第 3 話
休息

 聖王都ゼラムにある高級住宅街の一角。かなり大きなとある邸宅には今、相応の人数が過ごしていた。
 先日まで慌しかった面々も、とりあえず今後の方針も決まったためか、少しゆとりが出てきたようで、各々余暇を過ごしているこの日。家主の一人、ギブソンの部屋にノックが響いた。
「ギブソンさん、今お時間よろしいですか?」
 訪れたのは中でも一番変わっている少女、
 ギブソンは読んでいた本を閉じ、彼女へ席を勧めた。
「私に何か用かな?」
「とりあえず現状把握しておこうかなァ……って思いまして」
「それなら現場に居合わせたネスティたちに聞いたほうがいいのではないかい?」
「そう思ったんですけど、一番事情に詳しそうな召喚師? 三人とも出掛けちゃってて……」
 得心がいったギブソンは、部屋に持ってきていたポットからお茶を注ぎ、ケーキの皿と共にに渡す。自分のカップにもお茶を満たし、改めて彼女と向き合う。
「確か……君は空から落ちてきたと言っていたね? とりあえず、その時のことを聞かせてくれないかな?」
「いつも通り普通に道歩いてたら『助けて』って女の子? 人? の声が聞こえて……そしたら、急に周りが白くなって……気が付けば空の上でしたね」
「……そう……か…………やはり君は召喚術によってこの世界へ喚(よ)ばれて来たようだね」
 何も言わず続きを待つ彼女に、ギブソンは概要を述べた。
 曰く、この世界『リィンバウム』は四つの異界と隣接していること。鋼の肉体を持つものたちの暮らす廃墟の世界『機界ロレイラル』。人間の他、龍神・鬼神・妖怪たちの闊歩する世界『鬼妖界シルターン』。天使や悪魔などの霊的存在の集う世界『霊界サプレス』。幻獣と亜人の棲む自然豊かな世界『幻獣界メイトルパ』。
 召喚術とは、これらの世界へサモナイト石によって路を開いて住人を呼び出し、その力を借りる術だということ。
「……だが、君のいた世界はこれらとは全く異なるのだろう?」
「全く聞き覚えはありませんね」
「……我々はその存在を知ってから便宜上『名も無き世界』と呼んでいるが……どの世界から召喚されたにしても、召喚獣を元の世界へ送還できるのは召喚した者に限られているんだ。……すまないな……」
「? どうして謝るんですか? 別に元の世界に帰れなくたって一向に構いませんよ、あたしは。むしろ、永住する気満々だし」
「……え!?」
 さらりとのたまったに、ギブソンは一瞬頭の中が真っ白になった。そして感情の趣くままに疑問を投げ掛ける。
「ど、どうしてだい!? 『名も無き世界』が君の故郷なのだろう!?」
 当然の疑問。
 いきなり別の世界に喚び出されて、故郷に帰りたがらない者などいはしない。まして『帰れない』と告げられて、そう簡単に割り切れるようなものでもないはずだ。
 ギブソンは、知っているから尚更驚きは大きい。
 一年程前、任務の途中で出逢った仲間。と同じ世界から喚び出された彼(か)の人も、自分の世界へ帰るか、この世界に残るかで、随分悩んでいたことを。そして、この世界を選んだ時の気持ちを……知っているから……
 詰問するような勢いのギブソンに、は一瞬目を丸くし、きょとんとしたまま答えた。
「だって、こっちのほうが楽しそうだし? 何よりあたしはあの世界に何の愛着も未練もないからね」
 言い切ったの言葉には迷いも偽りも感じられなかった。
 でも……だからこそギブソンは戸惑い、また信じられなかった――理解……できなかった。
「……何故……家族だって……いるのだろう?」
「いないよ」
「!?」
「あたしのことを心配してくれる人なんて……もう……いないから……」
 は笑った。何とも表現し難い影のある笑顔。
 ギブソンが何かを言いかけたその時、再び響くノック音。
 誰何の声に、顔を出したのはアメル。
「あの……お話したいことがあるので、応接室のほうへ来ていただけますか?」
 アメルの言葉には早々に立ち上がって部屋を後にした。
 ギブソンはしばらく動くことが出来なかった……


 応接室には見慣れぬ人影。
 少し癖のある山吹色の髪。強い意志と果てのない不安を秘めた琥珀の瞳。
 小さな小さな召喚師、ミニス。
 マグナとトリス、アメルが知り合った彼女は、大切なペンダントを無くして困っていたらしい。そこで、皆にもペンダント探しを手伝って欲しいとのこと。
 ふたつ返事で了承した皆と、他人に弱味を見せまいと虚勢を張っているミニス。そんな彼女を放っておけないと思ってしまっている自分に対しては溜息を洩らし、ミニスを手招きした。
「おチビちゃん、おチビちゃん。こっちおいで」
「私、『おチビちゃん』じゃ、ありません」
「あはは、それはごめん。じゃあ、ミニス。おいで」
 渋々といった感じで側に来たミニスの腕を引き、腕の中におさめた。先日、リューグにしたように力で押さえ込むのではなく、包み込むように優しく抱きしめる。
 突然のことで身動きが出来ないでいるミニスの耳元で小さく囁きかける。
「大丈夫……あなたがあなたのまま、素直な気持ちを忘れなければ、きっと良い方向へ進んで行けるから……」
 体を離し、呆然としているミニスに微笑みを向ける。
「いってらっしゃい」
「……うん! いってきます!」
 敬語も使わず、笑顔で答えたその姿が、きっとミニスの本来の姿。
 彼女の抱えている不安が減少したことを確信し、にも自然な笑顔が浮かんだ。
 そんな二人を近くで見ていたギブソンが、疑問符のついた視線を向ける。
「……さっき、あの子になんて言ったんだい?」
「ん~? 少々叱咤激励をば」
 何やらずれた答えに、ギブソンもそれ以上聞く気はないのか、話題を変えた。
「君はどうする? 話の続き、聞くかい?」
「……いえ、あたしも少し外に出ます」
 立ち上がり、軽く体をほぐす。
「実感湧いてないっていうのが正直な感想なので……だから自分の目で見てきます」
「……そうか……もし街の外に出るのなら気を付けたほうがいい。野盗が出るかもしれない」
「はい」
 ギブソンに見送られ、槍を手にしたはゆっくりとゼラムの街へと姿を消していった。



「ん――、風が気持ちいい――――」
 が向かった先は町の外。聖王都ゼラムを一望できる小高い丘の上。
 吹き抜けるそよ風を胸いっぱいに吸い込んで、もう一度改めて眼下の景色を眺める。
 大きな滝を背に建つ白い城。城壁に囲まれた異国の街並。大きな湖。広がる草原。
 遮るものなど何もない大空。生まれて初めて見た地平線……そして水平線。
 初めて……そう、初めて見たはずの風景。なのに懐かしさを感じるのは何故だろう。
「……嬉しいのかな……あたし……」
 勾玉を太陽にかざして見る。
 陽に透けて見えてくるもの――海面のような炎のような……ゆらめき……
 目に映るはずのない、鼓動にも似た――
「……もう少し……待ってね…………もう少ししたら、きっと……」
 それはきっと予感。
 確信に近い呼びかけを風に溶かし、は木の根元に腰を下ろして天を仰ぐ。
 ふと、先程の出来事を思い出す。
「……にしても、あの悪魔君は何であたしを睨んでいたのかね?」
 ミニスとのやりとりを一部始終睨むように見つめていたのは、トリスの護衛獣、バルレル。
 何かを探るような、物言いたげな……そんな視線。
 思い当たる節があるだけに気になってしまう。
 ――悪魔の糧は人間の負の感情。
「ひょっとしなくても、感づかれてたりして……」
 本人に聞かない限り明確な答えなど得られるはずもない。だが、相手から言ってこないものを無理に聞く気は、にはなかった。
「……ま……どーでもいいんだけどね~……」
 心地良い風に抱かれながら、は静かに瞼を下ろした。


 そこへ向かったのは、ただの気まぐれだった。
 腹部に痛みの残る、本調子ではない体を引きずってまでそこへ行ったのは、ただ気分転換がしたかっただけ。
 まさか、自分の体をこうした張本人に出くわすなど、夢にも思わなかった。

 茂みの間から初めに見えたのは、青空に映える明るい朱の髪。
 風に混じって聞こえてくるのは、静かな寝息。
 一本の木に寄りかかるようにして無防備にその姿をさらす少女に、イオスはその場に立ち尽くした。
 ――何故。と思う。
 聖女一行の一人が目の前にいる。少々厄介な相手とはいえ、今は完全に無防備。いくら自分が本調子ではなくとも、彼女を本陣に連れ帰るぐらい可能だろう。
 なのに……動けない――否、そうする気にもなれないでいる。
 疑問だけが頭の中で渦を巻き、結果その場に立ち尽くしてしまっていたイオスは、ふと少女を注視した。
 見慣れぬその服装はあの炎の夜と昨日、相見(あいまみ)えたときと同じ物。
 彼女の髪をよりいっそう際立たせる白い服は、陽の光を受け眩しい程の存在感を放っていた。……そう、不自然すぎる程に……
 ルヴァイドとどれだけの時間戦っていたのかイオスは知らない。だが、あの炎の中にいたはずのの服は変色もせず、煤すらついてはいなかった。
 新品同様のそれに、あれは夢だったのではと思えてくる。しかし、腹部の痛みが夢でも幻でもなく、現実であるということを如実に表していた。
 思わず溜息が洩れた。
 視線をずらしてみて、昨日にはなかったものを見つけた。
 の胸元。変わった形の赤い石。
(確か……『勾玉』という、シルターンの装飾品……)
 ならば彼女はシルターンの者かと考え……すぐに否定する。衣服が伝え聞いたものとは違いすぎる。
 イオスは彼女の首にあるそれに興味を引かれ、手を伸ばした。
「――ッ!?」
 伸ばした手はその動きを止められた。手首を……掴まれていた。
 イオスの手を掴んでいるのは、紛れもなくの手。でも、彼女からは変わらず規則正しい寝息が聞こえていて。
 イオスは昨日のの言葉を思い出した。

 ――反射だけで動いてたから完全無意識――

(まさか、これも反射だというのか!?)
 眠っていて尚、自分に近付くものに反応できるその神経は、彼女が半端じゃない数の修羅場を潜り抜けてきたことを物語っていた。
 もし今、明らかな敵意を持って手を出していたら……
 至った思いに、イオスは戦慄が走るのを感じた。
 まさか年下の少女に、ルヴァイドに対して感じたものと同じくらいの恐れを抱くことになろうとは……
 掴まれた手を振りほどくことも出来ずに、イオスは今度こそ本当に身動きが取れなくなってしまった。
「……ん?」
 小さく聞こえた声に、イオスは視線を上げる。
 ゆっくりと黄金の瞳がその姿を現す。
「…………はれ? ……イオス……?」
 寝ぼけているのか、とろんとした瞳にイオスの姿を映したはしばらくそのまま彼を見つめ、へにゃっと力なく微笑んだ。
「……は~ろぉ~……」
「何だそれは」
 思わず突っ込みを入れるイオス。
「ん~? 挨拶だよ。『こんにちは』って意味」
「どうでもいいが、手を放してくれ!」
「……おや?」
 ようやく自分がイオスの手を掴んでいることに気付き、その手を放した。
 座ったまま大きく伸びをするから、イオスは少し距離をとる。
 やっと目が覚めきった様子で意志の強い瞳を向けてくる。
「こんな所で何してんの?」
「……おまえこそ、ここで何をしている?」
「見たまんまだけど?」
 そう言ってから、はイオスを見つめ、悪戯っぽく微笑んだ。
「……イオス……割と平気そうだね~。やっぱり軍人さんか何か?」
 内心ドキッとした。
 言い当てられたからだけではない。自分を見上げる金の瞳は……全てを見透かすような、そんな輝きを宿しているように感じたから。
「……何を……根拠に……」
 平静を装いながら言った言葉は微かに震えていて、それでも心中を悟られまいと彼女から目を逸らさずにいるイオスを眺め、は楽しげに目を細めた。
「理由は簡単。あたしの本気の蹴りを受けて、落ちなかった相手はあなたが初めてだから。あとは昨日の状況判断」
 恐ろしいことをさらりと言ってのける。
 確かに気絶はしなかったが、蹴られた一瞬意識が飛んだのは間違いなくて。思わず視線が泳いでしまった。
 そんなイオスの耳に、くすくす笑う声が届く。
 イオスは表情を一変させ、怪訝な顔で問う。
「……おまえは……僕たちが憎くはないのか?」
 この問いは予想していなかったのか、はきょとんとイオスを見上げる。
「……何のこと?」
「…………レルムの村のことだ……」
 得心がいったは、いつものからかうような笑顔になる。
「それを聞くってことは、やっぱりルヴァイドの仲間なのね」
 自分の失言に気付き口を手で覆うイオスに、はまた笑い声を洩らす。それは楽しそうに。
「双子にも似たようなこと言ったんだけどね、あたしは見てないのよ。あなたたちが村人を殺すところも、死体も見ていない。だから、あたしにとってあなたたちは憎しみの対象じゃあないの」
 言った後、はイオスから目を逸らし、遠く、空を見上げた。
「……それに……あたしは、あなたたちを責めることが出来るような人間じゃ……ないしね」
 イオスは目を瞠る。
 そこに今までのはいなかった。どこか遠くを見つめる彼女の顔は、寂しげに哀しげに微笑まれていて、酷く儚く見えた。
 これがあれだけ自分たちを蹴散らした少女なのか、と思ってしまう。
 イオスの困惑に気付くはずもないは、先程の儚さなど欠片も残さず槍を持ち上げ明るく言った。
「あっ、そうそう。この槍すっごく使い勝手いいよ。次はあたしも本気出せると思うから、そっちも本気で相手してって、ルヴァイドに伝えといて」
 それから大きなあくびをひとつして。は再び夢の中へと落ちていった。
 残されたイオスは……ただ立ち尽くす以外に、何も出来なかった。