第 0 話
呼び声

「うあ~……ヒマだあ……」
 カバン持つ手を高く掲げ、大きく欠伸のびをしながら、白いブレザーを着た少女が一人、学校からの帰路に就いていた。
 少女の名は。どこにでもいる普通の高校生――ではなかった。
 高く結い上げられた長い髪は鮮やかな朱色で、髪質により横に広がる様は、まるで燃え上がる炎のよう。大きな瞳は黄金きん色をしており、狩りに臨む猫のような鋭さを映し出している。
 人工的にしか存在しないと思える組み合わせでありながら、染髪料やカラーコンタクトレンズなどでは表現しきれない自然さがあるのは、生来の色彩である証拠だ。
 遺伝ではなく、明らかに突然変異。おそらくは世界中でたった一人しかいないであろう容姿のこの少女は、世界中でもまれな人生を歩んできた所為か、非常に問題のある性格の持ち主だった。
「あーあ。最近お客さんも全っ然、来なくなっちゃったしなぁ……体なまりそう。いっそ道場破りでもしようか」
 何かにつけ好戦的なのである。
 ちなみに『お客さん』とは、因縁をつけてくる輩のことである。直接的、間接的の違いはあれど、大きくくくれば害意をもって近づく一団だという事実に変わりはない。
 ふと溜息をこぼした少女が、襟元に手を伸ばす。黒いシャツの下から革ひもを手繰たぐって取り出したのは、深紅の勾玉だった。
 今までのがさつな言動とは裏腹に、勾玉を扱う手つきは丁寧で。勾玉を見る少女の表情も穏やかだ。
 それもそのはず。肌身離さず常に身に着けたままのそれは、彼女にとって何よりも大切な品。ただ一人、存在を認めてくれた友の形見なのだから。
「……約束……とりあえずは守れてるよ……」
 二度と会えぬ友の魂が宿っているかのように勾玉に話しかける少女。口許だけに浮かんだ笑みは、自嘲の色が濃い。
 自覚があるのか、再び溜息をつくことで笑みを消した少女は、勾玉をシャツの中へ戻して止まっていた歩みを再開した。――次の瞬間。

 ―― ……助けて…… ――

「……え?」
 突然聞こえた声。細く、消えてしまいそうな呟きに、自然と足は止まり耳を澄ます。
 ゆっくりと周囲に視線を巡らせて声の出所を探す少女の顔は引き締まっていて、戦場の兵士を思わせる鋭い雰囲気をまとっている。ただ、その雰囲気とは裏腹に、細められた瞳は思いがけない暇潰しへの期待で輝いていたが。
 けれど人影は見当たらず、声も聞こえなくて。
 そら耳だったのか、と。

 ―― 助けて……誰か…… ――

 浮かんだ考えを否定するように再度聞こえた声。
「誰!?」
 ばっ、と。勢いよく振り返る。けれどやはり誰もいない。隠れている気配もうかがえない。

 ―― ……お願い…… ――

 三度目に声が聞こえたとき、やっと少女は異変に気づいた模様。
「――って、なんなのよ! この声!」
 頭を抱える少女。そう、その声は聴覚で捉えていたのではなく、脳裏に響いていたのだ。
 最初は小さすぎてわからなかったが、徐々に大きくなったことで違いに気づけた。――だが、自覚した途端に周囲の景色が色あせ始めて、異常事態は加速する。

 ―― 誰か、助けてください!! ――

 ひときわ大きく声が響いたその瞬間、目の前は真っ白になった。目をくような光の中、祈るように両手を組み双眸を閉ざした見知らぬ少女の姿を、彼女は見た。
 そして――
 閑静な住宅街から人影は消えた。誰に知られることもなく、あかい髪の少女は世界から消え失せたのだ。ただ、アスファルトの上に残されたカバンだけが、少女が確かに存在していたことを、静かに告げていた。



 体を支配するのは、浮遊感。風や波の感覚もなく上下左右すらわからないのに、強い力で引かれていることだけは何故か理解できた。
 不可思議な現象はさらに続く。
 何かが迫っている。
 直感がそう告げたとき、衝撃が襲いかかった。一瞬後、するりと膜のようなものを通り抜けた感覚がして――はそろりと目を開けた。
 緑に覆われた平原。えぐられたように大地に刻まれた深い谷から続く、切り立った山脈。水と砂と、対照的な流れで隣り合うふたつの渓谷。緩やかに曲線を描く水平線と、星々の輝きすらかすませるほどの大きな月――

 ――……リィンバウム……
 ――美しき……世界…………マナにあふれた……楽園……
 ――悠久の時を経て……すべての魂が辿り着く……揺籃ゆりかご……

「――え……?」
 日本どころか、地球上のどこを探しても見つけられないであろう眼下に広がる光景に、ただただ目を奪われた。驚愕によるのか、美しさのためか、はたまた両方か。呆然自失としていた脳裏に、覚えなどないはずの言葉が奇妙な懐かしさを伴って浮かんで。
 疑問が口を衝いて出て、ようやく思考力が戻る。
 今まで感じることのなかった空気の流れが頬をなで、同時にふっと周囲が暗くなり夜らしい光景に変わった――刹那。
「って、うそぉぉぉー―――――――――っ!!!」
 ガクンッ、と。唐突に消えた浮遊感。それは重力が支配権を取り戻した証。
 遥か彼方かなた――それこそ水平線の曲がり具合が見て取れるほどの位置で景色を眺めていたということは、かなりの上空にいるということ。それはつまり、何の備えもないまま、体ひとつで空中に放り出されたことにほかならない。
「冗談じゃないよぉー―――――!! いくらあたしでもこれは死ぬってぇー―――――!!!」
 叫び訴える声は空しく空へ消えるだけで、無情な自然の法則によりの体は木々の生い茂る大地へと吸い寄せられていった。


 豊かな森に囲まれた小さな村。平和と平凡の象徴でありそうなそこは、今、夜の闇を村から追い払うほどに赤々と燃え盛る炎に満ちる非常事態にあった。
 逃げ惑う人影も、非難を促し消火を呼びかける怒号や喧騒もないのは、ただの大火事などではないからだ。
 炎に照らされつつ動く人影は、奇妙な静けさをまとった闇色の甲冑かっちゅうの兵士たち。その手に握られた血の滴る剣が殺戮さつりくの事実を告げてはいるが、かといって略奪する様子もなく、征服に沸き立つこともない。淡々とした動きが、まるで中身のない人形のように思えて、不気味で異様な状況を作り出していた。
 破壊すべきモノを探してるかのように兵士たちが歩き回る村で、僅かに生き残っている人間たち。何の変哲もない村娘にしか見えない少女と、旅人、または冒険者風の数名の男女。明らかに人間ではない小さな影もある。
 生き延びるために彼らが対峙しているのは、兵士たちとは形の違う甲冑を身にまとい、明らかな覇気を放つ黒い騎士。
 黒騎士がおもむろに剣を構え、命を懸けた一戦が始まろうとした――そのとき。

「ちょっと誰かなんとかしてえぇー―――――――――っ!!!」

 空気を裂くように降り注ぐ声に、条件反射で全員が上を見た。
「なっ!?」
「人だと!?」
 急速に近づくのは朱い髪の少女。
 認識は一瞬。それを悟ったときには、もう少女の体はすぐ側で。
「うきゃあぁぁー―――――っ!!!」
 数人が反射的に目を閉じ、または手で顔を覆った。
 ぶわっと、唐突に熱風を感じた直後、何かが落ちた音がした。そして、沈黙。
 ドサッ、といった感じの音、だった。ぐしゃ、という不快な音ではなかった、はず――と。
 目を閉じた者たちが、恐る恐る目を開けた。案の定、グロテスクな光景にはなっていなかったが、安堵を覚えるには状況はいささか緊迫感が強かった。
 死の象徴ともいえる黒い鎧の騎士の腕に抱き抱えられた、生の象徴のような白い上着をまとった豊かな朱髪の少女――絵画のようにも見える光景は、けれど事態の悪化を予感させて。
 誰も動くことを思い出せぬ中、少女がそろりと目を開けた。自分が無事であることを理解したのだろう。安堵の息とともに、こわばっていた体から力が抜けるのが見て取れて。。
「助かったー。受け止めてくれて、ありがとう」
 殺戮者たる黒騎士に、知らぬがゆえか恐れも抱かず礼を告げた少女は、ひょいっと身軽に地面に降り立った。
 そして、ぐるりと周囲に視線を巡らせて……一言。
「……どこさ、ここ?」
 少女の問いに答える者はいなかった。