【 く も り ぞ ら ( i f )】
~もしも彼女が雲雀恭弥を演じていなかったら~
手段は言葉だけじゃない

 雲雀、といえば、並盛町で知らぬ者はいないほどの有名人だ。
 並盛町に古くからある名家・雲雀家の一人娘でありながら、お嬢様という言葉とは無縁であることが余計に人々の記憶に印象深く根付いた要因のひとつ。
 それは、彼女が中学校へ入学した時から始まった。
 入学と同時に、並盛中学校にいた全ての不良たちを叩きのめして軽々とその頂点に君臨した彼女は、己を慕って集った不良たちを束ねて風紀委員を作り上げて学校そのものを支配したのだ。
 支配権が最も良く表われているのは、制服だ。学ランからブレザーへと制服が改定される際に、旧制服は風紀委員のユニフォームとして残され、それによって風紀委員という存在がより際立つようになったのである。
 更に人々が衝撃を受けたのは、風紀委員が発足して丸三年が経過した去年の春だった。卒業式に出席し、卒業証書を受け取り、間違いなく卒業したはずの彼女が、風紀委員長として変わることなく並盛中学校に姿を現したのだ。
 これに喜んだのは風紀委員と、彼女と風紀委員に憧れていた新入生の一部だけ。在校生をはじめ、彼女が卒業したことに安心しきっていた新入生をも驚愕と同時に恐怖に陥れたのである。

 そのような常識外れの行動が目立つ彼女だが、その外見は非常に良かった。
 年々幼さが抜けて美しくなっていく顔立ちに、高く結い上げた濡れ羽色の長いストレートヘアー。姿勢も良く、凛とした様はまさに一輪の花のようで、着物がさぞかしよく似合うだろう和風美人だった。
 赤いスカーフがワンポイントの黒いセーラー服も似合っており、黙っていれば充分お嬢様か、若しくはアイドルで通用するだけに、一体何人の男が勿体無いと思ったことだろう。
 得物であるトンファーを巧みに操り、並み居る不良たちをのして回る様は、蝶が舞うようだと称されるほど美しいのだが、それが却って恐ろしさを際立たせてしまう要因となっていたのだ。
 高嶺の花というよりは、恐ろしき女帝。決して恋愛対象としては見ることのできない存在。
 それが並盛に住む者が持つ、彼女に対する共通の認識――だった。

 その認識が固定観念に変わりつつあった、彼女が風紀委員長となって五年目のある日のこと。


「ヒバリさん! オレとデートしてください!!」


 時間は、朝の登校時。場所は校門前。
 服装検査のため数人の風紀委員と共にいたに向かって、そうのたまった一人の勇者――もとい、男子生徒が現れたのだ。
 通常よりも多くの生徒がいるその場所で、偶然居合わせた全員が我が耳を疑った一瞬。空気が凍りついたのではと思われる静寂の後、一斉に全ての視線がその男子生徒に集中した。
 赤――ではなく、蒼い顔で身を強張らせて前代未聞の台詞を吐いた彼は、沢田綱吉。入学以来、勉強も運動も平均以下というできない人間の見本として『ダメツナ』と呼ばれ、クラス内と一部の同学年には名が知られていた。だが、最近では先輩である剣道部主将の持田剣介を素手で倒したとか、イタリアからの不良転入生を舎弟にしたとか、『ダメツナ』には相応しくない多数の噂が広がり、とはまた別の意味でそこそこ有名な生徒だ。
 今日のことでまたひとつ噂が広がりそうな綱吉に対し、前代未聞の台詞を向けられたの反応はというと――ぴくりとその柳眉が跳ね、切れ長の目がスッと細められた。ただそれだけの変化で、見ているものは恐怖を感じてしまったのだ。真正面からその視線を受けている綱吉など、完全に蛇に見込まれた蛙状態だ。
 桜色の唇が開かれる。死刑判決を待つような空気の中で発せられた女帝の御言葉は――

「君、性質の悪いいじめにでもあっているの?」
「――へ? ちっ、違い、ますっ」
「じゃあ、罰ゲーム?」
「う……っ」

 愛の告白に等しい彼の言葉を全く信じていない質問。それは彼女自身、周囲の人間たちと同等の認識を持っていると物語っているように思えるもの。
 そんな懐疑的な問いと鋭い眼差しを向けられた綱吉は言葉を詰まらせ、しばし後。がっくりと肩を落として。

「はい……罰ゲームとして言い渡されてきました……」

 素直に認めた彼の言葉は、その場に居合わせたギャラリーたちの心に得心と安堵を与え、この事態に対する終息を覚えさせるには充分だった。
 けれど、ここで終わるはずがないところが、が女帝と思われる所以(ゆえん)。

「へえ~……哲」
「へい」
「下らないことにこの私を巻き込むような愚か者を調べ上げて、咬み殺しておきなさい」
「へい!」

 明らかに不機嫌な声で、殺気まで放つ
 声を掛けられた風紀委員副委員長である草壁哲矢は慣れたもので威勢の良い返事をしたが、殺気などというものに縁のない一般生徒は冷や汗が噴き出すのを止められない。無関係な周囲の人間でそれなのだから、真正面にいる綱吉など顔色がどんどん悪くなっていくのも当然だ。
 じりっ、と。綱吉の足が後ろへと下がって。

「え、えーっとぉ……オレは、これで失礼しま」
「待ちなさい」

 そのまま人の波に紛れて立ち去ろうとした綱吉を、けれどが許すはずもなく。
 綱吉を呼び止めたは、放たれる殺気とは裏腹に、いっそ無邪気なほどの満面の笑みで。しかしその手にはしっかりとトンファーが握られていて。

「朝の忙しい時に下らない理由で余計な手間を取らせておいて、何のお咎めもなく済むなんて思ってるわけはないわよね?」
「い、いえ……っ、オレはただ言われたことをしただけで……っ」
「被害者だなんて本気で思ってるの? 実行した時点で立派に共犯よ。よって、応接室に連行後、この下らない計画発案者について吐いてもらうわ」
「ひっ、ぎゃあああぁっ、すみませえぇ――んっ!!」
「逃がさないっ!」

 笑顔が一変し、鋭い肉食獣の顔つきで死刑宣告を下したに、綱吉は一目散に逃げ出した。
 いつもと変わらぬその日常風景を目の当たりにした全員が、憐れな子羊少年に対して心の中でこっそり合掌しつつも、やはりには恋愛事は無縁なのだと納得して胸を撫で下ろしたのであった。





「で、真相は?」
「いでっ!?」
「どうせ赤ん坊あたりの差し金でしょうけど」

 応接室に着くなり、はそう切り出した。
 ここまで襟首を掴まれ引きずられてきた綱吉は、急に解放されたことで後頭部を強(したた)かに打ち付け、トンファーで殴られた脳天と合わせて痛みでしばらく床に転がっていた。
 それでも彼女の言葉はちゃんと聞いていたので、何とかやり過ごせるほどに痛みが和らいでから綱吉は上半身だけでも起こして、頷く。

「……はい……宿題の問題が解けなかった罰として、ヒバリさんをファミリーに勧誘して来いって、銃口向けて言われたんです」
「君、なりたくないんじゃなかったの?」
「そうですけど、撃たれるのも怖いし嫌です」
「撃たれたって死なないじゃないの、君。何? 私より赤ん坊のほうが怖いわけ?」
「どっちも怖いですよ!!」
「と言いながら、赤ん坊の言うままに私の不興を買って殴られる道を選んだのは君よね。つまり君の中では私より赤ん坊のほうが恐怖の対象だということ。しかも、勧誘との指示にデートとか言うあたり、相当頭おかしいでしょ」
「だって、それはリボーンが……」
「君、少しは自分で考えて行動したら?」

 事の経緯を説明しようとした言葉は、の正論によって遮られてしまった。反論はある、けれど、それを口にした勇気はなかった。
 確かにきっかけはリボーンの言葉だった。けれど、いくら綱吉でも、ただ不興を買うだけとわかっていて実行したりはしない。言われるままにしたのは、それに期待するものがあったからだ。
 ――少しでも自分の存在を特別なものとして見てほしい、という期待が……
 けれど。
 は机につくと早々に書類に目を落としてしまい、話はするものの綱吉を見ようとはしなかった。
 結果は失敗、と思っていいだろう。
 綱吉は座り込んだままを見上げ、知らず拳を握り締めていた。
 どうすれば、この想いは伝わるのだろう……言葉で伝えても、本気として受け取ってはくれない気がする。どうすれば、言葉以外で本気を示せるのだろう……
 綱吉の目の前には、椅子に座っている。相変わらず書類に目を通す姿に、綱吉の頭にひとつの方法が閃く。
 けれど……それはとてもリスクの高い方法だった。実行した後が、怖い。怒りを買い、完全に拒絶されるというリスクが、非常に高い……それなら、今のままのほうがまだマシだといえるだろう。
 でも……だけど……っ。
 ぎゅっと一度、固く目を閉ざす綱吉。目を開けた時には、覚悟は決まっていた。
 立ち上がり、ゆっくりとへ近付く。机を回り込んで彼女のすぐ傍らに立ったが、それでもは顔を上げない。

「ヒバリ……
「何? 名前を呼んでいいと許した覚えはな――っ」

 名前を呼ぶことで、やっと顔を上げた。眉間に皺を寄せて発せられた苦情を、その口と共に綱吉が封じた。
 不機嫌そうに鋭かった目が大きく見開かれ、驚愕に染まる。
 珍しいその様子を至近距離で見た綱吉は、の体を腕の中におさめて。

「本気で、おまえが好きなんだって言ったら、デートしてくれるのか?」

 告げた本音に、腕の中のの体が僅かに反応したのがわかる。それでもこの状況を変えようという動きがないのは、単に先程の衝撃が尾を引いているからか。それとも……
 僅かな沈黙の後に、が口を開いた。

「……君、確か同じクラスの女子にパンイチで告白したとか噂になってたと思ったんだけど?」
「あれは告白『させられた』んだ。リボーンに死ぬ気弾を撃たれて。告白する気なんてなかった」
「それでも告白したということは、その気が僅かでもあったからでしょう?」
「本気なんかじゃない。笹川京子に対する想いは、芸能人に対する憧れと同じものだ。――そう、おまえに会って気付かされた」

 京子を好きな気持ちは、今でも綱吉の中にある。その無邪気な笑顔に癒されたのも事実。けれど、それが『手に入れたい』と思う種類のものではないということに気付いたのは、に出会い話しをしてからだった。
 今、こうしてその体を抱きしめていられる事実が嬉しく、落ち着けて、満たされて、でも、更に強く『欲しい』という思いが湧いてくる……京子に対しては決して持ちえない感情。

「オレが本気で、たった一人の女として好きなのは、おまえだ。オレを、見てほしい。オレと、付き合ってくれないか?」

 溢れ出る心のまま、強くの体を抱きしめて、綱吉は本心を告げた。
 返ってきたのは、しばしの沈黙。
 ややあっては身じろぎし、綱吉の耳元へと唇を寄せて――


「……ヤダ」
 ――ゴッ、バキッ。
「へぶっ!?」


 囁かれたのは、拒否の言葉。直後、再び脳天を襲った激痛に腕が緩んだ隙を突いて抱擁から抜け出したから、更に頬にまでトンファーの一撃をお見舞いされて。
 ああ、やっぱり無理だった、と。そんなことを思いながら、綱吉は窓辺に転がされた。
 痛みで浮かんだ涙に滲む視界に彼女の足が映り、反射的に綱吉はびくりと体を跳ねさせた。恐る恐る見上げた先には、案の定トンファーを手にしたが見下ろしていて。

「この私の唇を奪ってみせたことに関しては褒めてあげてもいいけど、死ぬ気ってあたりが気に入らないわね」
「へっ!?」

 これ以上どんな拒絶の言葉と冷たい視線、暴行が来るのかと恐れていた綱吉は、己の耳を疑った。

「死ぬ気って……」
「なってたわよ。間違いなくココに炎が灯っていたもの」

 トンファーをしまい、しゃがんで目線を合わせてきたが額を小突いてきて、綱吉は更に混乱する。

「ええっ!? なってませんよ! だって死ぬ気弾撃たれてないし服だって着たままじゃないですか!?」
「耳元でうるさいわね。そんなことは窓の外で出歯亀してる赤ん坊にでも聞きなさい」
「って、リボーンいるんですか、そこに!?」
「だから、うるさいって言ってるでしょ」
「っ」

 低くなった声のトーンに言葉すら失くした綱吉の胸倉を掴み、は軽々と綱吉の体を持ち上げて窓枠に押し付けた。
 そして――

「私は、死ぬ気にならなければ告白ひとつできないような情けない男を連れて歩く趣味はないの。出直してきなさい」

 そう、言って。
 なんと、綱吉を窓の外へと突き落としたではないか。
 突如襲ってきた落下感に本能的に恐怖を感じた――刹那。

 ――ボスンッ。

 やわらかな衝撃と音に包まれて、しばし後。起き上がった綱吉の目に映ったのは、高飛び用のクッションマット。
 これがあることがわかっていたから突き落としたのか。いや、それでも危険なものは危険だし……リボーンがいるからこそ、か?
 落下の衝撃から立ち直るため、色々なことを取り留めなく考え続けていると、小さな影が視界に入った。……リボーンだ。

「思わぬ収穫だな。まさか自力で死ぬ気モードになってくれるとは思わなかったぞ」
「ホントになってたのかよ!? でも何も変わってないんだけど!?」
「自分の力で内側からリミッターを解除したからだろ。……良かったじゃねーか」
「何が!?」
「出直してこいってことは、見込みがあるってことだろ? おまえの努力次第でヒバリは彼女になってくれるってことじゃねーか」

 リボーンの言葉で、綱吉はぽかんと口を開いた。
 窓から落とされたショックでそれどころではなかったけれど、確かにそんなことを言っていた気はする……
 つまり、今は駄目でも、将来的に可能性はゼロではない――と、いうこと……

「ほ……本当、に……?」
「ヒバリが、んな下んねー嘘や冗談言うと思ってんのか?」

 思うわけがない。それでもすぐに信じられないのは、何も不思議なことじゃないと思う。
 けれど徐々に事実を受け入れられた綱吉の顔は赤く染まり、喜びに緩み始めていた――が。

「そういうわけだ。これからガンガン鍛えてやるから、しっかり強くなれ」
「って、なんでそーなるんだよ!!」
「情けねーのは嫌だっつってただろーが。おまえの根性から叩き直してやるぞ」
「ひ、ぎゃああああああっ!!」

 向けられた銃口で一気に蒼ざめた綱吉は、防衛本能の赴くままにその場から逃げた。
 迫り来る恐怖と、これから更に増すだろう日々の過酷さに。
 先程感じた喜びなど、既に欠片もなくなっていたのだった。

END