【 く も り ぞ ら 】
日常

 月曜日の朝。一般の生徒が登校するにはまだ早く、けれど一部の生徒と教師は既に活動を始めているような時間の並盛中学校にて。

「ヒーバーリーさあぁーんっ!!!」

 並盛の秩序である風紀委員長の名を叫びながら、校内を駆けていく一般性との姿があった。
 ――ズバァンッ、と。根城である応接室の戸を、走ってきた勢いを利用して壊れるのではと思える強さでで開け放つ。そのまま戸口で乱れた呼吸を必死に整え、キッと室内を睨みつけたのは、沢田綱吉。全力疾走の影響で顔は赤いものの、そこにはいつもの気弱さは窺えない。
 応接室内で今日の予定を確認していた雲雀恭弥を演じるは、己の右腕である副委員長・草壁哲矢を、片手を軽く上げるだけで制して、早朝の乱入者に目を向けた。
 おおむね予測通りの回復状態を瞬時に見て取り、予想外の行動をしてきた綱吉のその理由を予測していた範囲内の反応と想定した雲雀が先に口を開く。

「珍しく、随分と早起きじゃないか。今日は槍でも降るのかい?」
「降りません!! 降るわけないでしょう!?」
「そうだね、早起きじゃなくて、単に寝てないだけのようだし。これで槍なんて降ってきたら迷惑この上ないな。まあ、一人降らせられる男がいるけどね、幻術で」
「そんな無意味なこと骸だってしませんよ!! っていうか、ヒバリさんのせいで眠れなかったんですけど!!」
「残念だね。降らせてくれればそれを口実にあの頭のヘタをむしり取ってやるのに」
「オレをダシに使わないでください!! そしてオレを無視しないでください!!」
「君の八つ当たりに付き合う気はないよ。そもそも君が自己管理をちゃんとしていれば、僕は何もする必要はなかったんだからね」
「それはそうなんですけど! もっと他に方法はなかったんですか!?」
「まあ、君が不甲斐ないお陰であの赤ん坊に大きな貸しを作れたことだし、僕にとっては全く痛手はなかったよ」
「また無視ですか!? そして本当にオレをダシに取引してたんですか!?」
「チャンスは掴んで活かしてこそ意味がある。そうとわかっていて見逃すほど僕は愚鈍じゃないよ。君と違ってね」
「~~~~っ」

 訴えたい苦情があるから早朝にわざわざ応接室まで乗り込んできたというのに、いざやって来てみれば言いたいことの半分も伝えられずに煙に巻かれてかわされる始末。話術も、頭の回転速度も、明らかに綱吉より雲雀のほうが上で。最初に会話の主導権を握られた時点で勝ち目がないということにも気付けない綱吉は、思い通りに全くいかない現実にただ地団駄を踏む。
 予想外の乱入であったにも拘らずあっさりと掌の上で転がして見せた雲雀は、綱吉のその反応を目を細め楽しげに眺める。そして更に面白い反応を引き出す言葉を言い放った。

「ところで、君。一般生徒が登校するには確かにまだ早い時間だけど、教師や運動部に所属する生徒はもう校内にいるんだよ。戸を開け放ったまま大声で喚いたりして、妙な噂が立っても知らないよ。僕に痛手は全くないけど、君は困るんじゃないのかい?」
「――っ!」

 言われて初めて周囲を認識した綱吉の目が、雲雀の傍らに立つ草壁の姿を捉えた。その瞬間、血の気が引く音が聞こえるのではと思える勢いで赤かった顔が一気に青ざめていく。頭の中も真っ白になって言葉もまともに発することができずに口をぱくつかせただけの綱吉は、けれどすぐにまた顔を真っ赤に染め上げ――くるりと半回転。

「ヒバリさんのバカあぁ――――――っ!!!」

 いつぞやと同じ叫びを捨て台詞にして嵐のように走り去った綱吉を、室内に残る者たちの一人はくつくつと喉を鳴らして笑い、一人は半ば呆然として見送った。
 綱吉が先程見せた見事なまでの表情の変わり様を初めて目の当たりにした草壁は、以前雲雀が彼を玩具だと言った理由がほんの少し理解できてしまった気がしていた。
 乱入者が去って、すぐのこと。開け放たれたままの戸口に、綱吉が走り去ったのとは逆の方向からまた別の人物が現われた。それは並盛中学校のものとは別の制服を身にまとう女子生徒。至門中学校からの転入生、鈴木アーデルハイト。

「おい、雲雀恭弥。今、物凄い勢いで沢田綱吉が廊下を走っていったぞ。いいのか?」
「やあ。早いね、氷の女王。放っておきなよ。その辺にいる風紀委員に咬み殺されるのが落ちだからね」
「おまえ……」

 風紀委員と同じような活動をする粛清委員会なるものの委員長であり、風紀委員をも力ずくで従えようとまでしていた彼女にとっても、やはり校則違反者の存在は許せないもの。
 それでも問答無用で捕まえに行くことなく雲雀に問う姿勢に、あの島であったという戦いによって二人の関係に変化が生じたことを草壁は感じ取る。それは、楽しげに笑い声をこぼす雲雀に呆れた眼差しを向けるアーデルハイトの棘のない雰囲気によって、確かなものとなった。
 アーデルハイトは大きな溜息をついて、呆れた声音を隠すこともなく呟く。

「好きな相手をいじめて楽しむなど、小学生のすることだろうに……」
「君までおかしなことを言うのかい? 僕はあれを好きだなんて言った覚えは一度だってないよ」
「では、何だというのだ?」
「あれは暇潰しの玩具だよ」
「……人非人(ひとでなし)が『恭弥』の性格設定なのか? 誤魔化しにしては弱いぞ」
「君も案外、余計なお喋りだね。僕が小学生だというなら、君はドメスティックバイオレンスだろう」
「なっ!? 粛清をD・Vなどと同じように言うな!!」
「動機が嫉妬じゃ、清めるというには程遠いよ。まあ、あの女好きを相手に選んだ時点で君の宿命になったも同然だってことだね」
「大きなお世話だ!!」

 初めの呆れはどこへやら。先程とは打って変わって、顔を真っ赤にして怒鳴るアーデルハイト。その目に虚ろな影は欠片も映っていない。暗示が無事生きている証拠だ。
 綱吉同様、彼女をも簡単に掌の上で転がして望み通りの結果を引き出した雲雀は、満足したその気持ちを笑い声という形にして表した。
 今の会話も雲雀の本心も知る由のない通りすがりの風紀委員が、赤面するアーデルハイトと邪気も狂気もなく笑う雲雀の姿を目撃し、二人の関係を誤解したとか。そして風紀委員の中だけに広がったそのあらぬ噂を耳に入れた雲雀とアーデルハイトが、揃って彼らを咬み殺したりしたというのはまた別の話であり、とある日常風景のひとつに過ぎない出来事だった。





 一方、応接室から一目散に逃げ出した綱吉はというと……

「大丈夫? ツナ君……そろそろ落ち着いた?」
「うー……なんか、イロイロごめん、エンマ……」

 途中で派手にぶつかった古里炎真に連れられて屋上に上り、そこで盛大に落ち込んでいた。体育座りが実によく似合っている落ち込み具合だった。
 一見すると、自分を守るための殻に閉じ籠もっているような体勢にも思えるが、そこにはちゃんと綱吉の様々な感情が、意志がある。一昨日までとは明らかに違うということを改めて目の当たりにした炎真は、深く安堵して綱吉の前に向かい合って座り口を開く。

「何があったのか聞いてもいい? それとも聞かないほうがいい?」
「うっ……うー……」

 気遣いに満ちた炎真の問いに、綱吉は即座に返答することができず、意味のない声をただ発していた。
 気持ちとしては、聞いてほしいような聞いてほしくないような曖昧なもの。話すのは恥ずかしくて情けなさが倍増しそうだけど、話してすっきりしてしまいたい気もするのだ。
 逡巡した綱吉が出した結論は――もう盛大に暴露されているんだし、いっか、という半ば投げやりなものだった。

「やっぱり、オレ……ヒバリさんに遊ばれてるだけな気がする……」
「あの人のところに行ってきたの?」
「うん。その……きのう、っていうか、おとといっていうか……の、ことで……もっと他に方法なかったのかなって……」
「あー……えーっと、あのね? あの人ははっきり答えなかったからホントかはわかんないけど、あの赤ん坊が言うには、自分の血をツナ君に飲ませることでツナ君を悪夢から引き上げたんじゃないかって……」

 言いたいことを察して綱吉が知らないことを補足するように言葉を紡ぐ炎真。けれどその頬はやはりというか赤く染まり、目はあらぬ方向へと泳いでいく。
 その炎真の反応につられて綱吉の顔も赤くなり、居たたまれない気持ちが体育座りを更に固定させた。

「いや……うー……仕方ないなら、ないなりにさ……こう……あー、もう! なんでみんなが見てる前でなんだってコト! 幻術使えるなら、その辺どーにかならなかったのかなって!」
「あー……うん、そう、だね……」

 言葉を濁して伝えるために頭を回転させるのにも疲れて自棄気味に叫んだ綱吉の言葉に、炎真も上手い言葉が見つけられずにただ同意を返す。確かにその通りだとも思ったから。とはいえ、方法がわからないままでは気になっただろうし、気になったことは聞かずにいられないのが人の性な気もする。そう考えると、結局はあれが最善だったように思えてきた。
 ……の、だけれど。

「また草壁さんに聞かれちゃったし、見られちゃったし……気付かなかったオレも悪いけど、だからなんでヒバリさんは止めてくれないんだってコト! 絶対オレ草壁さんの中でホモだと認定されてるよ……っ、そしてそれをヒバリさんは楽しんでるよ、絶対!」

 この綱吉の言葉を聞いてしまうと、その可能性も否定できない。何というか、全ての人間にとってであり、多方面からの意味で『最善』だったのではないか、と。つまり、一方から見れば最善だけど違う方面から見れば最悪だという……
 雲の守護者は守護者の中で最強だと聞いた覚えがあるのを、ふと思い出した。思い出して、それがただ単に戦闘能力だけではないのだと、妙に納得してしまった炎真がいた。
 敵に回すのは恐ろしいけれど、味方にいても苦労するのが目に見えてしまうような人。頼りにはなるけれど、恐ろしい困った面もある人。アーデルハイトと、とてもよく似た人だ。
 そんな人を好きになって、しかも一途に想い続けられる綱吉を、炎真は素直にすごいと思った。そして同時に応援してあげたくなるのは、大空の性質なのか、それとも綱吉自身の魅力か。
 炎真は、ふっと笑みを浮かべると、綱吉のふわふわの頭を軽く撫でてみた。少しだけ顔を上げて腕の中から目だけを覗かせてきた綱吉へ、できるだけ穏やかに笑いかけ、言う。

「遊ばれてるんだとしてもさ、そこに居てくれるんだからまだいいんじゃない?」
「……っ、それ、は……っ」
「ツナ君が恐れたみたいに居場所がわからなくなったりしてないよね?」
「うん……」
「今はさ、それでいいって思えないかな? 少なくとも僕は、僕自身は今が幸せだよ」
「……エンマ?」
「こうして友達と、何気ない日常を過ごせることが、すごく幸せだなって思うんだ」

 仲間がいて、友達がいて。馬鹿やって騒いだり、怒られたりして。でも笑い合えるような、そんな穏やかな日常を過ごせること。きっと、これが何よりの幸せだと思う。
 もちろん、そこに好きな人が加われば、もっと幸せなのだろうけど。
 綱吉はやっと体育座りをやめ、ひとつ頷いた。

「うん、そうだね……オレも、そう思う」
「うん。それにね、まだこれからじゃない? あの人の気持ちはあの人にしかわからないけどね、それを聞くことができるのはツナ君だけだよ、きっと。だから、これからだよ。色々、約束してるんでしょ?」

 炎真の問い掛けに、綱吉はほんの少し頬を染め、けれど強い光をその瞳に宿してしっかりと頷いて見せた。

「うん。ありがとう、エンマ。オレ、諦めないよ。絶対、ヒバリさんを捕まえるんだ。そしてヒバリさんの気持ちを確かめる!」

 決意を新たにした綱吉を、炎真は眩しげに見つめた。
 ――と、その時、チャイムが響き渡り、時の訪れを告げた。
 先程までの雰囲気はどこへやら。二人はぎょっとして立ち上がる。

「ぅえっ!? 予鈴!? HR始まる!?」
「急ごう! アーデルに見つかったらマズイよ!」
「その前に風紀委員だよ! 人数多いんだから!」

 荷物を手にバタバタと屋上を後にした二人は、その先の階段を揃って転げ落ちていく。ふたつの悲鳴が校舎の一角で耳障りなハーモニーを奏でた。

 それは、少しの変化を伴いながらも幾度となく繰り返されていくもの。
 ありふれた、何気ない日常の風景が、その日も並盛には広がっていた。