第 8 話
潮騒の揺り籠

 太陽が水平線から姿を現して間もない早朝。
 気配を消そうという意志も全く見せずに近付く存在に、は閉じていた目を開けた。
 膝の上ではリューグが安らかな寝息をたてている。一度彼の髪を梳き、起きる気配がないことを確認して、は顔を上げ近付く人物を見た。
 と同じように頭の上のほうで結わえた長い金の髪が、朝陽を受けて輝いている。ゴーグルを頭につけコートを着崩した、長身の女性だった。
 敵意は全く感じない。恐らくすぐ近くにある街の住人だろう。
 彼女が充分に近付くのを待って声を掛ける。
「おはようございます。あの街の方ですか?」
 女性は驚いたような呆れたような顔での前に来ると、その場にしゃがみこんだ。が動くに動けないのを見て目線を合わせてくれたのだろう。それから、質問に対する解をくれた。
「ああ、そうさ。日課の訓練に来てみたら人が倒れているのが見えたもんだから、何事かと思ってね」
 彼女の言葉に偽りはない。それを感じ取り、に笑みが浮かぶ。
「……訓練、ってことは格闘家か何かで?」
「そうだけど?」
 女性の答えに、はにっこり笑う。
「ひとつ、お願いがあるんですけど」
 そうして告げられた言葉に、女性は目を丸くしたのだった。


 耳に馴染んだ潮騒の心地良さにまだ夢の中にいたかったが、眩しい光がそれを許してはくれなかった。
 仕方なく、ミニスは重い瞼を持ち上げた。
 身を起こし覚醒しきらない頭で周囲を見渡す。――と、一点に目が留まる。
 それは疲労と睡眠不足で寝ぼけた頭を覚醒させるのに充分な光景だった。
「ちょっと、みんな起きて! 大変よぉ~!!」
 慌ててミニスは周囲で寝ている仲間たちをたたき起こす。
「~ん、なぁに~ミニスぅ……まだねむいぃ~」
「いいから起きてよ! それどころじゃないんだからあ!!」
 普段から寝坊組の双子召喚師をびしばし叩いて。
 ようやく彼らが目覚めた頃他の仲間もほぼ全員起きたのを見て、ミニスはその場所を指し示した。
が誰かと戦ってるの!!」
 告げられた言葉に沈黙が降りる。
 今しばし待て。
 全員が寝起き姿そのままの、どこか夢心地な表情のまま、緩慢な動作でミニスの指した場所へと視線を向ける。
 更に待て。
 かなりの時間を要し、ようやく脳がそれを理解したのか全員の顔色が変わった。
 その、いつもの様子に戻るまで――もとい、ミニスが事情を告げてから、優に三分は経過していた。
「えぇ~!! ちょっとなんでなんでなんで―――!!?」
「追手なのか!?」
「知らないよ!」
「だから大変だって言ったじゃない!!」
「とにかく助けなきゃ!」
 遅過ぎる反応で各々得物を手にした彼らに、その行動を制する声が届く。
「……あれは別に戦ってるわけじゃねーよ……」
 声の主は……一人離れた場所にいたリューグ。
 彼にしては珍しく、寝ぼけたような覇気のない声音で。
「攻撃する手に、相手を倒そうとする意志が両方ともねえ……あいつの槍もここにあるし……」
 ぼーっとしたまま言われても説得力はない。何より召喚師に物理攻撃に関することがわかるわけはなかった。
 ミニスは物理攻撃型のフォルテとケイナに目を向ける。と、二人共頷いて見せた。
「……あれはただの組手……稽古だよ……」
「みたいだな」
 皆が目覚めたことに気付いたのか、戦いを止めこちらへと歩いてくると金髪の女性。その二人の様子は互いに固く手を握り合い、笑いあう……物凄く親しげだった。
 皆のいる所まで来て笑顔で挨拶。
「おはよう、みんな。気分はどう?」
「おかげさまで。かなり心臓に悪い目覚めだったよ」
 答えたのはネスティ。その後視線で隣の人物の素性を問う。
 気付いたは妙にすっきりした顔で女性を紹介した。
「彼女はモーリン。ファナンの住人で、行き倒れかと心配してくれたのよ」
「……で、何でまた稽古なんてしてたの?」
「ああ。何だか夕べ煮え切らない戦いして気分が悪いから、汗流すの付き合ってくれって言われてね」
 ミニスの問いにモーリンが答えて。
 一同呆れ返る。
「あれだけ戦ってまだ足りなかったの?」
「うん」
 にっこり笑って即答。
 すっきりさっぱり、邪気など欠片もないその笑顔に、絶句するより他に術はない。
 そんな彼らを見て豪快に笑うモーリン。そして彼女はひとつの提案をした。
「どうだい? あんたたち、よけりゃあたいの家で休んでいかないかい?」
「いいんですか!?」
 瞬時に顔を輝かせたのはトリスで。マグナと二人で喜び合ってる。
「ああ、今なら風呂も沸いてるし、寝床も貸すよ」
「うわーい、姐さん太っ腹♪」
 既に気心が知れているのかまでその提案には乗り気の様子。
 そうしてやはり否を唱えるのはお決まりのネスティ。リューグも反論しそうな感じだが……何故か今回は未だにぼーっとしていてそれはないようだ。
「君たちは馬鹿か? 見ず知らずの人間にほいほいついて行ってどうする」
 やっぱりお決まりの台詞で反論されて、ピキッときたのが三名ほど。
「せっかく親切で言ってくれたのに、何でそういうこと言うのよ」
「人の好意を無下にするネスのほうがバカだろ?」
 彼の弟妹弟子。
 そして、まだ不服そうなネスティへとどめを刺したのが最後の一人。
「ネスティ」
 名を呼ばれ視線を転じた先には、いつかの腹黒いオーラを背負ったの笑顔が。そして……
「お姫様抱っこで運んであげようか?」
 ネスティ撃沈。
 ものの見事に硬直した彼に、想像したのか吹き出す者二名、ニヤニヤ笑う者二名、きょとんとする者一名、ぼーっとしたままが一名。そしてあの毒舌家を撃沈させたへと拍手を送るものが三名いた。
 そんなこんなでモーリン宅行きは決定したのだった。


 銀色に輝く砂浜をしばらく歩いた先に見えた街の一角。防風林を挟んで浜と面した所にその家はあった。
 かなりの広さがあると思われる家の、木で造られた門をケイナは思わず見上げてしまう。
 素朴な造りの門の奥には、同じく木造の建物がある。二階建てのギブソン・ミモザ邸とは違い、横に広い構造……平屋だった。
 暖かく、優しい雰囲気を持つ建物。静かな空気。
 切ないような、懐かしいような気持ちが胸に広がる。
 自分はシルターンの出身じゃないかと、ミモザから聞いた。もしかすると、この家はシルターンのものと似ているのかもしれない。ふと、そんなことを思った。だから懐かしく感じるのだと。
 モーリンの話によると、ここは拳法の道場らしい。生徒が一人もいないのは館長である彼女の父が修行の旅に出たまま帰らないからだと、少し淋しげに笑って教えてくれた。
 その……彼女の笑顔が、酷く胸に痛かった。
 ――知っている?
 自分はこの気持ちを知っている?
 大切な家族と会えなくなる淋しさを――辛さを知っている?
「……痛い……」
 無意識にケイナは心臓のあたりを掴むように右手を握り締めていた。
「ケーイナ。どうかした?」
 呼ばれて我に返る。
 目の前にはがいて、他の者はすでに門をくぐって奥へと進んでいた。
 門の前にいるのはとケイナ、二人だけ。
「……ケイナ?」
「あ、何でもないの。ただ……ここが懐かしく感じただけで……」
 半分嘘。
 けれど、嘘がつきたかったわけでも隠そうとしたわけでもない。ただ、自分でもよくわからない想いをどう言葉にしていいのかがわからなかっただけ。
 は心でも見透かすかのようにじっと見つめて、ポツリと言葉をこぼした。
「……ふーん。ケイナもなんだ」
「……『も』って……」
「あたしもね、ここは懐かしいよ。あたしが生まれた家が、こんな感じだったから」
 ケイナは目を瞠る。
 自分の隣に立ち、門を――その先の建物を見上げるの横顔が、モーリンのときとはまた違った淋しげな笑顔だったから。……酷く、儚く見えたから……
「…………?」
「ん?」
「――何でもないわ……」
 振り向いたの顔はいつもと変わらぬもので、思わずそう答えてしまったけれど。
 何か……漠然とした不安が、胸中を満たしていた。
 それを振り払うようにかぶりを振って、ケイナは笑顔を向ける。
「行きましょう? 。すっかり置いてけぼりだし」
「あ~、みんな先に入ってるかもね……」
 促され歩き出したの後に続いて門をくぐったケイナは、はたと気付いて思いきりの腕を引っ張った。
「――っと、どしたの、ケイナ?」
「いいの? ……お風呂……その……」
 口ごもってしまったケイナに、は目を細めて……笑った。
「湿原に行った日に、着替えさせてくれたのはケイナね?」
「あっ……」
 言葉に詰まり、俯く。
 足元を映す視界にの手が伸びてきて……髪の毛を掴まれた。けれど、引っ張るわけでもなく、サラサラと流すように弄んでいて。
 ケイナは顔を上げた。
「別に責めてるわけじゃないよ。あたしは気にしてないし。むしろ見苦しいものをお見せしました、って感じ?」
 くすくす笑いながら言ったの顔は決して自嘲気味な笑みではなかったが、どこか無理をしているような不自然さを感じた。
「…………」
「見るのが嫌ならあたしは後で入るよ? みんなも気にしそうだし……見て気分のよくなるものでもないしね」
「嫌じゃないわ。けど……本当に平気なの?」
「平気だよ。誇れるような類のものじゃないけど、ある意味あたしの歴史証明だし?」
 たった一言。
 その一言からどれだけのことがわかるだろう。
 軽く言ってのけたその裏にある、計りきれない重みが――見えた。
 ふっと、は表情を一変させた。
「やっぱりあたし、後で入るよ」
「……え? どうして?」
 急に意見を変えたその真意を問うと、は苦笑して見せた。
 そして紡がれた言葉は……
「確かにあたしは気にしないし、隠すつもりもない。だけど……今のケイナみたいな表情(カオ)させたくないから……」
 今――自分がどんな表情をしていたのかなんてわかるわけはない。でも予想はついた。
 やおら踵を返したの腕を、先程よりも強く――確かな意志を持って引いた。
「逃げるの!? !?」
 振り返った大きな金の瞳を見据えて、言った。
 見開かれた瞳の中にあるのは、困惑。彼女は――気付いていない。
「気にしてないって嘘でしょ!? してるじゃない! 私たちの反応を……」
 何でもない振りをして、は他人を恐れている。
 彼女は自分を異端だと言った。他の人と違うことをは自覚している。――故に、恐れているのだ。
 今までの経験がそうさせるのか。
 今いる仲間たちを失うことを、恐れている。恐らくは……ようやく信じられると、信じようと思ったであろう人たちを――……
「気にしてないなら何で『隠す』道を選んだの!?」
「……あ……」
「今、その道を選んでしまったら……きっと、ずっと隠し続けなきゃいけなくなるわ。それでも、いいの?」
「…………」
「私は……そんなの嫌だわ。その度にあなたのそんな表情、見たくないもの……」
 今のの表情は、先程の自分と同じものだろう。
「無理して笑うのも自分を嘲るのもやめて? そういうのって、見てるほうが辛いから……」
 泣きたいのに、泣けない……泣いてはいけない、と自分に課しているような。
 哀しみ、痛み、悔しさ、嘲り、淋しさ――そんな苦しみに満ちた表情を。
「……見たく、ないから……」
「ケイナ……」
 ふわり、と。鮮やかな朱が視界を統べる。暖かな重みが肩先に掛かって。
「ありがとう、ケイナ……でも……ごめんね……」
 小さな、小さな声が聞こえた。
 耳を打ったその囁きに小首を傾げた時、ケイナの肩に乗せていた頭を上げてが言った。
「努力はするけど、何ていうか……癖、みたいになってるから……そう簡単には治らない――気がする……」
 だから、ごめんね。もう少しだけ我慢してね?
 申し訳なさそうに、ほんの少しだけ嬉しそうに。はそう、言った。


「おっそ――い! ケイナ!」
 湯気で霞む浴室に、ミニスの声が響いた。
 向けられた子供特有の感情を露にしたその言葉には苦笑するしかなく、ケイナは素直に謝った。
「ごめんなさい。色々考えてたものだから」
「……は?」
「何だかバルレルに言付けがあるとかって。もう少ししたら来ると思うわ」
 ケイナの言葉にトリスとアメルは顔を見合わせて、密かに笑った。
 それを偶然目にしたミニスが怪訝な顔をしたが、思い当たる事柄を見つけて浮かんだ疑問を形にすることはなかった。
「はい、終わり~。目、大丈夫だった?」
 ハサハの髪を洗い終え訊いたトリスに、小さな妖狐は頷き微笑む。
「ありがとう。おねえちゃん」
「うん。じゃあ、後はあったまって上がるだけね。ミニス、ハサハのことお願い」
「わかった。おいで、ハサハ」
 浴槽にいるミニスのもとへ滑らないように慎重に歩いていたハサハが丁度辿り着いた時、ガラッと引き戸の開く音がして。
「うっわ~♪ 流石道場のあるトコのお風呂だね。広~い♪」
 最後の一人、の嬉しそうな声が響く。
 流れ込んだ外気によって濃度を増した湯気が視界を狭めている中、はいそいそと浴室を進んだ。
「遅かったですね、さん」
「うん。ちょっとバルレルに伝言をね」
「ひょっとしなくても、同じコト考えてる?」
「当ったり~♪」
「あはは。やっぱり……って、?」
 アメルとトリスと。明るく続いていた会話が不意に途切れた。
 二人の目が、すぐ近くまで来たに釘付けになる。
 急に雰囲気が変わったことに疑問を抱いたミニスとハサハも、また同様に。
 唯一人、事情を知るケイナだけは静かに事の成り行きを見守っていた。
「…………それ……どうしたの?」
 震える唇が言葉を紡ぎだす。
 その驚愕に満ちた呟きに、向けられた本人は濡らした髪を首の横でまとめた状態で顔を上げ、言った。
「ん? ああ、見苦しくってゴメンね」
「じゃなくて! その傷、どうしたの!?」
 怒ったような泣き出しそうな、そんな声でトリスが叫んだ。
 そのような反応が返るのも無理はない。
 の体は、傷だらけだったのだ。しかも、昨日今日ついたものではない――古傷。
 トリスも派閥に拾われるまで孤児として生きていたこともあって、それなりに体に傷はあるのだが、のはその比ではなかった。
 背中、胸部、腹部……戦闘経験や医学知識を持たない者でもわかる、明らかに急所を狙われたであろう大きな傷跡。腕や足にある小さいものは防御創か。
 一般的に見て、その年齢や性別にそぐわない彼女の体は、一言で言えば満身創痍だった。
 で、その原因を知る本人からの回答は。
「ん~、戦歴ってヤツ?」
「戦歴って……」
「あたしが弱かったためにつけられた傷ってコト♪」
 明るい声が告げた。
 まるで辛い過去を覆い隠すように……聞いていた者はそう感じた。本人の意図はわからないけれど。
 ただ……痛々しくて……
「ま、生きてきた証ってことで。ちょっとばっかし目をつぶって――……って、どしたの?」
 の不可思議そうな声。それは、彼女に抱きついたトリスとアメルに向けられていて。
「体、洗えないんだけど?」
「……許せない」
「――何が?」
 低くうなるような呟きに、律儀にも問い返す
 トリスは勢いよく顔を上げると、半ば涙目ではっきりと答えた。
にこんな傷、付けたヤツが!」
「ええ、絶対に許せませんね」
「って、言われても……もう、いないんだけど?」
 予想外の答えだったのか珍しく困惑気味なに、けれどその姿すら痛々しく思えて。トリスはもう一度、今度は強く彼女の体を抱きしめた。
「確かにこの世界にはいないけど、でも! 許せないんだもん!」
「トリス……」
さん、辛かったら言ってくださいね。一人で抱え込まないで……あたしたち、仲間なんですから」
「アメル……」
「無理しないでよ? が私たちを守ってくれるように、私たちものこと守りたいんだから」
「おねえちゃん……いたい……?」
「ミニス……ハサハ。――平気よ。もう痛むことはないから……それに、あたしは生きている。生きてさえいれば望みを叶えることはできるから。だから、あたしにとってこんな傷は大した問題じゃないの」
 きっぱりと言い切ったを不安げに……不満げに見つめる面々。
 そんな彼女たちに笑顔を向けて、今度はが側にいたトリスとアメルを抱きしめて。
「でも……ありがとう、みんな」
 嬉しかったよ、と。そう囁いたは、本当に邪気のない笑顔をしていて――皆も自然と笑みが浮かぶ。
 一人傍観を決め込んでいたケイナと顔を上げたは目が合うと互いに笑いあって、そして小さくピースサインを送りあった。
 その二人の、いかにも親密そうな様子を見咎めたミニスが口を開きかけた時、気付いたが先手を打った。
「ほら、そろそろ汗流して上がらないと。ハサハが限界っぽそうなんだけど?」
「あ゛~! ハサハ、大丈夫!?」
 湯船に浸かりっぱなしだったハサハの白い顔は、今はもう真っ赤で。
 一気に浴室は慌しくなったのだった。


 さて、時間は少し戻って。
 伝言を託したと、彼女を風呂場へ案内するために待っていたモーリンが家へと姿を消した裏庭にて。
 残された男性陣は、とりあえず服についた砂を落としたり井戸水で顔を洗ったりと、それなりにくつろいでいた。――くつろいで、いたのだが……
「さて、と……」
「ん? どこか行くのか? フォルテ」
 一人立ち上がったフォルテに、マグナが問う。
 何の気なしに訊いたのだが……振り返ったフォルテの胡散臭さ全開な輝かしいまでの顔に、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
 杞憂であってくれ、との願いも虚しく告げられた言葉は。
「決まってるだろ、マグナ。のぞきだよ、の・ぞ・き♪ いざ行かん、楽園へ!!」
 予感的中。
 あまりに予想通りで項垂れたマグナだが、我に返りフォルテを止めようと顔を上げた直後。ずかずかと歩を進める大きな背に掛かったのは、呆れたような疲れたような声。
「……オイ」
「おっ、どうした? おまえも行くか、バルレル」
 嬉々としたまま振り返ったフォルテに、バルレルはうんざりした表情で言った。
「ニンゲンと、茶髪と金目のオンナから伝言だぜ」
「伝言?」
 いきなりの言葉。
 そういえば先程何やら話していたな、と全員が思い出した頃、その言葉は告げられた。
「『三択です。ここで大人しく待つか、焔鳥で火葬されるか、ロックマテリアルと一緒に海中に沈むか、好きなのを選ばせてあげよう』だってよ」
 流石のフォルテもこれには表情を凍りつかせて動きを止めた。
 あながち冗談にも聞こえなくて、マグナたちも微妙な顔つきになる。
 そして、あるひとつの可能性に至る。
 ――ここでフォルテを行かせてしまったら、自分たちにも被害が及ぶかもしれない、と。
「ええ~い! そんなものが何だ!? 楽園を前に引き下がれるか!!」
「フォルテ~!!」
 危機感に煽られ、咄嗟にマグナはフォルテにしがみつく。
「だあああ! 放せマグナ! 楽園がオレを呼んでいるんだ~!!」
「呼んでない! 呼んでないから!! 早まるな~!」
 しがみついたままのマグナを引きずってでも進もうとするフォルテの前に、槍を手にしたバルレルが立ち塞がる。
 珍しく真剣な面持ちのまま告げられるのは地獄の宣告。
「まだ伝言は残ってるんだよ。『ちなみに止めきれなかった方も同罪として、向こう一ヶ月一日三食おイモさん料理のフルコースですから』だとよ」
 この宣告に過敏に反応したのは、未だ寝ぼけモードだったリューグ。
 無言で斧を手にバルレルの隣に立つ様は頼もしいが、顔が蒼いのは――過去に餌食にでもなったのだろうか。
 ネスティもさりげなく杖とサモナイト石を手にしていて。
 ――四対一。しかも武器プラス召喚術付。
 流石に不利と思ったのか、フォルテも動きを止める。しかし、諦めた様子は一向になくお互いに出方を探る。そんな状況。
 そして……
 今ここに、最もくだらない理由の熱い戦いが幕を開けたのである。


 で、約三十分後。
 湯上りさっぱりな女性陣が目にしたものは、疲れ果てて地に伏した屍の姿。
 チビっ子二人がきょとんとする中、事情を知る者たちの顔には笑みが消えない。……一名ほど怪訝な顔をしているが。
「や。ごくろーさん、皆の衆」
「なんとか止められたみたいだね。フォルテののぞき」
 が片手を挙げてどこぞの代官宜しく労いの言葉をかけ、トリスも状況を満足げに見やる。トリスの最後の言葉でぴくりと片眉を持ち上げたケイナは……見なかったことにしよう。
 男性陣が揃って目を逸らし被害が及ばないようにさりげなく移動する中、ケイナは足取りも荒く相棒の前へ行くと仁王立ちで見下ろした。
「フォルテ~? 一体何をしていたのかしら~……ねぇ?」
「ケ、ケイナ……」
 冷や汗だらだら流して自分を見上げるフォルテに、ケイナはにっこり笑った。そして……
「天誅――――!!!」
 後に、青筋浮き上がらせて笑う姿はまさに夜叉のようであったとフォルテが語ったその笑顔のまま、地に伏した相棒にとどめを刺したのである。
「あっはっはっは。面白いね~、あんたたち」
 突然響いた笑い声に振り向けば、家主であるモーリンが言葉のまま楽しそうに立っていた。
「ほらほら、男共。いつまでも泥にまみれてないで、さっぱりしといでよ。簡単な食事も用意できたんだからさ」
 明るいモーリンの声で雰囲気も軽くなり、マグナたちはいそいそと移動を開始する。
 その中、唯一人動かないネスティへ一部疑問符の乗った視線が向けられた。
「ネスティ? 行かないの?」
「いや、後で使わせてもらうよ」
「ま、それが妥当でしょうね」
 ミニスの問いにやんわりと否定したネスティへが同意して。またも疑問符付の視線が、今度は彼女へ向く。
 無言の問い掛けに答えを示したのは……ではなかったが。
「どれ。それじゃあ、先にあんたの怪我を治してやるかい」
 そう言ったのはモーリンで。
「怪我だって!?」
「何で黙ってたのよ、ネス!?」
 風呂場へ行きかけていたマグナと、傍観していたトリスが勢い込んでネスティへと駆け寄った。
「ちょっと足をくじいただけだ。騒ぐほどのものじゃない」
 弟妹弟子を一蹴したその台詞も、モーリンによってあっさり否定される。
「あんた、素人判断は危険だよ。ほれ?」
「ぐあっ!?」
 軽く触れられただけなのに、激痛が襲ってきて。反射的にネスティは身を丸めた。
「関節が腫れちまってる」
「あ~らら。やっぱり、あたしが運んだほうが良かった?」
「いんや、ここまで腫れてちゃ大して変わんないさ」
「……気付いていたのか? ……」
 然して驚きもせずモーリンと会話するに、痛みに顔を歪ませたままネスティが問う。
 はけろりとしたまま、あっさりきっぱり言い放つ。
「うん。体力、洞察力、動体視力には自信あるからね」
「そんじゃ、痛みをとってやりますか」
 言って、モーリンはネスティの足へ手をかざしたまま、集中するように目を閉じた。
 ゆっくりと息を吐き出すような呼吸。そして――……
 一瞬、彼女の周りを清らかな……活力に満ちた空気が取り巻いて。
 それが淡い光となって、ネスティの足へと移り行くのが、見えた。
「ふぅ……どうだい? 少しはマシになったはずだよ」
「……すまない。『ストラ』を使うことができるのか、君は」
「それほど強いもんじゃないけどね」
 本人の言葉通り完治はしていないのだろう。それでも先程よりは楽になった表情のネスティに、周囲の者は安堵の息を洩らす。
 それから、聞きなれない単語に首を傾げる者が数名。
「ストラって何?」
「治療法の一種さ。気の力で患部の治癒力を高めて怪我を治しちまうんだよ」
「へぇ~」
 結局風呂場へは行かず足止めを喰った形になっていたフォルテの解説に、首を傾げていた面々が頷いた。
 ふと、何か思い至ったのか双子召喚師がモーリンとを交互に見て、そして互いに顔を見合わせて。
「ひょっとして、ネスが怪我していたから俺たちをここへ?」
が頼んだの?」
 モーリンは肯定するように微笑んでいたが、は一瞬きょとんとして、軽くかぶりを振った。
「あたしは何も言ってないよ」
「ああ、何も聞いちゃいないさ。聞かなくても気を探れば丸判りだからね」
 その場にいる全員に向けて、モーリンは人好きのする笑顔を見せて言った。
「あたいを信じる信じないは置いといて、とりあえずはしばらくここで休んでいきな。じゃないと、ほんとに途中で行き倒れるよ?」
 下町風情たっぷりの彼女の気質に折れたのか、もう誰も否を唱えなかった。



 割り当てられた部屋に入ると、は真っ先に窓を開け放った。
 涼しい風が入り込み、頬を撫でていく。
 その心地好さに目を細めていたが、一度大きく深呼吸をして窓辺を離れた。
「……懐かしい、か……」
 目に映る青々とした畳も、天井を渡る梁も、木目のある扉や天井も。
 久しく触れていなかったもの。
 自分の生家に似たそれは、確かに親友と共に過ごした日々を思い出せる。けれど――
「それだけじゃ……ないのよね……」
 全ては……あの家から始まったのだから――……
 自嘲気味に笑って、はかぶりを振った。
 未だ塞ぎきらない傷口だけど、それでも希望は見えたから。
 ケイナは言ってくれた。トリスたちも、受け入れてくれた。
 だから、一歩ずつでも踏み出そうと……
 約束を果たせるまでは、まだ時間が掛かりそうだけど……それでも、少しずつでも進んでいこうと思えたから。
「がんばろう?」
 自分に言い聞かせるように呟いて、はベッドに身を投げ出した。
 昨晩からくすぶっていた闘争心はモーリンのおかげで治まったし、汗も流してさっぱりして適度に腹も膨れた。
 暖かい部屋にふかふかのベッド。心地好く吹き過ぎる風と、遠くに聞こえる潮騒。
 ここまで条件が揃って眠くならない者のほうが珍しいだろう。
 昨晩の睡眠不足も手伝って、は襲い来る心地好い睡魔に意識を委ねた。