アジト近くの森の中、自分が納められていた棺を前に綱吉は佇んでいた。ボンゴレの紋章が刻まれたふたの上にある二冊のノート。開かれた白紙の上に文字が現われ、そして消えゆく様を、じっと見つめる。
入江正一と綱吉と、そして雲雀――。三人で計画し、望んだ通りの未来に、今、自分は立っている。
これから自分が、そして大切な者が自由に生きていける未来を勝ち取ることができた――その、時間に。
とはいえ、これからのことを思うと自然と溜息が出てしまう。
白蘭は倒され、彼の行なった悪事は全て『無かったこと』になった。殺された人々は、殺されたこと自体が無かったことになっており、今も何も知らずに生きているのだろう。
けれど――綱吉たちの記憶には、残っている。ユニの力か、砕けて尚残るボンゴレリングの力か、それとも入江が作った装置の影響か。理屈はわからないが、綱吉たちの記憶は改竄(かいざん)も補正もされていない。
白蘭の行いが消えた代わりに何が起こったのか、若しくは起こらなかったのか。何が消え、何が残っているのか。
記憶にない分、記録を調べて事実を把握しなければならないのだ。しかも、10年分。
平和を得た代償とはいえ、その作業の多さに溜息をついた。その時。
「沢田綱吉」
「ヒバリさん……」
背後から掛けられた声に振り返れば、あちこちに傷の残る雲雀が歩いてきていた。
無表情に見えたその顔は、近付くほどに不機嫌さをはらんでいることがわかる。それも、微妙に視線をずらして綱吉を見ようとしていないあたり、それは相当なものだ。
他に方法はないのだと納得はしても決してこの計画に乗り気でなかったのは、綱吉もも同じだ。特には、入江に秘密をばらしてでも家継のことで釘を刺すほどだった。まあ、それに関しても綱吉も同じ思いではあったが。
だから理不尽に八つ当たりされることはないとは思うのだが、やはり久々に不機嫌絶頂期の雲雀を前にすると冷や汗が流れてしまう。
そんな綱吉の様子にも態度に変化はないまま、雲雀は静かに口を開いた。
「家継、そっちに行ってるから。しばらくは君が育てなよ」
「はい、それはいいんですけど……何か、機嫌悪いですね……10年前のオレは、そんなに貴女の神経逆撫でしました?」
「危うく、僕の手で息の根止めそうになるくらいにはね」
「うわぁ……っ」
不機嫌の理由に当たりをつけて訊いてみれば、見事なまでの是が返ってきた。
『もしも』の数だけ分かれゆくパラレルワールド。白蘭を倒して元の時代へと帰った綱吉は、もはや自分とは違うものとなった。
今ここにいる自分には、未来に行って白蘭を倒した記憶はない。日記として使用していたノートに、一度は現われた文字が消えてしまったのが何よりの証拠だ。
は、過去の存在と未来の存在とが全くの別物であるということを、誰よりもよく理解していた。だからこその、苛立ちなのだろう――と、予想はできても、過去の存在と一度も顔を合わせなかった綱吉には実感が湧かないというのが現実で。
一番楽をしてしまった身の上では、ただ謝るしかできないというもの。
「すみません。というか、それで家継がこっちにいるんですね」
これに関して雲雀は何も答えなかったが、正解なのはわかりきっている。
今は別の存在になったとはいえ、元は同じ自分自身のことだ。既にに惚れ込んでいた時期だったのは間違いない。その時に、本気のの負の感情を――拒絶を向けられたらどうなるかなんて……わかりすぎるくらいだ。
となれば、家継の役割も自然と見えてくる。
まあ、全て上手くいったのだから良しとしておこうか。
そう結論付けた綱吉へ、は淡々と告げた。
「丁度いい機会だからね。僕はしばらく海外に行くよ」
雲の守護者である彼女は、本当に雲のような人だ。風によって流れていく雲と同じく、一ヶ所に留まっていることはない。並盛が好きなためここを拠点としてはいるが、世界中飛び回っているのがほとんどだ。
今回、家継のために約4年並盛に留まり続けたのは――行動範囲が世界へと広がってからは、最長期間だった。
ある意味、もう限界なのだろう。
それでも、帰ってきてくれるから。――求婚の時、彼女が宣言した通りに。
だから。
「……はい。気をつけて……」
綱吉は、笑って彼女を見送るのだ。
雲雀の足が動き出す。真っ直ぐに綱吉のほうへ歩いてきて、すぐ横を通り過ぎた。
――瞬間。
「生きているとわかっていても、君が棺の中に横たわる姿は見たくなかったわ」
の声が、綱吉の耳朶を打った。
微かに震える声。悲しみを、そして不安を秘めた声音。
綱吉は目を瞠るしかできなかった。
「さんっ!?」
振り返った時、雲雀の姿はもうそこにはなかった。立ち去ったであろう方向を、呆然と見つめる。
彼女の想いを確かめる機会は、もう与えられないだろう。そういう人だというのは、よくわかっている。
確かめることはできない……けれど――自惚れても、いいだろうか。
不機嫌だった理由の、一番大きな要因はそれだったのだ――と……
「……ありがとう、ございます……さん……」
じわりじわりと心を満たしていく喜びに、綱吉は静かに瞑目し、呟いた。
離れていても、必ず帰ってきてくれる。心は、ずっと傍に在る。だから、頑張れる。
やるべきことを、なるべく早く片付けてしまおう。次に彼女が帰ってきた時には、もう少しゆっくりできるように。
「おとーさーん!」
決意を新たにした綱吉の耳に、元気な幼子の声が届く。目を開けて見れば、フゥ太に連れられた家継が駆けてきていて。
飛びついてきた息子の体を、綱吉は慣れた調子で抱き上げた。
「ツナ兄、おかえりなさい」
「家継、フゥ太、ただいま。フゥ太、家継の面倒見てくれてありがとう」
「ううん。僕だけじゃなく、10年前のツナ兄自身もちゃんと見ていたし、ハル姉や京子姉もいたから」
「ああ、でもありがとう」
素直に感謝を伝えると、フゥ太ははにかんだ笑みを見せた。
穏やかな気持ちでそれを見たあと、抱き上げている家継へと目を向ける。
「家継、今度はオレの家で一緒に暮らそうか?」
「ほんとーっ?」
ぱあっと笑みを咲かせた幼子は、けれどすぐに不安そうな顔になって首を傾げる。
この、子供らしい素直な反応に、何度心洗われたことだろう。
「……おかあさんは?」
「今度はね、お母さんが仕事で忙しくなるんだよ。だから今までとは反対に、お母さんが時々会いに来るんだ。それじゃあ、イヤかな?」
「ううん! おとうさんもおかあさんも、だいすきだからだいじょーぶ!!」
「いい子だね、家継」
額を合わせてぐりぐりすると、嬉しそうにきゃっきゃと笑いしがみついてくる。
と綱吉の間に生まれた、大切な子供。できることなら、このまま素直に……普通の人生を歩んでほしいと思う。
けれど、それが難しいことは、何よりもよく理解していた。
ボンゴレを継がせる気はない。自分が、最後のボスとなる。それは、もう10年も前に決めたこと。それでも、『ボスの子供』というだけで危険がまとわりつくのだ。
それも、これから数年は共に暮らすのだから、尚のこと――
「十代目……っ!」
新たな人物の声に、家継を抱いたままそちらへと向いた。獄寺を先頭にして、あの装置の所にいた者たちが皆こちらへと来ていた。
装置の中で眠っていた者たちが近付くにつれて皆一様に驚きをその顔に刻んでいく様子を見て、綱吉は思わず苦笑した。
皆を代表し、獄寺が問いを発する。
「十代目、その、子供は……っ!?」
「紹介するよ。オレの息子の家継だ」
「はじめまして、さわだいえつぐです」
「ご子息!?」
「ははっ、ツナにそっくりなのな」
「これからオレが育てるんだ。協力してもらえないかな?」
「ああ、いーぜ!」
驚きのあまり固まってしまった一同の中、山本だけがいつもの笑みを浮かべて綱吉の腕から家継を受け取ると、そのまま高く掲げてくるくると回りだす。
いきなりの高い高いだが、家継は楽しそうに笑っていた。
穏やかに微笑んでその様子を見ていると、案の定というか納得できていないような表情の獄寺が話しかけてきて。
「あ、あの……っ、一体いつ……っ、奥様はどなたなのですかっ!?」
「ヒ・ミ・ツ♪」
にっこり笑って答えたあと、山本へと視線を向ける。
目が合い綱吉の意図を察したらしい山本は、笑顔のまま獄寺へ家継の体を差し出した。
「ほら、獄寺も」
「は!?」
「わあ、かみのけキラキラだー」
「わ、若……っ、ありがとう、ございます……?」
反射的に受け取った獄寺は、家継の素直な言葉にどう返していいのかわからないようだ。
戸惑いを露にする獄寺の瞳に隠しきれない決意を見つけた綱吉は、予定通り家継に話しかけた。
「家継、お母さんとした約束覚えてるかい?」
「うん、おぼえてるよ!!」
「それって、どんなだった?」
「おかあさんのおはなしは、おうちのおそとでしちゃダメ!!」
「もし破ったらどうなるの?」
「おかあさんとあえなくなる!!」
「「「 ええっ!? 」」」
突然始まった父子の会話に首を傾げていた面々も、驚きに染まる。京子たち女性陣が素直に声をあげた。声は出さずとも驚いているのは誰も皆同じで、その中でも獄寺は一人バツが悪そうな色が出ている。
それを見逃すことなく、綱吉はその言葉を告げた。
「家継。今、家継を抱っこしている銀髪の人な、お母さんのこと、こっそり調べようとしてるよ?」
「――っ」
指摘されて顔色を変えた獄寺は、次の瞬間、泣きそうな顔で自分を見つめる家継に気付いて目を見開いた。
「わ……若……っ?」
「ぅわぁああぁんっ!!」
「おち、落ち着いてください、若!? 調べません! 調べませんから!!」
「うそつき、きらいぃ――っ!!」
「えぇっ!?」
「なぁ、獄寺。超直感相手に上辺の口約束は通じねーんじゃね?」
「なっ!?」
中学生の時から子守には不向きだった獄寺。ランボとは違い、自分が仕え守るボスの子供が相手では強気にも出れず、ただオロオロするばかり。
予測通りの展開に思わずくすくすと笑い声をこぼしていると、あからさまな溜息が聞こえた。
見れば、ラルと入江が皆の中から抜け出してきて綱吉の傍らへと立っていた。
「随分とえげつない手を使ったな」
「オレにとって一番大切なのは彼女だからね。彼女自身が名乗り出るまでは、彼女の意に反する行為をわかっていて許す気はないよ」
家継も、勿論大切な存在だ。けれど、それよりも大切なのは。
確かにラルがそうだったように、のことは調べようと思えば簡単にわかるのだ。それを自身が放置している以上、知られることをある程度は受け入れているのかもしれない。だから、その点に関して情報操作等の手を出す気はない。
けれど、明らかに目の前で調べようとしている者を放置する気もないのだ。ましてそれが、彼女にも自分にも近い位置にいる者ならば、尚のこと。
そのためならば、息子だって利用する。
くすり、と。笑って二人を見た。すると、ラルは再び溜息をつき、入江はがっくりと肩を落として。
「黒いよ、綱吉君……」
げんなりと呟いた。綱吉はただ、くすくすと笑う。
誰に何と言われようと、これだけは譲る気はない。
彼女が『恭弥』を演じている間は、表の顔と裏の顔、いくらでも使い分けてみせよう。
それが、彼女の居場所のひとつを守るための、自分が選んだ方法だから――……