【 く も り ぞ ら 】
雨上がり

 ボンゴレのアジトとは全く違う、和風の装飾が施された趣のある廊下を、綱吉はほてほてと進んでいた。
 ここは、雲雀の地下財団の施設。一度ボンゴレのアジトへと繋がっている通路へと案内されて通っただけなので、どこに何があるのかさっぱりわからない。
 施設側の人間に会えれば教えてもらえるかも、という考えはどうやら甘かったか。

「なんで、誰もいないんだろう……」

 群れるのを嫌う人であるのは知っているが、だからといって人っ子一人いないというのはどうなんだろう。
 迷うだろうな、というのは予想の範囲内。わかっていて、それでも来たのは――会いたかったから。……なのだけど、このままでは会えずに終わるどころかアジトへ帰れるかも怪しい。
 じりじりと這い上がってくる危機感に、綱吉は溜息と同時にその場にしゃがみこんだ。

「家継に、聞いてくればよかった……」
「……沢田さん?」
「草壁さんっ!」
「どうしました、こちらへいらっしゃるなんて」
「あ、あの……っ、ヒバリさん、戻っていますか?」
「はい、戻ってきてはいますが……」
「会え、ますか?」
「……こちらです」

 ようやく出会えた施設側の人間。しかも顔見知りの存在に、綱吉はすがりつくように用件を言った。その勢いに押されたのか草壁は案内に立ってくれて、綱吉は胸を撫で下ろす。
 ――未来へ来て、数週間。『雲雀恭弥』もまた綱吉たちと同様、過去の己と入れ替わった。その事実に、どうしても会いたくなって、綱吉はここまで来たのだ。
 目的が叶いそうだという安堵が、冷静さを取り戻させた。見つけてくれたのが草壁でよかったと思った時、更に思い出された事実に、先立って歩く彼の背を見上げた。

「あの……草壁さんは、知って、いるんですよね……さん、の、こと……」
「……はい。出産や育児に伴う身の回りのことは、ほとんど私がお世話させていただきましたから」
「そう、だったんですか……」

 見上げた視線は、再び下へ落ちる。
 雲雀恭弥という人間は虚像であり、その正体は雲雀という名の女性であるということは、もう綱吉と、二人だけの秘密ではなくなってしまった。
 それを残念に感じる反面、仕方がないのだということも――本人から聞かされていた。
 二人の秘密を他に知られるようなきっかけを作ったのは綱吉のほうである、と。言わば、自業自得なのだ。
 その事実の故に、は、綱吉をいらないと言って、拒絶、した……

「中学生の恭さんには、私が既に知っているということは言っていません。もちろん、この時代におけるお二人の関係もです」

 不意に言われた言葉で顔を上げた。まるで綱吉の考えを読んだかのようなタイミングと内容だったからだ。けれど、草壁はこちらを見ることもなく歩いていて、思い過ごしだとわかる。
 とはいえ、その言葉は確かに綱吉にとって、非常に助かるものだった。
 この時代のが綱吉を拒絶したように、聞けば過去の――綱吉と同じ時代のも、同じように拒絶するかもしれない。そう思えばこそ、怖くて言えるわけがないことだったから。
 だから、綱吉の口からは自然と感謝の言葉がこぼれた。

「ありがとう、ございます……」
「お礼を言われるようなことではありません。さんに、言われたことですから」
「――っ、はい……っ」

 自身が口止めを命じた。その事実にも、綱吉への明確な拒絶の意志が表わされている気がした。それでも、それは綱吉にとっても助かることだったから、ただ、静かに受け入れる。
 もう、いい。この時代のに拒絶されているのは、もう変えようもない事実だとわかったから。
 だから、今はただ――……

「こちらです。恭さん、沢田さんがお見えです。お通ししても宜しいでしょうか」
「……別に構わないよ」

 障子戸の向こうから聞こえてきた、聞き慣れた雲雀の声に、綱吉の心臓は大きく跳ねた。
 静かに開けられた戸の中へ、草壁に促されて足を踏み入れる。畳の間に綱吉が完全に入ってしまうと、また静かに障子戸は閉められ、草壁は立ち去った。
 入口に、綱吉はただ立ち尽くしてしまう。
 広い和室の中には、学ラン姿の雲雀が記憶にあるままの姿で立っている。――と、切れ長の目がスッと細められ、綱吉はビクリと肩を揺らした。けれど。

「久し振りだね、沢田綱吉」

 紡がれたのは、ひどく優しい声音の挨拶。
 聞き慣れた声。見慣れた姿。綱吉が一番よく知る雲雀が、確かに目の前にいる。懐かしいとさえ感じてしまうそれに、綱吉は泣きたくなった。けれど堪えて、口を開く。

「ヒバリ、さん……少し、オレに付き合ってください」
「いいけど、何するの?」

 あっさりと、何の抵抗感もなく了承してくれた雲雀を促し、奥の部屋へと向かう。未来の息子――家継が教えてくれた通りのことを雲雀に告げると、雲雀は言われた通りにしてくれた。
 そして開かれた扉の先へ、二人一緒にくぐると、扉は静かに閉ざされた。
 先程までいた和室とはまるで違う部屋に、雲雀は怪訝に呟く。

「何ここ」
「この時代のオレが、あなたと戦うためだけに作った、オレたち二人しか入ることのできない隠し部屋だそうです」
「ふぅん……で? 君の様子を見る限り、戦うことが目的じゃなさそうだけど?」

 鋭い指摘に、綱吉はきつく拳を握り締める。
 雲雀に、会いたかった。自分と同じ時代に生きる雲雀に……

「……オレ、迷惑ですか……? あなたにとってオレは邪魔ですか!?」

 それは、これを聞きたかったから。
 ……未来の世界は、恐ろしいことやつらいことばかり。その中でも一番徹(こた)えたのは、10年後のに拒絶されたこと。その事実は、全てを投げ出させるほどに綱吉を追い詰めた。
 けれど、それを踏み留まらせたのもまた、の言葉だった。
 自分の未来は、自分の選択によっていくらでも変わっていく。今いるこの未来が、これから自分が辿る未来だと決まってはいないのだと。
 に拒絶されるということは、綱吉にとって受け入れ難いほどの未来だと、身を以って知ってしまったから。そんな未来には、絶対にしたくない。
 だが、それには『今』の――綱吉と同じ時代のに拒絶されていないことが、絶対条件だ。
 この時代に来る前には、に拒絶されてしまうようなことをした覚えはない。けれど……自信なんて、あるわけがない。のはっきりとした気持ちなんて、聞いたことがないのだから。
 だから、どうしても聞きたかった。不安な気持ちを、消してほしかったから……
 雲雀は観察でもするように綱吉を見つめた後、ややあって口を開いた。

「……この時代の僕に、何か言われたの?」
「この時代のヒバリさん……さんは、オレは、いらないって……」
「まあ、そう言うだろうね」
「……っ」

 否定してほしかったのに。未来のことは何も知らないはずの雲雀の口から出たのは、何もかも全て承知しているかのように実にあっさりとした肯定だった。
 知らない、はず……少なくとも、綱吉の他に唯一教えることのできる人間である草壁は、言っていないと先程綱吉に告げたのだから。
 とするなら、理由は『今』の綱吉にあるということになる。

「どうしてですか!? やっぱり、オレは……っ」
「だって、あの眼鏡の話じゃ、僕たちがここにいる限り、この時代の僕たちはあの装置の中で眠り続けなきゃいけないんだろう?」
「――え?」
「君は沢田綱吉だけど、この時代の沢田綱吉と君は、やはり違うものだと僕は思う。だからこの時代の僕が子供の君をいらないと言ったのは、別に不思議なことじゃないと思うけどね」

 雲雀の口から語られた思いもよらない認識に、綱吉は目を見開いた。
 同じ、だけど、違うモノ……? ああ、そうだ。綱吉自身もそう思ったはずだ。拒絶されているのは沢田綱吉の存在そのものなのか、それとも過去から来た綱吉だけなのか、と。
 じゃあ、やっぱり、拒絶の対象は過去の綱吉だけということだろうか。やるべきことをやって元の時代に帰れとは、そういう意味だったのか。いや、でも……

「で、でも……っ、さんは……っ、だって……オレ、は……っ」
「……綱吉」

 頭の中がぐるぐるして、わけがわからなくなった。
 混乱して自分が何を言っているかもわからない綱吉の名を呼んだその声は、のものだった。
 ただ、それだけで。嵐のようだった頭の中が、ぴたりと静まった。
 顔を上げた先には、少し呆れたような表情で見下ろしている雲雀がいて。


「何があったのか知らないけど、今、君の目の前にいるこの僕は、君をいらないとは思っていないよ」


 はっきりと、そう言った。
 綱吉は大きく目を瞠り、雲雀をただ見つめる。

「ほ、ほんとう、に……?」
「君は、これからも僕を楽しませてくれる気はあるんだろう?」
「それはっ、だって……っ、オレの目標、だから……っ」
「なら、いらない理由はないね」

 何の迷いもなく告げられた言葉――聞きたかった言葉を聞けて、綱吉は張り詰めていた糸が切れる音を聞いた気がした。膝から力が抜けて、その場にへたり込む。
 視界が揺らいで、熱い雫が幾筋も頬を伝う綱吉の耳に、盛大な溜息が届いた。

「沢田綱吉……君、本当に男?」
「男、ですけど……すみません……っ」

 情けない姿なのはわかっているが、どうしても涙は止まらなかった。
 目元を乱暴に拭って止めようとしていると、また溜息が聞こえて、今度は頭を優しく撫でられた。
 驚いて見上げると、膝をついた雲雀が目を細めて笑っていた。

「男の前に、まだ中学生の子供だったね……」
「子供って……」
「事実だろう?」
「……さんって、今いくつなんですか……」
「『雲雀』は普通に中学校を卒業したよ。その年に『雲雀恭弥』が入学して風紀委員を作り、翌年あたりに君が入学してきたんだったかな」
「……ってことは、えーっと……?」
「自分で考えなよ。少しは頭を使わないと簡単に騙されるよ、君」

 くすくすと楽しげな笑い声と共に目元に熱い何かが触れて、涙をさらっていった。それが雲雀の舌だとわかると同時に、顔に熱が集中したのがわかった。
 その様子を、実に楽しげに眺めて、雲雀は綱吉に口付けた。
 久し振りの、その感触。最後にしたのは、屋上でだったか。ただからかわれているだけなのが嫌で、偽りの触れ合いを拒んだのは綱吉だった。
 ――けれど。

「んぅ……っ」

 今は、遊ばれているだけでもいいと思った。拒絶、されていないことを、実感したかったから。
 だから、綱吉は雲雀の首に腕を回し、自ら繋がりを深くした。