「さん。お酒に付き合ってください」
「――は?」
在宅を確認し、いつものように二人だけのトレーニングルームへ来てくれるよう打診した後。現われた彼女へと酒瓶片手に頼んでみれば、珍しくもきょとんとした顔が返ってきた。
のままでのその顔は初めて見た。滅多に見れないその表情は、やはり可愛いと思えるもの。けれど、すぐに訝しげなものに変わり、綱吉は内心残念がった。
「何なの、今日は」
「明日、オレの20歳の誕生日だから。一応、イタリア本部でパーティーがあるのは知ってますよね?」
「それは知ってるわよ。守護者は全員強制参加なんだから」
「はい。それでですね、今までは未成年を言い訳にして逃げられたわけですけど、明日からはそうもいかなくなるわけじゃないですか。酒に強いのか弱いのか、どれくらいまでなら酔わずにいられるのかっていうのは、自分でも把握しておかないとマズイでしょう?」
どんな状況になるのか知らずに飲めば、色々と不都合が起きてくる。最悪、酔い潰れたところを、あっさり殺されかねない。
できることなら飲まないのが一番なのだけれど、断われない場面もあるかもしれない。……そういう時の上手い断わり方も知っておく必要も出てくるのかもしれないわけだし。
というわけで、安全な場所で信用のおける人に判断してもらいたくて考えついたのが、隠し部屋でと飲むという選択だったのだ。
「……私に酔っ払いの介抱させる気なわけね」
「ここが一番安全で、さんが一番信用できるんです。……ダメですか?」
「いいわよ、別に。付き合いましょう」
「ありがとうございます!」
「で、何を持って来たわけ?」
「一応一通り揃えてはみましたけど……やっぱりワインが一番勧められる率高そうですよね」
「そうね。とりあえず、ワインから開けましょうか」
普段はトンファーとグローブが激しくぶつかり合うトレーニングルームの床に、様々な酒が並べられた。小さく個包装されたチーズやサラミなどの珍味も置く。そして、床の上に向かい合って座り、とりあえず白ワインを開けてふたつのグラスに半分ほど注いだ。
軽くグラス同士を触れ合わせてから、ほぼ同時に口をつける。
「……どう、初めての酒の味は」
「意外と飲みやすいですね」
「そう。私はワインはあまり好きじゃないけど」
「そうなんですか? さんの好みのお酒って……やっぱり日本酒とか?」
「当たり。吟醸酒がいいわね」
「持って来てますよ。次はコレにしましょうか?」
「……まずは、ワインを飲み切ってからにしなさい」
「はい、そうします♪」
いつも殺伐とした遣り取りばかりしてきたため、こんな風に穏やかに過ごせる時間が、とても新鮮で嬉しくて、綱吉は自然と笑顔になっていた。
なんだか、とても楽しい気分だ。
思っていた以上に酒も飲みやすいものだとわかってか、綱吉はグラスのワインを一息に飲み干してしまった。まだ残っている白ワインを己のグラスに注ぎ、ついでにのグラスにも注ぎ足すと、彼女の眉間にしわが寄った。
「綱吉……ちょっとペースが速いわよ」
「そうですか? 飲みやすいからですよ、きっと」
答えて、グラスの中身を一気に流し込む。そして再び瓶を手にして、残りをグラスに空けきった。
「まさか、もう酔ってるわけじゃないでしょうね?」
「え~? そんなことはないですよ~?」
多少体が火照ってきている自覚はあるが、頭ははっきりしているし、美味しいからもっと飲みたいとも思っている。この楽しい気分を邪魔されたくない――とも思うような……
考えながらグラスを空にして、赤ワインの瓶を手に取った。――と、コルクを開けようとした綱吉の手を、が阻んできた。
「酔ってるわよ。もう、ここまで。その瓶を渡しなさい」
「いやですよ、酔ってません!」
「酔っ払いはみんなそう言うのよ! 渡しなさい!」
「いーやーでーすっ!」
赤ワインの瓶を二人で引っ張り合う。拮抗し長く続くかと思った攻防は、が瓶を捻り綱吉の手から見事に抜き取ることで呆気なく終わってしまった。
けれど諦めきれない綱吉は、己から遠ざけられていく瓶へと思い切り手を伸ばす。その結果、当然のようにバランスを崩しての上に倒れ掛かった。
浮遊感に支配される中。酒瓶へと伸ばした手がの手首に触れた瞬間、頭の中で何かが弾けた気がした。
「ぃっつ……っ、綱吉……?」
気がついた時、綱吉はの両手首を押さえる形で彼女を床に押し倒していた。……昔、こんなことされたことがあったな、と。ふと思い出した綱吉の下で、いつかと逆の立場になったは怪訝顔だ。
何をしているのだろう……自分の体を支えるために伸ばした手に、たまたまの手を巻き込んでしまっただけ、と。状況的に考えられなくはないけれど、やはりあり得ないだろう。どう考えても綱吉の意志でこうしたとしか思えない。
「……つかまえた」
自覚のない行動をした綱吉の口からは、同じく思ってもいない言葉がこぼれていた。
の目が、スッと細められる。
「何の真似?」
「さんが言ったんじゃないですか。捕まえられたら側にいてくれるって。だから、側にいてください」
「……酒の力に頼るなんて、随分情けないわね」
ぐっ、と。の手に力が入ったのを感じ、反射的に押さえていただけの手首をしっかりと掴んだ。
……こんなことするつもりは、なかったはずなのに。
そう思っても、を解放する気にはなれなくて、代わりに涙が浮かんできた。
「じゃあ、他にどうしろって言うんですか……っ、まともに戦り合ったって、絶対勝てないのに……っ」
ああ、そうだ。先程、頭の中で弾けた何かは、超直感だ。今、この機会を逃したら二度と彼女を捕まえられない、と。そう告げていたから、体が動いていたんだ。
自覚した途端に、涙が溢れてくる。揺らぐ視界でもわかるの冷ややかな目を見たくなくて、彼女の肩に頭を乗せて。
「いやです……っ、これ以上離れていかないでください……っ」
懇願する。それは、拒絶されたくないから。今、腕の中にあるこのぬくもり以上に、彼女の心が欲しいから。
側に、いてほしい……何者にも捕らわれない雲の守護者である彼女に、それは無理な注文なのかもしれないと、本当はわかっている。けれど……ならば、せめて、今だけでも、男として見てほしいと思うのは、いけないことだろうか。
不意に、の両手に込められていた力が抜けたのを感じた。
「さん……?」
顔を上げてみると、変わらぬ無表情がそこにはあった。ただ、その眼差しに冷たい拒絶の色はない。
無言のまま、何も言ってはくれないけれど……
綱吉は、の唇に己のそれを、そっと重ねた。
ふっ、と。目が覚めた時、いつもとは少し違う天井が見えた。自分の寝室ではない――その事実に気付いた瞬間、ボスとして身についた警戒心が働いて飛び起きた。
「――っ」
けれど、ひどい頭痛に襲われ、逆戻りする羽目に陥ってしまった。勢いよく倒れこんだため、スプリングがよく跳ねている。
未だ続く鈍痛をやり過ごし、ざっと周囲を確認する。
寝室……であることに間違いはない。普段着のままではあるが、拘束もされていない。頭痛の他にある体の異変といえば、喉が渇いているくらいか。
そう思って目を向けたサイドテーブルに、水差しを見つけた。それには何やらメモ用紙が貼り付けてある。手を伸ばしてメモ用紙をはがし、見て――ようやく現状を理解した。
メモ用紙にはの字で『命が惜しいなら人前で酒は飲むな』と書いてあった。
つまり、この頭痛は二日酔いによるものだということだ。そして、思い出した。ここは隠し部屋のひとつ、トレーニングルームに直通している、もうひとつの綱吉の寝室だった。
「……情けない……」
大して飲んだ覚えはないのに、ここまでひどい二日酔いになるなんて……の言った通り、あの時の自分は既に酔いが回っていたということか。あまり自覚はないままだけど、感情の制御ができなくなっていたような気はする。
大きな溜息をひとつついて綱吉は体を起こすと、水差しの水を飲んだ。喉が潤う感覚よりも、舌にピリッと走った痛みが気になった。
何だろう、と。思うと同時、脳裏に蘇った記憶。
――この、ケダモノっ――
――さんが、そうさせたんですよ。オレの気持ちを知っていながら、煽るだけ煽って逃げ続けた貴女が悪いんです――
――っ、あぁっ!――
一気に顔が火照って、枕に突っ伏した。
思い、出した。自分が、何をしたのかを。……やりすぎて、思いっきり舌を噛まれたんだった。
本当に、もう、完全に酔っていたと、今なら自信を持って言える。あのに向かってなんてことを言ったのか……あとで絶対報復が来る……っ。
でも――不思議と、後悔はない。
それは、ある意味当然なのか。ずっと、ずっと求め続けていた女性(ヒト)を、やっとこの手に抱くことができたのだから。
ただ、少し残念なのは、酔っていたため記憶が完全ではないこと。
「ホント……情けないなぁ……」
再び、大きな溜息をついて、身を起こした。
報復は、甘んじて受けよう。それが、当然支払うべき代価という風に言えなくもないことなのだし。……何が来るのかわからない分、怖いけど。
とりあえず、今はそのことは忘れよう。今日はイタリアまで行かなければならないのだから。
もう一度溜息をつき、綱吉はいつもの寝室へと戻るため、ベッドから這い出したのだった。
……報復は、思いがけない形で来た。イタリアでのパーティー以降、完全に音信不通になってしまったのだ。確かに今までも何度かあったことではあるが、長期間に渡ってのものは初めてだった。
もしかして、このまま姿を消してしまうのではないだろうか……そんな不安が綱吉の胸によぎったのは、から連絡が絶たれてそろそろ10ヶ月は経とうかという頃のことだった。
執務室で書類を片付けていた綱吉は、ノックの音に顔を上げた。姿を見せたのは、山本だった。
「ツナ、今いいか?」
「大丈夫だけど、どうかした?」
「ああ、今さっき草壁が来てさ。ヒバリからツナへの急ぎの連絡だって、手紙預かってきたぜ」
「えっ!? み、見せて!!」
「おう」
思いがけない事態。ずっと不安を抱えていただけに、思わず食いついてしまった。ここにいたのが山本だけでよかったとは、後になって思ったことだ。
渡された封筒には、確かに雲の守護者の印が押されている。一度浮いた腰を椅子に戻し、少し乱暴に封を切る。中身は、然程厚みのない紙が二枚。
一枚目には、一瞬では意味を量りかねるメモ書きのような短い文章が書かれている。文字は、確かにのものだ。そして二枚目の紙は……
「――っ」
見た瞬間、思わず椅子を倒して立ち上がり、紙を落としてしまった。床の上に二枚の紙がふわりと落ちる。
「……ツナ、どうした? 何か悪い報せか?」
「なっ、何でもないよ! ありがと、武」
慌てて二枚の紙を拾い、山本の目に触れないように折り畳む。首を傾げたものの、山本はそれ以上追及することなく退出してくれて――綱吉は、もう一度二枚の紙に目を通した。
信じられないことが、そこには書かれていた。信じられない、けれど、辻褄は合う、か……ならば、確かめればいい。
椅子を戻すと、綱吉はすぐにパソコンを開き、必要な情報を探し始めた。
必要な情報の全てを見つけ終えるまで、一週間もかかってしまった。見つけるのに苦労した最後の情報であるの居場所が判明したその日、綱吉は守護者も完全に撒いて、単身その場所へ向かった。
灯台下暗しとはよく言ったものだ。はなんと、並盛町にいた。並盛町内にある、小さな病院に。
逸る気持ちを抑えきれずに駆け込んだ受付で名前を告げれば、すぐに病室へと案内されて。
「さんっ!」
「……よく単身で来れたわね」
飛び込んだ、病室の中。半ば呆れたようながベッドの上で綱吉を迎えた。その腕には――生まれて間もない赤ん坊が、静かに眠っていて。
ふらふらと、綱吉はベッドへと近づく。その目は、と赤ん坊を交互に見て。
「……、さん……っ、本、当、に……?」
「はい、綱吉の息子よ。名前は考えた? というか婚姻届は出した?」
「~~っ、まだです」
「何やってるのよ」
あの日、届けられた封筒の中には、出産予定日と胎児の性別が書かれたメモと共に、の署名と捺印の済んだ婚姻届が入っていたのだ。
いきなりそんなものを送りつけられて、驚かないほうがどうかしている。
「だって、信じられなかったんですよ……っ」
「まあ、嫌なら別に出さなくてもいいけど。その代わり、この子は私生児として雲雀家の跡取りになるわよ」
「イヤだなんて言ってません!!」
「ふぇ……っ、ふああああぁぁっ!!」
「この馬鹿! 起きちゃったじゃない!!」
「すっ、すみません!」
突如泣きだした赤ん坊をあやし始める。その顔は、確かに母親の顔で……赤ん坊を見てもまだ信じられずにいた綱吉の心に、やっと現実味が帯びてきた。
の腕の中で、再び大人しくなっていく赤ん坊――それが、綱吉との息子。
息子の存在も、が結婚してくれる気なのも、綱吉にとっては嬉しいことだ。――けれど、それは本当にが心から望んでくれていることなのだろうか。
ようやく赤ん坊が眠りについたあとは綱吉を見上げて――怪訝な顔をした。
「……何、情けない顔してるの」
「、さん……さんは、本当にオレとの結婚を望んでくれているんですか? 子供ができてしまったから、仕方なくそうしようとしてるんじゃないんですか?」
「いつまで経っても馬鹿な子ね、沢田綱吉。嫌だと思ったなら、産まずに堕ろしてるわよ」
「でも……っ、今まで一度だってオレの想いに応えてくれたことなかったじゃないですかっ!?」
「つ・な・よ・しっ」
ギロリと睨(ね)めつけられ、手で口を覆う。もぞもぞしただけで、何とか赤ん坊が起きずに済んで胸を撫で下ろす。
は盛大な溜息をついて、綱吉を見上げた。
「確か私は、遊ばれてるだけで終わりたくないなら私を本気にさせてみなさいって、言ったわよね?」
「……はい、言われました」
「私は、もう何年も、君をからかって遊ぶことはしてないと思うのだけど?」
「え……と……そう、でしたっけ……?」
言われてみれば……というか、からかわれない代わりにずっと戦ってばかりいたような……でも、それは約束だから仕方がないし。
つまり、どういうことだ?
の言いたいことがわからずに固まっていると、再び彼女は溜息をこぼして。
「沢田綱吉。君はね、とっくの昔に私を本気にさせていたのよ」
「ウソ、だ……っ」
「本当よ。戦れば戦るほど強くなっていく君との手合わせが、私の一番の楽しみになっているんだから」
「だって、オレ……っ、一度だって勝てないままなのにっ」
「私に勝てたら付き合うなんて、一度だって言った覚えはないわよ」
きっぱりと言われた言葉に、綱吉ははっとした。
そう、だ……いつの間にか、勝てなきゃ想いは伝わらないって思い込んでいた。そう思い込んで、彼女の変化に気付かずにいたなんて……ああ、本当に情けない。中学生のまま、何も成長していないじゃないか。
きつく拳を握り締め、深呼吸をひとつ。俯いていた顔を上げ、綱吉は真っ直ぐにを見つめて。
「じゃあ……本当に、本気なんですね……?」
「ええ、本気よ」
「オレの、側に、いてくれるんですね?」
「それは無理」
「え……っ」
「私は、『雲』だから、ひとつところに留まり続けることはないわ。でも……綱吉と、この子の許へ帰って来ることはできる。それで、納得してくれない?」
やわらかく、微笑んで。は言った。それがきっと、彼女の譲れないギリギリの一線。
側にいてほしいというのは、綱吉の中学生の頃からの想い。それは、もう、単なる我儘だ。
20歳になった……父親にも、なったのだ。もう、子供のままの思いからは、卒業しなければ。
綱吉もまた、笑みを返した。
「さん……オレと、結婚してください。そして、どこへ行っても必ず、オレの所へ帰ってきてください」
「ええ、喜んで」
綺麗な綺麗な笑顔と共に返された返答。
綱吉は眠る息子ごとを抱きしめ、ようやく辿り着いた幸福を噛み締めた。