「ごめんなさいっ!」
どうして、こんなことになってしまったの……? 何が、間違いだったの……?
何の、ために、ここにいるのだった……? ――あの選択自体が、間違いだったというの?
わからない、わからない、わからない……っ。
「落ち着いてくださいまし、さん」
――わかり、たく、ない……っ。
麻衣は、焦っていた。
重荷を全部吐き出してやっと本来の明るさを取り戻したかのように笑ってくれていた礼美が、突如悲鳴を上げた。花を摘もうとして伸ばした手を、何かが茂みの中から引っ張っているかのようで、麻衣が引いてもびくともしない。周囲の小枝を手当たり次第にむしっていくと、不意に手が抜けた礼美は怯えた様子でその場を逃げだしたのだが――
茂みの中には、何もなかった。誰かが身を潜ませられるような空洞さえも。
その事実に恐怖や不気味さを覚えている暇すらなく。
「麻衣ちゃん、止めて! そっちには池があるの!!」
咄嗟に駆けだしたものの、怪我の後遺症のため転んでしまったのだろう。芝生に座り込んでいる典子の鋭い声が追い打ちをかけてきた。
香奈との姿は――ない。典子は見たとおり。つまり今現在、礼美を守れるのは己しかいない、と。
瞬時に判断し、礼美を追って駆けだした。
平時であれば、体格差から追いつくのは然程難しくはないはずなのに……何故か今は妙な感覚がして。うまく表現できないが、何か抵抗のようなものを体に感じて、思うように速度が出ない。
早く礼美を捕まえなければ大変なことになる――と。
直感のような何かが焦りを呼んでいたのだ。
ふと、礼美がこちらを振り返った。そして――
「ミニー! ごめんなさい!! おこらないで! いじわるしないで!!」
己ではない別の場所を見て叫んだ言葉に、麻衣も思わず周囲を――そして背後に目を走らせる。
人形は、滝川が預かっているはず――だが、もしやまた昨夜のように逃げ出して礼美を追ってきているのではないか、と。
そんなホラー映画のようなありえない光景は、幸いどこにもなかった。けれど、ありふれた景色の中だからこそ、却って不気味さを増長して。
見えない何かを振り切るかのように、麻衣は速度を上げた。
「ごめんなさ――」
「礼美ちゃん!」
もう少しで追いつけると思った矢先。何かから逃れるように水際の木を回り込んだ礼美は、足を滑らせて池へと呑み込まれた。
水飛沫が揚がる場所のすぐ隣目がけて、麻衣は躊躇うことなく飛び込む。池は、深かった。己でやっと頭が出るようでは、礼美には深すぎる。
「礼美ちゃん! どこ!?」
手探りしながら見回していると、水面が跳ねて小さな手が一瞬だけ見えた。しかし、顔は出てこない。懸命に水をかいて上がろうとしているらしいその手を、何とか掴んで引き寄せた。
――しかし、引き寄せられたのは、麻衣のほうだった。
碧い靄に染まる視界、襲う息苦しさ。反射反応で咳が出て――しかし入ってきたのは空気ではなく泥くさい水。
本能的な恐怖から、麻衣は何も考えずに水面から顔を出して息を吸い込んだ。
酸素が補給されたことですぐに取り戻せた思考力。こんな状況でも礼美の手を離さなかった己を褒めることで奮い立たせ、どうにかして礼美を水面に引き上げようと彼女の体に腕を回して踏ん張った。
しかし、池の底には泥が溜まっているようで、礼美を引き上げるどころか、むしろ麻衣のほうが沈み込んでしまったではないか。
少しでも浅い岸のほうへ行こう、と。
動かしたつもりの足は、けれど泥の中から引き抜くことすらできず。
それどころか、力を入れていないはずのタイミングでズブリ、と勝手に沈み込んで。とうとう麻衣自身までが水中に沈んでしまった。
何とか水から出ようと、懸命に体を動かす。けれど一向に状況は改善する兆しすら見えず、むしろ動けば動くほど体力と酸素を奪っていって。
―― クルシイ、コワイ、イヤダ、シニタクナイ、タスケテ ――
本能が悲鳴を上げた。
極限の状態で、その思いが、不意に、重なった、気がした。
同じ苦しみ、同じ思い、けれど己のものではない誰かと……
礼美――ではない……
これは……少年、だ……
何故、どうしてと疑問を抱く余裕すら既になく、かすみ始めた意識は――
「お退りあそばせ」
不意に聞こえた声とまぶしい光で一気に鮮明さが戻って。
光を、上を、目指して、水底を蹴った。
すると、あんなにも重くまとわりついていたはずの泥は大した抵抗もなく足を解放して、あっさりと水面に浮き上がることができたではないか。
しかし、その変化すら正しく認識する余裕は未だなく、体の求めるままに大きく呼吸を繰り返して。
目を開け、岸を見上げた麻衣は、思考ごと停止した。
――池の、ほとりに。
青い、瞳の、天使が。
座って、いる――
「礼美っ!!」
典子の悲鳴にも似た声で、我に返った。ありえない光景に停止していた思考が急速に回転し始めたかのように現状を思い出して、抱えていた礼美の体を典子のほうへと押し上げる。
岸から身をのり出した典子と――傍らの天使とが、ぐったりとした礼美の体を水から引き上げて。
ここに至って、ようやく麻衣は危機的状況を把握できた。やっと、本当に思考力が戻ったのだ。――けれど。
絶望するにはまだ早い、と。自らを叱咤して急いで水から這い上がった麻衣は、再び動きを止めた。
芝生の上に横たえられた礼美の体を、光が包んでいる。然して間もなく水を吐き出し、咳き込む礼美の目が開く。光が消え、はっきり見えるようになった礼美は見る間に大粒の涙をこぼして、典子にしがみついて泣き声を上げた。
岸辺に呆然と座り込んで、麻衣はそれらをただ見ていただけだった。
それらを為した天使を――否、それは。
「……」
己のよく知る少女、だった。
心底安堵した様子で泣きじゃくる礼美を見ているのは、間違いなく、だ。折れてしまいそうな細身の、儚い印象を受ける、いつもとどこも変わりない……
なのに、何故天使だなんて思ってしまったのか。
答えは――すぐに出た。瞳の色が青かったことと、何よりその背に純白の翼が――あるように、見えたからだ。
どうしてそんな見間違いをしたのだろう。死を、間近に感じた直後だったからだろうか。それにしたって、天使なんて……幽霊以上に信じられない存在なのに……己はそこまで夢見がちではない、はず。そう、光の所為だ、きっと。
自問自答を繰り返していた思考が、はたと止まった。――刹那。
「麻衣!」
――ざばぁっ。
冷水が、ぶっかけられた。
一呼吸の後、勢いよく顔を上げてみれば、空のバケツをこちらへ傾けている松崎がいて。
「何すんのさ巫女さん!?」
「シャワー浴びるにしろ着替えるにしろ、その泥だか藻だかわかんないもの、先に落とさなきゃなんないでしょーが」
「だからって、いきなり水ぶっかけないでよ!!」
「……それだけ騒げるなら、アンタは大丈夫ね?」
「あ――……うん……」
頭に上っていた血が、ひどく真剣な松崎の声で一気に冷めた。ついでに、諸々の衝撃もどこかに行ったようだ。
それどころか、先程の疑問も、そして掴みかけていたはずの何かすら跡形もなく消えてしまって。目の前の人物に対する疑問へと取って代わられていた。
「巫女さん、いつ来たの?」
「ついさっきよ。丁度、寝ようとしてたところに騒がしい声が聞こえて、窓から外を見たらあの子が池に落ちるところだったの。これでも急いで来たのよ!」
「責めてないよ! むしろ寝てなくて助かりました!」
「……アンタも、バイトの身でよくあの子守り抜いたわね。とにかく、もう少しちゃんと水かぶりなさい」
そういえば、仮眠用としてあてがわれている二階のゲストルームからは池がよく見えたな、という状況確認も、思いがけず向けられたねぎらいですぐさま霧散して。
ただただ、ひとつの危機を乗り切れた安堵に満たされていたから。
だから、気づかなかった。
松崎のに向ける視線が、ゆうべと同じような畏れを含んでいたことに。
麻衣は全く気づくことはなかったのである。
―― キ ケ ン ――
―― ア ブ ナ イ ――
それは、複数の子供からの警告だった。
声というよりは強い思念であるそれを正確に受け取った人間は、三人いた。
は弾かれたように池へと駆けだし、真砂子は頭を抱えてその場にうずくまった。
そして、もう一人――
「うおっ? どしたジン坊――って」
「ジーン、どこへ――」
トランス状態でそれらを見ていたジーンは、瞬時に体へ戻って勢いよく起き上がった。そして、何も言わずにベースを飛び出す。
霊体よりずっと動きの鈍い体をもどかしく感じながら、玄関の扉を体当たりするような勢いで開け放つ。先程『視た』ままうずくまる真砂子の手前に、呆然との走り去った方向を見ているジョンと香奈の姿が――
「香奈さんっ!!」
地を蹴り真っ直ぐに伸ばした手が、振り向きかけた香奈に届く。全体重をかけて突き飛ばした彼女の体を、咄嗟にジョンが抱き留めて――けれど勢いを殺しきれずに一緒に倒れていく。
その、頭上すれすれを。一瞬で通り過ぎた、影。
――ガ、シャアンッ、と。
大きな音を立ててアプローチのレンガの上で派手に砕けて散乱した存在――それは、鎧戸、だった。
「……な……なん……っ」
両手をついて座り込み、肩で大きく息をするジーンの視界に、動く様子などない鎧戸の残骸が映っている。耳に届く香奈の声も彼女の無事を表していて……ジーンは安堵で力が抜けた。
しかし、他の者はそうはいくまい。特に、ジーンが突き飛ばしていなければ大怪我どころか命すら危うかった香奈は、蒼白になって震え上がっている。着いて早々に命に係わるほどの異常事態に出くわした真砂子とジョンも、呆然と壊れ果てた鎧戸を見ていて……無理もない。
『視て』知っていたが故に衝撃が少ないジーンは、大きく息を吐き出し呼吸とともに気持ちを整えてから、真っ先に依頼人のケアに動き出す。
「手荒なまねをして、すみませんでした」
「あ……い、一体……何、が……っ」
「ケガはありませんか?」
「な、ないわ……っ、で、でも……っ」
「立てますか? いったん中へ戻りましょう」
「っ、いや……っ、また、おかしなことが起こるもの……っ」
「大丈夫です。ぼくらが守りますから」
「いやよっ」
「どうしても家が怖いなら、全部片付くまでホテルなどに避難していただいてかまいません。でも、そのためにもまずは憑き物を落としたりとかしなければなりませんから、とりあえずは中へ入りましょう?」
「で、でも……っ」
命の危機にさらされた本能的恐怖で冷静さを失っている香奈。何とか宥めようと話しかけ続けているうちに、衝撃から立ち直ったらしいジョンが抱き留めたときのまま香奈の肩に添えている手に力を込めた。ハッとしたように顔を上げた彼女へと、ジョン特有の人を和ませるあの笑顔を見せて、言った。
「微力ながらボクもお手伝いさせてもらいますよって、安心してください」
「おかしなことが起こる原因を突き止めて解決するために、あたくしたちはこちらへとお伺いさせていただいたのです。どうぞ、もうほんのしばらく、ご辛抱くださいませんか?」
さらには真砂子も――霊障でつらいだろうにおくびにも出さず、香奈の震える手を優しく包み込んで笑いかけて。
他人の手のぬくもりと、向けられた笑顔にか。ようやく落ち着き納得してくれたらしく、小さく頷いてくれて。それでも震える彼女をジョンと二人で支えて、玄関をくぐった。
玄関ホールの一角、ベースとなっている書斎の入り口で何事かを話していた滝川とナルがこちらを見、僅かに眉を寄せた。香奈の様子に事情を察したのだろう二人は、ベースへと招き入れるように道をあけて。
「ジーン、何があった」
「外の、鎧戸のひとつが、香奈さんに向かって落下したんだ」
「――っ、ごめんなさいっ!」
状況説明を求めてきた弟へ簡潔に答えを返したときだった。突然、第三者の謝罪が玄関ホールに響いたのは。
勝手口か、それともテラスから入ってきたのか。玄関ホールの奥側からこちらへ来たらしい庭にいた面々が、やはり驚いた表情で背後を振り返っていて。
その視線の先には、香奈と同じか、それ以上に蒼白になって口許を覆っているの姿が。
小さく何度も謝罪の言葉を繰り返す彼女の目には、もう誰も見えていないようで。どうすればいいのかわからないといった風体の人々の間を通り抜け、真砂子がそっとの肩に手を回し、その背を優しくさする。
「そっちは何事だ」
「あ、えっと、礼美ちゃんが池に落ちて……引き上げようとしたんだけど、ビクともしなくて……溺れ、かけた……」
ぬれねずみな麻衣の姿に思い切り顔をしかめたナルは、返ってきた答えで余計に眉間のしわを深くした。そして溜息により一度気持ちを切り替えてから、松崎を見た。
目が合った松崎は、支えている典子を促して、麻衣と同じくぬれねずみの礼美を浴室へと連れていく。
次にはジョンへと視線を向けて香奈をベースへと連れて行くよう促したあと、「原さん、をこちらへ」と声をかけて彼女たちとともに自らもベースへ向かった。
「まだ日も高いうちから二ヶ所同時たぁ、なりふり構わなくなってきたって感じだな」
「……うん、ここからが正念場、かな」
「ねえ、ジーン。池で溺れて死んだ子って、男の子?」
見送っていた滝川の呟きに気を引き締めた、そのすぐあとで。麻衣が急に言った問いで直前の覚悟は消え、滝川と二人、きょとんと目を向ける。
「え……うん、そうだけど?」
「んあ? どしたよ急に」
「うん……溺れかけたときに、なんか、そう思ったの。あたしと同じ思いを、同じ苦しさを感じてる男の子がいる、って……」
「見えた、じゃなくてか?」
「うん。なんて言ったらいいのかわかんないんだけど……感じた」
「そっか……とにかく、麻衣もシャワー借りて着替えておいでよ」
「うん、わかった」
ぱたぱたと足音軽く去っていく背を、意外な思いで見送る。
それは滝川も同じだったらしく。
「……麻衣、案外ポテンシャル高ぇんじゃねーの?」
「多分ね……こういう現象に係わって、眠っていた能力が触発されて開花しちゃった可能性はあると思う。でも、今はそれよりも……」
「ああ、ジョンも着いたし早々に手を打たねえとな」
「うん、これ以上の被害が出ないように」
意外な才能の開花よりも、今はこれ以上事態を悪化させないことのほうが重要だと、ジーンは思った。
――そう、これ以上、の負担を増やしてはいけない……
根底にある思いは違いながらも同じ目的を確認し合い、ジーンもまた滝川とともにベースへと戻った。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ」
「落ち着いてくださいまし、さん。一体何をそんなに謝っていらっしゃいますの?」
ベースとして使用している書斎から続く、仮眠室だという隣室に案内され、を伴って入った真砂子は彼女を落ち着かせようと努めていた。
周囲を正しく認識できていないようなの意識を己へ――現実へ戻そう、と。ベッドに座らせた彼女の隣に己も座り、背をさすり、肩を抱き、または手を握りつつ懸命に話しかけているのだが、一向に改善の兆しはない。
病院に通わねばならぬ彼女の現状を目の当たりにし、また己の無力さを突きつけられて、真砂子は唇をかんだ。
――何が、役に立てることがあるかもしれない、だ……己は何を思い上がっていたのだろう。慰め力づけるどころか、落ち着かせることすらできないではないか。
それでも……彼女の幸福を願う気持ちは本物だから。どんなに無力でも、自分にできる最善を尽くすだけ、と。
「あなたが謝ることなど何もございませんわ。誰にも被害は出ておりませんもの。ですのに、何をそんなに悔やんでおられますの?」
「――……」
「どうか、現実をごらんになってくださいまし。あなたは何も失ってはおられませんわ。それなのに……あなたがお一人で苦しまれるなんて……あたくしには、そのことが何よりもつらいですわ……」
「……ごめん、なさい……」
祈りを込めて、声をかけ続けた。けれど、やはり変化は見えなくて。
医師でなければもうどうにもできないのだろうか、と。諦めがじわりと心に広がり始めた――そのとき。
「……香奈さんの、力に、なりたかったの……」
初めて、謝罪以外の言葉が出てきて。
そっとを覗き込むと、それまで硬くこわばっていた体から力が抜け、顔を覆っていた両手がゆっくりと下ろされていって。けれどその目は自分の手を見たまま、こちらを向くことはなく。
「礼美ちゃんは、麻衣ちゃんたちが見ているから……わたしは、香奈さんを見ていようと……そう思ったの……成長、するためには、自分を制限しすぎては、いけないって……みんなが、教えてくれた、から……できることを、頑張ってみようって……だから……」
「さん……」
「困難に、立ち向かって、望む結果を手にした香奈さんの姿に、とても、励まされた、から……力を、勇気を、もらった、から……香奈さんを、守り、たかった、のに……っ、彼女の傍を離れてしまった……っ! その、所為で……香奈さんに、危険が……っ!」
「どう、して……それが、あなたの所為なんですの?」
「っ」
ぽつり、ぽつりと語られる経緯、そして思いに。
耳を傾けていた真砂子は、けれどどうしても腑に落ちない言葉に対し、疑問を投げかけてしまった。
するとは息を呑み唇を噛んで、また身を硬くする。
――ああ、そういえば、自分の能力を記録に残すわけにはいかない理由がある、と。そう言っていた……つまりは、治癒以外にも持っている能力に関する後悔、ということなのだろう。
そう思ったけれど、真砂子は言葉を止める気にはなれなかった。
何故なら、隠している能力について知りたいわけではなく、ただ彼女が一人で背負い込んでいる重荷――おそらくは、負う必要もないはずの自責の念を降ろさせるのが目的だから。
だから、ただ客観的事実を――が見るべき現実を、言葉にする。
「あのとき、離れて行かれましたのは、誰かを――より危険が迫っていたほうへと手を差し伸べられるためだったのでございましょう? そうして確かにお救いになられたのでございましょう? どうして、それを責められましょうか」
「でも……っ、あの場にとどまっていれば香奈さんに危険が及ぶことはなかった……っ!」
「その代わり、礼美ちゃんと麻衣は命を落としていただろうね」
突然の第三者の声に、も真砂子もびくっと体を震わせてしまった。同時に顔を向けたそこには、ジーンが立っていて。
いつの間に――と思った真砂子は、すぐにその理由がわかり緊張を解いた。
そしての様子に注意を向ける。
床に膝をついて見上げてくるジーンを、は蒼白な顔色のままそれでも真っ直ぐに見返していて。
「あのとき、が香奈さんの側を離れるのを待ってた子供たちがいたのは事実だよ。でもね、がすぐに池に向かってくれなかったら、誰も間に合わなかった。礼美ちゃんと麻衣は、溺れて死んでいたよ」
「でも……っ」
「の代わりに、ぼくが香奈さんの元には間に合えた。だから、誰も犠牲にならずに済んだ。の判断は、間違ってなんかいないよ」
「あたくしも、さんの判断は最善であったと思っておりますわ。ですから、どうかお一人ですべてを背負い込もうとなさらないでくださいまし。でなければ、側にいる意味がございませんわ」
「うん。一人でできることなんて高が知れてるし、一人で生きていける人間なんていないよ。みんな誰かに頼って生きてるんだから、もっとぼくらを頼ってよ。ね?」
ぱた、と。雫が落ちた。
ひとつ、ふたつと服にシミを作ったそれも、両手が受け皿となったことで止んだ。
――が、泣いていた。
「……ありが、とう……っ」
顔を覆ってしゃくり上げる合間に、小さく聞こえた感謝の言葉。
ようやくこちらの言葉が、思いが届いたことを告げるそれに、真砂子は微笑んでの肩を抱き、そしてジーンは――
ぽんぽんとの頭を撫でたあと、空気に溶けるようにして姿を消した。――霊体、だったからだ。
今、幽体離脱して来ていたジーンを見て、ジーンと会話できていた……それらは、彼女に霊視能力があるということを証明している。先程、突然走り去ったのも、あの子供の霊による警告を正確に受け取っていたからだと確定した。
治癒能力に加え、霊視能力――そして、おそらくはまだ他にも特殊な能力を持っているのだろう。だからこそ、香奈を自分で守れなかったことを責めていたのだろう。
だが、それらは真砂子にとって大したことではなかった。がどんな能力を持っていようと、願うのはただ彼女の幸福だから。
だからこそ、今はただ、孤独だという思い込みによって不必要に背負ってしまっている自責という『闇』から抜け出すための一歩を彼女が踏み出してくれたことを。
真砂子は喜び、また安堵していたのだった。
ノックの音に真砂子が応対する間に、は涙を拭ってのろのろと顔を上げた。――ナルだ。
扉の前に立つナルは、観察するようにこちらを見たあと、口を開いた。
「今、ジョンに森下一家の祈祷をしてもらっている。それが済み次第、彼女たちにはホテルへ一時避難してもらうつもりだ。――、君は、どうする?」
ここでリタイヤするか、という言外の問いかけ。それは、リタイヤを申し出れば許可するという意向の表れではあるが、彼の目は――
――克服するために関わることを選んだのだったら、吸収できるものはすべて自分のものにすべきだろう――
昼食に連れ出された時に言っていた言葉を雄弁に語る、厳しい色を映していて。
は、深呼吸をひとつし、真っ直ぐに彼を見て、答える。
「……ホテルへ、行きます」
元より、リタイヤする気はなかった。今、ここで帰るのは、単なる逃げでしかない。それこそ今までと何ひとつ変わることのない繰り返し――悪循環だ。
ナルの言うとおり、己の闇を克服するためにこの場にいるのだ。だったら、最後までやり遂げなければ意味がない。たとえ……香奈に責められ、なじられたとしても……それに、耐えなけば……何も、変われないから。
「わかった。原さん、ジョンとともに依頼人のほうをお願いします」
「わかりましたわ」
満足げに頷いたナルは、手短に指示を伝え部屋を出ていった。
あたたかなぬくもりに手を包まれ目を向けると、優しく微笑んでいる真砂子と目が合う。
――大丈夫、一人じゃない。みじめなあがきでしかなくとも、それを認め、そして支えてくれる人がいてくれるから……
笑い返すことはできなかったけれど、は真砂子の手を握り返して、ゆっくりと立ち上がった。