と対面したジーンは、その結果をベースで告げた。
人形は礼美のベッドの上に座らせてあり、モニター越しに監視している状態での報告に、まず口を開いたのは滝川だった。
「黒幕ってのは、例の床下にいるヤツかい?」
「うん」
「そいつは何者で、なんでまた8歳前後限定の子供を欲しがってんだい?」
「そこまではまだわからないよ」
「わからんのかい!」
「ゆきをはじめとする子供たちがあまりに多すぎて、隠れてうまく視えないんだ」
「幽体離脱しねーと、そうなるのか」
「これでも頑張ってるんだよ、ぼくも!」
感心したような、それでいてどこかからかうような色の感想で、ジーンがムキになった。
全く何の役にも立っていない松崎に能力を否定されたわけではないのだからムキになることでもあるまいに、と。ナルは軽く溜息を落とす。
「人形に憑いているのが、この家での最初の犠牲者であり、その背後にまだ黒幕がいるということは、問題は家ではなく土地にあるということになる。他の子供たちを立花ゆきが支配しているというのなら尚のこと、床下の存在を引きずり出すためにはまず彼女をどうにかする必要があることが確定しただけ進歩だろう」
「ナル坊が調べたのは、この家の過去の所有者だけか?」
「それ以上は時間が足りませんでしたからね」
「……だよな」
「とにかく今は――」
更なる情報を期待しているような滝川も、事実を告げればあっさり納得し、引き下がった。
共有できる情報はここまで、と。
話を切り上げようとしたナルは言葉を途中で切り、椅子から立ち上がった。
人形が、動いていたのだ。
正面を向いて座らせてあった人形は、今やうつ伏せに横たわっていた。……目を離してはいなかったのに、体勢が変わった瞬間がわからなかった。本当に気がつけば、という状況だったのだ。
その人形が、更に動いた。
然程重さなどないはずの人形が、シーツを引きずりながら足のほうへずるずると移動していく。しかしそれは胴体だけで、枕に散らばった金の髪に覆われた頭部はその場に残ったままだった。――と、その頭が転がった。金の髪をまといつかせながら横へ横へと転がり、やがてベッドから落ち、ゴトンという重い音がスピーカーから届いた。
異変があったのは、そこまで。
言葉もなく一同の目がモニターに釘付けになる中、礼美の部屋の温度は元に戻り始めていた。
「だめです、何も記録されていません」
「こっちも全部エラーだよ」
「あ、ぼーさん。ミニーは?」
「なんともなかった。最初のまんま座ってやがったぜ」
先程の映像を再生してみれば、見事な砂嵐。他の計器類も針を振り切り、一切の記録は残っていなかった。丁度礼美の部屋から戻ってきた滝川からは、異常無しとの報告のみで。
何か、本当に、タチの悪い子供の悪戯にあった気分だ。
その麻衣の感想は、他の者も大差ないようで。特に滝川の反応が、意外にも大きかった。
「くっそー、不覚にもビビっちまったぜ。ナル坊、あれ、祓っちまってもいいよな!?」
「名前の下が生没年、その下が戒名、宗派は浄土宗だ」
「よっしゃ! 祓って燃やしちゃる!!」
余程悔しかったのか、鼻息荒く半ば押し切る勢いで形だけの同意を求めた滝川に、ナルは小さな紙片を差し出す。
得られた同意と情報に意気込んで仮眠室で袈裟に着替えた滝川の姿は、あっという間にベースから消えてモニターの中へと移動した。
「……ホントに祓えるのかしら」
「さあ?」
松崎の祝詞以上に意味不明の、真言というらしい呪文がスピーカーから流れる。
言葉自体は不信感一色だが、松崎ですらどこか緊張感をもって見ているのが伝わってきて、麻衣も自然とモニターを食い入るように見つめた。
程なくして、リンの報告がさらに緊張感を増大させた。
「ナル。温度が下がり始めました。ラップ音もあります」
「反応しているということは、一応効果はあるようだな」
報告どおり、スピーカーからは滝川の声に混じって様々な音がし始めている。サーモグラフィーも、滝川の形だけが暖色で室内のすべては寒色になりつつあった。
――と、視界の隅に入った、白い影。それは、礼美の部屋以外を映したモニターのひとつだった。
「ナル! 居間を見て!」
「居間の温度、急激に下がっています。――零度に達しました」
「黒幕の居場所は、居間の下か」
麻衣が告げた異常報告を、リンが更に詳しく付け足す。モニターに映る居間のフローリングからは白い靄のようなものが立ち込めていた。
――あそこに、すべての元凶が、いる……
背筋に冷たいものが走り、麻衣は無意識に己の腕をさすった。――刹那。
「キャアアッ!?」
スピーカーからと、ベースの外からと。同時に聞こえた悲鳴で空気は一気に嫌なものへと変わった。
真言の中断によって異音も止み温度も戻り始めたらしいが、そんなことなど今はどうでもよかった。
モニターに映る住人の異常を見つけると、麻衣はすぐさまベースを飛び出したのだった。
悲鳴の主は、典子だった。
ジーンが麻衣とともに典子の部屋へと駆けつけると、既に滝川がいてベッドの上で体を丸めている典子の容態を診ており、こちらに気づいて振り返った彼が先に結果を告げた。
「足首、脱臼してるぞ」
「っ、呼んでくる!」
「麻衣! ぼくが行くから麻衣は礼美ちゃんをお願い!」
「あっ、うん!」
泣きじゃくる礼美を麻衣が宥め始めるのを見て、ジーンは踵を返した。しかし、呼びに行くまでもなく扉の所には、香奈の部屋にいるはずのの姿があって。
典子の様子にか、香奈とともに顔色を変えた彼女は、すぐざまベッドに駆け寄り治癒能力を使い始めた。
かざした左手から光が発生し、典子の足首を包み込む。その様子に、更に怯えパニックを起こしたような礼美に、ナルの指示によって麻衣は礼美を抱えて部屋を出ていった。
己が声をかけても逆効果にしかならないとわかっているジーンは、ただそれを見送る。おそらくは香奈も同じなのだろう。複雑そうな表情を扉のほうへと向けていた。
わかっていても構う余裕のないは治癒に集中し、典子は驚愕からどこか納得した表情を浮かべて、言った。
「礼美が、魔法を使ったと言っていたのは、このことだったのね」
「――え?」
「昼間、あなたたちが去ったあとに礼美がそう言ったの」
「あ……ええ……多分、香奈さんの火傷も癒させていただきましたので……」
礼美の言葉を知らないは典子の説明に曖昧に返しただけだった。そうして視線を戻した彼女の表情は、かなり厳しいものだった。
典子の表情を見る限り痛みは大分和らいでいるから、確実に治ってはいるのだろう。
なのに厳しい表情をしているのは、おそらく足首にくっきりと残っている赤い子供の手の跡の故だろうと思われた。
不意に、は右手にも光を生み出した。左手よりもずっと強い光だった。
それを、典子の足首へと近づけて。
「失礼します」
「っ!?」
脱臼した足首を、本来の位置に戻したのだろう。両手で直接足に触れたそのままの姿勢で、しばし光を維持していた。
すると、まるで内側から押し出されたかのように、じわーっと黒い靄のようなものが発生し、それにつれて手形は徐々に薄れていくではないか。
ややあって、すっかり綺麗になるとは手を離して、大きく息を吐いた。
「あ、ありがとう」
「いえ……完治はさせましたが、少し違和感が残るかもしれません。テーピングで固定しておいたほうがいいと思います」
「アタシがやるから、アンタは休んでなさい」
念のためなのか、香奈が持ってきていた救急箱を受け取った松崎が典子の足首に手際よくテープを巻き始める中、は立ち上がって香奈を見、部屋を出ていく香奈の後をついていった。
後ろ姿を見送るジーンの視線は、の右手を捉えていた。
夜だというのに、日焼け防止用のアームカバーを着けたままの細腕。おそらくは手形を消すために生み出したのだろうあの光が発生したとき、右手の甲に布の下から青い輝きが見えた気がしたから。
今はもう何の変哲もない状態に見えて……だからこそ、思わざるをえない。
右利きなのに治癒能力を使うときは大抵左手をかざすこと自体に、実は意味があったのではないのか。それは、右手で生み出されるあの光が治癒能力以外の何かだからなのではないのか。そして、その何かこそが、自分の能力を明かせないといったような契約を望んだ理由なのではないか――と。
けれど、その契約の故に本人に確かめるわけにはいかなくて。それ以上に、治癒以外の能力を知られることをひどく恐れている節のある姿を見てしまっては、聞く気にすらなれなくて。
モヤモヤした気持ちを無理に押し込めようと、ジーンは調査へと意識を切り替えた。
「ごめんなさい! ミニーが……ほかのひととはなしちゃダメって……っ、あのヒトはわるいマジョだから、こらしめるって……っ、まもってあげるから、そのかわりだれともなかよくしちゃダメって……っ、わすれておしゃべりしちゃうと、ミニーがおこるの……っ、ぶったり、つねったりするの……っ」
典子を松崎に任せたは、別室へ移動した礼美の許へ向かう香奈について廊下に出た。
話し声の聞こえる方向へ向かってすぐのこと。薄く開いた扉から聞こえてきた礼美の涙に濡れた告白で、香奈の足は止まった。
扉の前に佇み耳を澄ませる香奈の後ろ姿を、はただ静かに見守る。
「ほんとはもう、こわかったの。ミニーからにげたかった。でも……ミニーにはケライがいっぱいいて、どこにいてもやってくるの」
「家来?」
「礼美ぐらいの男の子とか女の子がいっぱいいるの。ミニーがいいっていうといっしょにあそんでくれるけど、ミニーがおこると、みんな……っ、さっきも、おねえちゃんにケガさせたの、そのおともだち――」
「ダメ」
「やめなさい」
麻衣の声に被さるようにして、扉を開けながら香奈が言った。
驚く麻衣たちに構うことなく、香奈はただ礼美だけを見て、昼間と同じように礼美の顔を両手で包んで目を合わせ、口を開く。
「言ったわよね、人を困らせたり意地悪するのは悪いことだって。自分がされて嫌なことは、人にもしちゃいけないの。礼美ちゃんが嫌がっているのにひどいことをしてくるような子は、とっても悪い子なの。そういう子はいじめっ子というものであって、お友達なんて呼んじゃだめなのよ」
「で、でも……っ」
「礼美ちゃんは、同じことしたいと思うの?」
「え……?」
「誰かをぶったりつねったりしたい? 誰かが嫌がったり泣いたりするのを見て、面白いと思える?」
昼間と同じ体勢。けれど叱られているわけではないとわかるのか、礼美は素直に香奈の言葉に耳を傾け、聞かれたことをきちんと考えているようだった。
香奈も手に力は入れていなかったらしく、礼美は小さく首を横に振った。
「……ううん……そんなこと、したくない……してもおもしろくなんてないよ……」
「そう思えるのは、礼美ちゃんが良い子だからよ。でもね、いじめっ子をお友達って呼んでしまうと、自分もいじめっ子の仲間だって――悪い子なんだって認めることになるの。だから、もうそんな子たちと仲良くしてはだめよ」
「でも、ひどいことされちゃうよ……っ」
「大丈夫! ミニーが礼美ちゃんにひどいことしないように、あたしたちみんなで礼美ちゃんを守ってあげるから。だからミニーが何かしようとしたらすぐに言って。絶対に助けてあげるから。ね?」
「……うん……っ」
香奈の言葉は確実に礼美に伝わったけれど、それでも恐怖と不安から踏ん切りがつかない様子の礼美に、麻衣が力強く言った。
笑顔と、握り拳と、ほんの少しの茶目っ気にか。ようやく礼美はしっかりと頷いてみせた。
それから、香奈の手を、遠慮がちに握って。
「ごめん、なさい……おかあさん……っ」
「っ、私も、ごめんなさいね、淋しい気持ちに気づいてあげられなくて……今まで、よく我慢したわね。礼美ちゃんは強くて、とても良い子よ」
「っ、うぇ……っ、うわああんっ」
礼美の口から出た『お母さん』という言葉にだろう、香奈は一瞬目を瞠った。そして浮かんだ涙をこらえた不器用な笑顔で、礼美の頭を優しく撫でた。
今までの自分の色々な気持ちを認めてもらえた上に、褒められたことで安堵が生まれたのか、礼美は大粒の涙をこぼして香奈に抱きつき、すべての不安や恐怖を吐き出すかのように泣き続けた。
程なくして声は小さくなり泣き疲れて眠ってしまった礼美をいとおしそうに撫でる香奈は、完全に『母親』の顔をしていて。
も優しい気持ちに満たされ、自然と微笑んでいた。
――と、その香奈がこちらを見た。
「ありがとう」
「わたしは何もしていません。礼美ちゃんとの関係を元に戻したいと願って行動した、香奈さんの力です」
告げられた感謝の言葉に小さく頭を振った。
むしろ、お礼を言いたのはこちらのほうだ。彼女の勇気と行動力と、望む未来を掴み取ったそのすべてに、どれだけ励まされたかわからないのだから。
諦めなければ、望みは叶うのだと……そう証明してもらった気がするから。
だからこそ、彼女のその努力を無駄にさせてはいけない、と。
「それに、まだ何も終わってはいませんから」
「うん、そうだよね。皆さんがこのお家で安心して暮らしていけるように、今度はあたしたちが頑張る番です」
「とりあえず、住人の安全を確保するために専門家を呼びたいんですが、いいですかね?」
そう思ったのは、どうやら皆同じだったようで。同意を示した麻衣に続いて、いつからいたのか典子を伴って部屋に入ってきた滝川が具体的な提案を口にした。
松崎に支えられひとまずベッドに腰を下ろした典子と、その隣に座る香奈は揃って訝しげな顔をする。
「専門家?」
「医者と一口に言っても、外科医や精神科医というふうに専門とする分野が分かれてますよね。俺ら拝み屋にも同じように得手不得手があるんです。俺をはじめとする僧侶の間では、人に憑いたものを落とすのはタブーだといわれてるぐらい不得手な分野なものですから、憑き物落としの専門家を呼びたいんです」
「取り、憑かれて、いるの? 礼美、が?」
滝川の説明を冷静に聞き得心がいった表情で頷いてみせた香奈とは違い、典子は驚きを刻んだ表情とやはりといった色をにじませた声音で問い返す。
それにはナルが淡々と答えた。
「この家の所有者を遡ってみた結果、8歳前後の子供ばかりが事故や病気で亡くなっていることがわかりました。それは住民のみならず親戚や近所の子供など、この家に足を踏み入れた子供も含んでいる上、引っ越したあとでも亡くなっており、物理的に距離を取ることでは害を逃れられないようです」
「そんな……っ」
「……大本というのは、わかったの?」
初耳の無情な現実に顔を覆った典子の背を、香奈は優しくさする。そして、以前の説明から、解決のアテが見つかったのかをナルに問いかけた。
ナルはやはり態度を変えることなく、説明する。
「隠れている場所の当たりはつけられましたが、犠牲となった子供たちが邪魔で、正体や何故8歳前後の子供限定で求めているのかということまではわかっていません。祓うにしてもそれが不明のままでは効果的な対処ができず、探っている間に礼美ちゃんを連れていかれる可能性があります」
「だから、まずはおチビさんにまとわり憑いているものを引きはがして安全を確保したいんですが、構いませんかね?」
ナルの説明を受けてその結果を改めて告げた滝川。
典子と香奈は一度目を合わせたあと、揃って力強く頷いた。
「もちろん」
「むしろ、こちらからお願いします!」
「ジーン」
「わかった」
「ぼーさん、一室清めて封じることは可能か?」
「そりゃできるが、数が多いし、いつまで保つかの保証はできねえぞ」
「ジョンが来るまで――いや、夜が明けるまでもてばいい。すみませんが、今夜は三人一部屋で過ごしていただけますか?」
「それなら、私の部屋ならダブルベッドがあるわ」
「了解!」
「護符を室内に貼れば、多少強化できるかもしれない。用意してくるから、少し待ってて」
「念のため、カメラも設置させていただきますが、よろしいでしょうか」
「「 はい 」」
依頼人の許可を受け、ナルが次々と指示を出し、皆が慌しく動きだした。
その中、最後に出たものは――表向きは依頼人への承諾を求めた言葉だったが、裏に含まれていたのは己への忠告。
は、真っ直ぐにナルを見て、小さく頷いた。
ここから先は、プロである彼らの領域であって、己が自ら行動を起こすような何かはもうないから、カメラがあっても多分大丈夫だろう。
己にできる残った選択肢は、ラファエルの加護が周囲に及ぶことを願って、依頼人の側を離れないことだけ。
そうして、彼らがすべてを終わらせてくれるのを待つだけだ――と。
このときは、確かにそう思っていたのだった。
香奈の寝室に滝川が結界を張った上で、室内には松崎が書いた護符も数枚貼られ、更に住人にも護符を持たせて部屋に入ってもらった。
滝川はともかく、松崎のほうはイマイチ信用できないのが正直なところなのだが、ジーン曰く護符が目隠しになっているらしく移動することに気づいてる霊はいないとのこと。除霊力はなくても護符に関しては効果があるらしい。
取れるだけの対策で守りを固め、万が一に備えてカメラも設置した室内には、松崎とが待機することになった。
既に泣き疲れて眠っていた礼美と、何故か一番を信頼している節のある香奈はすぐに眠りについたようだが、怪我も含めて衝撃的なことばかりあった典子は当然ながら寝つけずにいる様子。
典子の側に椅子を置き彼女と小声でしばらく話をしていたが、眠る二人を起こさない声量で歌い始めて間もなく。やっと眠ることができたらしい。
それらをモニター越しに見守っていた滝川が、ふと思い出したように問いかけてきた。
「そういや、黒幕の居場所がわかったって?」
「ぼーさんのアレ、えっと、真言? ってので反応があったよ」
「どこだ」
「居間」
「つーことは、今度は居間で除霊してみるってか?」
「ああ。だが、まずは住人の安全を確保してからだ」
「ジョンが着いてからってことな。オーケイ」
状況を知る由もない滝川に端的に教えると、すぐに次の手の確認をしてきた。
このあたりが松崎と違って信用できるし、頼もしくも思えるポイントだよな――と。
そんなことを考えていた麻衣は、ふと違和感を覚え口を開いた。
「ところで、ぼーさん。ミニー、ほんとに焼いたの?」
「んあ? どこにんな余裕あったよ? あのまんま、おチビさんの部屋に置いてきたぞ」
「え? でも、ないよ、どこにも」
「なんだって?」
麻衣が指差したモニターへと、全員の視線が集まる。
違和感は、礼美のベッドの上に座らせてあったはずの人形の姿が消えていたことだった。あの騒動の前には確かにあったのに……否、ベースに戻ってきてからも一度確認したときには映っていたのに、今は忽然と消えているのだ。
他のモニターを確認してみるが、どのカメラもその姿を捉えてはいなかった。
滝川が舌打ちする。
「逃げやがったか」
「リン、子供部屋の映像を再生し――」
――ドンッ!!
ナルが異変を確認しようと指示を出したときだった。凄まじい音が家中に響き渡ったのは。
そして、スピーカーから流れる、沢山の子供の声、声、声。
言葉という形にならないまま幾重にも重なる叫びにも似たそれは、どこか焦燥感を含んでいるように聞こえる。
「……なんか、苛立ってる?」
「うん、礼美ちゃんが見つからないか、近づけないかで苛立って、捜し回ってるよ」
「香奈さんの部屋の様子は?」
「住人に目覚めた様子はありません。松崎さんとさんの様子にも変化はなく、歌声も続いています」
「この凄い音、聞こえてないってこと?」
「ナルの読みどおり、ひとまず結界が効いてるってことだな。だが、持ち堪えられる自信はねえぞ、はっきり言って」
「松崎さんが動きました」
――バチンッ。
滝川が素直に己の力不足の可能性を告げたとき、リンがその実現を警告した――刹那。大きな音とともに、周囲は一瞬で真っ暗になった。
まるでブレーカーが落ちたかのようだが、予備電源に繋がっているはずのパソコンの画面すら消えていて、明るさに慣れた目では完全な闇の中だった。
「なに!? 停電!?」
「麻衣、落ち着いて」
「動くな!」
不安と恐怖を紛らわせるように声が大きくなった麻衣の側で、ジーンの声がした。同時に腕に感じるぬくもりが僅かな安心感を与えてくれる。ナルの力強い声も勇気となって、ただ事態の変化を待つことができた。
とはいえ、闇に閉ざされていたのは、おそらくほんの数秒のことだったのだろう。前触れもなく明かりが戻ったときには、あの大きな音も声もピタリと止んでいて。
何事もなかったかのように映像を映し出すモニターの中で、タオルのようなものに包んだ何かを抱えて松崎が部屋を出ていった。
程なくして足音が近づいてきて、血相を変えた松崎がベースへ飛び込んできた。
「ちょっと、ミニーがこっちに来たわよ!? どういうこと!?」
「え!? その中身ミニー!?」
「そうよ。急に窓も開けてないのに風を感じたと思ったら、真っ暗になっちゃって、明かりがついたと思ったら壁に貼った護符が真っ二つになって床に落ちてるし、礼美ちゃんの足元の布団が不自然に膨らんでたからめくってみたらミニーがいるし、一体なんなの!?」
ナルにタオルにくるんだ人形を押しつけながら、一気に状況を説明した松崎。怒っているような口調だが、顔色はあまり良くない。というか、白いようにすら見えるのだが……恐怖心を無理に抑えようとしている、のか?
「でかい物音とか子供の声はしなかったのか?」
「なによそれ。あの子の歌声以外は静かなもんだったわよ」
「クライアントは?」
「眠ったままよ」
滝川の問いに、松崎は怪訝な――というよりは、嫌そうな表情で答えた。ナルの確認に対しても、端的に返して……何だろう、どこか彼女らしくないように見える。
松崎の様子に麻衣が首を傾げていると、滝川は溜息を落としてナルを見た。
「一応効果があったとはいえ、やっぱいくらももたんかったか……結界、張り直すか?」
「いや、もうすぐ夜が明ける。ぼーさんはジョンが来るまでミニーを預かっていてくれ。もう逃げないように」
「了解」
「松崎さん、もう一度護符を書いて貼っておいてください。壁と、ベッドにも」
「わかったわ。それはいいけど……あの子、一体何者なの?」
「……同じ質問を繰り返すのは愚の骨頂だと思いますが?」
「何かあったんですか?」
ナルの指示に素直に応じるあたりがらしくないが、ふざけていられる場合ではないからか――と、思ったのは一瞬のこと。
昼間と同じ質問をぶつけてきた彼女に対する双子の対応は、片や嫌味の平常運行、片やきょとんと問い返すというもの。
しかし、何もなかったことはモニターを見て知っている。停電していた間に何かあったのでなければ、ジーンの対応も嫌味になりかねないものだ。
それがわかってなのか、顔をしかめた松崎はそっぽを向いて、言った。
「何もないわよ……何もないからこそよ!」
「どういうこった?」
「だって、こっちではポルターガイストが起きてたんでしょ? それなのに、こっちは何もないなんて変じゃない」
「結界が効いてたからだろ」
「そうじゃないの! あんな……家具を軽々動かして、足首脱臼させるほど強い力を持った霊が、力ずくで結界を破っておきながら、そよ風程度の異変しか起きないほうが不自然でしょ!? 護符だって全部真っ二つに裂けてたのに、人形が現れただけなんて、ありえる? そんな程度で済む相手じゃないでしょ!?」
……確かに、言われてみればそのとおりだ。これまでの挑発的な感じじゃなく、形振り構わない切迫した様子だったことから見ても、礼美を連れていかれててもおかしくはなかったはずだ。
結界の内と外との差があまりに大きすぎる気は、確かにするが……
「それって、ぼーさんの結界? を、破るのに力を使いすぎちゃったとかじゃなく?」
「そうであってほしいとこなんだがなー……悪いが、そこまで消耗させるほどの力の差じゃあねえな」
麻衣の素人目線の可能性は、滝川本人によって除外されてしまった。
とはいえ、答えがわからないのは同じなのか、それを求めるように視線はナルへと向いた。
ナルはといえば、その視線がうっとうしいように顔をしかめて。
「彼女が何かしたとでも?」
「何もしてないのは一緒にいたアタシが一番よくわかってるわよ! でも、思ったんだもの……あの程度で済んだのは、あの子がいたからだって……」
「……何が仰りたいのかわかりかねるのですが」
「アタシにもわからないのよ! 理屈じゃないの……ただ、ホントにそう思ったんだもの……」
やはり、いつもと様子が違う松崎。誰とも目を合わせようともせず、自分の体を抱くように腕を強く掴んでいる姿は、何かに耐えているようにも見える。
何か、とは――と考えて、麻衣は思ったままを口にした。
「……巫女さん、ひょっとして怖いの?」
「バカ言わないで。アンタと同じタダの小娘相手に恐怖を感じる要素がどこにあるっていうのよ」
あっさりきっぱり否定を返した松崎だが、様子は全く変わっていない。
むしろより一層、自分を抱くように腕を動かして。
「……そうよ、これは恐怖なんかじゃない……真っ暗になったあの一瞬、アタシは、あの場にいるのが畏れ多いと感じたのよ……」
畏れ多いって……それこそ一介の高校生相手に思うことじゃないだろう――と。
半ば呆れた麻衣だが、それを口にすることはしなかった。
ようやく相応しい言葉に辿り着けたらしい松崎のその真剣な様子にか、滝川も軽口ひとつ叩かず、あのナルでさえ神妙な顔で考え込んでいたからだ。
「ねえ、あの子……後ろに何かついてるんじゃない? あの子を守る、何かとてつもなく強いモノが……」
誰に向けたわけでもない問いに、答える声はなかった。
「……ねえ、あれ、何?」
新たに作った護符を手にベースを出ていこうとした松崎が、入り口で足を止め、呟くように言った。
ベース内にいた者は一様に怪訝な表情をし、誰からともなく顔を見合わせ、モニターを確認する。けれど何の異変も映ってはいない。
元より様子のおかしかった松崎の尋常ではないそれに嫌な予感を覚えつつ、ジーンは麻衣とともに彼女の後ろへと移動して――同じように立ち竦んだ。
わるい こには ばつを あたえる
カメラの死角となる高さ3メートルの白い壁に、赤いクレヨンを使ったようないびつな子供の字で、そう書かれていたのだ。
「悪い子って……」
「まさか、礼美ちゃん……?」
「だろうな。礼美ちゃんは話してはいけないと言われていたことを話してしまったのだから」
「そんなっ!」
「麻衣、礼美ちゃんの傍から絶対に離れるな」
「あ、うん!」
「他の者も礼美ちゃんの周囲の警戒を怠らないように」
「了解」
「とりあえず、朝までは松崎さんとに任せます」
「え、ええ、わかったわ」
呆然とした己と麻衣の呟きに、ナルはどこまでも淡々と言葉を紡ぐ。冷静なその指示に誰も否を唱えることはなく、松崎でさえ気を取り直したようにぎこちなく頷き持ち場へと戻っていく。
階段を上っていく後ろ姿を見送って、ジーンは溜息をついた。
黒幕の正体がわかれば、もっと有効な手立てを講じられるのに……トランス状態になれないだけで、ここまで役立たずになるとは正直思ってもみなかったから。お荷物な己に対する失望、落胆の表れ、だった。
――だから。
「住人が起きだす前にあれを消そう。それが終わったら、ジーン」
「――え、何?」
「ベースで一度、トランス状態になって全体の動きを確認しろ」
……危険だからとトランス状態を禁じた本人がそれを求めてくるなんて……それだけ緊急性が増しているということなのだろうけれど。
ジーンの心は事態の深刻さよりも、ただ必要とされ、役に立てることへの喜びが湧き上がっていて。
「Yes,sir!」
ビシッと敬礼してみせて、脚立を取りに駆けだした。
そして、ふと思う。
一昨日、が泣いたのも、こんな気持ちからだったのかもしれない、と。
滝川の張った結界が松崎の護符ごと破られ、ほんの数秒間完全な闇に閉ざされた。ぼんやりと明かりの戻った室内には人形が出現していたが、その後は大きな異変はなく、それら一連の出来事も住人には知られぬまま夜が明けて。
は胸を撫で下ろした。
その気の緩みが眠気を誘ったのか、ついうとうととしてしまったのを見咎めた松崎に勧められ、更には交替に来たというジーンにも促されて、別室で仮眠をとることにした。
そう、仮眠。ほんの一、二時間のつもりだったのに……目が覚めたときには外はすっかり明るく、まぶしいくらいの陽射しが降り注いでいて。
寝過ごしてしまったのかと、慌てて身支度を整えて部屋を出たところ、香奈とばったり遭遇した。聞くところによると、森下一家も今朝はゆっくり眠っていたようで、遅めの朝食を終えて庭へと向かうところだという。香奈の無言の求めに加え、礼美の相手としてか同行していた麻衣や典子にも誘われたので、大手を振ってついていった。
目的地は、あずまや。
真夏にわざわざ庭で過ごすなんて酔狂な、と。何も知らぬ人間なら思うかもしれないが、現在この家にいる人間でそう思う者は誰一人いないはずだ。
奇妙なことが起こる家の中にいるよりは、暑くても明るい陽射しの下のほうがマシだ――と。
大なり小なり誰もが思う中でも、特に強くそう感じているだろう典子を慮った結果なのは明白だったから。
当の典子の様子は……やはり違和感が残ってしまったらしくびっこを引いており、あずまやのベンチで養生している。しかし、その顔には僅かとはいえ笑みがあった。
視線の先は、笑顔で遊ぶ礼美と麻衣。以前のような明るさ、人懐っこさを取り戻した礼美の姿を、安堵を以って見守っているようだった。
そして、それは香奈も同じで。
けれど、その和やかさは長くは続かなかった。
ふと思い出したように香奈が立ち上がったのだ。
「飲み物を用意してくるのを忘れたわ。ちょっと行ってくるわね」
「あ、すみません、お義姉さん」
「いいのよ。礼美ちゃんのこと、お願いね」
「はい」
いくら屋根の下で風通しもいいとはいえ、暑いものは暑い。水分を摂らずに済むわけがない、と。
出てくる前に考えが至らないほどには平静さを欠いていることを突きつけられてか、香奈の表情が僅かに歪んだ。おそらくは、典子に誤解を与えないよう出かかった嘆息を無理に止めたからだろう。
一瞬、香奈と目が合う。
未だ不安を秘めたその視線には小さく笑みを返して立ち上がった。己の存在が少しでも不安を和らげられるのなら、と。喜んでお供する。
勝手口へ向かっていた香奈が、ふと足を止めた。呼び鈴が鳴ったのだ。
可能な限り家の中には入りたくないのか、建物の外を回って玄関へと向かう香奈にはただついていく。
――と、門の外に人影がふたつあるのが視界に入って。
「朝早うからすんません。森下典子さんのお宅はこちらでよろしおすやろか」
「え、ええ、そうですけど……どちらさま?」
「初めまして。渋谷さんから連絡もろたジョン・ブラウンいいますです」
「ああ、憑き物落としの専門家さん?」
「はいどす」
にっこりと人好きのする笑顔で答えたのは、金髪碧眼という見目完璧な西洋人。しかしその口から発せられるのは京都訛りの奇妙な日本語というミスマッチさに、違和感を抱かぬ者はいないだろう。
香奈も、目を白黒させつつ、門を開けて待ち人を招き入れる。
ジョンに続いて、等身大の日本人形を思わせる少女・原真砂子が門をくぐり、会釈した。顔を上げた彼女の視線が、一瞬だけを捉え、どこかほっとした思いを胸に抱く。
香奈へとまずは挨拶しようとしたのだろう。真砂子が口を開いた――刹那。
―― キ ケ ン …… オ ボ レ ル ――
ざあっ、と。突風のように吹き過ぎたナニか。そこに混じっていた幼い子供の声にハッと顔を上げたは、すぐさま踵を返して駆けだした。
池に落ちかけた己を助けてくれた子供……待っていると言ってくれたその声がもたらした警告。それはつまり、礼美の身に危険が迫っているということに他ならない。
警告まで与えて待っていてくれるその思いを無駄にはしたくない――と。
池に向かって一心に走ったは、気づけなかった。
その選択が何をもたらすかなど。
考える余裕なんて、微塵もなかったのだから――……