「沢田綱吉。願いがあるなら疾(と)く紡げ。我がこの地に留まれるのも、残り僅かだ」
の体を覆う霧の中、立体映像のようにして姿を現わした時蛟の言葉に、綱吉は息を呑んだ。
時蛟は、契約者の死と同時にその魂を連れて別の世界へと渡らなければならない存在。この地に留まれる時が残り少ないということは、即ち現契約者であるの死を意味する。
――何故、こんなことになった?
の望みは『全てを取り戻す』ことだと時蛟から聞いていた。それは、つまり光帝として奪われた力と民とを取り戻すことだということは、今ならわかる。
だが……他にも方法はあったのではないかと思えるのだ。おしゃぶりの中にあった力を取り戻し光帝として完全な力を持っていたのなら、わざわざ闇主に刺されずとも彼から虚無を分離させることができたのでは――と。
そして元々が彼女の力であったのなら、タルボの作った器がなくとも、彼女自身がその役目を果たせたのでは、と。犠牲ではなく、在るべき形に変えることすらできたのではないか――と……
20年後の未来から、綱吉との間に生まれたという三人の子供たちが来て、帰った後、は言った。――絶対に未来を変えてやる、と。
もし本当に綱吉が考えたように別の方法があったとして、あえて現状を選んだのだとしたら……これが、その結果ということになる。
即ち、これが綱吉の想いへの答えだということ――
「こんな……ものが……んて……っ」
ユニは予知能力を持っているが、らしくないあの言葉はどう考えても彼女自身のものではない。時蛟の幻術で助かったことから見ても、からあらかじめ聞いていて協力したとしか思えないのだ。
ユニだけじゃない。白蘭、XANXUS、スクアーロもだ。借りを返すという言葉、そして光帝を守ったことが、それを如実に告げている。
彼らに協力を求める時間が、余裕があったのなら、何故自分には何も言わなかった?
綱吉には、どうしてもそれが納得いかない。
「こんなの……オレは絶対、認めない……っ」
こんな、曖昧なまま逃げるみたいな結末なんて絶対に嫌だ。の口から直接、の気持ちを聞きたい。
それに、本気にさせてみろと言ったのは彼女自身だ。まだ綱吉は何もできていない。彼女が言い出したこのゲーム……まだ始まっているとさえ言い切れないのに、こんな中途半端で終わらせられて、諦められるはずがない。
だから。
「オレの願いは、この人と共に生きることだ!!」
これがの選んだ未来を変える方法だというのなら、自分はそれを拒否することを選ぶ!
はっきりと、覚悟をもって時蛟を見据え、綱吉は願いを告げた。
――けれど。
「それは叶わぬ。もはや光帝の魂に、この肉体で生きられるだけの力はない。我が力も光帝の力も魂に宿るものではあるが、光帝の力は生命そのものであり光帝の魂そのものだ。人としての寿命を全うする分しか残っていなかった力を使うことは、即ち生命を削るも同義。まして……魂の奥深くに沈んだ光帝の力を使うには、直接生命を注ぎ出すしか方法はないのだからな」
「……それでこいつはわざと闇主に刺されたのか……」
「然り。これまで数多の世界で自らの民を呪縛より解放してきた時も同じであった。いくら肉体の傷を癒そうとも、魂に生命力が残っておらぬのだ。生きることはできぬよ」
「そんな……っ」
悲愴なユニの声が、その場の空気を代弁していた。
それでも……綱吉の望みは揺るがない。綱吉はもう一度、己が願いを訴えた。
「オレの望みは、この人と共に生きることだと言っただろう。例え別の世界へ行ったとしてもだ!!」
「ツナ?」
「……それは『沢田綱吉』としての死を意味すると、わかって言っているのか?」
「「「 っ!? 」」」
「覚悟の上!!」
「十代目!? そんな、待――」
「はい、スト――ップ、そこまで♪」
周囲の声も耳に入らないくらい時蛟の返答にだけ注意を払っていた綱吉の意識は、妙に明るい声と共に逆さの状態で間に割って入ってきた白蘭へと否応なく向けられた。
時間がないのに、白蘭の悪ふざけに構ってなどいられない。
綱吉は思いっきり睨みつけるが、白蘭にはどこ吹く風といった体ですぐ傍らに降り立って。
「死ぬ気の状態って厄介だねー。本気で死のうとするんだからサ♪」
「邪魔をするな、白蘭!」
「するに決まってるじゃない♪ 君に死んでほしくない人間がこれだけ集まってるのに、みすみす心中なんてさせると思ってるの?」
「白蘭!!」
「だからネ、君がそれぐらい彼女のことが大切なんだってことはわかったから、だったら二人で生き残れる方向に死ぬ気になりなよってコトを言いたいの、僕は」
いつもの軽い調子が一変。急に真面目な表情で、声音で語られたことに、綱吉はハッとした。
まるで頭から冷水を掛けられたように、冷静さが戻ってくる。
そうだ。今までだったら、絶対最後まで何か別の方法はないか足掻いていた。――『時間がない』……その言葉で、知らず冷静さを欠いていたようだ。
一度双眸を閉ざした綱吉は、落ち着いた眼差しで白蘭を見上げた。
「何か方法に心当たりがあるのか?」
「そのイチ。死ぬ気の炎もトゥリニセッテも、元は光帝――つまりこの彼女の力だって言ってたじゃないか。だから僕たちが持つ死ぬ気の炎を分け与えられれば助かるんじゃないの?」
「あ……」
「理屈としては充分可能性はあるな。もうひとつは?」
「そのニ。その竜モドキの力でサ、綱吉クンが今持ってる生命力の半分を彼女に移すことができるとしたら、二人とも同じ時間を生きられるんじゃないかってコト♪ ま、寿命は縮むかもだけど」
今ここで死んじゃうよりはマシじゃない?
その言葉に全ての視線は綱吉へ、そして時蛟へと向けられる。
それまで事の成り行きを見ていただけの時蛟のほうが、先に口を開いた。
「願いを変えるのか?」
「いや、変えない。例え生まれ変わったとしても、オレはこの人と生きる……だが、まだここで生きられる可能性があるのなら、それに懸けたい!」
「よかろう。光帝同様、おまえとも契約を結ぼう。試してみるがいい」
「っ!?」
時蛟が真っ直ぐに綱吉へと向かってきたかと思うと、そのまま胸元に吸い込まれるようにして消えてしまった。
同時に胸の奥に感じる焼け付くような感覚に、綱吉は息を呑んだ。
一拍後、馴染む程度の熱を残し、再び時蛟が姿を現わした。
「契約は完了だ。このまま光帝が死ぬならばおまえも同時に死を迎え、共に別の世界へと生まれ変わろう。我が力については……わかるな?」
「……ああ」
意識を向けるだけで、時蛟の情報が流れてくる。これが、魂に寄生されるということ……
その不思議な感覚よりも、現状で綱吉が求める力が含まれていない事実に顔を歪ませる。
だが、諦める気はない。自分らしく、最後まで足掻くのみ。……とはいえ、一度にふたつのことができるほど器用ではない。ましてそれが、一か八かの賭けだとするなら、ひとつに集中したほうがいいに決まっている。
どうすべきか、己の行動を決めた綱吉へ、時蛟が必要な情報と共に助言をくれる。
「沢田綱吉。やるなら血を使え」
「血を?」
「血は肉体における生命の源。魂の生命力と最も繋がり易い媒体だ」
「わかった。――マーモン。幻覚で内臓を補ってほしい」
「やっているけど全然効いてないよ。何なのさコイツ」
「時蛟と契約してる所為で時蛟以外の幻術は受け付けないんだ。だから今、一時的に時蛟との間に道を作りマーモンの幻術を時蛟の力に変換する術をかける」
「って、ちょ……っ!?」
説明し終えるとすぐにマーモンのフードを外した綱吉は、光帝がしていたように指先を切り血で彼の額に時蛟が教えてくれた紋様を描いて、その上に口付けるのではなく軽く息を吹きかけ、言った。
「これでいい。頼む」
「……わかったよ!」
「へえ~、マーモンってそんな顔してたんだな」
「うるさいよ、スカルのくせに!!」
スカルの場違いな茶々に再び深々とフードを被り直したマーモンが幻術をにかける。
霧が集まり、見た目に傷がなくなったのを確認し、綱吉は次に白蘭へと目を向ける。
「白蘭。晴の炎と一緒に、体の癒しを頼みたい。山本を治せたんだから、おまえにも癒しの力があるのは確かだ」
「オッケイ♪ 実はあれって、死ぬ気の炎を生命エネルギーに戻して自己治癒力を高めたからじゃないか~とかいうこと言ってた人がいるから、生命力を与えるって意味でも丁度イイかもね♪」
「わたしもお手伝いします!」
「ユニ……」
「おしゃぶりの力はもうありませんが、わたしも大空の炎が使える事実は変わりません。みっつの大空の力が集うことには大きな意味があると思うんです! だから……っ」
「うん、一緒にやろうよ、ユニちゃん♪」
「はい!」
「魂のほうは綱吉クンが頑張りなよ♪」
「ああ!」
白蘭の言葉に頷いてはみたものの、はっきり言って自信などない。何故なら、頼みの時蛟でさえ生命を他者に渡す方法は知らないからだ。
わかっているのは、血を使えば可能性はあるだろうという程度のもの……
諦めたくはないのに、心に巣食う不安が成功を期待させてくれない。
どうすれば……
――ただ使うのなら本気の覚悟が必要だっていうだけの話だ――
――心の全部、頭の中の全部、帰りたい、帰るんだって思うことだよ。ほかのことを考える余裕があるうちは、本気じゃないってことさ――
ふっ、と。脳裏に蘇った記憶に、綱吉は目を瞠る。それは、いつかパラレルワールドから迷い込んでしまった未来の息子に向けてが言った言葉だった。
ひとつ、ひとつ、の今までの行動を思い出してみる。何か、見えた気がした。
綱吉は、自分の手を見た。……先程切った指先は既に傷口も塞がり、血は出ていない。
その手を強く握り締め、目を閉じる。
――絶対に、できる……を助けて、共に生きるんだ!!
自己暗示にも似た思いで覚悟を決めた綱吉は、目を開けての上体を抱え起こした。舌先を噛み切り、血の味が口内に広がるのを確認する。
いつもなら拳に灯す死ぬ気の炎……それを、口内に広がる血へと集約するよう強くイメージする。
そして、綱吉はに深く口付けた。
――陛下……――
ふと、聞こえた声に、綱吉の意識がそこへと向けられる。
落日がセピア色に染める豊かな草の茂る草原に、ふたつの人影が見えた。
黒髪と金髪、紅眼と蒼眼という、どこか対照的な印象を受ける一組の男女だ。
男は穏やかな笑みを浮かべ、女に語りかける。
「光帝陛下……陛下の御心があれば、私はそれだけで生きていけましょう。どうか私めに、陛下の御心をお与えくださいませんか?」
「……闇主……私は――」
女はどこか戸惑ったように口を開き――
全てが、闇に溶けた。
「――っ」
闇から逃れるように、綱吉は目を開けた。しかし、そこもまだ暗いままで、心臓の音が耳にうるさく響き、呼吸が荒く乱れていることが、余計に心を波立たせる。
「やあ、気がついたのかい?」
「っ!?」
まだ落ち着けてもいない状態で、唐突にかけられた声。綱吉は反射的に飛び起きて声のした方向を見た。
物の輪郭が見えるだけの暗がりに、ほんのりと光が灯り声の主を照らし出す。
「びゃく、らん……」
「暗くてわからないだろうけど、ココ病院ね。で、暗いのは夜中だからだよ♪」
「びょう、いん……よなか……」
知っている人間が言った身近な単語が、少しずつ綱吉を落ち着かせ、止まっていた思考回路を回し始める。
病院は怪我や病気などの治療を行なう場所。自分はどちらにも該当しない……はず。誰かの見舞い、で夜中までいるのはあり得ない。……白蘭……怪我……
不意に、血まみれの姿がフラッシュバックし、緩やかに動いていた思考が急回転した。
「あっ……さんは!?」
「しぃーっ」
やっと全てを思い出した綱吉は、声を荒らげて事の経過を尋ねた。だが白蘭は人差し指を自分の口に当て黙るように求めた後、逆の手で綱吉の傍らを示す。
示された先へと素直に目を向けた綱吉は、目を瞠る。
「ユニ……それに、みんなも……」
綱吉が横たわっていたベッドに頭を乗せて、ユニが寝息を立てていたのだ。
彼女だけではなく、元アルコバレーノたちや、獄寺、山本の姿も室内にあるのがかろうじてわかった。……今更ながらラル以外の元アルコバレーノたちが赤ん坊のままな事実にも気付く。呪いは、解けたのではないのだろうか?
ふっ、と。目の前に淡い光が現れた。それは綱吉の体に触れると吸い込まれるようにして消え、同時に綱吉の内にあたたかな何かが増えたのがわかった。
光の発生源は――白蘭の背後……未だ何なのかよくわからない、あの翼の形をしたモノだった。
そして、もうひとつ。綱吉の内に流れ込むあたたかな何かの元は、綱吉の片手にあったユニの手……
自分と繋がれているユニの手をそっとほどくと、流れ込むあたたかさは止まった。けれど既に内にあるものは消えずに綱吉に力を与えてくれている。
それが大空の炎だと、ようやく綱吉は理解して、ユニと、そして白蘭に目を向けて。
「ありがとう、ユニ、白蘭」
「ん♪ で、あの彼女についてだけど、こっちのベッドにさっきまでいたよ」
「え!? ど、どういうこと!?」
「君より先に目覚めて、何も言わずにどこか行っちゃった♪」
「えぇっ!?」
「ふらふらしてたから、そう遠くには行ってないと思うけどネ♪」
折角ちょっと見直したところだったのに……安堵と疲労感が同時にやってきて、綱吉は両手をついて項垂れ、深く深く溜息をこぼした。
楽しげな白蘭を恨めしげに見て再び溜息をつくと、綱吉はゆっくりベッドから下りる。
「探しに行ってくる……」
「気をつけてね~♪」
緊張感のない白蘭の声に脱力しつつ、綱吉は病室から静かに廊下へと出た。
人気のない深夜の病院の廊下は、非常灯と月明かりで思ったよりは明るかった。だが、見える範囲に人影はない。右と、左。どちらへ向かうべきか……
病室の前で立ち止まっていた綱吉は、何かに導かれるようにふらりと歩き出した。廊下を進み、突き当りの階段を迷うことなく上がる。
廊下よりもずっと光度の増したその先は、屋上。硝子張りの扉を押し開いて外へ出ると、冷たい冬の空気が体を包み込んで、寒さに身震いする。
腕をさすりながら、ぐるりと屋上を見回した綱吉の視線が一点で止まった。
背もたれのあるベンチに座る人影があったのだ。
ゆっくりと歩み寄り、ベンチを回り込んで傍らに立つ。
濡れ羽色の長い髪は、間違いなくのもの。清潔なパジャマ姿は病人のそれと同じで、月を見上げる顔がいつもより白く見えるのは、きっと月明かりの所為ではなく貧血だからだろう。
ただぼんやりと、まるで人形のように座るの姿に、綱吉は胸に痛みを覚えた。その痛みを消したくて、声を、掛ける。
「、、さん……っ」
「……何故、誰も彼も皆、同じことを言うのだろうな……」
「え?」
「見たのであろう? 私の、始まりの記憶を……」
「あ……」
思いがけない問い掛けで、先程見た夢を思い出した。同時に、あの時の心のざわつきも戻ってくる。
そうだ。かつて綱吉も闇主と同じようなことを言ったことがある。欲しいのはの心だ――と……
今なら、わかる……わかってしまった……あの時彼女が綱吉の陰に見ていた相手は、闇主だったのだ。
ざわつく心を抑えたくて、綱吉はきつく拳を握り締める。その痛みが、ほんの僅かに冷静さの欠片を保ってくれた。
だが、こんなものでは到底抑えきれないこの心のざわつきを消したくて、綱吉は声を絞り出す。
「、さん……あなたはずっと、オレの中に闇主の影を見ていたんですか?」
「おまえ自身はどう思うのだ? 超直感がるのだからわかるのではないのか?」
「っ、はぐらかさないでください! オレは、ちゃんとあなたの口から、あなたの気持ちが聞きたいんです!」
「……あの時、聞こえなかったのか? 私は今でもあの男を愛していると言ったはずだがな」
「それは、『光帝』としての気持ちですよね? オレが知りたいのは、さんの気持ちです!」
超直感があっても、わかることとわからないことがある。だからこそ、不安も消えない。
結局のところ超直感など役に立つのは戦闘ぐらいで、真実を知るには直接聞く以外にないのだ。特に……人の心については……
なのに、はどこまでも本心を語ろうとはしてくれない。そう思う気持ちが更に綱吉の心をざわざわと波立たせた時、は深く深く溜息をついて、言った。
「また、難しいことを求めるな、おまえは……」
「え?」
「転生により、確かに能力や性格に多少なりとも違いは出てくるものではあるが、魂は同じなのだ。私が私であることに変わりはない。『光帝』と『』を切り離して考えることはできぬのだよ」
思いもよらなかった彼女の言葉に、綱吉は言葉を失ってしまった。
『光帝』と『』……喋り方や態度にあまりに差があるから、全く別の人格のようなものだと思っていたのに……その認識自体が間違っていた。つまり、『彼女』の心の向かう先は、真実、『闇主』ということ……
でも、もう闇主はいない。他ならぬ彼女自身が闇主の生命を終わらせたから。
……だから、一緒に終わろうとしたのだろうか……あれ以外に別の方法があったとしたなら、そういうことになる。
けれど、彼女はまだ生きている。彼女が生命そのものを力として抱く『光帝』であるのなら、自ら命を絶つことはないだろう。
ならば、助かってしまった彼女の心は、これからどこへ向かうのだろうか――?
ほんの僅かな期待と、多大な不安とが入り混じった複雑な気持ちを抱え始めていた綱吉の耳に、の声が更に続けて届けられた。
「同じように、闇主は闇主だ。誰も代わりになどなれはせぬ」
「っ」
「そして――それは誰も皆同じだ」
「――え?」
「誰かの代わりになれるものなど、一人も存在せぬよ」
一瞬頭に過ぎった愚かな期待を打ち砕く言葉に、綱吉はぐっと唇を噛んだ。
けれど……それが、先程の問いの答え。綱吉のことは綱吉としてしか見ていない――と。その事実に、少しだけ安堵を覚え緊張が緩む。
とはいえ、まだ不安のほうが圧倒的に多い。何故なら、彼女の視線の先は夜空に浮かぶ月に固定されたまま、綱吉を見ていないから……声にも、いつもの威圧感ともいうべき覇気がなかった。
それは、目標を失ってしまった虚無感――否。大切な者を亡くした喪失感の表われ……悲しみという感情すら既に失ってしまったような姿に、綱吉の胸は締め付けられた。
こんなになるまで、たった一人で戦い続けてきたこの人の強さが――強い故の脆さが、どうしようもなく悲しく思えて……
「さん……っ、オレを、見てください……っ。オレが、絶対あなたを幸せにしてみせますから!! だから……っ」
悲しくて、そして何より愛しく思えて。
もっと楽に生きてほしい……もっと、心から笑ってほしい。『光帝』として背負った全ての重荷を下ろして、これからは身軽に、新しい人生を歩んでほしい。
目標が、生きがいがなくなったのなら、自分が彼女のそれになる。なれるように努力する。
だから、過去に向けている目を現在に、そして未来へと向けてほしい――と。
ただ、そう願って訴えた綱吉の言葉に、が返した反応は。
「……馬鹿な子……」
「へ?」
「本当に、どうしようもないほど馬鹿な子ね、君は……」
……この展開で何故馬鹿呼ばわりされるのだろう。
一瞬ぽかんとしてしまった綱吉だが、それこそが『』らしい反応だと気付く。
綱吉の望み通り真っ直ぐに綱吉を見て、穏やかな表情で、『光帝』ではなく『』の口調に戻って、反応した――と。
そう気付いた綱吉の胸にはやっと安堵が広がって、目頭まで熱くなって。
ぼやけ始めた視界の中で、は静かに瞑目して――
「で、そこの出歯亀軍団は何の用なわけ?」
「――へっ!?」
開かれた目は細く鋭く屋上の出入り口へ向けられて、発せられた声は『恭弥』のように不機嫌全開。
それまでの雰囲気を粉々にぶち壊すそれに、条件反射で涙の引っ込んだ綱吉も彼女の視線の先を追った。
「って、ぅわわっ!?」
「ぎゃっ!?」
「ぐえ!?」
硝子張りの扉のところにはリボーンをはじめ、病室にいた面々プラスアルファがいつからいたのかこちらを見ていて――部下のいないディーノのドジによってバランスを崩した彼らが屋上になだれ込んできたではないか。
「みんな、いつからいたの――!?」
「やっぱり馬鹿ね、君。気配ぐらい読みなさい。君の後つけてきてたのよ」
「うぅ……っ」
全然気付かなかった。その自分の間抜けさと、そしてへの告白を見られていた恥ずかしさで、綱吉は両手で顔を覆ってその場に蹲った。
穴があったら入りたい。そんな気分の綱吉を更に追い詰めてくれる存在は、やはりリボーンしかいない。
「ツナ、おまえも死ぬ気にならなくても大分言うようになってきたな。その調子で十代目になるって宣言し――」
「いやいやいやいや、それ関係ないからなリボーン!!」
「こいつ落とすのに比べりゃ、マフィアのボスになるほうがよっぽど簡単だろーが」
「そーゆー問題じゃないだろー!!」
「否定はしねーんだな、おまえも」
「うっ!?」
「ふふっ、あはははっ」
不意に躍った笑い声で、その場全体がきょとんとした空気に包まれた。更に声の主を確認した者から、珍しい――というか初めて目にするだろう、邪気のない笑顔に呆気にとられていく。
声の主――は、目尻に涙が浮かぶほど一頻り笑い続けて、口を開いた。
「やっぱり君って、見ていて飽きないわよね」
「うあ……っ」
初めに告白した時と同じ答えが返ってきた。
何の変化もないその事実に情けない気持ちでいっぱいになって、綱吉はまた頭を抱え込んで蹲る。
けれど――彼女が、として笑ってくれた。そのことに対しては嬉しい気持ちがあるのも確かで。
綱吉は、知らず口許に笑みを浮かべていた。
あの時から二人の関係は何も変わっていない。なら、ここからが本当のスタートだ。
の心を掴むための、鬼ごっこの始まり。
希望を、期待をもってを見上げた綱吉へ、気付いたはいつもの挑発的な笑みを返してきた。
自分の判断が間違っていなかったことを確信した綱吉もまた、挑戦的な笑みでもって彼女に応えた。
二人の恋のゲーム……その真のスタートは、この瞬間に切られたのだった。
くもりぞら パターンa・完