第 10 話
選び取った焔の路

 ――これだけは、忘れないでいてね……
 ――あなたは『自由』を選んでもいいのだから……


 ファナンの城門へと続く道を聖女御一行と、彼らを見送りに来たモーリンが共に歩いていた。
 本当に短い間だったが、モーリンの気質に皆心砕かれて、もう随分と昔からの知り合いのような気分になっていただけに、別れは悲しくもあり淋しくもあるもので。
 けれど歩みを進める一行には暗い影は落ちていない。
 涙ぐんだ者もモーリンの言葉で笑顔になる。
 決して沈み込まないその雰囲気も彼女の持つ力か。
 それはのものと似ている気がして、マグナは彼女へと目を向けた。
 互いに励まして笑い合う。明るく挨拶を交わす彼らをは一人、少し離れた位置からぼんやりと眺めていた。
 昨日の下っ端海賊のおかげで不機嫌さは晴れたようだが、メイメイに告げられた占いは気にしたままみたいで。
 心ここにあらず。
 言葉に表すならそんな感じだった。
 マグナは仲間から離れ、の側へと寄る。
、どうかしたのか?」
「ん~? 何が?」
「ぼーっとしてるから……まだ気にしてるのか? あのこと……」
「別に」
 自分を見ることもなく返される言葉は昨日のものと大差はなく、マグナは溜息をつく。
 どこか遠くを見るように仲間を眺める横顔も、綺麗だし悪くはないと思う。けれど、彼女の笑顔が一番好きなマグナとしては、やはり笑っていてほしいもので。
「あのさ、。それ、やめないか?」
「それって何?」
「生返事」
 マグナの答えに、ゆっくりとが振り向く。
 ようやく自分を見た彼女の顔は――無表情だった。
 初めて見るその顔にマグナは目を瞠る。しばらくそのまま見詰め合う形となり、ふと聞こえた仲間の笑い声に我に返って、溜息をついて気を取り直しマグナは口を開く。
……ホントはさ、怖いんだろ? 大切なものを失くすって言われて怖くて、それで迷ってるんじゃないのか?」
 金の瞳が、スッと細められる。
「どうして、そう思うの?」
「俺だったら、間違いなく怖いと思うから」
 マグナは苦笑した後から顔を背け、未だモーリンと話しているトリスたちに目を向ける。
「俺にとって今ある大切なものって言ったら、ここにいるみんなだから……みんながいなくなるって考えたら、やっぱり怖いよ。ただ、俺にはみんなを犠牲にしてまで叶えたい望みっていうのが思い浮かばないから、の迷いまではわからないけど……でも、怖い気持ちは同じだと思うから」
 笑い合う仲間その瞳に映して、マグナは胸の内を語る。
 が今までそうしてくれたようには上手く言えないだろうけど、それでもいつもの彼女に戻って欲しいと思うから。
 せめて、迷路の出口を示すきっかけになってくれれば、と……
「要はさ、の中の優先順位の問題なんじゃないのかな。にとってその望みは、今ある大切なものよりも重要なのかどうか。それだけのことだと思う」
 視線を戻した先には、僅かに感情の表れた顔のがいた。ただ、その感情の名を判別することは出来なかったが。
 悪いものではない気がして、マグナは笑って見せた。
「どっちにしても俺は、が後悔しないほうを……笑っていられる未来を選んで欲しいな」
 の目が見開かれる。これは――吃驚。
 先程とは逆に、今度はが凝視するようにマグナを見つめて。そして口を、開いた。
「……あたし、は……」
 小さく、少し震えた声が言葉を紡ぎだす――その直前。
 大きな、音が。
 その場を揺らした。
「なっ、なんだ!?」
 誰かが叫んだ直後、もう一発。
 何か、大きな物体が空を切る音。そして、爆発音。
「これは……大砲の砲撃だぞ!」
 ネスティの叫びにも似た声に皆、音のしたほうへと目を向ける。
 今、自分たちが歩いてきた所――下町付近から煙が立ち昇っているのが見えた。
「海賊のやつらだ! わざと下町だけを狙って撃ってやがる……ちくしょお、もう勘弁できないっ!!」
「モーリンっ!?」
 下町へ――その先の海賊がいるであろう浜へと走り出すモーリンを追って、次々と仲間たちが引き返していく中、マグナもまた彼らの中へと混ざった。
 目の前で行われる暴虐を見過ごすことは出来なかったから。
 止めたかった。助けたかった。
 ただ、それだけ。
 それだけに思考を奪われて……マグナは気付かなかった。
 この後、がどのような行動を取ったのかを……


 轟音が響き仲間たちが駆け出す。目の前にいたマグナも彼らに続いて走り出したのを、は反射的に追った。
 彼らを追って、走る――走っている……はず、なのに……
 足に感じる反動が酷く小さい。
 ふわふわと雲の上にでもいるようで、まるで現実味を帯びていない。
 皆の注意を集めた砲撃の音も、目の前を走る彼らの背も。
 自分とは全く違う世界のもののように感じる。
 ――何故、自分は走っている? 彼らは、どこへ向かっている? ここは……どこ……?
 夢の中に一人取り残されたような……そんな錯覚に囚われていたに、唐突に現実味が戻る。
「……あ……」
 不意に顔を上げた先に見えた光景に、目が釘付けになった。
 自然と、足が止まる。――立ち尽くす。
 腹立たしいほどに晴れ渡った空。その青によく映える深紅の炎。
 燃える建物、逃げ惑う人々。――悲鳴。
 全てが……過去の――忌まわしき記憶と重なる。
「……やッ……」
 は頭を抱え込んだ。
「……かってる……わかって、る……から……」
 眼前の光景から逃げるように目を閉じてみても、その暗闇に浮かび上がる変わらぬ光景。忘れたことなどない――忘れられるはずもない、転機の時。
 大切なものを……一番大切だった、守りたかったものを。失った、瞬間――……
「わかってるから……ッ、何度も見せないでっ!」
 それを見せているのは……思い出しているのは、他ならぬ自分自身。
 例え、その気がなくても……深く根付いた罪悪感が、そうさせる。
「もう……たくさんよ……ッ」
 投げ出すことなどできるはずもなく、抱えていくしかない過去に……それでも、目を逸らしたくなる時がある。
 今がまさにその時で。
 は自分を守るようにその場に蹲った。――刹那。

 ――逃げるの!? !?――

 まるで今の自分を叱咤するように、思い出されたケイナの言葉。
 その言葉と――自分を包む暖かい何かに目を瞠り、導かれるように顔を上げた。
 眼前に広がるのは先程と変わらぬ光景――けれど過去の記憶とは異なるもの……
 記憶の中の人々はただ逃げ惑うだけだった。けれど、今この場にいる人たちは――消火に励んでいる。多くの人が力を合わせて……自分たちの居場所を守るために、戦っていた。

 ――あなたは、何を望むの?――

 再び、蘇ってきた言葉は……

 ――確かにわたしたちは生まれてくる場所は選べない。でも、生まれた後は……命は、人生は自分のものよ。守られる立場の今は、親とか家の都合で未来は定められているように思えるかもしれないけどね。でも、自分の未来を定めることができるのは自分だけなの――

 古い、記憶……
 あの日、失くした――守りたかったものが、自分に与えてくれた、ことば。

 ――これだけは忘れないで。何かに縛られているように見えても、わたしたちは自由なの。だから決して、周囲の状況には流されないで。自分が何を望み、何を求めているのか……それを見失わないで。わたしたちには、『自由』を選ぶ権利があるのだから――

 厳しく、そして優しい言の葉と――深い、慈愛に満ちた笑顔。

 ――ねえ、あなたは何を望むの?――

 どこまでも優しく、紡がれた問い。
「あたし、は……」
 あの時導き出した答えを、今口にすることはできない。もう……随分と変わってしまったから……状況も、心も。
「……あたし……は……」
 かつて、すんなりと口に出せた答えが、今は出てこない。

 ――ホントはさ、怖いんだろ? 怖くて迷ってるんじゃないのか?――

 その理由を……妨げているものを指摘するのは、先程のマグナの言葉。
 さっきは、それを認めたくなくて虚勢を張る以外に自分を保つ術を見出せなかったけれど、今は一人。
 マグナの言葉は、何に妨害されることもなくの心に入り込む。
「あたしは……失くしたく、ない……もう……何も……」
 ようやく口にできたのは、確かに本心。だが……

 ――失くしたくないなら守り続けなさい。そうすれば失わずに済むわ――

「……でも……」

 ――その代わり、望みは一生叶わなくなるけど――

「それじゃあ……それを、望みを捨ててしまったら、あたしは何のために生きてきたのかわからなくなる」
 ギリッ、と。は手を握り締めた。自分の爪で血がにじむほど、強く。
 言葉に出すことではっきりと思い出せた今の自分の生きる理由。それを認知しても尚、失いたくないという想いが心を揺さぶる。――迷わせる。
「……あたしは……」

 ――わたしたちには、『自由』を選ぶ権利がある――
 ――どっちにしても俺は、が後悔しない、笑っていられる未来を選んで欲しい――

「……後悔……しないほう、なんて……」
 ない、と。そう言いかけて、口を噤んだ。
 おもむろに顔を上げる。
 目に映るのは、現状に――最悪の未来に戦いを挑んでいる人々。

 ――貴女の未来は、ふたつの内のどちらかよ――

「……ちがう……」
 消火に励む下町の人々をその瞳に映し、呆けたようには呟いた。
 その顔にはもう、怯えや迷いはない。
 ものすごく単純なことに気付いたから。
 それは……
「未来は……今の自分がつくるもの……定められた未来など――運命など存在しない」
 メイメイの言葉で限られているかのように思い、結果随分と迷ってしまったけれど、そんなことはないのだ。
 未来はいつでも無限大。可能性は常に自分の中に。
 そう教えてくれたのも、親友だった。
 ならば。

 ――あなたは、何を望むの?――

「あたしは……両方選ぶ」
 一度悲しげに微笑んで、は高く空を仰いだ。
「約束は必ず果たすわ。でも……ごめんね。あたしは、前へ進む」
 囁きかけるように呟いて立ち上がったの瞳には、既に決意以外の感情は映っていなかった。
 親友との約束を果たすことは今の自分の生きる理由。それは今までと変わりない。
 ただ……求める理由が変わるだけ。
 過去に囚われるためではなく、未来へ進むために。
 だから、そのために。
 ――自分を縛る過去の鎖に楔を打つ!
 は内ポケットから一枚の紙を取り出すと、高く掲げて叫ぶように言った。
「灼熱の炎に仮初の生命を宿せしものよ! 今一度その姿現し、荒れ狂いし同胞(はらから)を喰らいてその怒り、清冽の原にて鎮めよ!」
 フロト湿原の時と同じように、の手の中で火の気もないのに紙は燃え上がり、鳥の姿を象る。ただ、あの時とは違い大きさは手の平程度だが。
 ふわりと舞い上がったかと思うと、焔鳥はそのまま一番手近な火事現場へと真っ直ぐに――突っ込んだ。
 あまりの速さで巻き起こった風に消火中の人々は戸惑いの声を上げる。思わず手を止めてしまった彼らの目に、突然大きく燃え上がった炎の赤が映し出される。
 驚きと、焦りと。そんな色に染まっていた表情は、驚愕に統一された。
 火の手を増したと思われたその炎は、まるで吸い取られるように中空に集められ、鳥の形を取ったのだ。
 手の平サイズから一気に人間ぐらいの大きさになった焔鳥。それを操るには、酷く重く感じるもの。けれど、ここで投げ出しては意味がない。まだ燃えている家屋はある。
 は手に力を込め、動きを止めている焔鳥へと言葉を送る。
「焔鳥……その名に相応しき傀儡(くぐつ)よ。この場に満ちる己が媒体を喰らい尽くせ!!」
 一度羽ばたくように揺らめいて、焔鳥は未だ燃え盛る別の建物へと向かった。
「お、おい! アレはおまえがやってるのか!?」
 の言葉を聞いていたらしい男が一人、焔鳥の動きと見比べてそう問うてきた。
 その男を見るような余裕は、今のにはない。耳につく金属の擦れ合う音と、僅かに視界に入った金色の鎧らしきものから、おそらくこの街の警備兵ではないかと思う。
 焔鳥から目を離さないまま、は言った。
「炎はあたしが引き受けるから、今のうちに下町の人たちの避難を!」
「――え?」
「それから、再発火しないように焼け焦げた部分に水をかけておいて! ――早く!!」
「わ、わかった!」
 の気迫に負けたのか、それとも彼女の瞳に宿る真摯な光に気付いたのか。兵士とおぼしき男は現場へと走っていき指示を出し始めた。
 その男の行動も、にはぼんやりとしか認識できない。
 徐々に重くなる体。
 他のことに神経をまわすだけの余裕は、本当にもう微塵も残っていないのだろう。は、全神経を焔鳥の制御に集中させた。
 火事現場に突入しては燃え盛る炎を建物から引き剥がし、己が身にまとっていく焔鳥。
 数分もしないうちに下町を焼いていた炎は全て建物から離れ、ひとつ所に集められた。
 そう――下町をすっぽり覆い尽くすほどに膨れ上がった、上空に浮かぶ焔鳥に。
「……っ」
 は息を詰めた。
 呼吸が苦しい。頬を流れる汗が気持ち悪い。体が、鉛のように重い。
 気を抜いたら意識を持っていかれそうだった。
 わざと自分の手に爪を立てて意識を保つ。そして、強い意志を持って焔鳥を睨んだ。
「……行け……!」
 上空に留まっていた焔鳥に言霊を送る。
 焔鳥はゆっくりと、海へ向けて進み始めた。
 ゆっくり、ゆっくり。空一面に広がっていた赤が少なくなり、代わって本来の青が顔を覗かせていく。
 頭上から完全に赤が消え、人々から歓声にも似たどよめきが起こった。――直後。
「っ……はっ……ぅ……」
 がうめき声を洩らすと同時に上体を折り、そして焔鳥が動きを止めた。
 震える足で体を支えるの額を、頬を、幾筋もの汗が伝い、地にシミを作っている。大きく肩を揺らして酸素を取り込もうとするが思うようにいかないのか、呼吸が酷く不規則だ。
 限界は、もうすぐそこ。
 だが、それを許すわけにはいかない。
 ――前へ進むと決めた今、逃げるわけには……過ちを繰り返すわけにはいかない。
「……行け……っ!」
 歯を食いしばって、言葉を搾り出す。
「進めっ! 母なる腕(かいな)に抱(いだ)かれよ!!」
 見上げた先で、焔鳥が再び動き出す。それを、確かに捕らえたはずの視界が、不意に揺らいだ。
 目の前が暗転する。平衡感覚が、失われる。
 倒れる、と。そう思った彼女の体は、衝撃の代わりに暖かな何かに支えられた。
「あらあら、大丈夫?」
 耳元で聞こえる、おっとりとした女性の声。
「何かお手伝いできることはあるかしら?」
「……しょう、かん……し?」
 声の主を確認する余力もなく、女性に背を預けたまま短く問う。
「ええ。そうですけど」
 その、答えに。もはや、焔鳥を海まで持たせる力がないことを悟ったは、良いタイミングで現れた女性に賭けることにした。
「アレの、中心に……ッ、召喚、術で、攻撃を……っ。なるべく強力な、ヤツ、で……」
「攻撃すればいいんですね?」
 切れ切れの言葉だが正確に伝わったらしく、確認してくる女性に僅かに頷くことで肯定を示す。
 ごそごそと、女性が何か――恐らくサモナイト石だろう――を取り出したのが、背中越しに伝わって。
「もしもーし、ガルマちゃん? そういうわけですので、大きいのを一発お願いしますね」
 およそ召喚術を行使するには似つかわしくない言葉が女性の口から出てすぐに、焔鳥の上空に魔力が渦を巻き始めた。
 暗くなった空から紫光を放って、大剣を携えた女悪魔が姿を現す。
 悪魔は真っ直ぐ下に大剣を構え、体ごと落下するように焔鳥へと剣を突き刺した。
 ――パァンッ、と。
 何かが弾ける音が一帯に響き渡ったかと思うと、焔鳥は呆気なくその形を崩した。幾つもの小さな火種だけが散り散りに飛んだが、何に触れることもなく綺麗に霧散していく。
 それら全てを、は視認することはできなかった。
 ただ、自分の内から流れ出る力が止んだことを感知すると同時に、自分を支えてくれている女性へと全てを委ねた。
「お疲れ様、ちゃん」
 闇へと沈んだは、女性が優しく自分の名を呼んだことを、知る由もなかった。


 が深い眠りに落ちた頃、海岸では下町を砲撃した海賊を船から引き摺り下ろしているマグナたちがいた。
 召喚術まで使って見せた海賊船長には力の差を見せ付けるような形で戦意喪失させ、残りはモーリンを中心に物理攻撃系の者があっさり片付けた。トリスが知り合ったらしいシルターンの侍、カザミネの協力もあって、ほとんど圧勝だった。
 とりあえず、悪あがきなどしないように全員を船から下ろしている時の出来事だった。
「……あれ、の焔鳥……だったよね……?」
 突然下町上空に現れた巨大な炎の鳥に、見覚えのある者が皆肯定を示す。
「それに、お母様のガルマザリアだわ!」
 海へと移動していた焔鳥を掻き消した女悪魔を見てのミニスの言葉に、マグナたちは酷く戸惑う。
 が自分たちと共にいないことには、ここに辿り着いた時海賊船長の言葉で気付いた。けれど誰も、何かあったのか、とは心配などしなかった。
 自分たちの中で一番強いのはだ。彼女に何かあるなど考えられない。
 恐らく彼女なりの考えがあってのことだろう、と。誰もがそう思っていた。――だが。
 焔鳥が出てきては話は別だ。
 あれは体に多大な負担が掛かるものだと本人も言っていたし、マグナたちもそれを目の当たりにしていた。
 前回――フロト湿原で。大人五人分ほどの焔鳥を数分出現させただけで、は約一日眠り続けた。
 ならば、今回は……
 下町を覆い尽くすほどの焔鳥を出した。それだけではなく、その焔鳥を自分の意志とは関係なく、他者によって打ち砕かれたとしたら……
 一体、どれほどの負担が掛かったというのか。
「……どうして……」
 焔鳥もガルマザリアも既に消えた空を見つめたまま、ミニスが呟く。
「ねえ……、大丈夫だよね?」
 トリスがマグナの腕にしがみつくようにして訊いた。その視線は、ミニスと同じ場所に固定されている。
 皆が皆、同じ方向を見、そして誰もその問いには答えられずにいた。
 重苦しい沈黙に包まれていたその場を、明るい声が一蹴した。
「とりあえず、あたいにはよくわからないんだけどさ。ここで悩んでるよりも、こいつらさっさと兵士に引き渡して捜しに行きゃあ、いいんじゃないかい?」
 モーリンだった。
 皆彼女のほうを見て、そして頷き合った。
 不安な色は消えないものの、それでも為すべきことがあるというだけで顔つきは大分変わるものだ。
 てきぱきと海賊を縛り上げる一同の目に、派手としか言いようのない鎧が映った。
「どうやら、出迎えが来たようだな」
 真っ直ぐこちらへ向かってくるのは数人の金の鎧に身を包んだ兵士と、一人の穏やかな笑みを浮かべる女性。
 兵士たちは女性の指示を受け、マグナたちから海賊の身柄を引き受け連れて行く。
 彼らを見送り、女性はマグナたちへと向き直った。
「貴方たちですね。海賊をやっつけてくれたのは?」
「はあ……まあ、成り行きですけど一応は……えっと、貴女は……」
「お母様!!」
 マグナの声を遮り、ミニスが女性に飛びついた。
「どうして……どうしてお母様がの焔鳥を攻撃したの!? ……は!? 無事なの!?」
 すがるように、責めるように。
 まるで詰問のように母に訊くミニスの姿は、普段の彼女を知る者に驚きを運んだ。
 子供扱いを何より嫌い、常に落ち着き大人を振舞う彼女が、一切の体裁を捨てている。――年相応の姿を晒している。
 それほどまでにミニスにとっての存在は大きいのだということを、見せ付けられた気分だった。
 だが、それはマグナたちとて同じこと。
 皆一様に女性へと目を向け答えを待つ。
「あの赤い髪の子はちゃんと言うのね」
 我が子の様子に驚くこともなく、女性はミニスの頭を撫でる。
「大丈夫、あの子は無事ですよ。魔力を使い切ってしまったらしく、今はぐっすり眠っているわ。私がガルマちゃんを呼んだのは、彼女がそう望んだから」
が……望んだ?」
「ええ。あの炎の鳥……焔鳥、だったかしら? あれはどうやら下町の火災で起きた炎をまとめたものみたいで、ちゃんはそれを海に運んで消そうとしていたようなの。でも、魔力が足りなかったみたい。それで私に消して欲しいと頼んだのよ」
「そうだったんですか……」
 女性の説明を聞き、安堵が浮かぶ。
 胸を撫で下ろしたり肩の力を抜く者が多い中、唯一人モーリンだけがきつく女性を睨みつけていた。
 今にも掴みかからんばかりの彼女を知ってか知らずか。女性はやわらかく微笑んだ。
ちゃんのおかげで、私たちの消火時間もかなり短縮されて、被害もずっと小さくて済みましたわ」
 この、言葉で。
 と、そしてこの女性が下町の人々の避難を優先させていたのだということがわかって、皆一様に目を瞠る。モーリンに至ってはその後、バツの悪そうな顔で俯いていた。
「海賊も捕まえてくださって……ファナンを守ることができたのは、貴方たちのおかげですわ。本当にありがとうございます」
 恭しく頭まで下げられて、マグナをはじめ一同かなり焦る。
「あああ、あの、頭を上げてください! 俺たちがやりたくてやったことなんですから! え、え~と……」
「あらまあ、いやですわ。私としたことが……私、ファミィ・マーンと申します。金の派閥に議長を務めています。貴方たちは、明日正式に派閥の本部にご招待いたしますね。ミニスちゃんも……明日、一緒にちゃんを迎えに来てあげて」
 ファミィと名乗ったその女性はやわらかく微笑むと、優雅に一礼して去っていった。
「それではまた明日。ごきげんよう……」
 そう言い残して。
 ファミィの姿が完全に見えなくなって、更に時間が経ってから、それまで硬直していた一同から安堵の息が洩れて数名がその場に座り込んだ。
「だ、大丈夫かい? あんたたち」
 モーリンが驚いた顔で訊いてくるのに、マグナは力なく笑って手を挙げた。
「平気へーき。が無事だってわかって安心しただけだからさ」
「本当に……よかったです……」
「焔鳥って、こんなに心臓に悪かったなんて、あの時は思わなかったよ」
 マグナと似たり寄ったりの顔でアメルとトリスが続けた。他の者も表情は大差なく、心からの無事を喜んでいるのが見て取れて。
「あんたたちにとって、あの子の存在は随分大きいんだね」
 モーリンが優しく笑って言った。
 その言葉に皆顔を見合わせ、そして笑って頷いた。その、最中――
「あ゛あ――――――!!」
 絶叫にも似た声が海岸に響き渡り、一斉にその主へと目を向けた。
「ミ、ミニス……?」
 表情一変。顔面蒼白でガタガタ震えているミニスに、何事かと思う。
 冷や汗まで流して、ミニスは声を絞り出した。
「ど、ど、ど、どうしよう……お母様にバレちゃった……お、怒られる……」
 どうやらのことで頭が占められてペンダントのことをすっかり忘れてしまっていたらしいが、彼女の無事に余裕が生まれたおかげで思い出せたようだ。
 母の恐怖と共に。
 ミニスにとっては常識と言えるほど良く知っている母の恐ろしさも、マグナたちには未知のもの。ミニスのこの様子は大げさとしか見えない。
「ミニス……何もペンダントのことまでバレたわけじゃないんだから……」
「ありえない! お母様、知ってて知らん振りするの得意なのよ!!」
「だからって、少し大げさじゃないか? 俺には優しそうな人に見えたけど……」
「どこが!? あの笑顔が怖いのよ!!」
 宥めの言葉もことごとく否定するミニスは、かなり鬼気迫るものがあった。
「絶対バレてる……おしおきされる……」
 自己暗示でもかけるように呟くミニスに、どうしたものかと互いに目配せし合い、そして揃って溜息をついた。
 の心配の次はミニスの慰め。
 どうして何かくる時は、こう一度にまとめてくるのだろうか。
「あんたたち、色々大変だねぇ」
 モーリンの言葉に曖昧に笑って。
 再び溜息が多数の者から洩れた。



「……やっぱり、その道を選ぶのね……」
 静かな室内に、少し沈んだ女性の声が踊った。
 外の喧騒からは完全に隔離されたそこは、全体的に赤で統一された場所。置かれている物のほとんどはシルターンに由来する物ばかり。
 主である赤い服を身にまとった女性は、メイメイだ。
 つい先日を占った水晶球を見つめる彼女の顔は、普段のように赤くはない。酒の気はどこにも見受けられず、黒曜石の瞳には悲しみの色が宿っていた。
「未来を知っていても、知らなくても……貴女の魂は同じ道を選び取るのね……」
 指先で軽く水晶球を小突く。
 揺れ動く水晶球の中、幾つもの映像が映っては消えていく。
 それはの未来の一角。彼女がこれから辿るべき路……
「炎に生まれ焔に生きる哀れな魂……幾度生まれ変わろうとも同じ路しか辿らない」
 もう一度、つついて。映し出されたのは『過去』。
 の、名も無き世界での過去。そして……彼女が、彼女として在る前の――過去。
 それを眺めて、メイメイはおもむろに水晶球を手に取った。そして……
「願わくば、貴女の未来に一条の光を……」
 手にした水晶球を、床へと放った。
 硬質な音を立てて砕けて尚、光を放つ破片をその瞳に映して。
「結末まで同じにならないように……祈ることくらいは、許されるでしょ?」
 悲しげに、優しげに。
 微笑んで、天井を仰いだ。
「どうか、貴女に近付いている凶星には引き摺られないで……」
 祈りにも似た呟きは、静寂の中へと消えていった。