――どうして、こんなに、くらいの……
――どうして、こんなに、さむいの……
――どうして……だれも、いないの……
「本当に、いろいろとありがとう」
除霊成功の連絡を受けた森下一家とともに、がホテルから戻ったのは昼にだいぶ近い時間。依頼人と一緒に報告を聞いたあと、まだ不安をぬぐいきれない様子の香奈に付き添って家の中を見て回り終えたときのこと。
不意に向けられた感謝の言葉に目を瞬かせたあと、慌てて首を横に振った。
「わたしは何もしていませんし、むしろ、お礼を言いたいのはわたしのほうです」
「お礼? 何故?」
「決して望みを諦めずに掴み取った香奈さんの姿に、とても励まされて……勇気を、いただきましたから」
「……あなたにも、何か、手にしたい望みがあるのね?」
「はい」
「私が今回すべてを投げ出さずに踏みとどまれたのは、あなたが側にいてくれたからよ。あなたにも側にいてくれる誰かが、いるでしょう? きっと、その人と一緒にいれば、最後まで進んで行けるわ。頑張って」
「――ありがとう、ございます……っ」
怪現象の原因を解明し解決したのはナルたちであり、こじれてしまっていた人間関係を元どおりに築き直したのは香奈自身の力だ。
結果的に彼女を危険にさらしてしまった非力な己には、感謝を向けられる資格はないと思う。
なのに……側にいた、ただそれだけのことが誰かの力になることだ――と。そう教えてもらえただけでも感謝なことなのに、激励の言葉まで向けられて。
感謝してもしきれぬ思いで、深々と頭を下げた。
「……おはなし、おわった?」
「ええ、どうしたの?」
「ちゃんに、おねがいがあるの」
軽い足音と愛らしい声に顔を上げる。期待に満ちた表情で近寄ってきた礼美の、その少し舌足らずな呼び方には、ひどく懐かしさをかきたてられて。
元より熱くなっていた目頭から涙がこぼれぬようこらえ、なんとか笑みを作る。
「なぁに?」
「おはなし、して?」
「お話?」
「うん。みっつの夢のおはなし。かなえたヒトのおはなしは、ない?」
何を言われるのかと思えば、【07-GHOST】の世界観を用いて、ミニーたちの存在を使い魔になぞらえたあの話をもっと聞きたいとは。
【ゴーストハント】とは違い【07-GHOST】の内容は、よく覚えている。『ラファエルの瞳』の中にも記録として残っていることもあるけれど、何より己にとっては生きる指針となるものだからだ。『瞳』の操者としても、そして個人的にも。
だから語ることはできるけれど……
「あるけど、ちょっと難しい内容よ?」
「私も聞きたいわ。今、お茶を用意するから話してくれないかしら」
「礼美もおてつだいする!」
何故か、香奈まで求めてきて。
彼女が後々わかりやすく語り直してくれるのなら大丈夫かな――と。
礼美に手を引かれるまま、は香奈について台所に向かった。
怖い思いもしたが皆笑顔で浄化していくのを見届け、種明かしのような説明も聞いて、ようやく一息つけた心地になった頃には、もう窓の外は明るくなり始めていた。
疲労感の残る体を何とか起こして後片付けに動きだしたのは、麻衣だけではない。力仕事をしない松崎や真砂子もできることに携わり、何とか居住空間らしさが戻ってきた頃、ホテルから依頼人一家とが戻ってきて。
「皆さん、どうぞ一息入れてください」
ナルから結果報告を聞いたあと家の中の様子を確認しに行った香奈と付き添いのに加え、いつ合流したのか典子と礼美もが一緒に、ワゴンを押して居間にやってきた。
テーブルに並べられたお菓子とサンドイッチなどの軽食に加え、コーヒーの香りに食欲をそそられ、誰もがお言葉に甘えて休憩に入ることにした。
コーヒーの他に紅茶も用意されており、それぞれ希望に添ったものを一通り給仕し終えた森下一家は、を伴って一角にまとまって腰を下ろす。
何かを期待するような、ちょっとした緊張感のような、何ともいえないその雰囲気に、首を傾げた麻衣は素直に聞いてみた。
「なに? 何か始めるの?」
「ちゃんに、おはなししてもらうの!」
「お話? お伽話とか?」
「みっつの夢をかなえたヒトのおはなし!」
「三つの夢って、大きなソーセージで夫婦喧嘩になるアレ?」
「違うわ。人は生まれてくる時に、天界の長――神様と人生をかけて叶えるべき夢を三つ約束して生まれ、それをすべて叶えると再び長の御許に召されるというお話」
「ミニーたちは、礼美の夢をよこどりして礼美を食べようとしていたわるいモノなんだって。だから、ちゃんと、さよならしようって、ちゃんがおしえてくれたの」
「ああ、なーる……」
納得した声をこぼしたのは滝川だ。
礼美を守るための寓話だと理解した誰もが興味を惹かれた模様。ベースにいるナルとリン以外の居間にいる全員が耳を傾けるとほぼ同時、は礼美に向けて語り始めた。
「さっきも言ったとおり、ちょっと難しい内容だけど、いい?」
「うん! 聞きたい!」
「それじゃあ、ミカゲとテイトという二人の男の子のお話をしましょう」
「男の子? ふたりとも夢をかなえたの?」
「ふふっ。二人は軍学校で出会って親友になったの」
「ぐん?」
「国のために、そこに暮らす家族を守るために、戦うことをお仕事にしている人たちのいる場所。日本なら自衛隊が近いかしら?」
「そうね。もっと身近でたとえるなら、お巡りさんかしら。お巡りさんになるための勉強をする学校で二人は出会ったということ。そして親友は、ブラウンさんが教えてくれたような一番大切なお友達のことよ」
子供用にわかりやすく説明するのに少し苦労している様子にか、香奈が助け舟を出した。礼美は笑顔で頷いて、理解できたことが伝わる。
香奈との間で交わされるアイコンタクト。
笑顔で頷く香奈に、安堵した表情を見せたは、再び礼美を見て続きを口にする。
「厳しい訓練も励まし合いながら頑張ってきて、第一次卒業試験にも受かった翌日。すべてを台無しにしてしまうようなことが起きてしまったの」
「……なに?」
「テイトはね、子供の頃の記憶が何もない子だったの。本人にもどうしてかはわからないけど忘れてしまっていてね。最近になって、雪景色の中、優しく語りかけてくる男の人の夢を繰り返し見ていたの」
「こどものころの、きおく?」
「お父さんやお母さん、家族と過ごした思い出よ」
「おとうさんのことも、おかあさんのことも、わからないの?」
「ええ。でも、思い出したの。夢の中の男の人が父親だということを。卒業試験を見に来ていた帝国軍の最高幹部の人たちの中の一人である参謀長官と、彼が持っていた首飾りを偶然目にしてしまったときに」
「どうしておもいだせたの?」
「その首飾りは夢の中の父親が身に着けていたもので、そして参謀長官は父親を殺した男だったから」
驚きで目を瞠り息を呑んだのは、礼美だけではなかった。
語り始める前に、礼美には難しい内容だと忠告した理由が、ここにきてはっきりと見えた気がした。
「思い出された記憶はテイトに憎しみを呼び起こさせ、復讐に走らせたわ。けれど、相手は参謀長官。本人も強いけれど、彼を守る役目の者が何人も側にいる。勝てるわけがなくて、テイトは捕らわれ牢に入れられたの」
もともと『軍』という言葉が出たときから子供向けではない気はしていたけれど、まさしく内容も子供向けではないらしい。
それはつまり、礼美のためにが考え出した寓話などではないということだ。
以前に読んだのだろうその内容を思い出しているのか、はもはや礼美を見てはいない気がした。
「寮で同室だったミカゲが、テイトの異変をすぐに知ることになったのは当然のことだった。『アヤナミ参謀長官に楯突いて生きてる奴はいない』というのは訓練生の間でも有名なことで、ミカゲはテイトを助けようと牢に向かったの。ミカゲが牢に着いたとき、テイトは自力で牢を破ったところだった。別れを告げようとするテイトの手を取って、ミカゲは用意した乗り物――ホークザイルのある場所へと走った」
静かに語られるの声が、心地よく頭にしみこむ。淡い金髪で右頬の下あたりに十字の傷を持つ少年が、黒髪に緑の瞳を持ち両手足に鎖をつけられた少年の手を引いて走る様子が脳裏に描きだされる。
「ミカゲには、家族を守るために軍人になるという夢があった。いつでも真っ直ぐに前を向いて歩くミカゲは、テイトにとって憧れでもあり光そのものだった。そんな親友を自分のために罪人にして未来を奪ってしまいたくはなかったから、警備兵に見つかったとき、テイトはミカゲを人質のように見せかけた上で、一人でホークザイルに乗ってその場を逃げ出したの」
金髪の少年の首許に剣を突きつけたあと、槍のように長い警棒のようなものを構える二人の男に向かって金髪の少年を突き飛ばした黒髪の少年が、バルコニーのような所から飛び降りた。
すぐ下にあった、虎かライオン並みに大きな鳥のような生き物に機械を取りつけて一体化させたような不思議なモノを、バイクのように乗りこなして黒髪の少年は空をかけていく。
「途中、アヤナミが放った攻撃を防ぎきれず深手を負いながらも、士官学校の領地を抜け、検閲を回避するために、偶然内海に迷い込んだ大型鳥獣の起こす軍の第一級空挺すら破壊しかねない嵐の中を、小さなホークザイルひとつで乗り越えて、逃げて――」
軍帽を目深にかぶった、冷酷な目をした男との、一瞬の邂逅。男の放った不思議な何かが、少年の背を深くえぐる。
痛みに耐えながらも建物の間を潜り抜け、先も見えない暴風の中を何とか抜け出て――
「とうとう力尽きて倒れた場所は、『神の区域』と呼ばれる教皇のお膝元、第七区にある帝国最大の教会の近く。バルスブルグ大教会の司教に拾われたテイトは『サンクチュアリの掟』に守られることになり、逃げ出す際に負った傷を癒す時間を得ることができたの」
「ほーい、嬢ちゃーん。話の腰折ってわりぃが、おチビちゃんにはちぃと難しすぎるみたいたぞー」
「あ……」
ぐらりと傾いだ少年の体が、宙に投げ出される。そして、崖の壁面をホークザイルで走っていた黒いコート姿で金髪のガラの悪い男の上に落ちていく。
他にも黒いコートを着てホークザイルに乗っていた男が二人いて、彼らの向かう先には、巨大ないくつかの塔によってできたような建物を中心とした街が見えて――
滝川の声で、麻衣は目を瞬かせる。
まるで無声映画でも見ていた心地だ。けれど……はて、己はこんなにも想像力豊かだったろうか。
「『サンクチュアリの掟』ってのは、アレかい? 教会の中にいる間は軍も手出しできない系の法律みたいなモン?」
「あ、はい。教会に逃げ込んで庇護を求めた者は、たとえ犯罪者であっても表立って軍や政府が手を出せない決まりなんです。教皇は皇帝と同じだけの発言権を持つので」
「え!? そんなことってあるの!?」
「宗教ってのは、弱い立場にある人間の拠り所だからなー、基本」
「昔の日本にも、駆け込み寺という制度があったのよ。別名、縁切寺とって離婚問題だけだったし、とても厳しい条件をクリアしなければならなかったから、サンクチュアリ――つまり、聖域や安全地帯、保護区とはとても呼べないものだったようだけど」
「そういうふうに、宗教者が民衆の心を掴んで影響力を持つのを嫌って、寺院を焼き討ちにした武将がいるようなこの国じゃ、ちょっと信じ難いのはわかるけど」
「ええ!? そんなことした人いるの!?」
「アンタねー……」
「帰って自分で調べろよ、現役高校生ー」
「うあ……はい……」
話の背景を知ろうとした滝川の答えに、思わず麻衣が聞き返せば、滝川に香奈に松崎までもが説明してくれたが、呆れた視線と典子の笑い声に締めくくられてしまう始末。
麻衣は小さく縮こまって大人しく続きを待つことにした。
「つまり、テイト少年は軍のお偉いさんに刃向かったために悪い人扱いされちまったんだな。自分を助けようとしてくれた親友まで悪い人にされねーように一人で傷だらけになりながらも何とか逃げ出して、ひとまず安全な場所まで辿り着けたってことだな。わかったかい、おチビちゃん?」
「……わかった、と、おもう……」
話を中断させた責任を取ってか、滝川がこれまでの内容を要約して礼美に聞かせた。
それでも礼美はまだ難しい顔をしていて……滝川がチラリと目を向けた先で、香奈がひとつ頷いてみせた。おそらく、あとでもっとわかりやすく説明するという意味なのだろう。
そんな大人組の気遣いに気づいているのか、いないのか。頭を悩ませていた様子のが深呼吸をひとつ、話を再開した。
「テイトが教会に保護されて数日後、ミカゲが疲れ切った様子で姿を現したの。テイトは再会できたことを心から喜んだし、ミカゲもテイトの無事を喜んだわ。そして、テイトは思い出した記憶のことを話したの。参謀長官に殺された自分の父親は、10年前の戦争で帝国に滅ぼされた隣国ラグス王国の王だったこと。父親に代わって育ててくれた神父さまも帝国軍に殺されたこと。父親から託された使命があること……だから、もう帝国軍には戻れない、と……」
「テイト、王子さまだったの?」
「ええ、もうなくなってしまった国の王様の子供だったの。話を聞き終わったミカゲは、テイトの過去も決意も受け入れて励ましたし、親の愛情を知らないと言っていたテイトにその記憶がちゃんとあったことも喜んだ。そして、自分ももう軍には戻れないって言ったの」
「テイトと、いっしょに、いるため?」
「そうできたら、よかったんでしょうけどね……」
「ちがうの? できないの?」
「逃亡し、軍に追われたテイトが『神の区域』にいるってことを、ミカゲはどうやって知ることができたと思う?」
先程よりは幾分かマシになったような気もするが、まだ子供向けとは言い難い。
それでも何とかついてきていたらしい礼美だが、流石にこの問いは難しすぎだ。ぶっちゃけ麻衣ですらわからないのだから、礼美にわかるはずもない。
二人して、こてんと小首を傾げていると、またも滝川が助け舟を出した。
「軍内部で起きた揉め事ってことは、一般人には明らかにされてねえ可能性のが高ぇわな。派手な痕跡が見つかったとしても報道規制かけるか……まして、逃亡者と友好関係にあった人間に情報を漏らすわけもない。てぇこたぁ、罠だな?」
「ええ。ミカゲは参謀長官に首輪をつけられて、テイトの情報を与えられたの。『家族か親友か、好きなほうを連れて来い。どちらも選べなければおまえが死ぬだけだ』と言われて」
「そんな……っ」
「ま、お偉いさんのやりそうなことだわな」
「ミカゲにとっては、テイトも家族と同じくらい大切だった。だから、家族もテイトも守るために自分が死ぬ道を選んだの。親友が本当に大切だったからこそ、復讐は何も生み出さないと忠告を与え、光のある道を歩めと勧め、『オレたちは最高のダチだ』と自分に後悔はないことを最後にテイトに伝えて」
「ミカゲ……しんじゃったの?」
「ええ。でもね、彼は幸せだった。何故なら、彼の三つめの夢は『大切な人を命懸けで守りたい』だったから……夢をすべて叶えて、天に召されたから」
「「 あ…… 」」
すっかり忘れていた話の概要を告げられ、思わず声がこぼれた。
これが、三つの夢を叶えた者の物語……確かに子供向けのお伽話などではない。難しいこと以上に、納得がいかないのだ。
「そんなのってないよ……ミカゲはそれでいいかもしれないけど、残されたテイトはどうなるの!?」
「麻衣、落ち着いて」
「でもジーン……っ!?」
「ぼくも、まったくおんなじ気持ちだからこそ。だって、まだ話は終わってないと思うから」
「――え!?」
思いがけない言葉に、を見る。礼美も期待を込めた目を向けていて。
は小さく笑って、口を開いた。
「三つの夢を叶えて天に召された魂は、そのあとどうなると思う?」
「どうって……」
「自分の所為で親友を死に追いやったと自分を責め続けるテイトのもとへ、彼を拾ったフラウ司教が小さな生き物を連れてやってきた。ピンク色で翼をもつウサギか犬にも似たその生き物は、フラウには全く懐く様子もなく彼のもとを逃げ出したあと、テイトの側に行ってじゃれついたの」
「ピンクで翼があるのにウサギか犬みたいな生き物って……」
「フュールングの子供」
「ひゅーる?」
「天の御使いとも呼ばれている『導きのドラゴン』」
「「 ドラゴン!? 」」
「だから小さくても角も生えてるし、炎を吐くこともできる。もっとも、生まれて間もない子供だから、せいぜいフラウの煙草に火をつけるライター程度のものだけど」
「懐いてもいないドラゴンをライター代わりにするフラウって人すごい度胸!!」
「いや、麻衣ちゃんや。その前に司教がタバコ吸うってほうを突っ込んだほうがいいと思うぞ、俺は」
「坊主のくせに茶髪でロン毛のアンタが言えた義理?」
「不良司教に生臭坊主!?」
「おい!!」
「また話、中断させちゃってるよ……」
呆れたジーンの注意に、はぐっと両手で口を塞ぐ。松崎はしれっとした様子で紅茶に口をつけ、滝川もサンドイッチに手を伸ばして。
恐る恐る目を向ければ、礼美はきょとんとしており、香奈と典子は笑いをこらえている様子。どうやら顰蹙を買う事態には陥っていないことがわかり、胸を撫で下ろす。
語り手のも穏やかな表情でそっと目を閉じ、話を再開させた。
「フラウも三つの夢の話を聞かせたけれど、テイトは残された人間の綺麗事だと切り捨てたわ。けれど、『アイツはもう、おまえを側で見守ってるんだぜ』という不思議な言葉で、やっとじゃれついてくる生き物を真っ直ぐに見たの。その生き物の額にあった傷を見て、まさかという思いが生まれた。ミカゲの頬には、兄弟喧嘩の仲裁に入ってついたという傷があったから」
「同じ形の傷だったってこと?」
「ええ、同じ斜め十字形。そして、フラウは言ったの。夢をすべて叶えた魂は、また新しく生まれることができるということと、『そいつの魂はミカゲと同じ色をしている』って……」
期待通りのハッピーエンドに、胸があたたかくなった。
安心、安堵、そして未来への希望……きっとテイトもこんな気持ちだったのかもしれない、と。そう思えてしまうのは、が話し上手だからなのだろうか。
そんなことを思った、刹那。
「――『前世を失っても、広い世界でたった一人、おまえを見つけて帰って来たんだぜ』――」
の声のはずなのに、重なるようにして低い――決して女性では出せない紛う方なき男声が聞こえた気がした。
それと同時に、ベッドに並んで座る大人と子供――司教の制服なのだろう不思議な形の白い服を着た金髪の男と、ピンクの生き物を抱いて涙を流す黒髪の少年、そしてその少年を慰めるように、抱きしめるように、頬に傷持つあの少年が半透明に浮いている……そんな光景が、一瞬、目の前に広がっているように思えて。
まばたき、ひとつ。そこは何の変化もない森下邸の居間で。
けれど、視界に映るほとんどの大人たちは驚きをその顔に刻んで、ある者は固まり、ある者たちは顔を見合わせていて――己の気のせいではないらしい。
「ミカゲ、ドラゴンになって帰ってきたの!?」
「ええ。これから大変な使命を成し遂げなければならない親友を支え助けるために、フュールングの子供になって帰ってきたの」
「こんどは、ふたり、ずっといっしょにいられるの?」
「そうよ。テイトは戻ってきてくれた親友と、そしてフラウとともに、欠けている自分の記憶を取り戻し10年前の戦争の真実を探す旅に出るの。様々な困難を一緒に乗り越えていくのよ」
不思議な現象に気づいていないのか、それともミニーたちのこともあって不思議だと思えていないのか。礼美は嬉々として問いかけて。
やっと目を開けて答えたの声は、やはりいつもどおり且つ何かをしたような様子もなく……麻衣は首を捻る。
「礼美ちゃんは、今でもミニーのこと、お友達だと思ってる?」
「……わかんない……あそんでくれたときは、たのしかったけど……」
「じゃあ、ミカゲみたいに戻ってきてほしい?」
「ほしくない」
「ほら、ちゃんと答えは出てるじゃない」
「あ……」
「今度は家族に胸を張って紹介できるお友達を作ってね」
「うん!」
礼美へのアフターケアによって話を終わらせたらしいに、森下一家は穏やかな笑みを浮かべている。つられたようにジョンや真砂子たちも微笑んでいて。
もはや先程のことは忘れたかのような者たちの中、麻衣はどうも腑に落ちない気分でいたのだけれど。
「ねえ、ちゃんには『しんゆう』っている?」
「――え?」
「ここにいますわよ?」
「まさこちゃんが、ちゃんの『しんゆう』なの?」
「そうですわ」
「ええ!?」
寝耳に水な会話に、それまでの思いなど全部吹き飛んでしまった。
聞き捨てならない爆弾発言もいいところだ。
「なんでなんでなんでいつの間に!? 旧校舎のときに会ったんだよね!? その前から知り合いだったの!?」
「そのようなこと、あなたには関係ございませんでしょ」
「あるよ! あたしのほうが先に会ったんだから!!」
「まあ。いつ出会ったかなんて何の関係がございますの? 出会いのない人生など、ございませんわ。あなたは今まで出会ったすべての人と親友になってきたとでもおっしゃいますの?」
「そんなこと言ってない! とのこと言ってるの!!」
「と親友になりたい人間なら、ここにもいるよ~?」
「あら、ボウヤ。恋人じゃなくていいの?」
「うえっ!?」
「命を救われたからって恋に落ちるほど単純じゃないですよ、ぼく」
「男女間に恋愛しか思い描けないのは欲求不満の証拠」
「お黙り破戒僧!!」
さらなる爆弾発言は、松崎のもの。けれどそれは麻衣にとってだけだったらしく、ジーンは至って冷静に且つ、いーい笑顔で反論。ナルの兄だと納得できてしまう対応だ。
ニヤニヤと茶々を入れたつもりの松崎は、そのジーンの反論に加え滝川のぼそっと呟くだけの援護射撃により撃沈した模様。
麻衣にとっては既におなじみの光景となった賑やかなやり取りに、森下一家がぽかんと眺めているのが視界に入る。いくら怪異が解決しているとはいえ、依頼人の前で騒ぎすぎたか、と。心配になったのも束の間、真砂子がに近づくのが見えて。
「さん、お食事はされまして?」
「――え……ええ、一応……」
「では、ゆうべはお休みになられまして?」
「何時間かは、眠ったけれど……」
「顔色がよくありませんわ。少しお休みになられてはいかがです?」
抜け駆けは許さぬ、と。荒らげそうになった声は、けれど会話によって気づいた異変によって呑み込まされた。
先程までの穏やかな笑みはどこへやら。どこかぼんやりした様子のの顔は、確かに青白く見えて具合が悪そうで。
「そうしなよ、。帰るのは明日だし、今日はもうすることそんなにないから」
「あ、お部屋はこっちよ」
「参りましょう?」
慌てることもなく真砂子に賛同する形で勧めたのは、同じく親友希望表明をしたジーン。
焦りのような色を見せたのは、むしろ典子で。すぐさま席を立ち扉へ向かった彼女へとひとつ頷いて立ち上がった真砂子に手を引かれる形で、は居間から出ていった。
驚きが勝って見送ってしまったことに気づいた麻衣は、言い知れぬ不快感に見舞われた。ひとつやふたつではない、複数の感情が入り乱れての、不快感。
それは何なのか……はっきりと形を捉えられたのは、真砂子への不満と苛立ちだ。
――ほんのちょっと先にの不調に気づけたからって、親友気取りしないでほしい。己のほうが真砂子よりもずっと長い時間一緒にいるんかだから、と。
「……まいちゃんも、ぐあいわるいの?」
「――え? ぜーんぜん! あたしは元気だよ?」
「麻衣は機嫌が悪くなってるだけだから大丈夫だよ」
「ジーン!!」
「きげん、わるいの?」
「そんなことないよーぅ。礼美ちゃんは元気? 一緒に遊ぼうか?」
「うん!」
無垢な瞳に見上げられ、さらにはズバリ指摘までされて。
どろどろとしたその思いが子供じみた嫉妬であることも、その陰にある他の感情にも気づかぬまま、麻衣はその不快感を礼美と遊ぶことによって拭い去ったのだった。
―― どうして、だれも、いないの…… ――
「っ!?」
急速に意識が覚醒していく感覚。けれど眠りから覚めるのではなく、夢へ――霊視能力による感覚世界へと繋がったそれと、聞こえた声で。
ジーンは自らの意志でそれらを一度断ち切り、がばっと体を起こした。
「ジーン?」
「どうかしましたか?」
ナルとリンの声。ここはベースのソファの上。今は……深夜二時。
体の五感を使って現実の情報を確認したあと、霊視を含む特殊能力の感覚に集中する。……やはり、いる。
「ゆきだ……ゆきが残ってる……」
「なんだと?」
「……居間の温度が僅かに低下しています」
念のために、最後の確認のためにと、居間にだけ設置したままの機器にも反応が現れたようだ。
見送る二人にひとつ頷いてみせてから、ジーンは居間へ向かった。
―― どうして、こんなに、くらいの…… ――
居住空間へと戻った居間の一角に残る怪異の爪痕――今なお異質さを主張している床の穴の、その上の空間……そこに、ゆきは、いた。
輪郭すら定まらず今にも消えてしまいそうな姿で、それでも。
たった一人、この世に留まっていた。
「ゆき……どうして、君は残っているの? ひろと――『お母さん』と一緒に、どうして逝かなかったの?」
同化とは、言葉のとおり、同じひとつの存在となる現象だ。核となっているモノが浄化、あるいは除霊されたなら、同化した他の霊も同じ道を辿らざるをえない。一部が残るなどありえないことだ。
ナルなら前例がなかっただけだと、既に観測、研究モードに入っているだろうけれど、ジーンはそうはいかなかった。
―― どうして、だれも、見てくれないの…… ――
「ぼくは視てるよ、聞こえてるよ。ねえ、ゆき、君にはぼくの声、届いてる?」
―― どうして、こんなに、くらいの…… ――
「光はここにあるよ。こっちを見てごらん。ぼくの声を聞いて、目を開けて」
―― どうして、だれも、いないの…… ――
「みんなのところへ逝くためにも、ねえ、ぼくに気づいて、ゆき」
形が定まらないほど弱っているのに、強い思いは残っている。それが欲望へと変われば、再び悪霊となってしまうだろう。
何とか浄化してあげたいのに、完全に自分の殻に閉じこもっているらしく、こちらの声も届かなければ、向こうの情報も何ひとつ読み取れなかった。
この状況、ジーンにはどうしようもない。滝川かジョンを起こすべきだろうか、と。
「どうして……こんなに、くらいの……?」
ゆきと同じ言葉が、背後からもして。しかも肉声であることに心底驚き、反射で振り返ったそこには、ぼんやりとした表情のがいて。
ふらり、と。居間へと入ってきた彼女の動きは、まるで何かに操られているかのよう。
ジーンは血の気が引く音を聞いた気がした。
「どうして、こんなに、さむいの……?」
「! しっかりして!」
「どうして、だれも、いないの……?」
「さん! ここにおりますわ!! あたくしたちが側におります! あなたは決して独りではございませんわ!! どうか目を覚ましてくださいまし!!」
ゆきと同調してしまっているかのような彼女を止めようとしたのは、ジーンだけではなかった。
彼女の肩を掴んで止めに入ったジーンとほぼ同時、の左腕にしがみついて全身全霊で引き留めたのは真砂子だった。
二人がかりの力技で、カクンとの頭が揺れた。一度俯いていた頭がおもむろに上がる。その目は、未だ焦点が合っていない。ゆらり、と。右手がゆきへと伸ばされて。
――ジャララ。
「「 っ!? 」」
耳朶を打った重そうな金属のこすれ合う音に、ジンと真砂子は息を呑み、そして目を瞠る。
周囲は、闇に閉ざされていた。家具はおろか、窓も壁も天井も見えない。
その中で、自分たちの姿と、そして太い何本もの鎖に繋がれたゆきだけが見えた。
生きている人間と遜色がないほどはっきりとしたゆきの姿は、寝間着を着てうずくまっていた。そして、布だけじゃなく肌もが引きつれたようになり、そこから生え出ているかのように太い重そうな鎖が下へと伸びていた。
――まさか、これがが見ている世界なのか……?
ゆきに向けて伸ばされていた手から、光が発する。蛍のように小さないくつもの光に、ふとゆきが顔を上げ、光へ――上へ向かって手を伸ばした。
ゆきの動きに合わせてジャラッと音を立てて揺れる鎖に、光が集まる。
――パキンッ、と。
音を立てて、鎖が砕けた。その瞬間、ゆきの体が端から白い鳩に変わってはばたき、群れとなって飛び去って行った。
「……ちがう……」
ぽつりと聞こえた声に我に返ると、そこは居間に戻っていた。夜の暗がりのではあるが、窓から差し込む月光で物の輪郭はわかる、通常の室内。
伸ばされたままの手が、さらに上へと向く。
「……どこに、いるの……?」
何かを――誰かを求める呟きは小さく夜に溶け、何を見ているのかわからない瞳は瞼の下に隠されて。
の軽すぎる体は、ジーンと真砂子の腕の中に崩れ落ちた。
は、夢を見ていた。
「ちゃんには『しんゆう』っている?」
問われた言葉で、かつての世界での友が頭に浮かんだ。――けれど、思い、出せない……顔も、声も、髪型も、そして名前すらも、何ひとつ……
ドロリ、と。絶望が形になったかのように、周囲が闇に塗り潰される。その闇が体にもまとわりついて、身動きが取れない。
―― どうして、こんなに、くらいの…… ――
不意に聞こえた声は、何故かぴったり重なっている二人分の幼子のもの。
寒い、暗い、淋しい、悲しい……負の感情が渦を巻き、さらに闇を濃く、そして重苦しいものにしていく。
『――……を…………ます………………共振率20% 深層心理に繋げます』
ノイズにまみれた声が、クリアに、けれど機械的に響いた。
ふと動かしてもいないのに右腕が持ち上げられていくのに気づく。
目を上げると、視界いっぱいに巨大な天使の姿があり、その天使が己の右手の甲に恭しく自分の額を押しつけて。
『共振率100% 完了しました』
ふっ、と。天使の姿がかき消えた。自由になった右手の甲には、青く美しい真球の石が埋め込まれていて。
持ち上げられた形で伸ばしたままの手の先に、小さな光が生まれる。徐々に大きくなる光の中に、映像が浮かんでいた。
闇に呑み込まれゆく幼子の姿に、太い何本もの鎖に繋がれた子供の姿が重なっている。
深く考える力もなく、ただ解放を望んだ。すると、まばゆい光が己の周囲に満ちていた闇を切り裂き――パキン、と。映像の中の鎖も砕け、子供が白い鳩のような鳥の群れとなって飛び立っていった。
けれど、その陰では、幼子は闇に呑まれて消えていき――
「……ちがう……」
呟いた声はひどく頼りないもので、、なのにそこによく響いた。そのことが、なお実感を呼び起こす。
――これは、夢だ。あれは、過ぎ去った時間……ここで手を伸ばしても、何の意味もない。
「……どこに、いるの……?」
動けるのは現実。変えられるのは未来。捜すべきものは、今という時の中にある。
だから――さあ、起きなければ。
「……おはようございます、さん」
「…………真砂子ちゃん? おはよう……?」
気づいたら、人に覗き込まれていた。眠っていた自覚もなく、けれど動きの鈍い思考で、とりあえず相手の名前だけは導き出して挨拶を返す。
ゆっくりと上体を起こして周囲を見渡して、しばし。ようやく、現状を思い出せた。
「お加減は、いかがです?」
「大丈夫よ。ありがとう」
どうやら20時間近く寝てしまったようで、それは心配をかけてしまっただろう、と。本当は少し貧血か何かで頭がくらくらしているのだけれど、笑顔で取り繕う。
けれど、真砂子の表情は晴れず、体調不良がバレているのかと思ったとき。
「あたくしは……ご迷惑でしょうか?」
「――え?」
「あなたの力になりたいと思っておりましたけれど、あたくしはあまりにも無力でした……思い上がりも甚だしいこんな人間が側にいては、却ってあなたの負担になってしまうでしょうか?」
「え、ちょ、真砂子ちゃん!? どうしたの急に……迷惑をかけているのは、わたしのほうでしょ?」
「さんから迷惑をかけられたことなどございませんわ」
「わたしだってないわ」
一体どうしたというのか。思いもよらない言葉を向けてくる真砂子に、ただでさえ寝起きでうまく回らない頭はただ混乱するばかり。
彼女が心配したような事実など一度もないのに……そう告げても納得してくれた様子はなくて。
どうすればいいのか。困り果てた脳裏にひらめくように思い出されたのは、ジーンの『素直な感情表現』という言葉。
「わたし、は……真砂子ちゃんと会えると聞いたとき、とても嬉しかった。周りが認識できなくなっていたのに、ずっと側にいてくれたことがわかったときも……嬉しかった、けれど、申し訳なくも、なった……」
「さん……」
「側にいてくれることがすごく心強かったけれど、わたしばかりが頼っているだけで……真砂子ちゃんの重荷にしかなれないことが申し訳なくて……なのに、それでも、真砂子ちゃんとの関係が終わってしまうことを恐れている、わたしは、とても身勝手な人間でしかな――」
「さん」
素直な気持ちを、正直に吐き出していた。その口を、そっと指先で制せられて。
俯いていた顔を上げると、真砂子のやわらかな微笑み。
「それは身勝手とは言いませんわ。だって、あなたはあたくしのことをちゃんと考えてくださっていますもの。本当に身勝手な人間とは、迷惑をかけても申し訳なく思うことはありませんし、迷惑をかけているとさえ自覚しないでしょう」
「でも……」
「ありがとうございます」
「――え……?」
「あたくしのことを頼ってくださって。何もできなかったのに、側にいただけで心強いとおっしゃってくださった、それがとても嬉しく思いますわ。負担など何もありません。お互いのことを思いやる心を持っているあたくしたちは、テイトとミカゲと同じ親友と呼べる関係に間違いございませんわ」
―― ちゃんには『しんゆう』っている? ――
礼美の言葉と同時に、夢で見たものまでもが思い出された。
ここに――すぐ目の前にいたのに、見ようとせずに自ら闇に囚われに行くようなことをしていたのだ、と。
改めて思い知らされた己の弱さと、それを上回る喜びで涙があふれる。
―― お礼なら笑ってくれたほうが嬉しいな♪ ――
思わず顔を覆った脳裏に蘇ったのは、先の助言をくれたジーンの言葉。
――ああ、そうだ……言わなければ伝わらないことがあり、正しく伝えるには言葉だけでは足りないのだと。それが『素直な感情表現』が必要な理由なのだ、と。
教えられたことを実践して、初めてそれがわかった。
だから。
「ありがとう、真砂子ちゃん……っ」
「あたくしも、ありがとうございます」
涙を拭って、笑顔で感謝を交わし合った。
その後、体調不良がバレてしまい、撤収作業を一切手伝えぬままは玄関先に立つ羽目になった。
見送りの依頼人と所長であるナルたちが話している横で、申し訳なさと情けなさで縮こまっていると、真砂子がそっと手を握ってきて。
慰めてくれていることと、悪癖が出かかっていたことに気づいて、気持ちを新たにして笑うことで感謝を伝えると真砂子も笑い返してくれた。
ふと視線を感じて顔を向けると、香奈が穏やかな表情でこちらを見ていて。
「大丈夫ね。頑張って」
「――はい、ありがとうございます」
側にいるだけで支えとなってくれる存在があることを教えて、また気づかせてくれた香奈の激励にも笑顔で応えて。
は、いろんなことを学ばせてもらった依頼人の家を離れ、夏の強い陽射しの中へと大きく一歩を踏み出した。