【 く も り ぞ ら 】
取引

 今にも閉じようとする瞼をこすりながら登校した綱吉は、ふと昇降口で立ち止まった。いつもと変わらない日常の風景のはずなのに、何故か違和感がある。
 もう一度よく見回してみて――気付いた。

「おっす、ツナ」
「おはようございます、十代目! どうしたんですか、立ち止まったりして」
「あ、山本、獄寺君……風紀委員の人が一人もいないから気になって……」

 違和感の正体は、学ランのリーゼント集団の姿がないことだった。服装や持ち物検査がなくても遅刻者のチェックがあるため、必ず誰かは門か昇降口に立っているものなのに。
 今日に限って一人もいないなんて、何かあったのだろうか。
 首を傾げた綱吉の前で、山本と獄寺は揃って怪訝な顔をしてみせて――信じられないことを、口にした。

「何言ってんだ、ツナ」
「この学校に風紀委員なんてありましたっけ?」
「な――っ!? 二人こそ何言ってるんだよ!? 並盛の秩序って言われてるヒバリさんが委員長の、不良集団だろ!? 並盛で知らない人はいないぐらい有名じゃないか!?」
「はぁ?」
「あの、十代目……今日はお体の具合でも悪いのでは……」
「そんなアブナイ集団いるわけないって! 大丈夫かよ、ツナ」

 山本と獄寺の瞳には、ただ綱吉を気遣う色だけが映っていて、本気で知らないのだということが綱吉にもわかった。周囲にいた生徒たちも、きょとんとしたり、くすくす笑っていたりして、そこにあの風紀委員への恐怖は微塵もない。
 なんだ、これは……
 じわりと胸に染み込んできた不安と焦燥に駆られた綱吉は、熱を測るために額に当てられていた獄寺の手を払いのけ、下履きのまま校内へと駆け込んだ。
 目指すは、応接室。並盛中学校の支配者、雲雀恭弥の執務室。
 迷うことなく階段を駆け上がり、見慣れた応接室の扉を勢いよく開け放った。
 ――けれど。

「な、なんだね、君は!? ノックもせずに入ってくるなんて非常識な!?」

 記憶にあるままの応接室にいたのは、見知らぬ中年の男性だった。
 綱吉は愕然とその男性を見たまま口を開き、掠れた声で問う。

「ヒバリさんは、どこですか……?」
「は? 誰だって? ここは生徒が気安く入る場所ではない。出て行きたまえ」
「あ、あの……っ、並盛に古くから続く名家ってありましたよね!? その家の子供がこの学校に通ってますよね!?」
「何を言っているのかね、君は。平凡だけが売りのこの町に名家など存在するはずがないだろう。いい加減にしたまえ」

 信じられない言葉に、綱吉は再び走り出した。
 何かの冗談であってほしくて、並盛中を走り回り、風紀委員を、雲雀の姿を探し続けた。
 どこをどう走ったのか、大きな塀の前に来た。乱れた呼吸を整えながら、綱吉は塀に沿って進んだ。ややあって塀の先に、和風の重厚な門が見えてきた。そこにあった表札には『雲雀』の二文字。確かこれで『ヒバリ』と読んだはず、と。ない知識を搾り出した綱吉は、門に手をかけた。
 大きな門は見た目通りかなり重い。けれど動くのはわかって、思い切り体当たりしてみた。その途端に門は勢いよく開いて、喜んだのも束の間。

「ヒバリさ――うわああああぁぁっ!?」

 門の先にあったのは、真っ暗な闇だけ。綱吉の体はその闇の穴に落ちていって――

「っ!?」

 ハッと気がついた綱吉は反射で飛び起きた。全身嫌な汗で濡れており、息も浅い。
 周囲をぐるりと見渡し、そこが自分の部屋であることを認識して――長く息を吐いた。

「よかった……やっぱり、ただの夢だったんだ……」

 風紀委員も雲雀もいない並盛なんて、そんなことあるわけがない。一体どうしてあんな夢を見てしまったのだろう。
 ぼんやりと考えていると、部屋の扉が開いて黒いスーツの赤ん坊が入ってきた。

「起きたのか、ツナ。熱は下がったみてーだな」
「熱……?」

 リボーンの言葉で改めて室内を見回す。確かに水枕と氷のうが枕元にあり、テーブルの上には水の張られた洗面器も置いてあった。
 それらを見て、綱吉は得心がいき、体から力が抜けるのを感じた。

「そっか……熱のせいであんな夢見たのか……」
「ん? どんな夢見たんだ?」
「それが並盛からヒバリさんも風紀委員も消えちゃうとか言う、ありえない夢なんだ。おかしいよな、みんなあんなに怖がってたのに誰も知らないって言うなんてさ」
「ツナ。ヒバリって誰だ?」

 笑って夢の内容を話した綱吉は、次のリボーンの言葉で凍りついた。再びあの不安と焦燥感が胸中に広がっていく。

「何、言ってんだよ……並盛の支配者で、すごく強くて、おまえだって最強の守護者だって言ってたじゃないか!? 変な冗談やめろよ!?」
「冗談なんか言ってねーぞ。おまえの守護者にヒバリなんて名前のヤツはいねえ。第一、並盛を昔っから支配してきたのは初代の子孫である沢田家だろーが」
「ウソだっ!! そんなことあるわけない!!」

 また知人の口から出てきた信じられない言葉に、綱吉はベッドから飛び出し部屋から駆け出した。
 いつものリボーンの性質の悪い冗談だと証明したくて、学校に向かうつもりだった。
 けれど階段で足を踏み外して、綱吉は再び嫌な浮遊感に支配された。
 そして、光の全く見えない完全な闇へと堕ちていった。





 シモンファミリーの聖地でD・スペードを倒してから三日後。怪我の治りきらぬ体を押して、山本武は黒曜センターへと走っていた。
 痛みを訴える傷口を手で押さえて宥めつつ一度呼吸を整えてから、以前一度だけ乗り込んだことのある敷地内に踏み込む。前回のように穴に落ちたりしないよう慎重に、けれどできるだけ急いで進んだ。
 廃墟となって久しいヘルシーランドと書かれた建物に入ると、金属音が耳に届く。捜し人の存在を示すであろうそれに軽く安堵した山本は、音を頼りに奥へと進んだ。
 そして、現われた光景に息を呑む。

 トンファーと三叉槍の激しくぶつかり合う戦闘中。それぞれの得物を振るう雲雀恭弥と六道骸が立っている場所は、ボロボロの廃墟ではなかった。
 マグマのたぎる溶岩地があるかと思えば、凍える氷雪の地もあり、更には鬱蒼と蔦が茂り伸びる場所もあるといった、現実にはありえない光景が広がっていたのだ。

「クフフッ、まさかあなたとこのような戦いができるとはね」
「君の幻術は効かないってことは、もうわかってるんだろう。遊んであげるのも飽きてきたから、いい加減に諦めてその頭のヘタ、むしらせなよ」
「嫌に決まっているでしょう!? あなたこそ僕をあの果物に例えるのも、D・スペードの身代わりに八つ当たりするのもやめていただきたいですね!!」
「断るよ。アレと同じふざけた頭をしている君の自業自得だ」
「責任転嫁ですか!? 子供ですか、あなた!?」

「――ぶっ!!」

 しかし、飛び交う会話に、つい山本は思いっきり噴き出してしまった。それによって、そこにあった全ての視線が山本を捉える。

「あっ、オマエ!! 何しに来たびょん!?」
「……山本武?」
「おやおや、今日は千客万来ですね」
「……雨の人……大丈夫?」

 黒曜組の言葉を受けながら、何とか笑いを治めようとする。笑った所為で余計に痛む胸部を押さえて、この場にいる者へと向き直った。

「わ、ワリィ、ワリィ……ヒバリを呼びに来たんだよ。草壁に聞いたらココだって言われてさ」
「邪魔しないでほしいんだけど」
「っと! お迎えがいらしたのですから、大人しくお引き取りいただきたいですね!」
「知らないよ、そんなの。僕を帰したいなら、さっさとそれむしらせなよ!」
「だから絶対に嫌だと言っているでしょう!」
「ヒバリ……小僧がヒバリ連れて来いって言ったんだ。とりあえず、戦いだけでも止めてくんねえか?」

 まだ戦いの手を止めない二人に溜息をこぼして、山本は雲雀に頼んだ。しかし雲雀はそれでも止まる気配なく、言葉だけを投げ返す。

「赤ん坊のわがままに付き合う気はないって言っておきなよ」
「あなたのわがままに今現在付き合わされている僕の苦情を聞いていただきたいのですがね! それを他人に求めるのならば!!」
「なんで僕が他人の事情に振り回されなきゃいけないのさ」
「この……っ、唯我独尊が……っ!」
「……ヒバリ。ツナが大変なんだよ」

 止めてくれないならば、止めるまで。声は問題なく届いているようなので、山本は雲雀を呼びに来た理由を短く告げた。
 たったそれだけで、ピタリと戦闘は止んだ。
 骸とクロームが安堵の息をこぼし、城島犬と柿本千種は理由がわからず怪訝顔。その中で、ゆるりと振り返った雲雀と向き合う山本の間に、どこか張り詰めた空気が漂い始める。

「……何が?」
「起きてるのに、誰の声にも、何をしても反応しないんだ」
「殴り飛ばせば?」
「それは小僧が真っ先に試したけど効果はなかったぜ。獄寺が言うにはあの島でも一度同じような状態になったことがあるってよ。親父さんが古里の家族を殺したって聞いた時にさ。あん時ツナを元に戻したのもおまえなんだろ?」
「違うよ。自覚がないのかい? あの時、沢田綱吉を元に戻したのは君だ。僕は、アレが見失っていたものへ目を向けるためのきっかけを与えたに過ぎない」
「そっか……でもよ、今回はおまえじゃなきゃダメだと思うんだ。頼む、ツナを助けてくれ」

 雲雀に対して真っ直ぐに頭を下げる山本の姿が、事の重大さを如実に表している。
 黒曜組がそれぞれ驚きに包まれる中、雲雀の口からは盛大な溜息がこぼれた。そして骸を振り返る。

「念のために聞いておくけど、君の仕業じゃないだろうね」
「いい加減に八つ当たりの口実をでっち上げようとするのは止めていただきたいものですね。僕は何もしていませんし、あの時あなたに残していったようなD・スペードの置き土産でもありませんよ。今、沢田綱吉を捕らえている闇は、彼が自分で生み出したものです」
「つまり、アルコバレーノの仕業も同然だってことだね。自分の不始末の尻拭いを僕に押し付けようなんて、いい度胸じゃないか」
「……予測していたのなら、僕に構うより先にそちらへ向かっていればよかったでしょうに……困ったお嬢さんですね」

 雲雀の独白に対し、骸もまた独りごちた。その骸の言葉で、島での出来事を知らない犬と千種が訝しげ、また疑問を浮かべ、雲雀の眉がぴくりと跳ねる。
 雲雀は苛立ちを隠そうともしない足取りで骸に近づくと、身構えた骸へと邪気のないそれは綺麗な笑みを見せた。初めて目にする意外すぎるそれに気を取られた一瞬の隙をつき、軽く地を蹴って間合いを完全に詰めて。

「あなたに『お嬢さん』なんて言われるような年じゃないわよ、坊や」
「っ!?」

 耳元で囁かれた艶のある女の声で驚愕に染まった一瞬後、骸は咄嗟にしゃがみ込んだ後その場から飛び退った。骸の動きを追うように彼の頭のあった位置に、鋭い刃のついたチェーンが軌跡を描く。
 高い金属音を響かせてトンファーにチェーンを戻した雲雀は、獲物を捕らえられなかった気持ちを盛大な舌打ちにて表現した。

「口は災いの元って諺を知らないのかい? 僕はお喋りは嫌いだ。今度余計なこと言おうものなら、ヘタだけじゃなく実ごと細切れに切り刻むよ」

 冷や汗を浮かべる骸を鋭く睨みつけて言い捨て、雲雀はくるりと踵を返してこの場を去っていく。我に返った山本が慌ててその後を追って、黒曜ヘルシーランド内にやっと平穏が戻って来たのだった。





 沢田家二階にある綱吉の自室はいつもと違い、異様な雰囲気に包まれていた。住人がいれば騒がしいのが通常であるのに、今は恐ろしいまでの静寂が支配しているのだ。
 部屋の主である綱吉は、力なくベッドに座っているだけ。目は開いていても虚ろで、そこには光さえも映していない。等身大の人形のようだった。
 同じく、床にただ座り込んでいるのは、獄寺隼人と古里炎真だ。綱吉を何とか元に戻そうと試みて全てが徒労に終わり、己の無力さに打ちひしがれている。
 もうひとつの影は、窓に佇みじっと外を見つめる赤ん坊、リボーン。
 誰もが口を開かず、この状況を打破してくれるであろう人物をただ待ち望んでいた。

「――来た」

 リボーンの呟きとほぼ同時に、住宅街には不釣合いなエンジン音が轟き、獄寺と炎真は同時に顔を上げる。
 窓辺に近かった炎真が立ち上がって窓の外を見た時、山本を後ろに乗せた雲雀のバイクが沢田家の前に停まった。降りた二人は――特に雲雀にしては珍しく、玄関へと姿を消す。
 然して間もなく、まずは山本が戸を開けて入ってきて、その後に雲雀が顔を出した。
 室内に一歩入っただけで歩みを止めた雲雀は綱吉を一瞥した後、真っ直ぐにリボーンをその目に捉える。リボーンも雲雀を見返し、口を開く。

「見てのとーりだ。ヒバリ、何とかしろ」
「この僕を呼び出しておいていきなり命令してくるなんて、随分といい度胸じゃないか」
「ヒバリ、今はその話は後で――」

 先に綱吉を、と。諌めようとした山本を、雲雀は一睨みするだけで黙らせた。そしてほんの僅かに綱吉へと視線を動かすそれに対し、気付いた山本はもう口を開く気はなくなっていた。
 諌め役がいなくなったことを悟ったリボーンは、溜息をひとつつく。

「おまえだって、ツナをこのままにしておきたくねーから来たんだろうが。くだんねーことグダグダ言わねえで素直に動け」
「下らなくなんてないよ。自分だけが全て正しいなんて勘違いをされたまま、この僕がいいように使われてやるわけがないだろう。僕が今までこれに対してしてきたことを全て台無しにした君の命令なら、尚更聞く気はないね」
「おまえがツナにしてきたってことは、今この状況で主張するほど重要なことなのか?」
「……君、それでよく家庭教師を恥ずかしげもなく名乗れるね」
「何が言いてえ」
「これを育ててきたのが自分一人だなんて、本気で思っているのかい?」

 無意味にしか思えない会話を止める気配のない雲雀に、リボーンの顔にピキリと青筋が浮かぶ。苛立ちはそのまま声にも表された。

「回りくどい言い方すんな。言いてえことははっきりさっさと言ってやることやれ」
「理解能力のなさを僕に八つ当たりしないでくれるかい」
「いちいち腹立つヤツだな」
「苛立ちを我慢してるのは僕のほうだよ」
「いい加減にしやがれ! 今はてめえの言葉遊びに付き合う気はねえ!!」

 とうとう切れたリボーンが銃口を雲雀に向けた。けれど次の瞬間、銃は床に転がり、リボーンは首を絞める形で窓に押し付けられていた。
 部屋の入口にいたはずの雲雀の動きを、誰も――リボーンでさえ追うことはできずに、ただ驚愕に目を見開く。
 雲雀はどこまでも冷え切った目でリボーンを見て。

「自分の立場をわきまえなって言ってるんだよ。君には僕に命令する資格なんてない」
「なっ」
「いいかい? 君は沢田綱吉をマフィアのボスにするための家庭教師なんだろう? それは殺されないための戦闘能力を中心に、最低限の学力を身につけさせるようなものじゃなかったかい?」
「そうだ。それが何――」
「戦わざるを得ない状況に追い込むばかりで、あの子の自発性を促すことなんて全くしていないだろう?」
「そんなことねえ。ヴァリアーとの戦いに挑む時あたりからは、口では何だかんだ言いながらも、自ら修行に打ち込んでいたぞ」
「そうさせたのが僕だってことに、いい加減に気付きなよ」
「何だと」
「君は一度見ているはずだよ。あの戦いの後、廃工場で僕とあの子が戦っていたのを」
「!?」
「僕はあの時言ったはずだよ。誘ってきたのはあの子のほうだと。僕は場所を提供して付き合ってあげただけだ」
「……」
「あの時、あの子はなんて言って誤魔化した? 本当の理由なんて言わなかっただろう?」
「……ああ」
「未来でもそうだったんじゃないのかい? あの子はね、勘付いた僕に対しても、子供の存在を何とか隠そうとしたよ。だから僕も何があってそうしようとしたのかは知らない」
「それが一体何だってんだ」
「まだわからないのかい? 僕の言い方が回りくどいのは元々なんだよ。その僕との会話を繰り返すことによって、あの子は少しずつ言葉の裏を読む力をつけてきていた。僕という秘密を持つことによって、交渉術や処世術の元となる力を養いつつあったんだよ」
「……」
「あの子を育ててきたのは僕だって同じだよ。君よりもずっと重要な部分を僕は担ってきていた」
「……そういうことは早く言っとけ」
「気付けなかった君が未熟なんだよ。気付けないどころか、君は自分の好奇心を埋めたいという身勝手な理由でそれらを全部台無しにした上に、育てるべき自分の生徒をも壊しかけた。この現状は君自身が招いたことだって自覚しなよ」
「……」
「わかっているね? これは、ひとつどころの貸しじゃないよ」
「わかってる。借りは必ず返す」
「反古は許さないよ」

 やっと雲雀はリボーンの首から手を放して捨てた。解放されて床に着地を決めた赤ん坊を見ることもなく、ようやく雲雀は綱吉のほうを向いた。
 ベッド脇には山本は膝をついてじっと綱吉を見ていたが、雲雀を見上げると静かに首を振って見せた。

「で、これだけ僕が話していたのにも拘らず、この草食動物は無反応なのかい」
「ああ、ずっと見てたけどダメだな。ピクリとも動くかねえ」

 山本との会話で、何故雲雀がまずリボーンとの会話を優先させたのかを知った獄寺と炎真はただ目を瞠る。けれどその結果には表情を曇らせるしかなかった。
 雲雀はベッドへと歩み寄り、綱吉の正面に立つと軽く息を吸った。そして――


「いい加減にしなさい、綱吉」


 雲雀の声ではない、初めて聞く女の――の声に、皆一様に息を呑む。そして恐る恐る経過を見守っていたけれど……綱吉は反応を見せなかった。

「これでも駄目なのかい……面倒なことしてくれたね、アルコバレーノ」

 いつもの声に戻して呟く雲雀。
 絶望宣言に等しいそれに、今まで黙っていた獄寺がとうとう口を開いた。――開かずには、いられなかったのだろう。

「偉そうなこと散々言っておきながら、まさか無理でしたなんて言う気じゃねえだろうな」
「無能な駄犬は黙ってなよ」
「何だとっ!?」
「落ち着けよ、獄寺。ケンカしてる場合じゃねーのはわかってんだろ?」
「チッ」
「大丈夫、なんだよね?」
「自信満々に言い切ったんだから、手はあるんだろ」
「何とかするために僕を呼んだんだったら、黙って見てなよ」

 次々に不安を口にする外野に雲雀が溜息をついた、次の瞬間のこと。
 ――ざぱん、と。音と共に『恭弥』の姿は滝の如く流れ落ち、島で見たあの髪の長い女の姿が現れる。
 幻術だと知っていても、この変化には驚かされる。どうしても慣れない。
 驚きに固まる面々を振り返ることもなく、は言い放つ。

「山本武」
「ん、なんだ?」
「騒がないように獄寺隼人を押さえておきなよ」
「おう」
「んなっ!? なんでテメエは毎回そう言いやがる!? つーか山本! テメエも何大人しく従ってやがんだ――むがっ!?」
「黙っとけ、獄寺」
「他の三人もだよ。沢田綱吉をこのまま壊したくないのなら黙ってて」
「う、うん……わかったよ」

 山本に羽交い絞めにされた獄寺は、更にリボーンによってタオルを口に詰め込まれてしまった。言うことを素直に聞かない人間は、これで強制的に黙ったことになる。
 残りにもう一度忠告して、はベッドに膝をついた。
 自分の舌先を軽く噛み切ったは、綱吉の顔を両手で包み込むように押さえて上を向かせると、躊躇うことなく口付けて血の流れる舌を侵入させる。
 体を動かす意志を失っていようとも、体自体の反射は生きているはず。血と唾液の量を増やし、また嚥下を促すために侵入させた舌を動かす。その間も、じっと綱吉の虚ろな瞳を見て変化を探る。
 の読み通りに飲み込ませることに成功して、しばし後。

「……ん……んん?」

 何の反応も示さなかった綱吉から、声がこぼれた。虚ろでしかなかった瞳も徐々にぼんやりと光を映し始め、ゆらゆらと動き出す。
 どこに定まることもなく彷徨っていた視線が、見慣れた黒曜石を捉えた。人間の感覚の大半は視覚によって左右される。見えたことで現状が瞬時に理解できたのだろう綱吉は、大きく目を見開くと同時に一瞬で頬を赤く染め上げ、今までとは逆に固く目を閉ざして逃れようともがいた。
 だが、は綱吉が逃れることを許さなかった。更に深く口付けて舌を絡ませ、綱吉の口腔内を激しく荒らした。

「ふっ……ん……っ、んぅ……っ」

 呼吸すら奪われるそれに、綱吉の体からは力が抜け、抵抗していた手はただしがみつくだけになった。
 明らかに恋人同士がするような濃厚なキスシーンを見てしまっただけでも衝撃的なのに、それが自分たちの友人である事実にどうしていいのかわからず、中学生三人は顔を真っ赤にしたまま固まってしまった。
 その中、リボーンだけが冷静に全てを見ていた。自分の落ち度で大きな借りを作ってしまった事実は痛手だが、それを素直に受け入れるなどプライドが許さなかったから。何かひとつでもの秘密を暴いてやろうと観察していたのだ。

「ふぁ……っ」

 外野の視線に気付く余裕など初めから持ち合わせていない綱吉は、艶に染まった声をこぼしてしまった口許を拭うこともできず、ようやく解放を得て上がった呼吸を整えるのに必死になっていた。
 が代わりに綱吉の口許を拭い、顔からも手を離す。細いその指の動きを無意識に感覚が追い、やっと綱吉はをまともに見上げた。

「ヒバリ、さん……?」
「ようやく気付いたの? 随分前からいたのに無視するなんて、いい度胸だね」
「なんで……その姿……」
「『恭弥』がいいなら戻すけど?」
「そうじゃなくて! どんなに願っても見せてくれなかったのに……っ」
「それは君が全然強くならないからだよ」
「だから……っ、まだあなたが求める強さを手にできてないのにその姿を見せてくれたのは、オレの前からいなくなるからじゃないんですか!?」
「どうして君はそんなに後ろ向きかな……」
「違うんですか? じゃあ、これも夢の続きで、すぐに消えちゃう幻なんじゃないですか……っ?」
「……僕が君の目の前で消える夢を見ていたの?」

 震える手で袖を掴んでくる綱吉へ、は静かに問い掛ける。俯いてしまった綱吉は、力なく頭を左右に振って否定を示し、震える声で語りだした。

「風紀委員も、ヒバリさんも、並盛から消えちゃった夢です。学校に行ったら風紀委員の人が見当たらなくて、山本と獄寺君に聞いてもそんな危ない集団いないって言うし……応接室には知らないおじさんしかいなくて、並盛中捜して回っても見つからなくて……やっと『雲雀』って表札を見つけて大きな門を開いて中に入ったら、なんにもない真っ暗な穴で、おっこちちゃって……」
「……」
「気付いたら自分の部屋で、熱出して寝込んでたってリボーンに言われて、夢でよかったって思ったのに……っ、リボーンまでヒバリさん知らないって言って、ヒバリさん探しに行こうと部屋出たところで、階段踏み外して落ちちゃって……」
「間抜けだね」
「やっぱりそれも夢で……っ、でも……っ、覚めても覚めても、ずっと夢の続きで……っ、探しても、捜しても、ヒバリさん……っ、いなくって……っ」

 ぽたり、と。シーツに幾つものシミができる。震える声はもはや意味のある言葉を紡ぐことはなくなり、小さな嗚咽へと成り果てた。
 は――盛大な溜息をつく。

「沢田綱吉。顔を上げなよ」
「っく……?」
「君は、今、目の前にいるこの僕を何だと思ってるの?」
「ヒバリ……さん、です」
「呼・ん・で・い・い・と・許した覚えはな・い・よっ」
「ひいぃっ、ひゅひふぁへん、ひふぁひひゃんっ!」

 単純な誘導尋問によって名前を呼ばせることに成功したは、いつかの応接室と同じように綱吉の両頬を引っ張った。流石に衝撃から立ち直っていた獄寺が騒ぎかけたようだが、山本により無事押さえ込まれていたので無視し、ぱっと手を離した。
 何によるものかわからなくなった涙を浮かべ、痛む頬をさする綱吉を見て、再び溜息。

「目は覚めたかい?」
「う……はい……」
「ここにいる僕は幻かい?」
「いいえ、本物、です……夢じゃ、ない……なら、どこにも行ったりしませんよね?」
「さあ?」
「っ!?」
「僕は自由だからね。好きな時に好きな所へ行くよ。それを止める権利は誰にもない」
「そんな……」
「でも、それは誰だって同じだよ」
「え?」
「山本武も、獄寺隼人も、古里炎真も、同じだ。人はそれぞれに歩むべき人生がある。いつまでも側にいるとは限らないよ。何を選ぶかは当人の自由だ。それは、君にも言える」
「オレ、も……?」
「このまま自分の殻に閉じ籠もって立ち止まってしまいたいならそうすればいい。けれど――ねえ、君の誇りは何だったかな?」
「……あ……」
「君が立ち止まる道を選んだとしても、君の友人たちはいずれ君を置いて先へ進んでいくよ。君という重荷を心に負ったままね。もちろん、共に歩むという選択だってある。何を選んだって君の人生だ、好きにすればいいよ。ただ、それが君の誇りを守り望みを叶えられる道であるのかは、よく考えるんだね」
「オレの……望み……」

 再び俯いてしまった綱吉。けれど、泣いてはいない。恐怖や絶望の影もない。
 然して間もなく、おもむろに手が動いて綱吉はまたの袖口を掴む。そうして顔を上げた時、そこには確かな意志の光があって。

「オレは立ち止まりません。みんなに、置いていかれたくないから……何より、あなたをどこにも行かせたくない……見失いたくないんです!」
「だったら、捕まえてみせなよ。今のままじゃ、到底無理だと思うけどね」
「っ、絶対、追いついてみせます!」
「そう。でも、まずは――」
「?」

 希望を、やる気を取り戻した綱吉に、は挑発的な笑みを向けた。そして掴まれていないほうの手を綱吉の目の前まで持ち上げると、デコピンをかます。

「い゛ったぁっ!? ――って、あ、れ……?」

 痛みに声を上げた綱吉の体が、くらりと揺れてのほうへと倒れた。
 避けることもなく抱き止めたは、自分の胸に綱吉の頭を乗せるよう調整し、囁く。

「ゆっくり休んで体力を回復させなよ。そのままじゃ、僕を追いかける前に倒れるよ」
「で、でも……っ」
「君がスタートラインに立つまでは逃げずにいてあげるから。――安心してお休み、綱吉」
「は……い……」

 幼子をあやすように、綱吉の背中を軽く叩く。最後には、『』の声で優しく囁きかけたのがスイッチとなり、綱吉は完全に寝入ってしまった。
 寝息が聞こえるようになって、しばし後。ようやくは背後を振り返った。

「これで満足かい? アルコバレーノ」
「ああ満足だな。おまえの隠してきたものもいくつか見えたからな。『』に関する願いを叶える条件としてツナに強くなることを求めたこととか……ツナを悪夢から覚ますために血を飲ませる必要があった――つまり、おまえの持つ力はおまえの血に宿るものである可能性が高えってこととかな」
「答え合わせも手の内を明かす気もないと言ったはずだよ。知った気になるのは君の自由だけど、それで余計なことをしようものなら今回の二の舞になるってことは肝に銘じておきなよ」
「――チッ」
「獄寺隼人も、以前の応接室と同じことを繰り返すほど愚かじゃないだろう? 山本武、放していいよ」
「おう」

 ようやく羽交い絞めから解放された獄寺は口のタオルを取って長く息を吐き出した後、いつものように鋭くを睨みつけた。だが、流石に怒鳴るような愚行は犯さない。声量は抑えて、疑問をぶつける。

「おい、ヒバリ。テメエ、結局十代目のことをどう思ってやがんだ?」
「君に答える義理はないね」
「十代目のお気持ちを弄ぶような真似は許さねえぞっ」
「獄寺。弄んでんじゃなくて、あれは恋の駆け引きってヤツだ。他人が口出すことじゃねえ」
「アルコバレーノ。雇い主の言葉をさも自分のものであるかのように語る受け売りは滑稽なだけだよ」
「っ!? なんでてめーがそんなこと知ってやがる!?」
「……語るに落ちたね。もし君が今言ったことを理解していたのなら、これのいる前で皆に僕の名前を暴露することはなかったはずだ。そして君にそのことを教えることができて、尚且つ君が素直に忠告を受け入れるような相手は雇い主しかいないだろう?」

 的確すぎる読みに反論ができない上に、あっさりはったりに引っかかってしまった己の失態が腹立たしい。ピキリと青筋が浮かんだリボーンは、けれど反撃に打って出る。

「……九代目のことは随分評価してるようじゃねーか」
「思慮深い人間は好きだからね、僕は」
「なんだ? 老け好みか、おまえ」
「下卑た人間は嫌いだよ。山本武、獄寺隼人、それと古里炎真も。この下種みたいにおかしな勘違いしないように、ひとつ教えておいてあげるよ」
「何をだ?」
「もしまたこれが不眠症のような状態になった際の対処法のひとつだよ。心臓の音を聞かせると眠るから」
「心臓の、音?」
「なんでだ?」
「本能的に安らぐからだよ。何せ、母親の胎内にいる時に聞き続けた音だからね。だから、ぐずる赤ん坊なんかはおぶされていれば自然と眠ってしまうのさ」
「へえ~」
「えーっと……つまり、今、眠っちゃったツナ君をそうしているのも、心臓の音を聞かせているってこと?」
「そういうことだよ。こうしておけば、例え悪夢の欠片が残っていたとしてもそれに囚われることは防げるだろうからね」
「……おまえがそこまでするとはな」
「中途半端なことをして、折角君に作った大きな貸しを減らさせられるような口実を与える気は更々ないんでね」
「腹立たしいヤツだな」
「僕に腹を立てるくらいなら、交渉術をもう一度学び直したほうが余程効率的だと思うけどね」
「かわいくねー女だな、ホントに!」
「光栄だね。君に可愛いなんて思われたら怖気が走るよ」

 ピキ、ピキ、ピキ、と。赤ん坊には不釣合いな青筋がいくつも浮かび、との間には非常に不穏な空気が流れていた。
 この二人の背後に虎と龍が見える気がしてならない山本たちは、居心地の悪さにじりじりと二人から距離をとる始末。
 そのような空気の中でも、綱吉だけは心安らぐ音とあたたかなぬくもりに包まれて、穏やかな寝息を立て続けていた。