【 く も り ぞ ら 】
告白

 ノックをすることなく、綱吉は病室の戸をそっと開いた。中を窺い、部屋の主が眠っているのを確認して、体を滑り込ませて静かに戸を閉めた。
 たったそれだけのことでも、緊張で心臓がうるさいくらいに鳴っているのがわかる。
 深呼吸を幾度か繰り返し、鼓動が落ち着くのを待ってから慎重にベッドへと近づく。枕側の半分を少しだけ起こした状態のベッドの上で、雲雀恭弥は静かに寝息を立てていた。

「……っ」

 パジャマの下から覗く包帯や、赤黒く鬱血した肌の痛々しさに、思わず息を呑む。肋骨が折れていて内臓に影響があるかもしれないと、リボーンから聞いたのを今思い出した。
 黒曜センターでの六道骸らとの戦いで、皆が傷付いた。綱吉も含めて今はほぼ全員が入院している状態だった。その中でも、彼――雲雀が、一番重傷だったのだ。
 雲雀の姿を見ていられなくなって俯き、強く拳を握り締める。

「……ごめ……なさい……っ」

 雲雀が黒曜センターへ乗り込んで行ったと聞いた時、これで解決すると喜んだ。彼に全てを押し付けて、自分は逃げたのだ。
 その結果が、これだ。
 雲雀はサクラクラ病を利用され、満足に戦うこともできなくされて重傷を負わされた。そのサクラクラ病だって、自分と関わっていなければかかることもなかったものだ。
 そう思ってしまえば、自然と謝罪の言葉がこぼれてしまう。

「ごめんなさい……ヒバリさん……っ」

 彼のこんな姿は、見たくなかった。――けれど、そうさせたのは自分だ。
 雲雀が帰ってこないと知り、不安で押し潰されそうだった。生きている姿を見て、泣きそうになった。酷い怪我を負っていると聞かされ、胸が張り裂けそうだった。
 気がつけば、雲雀のことばかり考えている自分がいた。

「ヒバリ、さん……っ」

 よくよく思い返してみれば、雲雀の存在に随分安心していた。怖いという気持ちも確かにあるのだけれど、でも根っこのほうではその圧倒的な存在感に安堵していた。
 自分が、『ダメツナ』と呼ばれることをただ受け入れてしまうほどに弱いから、憧れたのは当然かもしれない。雲雀のことを知りたくて、いつの間にか彼の姿を目で追うことが多くなっていた。
 実際に目の前に来られると畏縮してしまうのだけれど、それでも彼の言動に一喜一憂していた。

「……オレ……っ」

 こんなことになって、初めて自分の気持ちに気付くなんて……本当に『ダメツナ』だ。
 京子のことを、好きだと思っていた。今でも可愛くて、見ているだけで幸せな気持ちになれる。
 雲雀に対して感じるのは、そんなふわふわした想いとは全く違う。苦しくて、切なくなる。でも、それでも、追い求めてしまうのだ。その存在そのものを、求めて止まない。
 捨てられないのはどちらの想いかなんて、明白だ。

「あなたが、好きです……っ」

 受け入れられるわけがないのは、わかりきっている。雲雀は群れるのを嫌っているし、何より彼も綱吉も男、なのだから。
 受け入れられることのない、叶わない想い。でも、気付いてしまえば止められなくなって。
 せめて、眠っているなら――と。口にしてしまったのだけれど。

「……君、本気なの?」
「へ?」

 あるはずのない声が耳に届き、綱吉の頭の中は真っ白になった。
 恐る恐る顔を上げてみれば、緩く角度のついたベッドに横たわる雲雀が、しっかりと目を開けて首をこちらへと向けているではないか。

「え……ヒ、ヒバリ、さん……っ、い、いつから、起きて……」
「僕は木の葉の落ちる音でも目が覚めるって、前に言わなかったかい?」
「い、言ってました、ね……」
「……で?」

 以前、入院した時のことが脳裏に蘇り、嫌な汗が浮かぶ。更には雲雀の鋭い眼差しに射抜かれ、自然に足は後ろへと下がっていく。
 それを察したのか、体を起こした雲雀が、逃がさないとでも言うように綱吉の手を掴んだ。
 自分よりも冷たい手が、肌に吸い付くように手の甲を包んでいる……
 急に恥ずかしくなり、綱吉は勢いよく手を胸元に引き寄せて、あまり力のこもっていなかった雲雀の手からあっさりと逃れた――が。

「……っ」

 雲雀の顔がその瞬間しかめられ、綱吉の手を捕らえていた手は彼自身の胴へと当てられた。
 それを見て、リボーンの言葉は再び思い出され、綱吉は顔を蒼くした。

「だっ、大丈夫ですか、ヒバリさん!?」
「……平気だよ」
「でも……っ」

 再びベッドに体を凭れ掛ける姿は、とても平気そうには見えない。
 わかっていたはずなのに……自分の迂闊さが腹立たしい。

「すみません、オレ……っ」
「謝るくらいなら、質問に答えなよ」
「……っ」
「さっきの、本気で言ったの?」

 雲雀の黒曜石のような瞳が、綱吉に真実を迫る。偽りを許さないような、どこまでも澄んだ瞳。
 目覚めたばかりの超直感とやらが告げたのかもしれない。その瞳に、拒絶の色がないということを。
 だから。

「……本気、ですよ……自分でもおかしいんだってことはわかってます……でも、どうしても止まらない……っ、あなたを好きだと思う気持ちを止められないんですっ!」

 溢れ出す想いを、そのまま言葉にしてしまった。――けれど。

「……ふぅん」

 雲雀の答えは、たったそれだけで。もう、綱吉を見てさえいない。
 ただ真っ直ぐに壁を見つめるその姿は、拒絶されているように見えて。
 やっぱり、受け入れられることはなかった――と。

「迷惑、ですよね……すみません……」
「別に」

 肩を落とし、何とか謝った綱吉の耳に届いたのは、驚くことに拒絶ではなかった。
 思わず目を瞠って顔を上げると、雲雀はまだ壁のほうを見たままで。

「僕は君のことは嫌いじゃないよ」
「え……」
「君の行動は予測できないことが多くて、見ていて飽きないからね」
「う……っ」

 それは綱吉自身の性格云々ではなく、リボーンの死ぬ気弾の所為ではなかろうか。でも、そのお陰で拒否されなかったのなら、少しくらい感謝すべきだろうか、と。
 ぐるぐる頭を抱えて考えていたら、

「沢田綱吉」

 不意に、名前を呼ばれた。
 ただそれだけで、顔が熱くなった。初めて、ではないだろうか。名前を呼んでもらえたのは。
 どうしようもなく嬉しくて、でも気恥ずかしくて。
 そろり、と。目を向けると、雲雀がこちらを見て手招きしていた。素直に応じてベッドのすぐ傍らにまで近づくと、雲雀は体を起こして綱吉の右手首を掴んできた。
 そして、その手を引かれる。真っ直ぐに立っていられなくて、自由な左手をベッドについてなんとか体を支えて間近になった雲雀の顔を見上げた。

「あ、の……ヒバリ、さん……?」
「ひとつだけ、僕の秘密を教えてあげるよ」

 そういうと、雲雀は綱吉へと顔を近付けてきて、思わずぎゅっと目を閉ざした。
 雲雀は掴んでいる綱吉の右手を自分の胸に押し当て、そして綱吉の耳元へと口を寄せて。


「『私』の本当の名前は、雲雀『』っていうのよ」


 耳朶を打ったのは、聞き慣れた雲雀の声よりも少しだけ高くて、でも落ち着いたアルトの響き。右手に感じるのは、あたたかくて、そしてとてもやわらかな膨らみ。

「…………え……?」

 情報処理が追いつかない頭で、雲雀を見つめる。
 間近にある雲雀の顔は、見慣れた、整った少年のもの。その体も、間違いなく少年のものに見える。
 けれど、右の手の平には、確かに少年にはありえない感触が。
 雲雀は、性質の悪い冗談を言うような性格ではない。その雲雀が、秘密だと言った。
 秘密、私、本当の名前、……
 ようやく情報がひとつにつながる。大きく目が見開かれる。

「ヒ、ヒバリさん、お――んぅッ!?」

 出かけた叫びは、飲み込まされた。ずっと間近で綱吉の様子を見ていた雲雀が、噛み付くようにして口を塞いできたのだ。
 突然の出来事に咄嗟に身を引こうとした綱吉だったが、右手は依然掴まれたままで、更に後頭部も押さえられてしまい逃げることができなかった。

「……ぅん……っ」

 雲雀の舌が綱吉の口腔内に侵入し、生き物のように動き回る。逃れようとする綱吉の舌を追いかけ、絡みつき、吸い上げてきて――涙が浮かんだ。
 我が物顔で動き回る雲雀の舌をどうすることもできない綱吉の体から力が抜ける。深すぎる口付けに耐え切れず、溜まっていくどちらのものかもわからない唾液をただ飲み下した。

「ふぁ……っ」

 ようやく解放された口からこぼれ出た声が自分のものとは思えなくて、顔の熱が更に増した気がした。
 対する雲雀はというと、涼しい顔をしていて。

「秘密だって言ったはずだけど?」
「う……っ」
「バラしたら咬み殺すよ」

 いつもと変わらぬ聞き慣れた声でそう言って、再びベッドに体をくつろがせた。
 その姿は、やはり男にしか見えない。でも、つい最近、似たようなことを経験したばかりだ。六道骸が用いた能力のひとつ。

「幻覚……なんですか?」

 でも、何故……何故雲雀がそれを使えるのだろう。本当にこれは幻覚なんだろうか。本当に幻覚なのだとしたら、何故骸の使った桜の幻覚を破れなかったのだろう。
 疑問は沢山出てくるのだけれど、当人からの答えは。

「教えるのはひとつだけだって言ったの忘れたの?」
「……っ」

 実にそっけないもので。
 それで納得なんてできるはずもない。

「気になりますよ」
「そうだね……そんなに『』のことが知りたいなら、もっと強くなって『僕』を楽しませてみせなよ。気が向いたら教えてあげるから」
「そんな……っ」

 また無理難題を出してくれる。これはもしや、遠回しな拒絶なんだろうか。
 後ろ向きな考えを振り払うように食い下がる。

「そんなのムリに決まってます!」
「じゃあ諦めれば?」
「それはイヤです! ……でも……っ!」
「沢田綱吉」

 そんな簡単に諦められるなら、眠っている時に告白なんてしたりしない。折角雲雀が本当は女で、自分がおかしいわけじゃないってわかったのに、諦めるなんて無理な注文だ。
 その思いが声を荒らげさせていったのだが、その口を雲雀が人差し指で塞いできて。

「病室では静かにしなよ。それとも……その口、もう一度僕に塞いで欲しいのかい?」

 唇に触れるひんやりとした指先と、意地の悪い笑みに。先程の行為が蘇り、綱吉は噴火の勢いで顔が熱くなったのを自覚した。

「~~~~っ」

 それを見た雲雀は、実におかしそうにくつくつと喉を鳴らして笑い出して。
 ――からかわれている。
 それがわかっても、初めて見る邪気のない笑顔に、思わず綱吉は見惚れてしまった。
 けれど、あまりにも笑い止まないものだから、終には居たたまれなくなって。

「ヒバリさん!」

 大声を出してしまった。
 その瞬間、鋭い黒曜石が綱吉を射抜き、条件反射で息が詰まって畏縮する。動けなくなった綱吉の首に両手が回されて勢いよく引かれ、立っていられなくなり、ベッドの端に座らせられた形になった。

「うるさいよ。少し黙りな」

 真っ直ぐに自分を見つめる瞳に、吸い込まれるように目が離せない。
 ――どうしてこの人は、こんなに自分の心を鷲掴みにしてしまうのだろう。
 心も、体も、意のままにしてしまう、この人には、多分一生勝てない。
 そんなことを思いながら、唇に感じたぬくもりに、綱吉はただ目を閉ざした。