――何が、起きたのか……わからなかった。
急に目の前が真っ白になったかと思うと、次の瞬間には見覚えのない男が苦悶の表情で立っていて。
その、体が。ぼこぼこと自然では有り得ない形に膨らんだ。大きな瘤(こぶ)が、いくつもできる。――そして。
『人間』は、消えてしまった。
ただ、真っ赤な液体が、光と共に派手に飛び散って。
鉄のにおいが、周囲を満たした。
――何が、起きたのか……わからなかった。
わからない。わからない。わかり、たくない。
目の前に現われた男。歪んだ体。消えた人の形。飛び散った赤い液体。鉄のにおい。
それらの示すことを――理解、したくない。
だって、有り得ないから。
有り得ない。有り得るはずがない。確かにニュースでは色々な犯罪を流してはいるけれど、自分が住む町ではそんなことは滅多になかったから。
平和な、町。戦争なんてない国。
だから、有り得ない。
ニンゲンガ、ハレツシテシマウナンテコトハ、アリエナイ……
町の人間にドブ池と呼ばれている枯れ木に囲まれた濁った水場――『忘月の泉』でぼんやりとしていたライは、不意に顔を上げた。
何か、おかしな感じがする。
風もないのに周囲がざわめくような感覚――これは、魔力の波動?
確信もなく浮かんだ言葉は、けれど視界に映った光が正解を告げた。
木立の奥に見えたのは、確かに召喚術の光。けれど、自分やリシェルが使用した時のものとは明らかに違っていた。
――失敗した?
爆発したような音も衝撃もないから、暴走と暴発ではなさそうだ。単なる不発か……どのみち危険は低そうだ。
そう結論付けたあとの選択肢はふたつ。
即ち、このまま立ち去るか、それとも光の出所を確かめに行くか。
地道に働きながらまっとうに生きることをモットーにしている身としては、面倒事が予測されることには関わるべきではないのかもしれない。
けれど、この辺りはよく来る己の行動範囲。あとから何かを見つけて後悔するのは嫌だし、何よりも、誰かが困っているなら助けたかったから。
結局、選んだのは後者――確かめに行くという道。
茂みをかきわけ光の見えた方角へ真っ直ぐに進む。やがて見えてきたふたつの人影――しかし。
片方の人影は、光と共に消えてしまった。
見間違いかと思った。――否、思いたかった。本当だとしたら、あまりに凄惨なことだから。
けれど、風に乗って流れてきた濃い鉄の臭いが、事実だと告げていて。
足が、止まった。
まだ、たったの14歳。戦争に参加したことなどあるはずもなく、平穏な日常を送ってきたライには、あるとわかっていて惨状に足を踏み入れることが――できなかったのだ。
それでも引き返すこともできずに立ち尽くしていた葛藤時間は、長くは続かなかった。反射的に剣を抜いて駆け出していたから。
茂みを突っ切り、残っていた人影の側へと飛び出し――剣を薙いだ。
「ギャウッ!?」
僅かな手応えと共に聞こえたのは、獣の悲鳴。
低い唸り声が耳についたために動き出していたのだが――果たして、それは正解だった。
そこには三体の魔獣――はぐれの姿。血の臭いのためか、それとも人間に対する憎悪か。かなりの興奮状態にあるようだ。
けれど、大人しく食われてやるつもりなど、ライにはない。
先手必勝。相手が体勢を整える前に踏み込んだ。
魔獣たちを相手にする上で厄介なのは、牙と爪だ。だから、前足に狙いを定めて剣を振るう。
命を奪う必要はない。ただ、戦意を喪失させれればそれでいい。だが、下手に手加減しても逆に凶暴になってしまうので、その辺の加減が難しいところだが……
「……退け!」
三匹の瞳から獰猛な光が薄れた頃合を見計らって、鋭く言った。
「テメエらに勝ち目はねえ。退けッ!!」
ただの獣であるなら言葉は通じないだろうが、相手は魔獣――幻獣界から呼び出された召喚獣だ。召喚術には、こちらの言葉を理解させるための術式も組み込まれているため、通じる――はず。
まあ、言葉は通じなくてもこちらが強いと思わせられれば、それ以上は襲ってこないが。
低く唸っていた魔獣は、一匹、また一匹と唸り声を止めじりじりと後退り……揃って逃げていった。
魔獣の姿が完全に見えなくなり気配も消えてから、ようやく安堵の息を吐き出した。
それから、改めて人影へと目を向けた。
何の動きもなく、静かに佇んでいる人物。あまり馴染みのない衣服をまとった、ライよりも背の高い――少女。
「おい、アンタ。大丈夫か?」
声を掛けても反応はなくて、少女の正面へとまわり込む。少女は……驚いた表情のまま固まっていた。その顔にも、衣服にも、べっとりと赤い液体がついていて――ライは顔をしかめた。
もう一度、今度はその肩を揺すりながら、少し強めに呼び掛ける。
「おい、しっかりしろッ!!」
「あ……」
小さな反応。
安堵したのも束の間、少女は大きく目を見開いて――
「いやああああああぁぁぁぁぁぁ――――――――――っ!!!」
「お、おいっ!?」
「ウソ……ウソよ……ありえない……ありえないもの……」
悲鳴を上げた少女は、頭を抱え、空虚(うつろ)な目でどこか一点を見つめたまま、うわごとのように呟く。
見るからに顔面は蒼白で、ガタガタと身を震わせている。
……見たものを、受け入れられていない――否。受け入れることを拒んでいるのだ。そうすることで、自分を保とうとしているのだろう。
当然の反応だと、ライは思った。
だからこそ、少女に声を掛ける。一刻も早く、この場所から遠ざけるために。
「落ち着け。大丈夫だから、オレと一緒に来いよ」
肩に手を置き、自分のほうを向かせる。とにかく、他人の存在を認識させなければ。
だが……ライはひとつの過ちを犯してしまった。
少女の目が、ライを映した。ライの姿を映して――勢いよく身を引き、近くの木にぶつかった。
「や……いや……っ」
「おい?」
「こないで……来ないでよ、人殺しッ!!」
「な――ッ!?」
少女の口から出た言葉に絶句したあと――気付いた。手にしたままだった、魔獣の血がついた剣に。それが少女の中で、どのように見えたのかを。
「いや、いやああああっ!!」
抱えた頭を激しく振って、叫び散らす少女。
完全に錯乱してしまった少女の姿を見て、ライはすぐに行動を起こした。
剣を地面に突き刺し、一気に少女へと近付き、そして――
「や――あ……」
腹部へと拳を入れて、気絶させた。
傾いできた体を支えて、罪悪感に顔をしかめる。
「……ゴメン、な」
あのままでは舌を噛みかねなかったし、暴れ出したら木の枝や葉で傷を作る可能性もあった。更にこのまま、この血溜まりにいたのでは他のはぐれたちも寄ってくるだろうし、何よりも、ライにとっても少女にとっても精神的によくはないから。
他に方法がなかったとはいえ、女性に手を上げるというのは、やはりちょっと……
大きく息を吐き出して気持ちを切り替える。いつまでもこのままではいられないし、この場所にいたくもない。謝罪は少女の意識が戻ってから、改めてすればいいことだから。
地面に突き刺した剣を抜き、血を拭ってから鞘に収める。そうしてから、ライは少女を背負って、血溜まりを後にした。
「ライくん!」
鬱蒼(うっそう)とした木立を抜けて自宅の庭先に着いた丁度その時、よく知る呼び声がライの足を止めた。
「ミントねーちゃん……」
「よかった、無事で。さっき、こっちの方角からおかしな召喚術の光が見えたから、心配になって見にきたの」
町の住人であり、蒼の派閥に属する召喚師でもある彼女は、駆け寄りながらそう言った。
安堵を浮かべていたのも束の間。いつもとは全く違うライの姿に、驚きを刻む。
「ライくん……その子は……」
「ねーちゃん、頼みたいことがあるんだけど」
明らかに説明を求められていることは分かっていたが、とりあえず、まずは落ち着きたかった。
いい加減、血の臭いに酔いそうだったし、それに少女が――重かったから。
「コイツ、休ませたいんだけど、このままベッドに寝かせるわけにはいかねえし、かといってオレがどうこうするのも……な?」
色々とマズイだろ?
視線を泳がせて、苦笑い。頬が少し赤くなっていそうな自覚のあるライに向けて、ミントも小さく笑い返してくれて。
「わかったわ。家から着替えとか持ってくるから、ライくんは顔や髪を綺麗にしてあげてて。それと、ライくんもちゃんとお風呂に入ること」
「わかってるよ」
「うん。それじゃ……って、君たちは怪我してないんだよね?」
根本的なことを忘れていた、と。去り際に寄越された確認に肯定を返し、言われた通り、まずは洗面所へと向かった。
少女の体を静かに降ろし、ぬるま湯とタオルを用意して、衣服以外の場所についた血を綺麗に拭き取る。
少し乾きかけていたが、それでもわりと楽に取れた。髪だけは、少し苦労したけれど。
できるだけ優しくしていたお陰か、少女の意識が戻ることはなかった。
そのほうが、いい。また錯乱されてしまっては、二度手間になる。それ以前に、少女の精神が耐え切れなくなる可能性も、あるから。
改めて少女の風体を見て、ライは溜息をこぼした。
「ライくん、お待たせ」
開いていた扉から、ひょっこりミントが顔を出し、ライは少女の体を抱き上げる。
「部屋はどこに?」
「紫雲の間。オレの部屋の隣だから、何かあってもすぐに駆けつけられるし」
先行して扉を開けてくれるミントの後をついていく形で目的地へ着き、ミントの指示通りベッドに横付けした椅子に少女を座らせた。
「じゃ、あとはよろしくな、ねーちゃん」
「まかせて。ライくんはお風呂ね」
「おう」
風呂に入ってようやくすっきりしたあと、ついでに服についた血も洗い流して干してから、紫雲の間へと向かう。
ノックをし、了承を確認してから扉を開けた。――と、途端にほのかな花の香りが鼻腔をくすぐる。
「この匂いって……」
「お香を焚いてみたの。血の臭いってなかなか取れないものだから。あとは、心を落ち着かせるため――かな?」
「そっか……ありがとな、ねーちゃん」
「どういたしまして。一応着替えは済ませたけど、着ていた服はどうするの?」
血痕は、なかなか消えるものではない。特に、一度乾いてしまったものは、何度洗っても痕が残ってしまう。だから、もう着ることはできないだろう。けれど……
「あとでオレが洗うよ。多分、コイツにとっては、唯一の故郷のものだろうから……」
蒼ざめた顔でベッドに横たわる少女へと目を向ける。ミントも倣うようにして見つめて。
「やっぱり、この子は……はぐれ、なのね……召喚主は、どうなったの?」
「……なあ、ねーちゃん……人間が、破裂しちまうなんてこと、あるのか?」
直接答えずに問いで返すと、一瞬驚いた顔でミントは振り返り、すぐに苦々しい表情で視線を落とした。
「あるわ。暴走召喚の失敗例として」
「暴走召喚?」
「サモナイト石に通常以上の魔力を注いで行なう召喚方法よ。成功すれば、威力の強い術を使えるけれど、高確率でサモナイト石は砕け散ってしまうの」
「じゃあ、失敗したら……」
「サモナイと石に注ぎこんだ魔力が自分の内に逆流して、膨れ上がる。出口を求めて魔力は、やがて耐え切れなくなった体を突き破って外へ出ていく――って、習ったよ」
光が同時に見えたのは、逆流した魔力だったのか、と。
納得と共に顔をしかめたライを見て、ミントは心配顔。
「大丈夫、ライくん」
「オレは、平気だよ……」
「そう……」
しばらく、沈黙が訪れた。
何を言うこともなく二人は佇んで……そして、自然と視線は少女へと向いた。
「ライくんは、この子をどうするつもりなの?」
この国……帝国では召喚獣への対応が細かく定められている。それに従うのか、従わないのか。
「ミントねーちゃん……ひとつ、頼んでもいいか?」
「……なぁに?」
「コイツがはぐれだってこと、誰にも言わないで欲しいんだ。兄貴はもちろん、リシェルたちにも」
そうしたら。
「コイツさえいいならオレは、コイツを住み込みのバイトとしてここに置こうと思ってる」
これが、ライの答え。
生まれた世界は違えど、この少女は恐らく人間だ。ライとミントさえ事実を隠し、この世界の常識と職があれば、少女はこの世界の人間として生きていけるから。
違法行為――ではあるけれど。
「この国の法律を考えるなら、それがこの子にとって一番良い方法だよね」
帝国の法律において、召喚獣は個人の財産として扱われている。
はぐれ召喚獣をそうと知って匿えば罪になり、見つけた場合は駐在軍人に通報して引き取ってもらわなければならない。
軍人に引き取られたはぐれ召喚獣は、召喚主若しくは所有者のいるものはそこへ送り届けられ、死亡などの理由でいないものは、政府の専門機関へと集められ、改めて希望者に売り渡されると聞いている。
帝国で生まれ育ったライにとっては、それは常識であり、特に疑問を抱いたことはなかった。
召喚獣は、人間の役に立つためにいるモノだから。
――けれど。
今日、初めて疑問を感じた。本当にそれでいいのか考えて、出した答えが先程のもの。
見た目のせいだろうか……『人間』である少女を『物』扱いさせたくはないと思ったのだ。
その気持ちがただの同情心なのか、それとも別の理由があるのか。この時のライには、全くわからなかったけれど。
「わかったよ。私も誰にも言わないから、何かあったら遠慮なく相談してね」
共犯になることを快諾してくれたミントに、救われるような気持ちでただ感謝した。