応接室にある執務机につく雲雀は珍しく書類に向き合うことなく、5センチ四方ほどの立方体を指先で弄んでいた。
ひとつの面に丸いへこみのあるそれは、未来へ行った際に使用した匣兵器に他ならない。ただ、今雲雀の手にあるそれは、未来では一度も見なかったデザインをしていた。
龍に似た姿の生物が模されたそれは、雲雀にとっては見覚えのありすぎるもの。揃いのデザインのリングまであっては、用途もその効果も想像に難しくはない。
だからこそ、これを人目に晒すことを、雲雀自身は極力避けたいと思っていた。
――だが、そうもいかないことも、これらがその存在を以って示している。
匣とリングをその手の内に納め、雲雀は溜息をこぼした。
「まったく……面倒なものを持ち込んでくれたものだね……」
――コンコン。
「雲雀恭弥、いるか?」
この先のことを思い呟いたその時、ノックが響き誰何と共に戸が開かれ、鈴木アーデルハイトが姿を現わした。
ノックはしているものの、こちらの許可を待たずに勝手に入ってくるその無作法な振舞いに、雲雀の眉が跳ね上がる。いくら彼女が雲雀の部下ではないとはいえ、粛清委員なるものを自称するなら最低限のマナーぐらいは守ってほしいものだ。
その不満を隠そうともせず声色に含ませ、雲雀は答える。
「何の用だい? 今、僕は機嫌がよくない。くだらないことなら咬み殺すよ」
「……その、おまえの機嫌を損ねた原因についてだ」
「半分は今の君の無作法が原因なんだけど」
「おまえが普段していることよりはマシだろう。それより、未来からおまえの息子が来て、帰れなくなっているらしいぞ」
アーデルハイトがもたらした情報に、雲雀の目は細められ、その眼差しは鋭さを増した。
手の内にある匣とリングを無意識に握り締める。
「……何の話だい」
「白蘭とやらを倒した未来、パラレルワールドとやらになったはずの時空から来て迷子になった幼子がいるということだ。その前に来ていたという20年後の息子が何をしに来たのか……もしや幼子が帰る術を何か講じていたのではないか、と」
「で、この僕を呼びつけているってわけかい?」
「いや。連絡を寄越したのは炎真だから、沢田綱吉らがおまえを呼んだわけではない。だが……行くのなら、場所は並盛神社だ」
行くなんて言ってない。そう反論することは容易だが、実際に動かずにいられる自信はない。
……見捨てられるわけが、ないのだ。もし自分だけを優先させることができたのなら、今、ここに『雲雀』は存在していないのだから。
救いたいいのちがあればこそ自分にできる可能な限りの選択肢を選んできた雲雀にとって、手段を知りながら無視して確実性のない他人に丸投げするなど、できるはずがなくて。
深く深く溜息を吐き出し、雲雀は匣とリングをポケットにしまうと席を立って歩き出した。
「少し、留守にする。学校のほうは君に任せるよ」
「……ああ、了解した」
すれ違い様、アーデルハイトにそう告げて、雲雀は並盛神社へと向かった。
「おかーさん……もう、あえないの……?」
弱々しい幼子の声が僅かな間の静寂に、殊の外(ことのほか)大きく響いた。
ハッとしたほぼ全員の視線が集まったそこには、不安げに表情を強張らせる幼子がいて。
綱吉は、胸を締め付けられる思いがした。
「おとうさんは、ぼくのおとうさんじゃないの……?」
中学生の綱吉と、大人の綱吉と。目の前で入れ替わったことで、ようやくその違いを理解できたのだろうか。
すがりつくような眼差しを向けてくる幼子の目には、大粒の涙が浮かび始めた。
泣かせたくなどないのに……誰も、ハルでさえ、何を言っていいのか、わからなかった。
「こんどは、おかあさんが、おしごといっぱいだから、おとうさんのおうちに、ぼく、いるんじゃないの……? ほんとは、おかあさん、いなくなっちゃったの……?」
「違うぞ、チビツグ。おまえがいなくなっちまってんだ」
「リボーン!?」
中学生組が言うべきことを見つけられずにいる中、幼子に答えを返したのは最強の赤ん坊リボーンだった。慰める気などない、ただ事実を告げるだけの冷たい言葉で。
幼子は何を言われたのか理解できていない模様。不安さは鳴りを潜め、きょとんとしている。
――けれど。
「ぼく、いるよ?」
「おまえが今いるこの場所には、おまえを産んだ人間はいねえ。おまえももうわかってんだろ? このツナが父親とはなんか違うってことも、ここが今までいた場所となんか違うってこともよ」
「ちがう……? ……ちがう……」
リボーンの言葉にこてんと首を傾げた幼子は、次いでその大きな瞳に綱吉の姿を映した。どこか強張った表情の綱吉をじっと見上げていた幼子の瞳は、再び不安に彩られる。
幼子は一度俯いたあと、またリボーンを見て。
「……ぼく、いないの?」
「かくれんぼ、してたんだろ。誰にも探し出せない場所におまえはおっこちちまったんだ。だからツナももおまえを迎えに来れねーんだぞ」
「……っ、ふ……ふぇ……っ、やだあ……っ、そんなの、やだよぉ……っ」
「ああ、泣かないでください家継ちゃん!!」
「リボーン! やめろよ!? なんでそんな追い詰めるようなこと言うんだよ!?」
くしゃりと顔が歪んだ次の瞬間に、とうとう幼子は泣き出してしまった。近くにいたハルが宥めようと努めるが、泣き止む気配は見られなくて。
綱吉は堪らず、幼子を泣かせた元凶であるリボーンに抗議の声を上げた。
だがリボーンは、平常と変わらぬ冷静な目を向けてきて。
「既に超直感が目覚めちまってんだ。誤魔化しは無意味だからな」
「だからって、もっと他に言い方があるだろ!? 迎えに来れないって決まったわけじゃないのに!!」
「それを先に否定したのはおまえだぞ、ツナ」
「――っ!?」
鋭い切り返しに、綱吉は息を呑んだ。
――そう、だ……家継が目の前にいるのに、感情のままに最悪の可能性を叫んでしまったのは、確かに自分……だからこそ、家継も己の現状に疑問を抱いてしまったのだ。
己の失態に気付かされた綱吉は、強く拳を握り締め唇を噛んだ。
自分を責める綱吉へ、更にリボーンの言葉が投げ掛けられる。
「ツナ。おまえは、いつ来るかもわかんねー不確かな迎えをただ待つってのが、要は嫌なんだろ?」
「……っ、うん……」
「だったら、さっさとヒバリんとこ行ってこい」
「は!? なんでそうなるんだよ!?」
「20年後の家継が、チビツグの帰る手段を残してった可能性が高えからに決まってんだろ」
「「「!?」」」
突然の、思いもよらなかった新たな見解に目を瞠ったのは、綱吉だけではなかった。13歳の家継と実際に会って話をした獄寺と山本もまた、驚きに染まっていて。
「ど、どういうことですか、リボーンさん!?」
「思い出してみろ。あいつはヴェルデの作った装置で来たっつってただろーが。それは望む時間と場所に行けるもんだと。そして、父親であるツナに頼まれて来たともな」
「え、えーっと……つまり?」
「ダメツナが。おまえは自分自身が苦労するとわかっていて、面白半分に自分そっくりな息子を過去にやると思うのか?」
「……思わない」
「ん~? つまりチビが来るってことを知っていて、未来のツナが何か手を打ってきたかもしれねえってことか?」
「そうだぞ」
山本の確認に、珍しくリボーンは素直に頷いて見せた。
確かにその可能性は低くはないだろう。今の自分がこれだけ家継を帰してあげたいと思っているのだ。未来の自分がそう思わないはずがない。
そして、現在の科学力では不可能なことも、未来――それも20年も先の時代ならば可能になっているということも……そこから来た13歳の家継によって既に疑いようはない。
リボーンが示した可能性は、確かに一筋の希望に思えた。――けれど。
「で、でも……だったら、なんでオレじゃなくヒバリさんに……」
それはとても嫌な予感もしていて……残る疑問が納得を妨げていた。
雲雀が機嫌を損ねていたことといい、本当に関係があるのか疑わしくもあって。
後込みする綱吉へ向けられたのは、いつも通りの厳しいリボーンの仕打ちだった。
「そんなことオレが知るわきゃねーだろ。ここでうだうだ言うヒマあったら、それも含めてさっさとヒバリに聞いてこい!」
「ふぎゃっ!!」
「十代目!?」
毎回思うことだがあの小さな体のどこにこんな力があるのか、また思い切り蹴り飛ばされスシャッと地面に倒れてしまった。
痛みに耐えつつ起き上がろうとしていた、その時――ざり、と。間近で土を踏む音と共に、深い溜息が降ってきて。
「……何してるの、君」
呆れた色のその声は、今まさに話題に上がっていた人物のもので。
恐る恐る顔を上げた先には、声音の示すままの表情をした雲雀が綱吉を見下ろしていた。
「ヒ、ヒバリさ――へぶっ!?」
引きつった顔でその名を呼び終える前に、綱吉は頬に受けた衝撃でまた地面に倒れこんでしまう。わけもわからず目を向けたそこには、蹴り上げたらしい足を元に戻している雲雀の姿。
リボーンに引き続いて雲雀にも蹴り飛ばされたことが明白なそれに、綱吉は勢いよく身を起こし、抗議する。
「いきなり何するんですか!?」
「その顔がムカつくから殴らせなって言ったの、もう忘れたのかい」
「家継への苛立ちをオレに当たらないでください!! しかも今の蹴りじゃないですか!!」
「その顔をボコれれば何でもいいんだけど、トンファーがいいならいくらでも」
「どっちも嫌です!!」
「ヒバリ。ツナを鍛えるのは後にしろ。それよか先にチビツグを何とかしねーか」
本当にトンファーまで出してきた雲雀は、けれどリボーンの言葉で動きを止めた。
トンファーを構える手を下ろし、リボーンを見下ろす目は鋭く、不機嫌なのは一目瞭然で。
自分がその矛先にいるわけではないのに、綱吉は嫌な汗が出てくるのを感じた。
「それは、そこにいるこれにそっくりな子供のことかい? 何故それを僕に言うのさ」
「ドッペルゲンガーのほうがおまえに何か残してったんじゃねーかと思ったからだ。で、何か聞いたり預かったりしてねーか?」
だが、リボーンにとっては雲雀の威圧などどこ吹く風。怯むことなく答え、単刀直入に問う。
飾り気も、からかう色もないどころか、状況説明さえ省いたそれに、雲雀の目は細められ更に鋭さを増した。殺気にも似たピリピリとした空気の中の睨み合いは、ほんの数秒。問いに答えを返すことなく、雲雀は鋭い眼差しを幼子へと移した。
ハルの腕の中、未だ泣き止まぬ幼子の涙に濡れた瞳が雲雀の姿を捉え、すがりつくような色を覗かせた。――だが。
「うるさい声だね。泣き喚くしか能がない子供は、僕は嫌いだよ。泣けば誰かが何とかしてくれるなんて甘えた考えでいるなら尚、大嫌いだね」
厳しい、突き放すような言葉で、再び幼子の顔が歪んだ。
こんな小さな子供にここまで厳しいことを言わなくても、と。そう思ったのは綱吉だけではないようで、ハルが雲雀の視線から隠すように幼子を抱き締めて声を上げた。
「こんな小さな子になんてこと言うんですか!?」
「泣いたって何も解決することはない。男なら簡単に泣くな。叶えたい願いがあるのなら余計に、泣くことにエネルギーを浪費させるんじゃない」
「そんな難しいことこんな小さな子に言ってどうするんですか!? 泣いたっていいじゃないですか!? 大人が何とかしてあげるのは当然じゃないですか!? まだ沢山甘えて愛されているべき時期なんですから!?」
「やかましい娘だね。それは単に君がしたいことだろう? 必要のない過分な愛情を押し付けることは、成長を妨げるどころか歪みをもたらすものだよ」
「必要なくなんか――っ」
「それに……」
一度はハルを無視して幼子への言葉を続けた雲雀も、更に重ねられた反論には思い切り眉根を寄せて言葉を返した。
けれどその内容は綱吉でさえ納得できるものではなく、ハルも声を荒らげて反論しかけた。――だが、その言葉は途中で途切れる。どうしたのかと見守る一同の目に映ったのは、幼子を抱き締めていた腕を緩めてその中を見るハルの姿。そして……
「年齢なんか関係ない。本気で求める何かを見つけた時、人は強くなるものなのさ」
満足そうにそう言った雲雀を、ハルの腕の中から抜け出して力強く見上げる幼子の姿だった。
目元が赤く腫れ泣いていた形跡は残っているものの、新たな涙は溢れておらずその大きな瞳には強い、しっかりとした意志の光が――炎が宿っていた。
口許に笑みさえ刻んだ雲雀が、そんな幼子を見下ろしていて――言った。
「君の望みは何だい?」
「おうちへかえることです! もし、そのほうほうをしっているなら、おしえてください!!」
「家継ちゃん……」
「……手を出しなよ」
泣いていた姿が嘘のように、はっきりと自分の望みを口にした幼子の成長に誰もが目を瞠る中、雲雀は静かに指示を出す。
言われるまま広げられた小さなふたつの手の上に、不釣合いな大きさの匣とリングが置かれる。それは今まで見たこともない色形のもので。
「それがドッペルツグが置いてった対策か……」
「そのリングに炎を灯してその匣を開ければ、君の望みは叶うよ。ただし、チャンスは一度きりだ」
「え……?」
「そのふたつは使い捨てらしい。炎の量が少なければ目的地に着く前に消えてしまい、時空の狭間に放り出されて永遠に元の場所へは戻れなくなる」
リボーンの呟きを一切気にかけることなく、ただ幼子にのみ語りかけられた言葉。その注釈には誰もが目を瞠り息を呑んだ。
雲雀の言ったことを具体的な形で想像することは、残念ながらできてはいない。けれど……それを先程のリボーンの言葉で言い替えるのならば、それこそ本当に誰にも見つけることのできない場所にたった一人取り残されてしまうということになるのではないかということぐらいは理解できたから。
「ヒバリさん! それって絶対家継一人でやらなきゃダメなんですか!? オレの炎を分けてやることはできないんですか!?」
「そんなことしたら、君が時空の迷子になるよ」
「っ!?」
何か手助けはできないのかと叫んだ綱吉へと返ってきたのは、無情な言葉だけだった。
幼子が元の場所へ帰るためには、幼子自身が頑張るしかない。しかも失敗すれば、向こうからの迎えすら待てなくなってしまう。リスクを避けて迎えを待つか、リスクを覚悟で自力で帰るか……幼子の選べる道は、この二択しかない。
幼子も……雲雀の言葉の全てを理解できずとも、何か感じるものはあるのだろう。その顔には迷いが表われていた。
「それを使うか使わないかは君の自由だよ。ただ使うのなら本気の覚悟が必要だっていうだけの話だ」
「ほんきの、かくご……?」
「心の全部、頭の中の全部、帰りたい、帰るんだって思うことだよ。ほかのことを考える余裕があるうちは、本気じゃないってことさ」
幾分かわかりやすく砕いた言葉に、幼子は何か考え込んでいるようだ。
迷っているようにも見えるそれに、綱吉は無理はしなくていいと言ってやりたかった。けれど……何故か言えない……言ってはいけない気がしていたから。
ややあって、幼子が動いた。リングを親指にはめて握り締めるように固定し、雲雀を見上げ――言った。
「ぼく、かえる!」
「そう……なら、炎を灯してみせなよ。それができなきゃ話にならない」
「うんっ!」
力強く頷いた幼子が己の手にあるリングに目を落とすと、ほぼ同時。リングから炎が出てきた。――けれど、その色はあの澄んだオレンジではない。
「黒い、炎!?」
「まだだよ。そんなものじゃ全然足りない」
「……っ、んっ!」
小さく息を詰め、体に力を入れる幼子。それに呼応してか、リングに灯った炎は少しずつ大きくなり、そして黒い炎に透明感が生まれてきた。
けれど――それでもまだどこか頼りなく見えたのは、綱吉の気のせいではなかった。
「まだだ。それじゃ匣を開けることすらできないよ」
どこまでも静かに告げられる、無情な現実。
幼子の頬には幾筋も汗が伝い、限界も近いことが窺えて――
「がんばれ家継!!」
気がつけば、綱吉はそう叫んでいた。
綱吉だけじゃない。ハルや、獄寺たちも皆、小さな身体で一生懸命に頑張る幼子へと声援を送っていた。
幼子は、ぎゅっと目を閉じて。
「ぼくは……っ、おうちへかえるの――――っ!!」
叫ぶと同時に、炎が溢れた。
どこまでもどこまでも透明感のある黒に、深い深い青の混じった炎。そして所々にキラキラと輝く光が見えるそれは――綱吉の脳裏に宇宙空間を思い起こさせた。
「うん、合格だ。匣に注入しなよ。それで帰れるはずさ」
「……うんっ!!」
雲雀の合格宣言を受けて、ようやく笑顔を取り戻した幼子は嬉々として匣にリングを差し込む。その瞬間、周囲に溢れていた青黒い炎は全て匣の中へと吸い込まれて――匣とリングは溶けるように消えてしまった。
そして匣の中から現れたのは――龍によく似た生物だった。
クリスタルの彫刻を思わせる体躯をうねらせたそれは、素早く幼子の体に巻きついたかと思うと、そのまま空気にでも溶けてしまったのではと思うように消えてしまった。
それは、あまりにも呆気ない、瞬く間の出来事だった……
「正一君、その不足したエネルギーって、死ぬ気の炎で補うことはできないのかい?」
家継が平行世界の過去へと行ってしまった原因である装置の設計図を見ながら、綱吉は思いついたことを口にしてみた。技術的なことはさっぱり理解できないとはいえ、ただ手をこまねいていたくはなかったから。――けれど。
「できなくはないと思うけど、それはそれで色々大変かな。まず炎の量が半端じゃない。白蘭サンの作った転送システムで必要だって炎圧が500万FVだから、軽く見積もってもその倍は必要になる。炎を蓄えておける保存用匣の最大容量いっぱい満たした状態で20個は用意しなきゃいけないし、それを装置が壊れないように流用するための、別装置を作る必要もあるから……時間がかかるよ」
技術屋からの返答は思わしくなくて。
とはいえ、可能であるのならまだ手の打ちようはある。
「大変でも何でも実現可能ならやってよね、正一君。さんに殺されるよりはマシでしょ?」
「は、はいぃっ!! 全力でやらせていただきますっ!!」
「……ボンゴレ、正一。何かおかしな反応があるぞ」
「「 !? 」」
殺気付で脅しをかければ、姿勢を正した正一から積極的な返事があった。
最初から素直にそう言えばいいのに、と。黒いことを考えていた綱吉へ、静かな声が異変を告げた。
その、次の瞬間だった。
陽炎のように目の前の空間が揺らいだかと思ったら、空気から溶け出したかのように家継が現れたではないか。
家継の体の周りにあった、蛇の尾のようなものが消えた途端、幼子の体は重力に従って落下してきて――咄嗟に綱吉は息子の体を抱きとめた。
「家継っ!?」
「ただいま、おとーさんっ!!」
ただただ驚くしかない父に、息子は満面の笑顔で抱きついてきた。
その、変わることのない記憶にあるままのぬくもりが、やっと綱吉に現実感を与えてくれて――綱吉は息子の体を、ぎゅっと抱きしめる。
「おかえり、家継。無事でよかった……」
「うんっ!」
「で、でも……一体どうやって――」
「随分騒がしいと思ったら……一体何をやらかしたわけ?」
未だ驚愕の衝撃から立ち直れていない正一が疑問を投げかけた、その時。正一の声を遮り、第三者の声が現れた。
その声は己の知るものではあるが、今ここに現れるはずがない相手のものでもあって。
綱吉は思い切り振り返って声の主を見た。
「「 、さんっ!? 」」
「おかーさん!!」
「……ボンゴレの妻、か?」
そこにいたのは黒いパンツスーツ姿の女性――間違えようもなくそれはだった。
だが、今、彼女は海外にいるはずなのに、いつ戻ってきたのか……そしていつの間にこの部屋にいたというのか。綱吉は全く気付いていなかった。
「ど、どうして……いつからここに?」
「今さっきだけど?」
「どうやって!?」
「教えない。知りたければ……わかっているでしょう?」
「うっ」
中学生の頃に交わしたあの約束は、今尚履行され続けている。とはいえ、最近はその機会も減ってしまって、しばらく手合わせしていなくて。彼女を満足させられる戦いができる自信は、はっきり言ってなかった。
しかも今はそれどころじゃなくて。
「で、何をやらかしたわけ?」
「げ、元凶は、正一君、です……」
「ちょ、綱吉君!?」
「何、したの?」
「ひぃっ!?」
「おかーさん!!」
予定通り正一をスケープゴートにしたところ、鋭い眼差しだけで正一は情けない悲鳴を上げた。……まあ、情けなさに関しては綱吉も人のことは言えないが。
何も言えない正一を庇ったわけではないだろうが、綱吉の腕の中にいた幼子が母を呼び、視線は再びこちらへ向いて。
「あのね、おとうさんとかくれんぼしてたらね、ぼく、おとうさんたちがみつけられないばしょにおちちゃったの。そこにはおとうさんにソックリなひとがいてね、くろいスーツのあかちゃんが、おとうさんもおかあさんも、おむかえにこれないばしょだっていうから、ぼく、そんなのイヤだってないちゃったの」
「家継……」
「だけどね、おかあさんにソックリなおにいちゃんが、かえりたいならなくなってしかってくれてね、なくのガマンしたら、かえるためのボックスとリングくれたの。だから、ぼく、がんばってリングにほのおいっぱいつけて、ボックスあけて、かえってこれたの!」
拙い言葉で語られた、過去での出来事。正一の疑問に対する答えでもあるそれには、幼子の頑張りが込められていて……綱吉と、そしては、同じように笑っていた。
は綱吉の手から息子を受け取ると、綱吉がしたように抱きしめて。
「そう……よくがんばったわね」
「うん!」
小さな息子の努力を素直に褒めた。
あたたかな、その雰囲気。ここで終わってくれるかに思われたけれど、やはりそうはいかないのが彼女だ。
は息子をスパナに渡すと、その手にトンファーを取り出して。
「とりあえず、くだらないもの作った入江正一と、家継をここに迷い込ませてしまった綱吉にはそれなりの責任を取ってもらいましょうか」
「「 ひっ、ひいぃっ!! 」」
情けない男二人の悲鳴が、ボンゴレ十代目の地下アジトに響き渡ったのだった。
一瞬のうちに在るべきところへ帰っていった幼子を見送っていた綱吉たちは、しばらく呆然としたまま動けなかった。
ややあって、その停止した時間を動かしたのは、山本の小さな呟きだった。
「今のって、龍か?」
「龍って……それじゃあ、あの匣は白蘭が作ったものってこと!?」
「違うよ」
匣の中から出てきた生物への疑問は、そのまま製作者へと連想された。
白蘭と直接戦った綱吉にとっては、忘れたくても忘れられない、非常に痛い記憶だ。
けれどそれは静かな声で否定される。
声の主へと目を向ければ、幼子の消えた空を無表情に見上げる雲雀がいて……更に、紡がれる言葉。
「あれは龍じゃなくて蛟だ」
「みずち……?」
「時間と空間の狭間に棲み、自在にその間を泳ぎ回る能力を持った幻獣――時蛟」
「……随分詳しいな。家継が説明してったようには思えねーが、まさかあれがおまえの幻術の源なのか?」
どこか遠くを見る雲雀の様子に、リボーンが思いもよらなかった指摘をした。すると盛大な溜息をついた雲雀は、あからさまに呆れた目をリボーンに向けて。
「何でも僕に結び付けて考えるのはやめてほしいね。そのくらい自分たちで調べなよ」
「は?」
「調べるって……」
「与えられた情報を鵜呑みすることなく裏付けを取ることの、丁度いい訓練になるんじゃないかい?」
「……そーだな。おまえらの宿題にするぞ。それぞれ蛟について調べてこい。三日後、ツナん家で発表させるからな」
「えぇっ!?」
「えーと……もしかして、僕も?」
「ついでだからやってみろ」
「う、うん……」
珍しく雲雀の言うことに反論しなかったリボーンによって、思いがけない宿題ができてしまった。
しかも、それだけでは済まない事態まで引き起こすことになる。
「はひっ! ハルもお手伝いします!」
「ええ!? いいよ、なんで!?」
「ハルはツナさんのワイフになるんですからお手伝いします! ツナさんの想いに応えます!!」
「いやいや何勝手に決めてるんだよ!? ってかオレの想いって何!?」
「今朝ツナさん、ハルのこと好きだって言ってほっぺにチューまでしてくれたじゃないですか!」
「うえええぇ――っ!? 何それオレ知らないよ――っ!!」
「……ドッペルツグの仕業じゃねーのか?」
「いーえーつーぐーっ!!」
「ええっ!? あれ家継ちゃんだったんですか!?」
「……ふーん」
10年バズーカで行った先にいたのが、ハルとの間に生まれた家継だとかいう、思い出したくもないことが脳裏に蘇ってきた時、酷く静かな声が騒々しい声を打ち消した。
静か、だけど、どこか底冷えのする声音に、綱吉は油の切れたブリキの人形よろしくぎこちない動きで振り返り、声の主である雲雀を見た。
相変わらずの無表情なのだが……まとう空気がどんどん冷たく鋭くなっている気がして。
「あ、あの、ヒバリさん? オレ、関係ないですからね?」
「……やっぱり、その顔咬み殺す」
「だ、だから!! 八つ当たりぃ――っ!!」
念のための弁解をする余地もなく、トンファーを取り出した雲雀に追いかけられ、綱吉は再び全力疾走する羽目に陥ってしまったのだった。
「おかえり、家継」
並盛中学校応接室から強制送還となった家継は、父親の声に迎えられ己の帰還を認識した。それにより反射的に肩が揺れてしまったのは、やはり多少なりとも後ろめたさがあるからか。
「ただいま、父さん」
「さんにちゃんと説明して、渡してきてくれたかい?」
「う、うん……」
一応平静を装ってみたものの、成功したとは自分でも思えなかった。
案の定、がしっと首に腕を回されたと思ったら、頭に拳をぐりぐり押し付けられて。
「う、そ、は、いけないよね! オレの中に、おまえが帰ったあとさんに八つ当たりで追いかけられた記憶が補正されたんだけど! おまえ一体何してきたんだよ!?」
「いだだだだだだっ!? ギブギブ父さん!!」
素直に白旗を上げると、途端に解放された。あまりの唐突さにバランスを崩してその場に膝をついた家継へ、父の説教が降り注ぐ。
「まったく、もう……いいかい? 未来なんてちょっとしたことで簡単に変わってしまうものなんだよ。しかも変わった先はパラレルワールドとして分離してしまう。今回はループしただけで済んだようだけど、余計なことして自分が存在しなくなってもいいのかい?」
「……今ここにいるぼくは消えはしないんでしょ。だからそこ、変えたくて言ってきたんだよ」
「ループした時点で変わってはいないね。むしろ今回の家継のその行動によって今が決定づいたんじゃないかい?」
「じゃあ、やっぱり父さんのせいじゃないか!?」
「……何が?」
「父さんがちゃんと母さんと結婚してくれなかったから、ぼく全然母さんに会えないし甘えられないじゃないか!! 恭弥ばっかり母さんといられてずるいよ!!」
「えーと……さんは基本的に甘やかすってことはしないからね? 一緒に暮らしてても痛い思いしかしなかったと思うよ?」
「それでも双子なんて作らなきゃ一緒にはいられたかもしれないじゃないかーっ!!」
「不可抗力じゃないかなぁ、それは……」
過去をいじっても今が変わらないのなら、やっぱり溜まりに溜まった鬱憤は『今』の父にぶちまけるべき――と。
20年前の母に言ったのとはまた、似てるようで違うものを家継は思いっきりぶちまけた。だが父は呆れた顔でのらりくらりとかわしているようにしか見えなくて。
爆発しかけた、刹那。
「それにな、だからこそおまえはハルといられる時間が多くなったんだぞ? それも否定するのか?」
「~~っ!?」
痛いトコロを突かれ、家継はただ地団太を踏むしかなかった。
家継にとってはどちらも大切で、結局ないものねだりなのはわかっているのだ。
だからこそ、今まではずっと内に秘めてきたのだけれど、一度外へ出してしまえばもう止められなくて。
「父さんの、バカあぁ――――――――――っ!!!」
力の限り叫んで、その場から走り去ったのだった。
ひとつの騒動は何とか幕を閉じたけれど、その先にあったのもまた、それぞれの日常の中の騒動だったのである。