「すみませんでした」
香奈に向かって、は深々と頭を下げた。
そのままの姿勢で止まってしまって顔を上げることができないのは、恐れと弱さの表れだ。
責められ、なじられても、甘んじて受け入れて耐えなければ――と。覚悟はしていても、こわいものはこわい。
そもそも、決意と覚悟だけで変われるのなら、今、己はここにいない。決めたことを実行してこそ、変化が生まれるのだから。
つまりは、これが本当の第一歩、と。
判決を待つ被告人の心地でいるに対して、向けられた言葉は。
「……何故、あなたが謝るの? 礼美ちゃんを助けに行ってくれただけでしょう? あなたがいなければ礼美ちゃんは助からなかったと聞いたわ。感謝こそすれ、責める理由なんて、あるわけがないじゃないの。――ありがとう」
一片の陰りもない、感謝で。
恐る恐る顔を上げる。きょとんと見上げてくる礼美の肩に手を置く香奈は、言葉の示すまま微笑んでいて。
背にそっと触れる何かを感じて目を向ければ――ほら、大丈夫でしたでしょう? と雄弁に語る優しげな笑みの真砂子の姿。
――イレギュラーな己がいる所為で、もはや未来は原作どおりにはならない、と。
真砂子が大怪我を負ったことで突きつけられた。だからこそ、香奈の側を離れてはいけなかったのだ、と……そう、自責の念に囚われてしまった。
それが間違った考え方だと諭してくれたのは、真砂子とジーン。
――けれど。
二人がそうしてくれたのも、そして今、香奈が己を責めないのも、この世界において己がイレギュラーな存在であることを知らないからだ、と。
どうしても、否定的な思いが湧き上がってしまう。
その原因は何か? 簡単だ。自責も罪悪感も根強く残っているからだ。拒絶されることを恐れながらも責められることをどこかで望んでいるのは、自分で自分を責める苦しみを和らげてほしいからに他ならない。
――なんて身勝手なのだろう……そう思うこと自体が自ら闇に留まる行為だと気づかせてもらったはずなのに、また逆戻りしている……
悔しさにあふれた涙ごと、情けない顔を隠すため、再度深々と頭を下げる。
その脳裏に蘇るのは、ナルの厳しい眼差しと言葉。
――そうだ。逆戻りしていると気づけたのだから、再びそれを断ち切り捨て去らねば。何度でも、気づくたびに、繰り返し繰り返し……その鎖が、完全に消え去るまで。
つまり、本当の、本当に、これが闇を抜け出すための第一歩だったのだ。
――だから。
「……こちらこそ……っ、ありがとう、ございます……っ」
気持ちを、覚悟を、新たに。
顔を上げたは、真っ直ぐに前を見据えた。
ホテルへ向かう六人全員が乗れる大型タクシーを手配し待つ間に、ジョンが森下一家を浄めて悪霊に対する封印を施し、さらに松崎が作った護符で真砂子たち護衛組を含めて霊への目隠しとした。
もうすぐタクシーが到着しようかという時分にようやく仮眠室から出てきたは、必要のない謝罪を香奈にして。真砂子は胡乱な目を向けつつ、松崎から籠城用の護符を受け取って。
到着したタクシーに乗り込み家を離れて行く一向に注目する子供が誰一人いないのを、ジーンは弟がトランス状態と呼ぶ霊体で視ていた。
ネガティブフィルムのように明暗が逆転した風景の中、輪郭だけを残して透けて見える建物に、生きた人間だけが鮮やかな色彩を持ったままで動いている。
ほぼ全員が居間にいた。麻衣と松崎が、除霊に臨む滝川の準備を手伝って家具を移動させたり、場を浄めて修法壇とやらを設けたりしている。ナルとリンは追加で機材を設置していて――そんな彼らの様子を窺うように、半透明の青白い光が無数、居間を中心にして漂っていた。光ひとつひとつが、霊、だった。
家中にある光の中で、明らかに異質な光が五つ。ベースのソファに横たわるジーンの体をぐるりと取り囲んでいるそれらは、リンの式だ。空の体に憑依されないよう守ってくれているのだ。
――はじめから、そうしてくれればいいのに、と。
甘えた考えだとわかっていても愚痴りたくなる気持ちを、ジーンはぐっと抑え込んだ。
逆にいえば、そんな手段を取らなければならないほど、もはや猶予がないということだからだ。
――己のやるべきことは、黒幕の正体を暴くこと。
気を引き締め直し、ジーンは床下に目を凝らす。
『オン、サッバタ、ハナマダ、ノウキャイン、ミ』
滝川の除霊が始まり、青白い光――子供たちは次々と逃げるように居間を出ていく。子供たちで隠れて黒い影にしか見えなかったものが、徐々に輪郭を現してくる。
逃げる子供を追うように、黒い影が床下から上がってきた。それだけで、怪現象を起こすほどの、すさまじい負の感情の塊――欲するものが手に入らない苛立ち、邪魔をするものへの怒りと憎しみ……それらに覆われている、根本的な思いは――
まだ見えない正体を視ようと、ジーンは黒い影に近づいた。
「来ないで!!」
「っ!?」
突然、目の前に少女が現れた。静電気のようなものにも襲われたが、弾き飛ばされることはない。小さく息をついて、ジーンは少女と向き合う。
少女は、最初の犠牲者、立花ゆきだ。着いて早々にジョンにまず人形を祓ってもらい、滝川が焼き捨てたので、黒幕の元へ戻ってきたのだろう。通せんぼでもするように、小さな体で両手を目一杯広げて立ちはだかっている。
剥き出しの感情は、黒幕と同じ苛立ち、怒り、憎しみ。同化している上に、これだけ近くにいれば引きずられるのも当然だが、ゆきのそれらは黒幕の影響ではない。
「だれも、近づかせない! お母さんは、あたしだけのものなんだから!!」
「……『お母さん』?」
ゆきの言葉で拾いやすくなったのか、黒い影の輪郭が定まった。
ゆきよりも大きいその影は、確かに大人のものだ。特徴的な頭の形――あの髪型は、確か着物を着る時に結わうものだったはず。今では珍しいが、それが日常のものであった時代の女性のようだ。
「……とみこ……」
黒い影の女性が呟いた。そして、スッと滝川のほうへと動く。
気づいたゆきが女性を振り返って。
「お母さん! ここにいる! あたしがいる! お母さんのほしいもの全部あたしが集めるから! だから、こっちを見て!! あたしを見てよー!!!」
ゆきの悲痛な叫びに、けれど黒い影の女性は見向きもせず。すれ違う二人の感情で怪現象が大きくなった。
あまりに切なく痛々しいゆきに言葉をかけようとして――ジーンは口を噤んだ。
どれだけ光を――正の感情を吹き込んであげても、黒幕がいる限り子供たちは浄化できない。が言っていたことは、ジーンも何度も試みて身にしみていたから。
ぐっ、と。拳を握り締め、言葉を呑み込んで。黒い影の女性へと近づいた、そのとき。
『ぼーさん!』
『バカ! 来るな!』
扉が開いて、滝川の制止も聞かずに麻衣が飛び込んできた。
無防備な麻衣へと黒幕の注意が移ったのがわかり、咄嗟にジーンは駆けだす。ゆきを振り切り、己が霊体であることも忘れて、麻衣の首を絞める女の手に掴みかかって――
『ナウマクサンマンダ、バザラダン、カン!』
流れ込んできた他人の感情の渦に呑み込まれ、ジーンの意識は闇に塗り潰された。
怪現象を起こしているものの正体が掴めないまま行なう除霊は、相手が強いほど確実性に欠けるもの。特に今回は賭けといえるほど危険性が高いとのことで、少しでも依頼人の安全性を高めるため震源地である自宅から離れて駅前のホテルに避難してもらった。
部屋に着くと早々に、真砂子が松崎から渡されたという護符を室内に貼っていくのを、ジョンはとともに手伝った。
それが済んだあとは、もう何もできることはない。除霊が成功するのを祈るだけ。もし万が一にも失敗した際に、依頼人を守るだけだ。
待つしかすることがないのは、依頼人も同じ。けれど、ごく普通の生活を送ってきた者にとって、悪霊などという常識では量れない存在と係わることがどれほど負担となることか。目に見えず、自分の力では太刀打ちできない存在に狙われる、その不安と恐怖はどれほどのものか。
硬い表情でソファに寄り添い合う姿に、胸が痛む。
何とか励まし、少しでも楽になってほしい――と。
「礼美ちゃん。ひとつ、お話を聞かせてあげましょうか?」
ジョンが口を開くより先に、がそう声をかけて。
礼美だけではなく、典子も香奈も興味を向けたのを見計らい、は穏やかな声で語りだした。
「人はね、生まれてくる時に天界の長と、人生を懸けた夢を三つ叶えることを約束するの。すべて叶えられると、また長の御許に呼ばれて天に召されることができるのよ」
「てんかいの、おさ?」
「神様のこと。生命を造ってくれた存在よ」
「みっつの夢をかなえるために生まれるの?」
「ええ。でも、生まれた時にみんなどんなことを約束したのか忘れちゃうから、まずはそれを見つけなきゃいけないの」
「見つけられなかったら、天国に行けないの?」
「……見つけられないように、邪魔をする悪い存在がいるの」
「え!?」
「その人が約束したのとは違う三つの夢を――願いを叶えることで、その代償に魂を、いのちを食べてしまう闇のしもべがいるの。だから、願いを叶えてあげるとか、守ってあげるとか囁きかける声が聞こえたら、きっぱりと断わらないと、くらーい闇の中に落ちて出られなくなっちゃうのよ」
「……っ」
「そして、同じように他の人の夢を邪魔して、いのちを奪う、不幸を呼ぶだけの存在になっちゃうの」
最初は何かの神話か昔話の類かと思った。けれど全く聞き覚えのない内容で戸惑いを覚えたのは、ジョンだけではなかった。
香奈も典子も、怪訝そうに耳を傾けていたが、ここにきての意図が見えてきたのも、同じだった。
これは、礼美のための――礼美を守るための、寓話だ。
本人も気づいた模様。不安げにを見上げて、言った。
「……それって、ミニーたちのこと? ミニーたち、礼美を食べようとしてるの?」
「お人形は、普通、お喋りしないものよね? でもミニーはお喋りできた。それって、おかしなことじゃないかしら?」
「……おかしい、の……?」
「ミニーが連れてきた家来の子たちは、勝手にお家の中に入ってきたのよね? お家の人の許しのないまま他人の家に入ることは、おまわりさんに捕まるほど悪いことよ。でも、香奈さんも典子さんもその子たちに一度でも注意した?」
「してない」
「それは、どうしてだと思う?」
の問いかけに、礼美は答えを失った。わからない答えを求めて、典子と香奈に目を向ける。
二人は顔を見合わせたあと、ひとつ頷き合って。
「私たちには、礼美以外の子供の姿は見えなかったわ」
「もし見えていたなら、礼美ちゃんのお友達だったなら、ちゃんと人数分のおやつを用意したりしたはずよ」
「ちゃんの言うとおり、勝手にお家に入ってきていたら注意だってしたと思うわ。お友達の家にお邪魔する時は、まずお友達の家族にちゃんとご挨拶するのが礼儀だもの」
「たとえ、よその子供でも、悪いことをしたら注意するのが大人の役目なのだから」
大人視点の、常識的な答えに。
不安な表情で考え込んでいる様子だった礼美は、不意に俯いてぎゅっとスカートを握り締めた。
「……ミニーたち……ほんとうは、いないモノ、だったの……?」
そうして、震える声で紡がれた言葉は。常識を――大人の考えを受け入れようと必死でもがく子供の懸命さがにじんでいて。
それはまるで大人へと一段階羽化しようとしているようにも見え、応援したくなった。
そう感じたのは、見ていた誰もが同じだったのだろう。香奈も典子も、礼美の頭を撫で背をさすって。
「少なくとも、ご家族にお友達だと紹介したら、困らせて悲しませてしまいますわね」
「お友達ゆうのは、相手のことを一番大事に考えてくれはる人のことでおます。礼美ちゃんを大事に思ってくれはって、礼美ちゃんが大事にしてるものを大切にしてくれはる人が、ほんまにお友達なんやです」
真砂子も。そしてジョンも。少しでも助けになるように、と。言葉を届けて。
礼美の手に、さらに力が加わる。見るからに肩が震えて、泣いているような――泣くのを耐えているような。
「じゃあ、やっぱり、ミニーたちは、礼美を食べるために、うそでやさしくしてくれただけってこと? うそだったから、言いつけやぶると、ひどいことしてきたの?」
「礼美ちゃん。まだ痛いところ、ある?」
「うん……っ、ミニーにつねられたりしたところ、いっぱい……っ、今も、いたい……っ」
「そう……」
とうとう涙のこぼれ始めた礼美の前に膝をついたは、力の入った小さな手に自分の手を添えて微笑みかける。
「ミニーたちはね、この世にいてはいけないものなの。だから、痛いところと一緒に、ミニーたちともお別れしましょう? さよなら、言えるわよね?」
「……うん」
涙を拭って力強く頷いた礼美の手を取り、はあの治癒能力を使い始めたらしい。淡い光が球状に現れ、礼美だけではなく寄り添う香奈と典子までをもすっぽりと包み込んだ。
あたたかな、どこか心安らぐ光の中で、三人の表情からも硬さが取れていく。
――と。
「さん!」
真砂子の鋭い声が上がるのが先か、突然ドアが勢い良く開いて突風が室内に吹き込んできた。それは真っ直ぐに礼美のもとへと向かい――けれど、光に包まれた礼美は……否、他の二人も含めて、髪一筋も乱れることはなくて。
ゆっくりと目を開けた礼美は、を見た。それから、手はつないだままソファから降りて吹き荒れる風を見上げて、片手を振って。
「礼美、やっぱりおねえちゃんと遊びたいし、学校でもおともだちいっぱい作りたい。それに、お母さんとも、もっとなかよくなりたいの。だから、みんなといっしょには行かない。――ばいばい」
決別の言葉に不満を、拒絶を示すように、風が室内を暴れ狂う。
静まる気配のない風に、ジョンが祈りの言葉を口にしようとしたときだった。
一瞬、美しい青い光が室内に満ちたと思った刹那――パキンッ、と。何かが砕ける音がして。
気がついたときには、もう風など吹いてはいなかった。ただ破れた護符と風で乱れた室内の様子が、先程までの出来事が現実だと示していて。
「ちゃんと、さよなら言えたよ。みんな帰っちゃった?」
「ええ。お家のほうには帰っちゃったわね」
「じゃあ、まだ礼美はおうちに帰れないの?」
「もう少しだけここにいましょう。お家のほうにいるお兄さんたちが、ミニーたちを還るべき場所へ送ってくれるから、それまでね」
「うん、わかった」
呆然としていた意識に礼美との会話がしみ込み、徐々に現実感が戻ってくる。視界にはすっかり不安のなくなった笑顔を見せる礼美がいて。見守る香奈と典子の表情も穏やかだ。
大きく息を吐き出したジョンは、見事に依頼人の不安を払拭してしまったへと尊敬の眼差しを向けた。
その、少しあとのことだった。滝川から電話がかかってきたのは。
――ピチャー……ン……
小さいのによく響く水音で、麻衣は目を覚ました。
起き上がってみると、そこは見覚えのない和室だった。というより、家自体が昔ながらの和風建築のようだ。
――はて、ここはどこだろう。なんでこんな所にいるんだっけ……そも、何してたんだっけ?
完全に混乱したまま周囲を見渡していると、庭で一人の少女が鞠つきをしているのに気づいた。
礼美ではない。黒いおかっぱ頭で、丈の短い着物姿の、古風な少女だ。
ふっ、と。どこからともなく黒いコートに帽子をかぶった男が現れ、少女に何事かを囁きかけている。
その光景を見た途端、麻衣の胸に焦りが生まれた。理由はよくわからないけれど、じりじりと嫌な感じが這い上がってくる。
――だめだよ、その人と行っちゃ……待って!
思いは、けれど声にはならず。
「富子!」
駆けだすことすらできない麻衣に代わって遠ざかる二人を追いかけたのは、着物に日本髪の女性の悲痛な叫び。
しかし、それも届かず、二人の姿は池の上を進み、そして消えた。
「とみこおぉぉ!」
胸が痛くなる叫びに、思わず顔を背けた。――その、先に。井戸に向かい佇む先程の女性の後ろ姿が。
髪は乱れ、帯も解けて、憔悴しきった様子が見て取れる。
――ピチャー……ン……
絶望に打ちひしがれた背に、あの水音が響いた。彼女の、涙だ。
咄嗟に駆けだそうとした麻衣の腕を掴む力強い手が、それを阻止した。振り返ると、ジーンがいた。つらそうに首を横に振る。
「富子ぉー!!」
その叫びを最後に、女性の体は井戸の中へと消えて――
そして、周囲の光景も全部、闇に消えてしまった。
残ったのは、麻衣とジーンだけ。
「ごめん、麻衣」
「ジーン……ここ、は……?」
「夢の中。あれは過去。だから決して止めることはできない」
「過去……あたし、どうしたんだっけ?」
やっと出るようになった声で問いかけると、ジーンはつらそうな表情を少しだけバツの悪そうなものに変えて、言った。
「ぼくが、巻き込んじゃったんだ。元々、素質があったのも原因だと思う」
「素質って……」
「とにかく、詳しくはちゃんと体に戻ってから。麻衣、自分の体を思い出して。戻るでも起きるでもいいから、強く念じて」
「う、うん……」
言われるまま、体のことを思い出そうとしたけれど、そもそもが何がどうしてこうなったのか覚えていないのでは思い出しようがなかった。ので、夢の中というキーワードから、起きると強く念じる方法を取ることにした。――次の瞬間。
「――麻衣!!」
己の名を呼ぶ大きな声。覗き込んでくる顔は逆光になっているけれど、判別はつくくらいに近くにある。それは確かに知った顔で、その名を唇に乗せる。
「……あや、こ……?」
「大丈夫!? アンタ、ちゃんと自分のことわかる!? アタシたちのことわかる!?」
「――へ!? あたしは谷山麻衣で綾子は巫女さんでしょ自称の!」
「自称は余計よ!!」
――ガチャ。
「お、麻衣、気がついたか」
いきなりの松崎の剣幕で、ぼんやり感は一気に吹き飛んだ。けれど代わりに混乱する。しかも、すぐあとに滝川まで現れて、考える暇がない。
「ナル坊は平気か?」
「ただの貧血です」
「ナル!? ナルがどうかしたの!?」
「アンタは自分の心配をしなさいお馬鹿!!」
「いたっ」
ありえない人物への心配の言葉に、がばっと起き上がれば、松崎に頭を叩かれる始末。叩かれた部分をさすりつつ、ようやく周囲を見渡す。
どうやら己はベースの床に寝ていたらしい。ソファはジーンが陣取ったままだからか。ナルは……そのソファの空いたスペースに浅く腰掛けてはいるが、確かに顔色が悪い。
とりあえずの現状はわかったけれど……
「何がどうしたんだっけ……?」
「それはこっちが聞きたいわよ!」
「居間に飛び込んできた麻衣が攻撃の標的になったんだ。祓ったはいいが、意識失っちまったまま目覚めねえし」
「おまけにナルまで急に倒れるし!!」
「……ただの貧血です」
「とにかく! 自分の身も守れないくせに活性化してる親玉の根城に飛び込むなんて馬鹿な真似はやめなさいよ!! 憑依とかされなくてよかったわ……」
「えーと……ごめんなさい」
「自分の身に何が起きたかは、わかるか?」
剣幕の理由が心配してくれたためとわかり、とりあえず謝る。
それで落ち着いたことがわかったのか、滝川が説明を求めてきたが……先程の松崎の台詞じゃないが、知りたいのはこっちのほうで。
「ごめん……ぼくが、巻き込んじゃったんだ……」
ふと湧いたような声に、視線が集中する。ジーンだ。ソファに横たわったまま、片腕で目元を覆っている。ナルが溜息をこぼした。
「やっと戻ったのか……」
「うん……ごめん……」
「巻き込んだってのは、どういう意味だい?」
「床下にいた黒い影の女性……その感情……過去が、流れ込んできて、呑み込まれた……それに、麻衣も、巻き込んじゃったんだ……」
滝川の問いに力なく答えるジーン。その言葉で、やっと麻衣は先程の夢を思い出した。
「あの、人さらいみたいな男に女の子が連れて行かれちゃって女の人が井戸に身投げする夢?」
「それが、黒幕の過去か? 確かに床下にゃ井戸を埋めた跡があったが」
「うん……正体は、大島ひろ……一人娘を失ったショックで井戸に身投げしたんだ……そして今もずっと自分の娘を、富子を求め続けている……」
「それが8歳前後の子供ってこと? それでなんで同化の条件が合うわけ?」
「ひろが求める8歳前後の子供は、子供の側から見れば同年代の仲間として読み替えられる。だから一致はしているということだろう」
松崎の不信感丸出しの問いに溜息混じりに答えたナルが、不意に立ち上がった。そしてそのまま扉のほうに歩いていく。
「ちょっと、どこ行く気よ」
「出掛けてくる。帰りはいつになるかわからない」
「こんなときに!?」
「ナル……ごめん……」
松崎の言葉では止まる気配のなかったナルは、けれどジーンの声で足を止めた。それでも振り返ることはないまま、嘆息がこぼれて。
「反省する気があるなら、言葉じゃなく行動で示せ、馬鹿が」
「うん……ごめんなさい……」
まるでうわごとのようなジーンの言葉に、ただナルは再度嘆息をついて。そのまま、出ていってしまった。
完全に身内の会話っぽいものに、置いてけぼりを食った感満載だ。事実、置いてはいかれてるけど。
消化不良気味な空気の中、再度ジーンが口を開いた。
「ぼーさん……」
「んあ? どした、ジン坊」
「ぼーさんの、言ったとおりだった……」
「何がだ」
「ゆきはひろを……『お母さん』を、独占していたんだ……」
「……」
「ひろが求める8歳前後の子供を集めることで、ひろに――母親に、自分を、自分だけを見てほしがってた……でも、ひろが求めているのは富子だけだから……ひろは決してゆきを見ようとはしない……」
ぽつり、ぽつりと語られたのは、あまりにも悲しい霊の事情。
麻衣は、夢で見たひろの悲痛な叫びしか知らないから、ひろの状態は当然で仕方のないものに思えるけれど、それでも。
「かわいそう……」
「うん……すべての子供たちの中で、ゆきが一番哀れだ……他の子たちは、ただ寂しい気持ちだけで同化しているけれど、ゆきは……どんなに仲間を増やしても、その子たちを完全に支配しても、決して願いの叶わない苦しさの中に閉じ込められている……」
どんなに強く願っても、他に八つ当たりしてみても、決して叶うことのない願い。その苦しさは、突然母を亡くした時に味わったものに似ている気がして。
知らず俯いていた頭をわしゃわしゃされて顔を上げれば、心配を顔に刻んだ滝川と目が合う。
「同情はほどほどにしとけ。死んじまった連中の願いが叶わないのは当然なんだから」
「でも……っ」
「霊の同化なんて、元々が無理矢理引きずり込んでる集合体なんだからね。それで願いが叶うなら、そもそも同化なんてせずに浄化してるでしょ」
「それは、そうかもしれないけど……」
滝川だけではなく、松崎にまで諭され、再び俯く。理論的な二人の言い分も理解はできるけれど、でも納得できるほど大人じゃない。
皆が幸せになれる解決はないんだろうかと思ってしまうのは、子供っぽいだけなのだろうか。
直接それを視てきたジーンは、どう思っているのだろう、と。
沈黙しているジーンに目を向けると、先程と同じ姿勢のままで。
「そのフラストレーションが力を強める源になってんのは、厄介なことこの上ねーがな」
「そういえば、ホテルのほうはどうだったの?」
「奴ら、やっぱり向こうに行ったらしい。突風になってきたとよ」
「え!? 礼美ちゃんは!?」
「とりあえず、怪我人は一人もいねえとよ。護符は全滅したらしいが」
「作り直せばいいのね、オーケイ」
「ジン坊、連中の様子はどうなってる?」
滝川に問いかけられても動く気配はなく、答えも返ってこなくて。
首を傾げたのは、松崎や滝川も同じで。
「……ジン坊? またトランスしたか?」
「…………消耗、してるよ……刺激、しない限り、しばらくは、大丈夫……」
「消耗しているのはあなたもでしょう。少し休みなさい」
「……うん……ごめ、ん……」
やっとという感じで返ってきた答えは、弱々しい声音で。
すかさず忠告を向けたのは、リン。素直に従ったジーンの体からはすぐに力が抜けていくのが見て取れて、寝息を立て始めるまで然してかからなかった。
精神的なつらさを耐えていたのだと思っていたら、どうやら身体的にも疲労していたらしい。体は眠っていたはずなのに、そんなに疲れることなんだ、と。
ちょっとびっくりしていると、リンが珍しく真っ直ぐにこちらを向いた。
「谷山さんも休んでください」
「――へ? あたしも?」
「ジーンの暴走に巻き込まれて使ったこともない能力が引き出されたのですから、自覚はなくとも相当消耗しているはずです」
「僅かとはいえ霊障も食らってんだから休んどけ」
「う、うん……」
「で、ジン坊の言い分じゃ、ナル坊が戻るまでは手は出さんほうがいいってことかい?」
「そうです」
「んじゃ、俺もちょっくら休ませてもらわぁ」
言って、滝川までが横になった。――床に。
仮眠室行かんのかい、と。内心ツッコミを入れてる間にも寝息が上がり、やはり疲れているらしいのがわかる。
除霊とか、幽体離脱とか、そんなに疲れるものなんだ、と。
他人事のように思いながら松崎に連れられてゲストルームに行った麻衣は、ベッドに入るなり睡魔に襲われて。
自覚のない疲労を実感する間もなく、眠りに落ちたのだった。
「あたくしも、行ってきますわ。子供たちの逝く先を、見届けたいと思いますから」
そう言って、ジョンや松崎とともに真砂子もホテルを去ったのは、松崎が護符を張り直しがてら状況報告に来てから数時間後、礼美がとっくに寝付いている時間だった。
今度こそ最後ということが何となくわかってか、香奈も典子もなかなか寝付けずにいたようだが、乞われて歌ううちに寝入った模様。
それを確認して、は『ラファエルの瞳』のサーチ能力を用いて、除霊の一部始終をホテルに居ながらにして見届けた。
人形を用いて富子の身代わりをひろに与えることで、やっと望みを叶えたひろと、同化していた子供たちは共に浄化したのだ。
本当に危険が去ったことを確認してから、もソファで休むことにした。
―― …… …… …… ――
不意に、何かが聞こえた気がして振り返る。
礼美が寝返りを打っていた他は、特におかしなところはなかった。
小首を傾げつつもソファに身を沈ませたは、数日振りに安らいだ気持ちで夢も見ずに眠ることができた。