【 く も り ぞ ら 】
犬遺伝子

「……綱吉、ちょっと待ちなよ」
「はい? なんです――かっ!?」

 隠し部屋にて、手合わせを終えた後のこと。
 『チョイス』を明日に控え、大きな怪我をしないようにと加減した戦いでは案の定、雲雀を満足させることはできず、質問権を得ることはできなかった。
 仕方ないと諦めて帰ろうとした時、不意に呼び止められて振り返った――直後、ぎゅっと思い切り抱きしめられたではないか。

っ、さんっ!?」
「耳元でうるさいよ」
「――っ」

 見事カッチカチに硬直している綱吉に構うことなく、雲雀は綱吉の首筋に顔を埋めてくる。その状態で喋られたものだから吐息がかかって、ぞくりと全身が震えた。
 そのような密着した状態。シャンプーの香りだろうか。何かとてもいいにおいが鼻腔をくすぐり、更にはやわらかな胸が体に当たっていて。子供扱いされようが、へたれな自覚があろうが男は男。生殺しもいいところだった。
 綱吉のそんな状態に気付いているのか、いないのか。雲雀は全く頓着することなく、その姿勢のまま首筋と、そして髪にも顔を埋めてきて――しばし後。

「ねえ、そっちに草食動物増えたの?」
「……え?」
「僕の知らないにおいが君の体からするんだけど」
「へ!? に、においっ!?」

 両手を綱吉の肩に残したまま、少しだけ離れた距離で真っ直ぐに見据えてくる雲雀の口から出てきたのは、実に突拍子のない言葉だった。
 いきなり何を言い出すのか。抱きつかれた理由はわかったけれど、その行動に移るほどきついにおいをさせている者になど覚えはない。どれだけ鋭い嗅覚なんだろう。

「え、えーっとぉ……この時代での味方は確かに増えてますけど……さんの知らない人は……ジャンニーニですか?」

 とりあえず、アジトにいるメンバーの中で彼女の知らなさそうな人物を挙げてみた。他は大体、あのメローネ基地の丸い装置のところで顔を合わせているはずだし。ジャンニーニなら、メカニック故の独特のにおいがあっても不思議じゃないと思ったから。
 けれど。

「違う。メカニックのにおいじゃない」

 あっさり否定されてしまった。
 では、誰だろう。フゥ太は元から側にいたし、入江正一とスパナはほとんど会っていないから、においが移るわけはないし。ハルや京子だって雲雀は知っているはずだ。
 結局、思い当たる節がなく、聞いてみることにした。

「えーと、どんなにおいなんですか?」
「知っているような気もするけど、知らないにおいだよ。心当たりぐらいないの? 君の体に移り香がつくほど側にべったりしている存在に」
「……え……」

 綱吉にべったりしている、雲雀以外の、雲雀が知らない相手……? そう言われて思い当たるのは、一人しかいない。――家継だ。
 個別に修行をするようになったこともあって個室をあてがわれたのをいいことに、昼間遊んであげられない分、夜は同じベッドで寝るようにしていたけれど……まさか、それが原因?

「……あるんだね、心当たりが」

 信じられない思いで雲雀を見つめていると、確信を込めた言葉が向けられて思わず首を横に振って否定していた。
 だって、言えるわけがない。未来の綱吉との息子である家継の存在は、この時代のに拒絶された原因なのだから。
 今、目の前にいる雲雀に……にまで拒絶されたくはないから。
 絶対に言えない……言いたくない。
 目を逸らして俯いていると、あからさまな溜息が耳朶を打った。

「綱吉、隠し事はもっと上手くやりなよ。そんなあからさまに隠し事してますって顔で否定されて、はいそうですかって引き下がると思うのかい?」
「だ、だって、それ言うならさんだって、隠し事いっぱいしてるじゃないですか!?」
「僕は隠し事をしていることを誰にも悟らせてはいないよ。君だって気付いていなかっただろう?」

 その通りだ。雲雀が自ら明かしてくれなければ、綱吉は雲雀が女性だなんて思いもしなかった。それを知ったからこそ、他にも沢山の秘密があることにも気がつけたのだ。
 それは、わかる……けれど、でも……

「ずるいです……っ」
「ずるくなんてない。綱吉。ボスだろうが会社員だろうが、不利な情報を相手に与えず交渉を有利に進めるためには、ポーカーフェイスは必要なスキルなんだから。君も身につけるべきものだよ」

 言いたいことはわかるけど、でも、やっぱりそれはずるいと思う。
 少なくとも、今のこの状況下では。

「それで? この子供特有の甘い香りに僕自身に近い種のものを混ぜたような、これは誰のにおいだい?」

 張り付けた仮面のような笑顔の問いに、綱吉は勿論答えられなかった。もう彼女の中でほとんど答えが出ていそうだと判っていても、認めたくはなかった。
 間近にある雲雀のシャツを、綱吉は掴む。それを支えに爪先立ちになった綱吉は、雲雀の唇に己のそれを軽く押し当てた。

「……っ」

 綱吉からの唐突な口付けに狙い通り雲雀の腕から力が抜けた一瞬を逃さず、しゃがみ込む形で拘束から抜け出した。

「おっ、おやすみなさいっ!!」

 言い捨てて、自分のアジトへと走る。
 明日はいよいよ『チョイス』。もうこの隠し部屋で手合わせすることはないだろう。家継は、アジトに残るラルと草壁に任せて置いていくから、雲雀が直接家継と会うこともないはずだ。
 未来から元の時代に戻ってしまえば――確認のしようはない。……雲雀の性格上、山本たちにわざわざ聞くことはないだろうし、言い逃れも誤魔化しも利く、はず。
 ポーカーフェイスなんて高等な技術、綱吉が身につけるとなれば相当な時間がかかるだろう。そもそも既にばれているなら、もう逃げるが勝ちだ。
 拒絶されるぐらいなら、情けなくていい……っ!

 幸い、雲雀は追ってこなかった。


「おとーさん?」

 シャワー室から出てきたところで声をかけられた。目を向けると拙い足取りで歩いてくる家継の姿があった。
 ぽすっと抱きついてくる未来の息子を、綱吉は慣れた調子で抱き上げる。

「ただいま、家継」
「おかえりなさいっ」

 笑いかけると、家継も満面の笑みを返してぎゅっと抱きついてきた。……これが、移り香とかいうやつの原因だろうか。それにしたって、手合わせ後だったのだから汗臭かったと思うのだが……雲雀の嗅覚は一体どんな精度なのだろう。
 そんなことを思っていると、家継の息が耳元ですんすん言っているのが聞こえた。
 なんだろう……嫌な予感がする。――と。

「おかあさんのにおいがする」
「――っ!?」
「おかあさんに、あってきたの?」

 思わずばりっと自分から引き剥がした家継は、両脇を持ち上げられたままで、こてんと首を傾げて聞いてきた。
 何、この親子……っ、シャワー浴びたのにまだわかるなんて、どれだけ鋭い嗅覚してるのっ!? 犬っ!? 犬並みってことっ!?
 家継が間違いなくの血を引いていることはわかったけど、こんなわかり方はしたくなかった……っ。

「あれ? ツナ兄、家継と何してるの?」

 通りすがりらしいフゥ太の言葉が、綱吉のフリーズを解いた。フゥ太を見て口を開いた家継が何かを言う前に、抱え直してその言葉を封じて。

「な、なんでもないよ! おやすみ、フゥ太!!」
「あ、うん、おやすみ」

 そのまま自室へと駆け込んだ。
 扉が閉まり、安堵の息が漏れる。ふらふらとベッドへ足を進め、家継を抱き上げたまま背中からダイブした。……疲れた……精神的に。
 再び溜息をつくと、また家継が鼻を鳴らしていた。

「家継……そんなににおいする?」
「すこしだけ」
「……どんなにおいなんだ?」
「えーっと……おかあさんのにおい」
「うん、そのお母さんのにおいってどんなの? 何かに似てる?」
「よくわかんないけど、おかあさんのにおいなのはわかる」
「……そっか」

 3・4歳児に詳細な説明を求めることが、そもそも無理な話だったか……けれど、やはり『わかる』ことに変わりはないらしく、また溜息がこぼれた。

「とりあえず、他の人のいる前で『お母さん』の話はしちゃダメだからね?」
「うん、だいじょーぶっ!」

 布団の中に潜り込みながら、注意だけはちゃんとして綱吉は目を閉じた。
 に関する隠し事は、自分自身のことだけで手一杯なのに……息子のフォローまでは、正直きつい。というか心臓に悪い。本当に何だよにおいがわかるって……っ!
 もう、本気で早く元の時代に帰りたい……っ。
 そう思いながら、綱吉は眠りに落ちた。