第 6 話
望み

 『やっぱり、てめえだったんだな……』
 悪魔の少年は言った。
 『……戻って……きちまったのかよ……』
 相手を見ることもなく……独白のように。
 他の誰にも聞こえないように小さな、小さな声で。
 唯、一人に向けて……


「……なんだっての?」
 起き抜けに、はそう呟いた。
 気分は最悪。不機嫌絶好調。
 原因は背中に感じる違和感。昨日、休憩所に着く前にバルレルが自分に向けたであろう言葉を聞いてから、背中に違和感を覚えた。痛むわけでもなく、痒いわけでもない。けれどそれらに近いような……
 ――そう、古傷が疼く……そんな感じで。
「んなワケあるか」
 毒づいて、全ての不快感を振り払うようにカーテンを開けた。
 まぶしい光が部屋を満たす。
 日は既に高く、昼近いことがうかがえた。
「うわ。寝すぎだね、これは……」
 確か、フォルテの腕の中で眠ってしまったのは夕暮れより少し前の時間。ということは優に半日は眠っていたことになる。
 とりあえずそれらの問題は隅に追いやり、窓を開けて外の空気と陽の光に身を預ける。
 いくらなんでも一時の気の昂ぶりで、ここにいる人たちに迷惑はかけたくなかった。だから気を静めるために。
 ――思い出せ。自分がここにいる理由を。
 静かに自分に問い掛けて。ゆっくりと瞼を持ち上げる。
「……うん……大丈夫」
 最後の暗示のように呟いて、大きく伸びをした。それから誰かが着替えさせてくれたらしい寝巻きから、いつもの制服へと着替えて、部屋を後にした。

「おはようございます」
 重苦しい空気の支配する中、やけに大きく響いた声。
 予想していたとはいえ、かなり自分が浮いているように思えてならないが、真っ先に反応を返してくれたトリスに胸中で感謝しつつ。
!! おはよう!」
 とりあえず勢いをつけて腰に抱きつくのはやめてほしい。
「おはよう、
「おはよう。トリス、マグナ」
「もう昼だ、三人共」
 現状を変えようと明るく挨拶してくれた弟妹弟子に対してそういう態度取るか、コノヤロー。
 冷静に突っ込んでくれたネスティに対する思いはまさにこんなモノで。は、それはそれは綺麗に笑って見せた。
 どこかミモザを思わせる、けれど彼女とはまた違った腹黒い笑みに、向けられたネスティ含め数名が引く。満足げにそれを見やり、とりあえず今はそれ以上は何もしない。……今は……
 代わりに、先程浮かんだ疑問を解決させようと問う。
「ところで、ネスティ? ピクニックに行ったのって昨日でいいんだよね?」
「あ、ああ……そうだが?」
「何!? どうしたの!?」
「まさか記憶がとんでるとか!?」
「え゛えっ!?」
 血相を変えてオロオロしだした双子召喚師の様子が面白くて。それ以上に、自分を心配してくれていることが嬉しくて。自然な笑顔で、未だ腰に抱きついたままのトリスの頭を優しく撫でた。
「違う違う。どのくらい寝てたのかなって思ったの」
「……約二十時間、といったところだな」
 律儀に答えをよこしたネスティに物言いたげな視線が集中する。言葉にするなら「わざわざ計っていたのか?」だろう。
 彼らの思いに気付いていないのか、気付いていて黙殺しているのか。ネスティは素知らぬ顔で、もあっさり話題を変えた。
「んで? 何か異常なくらい空気が重いけど、全員で何してたの?」
「ああ……昨日の、奴らのことを話していたんだ」
「……打開策でも見つかったワケ?」
「……いくつかは……な……」
「ねえ! その話後にしてさ、先にお昼にしない?」
 話し出そうとしたネスティを遮って、トリスはわざとだとわかる程の明るさで言った。それに対して返ってきた兄弟子の厳しい眼差しにも引き下がらずに続ける。
「もう昼だって言ったのネスじゃない。それにだって夕べから何も食べてないもん。お腹空いてるよね?」
「うん。かなり」
 同意を求められて、その意図はわかりきっていたけれど。事実は事実なので、ここはあえて彼女の作戦に乗る。
「ま、腹が減ってはなんとやらってシルターンのことわざにもあることだし? いいんじゃない?」
 ミモザも乗ってくれて。ネスティは溜息をつき、それ以上は何も言わなかった。
 キッチンへ向かうアメルを見送り、は溜息をつく。
 先程から自分たちへ向けられる視線が痛くて仕方がない。ついでに言うと少々苦しかったりもする。
「随分懐かれてるなぁ、。オレも混ぜ……げふっ!」
 席から立ち上がりかけたフォルテはケイナの裏拳を喰らい、椅子ごと床と友好を深めていた。
「あーあ」
「懲りないね」
 すぐ近くから聞こえるふたつの呟きには、自分たちが原因であることを自覚している感じは全く含まれていない。
 ……マグナは聞いていなかったかもしれないが、トリスには『体質』のことを一応話した。だから二人の意図はわかる。揺らぐ気持ちをきちんと確立させたいのだろう。――けど……
 はちらりと横を見る。マグナの顔が眼前にある。下を見ればトリスの顔。二人の腕はそれぞれの首と腰に回されていて……
(二人一遍に抱きつかれるのはな~……)
 いつのまにかマグナまで抱きついていて。流石に苦しいし……暑い。
 それに……気になる視線がひとつ。
 は溜息と共に二人へ声を掛ける。
「あのさ、二人共。そろそろ放してくれない? かなり暑いんだけど……」
「ヤダ」
の側って、あったかくて安心できるんだもんな?」
「ね?」
 一瞬、は自分の体質を恨みたくなったが、矛盾に気付き溜息をつくことでその気持ちを振り払う。
「……精神安定剤になるのは構わないんだけどさ。一人ずつにするとか、せめて身動きできる程度にはしてよ」
 切実に願うに、それでも兄妹は離れようとはしてくれなくて。実力行使はしたくなくて視線を彷徨わせていると、ネスティと目が合った。仕方がないといった感じで、それでも助け舟を出してくれた。
「いい加減にしないか、二人共。が困っているだろう」
 流石兄弟子と言うべきか。
 不承不承ではあったが、その一言で二人はから離れた。
 ようやく解放され安堵の溜息を洩らすと、ネスティのほうへと駆け寄る。
「ありがとうネスティ。助かったわ」
 そう言ってネスティの横を通り過ぎ、は気になっていた視線の主に抱きついた。
「ちょっ……いきなり何するのよ!?」
 腕の中から上がる抗議の声は置いといて、背後から聞こえる兄妹の非難の声に答えを返す。
「あなたたちはさっきまで充分抱きついてたでしょーが。だから今はミニス」
「何で私なのよ!?」
「さっきからずっと、抱きしめてほしそうな目で見てたから」
 そっと彼女にだけ聞こえるような声で囁く。
 すっぽりと腕の中に収まってしまうミニスの小さな体が、先程まで暴れていたのが嘘のように動きを止めた。
 完全に抱え込んでいる所為で表情はわからないが、戸惑っているのは伝わってくる。
 何かを言いかけて、開いた口を閉ざす。それを幾度か繰り返して、ようやくミニスが声を発した。
って、何でそう何でも見透かしたようなこと言うのよ……」
「洞察力には自信あるの。それに……『炭』になるって決めたからね♪」
「は? 炭?」
「そ。だからあたしには素直に甘えていいよ」
 困惑がありありと伝わってきて。思わず笑い声を洩らす。
 それが気に喰わなかったのか、不機嫌気味に頬を少し膨らませたようだが、それでもほんの少しだけミニスはを抱きしめ返した。
「……せめて周りに人がいない時にしてよね……」
「りょーかい♪」
 軽くミニスの背中を叩いて体を離すと、少し照れたような顔があって。目が合うと、何となく同時に笑い出す。
 周りの人も暖かい眼差しで見ているのがわかる。
 暖かい気持ち。柔らかな時間。
 ――守りたい。と、思った。
 だから『炭』になろうと。
 炎を生み出す炭。そして、清浄効果を持つそれに。
 自分にはその『力』があるのだから――……

 程なくして、アメルたちが運んできた料理を皆一緒に食べた。
 の体質も手伝ってか、食事中はわりと明るく過ごせたが、流石にその後の話までそうはいかなかった。もっとも、午前中よりは大分マシになっているというのは、の与(あずか)り知らぬことだったが。
 いなかったのために、確認も兼ねて説明されたことは次のようなものだった。
 崖城都市デグレアとは、聖王国と対立する旧王国最大の軍事都市であるということ。
 領土侵犯を犯してまで彼らはアメルの身柄を欲していること。
 目的のためにはレルムの村の時のように強行手段に出る可能性があること。
 そして、騎士団や派閥に保護を求めた場合、彼らはアメルを引き渡してしまいかねない――ということ。
 話の終わりにギブソンは言った。
 君たち一人一人が本当に望んでいることは何なのか。よく考えてみるんだ――と。
 ……そんなもの、は疾(と)うの昔に自覚していた。決めていた。
 問題は、周囲の反応――だった……



「アーメル」
 名を呼ばれてアメルは振り返った。
 声の主は。いつもと変わらぬ様子でキッチンの入り口に立っていた。
「……さん……」
「片付け、手伝わせてもらってもいい?」
「……え?」
 つい先程話し合っていたことで頭がいっぱいだったアメルは、予想だにしなかった申し出にきょとんとしてしまう。
 自分の隣までやってきたが、ふきんと皿を手に取ったところでようやく我に返った。
「あっ、一人で大丈夫ですから」
「……でも、さっきから手止まってたよ」
 言われたことに驚いて再びアメルは動きを止めた。……全く気付いていなかったのだ……
「……止まって……いたんですか?」
「うん。かなりボーっとしてた」
 洗い終わった皿を拭きながら悪戯っぽく微笑まれて、アメルは目を逸らして自分も洗い物を再開した。
 は、何も言わなかった。
 アメルも何も言わなかった。
 しばらく二人は無言で食器を片付けていたが、やがてアメルのほうから口を開いた。
「……さん、訊いても……いいですか?」
「……何?」
「どうして、あの時会ったばかりのあたしを助けてくれたんですか? どうして、今もあたしを守ってくれるんですか?」
 それはずっと気になっていたことだった。
 とトリスたちとでは事情が全く異なるから……
 トリスたちとは一応面識があった。だから成り行きとはいえ助けてくれたことは納得できる。けれどは違う。彼女は何も知らなかったのだ。
 は強い。黒騎士が自分の命も奪おうとしていると知った時、一人で逃げることも可能だったはずだし、トリスたちと共に行くという道もあった。
 でも彼女は……一番リスクの高い選択肢を選んだ。
 そして今も……
 何のためにその道を選んだのか。アメルはそれがどうしても知りたかった。
「……それに答えたら……あなたは前へ進めるの?」
「――はい……」
 はひとつ溜息をついて……言った。
「あの時のあなたは、あたしと似ていたから……」
「……似て……?」
「昨日、フォルテが言ってたでしょ。あたしは昔、自分の所為で大切な……たった一人の親友を失ったの。そしてあの時のあなたは、自分の所為で大切な家族を失くしかけていた。だからよ」
 自分の手元に視線を落としていたは顔を上げ、微笑んだ。
 その皮肉っぽい笑顔に……否、自嘲に、アメルは目を瞠る。
「あなたに同じ思いをさせたくなかったなんて綺麗な理由じゃないよ。放っておけなかったのは自分。あなたを助けることで過去の自分を慰めたかっただけ……」
 返ってきた答えの意外さに、アメルはを見つめる以外に動くことはできなかった。
 そんな彼女の様子を軽蔑と受け取ったのか、は目を逸らし言葉を続ける。
「今ここにいる理由は、あたしのために死んだあの子との約束を果たすため。それが……それだけが今のあたしの生きる目的だから…………幻滅した?」
 もう一度顔を上げ微笑んだのその儚さに、アメルは思わず彼女を抱きしめた。
「いいえ! 幻滅なんて……そんなことありません!」
 の気持ちを知りたかったのは、それがただの同情ならば、これ以上彼女を巻き込みたくないと思ったからだ。
 彼女は強いから、選ぶべき道は沢山あるだろうと。
 それを自分の所為で狭めたくないと、そう思ったのだが。
(……あたしは、さんの何を見ていたんだろう……)
 確かには強い。でもそれは外面的……戦闘能力だけだ。
 昨日も見た、彼女の弱さ。
 は失うことを……人に拒絶されることを恐れている。
 ――そう、自分と同じように……
「……ありがとうございます。さんのおかげであたしは大切な家族を失わずに済みました」
「でも……あなたのためにしたことじゃない……」
「それでも! 事実は事実です!」
 アメルはから体を離し、できうる限りの感謝を込めて微笑んだ。
「本当に、ありがとうございました」
 今度はが硬直して。それから、本当に嬉しそうに笑って、額を合わせてきた。
「こっちこそありがとう。あたしを受け入れてくれて……」
 あまりの至近距離に思わず引きかけて、の穏やかな表情に踏み止まる。
 代わりに新たな疑問をひとつ投げかけた。
「もうひとつ、訊きたいんですけど……」
「ん?」
「あの……これって癖なんですか?」
「…………ああ」
 一瞬何を指されているのかわからないようにきょとんとしていたが、アメルから離れては答える。
「昔ね、あの子がよくしてくれていたことなんだ。何故か落ち着けるものだから……嫌ならやめるけど?」
「あ、いえ……嫌ではないですよ」
 少し考えて、アメルは悪戯っぽく微笑み返すと、の首に手を回して引き寄せ、自分の額と合わせた。
 驚く彼女にもう一度笑み、目を閉じた。
「……あたしに、ほんの少し勇気を分けてください……」
 望むものはほんの少しの勇気。
 自分の気持ちを口にするための――勇気。
 しばらくは二人共動く気配はなかったが、ややあってがアメルの頭をゆっくりと撫でた。
「……大丈夫。アメルは自分が犠牲になることの辛さも、他人が犠牲になることの哀しさも知っているもの。大丈夫よ……」
 自分の心の内を話したわけではないのに、ほしい言葉を……勇気をくれるのは、きっと同じ痛みを知っているから。
 涙が出そうになるのを堪えて、アメルはに笑顔を向ける。
さん、残りお願いしていいですか?」
「もちろん。――いってらっしゃい」
「はい、いってきます」
 行く先に見当がついているのか、の笑顔に見送られてアメルはキッチンを後にした。


 残りの食器も全て片付けて自室へ向かっていたは、ネスティに呼び止められた。
 話がある、と言われて彼の部屋に腰を落ち着けてから十数分が経過。未だ話とやらをする気配はおろか、ネスティは一言も喋ってはいなかった。
 ただ、物言いたげにに視線を向けては、逸らす。それを繰り返している。
 は気は長いほうだったし、こういうことは急かしても仕方がないので、ゆったりとくつろぎながらネスティが話し出すのを待った。
 そうして更に十数分が過ぎて、ネスティはようやく口を開いた。
「…………君は、ここに残ったほうがいい」
「散々待たせて言うことはそれかい」
 間髪入れずに返した言葉にネスティは言葉を詰まらせた。その隙をついて、しっかりと彼を見据え、言う。
「イ・ヤ。あたしはあなたたちについて行くよ」
 にしては珍しく、すぐさま返した答えに、しかしネスティは引き下がらなかった。
「君には全く関係のないことだろう!?」
「うわっ。これだけ巻き込まれてる人間にそれ言う?」
「だから、今ならまだ引き返せる! ここに残るんだ!!」
「嫌だって言ってるでしょ。大体、ルヴァイドと唯一互角に渡り合える人間省いてやっていく自信あるわけ?」
「それとこれとは別問題だ! 君には元の世界に帰るという目的があるんだろう!?」
「それこそ別問題。ってか問題外! あたしは帰る気はないの。ギブソンさんにもそう言ってあるから調べてないよ、きっと」
「そんなことわからないだろう……って、え?」
 押し問答を展開していた二人だが、不意にネスティが止まる。
 何やら脳内処理が追いついていない模様。きょとんと見つめてくるネスティを物珍しげに見返して。
「……何?」
「…………帰る気が、ない……だって?」
「そうよ。それがどうかした?」
「どうかしたって、どうしてだ?」
 ギブソン同様、理解できないと物語る疑問の眼差しを受けて、は目を細めて彼を眺めた後、おもむろに視線をずらした。
「……帰る理由がないから帰らないのよ……」
 あの世界にはもう、大切だと思えるものは何ひとつ残っていやしない。あるのは忌むべきものだけ。
 そんな世界に、どうして帰りたいなどと思えよう。
「あたしの生きる目的はこの世界にあって、あの世界にはないもの」
 ネスティへ視線を戻して、は座っていた椅子から立ち上がる。
 未だ呆然としたままベッドに座り込んでいるネスティの側まで歩く。
「あたしは、あたしの目的のためにあなたたちと共にいたいの」
 それは彼女の遺言。散り行く間際に交わした約束。
 彼女と交わした最後の約束を果たすことが、唯一の贖罪だから。
 これだけは絶対に譲れない。
「だから、お願い……」
 はネスティの直前まで来ると、頭を下げた。
 そのまま彼の肩に自分の頭を乗せ、囁く。
「……あたしに、居場所を与えて……」
 反応がないまま訪れる静寂。
 自分の鼓動がやけに大きく聞こえて……ふと苦笑する。
(……あたしは、ほんと……ずるいよね……)
 こうすれば、相手が断れないことを知った上でやっているのだから。
 使えるものは何でも使え。『体質』とて利用しろ。
 ただ……望みを叶えるためだけに……
「……わかった……」
 思考の海に沈んでいたは、耳元で聞こえた声に現実へと戻った。
 顔を上げてみると、目を逸らし仏頂面の……けれど頬が赤く染まったネスティがいて。
「……確かに、君ほどの力があれば僕たちにとっても都合がいいし、敵に捕まるようなこと……君に限ってないだろうしな。……好きにすればいい……」
 思わず目を見開く。
 あまり好かれてはいないのだろうと思っていたのだが、まさか心配してくれていたとは。
 は満面の笑みを向けた。そして……
「ありがと! ネスティ」
 朝(正確には昼前)の仕返しも兼ねて、彼の額に口付けを落とす。
 一瞬硬直したネスティは、見る見るうちに耳まで真っ赤に染め上げて。
 そのまま金魚のように口をぱくつかせる彼を面白げに見やり、最後に極上の笑顔をプレゼントして、はネスティの部屋を後にした。

 その後、リューグに引き続きネスティもからかいの標的となったことは……言うまでもない。