――小さな水音が、現実へと導いてくれた。
「気も大分回復したみたいだし、熱も大方下がったね。もう大丈夫だろうさ」
「じゃあ、コレはもういいかな?」
「そうだね」
すぐ近くで聞こえる聞き馴染んだふたつの声。それらが、ふわふわと浮いているような感覚を奪うように、更に強く現実へと繋ぎ止めて――アメルは、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……おっ? 気がついたみたいだね」
変化に気付いて掛けられた言葉に首ごと動かして見れば、ここ数日で既に馴染んでしまった金髪が揺れていて。
「……モーリンさん?」
疑問の色で発した声は、少し掠れていた。喉も口も寝起きだからというだけでは納得がいかないほど乾いているのがわかって、未だに動きの鈍い思考に疑問だけが積もっていく。
「大丈夫? アメル」
「、さん……あたし……?」
「はい。とりあえず、水飲んでからね」
身を起こして疑問を投げ掛けると、目の前に問答無用で差し出されたコップ。それを受け取り素直に流し込む。いつもと同じはずのただに水が、随分美味しく思えた。
コップの中身を全て飲み干して一息つくと、それを待っていたようにモーリンが動いた。
「あたいはみんなに知らせてくるよ」
言って部屋を出て行く彼女を見送り、今度はが口を開く。
「雨に当たったせいで風邪ひいたのね。熱で寝込んでいたのよ、アメル」
「雨……?」
喉の渇きは熱のせいだったらしい。しかし、何故風邪などひいたのか。
雨という単語がゆっくり脳内に染み込んで……ようやく全てを思い出せた。
祖母のいるという村へと向かう途中、雨に降られて砦で雨宿りしたこと。そこでは兵士たちが全滅してしまっていたこと。そして、屍人使いだという召喚師が兵士たちの遺体を操り、自分たちへ襲わせてきた――ことを。
「……あ! さん! 彼らは……あの兵士さんたちはどうなったんですか!?」
アメルの記憶は、何故か癒しの力を使っていないのに屍人兵の心が聞こえてきて、それがとても悲しくて苦しくて、ただ叫んだところで途絶えている。
叫んだ瞬間、自分の内から大きな力が溢れ出た感覚はなんとなく覚えているのだが、その先は……光の中で屍人兵が消えていったような気がする。
ただそれだけで、確信を持って思い出せるものがないのだ。いつファナンへ戻ってきたのかも……
急に大声を出したことに少々驚いたようだが、は手を止めると笑みを浮かべてアメルに向き直った。
「大丈夫。あなたのおかげで彼らの魂は無事、輪廻の流れに戻っていったわ。新たに生を受けるまで、もう誰も彼らの魂を束縛することはないから」
兵士の魂は輪廻に戻った――すなわち、あの苦しみから解放された、と。そう聞かされて、アメルは安堵に包まれた。
だが、それも長くは続かず、ふっと影が差す。
そんなアメルの心境を知ってか知らずか。ぽんぽんと軽く彼女の頭を叩くと、は中断していた作業を進める。そうして差し出されたのは、湯気の立ち上るお碗。
「あれだけ大声出せるなら、風邪のほうはもう大丈夫でしょ? しっかり食べて完治させなきゃね。それに、おなか空いてるとロクなこと考えられないし」
「そう……ですね……」
少し悪戯っぽく笑うにつられて苦笑し、アメルはお碗を受け取った。
中身はおかゆのようだが、小さくサイコロ状になった黄色と橙色のモノが混じっていた。
「おイモ好きのアメルのために、サツマイモとカボチャのおかゆです♪」
小首を傾げれば、おかしそうな笑い声と共に嬉しい内容の答えが返ってきて。喜色満面で一口含むと、口内に程よい甘みが広がる。
「すごく美味しいです!」
「あ、ホントだ。流石モーリン」
素直に感想を口にすると、何故か少し驚いたような同意が返ってくる。見ると、も同じように自分のお碗でおかゆを食べていて。
「これ、さんが作ったんじゃないんですか?」
「違うよ。あたしは口を出しただけ」
要は、リクエストしただけで手伝ってすらいないということ。理由を訊いてみると「自分で食べる分にはいいんだけど、人様に食べさせられるようなモノはね……」とのお言葉。
意外なような、そうでもないような……
どちらにしろ、の新しい一面を知れたのは嬉しいことで。けれど、その嬉しさも先程心に差した影を消し去ることはできなかった。
「さん……あの時のことを、詳しく教えてもらえますか?」
影を消すために――否。徐々に大きくなる不安を抱えきれずに、アメルは口を開いた。
しばしの沈黙の中に、食器の鳴る音だけが響く。そして。
「アメルが発した光を浴びて、屍人兵の体は砂化して消えていったわ」
静かに告げられた空白の時間の出来事。
はっきりと他人の言葉で聞かされたことで、曖昧だった記憶に実感が伴い色付く。
それは不安を増大させて。
「……あたし、どうしてあんなことができてしまったんでしょう?」
ぽつり、と。半ば無意識に呟いた。
「操られている人たちの心が、触れてもいないのに流れ込んできて……それが、かわいそうで……頭の中が真っ白になったと思ったら、あんなことに……」
俯いたまま、器を持つ手に力を込める。
次々と言葉という形をとって外へと出て行く不安。それでも一向に減る気配のない陰から、自分を見失わないように。
「なんだか、不安なんです。あたし……自分がどんどん違う存在に変わっていってしまうみたいで……すごく、こわい……」
「何も変わってないよ」
はっきりと断言された言葉に顔を上げる。
欲しかったはずの言葉なのに、嬉しさよりも呆気に取られてしまったのは、あまりの返答の早さの所為だろうか。
「アメルはアメルでしょ? おイモさんが大好きで、優しさに満ちていて、人の心の痛みに敏感な、レルムの村のアメルに何の変わりもないよ」
食べ終えた食器を片しながら言う。その普段となんら変わりのない態度も、呆気の原因かもしれない。
「それにね、別に不思議なことじゃないと思うわ。あの時、読心の奇跡を持たないあたしでも彼らの嘆きは伝わってきたもの。もともとその力を持っていたアメルなら、言葉という確かな形で感取して然るべき――じゃない?」
影は……不安はまだ消えていないが、問題などまるでないといった風体で言われては、悩んでいるのが馬鹿らしく感じる気持ちが生まれてくるというもの。
「……そういうものですか?」
「そういうものよ。あと、ひとつ大切なこと。あなたのその力のおかげで、彼らはあいつの呪縛から解放されたっていうことも忘れちゃダメよ?」
別に忘れているわけではない。ただ、安堵よりも不安のほうが勝っていただけで……忘れた、わけでは……
けれどは、アメルの欠けている想いに気付いているかのように、笑って。
「……あたしは感謝してるよ。あたしには、やりたくてもできないことだったから」
「でも……さんは、あの時……」
「あたしの力はアメルのとは根本的に違う。あたしは……救いには、なりえないから……」
そう言ったの顔は深い悲しみを含んだ自嘲に彩られていて、アメルは凝視するように見つめた。
今まで幾度となく見てきたこの笑顔。今日は何故か、いつもと違った感じがして……ただ見つめていたアメルは、その理由に思い至った。
それは、つい先程まで見ていた夢。内容は忘れてしまっているが、それと今のの雰囲気が似ているのだ。
「――……、、さん……」
「ん?」
無意識に口を開いて――結局、彼女の名を呼んでしまった。
何を言おうとしていたのか自分でもわからぬまま、顔を上げたが普段通りなのに安堵を覚えて。
「いえ……ありがとう、ございます……」
ただ礼を伝えた。
とても大切なことを教えられて、不安がかなり減少したことへのお礼。
人とは違う能力があるからこそ、できることがあるのだということ。そして、それは『幸せ』を招くことのできるモノであるということを。
そして何より、自分を自分として変わらず見てくれる者のいることの幸せを。
アメルは精一杯の笑顔を、大切な仲間に……友に返した。
「よぉ、嬢ちゃん」
廊下を歩いてきたレナードは、丁度部屋から出てきたに呼びかけた。振り返った彼女は笑みでレナードを迎える。
「レナードさん、現状把握はすみました?」
「ま、一応な」
的確な確認をしてくるのは、やはり経験者故か。レナードは苦笑を返す。
先刻、彼の砦で悪夢のような死闘を共にした者たちから、自分の置かれている現状を説明された。同時に、しばらく行動を共にできることも決まって仲間となった彼らに、まず初めに頼んだことは、同郷人であるの部屋を教えてもらうことだった。
その理由は……
「けどよ、俺様はあの砦の中しか知らねえからな。街見てこようかと思ってよ。よけりゃ、案内してくれねえか?」
説明という形で得た情報に現実味を持たせるための外出に、同行してもらえないか、と。あと、彼女とはゆっくり話してもみたかったので。
そんな申し出に、は手にしていた槍を軽く持ち上げて快諾した。
「構いませんよ。あたしも丁度外へ出るところだったので。一番、実感を得られる場所に案内しますね」
ウィンクして悪戯っぽく笑うに、レナードもにっと口を持ち上げて笑い返し、二人は街へと繰り出した。
の案内は実に見事だった。
モーリン宅を出てすぐの下町飲食店街を通り市場通りへと抜けたのだが、その間、地球との違いをひとつひとつ教えてくれた。
全く聞き覚えのない食べ物の名前を、向こうでの何に相当するのかということと共に実物を指して説明してくれるので、かなりわかりやすい。こういう利点はやはり、同郷人で経験者だけが持つモノだろう。
何より、昨日の今日で既に愛煙家であることに気付いていたのか、しっかり煙草を売っている店まで教えてくれたのには敬服ものである。
日用品類は大差ないので、一通りそれらの知識を与えられた後向かった先は、の目的地。
「ふぃ――……、こりゃ、確かにファンタジーだな」
そこに着くなり、第一声はコレだった。
の目的地兼彼女曰く異世界である実感を一番を一番得られる場所――それは武器屋だった。
日本とは違い、米国では銃を取り扱っている店があるが……ここは、それとは比べ物にならなかった。
中世ヨーロッパを思わせる長剣・短剣・大剣・細剣、全身甲冑に盾。槍に斧、弓、杖、日本刀に投具。果てはドリルや大型銃など、時代や科学、魔術に一貫性がまるでない。
書物や博物館にしかなさそうなこれらの武具を、一挙に目にする機会に恵まれるとは……
「すみませーん。コレって修理できますか~?」
レナードが店内の物に目を奪われている間に、は奥へと進んで自分の目的を果たすために店の主人に声を掛けていた。
顔を出した店主は差し出された槍を手にして……すぐに渋い顔になる。
「嬢ちゃん、こりゃあ買い替えたほうが早いぜ」
「やっぱりですか。お気に入りだから、できれば変えたくないんですが……」
仕方ないですね、と。呟いて踵を返しかけた彼女に、店主は槍を眺めつつ口を開いた。
「ん~、そりゃ、このデザインか? なら穂先だけ変えりゃあいい」
「できるんですか!?」
「おうよ。穂先はそっちの奥にあるから、好きなの選んで来いや」
「うわ~い! おじさん、ありがとぉ~♪」
事も無げに言う店主と喜色満面の。
その一連のやり取りを眺めていたレナードは、店主の示した奥へと進むの後をゆったりと追う。穂先だけが陳列する棚の前で鼻歌混じりに選ぶ彼女を見つめ……紫煙を吐き出した。
「……嬢ちゃんは、こっち来て大分経つのかい?」
「二週間ぐらいは経ちましたけど……何故?」
「随分戦い慣れてるみたいだからよ。武器の扱いも相当なものだ」
時間の経過がそうさせるのか、戦う姿も街中を歩く姿も武器を選ぶ姿も、今まで見てきた彼女は全て見事にこの世界にとけ込んでいて。いつか、そう遠くはない未来、自分もそうなっていくのかと思うと、かなり複雑な心境だったのだ。
聞いた話、今の段階ではもとの世界へ帰れる保証は皆無らしい。は既に諦めているのか、永住宣言をしたらしいが、レナードとしては……やはり帰郷を望んでしまう。
どの道しばらくはここで暮らさなければならないが、彼女のようにあっさり割り切れるほどレナードは青くはない。離れていたとはいえ、妻子のある身では、尚だ。
そんな彼の心境に気付いているのか、いないのか。は重さを確かめるように穂先をひとつひとつ手に取りながら、あっさりと答えた。
「あたし、旧家の生まれなので。幼い頃から色々教え込まれましたから」
戦いは経験だが、武器の扱い方は教養のひとつだと。
「なんだ、嬢ちゃん『お嬢様』ってヤツかい?」
「そんなに聞こえのいいものではありませんよ」
揶揄にも似た問いに、は振り返って笑った。そして、ひとつの穂先を手に、店主のもとへと歩いていく彼女をレナードはただ見送る。
咥えた煙草から昇る紫煙に霞んで見える朱髪の少女の後ろ姿。それが彼女の存在そのものを表しているように思えるのは何故だろう。
刑事という職業柄、自分の感情は表に出さず、相手の心境を小さな仕草からも読み取る洞察力はそれなりに培ってきたつもりでいたが、先程の彼女からは一切読み取ることはできなかった。
言葉と表情。そのまま受け取るには、小さな違和感が邪魔をする。
自分が刑事なんて職業でなかったなら、恐らくは気付かなかったであろうことだが……気付いてしまえば気になるモノで。
「読めねー嬢ちゃんだな……」
小さな呟きは、紫煙と共に空気にとけた。
オルフルの少女、ユエルは困惑していた。
少し前、柄の悪い二人の人間の男に大切な宝物を取られてしまった。力づくで取り戻そうと威嚇姿勢になったその時、ゼラムで親切にしてくれた人間、マグナとトリスがやってきて……二人の男は怯んだ。
男たちから戦意が消えたことがわかって、もうすぐ宝物が戻ってくる――と。そう思った矢先、一人の男が一瞬の隙を突いて逃げ出した。
僅かに反応が遅れたものの、すぐに追いかけたユエルの目の前で、男は何かに吹き飛ばされたのだ。
男が地面に倒れた少しあと、男の手から離れ中を舞っていたユエルの宝物であるペンダントは、吸い寄せられるように別の白い手の中へと納まるのがコマ送りの映像のように目に映って。
「こんな奴ら、のしても楽しくもなんともないわね」
そう言った、これらのことを為したと思われる朱色の髪の人間が、敵か見方か判断できずにただ困惑してしまったのだ。
探るように見ていると、朱髪の人間がこちらを見た。
正面から見た彼女の瞳に、目を奪われた。宝石のように輝く、吸い込まれそうな黄金色の瞳に。
「これ、あなたの?」
「えっ!? う、うん……」
「はい」
黄金色の瞳に見入っていたため、質問を理解するのに少々時間を要した。だが、何とか答えるとその人間は男から取り戻したペンダントをユエルに向けて差し出した。
受け取るために、恐る恐る手を伸ばすと、あっさりとその手に宝物は納まる。
「気をつけなさいね。こういう所は不届きな輩が多いから」
頭を撫でられ顔を上げると、優しい笑顔が向けられていて。
ユエルはペンダントを両手で包み込んで、笑った。
「うん。ありがとう」
人間は皆嘘つき。その認識は今も変わらない。でも、この朱金の人間は信じてもいいような気がした。
優しくしてくれたからとか、そんな理由じゃなく……自分と同じ匂いをまとう、この者だから。
追いついてきたマグナたちと話す姿を見ながら、ユエルはそう思った。
「……くそっ!」
己の得物である戦斧を投げ出し、リューグはその場に座り込んだ。
痛みを訴える腹部が、先程のモーリンの言葉を嫌でも思い出させる。
俯く先にあるのは、陽光を受けて輝く白銀の砂。その輝きも、彼女の金髪を思い起こさせて……リューグは唇を噛んだ――と、その視界に影が落ちる。
「随分と手酷くやられたみたいね」
降りかかる言葉。揺れる朱髪と細められた金の瞳。
現れたのは、モーリンと同タイプの少女、。
「おまえか……」
できれば今は会いたくなかったと思う反面、彼女なら何か答えを持っているかもしれないという期待も僅かばかり心に湧いてきて。複雑な面持ちで呟く。
「何て言われたの?」
見られていたのか、そう訊いてくるに、リューグは彼女から視線を逸らして。
「ヤツ当たりで稽古しても、強くはなれねえ、って」
「流石姐さん。気付いたんだねぇ」
「おまえも同じこと言うのかよ」
「ま、ね。今のリューグ、からっぽだもの」
さらりと返ってきた意味不明な言葉。
自分の何が空だと言うのか。リューグは眉根を寄せる。
「どういうことだよ?」
「ん~……芯になるものがないっていうか、土台がないっていうか……今、リューグの中にあるものがなくなったら、何もないでしょ?」
「わっかんねえよ!」
今、自分の内にあるモノ。それが何なのか、何を指して空だと言うのか。知りたいのはそこなのに、知りながら明言を避けるような物言いに苛立ちが募る。
「おまえは、何でそこまで強くなれたんだ?」
望むのは、ただ強くなること。
その方法を知るために、己の内にある怒りを抑えて問いかけると、は海からこちらへと顔を向けて。
「あたし、強くなんてないよ……」
ぽつり、と。呟くように言った。
どこか覇気のない声。外見はいつもと同じなのに、雰囲気が何となく暗い。
けれどその変化も、ただ答えだけを求めているリューグには気付けるはずもなく。
「ルヴァイドの野郎と互角に戦えるくせに、何言ってやがる」
「あ~……まあ……力はあるね。でも強さは持ち合わせてないよ。強さで言ったら、マグナやトリス、アメルのほうがずっと上だろうね」
「力が強さだろ?」
「違うよ。力と強さは別物」
「わかんねえよ!! 俺が知りたいのは、おまえの強さの理由だ!!」
今のとの会話は、謎かけのようでただ腹が立つ。必要なピースは揃っているのに、形にならないパズルのようで……
この感じは――そう、あの月夜の草原でのとルヴァイドの遣り取りを聞いた時と似ていた。
それすら認めたくなくて、これ以上の押し問答を避けるために、強く問う。
すると、はリューグをしばらく見つめた後、溜息をひとつついて口を開いた。
「あたしとリューグの差があると言えば、それは実戦じゃない? まぁ、質にもよるけど。あたしはここ五年程、休む間もないくらい戦い通しだったからね」
「だから、か?」
ただ単に経験の差なのか、と。その答えは――否。
「そうでもない。あたしは弱ければ死んでいた。ただそれだけだよ」
「……今も大差ねえだろ」
「全然違うよ。だって、あたしは一人だったもの」
たった一人、命を懸けるほどの戦いを長く続けていた。
と同じ方法を実行したとしても、彼女に――ルヴァイドに並ぶまでに五年はかかる。そんな悠長にしている余裕などない状況。
自分には、質も時間も足りていない……
あまり参考にはならなかったか、と。溜息を洩らしたリューグに、は更に続けた。
「リューグ。力はね、実戦を積めばある程度はつくよ。でもね、それ以上の力を望むなら、強さを身につけなきゃいけない。だからね、リューグの課題は『力』と『強さ』の違いを理解すること。そして『自分だけの強さ』を見つけることだよ」
相変わらず『何か』を明らかにしない言い方。それでも、今度のものは具体的なものが含まれていて。
「それを見つけることができれば、リューグは本当に強くなる。あたしよりも、ルヴァイドよりも、ね。それだけの力がリューグの中にはあるから」
見上げた先、自分を見つめるは、子を慈しむ母のように深い深い眼差しで笑んでいて。ぽんっと、一度だけ頭に手を置かれる。
「だから、がんばりなさい。自分のために――ね」
それだけ言って、は踵を返した。
徐々に小さくなる後ろ姿を、半ば呆然と見送った後、リューグは視線を海に向けて不敵に笑った。
――やってやろうではないか。
彼女は言った。自分の中には、彼女よりも仇よりも強い力が眠っている、と。
ならば、どんなことをしてでも、それを目覚めさせてやろうではないか。
そのために必要なモノのヒントは与えられている。だから――
「絶対見つけてやる……俺だけの強さを――!!」
決意を強固にするように、リューグは強く呟いた。
銀沙の浜を抜けた先の木立で、は足を止めて嘆息する。
「あたしは、強くなんてない……」
先程リューグに向けていた笑みはどこへやら。呟かれた言葉は、酷く重いものだった。
おもむろに天を仰げば、木洩れ日が優しく降り注いでいるのが瞳に映る。
「……ただ……負けられない理由があるだけ……」
呟いて、服の上から勾玉を握り締める。そうして、気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしてから、再び歩き出した。
然して間もなく辿り着いたモーリン宅の玄関で、一瞬足を止めた。外の明るさに慣れていたため、室内が異様に暗く見えるのだ。
目が慣れるまで待とうかとも思ったが、大して支障はなさそうなのでそのまま進む。
自室への廊下を歩く内に暗さにも慣れてきて安堵したのも束の間、再び目に映った影に立ち止まる。
それは、ある一室から洩れ出すようにして広がりつつあるモノ。影というよりは、黒いもやと表現するほうが近いだろう。
嘆息して、は黒いもやの出ている扉をノックした。
真っ暗な闇の中、ただ声だけがうるさく響く。
誹謗中傷、罵声、嘲笑……全て、拒絶を表す言葉。
――わかっている。
これは夢であって夢ではない。遥か古より受け継がれてきた、連綿と続く先祖の記憶だ。今まで幾度となく見続けてきた、絶望の証――……
今更見たとしても別段何も感じることのないそれが、今日は少し違っていた。
不意に闇に浮かぶ幾つもの人影――それは、今共に旅をしている仲間たち。自分にとって、微かな希望を抱かせてくれているはずの彼らは、今、畏怖と軽蔑に満ちた冷たい目を向けていて。
――やめてくれ……
受け継がれた記憶にある先祖が受けた拒絶の言葉が、彼らの口から出て自分に突き刺さる。
目を閉じても瞼の裏に浮かび上がる冷えた眼差し。耳を塞いでも頭に響いてくる嘲罵の声。
自分を果てしなく苛むそれらに気が狂いそうになったその時、一筋の光が降り注いだ。
――戻っておいで……――
光の中から聞こえた柔らかな声。
それに促され、すがるように光に手を伸ばした。
目に映る暖かな光が、未だ夢の中のよう錯覚を与える。けれど光に抱かれた木製の天井が、確かに現実に戻ってきたことを示していて。
ネスティは、息を吐いた。
じっとりと、全身が嫌な汗をかいているのがわかる。それが体調不良のためだけではなく、あの悪夢のせいでもあることは明白で。うんざりとする気持ちをそのまま溜息にして、身を起こそうとした時……ようやくその存在に気付いた。
途中まで起こした額から滑り落ちた濡れタオル。それは自分が用意したものではない。そして、自由の利かない片手。
様々な疑問の答えは、ベッド脇で微かに揺れている朱髪の主が持っていた。
「……?」
驚愕に目を見開いたまま、いるはずのなかった人物の名を呟く。すると、それに反応して、ベッドに寄りかかって眠っていた少女の目が開いた。
「……ん? ああ、起きた?」
姿を現した金の瞳が、ネスティの姿を映して細められる。それが近付いてきて――視界を満たした。
「ん~……熱は下がったみたいね」
「……何故……」
あまりの出来事にも驚愕が勝って、いつも通りの反応ができない。愕然としたまま呟いた疑問の声。
「あたし、手が冷たいからね。熱計るのに向いてないからさ」
さらりと返ってきたのは、ネスティが欲しかった答えではなくて。
チリッと湧いた小さな焦燥が、ようやく思考回路を正常に動かし始める。
「何故、君が僕の部屋にいるんだ?」
問い質すように強く訊く。
はネスティが落としたタオルを拾った後、視線を机の上に向けて意地悪く笑った。
「自己管理ができているのはいいことだけど、バレたくないなら鍵かけ忘れちゃダメでしょ」
彼女が視線を向けた先には、空のコップと出しっぱなしだった薬瓶がある。ついでに彼女が持ってきたであろう、水の張られた洗面器も。
現状は全て自分の失態によるものか。普段ならありえないミスを犯すほど、余裕がなかった証拠。
ネスティは己の行ないを悔いながら視線を落とした。――と、その目に映る新たな事実。
自分の手を握る、の手――否。どちらかといえば、自分が彼女の手を握っている。
これが起き抜けに片手の自由が利かなかった理由。そして、が拾ったタオルを持て余していた理由だと気付き、慌てて手を離した。
「――すまないッ」
「別に構わないけど……もう、いいの?」
「……ひょっとして、ずっと……?」
「なんか、うなされてたからね。タオル用意した後からは」
あっさりと返ってきた言葉は、ネスティの顔に血を上らせるには充分なモノで。
手が自由になり、ようやく立ち上がってタオルを洗面器に戻すの姿すらまともに見れずに、目を泳がせた。
彼女の行動は、正直嬉しいと思う。おそらくは、そのおかげであの悪夢から抜け出せたのだろうから、感謝すらある。
けれど同時に、あの夢で見た彼らのように拒絶されるのではという恐れもあって。
「君は……僕が怖くはないのか?」
訊かずには、いられなかった。
「僕は、人間じゃ、ないんだぞ」
今、自分は不調を来たした体調を整えるため、余計な負荷を避けて寝間着姿だ。いつもの服とは違い随分とラフなそれは、己が一番隠したいと思っている人間とは違う部位を露にしている。
――融機人(ベイガー)。機界ロレイラルに住む、人間と機械が融合した種族。
それが、ネスティの正体。
「この姿を見て、気持ち悪いとは思わないのか?」
目を逸らしたくなる衝動を抑えて見据えるネスティの目の前で、はあからさまに呆れきった顔で溜息をついた。
「あのさ、ネスティ。あたしも異邦人なんだけど?」
「だが君は人間だろう!?」
「そうじゃなくて。この世界の常識をあたしに求められても困るってコト」
思わず声を荒らげたネスティに、はあっさり返して。そして、ベッドの端に腰をかけると、ネスティの腕を軽く持ち上げるように触れてきた。
「それと、コレは答えにはならない?」
自己申告通りマグナたちよりは冷たく、けれどネスティよりは暖かい手。丁度機械と生身とが混ざり合っている部分に触れているその手は、震えてなどいない。
それどころか、少し身を屈めたかと思うと彼女はそこに唇を触れさせてさえきたのだ。
――腕に口付けられた、と。そう自覚した途端、ネスティの頬が朱に染まる。
その様子を楽しげに眺めていたは優しく微笑む。
「ネスティは綺麗だよ。あたしなんかより、ずっと綺麗な心を持っているもの」
――ああ、なんて……なんて強いのだろう……
外見に惑わされることなく、その人柄を見極めて、あるがままを受け入れることのできる強さ。それをは持っている。
それが今のネスティにとって、どれほど大きな救いとなったか。
「……ありがとう、……」
その一言に全ての想いを込めて、ネスティはただ溢れ出る涙を拭った。