綱吉はいきなり目を開けると同時に、文字通り飛び起きた。
呼吸が荒く乱れ、鼓動もいやに耳につく。全身、嫌な汗が流れていた。
「起きたの?」
「――っ」
息が整う前に、予想外の声が耳に飛び込んだ。勢いよく振り返った先には、手にした書類に目を落としている雲雀の姿が。
……状況が全く飲み込めない。
「ヒバリさん……? あれ、ここ……応接室?」
「……寝惚けてるのかい?」
まず思い浮かんだのは、どうして雲雀がここにいるのだろうという疑問。それは周囲を見渡すことで氷解した。応接室に雲雀がいるのは当たり前の日常だ。
ならば、何故自分がここにいるのかということになるのだが……考えても答えは出なかった。というか、ここ最近の記憶があやふやな気さえする。
「えーと……オレ、またどこかで倒れてました?」
「違う。僕が見回りに行っていた間に、君が勝手に入り込んで寝てたんだよ」
「…………すみません、自分でここまで来た記憶がありません」
「君……大丈夫?」
正直に告白すると、思いっきり呆れた顔をされた。……そんなこと言われても、覚えがないのだから仕方がないと思う。
でも……本当に記憶があやふやだ。授業内容を覚えていないのは、まあいつものことだけど(それはそれで問題だが)、そういえば今日は山本や獄寺と会っただろうか。朝、家でリボーン相手にどたばたしたのは覚えているのだけど……
記憶を探っていると、溜息と共にパサリと紙の落ちた音がして、綱吉は顔を上げた。手にしていた書類を机の上に放った雲雀が、真っ直ぐにこちらを見ていて。
「まだ未来にいる気でいるのかい?」
「え……」
予想もしなかった角度からの問いに、綱吉はきょとんとしてしまう。
ランボの持つ10年バズーカによって、10年後の未来に行っていた綱吉たちは、未来で約一ヶ月ほど過ごして帰って来た。
生命の危機に晒され、修行も含めてほとんど毎日戦い通しだった日々から解放されたのは、今から丁度一週間前。
やっと以前の戦いのない日常に戻れたという自覚は、勿論ちゃんとある。
「いえ、それは……大丈夫です、けど……」
「本当に? 長らく戦場にいた兵士は、帰国してもその感覚がなかなか抜けずに日常生活に支障を来たすというよ。君……同じ状態に陥ってないかい?」
「……なってないと、思います」
それは、間違いない、はず。あの生命の危機に晒される張り詰めた緊張感は、確かにもうないから。
記憶があやふやな理由は、そんなことではなくて――
「ただ……最近、夢見が悪くて……それだけです……」
単なる、寝不足だ。
戻ってきてからずっと、眠りが浅い。しかも必ずと言っていいほど、先程のように飛び起きてしまうような夢を見る。何度眠っても、同じ結果で。
まるで、呪いのようだ――と。
「……白蘭のことでも気にしているのかい?」
「――っ!?」
考えを読んだかのようなタイミングと内容の指摘に、いつの間にか俯いていた顔を勢いよく上げた。
綱吉の様子をじっと見ていた雲雀の口からは、再び溜息がこぼれ出て。
「あの男は自分で滅びを招き寄せて、突き進む道を自ら選択しただけだろう。そして君は自分と仲間を守るために引くわけにはいかなかった。譲れないもの同士のぶつかり合いで、より強い想いを持つほうが勝つのは当然の結果だよ」
「……わかってます……ああするより他に道がなかったのは……でもっ、それでも! オレが人を殺したことに変わりはないんですっ!!」
夢を、見る。Ⅹ BURNERで焼き尽くされる白蘭の姿を、何度も。白蘭だけじゃない、死茎隊もだ。人体実験によりまともな自我もなくなっていただろうが、それでも生きている人間だった。
焼き殺された人間の姿を見、そして断末魔の叫びが頭に響いて飛び起きる。
平和な時間に戻って来たのに、綱吉自身には安息などなかった。何度も繰り返される悪夢は、綱吉だけが幸福を手にするのは許さないとでも言われているようで、まるで白蘭の呪いのようだと感じていたのだった。
「……ユニの力で全ては白紙に戻っている。この時代の白蘭は生きているよ」
「え……っ、ウソっ!? だってユニは、一人を倒せば全部消滅するって!」
「さあね。どういう仕組みなのかは僕の知ったことじゃないよ。けど、あの娘の性格から考えても、いくら傍迷惑な奴とはいえ存在そのものが消えることを良しとするとは思えないけどね」
「それは……そうかもしれませんけれど……」
「第一、あのGHOSTだって白蘭本人だったんだろう? 君、あれ消したけど、もう一人は消えなかったじゃない」
「……」
「白蘭の悪事は全て、マーレリングの力を利用したものだったんだろう? 要はそのリングとの繋がりを絶ち切り、更に封印することでリングの力を使えなくしたってだけじゃないのかい?」
雲雀の口から告げられた、思いもよらない事実と推測。推測、なのに……妙に説得力があるのは何故だろう。
白蘭が、生きている……マーレリングは封印され、あの未来は無かったことになっている。あの件に関わった自分たち以外は、誰も――知るわけがないこと……けれど。
「それでも……オレが白蘭を殺した事実は変わりません……っ」
白紙の未来は、白蘭を倒さなければあり得なかったことだ。誰が知らなくても、綱吉自身はそれを知っている……覚えている。
事実は、変わらない。綱吉の手はもう、人の血に染まってしまった。
公にそれを知る人間がいなくとも、誰に罰せられることがなくても。それが、事実……
――パンッ。
突然の大きな音に、体がびくりと跳ねた。固く閉じていた目を反射的に開けて顔を上げると、目の前には合わさった一組の手が。
いつの間に側まで来たのだろう。雲雀が綱吉の目の前で、猫騙しの如く手を叩き鳴らしたらしい。
手から順に誘導されるように見上げた雲雀は、どこか冷たさを感じる厳しい目をしていて。未来での、の拒絶がフラッシュバックした綱吉は息を呑んだ。
そんな綱吉の様子など意に介さず、雲雀は言葉を紡ぎ出す。
「少しそこから離れなよ」
「――え……?」
「君が白蘭を倒したから、8兆という数の平行世界で再び命を得た人が、それこそ天文学的な数いる。倒さなければ君たちも殺されて、ユニの死も無駄になったのも事実だよ」
「で、でも……っ」
「でもじゃない。物事を一方向から見るからそうなるんだよ。何事にも良い面と悪い面があるんだ。どちらか一方しかないなんてことはあり得ないんだよ。両方を見て、より良いものを選び取っていくしかないんだ。君は――自分が負けていたほうがよかったとは思っていないんだろう?」
「はい……それは、間違いありません……けど……っ」
「……無頓着になるのも困るけど、気にしすぎるのもどうかと思うよ」
溜息と共に雲雀の口から出た言葉は、心底呆れた色に染まっていた。拒絶されているわけではないとわかり詰めていた息を吐き出した綱吉は、また思考の海に沈む。
雲雀の言ったことも、わかる。けれど……だからといって、それで綱吉のしたことが許されるわけじゃないと思う。――否、あの件を知る者は誰も、許す以前に問題視すらしていない。雲雀の言ったほうの事実の故に、よくやったと褒めさえした。
気にしているのは、綱吉だけ……否。だからこそ、気にしないわけにはいかないのだ。
だって、それは――自分がマフィアになってしまった証拠のようだから……
ただ得られたものだけを見て、そこに至る過程にあった醜いものを認めなくなってしまうのが怖いと思う。人の命を、平気で奪えるようになってしまうのが――怖い。
そう思えばこそ、この罪悪感を手放すわけにはいかなくて。どうしても自分を許すことができなかった。
その結果が、あの悪夢……呪いをかけていたのは、綱吉自身だ――と。
今、気付かされた。
「……ヒバリさん……オレ、どうすればいいんでしょうか……?」
気付かされて、出てきたのは――救いを求める問いだった。
記憶があやふやになってしまうほど、体には限界が来ている。けれど、だからといってどうすれば自分に欠けた呪いが解けるのかわからない。……解いてしまっていいのか、その判断すらできないから。
なのに。
「割り切るしかないんじゃない?」
雲雀の口から出た答えは、他人事だとでもいうようなあっさりとしたもので。
その一言で頭に血の昇った綱吉は、涙目で雲雀を睨みつけて、叫んだ。
「オレは! 平気で人を殺せるような人間にはなりたくありません!!」
「そういうことじゃないよ。言っただろう? 無頓着になるのは困るって。忘れろとも捨てろとも言わない。ただ、背負うのなら上手くやりなってことだよ」
「……どういうことですか?」
「背負ったものに君が潰されてたら意味がないってことだよ。少なくとも、君の周りには君が壊れてしまうことを望まない人間が沢山いるんじゃないのかい」
……さっぱりわからない。
具体的な方法をこそ知りたいのに、雲雀は回りくどい言い方しかしてくれない。それが、綱吉には長く苦しめとでも言われているように思えてしまう。
それくらい、綱吉の心も追い詰められていて。
――けれど。
「……理解できないって顔してるね」
「全然わかりませんから」
呆れた呟きに素直に応じれば、溜息が返される。
物凄く馬鹿にされている。けれど、何も綱吉だけが悪くはないと思うのだが。
そんなことを思っていると、雲雀はまたわけのわからない行動に出た。――綱吉の目の前に上向いた手の平が差し出されて。
「これ、見えるかい?」
「……手、ですよね……」
「君に周りには、いくつの手があるだろうね」
「いくつって……ヒバリさんの手しか――」
「君を助けたいと思っている人間は、君の周りに何人いるんだい? 君が一人で抱え込んでいる重荷を共に負いたいと願って、君へと差し伸べられている手はいくつあると思ってる?」
「――……」
「その手に気付いて、そして手を取るかどうか。あとは君次第ということだよ」
それは、つまり、頼ってもいいということ……? 相談すればいいということ……? ――今のように?
誰も、綱吉を責めなかったのは、むしろ綱吉を気遣っていたから? 本当は、皆もちゃんと罪は罪と認識していて、それを綱吉に背負わせないようにしていたとしたら……?
手を――伸ばしても、いいのだろうか。
綱吉は、今、目の前にある白い手を見つめる。そして腕から、雲雀の顔へと視線を移動させる。
雲雀は、いつもの無表情でそこにいた。けれど……その雰囲気は、とても優しい。
頼っても、いい? 血に染まったこの手を、伸ばしても――いい……?
「ヒバリさん……さん、も……オレが壊れるのはイヤだと思ってくれてるんですか……?」
すがるように投げかけた問い。
雲雀の目がスッと細められ、伸ばされていた手が下がって――綱吉の目に絶望の色が映った、刹那。
「ぅわっ!?」
わしゃわしゃと力任せに頭を撫でられた。と思ったら、次の瞬間には両手で頬をつままれ引っ張られる。――地味に痛い。
「にゃにひゅるんへふふぁ!?」
「ねえ、君の目標って何だっけ?」
苦情を訴えれば、そんな質問と共に解放された。
痛む頬をさすりながら、思い出す。今、この質問が来た意図を考える。
けれど、綱吉の頭では質問の答えを導くので精一杯で。
「強くなって、さんのことをひとつでも多く知ることです!」
だから、本当に驚いた。
完全に、不意打ちだった。
「君はその目標を途中で投げ出して、僕の楽しみを奪うつもりかい?」
やっぱり回りくどい言い方だったけど、でも確かに楽しみだ、と。これから先もそれは変わらないのだ――と。
それが本当に嬉しくて、涙が溢れた。
ああ、自分はただ、これが聞きたくてここに来たのかもしれない。
そう思ったのを最後に、綱吉の意識はふつりと途切れた。
その後、綱吉は未来から戻って始めて、夢も見ずにぐっすりと眠った。