――謝らなくていいよ。
――わたしは、そう言ってくれるのをずっと待っていたんだから……
――がんばってね、『』……
見知らぬ場所のふかふかのベッドの上で、は後頭部を掻いた。
その顔は一見すると不機嫌そうなのだが、微妙に照れているようにも見える。
事実、彼女の精神状態はすこぶる快調だ。
その理由は、恐らく昨日のことであろう、あの決意のこととかではなく――
「……我ながら現金よね……」
先程、夢の中で聞いた友の声。
記憶にあるそのままの姿で、思い出ではない言葉をくれた。ただ、それだけで……
未だに自分の心の大半は彼女で占められていることの、何よりの証。
それはそれでいいと思う。この先、彼女を忘れられるはずもなければ、忘れるつもりも毛頭ないのだから。
でも――何故、と。
あの夢が自分の希望が生んだ妄想ではないことは断言できる。それでも、今まで一度もなかったのに何故今……
そう思い胸元に視線を落として……納得した。
彼女が残した形見の勾玉。それの形がほんの少し変わっていた。全体的に小さくなっている。
「本当に……あなたも約束を守ってくれてるのね……」
は目を細めて、笑った。
嬉しそうに、懐かしそうに。ほんの少しだけ辛そうに。
「ありがとう……あたしも、がんばるから……」
の囁きに、まるで反応を示すかのように勾玉が僅かに光を揺らめかせた。
それを目にして笑みを深くした後、改めて周囲を見渡してみる。
ベッドが置かれているのだから寝室だとは思うのだが、それにしてはやけに広い。ダブルよりもさらに大きいベッドと棚。テーブルにソファー、さらには洗面台まであった。
寝室……というよりは、寝泊りをするための部屋――仮眠室と呼ぶには豪華だが、表現としては一番近い気がする。
何でまたこんな縁のないような所にいるのか――考えられる可能性は、とりあえずひとつだけ。
視線をあらぬ方に向けて、は再び頭を掻いた。
「とりあえず……何時間寝てたのかね、あたしは……」
「二十二時間弱、ですよ」
口にしたのは確かに疑問。しかし問いではなかった。
部屋には以外に人はいなかったのだから、問いにはなりえない――はずだった。
自分の疑問に解を与えた声の主へと、特に驚くこともなく目を向けた。
扉の前に、不思議な癖のある山吹色の髪と穏やかな琥珀の瞳を持った女性が一人、大きめの袋を抱えて立っていた。
「おはよう。よく眠れたかしら?」
「おかげさまで。あの時の召喚師?」
聞き覚えのある声に、可能性が大方当たっていたことの確認を取る。
女性はベッドへと歩み寄りながら、微笑んで肯定した。
「ええ。私はファミィ・マーン。金の派閥の議長を務めています。でも、貴女にはミニスの母――と言ったほうがわかりやすいかしら?」
「ミニスの……」
女性――ファミィの口から出た仲間の名に、妙に納得する自分がいた。道理で似ているわけだ。
「ちゃん」
名を呼ばれて小首を傾げる。
名乗った覚えはないのだが……自分がミニスの仲間であると知っているようだし、彼女たちから聞いたのかもしれない。
そう思い、名前のことは気にしないことにする。
そんなの様子に、ファミィも特にそれについては触れぬまま本題を口にした。
「貴女のおかげで下町の火災は最小限に食い止められたわ。この街を守るものとして、そしてファナンの住人の一人としてお礼を言います。本当にありがとうございました」
恭しく一礼され、は目を瞠る。
貴族であり、召喚師たちの派閥のひとつの幹部でもある彼女が、庶民どころかこの世界の住人ですらない自分に頭を下げている。
貴族とそして召喚師というものは、一概に自己中心的で尊大だと聞いていたが、彼女は違うようだった。
身分に関係なく礼を尽くせる人物。それがファミィ・マーンという人間――……
は穏やかに言った。
「顔を上げてください。あたしが好きでやったことですから。それにあたしのほうこそお礼を言わなくちゃ……あたし一人ではアレを制御しきれなかった。あなたが来てくれたおかげで無事に消し去ることができたんです。ありがとうございました」
「まあ……」
ファミィは顔をあげてを見ると、くすくすと笑い出した。
嫌味等の含まれない、本当に楽しそうな笑いには訝しげにファミィを見る。
「……あの?」
「あら、ごめんなさい。貴女がマグナくんと同じこと言うものだから、つい……」
得心がいったにも、ふっと笑みが浮かんで。
二人は顔を見合わせて、笑った。
然程長くもない間笑ったファミィが不意に思い出したように言った。
「ああ、そうですわ。ご褒美をあげなくては。はい」
目の前に差し出されたのは、ファミィが抱えていた袋で。
「私から、ファナンを守ってくださったちゃんへのプレゼントです」
断るのも気が引けてそれを受け取り、中を覗いてみる。
何やら布が入っていて。覗いているだけではわからないので引っ張り出した。
袋の中から姿を現したのは……
「洋服……?」
かなり上等そうな布の、黒いワンピース。
「ええ。ちゃんが着ていたあの服は、この世界のものではないのでしょう? 結構目立ちますし、中のシャツは裾が破けていましたし。私のもので悪いのですけど、動きやすそうなものをいくつか選んでみたので」
「これ……あたしが貰ってもいいんですか?」
どう見ても、そんなに袖を通していない新品同様のそれに、思わず聞き返してしまう。
ファミィは優しく微笑んだまま頷いた。
「ええ。私はもう着ませんから」
「ありがとうございます、ファミィさん」
基本的に、服は着れればそれでいいといった程度の認識しかなく頓着しない質なのだが、こうして目の前に上質な服を出されると嬉しくなってしまうあたりは、まだ普通の女としての部分が残っていたということなのか。
人から物を貰うという新鮮さもくすぐったくて、心のまま笑顔で礼を言ったは目を丸くしているファミィに気付き、きょとんと彼女を見返した。
「……? ファミィさん? どうかしました?」
「あ、いえ……大抵、初対面の方からは様付けで呼ばれるので……」
「様付け嫌いそうでしたのでさん付けにしてみたんですけど。様付けのほうがよかったですか?」
「いいえ……」
首を横に振り、ファミィは改めてを見た。
「素晴らしい洞察力を持っているのね」
どこか尊敬の色を含んだその言葉に、苦笑を返す。
「……ただの処世術ですよ」
の口から洩れたその単語に含まれている何かを感じ取ったのか、ファミィはそっと手を伸ばし優しく彼女の頭を撫でた。
突然のことには目を丸くしたが、懐かしいその感触に目を閉じた。
そして、思う。
どうしてこの世界の人たちは、こんなにも優しいのだろう――と。
思わず寄りかかってしまいたくなるほどに……立ち止まってしまいたくなるほどに……
でもそれは許されないこと。そんなことをしてしまえば……自分で自分が許せなくなる。それでは『約束』は果たせないから。
――ああ、でも……
今だけは甘えさせてほしかった。
前へ進むために。一人では潰れてしまいそうな時の、力になるように。
今まで一度も得られなかった『母』の愛を――今、一時だけ……
ファミィから貰った服に早速着替えて支度を整えたは、ファミィの提案で一緒に少し遅い朝食をとった。
この後、海賊退治をした褒美を受け取るためにマグナたちが来ることも告げられていたので、かなりのんびりとした時間を過ごせた。
他愛のない会話をしながらのファミィとの食事は、存外に楽しいものとなった。
それもこれも彼女の人柄を思いの他が気に入った故。
仕事が残っているから、と。途中でファミィが隣室へと去った時も、にしては珍しく残念がったぐらいに。
他者から見れば意外らしい大食らいの。ファミィが去った後、一人で出された食事を全て平らげ、更に食後のコーヒーまで満喫してから、荷物を手にファミィのいる隣室への扉を開けた。――刹那。
――バリバリ……ドオォォォ――――ンッ!!
何故か室内で落雷が起き、約一名ほど犠牲者が出たのが、丁度よく目に入った。
「うわぁーお……」
人為的に起こされたことは明白なそれに、起こした人物の該当はすぐについて、感嘆とも驚嘆とも取れる声をこぼす。
その声に気付き、無傷な二人がこちらを向いた。
「! 大丈夫!?」
「あっ! 新しい服だ! すごい似合ってるよ!!」
「ありがと、トリス、ミニス。あたしは大丈夫だけど……マグナは平気なの?」
「あ゛あ~! まぐにぃ!!」
の出現に完全に忘却の彼方に追いやられていた落雷の犠牲者へと、トリスが慌てて駆け寄る。
落雷を直撃したショックで目を回していたマグナもすぐに復活した模様。人体に電流を通すという荒業なれど、麻痺を残すこともなく一切外傷をつけない技量は流石と言えよう。まあ、多少髪の先が焦げているのは割愛して。
ミニスとファミィの会話は途中参加のには経過はわからないのだが、どうやらペンダントのことは承認されたらしい。
ファミィは娘を暖かな笑顔で見送った。
そして……のことも。
「ねぇ、」
「ん~?」
「お母様と何かあったの?」
金の派閥を出てモーリンの道場へ向かう道にて。ミニスの問いにはきょとんと彼女を見返した。共に歩いていたマグナとトリスも同様に。
昨夜一晩ファミィの世話になった。焔鳥を使ったため恐らく朝まで爆睡していただろうから、ファミィと直接関わりを持ったのは起きてから――自分たちと合流する少し前だろう。
下町の消火に一役買った功績として服を数着貰い、ついでに朝食までご馳走になったことは聞いたが、他に何かあったのだろうか。
少なくとも、マグナとトリスには二人の間柄は良いものに見えた。――まあ、親しすぎる、と言えなくもないが、「何かあった」という言い方は少しおかしい気がする。
それはにとっても同じなようで。
「……何で?」
理解不能とありありと顔に出して問い返す。
対するミニスの返答は……
「だってだってだって! マーン家当主としてとか金の派閥の議長としてとか、社交辞令ならともかく個人で誰かを食事に誘うなんて今まで一度もなかったもの!!」
「へえ~、そうなんだ」
どうやら別れ際の台詞に引っ掛かりを覚えてのことらしい。
先程、ファミィは最後にに向けて「いつかまた、一緒にお食事しましょうね」と、そう告げて皆を見送ったのだ。それがミニスには不思議でならないらしい。
「それって、あたしを気に入ってくれたってコト?」
「う……うん。多分……そうだと思うけど……」
「それが本当なら嬉しいな。あたし、ファミィさん好きだもの。優しくていい人じゃない?」
爆弾発言投下。
嘘偽りない様子にそれを聞いた三名は凍りついた。解凍後、物凄い勢いでに詰め寄る。
「なんでなんでなんで!?」
「どこをどうしてそうなったんだ!?」
「騙されてる! あの鉄壁の笑顔に騙されてる!!」
「なんでって、何で? みんなは嫌いなの?」
マシンガントーク並みの詰問にも、あっさり問い返してくる。
あまりにさらりと返されて、三人は我に返ったように鎮まって。
「嫌いじゃない、よ」
「うん。蒼の派閥でもあそこまですごい人いなかったし……」
「上に立つ者として、きちんと周囲のことも見れてて尊敬に値すると思う」
「……でも……」
――アレを見た(喰らった)後じゃあ、ね……と。三人の心の声が見事に重なったことをは知る由もなく。
「あたしは、ファミィさんが本当の母親だったらいいなって思ったけどな」
爆弾発言第二弾投下。
「早まらないでぁ――――――!!!」
「と姉妹になれるのは嬉しいけどそれはちょっと待って――――!!」
「考え直したほうがいい! 絶対!! アレを食らえば身にしみて!!!」
「……その反応は面白いんだけどさ、とりあえず落ち着こうよ三人共」
からかい半分呆れ半分で宥められ、不満げながらも気を鎮める三名。それを見計らって、が口を開く。
「あのさ、厳しくするのはミニスを愛しているから――でしょ?」
彼女の口からこぼれた言葉にマグナはトリスと顔を見合わせ、二人揃ってミニスを見た。ミニスは……目を見開いてを見上げている。
「間違ったことを覚えて取り返しのつかない道に進んでほしくないから、正しいことを教えるために厳しくするんじゃないの? 厳しすぎると言えなくもないけど、それだけミニスのことを大切に思っているってコトでしょ?」
優しく深く……母のそれによく似た笑顔では諭す。
――ああ、どうして……当たり前すぎて気付かないことや、ほしい言葉を、いつもくれるのだろう……
それはその場にいた全員の気持ちだったのかもしれない。
そして、マグナがを好きだと思う一番の理由――……
きっと、これが『』という人間。彼女が持つ『優しさ』という力……
「ミニスは、ファミィさんのこと嫌い?」
静かな問いは先程と同じもの。けれど含まれるものの全く違うその言葉は、ミニスの心にすんなり届いた。
俯いて、小さな声で。ほんの少し照れたように、答えを返す。
「…………好きだよ」
心からの言葉には満足げに微笑んだ。
「ミニス。ファミィさんの娘に生まれてこれて、よかったわね」
「――うんっ!」
子供扱いを何より嫌うミニスだが、優しく頭を撫でるの手だけは決して振り払うことはない。それはきっと、彼女の手の心地好さを知っているから。
ほほえましい光景に暖かな気持ちが胸中に広がって、マグナは自然微笑んでいた。
トリスはそんな兄に一瞬目を丸くし、次には同じように笑ってたちに近づく。
「! あたし先に行ってみんな呼んでくるからさ、ここで待ってて。ミニス、行こ!」
言って、ミニスに手を差し出すトリス。
渋るかと思っていたミニスは、意外にもあっさりその手をとって、トリスと共に道場のほうへ駆けていった。
二人を暖かく見送っていたマグナの耳に、ポツリと小さな声が入り込んできた。
「……ホント、うらやましいわね……」
声の主は言わずもがな。ただ、先程までとは打って変わって低く沈んだ声に、戸惑わずにはいられない。
目を向ければ声音の示すまま、沈んだ影のある表情のがいて。
「……の、両親は……?」
「いるよ。二人とも、向こうでピンピンしてるんじゃないの?」
地雷かな、と思いつつも訊いたことだったが、わりとあっさり返してきて安堵する。
「じ、じゃあ、仲が悪かった――とか?」
「仲が悪いって言うのとは違うかなぁ……もっとも、そのほうがまだ救いはあっただろうけど」
「……な、何で?……」
『うらやましい』が何にかかるのか。それは九割方予想通りだろう。だから、その意味が知りたくてマグナは問いを投げかける。
微かに脳裏に響く警笛を認識しながら、それでも言葉は止まらずに。
多少なりとも好奇心の含まれたそれに、は真っ直ぐにマグナを見据えて。
「あの二人にとってあたしは、ただのスペアパーツでしかなかった。ただ……それだけの話」
返ってきた答えは、マグナには理解できなかった。知らない単語が含まれていて、一番重要なところがわからなくて。それでも、無表情に……けれど真っ直ぐ見据える金の瞳に宿る複雑な感情に、それがよい意味ではないことを推測するのは容易で。
「……え? それって、どういう……」
確かな答えを求めたマグナに、は笑った。そして……
「あ、そうそう。マグナ、あたし両方取ることにしたから」
そう、言った。
いきなり話題を変えられて、困惑を隠せぬまま言葉を紡ぎ出す。
「え? えっと……何を?」
「ふたつの未来。あたしは、望みは必ず叶える。どんなことをしても、ね。でも今あるものも失くしたくないから……だから両方取るの。例えメイメイさんが言った通りにしかならなくても、最後まで悪あがきはするつもり」
告げられた言葉は、マグナにとって意外なものだった。
ふたつの定められた未来、と。そうメイメイが言っていたから、それ以外の道は考えられなかった。にしても、彼女の性格から見てどちらかきっぱり選ぶと思っていたのに。
呆気に取られたようにぽかんと彼女を見ていたマグナに向けて、は再び笑う。
「マグナ、心配かけてごめんね。それと……ありがとう」
――の、言葉は……
彼女の言葉はいつも意外性に富んでいて。けれど、それらは自分たちに道を……光を示すものがほとんどで。
正直、救われていた。
その彼女の迷っていた心に、光を示すことができたならこれ以上に嬉しいことはない。
迷いのなくなった瞳が、晴れやかに笑うその表情が。そして、彼女の言葉が、自分がの光になれたことを実感させてくれて。
マグナは、笑う。
心からの笑顔で。少し頬を染めて。
仲間と合流した後もしばらく笑みは消えなくて、訝しがられていたのも気にならないほどにマグナの心は満たされていた。
ファナンから北へ、そして西へと延びる街道にて。
終始笑顔のマグナに理由を問い質してみたり遠巻きに半ば不気味がって見ていたりする仲間たちを、は最後尾から眺めて溜息をついた。
否応なく身につけた処世術に我ながら感心し、また呆れてのことだ。
前へ進むためには忌まわしき過去を受け入れ、そして乗り越えなければならない。今までのように、それに引きずられていては意味がないのだ。
そのためには……他人に話すのが一番早い。それも行きずりの赤の他人ではなく、心許せる――信頼できる仲間に。
彼らの反応がどうであろうと、忌まわしきその過去が今の自分を形作っているものなのだと。そう真っ直ぐに受け入れなければ、前へなど進めない。
だから、マグナが両親の事を聞いてきた時、よいチャンスだと思った。そして、話した……ほんの、ひと欠片を。一番最初のはじまりを……全ての元凶を。
――でも……
それ以上は、話せなかった。
いくら決意を固めたとて、そう簡単に変われるものではないらしい。
故に、話を逸らした。
あの時の感謝の言葉は本物だったが、もうひとつの効果も含めてあった。すなわち、マグナの気持ちを占めるために。
急に話題を変えられれば誰だって怪訝に思う。しかしその後、それ以上のことに頭の中が占められれば、前の話題を追求されることは、まずない。上手くいけば話題そのものを忘れてくれる。
鋭い洞察力と己の心を隠せる演技力があってこそ可能なこと――処世術。
思い通りの効果が得られて安堵したのも束の間。存外に臆病な自分に気付かされ、呆れたのだった。
「……臆病じゃなきゃ、逃げたりなんかしてないわよね……」
ポツリ、と。溜息と共に呟いたは、前方の変化に気付いた。
マグナやトリス、アメルを中心に何やら賑やかに話している。その中から、何故かバルレルとハサハが抜け出して半ば逃げるようにこちらへやってきた。
逃げる、という表現は当たっているかもしれない。
やってくるなりに抱き着いてきたハサハは、明らかに何かに怯えていた。
「……ハサハ? どうしたの?」
訊ねてみても、ふるふると首を振るだけで答えず、微かに震えていて。バルレルも渋い表情で主のほうを睨むように見つめている。
「――バルレル?」
「……てめえは近付くんじゃねえぞ……」
「何ソレ? ってか誰に?」
「…………銀髪の、吟遊詩人……」
よくわからず訝しげにバルレルを……彼の視線の先を追った。
話が終わったのか、マグナたちの間を割って銀髪の吟遊詩人がこちらへと歩いてきているのが見えて、も道を譲った。
長い銀の髪。腕に抱えた竪琴。吟遊詩人特有のものなのか、不思議な衣装をまとった一人の男。
バルレルが、近付くなと言った人物。そして、恐らくハサハが怯えている原因。
でもには二人の反応が理解できなかった。何でこの世界にはこんなに美形が多いのだと、そう思えるほどに綺麗な男だとい思ったぐらいで。特におかしなところは見受けられなかった。
――けれど……
男とすれ違った瞬間、の意識は――飛んだ。
目の前に広がる藤色の空。眼下には水晶のような鉱石でできた大地。
耳につく大きな風と羽音。
そして……視界の隅で揺れる朱と銀の――
「!!」
強く、自分を呼ぶ声に我に返った。
一瞬見えた景色は幻だったのかどこにもなく、今、目に映るのは普通の茶色い地面と自分の朱の髪……
「大丈夫ですか?」
何故地面が視界一面に見えるのか、何故自分の髪が目の前にあるのか。その疑問に行き当たった時、頭上から声がした。聞き覚えのない、男の声が……すぐ間近から。
その意味を理解すると同時に、は勢いよくその場から離れて声の主を見た。
案の定、例の吟遊詩人がいた。
恐らくは前のめりに倒れた自分を、この男が抱き止めたのだろう。――本来ありえない大失態だ。
「大丈夫ですか、お嬢さん?」
「え、ええ……お手を煩わせてしまったようで……」
「いえ。具合が良くないのでしたらお気を付けください。一雨来るかもしれませんから……」
空を見上げてそういった後、男は意味ありげな微笑を残して去っていった。
その後姿をただ見送って、は額を押さえた――その途端。
「! 大丈夫か!?」
「やっぱりまだ昨日の、回復しきってないんじゃないの!?」
「無理はダメですよ!!」
囲まれた。
最近おなじみとなりつつあるマグナやトリス、ミニスに加えてアメルまで。更にはネスティ、リューグやフォルテ、ケイナなど焔鳥がもたらすものを知っている者たちも、心配そうにこちらを見ていて……は笑う。
「大丈夫大丈夫。魔力ならしっかり全快してるし、貧血とかでもないよ。体調はすこぶる良好だし」
「……本当に?」
「うん。ゆっくり眠ったし、ファミィさんに朝食もご馳走になったし…………あっ」
「何!? やっぱり何かある!?」
何か思い当たったような呟きに狙い通りの反応が返ってきて。
は内心ほくそ笑みつつ、真顔で答える。
「……食べ過ぎ、とか?」
一瞬面食らった一同も次の瞬間には笑顔に変わって。
「もー! ってば!」
「あはは。とにかく何でもないからさ、先急ごう? なんかホントに雲行きが怪しいしさ」
ひらひらと手を振っての提案に、幾人かが空を仰いで同意し、一行は再び歩き始めた。
全員が前を向いて歩いていくのを見て、は長く息をつきその後に続いた。――と。その手を握る者がいて、目を落としてその存在を忘れていたことに気付く。
「……ハサハ?」
先程のようにしがみついてきているわけではないが、強く握ってくる手には恐怖ではない何かが込められていて。
「オイ……大丈夫かよ?」
バルレルまで、物凄く珍しい言葉を掛けてくる始末。
「だから大丈夫だって……」
「かなり、持っていかれただろ……アイツに」
誤魔化しの言葉を遮られて、更にハサハの手にも力が増して。苦笑する。
「やっぱり、あなたたちにはわかるんだねぇ……」
の身に何が起きたのか。何故一瞬とはいえ見ず知らずの男の腕に抱き止められるなどという失態を晒したのか。
この二人には、バレている。
置いていかれないように、けれどこちらの会話が聞こえない距離を保ちながら、素直に告白する。
「平気よ。足りないくらいがあたしには丁度いいからね。それに……知ってるんでしょ?」
知っているからこその行動なのだろう、と。ハサハの小さな手が添えられている己の手を示す。
それに応えるように、不安げな……けれどひとつの確かな想いを持って、ハサハが見上げてくる。
「おねえちゃんがへいきなのは、わかる……でも、急に……なくなるのは、くるしい、から……」
拙い言葉。でも、的を射た発言に、本当にもう苦笑するより他に術はなかった。
本当に、この二人は知っているのだ。が演技してでも隠そうとしていることを。
所詮はも人間。いくら上手く自分を偽ったとて、騙せるのは人間だけということか。
人間ではない彼らには、自分が抱えているものが――見えて、いる。
なんとなく予想はついていたが、こうして確認してみてもやはり不思議と不快感はない。むしろ嬉しく感じている。
それは……片鱗とはいえ理解者がいることの喜び――なのだろうか。
はただ笑みを浮かべて、ハサハの頭を撫でた。
「ケッ、だから近付くなって言ったんだ」
不機嫌丸出しのバルレルの言葉に、ふとあることを思い出す。
「あ、そういえばさ、バルレル。あの時、名前呼んでくれたよね?」
あの奇妙な幻から引き戻してくれた声は、確かにバルレルのものだった。
ただ確認のための問い。
バルレルはじっとこちらを凝視した後、そっぽを向いて。
「それがどうかしたかよ」
ぶっきらぼうに答えた。
「別に、どうもしないけど。初めてだよなぁって思っただけ」
「何がだよ」
「名前、呼んでくれたの。トリスたちの名前も一度も呼んでないよね~?」
からかうように言ってやれば、勢いよく振り向いて……反論がくるかと思いきや、何やらまたも凝視される。
予想通りの反応がなかったことと、彼の自分を見る不思議な瞳にきょとんとして見返す。
その内に、バルレルは再び視線を逸らして。
「てめえの名前はなんだろうが」
「え……? うん。そうだけど……」
「おまえはだ。だから呼んだ。それだけだ」
――この子は、どこまで知っているのだろうか。
ふと、そんなことを思った。
よくわからない言葉。でも心当たりは、ある。ひょっとするとバルレルはそれすらも知っているのか。それとも、全く別のことなのか。
「……バルレル……それって、どういう……?」
問い質そうとした言葉は雨によって遮られた。
一粒、大きな雨粒が当たったと思ったら途端に本降りになって。仲間たちが騒ぐように何やら話し合った後走り出したのに続く形になって、結局答えを得る機会を失ってしまった。
仲間の後を追って走りながらは溜息をついた。
主の元へと戻ったバルレルに視線を定めて――ま、いっか、と。この次機会があった時に、まだ訊く気があるなら訊いてみればいいと。そう結論付け、その問題は保留にした。
それよりももっと難解な問題が、代わって浮かんでくる。
銀髪の吟遊詩人。彼の腕の中で見た幻影……バルレルが引き戻してくれなければ、囚われたままだったかもしれないと。何故か、そう思う。
あれが何だったのかはわからない。
でも……不安や恐怖といったものは感じない。今、思い返してみてもそれは変わらず……むしろ暖かさを感じた。
この世界へ初めて来た時と、そしてアメルといる時。
その時感じたものと同じ暖かさ。そして、それらとは似て非なる懐かしさも。
そう――哀しいまでの懐かしさ……涙が溢れそうになるほどの……
不意に目頭が熱くなっては目元を拭ったが、雨でびしょぬれになっているのに気付いて手を下ろした。
ここまで濡れていれば誰も気付かない。
は、理由のわからぬ感情のままに涙を、流した。――と……
――ポロン……
竪琴の音が聞こえた気がして、振り返った。
そこには誰もいない。激しい雨音に掻き消され仲間の声すら届かないというのに、既に遠く離れた彼の吟遊詩人の竪琴が聞こえるはずもない。
それでもは立ち止まって、雨と涙で霞む道の先へと目を留めていた。
在るはずのない、人影を探して――……
聖女一行が一時の雨宿りの場として選んだ砦は、もうすぐそこ……