「バレンタインにさんからチョコをもらいたいです! どうすればチョコくれますか!?」
並盛山にある川原にて、綱吉は雲雀に向かってそう言った。それは、人目がなく多少破壊しても問題のない場所として選んだここで、手合わせをして得た質問権による発言だった。
事の発端は、たまたま見ていたテレビ番組の途中に流れた、バレンタイン商品のコマーシャル。『ダメツナ』と呼ばれていた綱吉には無縁の行事の上に、去年はビアンキの所為で散々な思い出しかなく意図的に記憶から消去していた存在。コマーシャルによってそれらと共に関連する情報も思い出され、今の時期を自覚したことだった。
2月になり卒業式も間近となったこの時期。『』はとっくに中学校を卒業していて、彼女が演じたままの『恭弥』が正式にどこかの学年に属しているのかもはっきりとは知らない綱吉にとって、彼女の進路も気になるもののひとつ。しかし、彼女を追いかけると宣言してしまった綱吉には、例え訊いても教えてくれないだろうことは予想できた。
得られないとわかっている情報を求めて、折角の質問権をふいにしたくはない。どうせなら、どんな形であれ答えが返るものがいいに決まっている。
だとするなら、一番知りたいのはの気持ちだ。宙ぶらりんのままの自分の気持ちの行き先を、知りたい。現時点での彼女にとっての自分の価値を……希望を持っていていいのかを――知りたい。
そのような思いの結果、発せられた問い掛けだったのだ。
期待と不安でガチガチに緊張している綱吉の正面で、予想外の質問を投げ掛けられた雲雀はじっと綱吉を見つめた後、盛大な溜息をこぼした。
「本当に、どうしようもないほど馬鹿な子だね君は」
「へ?」
「バレンタインデーにチョコレートを贈るのは、好きな相手に対してなんだろう?」
あからさまに呆れた声音で返された確認には、自分たちの間には無関係な行事であると明らかに含められている。
綱吉の片想いであるのは最初からわかっているので、この際それはいい。……ショックがないといえば嘘になるけれど、この程度で落ち込んでいたら先へは進めないから。
知りたいのは、今の彼女の中の自分の位置。
綱吉はそれを引き出すために、雲雀の問いへと答えを返す。
「い、今は、義理チョコとか友チョコとか、色々種類があって、どっちかというと、お世話になった人に感謝を伝えるって意味が強いって、ニュースの特番で言ってました」
「僕が、君に、何を感謝することがあるって?」
「うぅ……っ」
綱吉の努力も空しく、返されたの反論の余地もない正論だった。
確かに、その通り。綱吉が彼女に感謝することは山ほどあれど、彼女が綱吉に対して感謝するようなことは……ない、だろう……今こうしてここにいることも、結局は綱吉の願いの結果であり、彼女が望んでいたことではないのだし。恨まれてはいないのだろうが、感謝だってされるはずもない。
そう考えると、やはり彼女の中の綱吉の存在は……まだ『特別』には程遠いということ、だろうか。変化があったのは環境という外側だけで、心の面においては何の進展もない――と、いうこと……
予想の範囲内とはいえ、やはり実際に事実を突きつけられると落ち込まざるを得ない。
その場にしゃがみ込んで体ごと沈んでいた綱吉の耳は、次の瞬間、思いがけない言葉を拾った。
「……そんなにチョコレートが欲しいのかい?」
「っ、は、はいっ!」
「それじゃあ、ひとつ、賭けをしようか」
「は?」
「2月14日に満開になっている桜を見つけられたら、望み通りにから君へチョコレートを贈ろう」
「ええっ!?」
期待を持って顔を上げた綱吉は、雲雀の口から紡がれた内容でまた失意のどん底に突き落とされた。
だって、どう考えても遠回しな拒否にしか思えない。
「今、2月ですよ!?」
「2月の頭だね」
「この並盛でですよね!?」
「そう。この並盛で、だよ」
「2月中旬に並盛で桜なんて咲くわけないじゃないですか!?」
並盛を含め、この地方で桜が咲くのは3月に入ってからだ。満開になるともなれば3月末、春休みになった頃……一ヶ月以上も早い今頃に桜が咲いているなんて、見たことも聞いたこともない。
明らかな無理難題をふっかけてくることが、拒否以外の何だというのだろう。
恨みがましい目を向けた綱吉を見て、雲雀はスッと目を細めて表情を消した。
「別に。やりたくなければチョコレートを諦めればいいだけの話だ。好きにするといいよ」
「――っ」
どこか不機嫌にも見えるその無表情に、綱吉は息を呑む。
雲雀のこの不機嫌さの理由は、綱吉という玩具が思い通りに動かなかったことに対するもの? それとも……希望を持っても、いいのだろうか……?
綱吉は唾を飲み込むと、雲雀の真意を確かめるため口を開いた。
「……それは、確実にあるってことですか?」
「じゃなきゃ、賭けにならないだろう。は毎年そこで花見をしている」
「じゃあ、14日にその桜の下にいるさんを見つけられればいいってことですか?」
「そういうことだよ」
「……ちなみにその桜、ヒバリさん家の庭にあるとかいうオチはないですよね?」
「自分の家に桜があるのなら、わざわざ公園で花見なんてしないよ」
昨年の、やはりバレンタイン同様あまり喜ばしくない出来事が脳裏の蘇り、一瞬綱吉は遠い目をした。けれど、すぐに意識を切り替える。
無理難題でないのなら、希望があるということ。綱吉のためにチョコレートを用意してもいいと思うほどには、の中で自分の価値が上がっている可能性が高い。
ならば――綱吉が選ぶ道は、ひとつしかない。
「で、やるのかい?」
「やります。絶対見つけてみせます!」
「がんばりな」
ぐっと拳を握って宣言すると、雲雀は楽しげに笑って、その場を去った。
雲雀を見送った後、ほのかに春の香りがする風に押されるようにして綱吉もまた、並盛山を出て町へと戻り、早速咲きそうな桜を探し始めたのだった。
「見つからない……やっぱり、まだ咲く気配もないよ……」
雲雀が誘ってきた賭けに乗ってから、一週間が過ぎた。
この一週間、綱吉は学校以外の時間のほとんどを町内を駆け回ることに用いて咲きそうな桜を探し回った。並盛に古くから住んでいそうな人に話を聞いたりもして、それこそ隅から隅まで探し回ったつもりなのに、見つけられずにいた。
今日が期日となるバレンタイン当日だというのに……見上げた先、去年花見をした公園の桜の木も、つぼみはあれど開花には程遠いものだった。
まだ見落としがあるのか、それともやっぱり拒否の証だったのか……否。確かに雲雀はあると言った。彼女は嘘も普通につくけれど、あれは嘘ではないと超直感が告げている。だから、あることは確かなのだ。
でも、見つけられない……見つけられない自信があったからあんな掛けを言い出したのだとしたら、やっぱり彼女にとっての綱吉とは恋愛対象外の玩具ということになる。
けれど、もし見つけられることを前提にしていたなら……
希望を持ちたい。諦めたくない。けれど、現実的にはどこにあるのか見当さえつかないのだ。
賭けに勝って、の気持ちを知りたい……っ、でも……っ。
「ピヨッ」
どうすればいいのかわからずに、ただ俯き拳を握り締めて立ち尽くしていた綱吉の頭の上に、突然ぽふっと軽い音と衝撃があって綱吉は思考を中断させられた。
どうやら何かが乗っているらしい。
その何かは高く可愛らしい声で鳴いた後、ふわふわの髪が気に入ったのかいじって遊んでいるようで。
「え、何!? ええっ!?」
「ピヨッ」
何がいるのかわからない恐怖に、綱吉は自分の頭の上を手で叩いてそれを追い払った。
それはまた一鳴きして頭の上から飛び立った模様。軽い羽音に誘導されて見上げた先には、見覚えのある黄色くて丸っこい小鳥が飛んでいて。
「ヒバード?」
「オイデ、オイデ」
呼び掛けたわけではなかった。ただ、その存在の名を思わず呟いてしまっただけ。
しかし、綱吉の声に答えるかのように小鳥は人の言葉で鳴いた後、ぐるりと一度旋回してからいずこかへと飛んでいく。
「あ、待って!」
綱吉は反射的にその後を追って走り出した。
わらにもすがる思いとは、きっとこんな感じだろう、と。走りながら綱吉は思った。
ヒバードはいつの間にか雲雀の側にいるようになった鳥だが、基本的に自由に過ごしているだけで、彼女が束縛することはない。人の言葉を覚え、理解するとはいえ雲雀がそれを利用したことなど一度もないのだ。
だから「オイデ」という言葉も、雲雀がヒバードに対して使うのを覚えただけで、雲雀が意図的に仕込んだものではないだろう。つまり、綱吉に対して使うように雲雀は望んでなどいないということ。
だとするなら、小鳥を追うことに意味などないはずなのだ。それでも、他に手段の思いつけない綱吉は、一縷の望みを懸けて必死に追い続ける。
障害のない空を自由に飛び回る鳥を道形に追うというのは、本来無謀以外の何物でもない。それでも見失うことなく追えたのは、ヒバードが真っ直ぐに進んでくれたからだと、そう思ったのは町中までのこと。
追って着いた先は、並盛山だった。障害物の多い山の中、自分の足元にも気を配らなければならない状況では、小さな鳥を見失うのは必至。――けれど。
「オイデ、オイデ」
ヒバードは、綱吉を待っていた。綱吉が見失うたびに「オイデ」と鳴いて、自らの存在を示し続けたのだ。
こんなことが続けば、不安が期待に変わっても無理はなかろう。
そしてヒバードに対する信頼が、ほんの僅かに心に余裕を生んで、綱吉は周囲に目を配った。
「あれ……? ここって、この前手合わせした川原?」
そこは、一週間前に雲雀が賭けを言い出した場所だった。
まるで、ふり出しに戻されたような気持ちになった時、一陣の風が吹きすぎた。風がおさまった時、綱吉は気付いた。ほのかに春の香りがすることに。
はっとして、風が吹いてきた方向を見上げると、川の上流に向かって進んでいくヒバードの影が見え、綱吉は止まっていた足を再び進めた。
大きな石に何度も足を取られながら登ること、しばし。
山の中だというのに、急に開けた視界には、見事に咲き誇る一本の桜があった。そして――
「あ……、さん……?」
その、桜の下。
いつかリボーンのコスプレでもあった、あの赤い敷物の上、茶道具一式が揃ったそこに、着物姿の女性が桜を見上げていた。
まるで一枚の絵画でも見ているような錯覚を起こして立ち尽くす綱吉。黄色い小鳥がその絵画の中へ混ざり、女性の肩にちょこんと停まった。小鳥へと微笑を向けた女性の目が、その先にいる綱吉の姿を捉え――綱吉の心臓がドキリと高鳴った瞬間。女性は思いっきり呆れた顔で溜息をつき、ヒバードを指で小突いた。
「なんでわざわざ連れてくるかな……賭けの意味がないじゃない……」
「ピヨッ」
ヒバードはとぼけるように一鳴きすると、女性の肩から飛び立ち桜の枝へと移動して……ようやく綱吉は動くことを思い出し、恐る恐る桜へと近付く。
「、さん、ですよね?」
「何? もう見忘れたの?」
「い、いえ!? そうじゃなくって……その……」
近付き、まじまじと見つめて確認すると、女性――は、綱吉を見ることもなく聞き返してくる。
その切り返し方といい声といい、であるのは間違いないのだが……茶を点て始めているその姿があまりにも絵になりすぎていて、夢でも見ている気分だった。
ただその姿に見とれていた綱吉へ、一連の作業を終えたが目を向けて――再び溜息をこぼすと手招きした。
現実に意識を戻した綱吉は、一瞬躊躇ったものの靴を脱いで敷物の上に乗った。
その、瞬間……空気が変わったことを感じた。
この感覚には、覚えがある。
「え……? これ、幻術? なんで……?」
いつもは彼女の体を覆っているだけの幻術。今は本来の姿だからないと思っていたそれが、敷物を境界にしてしっかりとあったのだ。
けれど、幻術の内側に入りその影響を受けないはずの綱吉の目には、先程と何も変わることのない着物姿のが映っている。
何のための幻術なのか……その答えは。
「君の側にゴキブリがいるから」
「は?」
「雇い主から忠告を受けたにも拘らず、未だに平気で出歯亀してる自称家庭教師なゴキブリ」
「リボーン、ゴキブリ扱いですか!?」
「何? 何か不満でもあるの?」
「い、いえ、不満はない、です、けど……え、あいつついて来てるってことですか!?」
「……本当に君は死ぬ気にならないと駄目なままだね……」
「うっ」
いつからなのか、勝手について来ているリボーン対策のものだったらしい。
けれど……ゴキブリ……黒いスーツ姿が基本だし、赤ん坊だから小さいし、神出鬼没だから、確かに似ているかもしれないが……はっきりそう言ってしまえるのがらしい。
それに、やっぱりと過ごせる時間は自分だけのものであってほしいとも思うから、不満は全くないのが本音だ。
綱吉は一度深呼吸をして気持ちを切り替え、本題を口にした。
「さん。賭けの結果は、無効ですか?」
そう聞いたのは、先程のヒバードへの台詞があったから。
手合わせした場所からそう遠くない場所にあったことや、ちゃんと今日この場で待っていてくれたことから、見つけられることを前提にしていたことは確信できた。
けれど、辿り着けたのは、綱吉自身の力ではない。ヒバードは、元々マフィアが飼っていた鳥だから普通ではないとはいえ、だからといって人間と同じような思考能力があるとは思えない。の指示でないのならヒバードが綱吉をここまで導いてきたのは単なる気紛れ――つまり、偶然でしかないから。
それに……見たところ、抹茶のセットはあるけれどチョコレートらしきものは見当たらないというのも気になった。何か……他にも賭けを無効にするための材料が、あらかじめ仕組まれているのではないかという疑いも湧いてしまっては、聞かないわけにはいかないというもの。
果たして、からの答えは――溜息だった。
「いつまでもそんな端に立っていないで、ここに座りなさい」
「あ、はい……」
「上、向いて」
「へ?」
手で示されたの隣に、恐る恐る正座してみた。するとすぐに、またよくわからない指示が出されて。
条件反射で素直に従うと、晴れ渡った青空に咲き誇る満開の桜が一面に広がって、綱吉は思わず息を呑んだ。毎年ここで花見をすると言っていたの気持ちがわかった気がする。確かにこの景色はとても美しく、見応えがあった。
青と薄紅のコントラストに見惚れていた綱吉の視界に、不意に影が差した。突然のことに目の焦点を合わせる間もなかったが――
「んぅっ!?」
唇を塞ぐやわらかな感触により、それがの顔であることを理解するのは刹那の間で済んだ。
上を向いていたため無防備に開いていた歯列を割って、冷たい固形物が押し込まれてきた。その後を追うように侵入してきたの舌が、綱吉の口腔内で固形物を弄び始める。
転がし、また押し付けられた固形物は、口腔内の熱で温まって柔らかくなり、徐々に形を失っていく。融けていくにつれてほろ苦い甘さを与えてきたそれがチョコレートであることに綱吉が気付いたのは、いつの頃だったか。
己の顔を押さえるの袖にしがみつき、の動きに合わせて綱吉も舌を動かす。体中の全神経が口に集中しているのではないかと思えるような甘い感覚と、鼻に抜けていく甘ったるい香りに。酔ってしまいそうになった頃、チョコレートは完全になくなって。解放された綱吉は、半ば惚けて息をついた。
その、直後。
「あっま……っ」
目の前のは思い切り眉間に皺を寄せたかと思うと、先程立ててあった抹茶に手を伸ばして作法も何もなく一気に呷ったではないか。
先程の甘さもその余韻も見事にぶち壊してくれたそれに、綱吉も平常を通り越して呆気に取られる。
「え、えーっと……さん、ひょっとして、甘いのダメ、ですか?」
「和菓子の甘さが許容範囲。チョコレートだとか生クリームなんかの洋菓子は、甘ったるくて好きじゃないわね」
「え? だったらなんで、こんな……」
「いらなかったの?」
「い、いえ、そうじゃなくって……えっと……あれ?」
一瞬混乱した綱吉は、ふと違和感に気付く。
チョコレートをねだったのは綱吉なのだから、いらないはずがない。にも拘らず訊いてきたということは、チョコレートではなく口付けに対してのことということ。そしてを好きな綱吉が彼女との口付けを本心から拒めるはずはなく、ましてからかい目的でないのなら、素直に嬉しいわけで。
綱吉は、改めてへと目を向けた。
用意されていたチョコレートと、口直しのための抹茶……苦手なはずのチョコレートを味わうことになってでも与えられた口付け……バレンタインデー……
綱吉が本当に欲しかったものはチョコレートという物ではなく、の気持ちという形なきもの。今までのことを考えると、物凄く希望を持てる気がするけれど――
はっきりと聞かなければ確信を得られるはずもなく、不安がいつもつきまとう。だが、はっきりと告げてくれないのが雲雀、この人で。
ならば、と。綱吉は、ひとつ試してみることにした。
くるりと体を反転させて――
「えいっ!」
「……何してるの、君」
の膝の上に、頭を乗せてみた。
呆れた顔のが見下ろしてきていたけれど、その瞳に拒絶の色はない。トンファーが出てくるような気配も、ない。着物でトンファーというのもどうかと思うが、のことだ。本気で嫌だと思ったなら出てくる気がする。
けれど……うん、大丈夫だ。嫌な予感は何もない。
綱吉は笑って、愛しい人を見上げる。
「ホントに桜、咲いてるんですね……」
「今時期に咲く寒桜だよ。別に珍しくもない」
「すごく綺麗です……桜と、さん」
一度桜を見上げたは、綱吉の素直な言葉に再び視線を落としてきて――もう何度目かわからない溜息をこぼした。
その姿さえ、とても絵になる美しさで……綱吉は幸せな気持ちでずっと見つめて。
「オレ、さんが好きです。本当に、大好きです」
自然と口をついて出た告白。
は目を細めて綱吉を見下ろしたあと、視線を空に投げた。
「勝手に言ってなさい」
やっぱり、はっきりとした答えは返してくれなかったけれど……何故だろう。それが照れ隠しのように見えて、可愛らしく思えて。
山中にある一本の桜の木の下。愛しい人の膝の上で、綱吉は幸せいっぱいの笑みを浮かべたのだった。