第 18 話
記憶の癒し手

 あかく、染まる。
 すべてが……すべてがあかく、染まっていく……


 真夜中。全ての者が眠りについている家の中を、足音と気配を殺して歩く人物が一人。
 その人は目的の部屋へ着くと、音を立てないように扉を開けて中へと身を滑り込ませた。
 室内には、みっつの気配。ひとつはベッドの中、ひとつはベッドの脇。もうひとつは、少し離れた位置にある椅子の上。
 そのどれからも、寝息が聞こえてくる。
 部屋へ入った人物――は、闇の中でも損なわれることのない黄金色の瞳で気配の主を確認し、近付いていく。
 椅子に座って眠っているアメルと、ベッドに頭を乗せて寝ているモーリンに、それぞれ持ってきた毛布をそっとかけた。
「二人とも、ご苦労様」
 癒しの力とストラと。持てる力の全てを使い切って眠っている二人へ、微笑みながら小さく囁く。
 ――と、その時。ひとつの寝息が途切れた。
「う……っ、あ……」
 小さな……苦しげな呻き声は、ベッドの上から。
 昼間、ローウェン砦での戦いで重傷を負ったシャムロックがこぼしたものだ。
「……い…………すま、な……」
 すまない、と。何度も謝っている。恐らくは、散っていった部下たちへの謝罪。
 はベッドの端に浅く腰を下ろすと、シャムロックの額にそっと指で触れた。
「あなたのせいじゃないわ。あなたは自分にできる最善を尽くしたはずよ。自分を責めることはないの」
 小声で語りかけながら、手の甲を彼の頬に滑らせた。
 傷のためか熱を持っている身体。多分、明かりの下で見たなら赤い顔をしているだろう。
 その彼の瞼が震え、光のない瞳が姿を現わした。
「あかい、いろ……まもれ、なかった……わ、わたしは……どうして……」
 力なく伸ばされた手は、恐らくの髪を掴もうとしたもの。今の彼にとって、一番見たくない色――全てを奪った色だから。
 はその手を取って握り、もう片方の手で彼の両目を覆った。
「あなたの記憶はあたしが預かるわ。夜が明けるまで。今は、その傷を癒すことが大事だから。今だけは、全てを忘れて眠りなさい。せめて……この傷を、背負えるようになるまでは……」
「…………――」
 唇が震え何か言葉を紡ごうとしたようだが結局形にはならず、やがて手から力が抜けて再び寝息が聞こえ出した。
 眠りに落ちたのを確認し――ふっと表情を曇らせた。
 握ったままの手を両手で包み、祈るように自らの額に当てて。
「ごめんなさい……あたしがもっと注意していれば、こんな怪我を負わせることはなかったのに……今のあたしには、こんなことしかできないけど……」
 呟き、そっと手を戻して布団を整える。それから枕元にあったタオルを一度水に浸してから絞って彼の額に静かに乗せた。
 最後にもう一度、悪夢にうなされたりしていないか寝顔を見て――はその頬に手の甲を当てて。
「おやすみなさい、シャムロック。今だけは、どうか良い夢を……」
 眠るその相手に願いをかけて微笑みかけ、来た時と同様に静かに部屋を後にした。

 来訪者が去ってしばらく。室内の闇に、小さく動く影。
「今のは……一体……?」
 驚き、呆然とした呟きは、誰の耳に届くこともなく、闇に溶けていった。


「バカかてめえは」
 ルウ宅の屋根の上。抱えた膝に顔を埋めて座るの前で仁王立ちし、バルレルは呆れを露に言い放った。
「自分のことだけで手一杯のくせして、何他人の重荷まで背負ってやがんだよ」
「馬鹿で結構よ。自分で決めたことだもの、最後までやり通すわ」
 昨晩と全く同じ状況。けれど、彼女自身の邪気はない。
 それでも放置できる状態じゃないのは、バルレルの目には明らかで。がしがしと頭を掻く。
「あのなぁ……てめえが決めたこと、やりたいことに口出す気なんざ、オレにはねェよ。確かにてめえのその体質だからこそできることだしな。けどよ、他人の重荷ばっか引き受けて、てめえ自身が潰れちまったら意味なんかねえんじゃねェのか?」
「平気よ。自分の限界くらい把握してるから」
「どこがだよ。見るからに限界寸前じゃねェか」
 膝を抱える手には、かなりの力が込められていて、小刻みに震えてさえいる。限界寸前は一目瞭然。現時点でこれなのに、自然浄化されるわけでもないものを、一体どれだけ抱え続けられるというのか。
「ったく……半分よこせ」
「……イヤ」
「意地張ってる場合じゃねェだろうが!」
 頑として拒絶を示すに苛立ちを覚えたバルレルは、実力行使に出た。
 力ずくで顔を上げさせ、その額に口付けて、彼女が抱えている邪気を無理矢理奪ったのだ。
 途端に力が抜ける身体。拍子抜けしたような顔で見つめてくるを睨みつけ、軽く頭突きをかます。
「痛い……」
「てめえがバカな意地張ってっからだ。ニンゲンの許容量なんて高が知れてんだよ」
 自分の力を過信するな、と。
 忠告のつもりで言ったはずが、何故かは悪戯っぽく笑って。
「どうしたの、バルレル? 随分親切じゃない。悪魔は優しくないんじゃなかったの?」
「うるせェよ」
 余裕綽々、からかいモード。
 完全にいつもの調子に戻っているの頬を、むにっとつねってから放り出す。
 少し喰いすぎたかもしれない。ほんの少し後悔しつつ、照れ隠しにそっぽを向いてつっけんどんに言い放った。
「てめえに暴走されたら、こっちが迷惑すんだよ」
 言ってから、傷に触れてしまったか――と。後の祭りとは重々承知でよぎった心配は、次の瞬間にはあっさり浄化した。
「まあ、それもそうよね」
 全くもって気にしていない風体で、がそう言ったから。
 一応確認のために目を向けてみたが、言葉の示すまま、邪気は欠片も出てはいなかった。
 一瞬の取り越し苦労に終わった安堵を表面に出すことはせず、背を向けて。
「わかったんなら、しばらく自粛しやがれ」
 そう言い残して、バルレルは下へ降り、家の中へと戻った。


 あかく、染まる。
 共に戦ってきた仲間であり、己が守るべき部下たちが。自らの流す血で、紅く染まる。
 配属された石造りの砦、守り通すべき国の防衛線が。散っていった部下の血と、召喚術、そして炎によって赤く染まる。
 あかく、染まる。
 目に映る全てのモノが、あかく染まる。それは――守り抜くことができなかった、己の罪の証。

 ――あなたのせいじゃないわ――

 不意に聞こえたやわらかな声に、けれど否と返した。
 自分の、せいだ。守らなければならなかったのに、守れなかった。その事実が、何よりも雄弁に己の罪を言い表している。
 背負わなければならない、罪。そして、受けなければならない、裁き。
 それら、全てを表わす色が――視界に満ちている。
 決して、逃れることなどできない。
 逃れることは、許されない。
 負わなければ、ならない……

 ――あなたの記憶はあたしが預かるわ。夜が明けるまで――

 再び、聞こえた声。また、否と――返したかった。返さねばならないと、思っていた。なのに。
 黄金色の光が、目の前に降ってきて。

 ――今だけは、全てを忘れて眠りなさい――

 まぶしくて、あたたかな光が、あかい世界を照らしていく。黄金色に、染めていく。
 負わねばならないと思っていた、全てのものが。光に溶けて消えていく。
 やがて、そこには何もなくなった。
 あるのは、深い安堵の気持ちだけ。
 まるで母の腕に抱かれている時のような……あたたかな想いに、包まれてしまっていた。
 重くなっていく瞼に逆らうこともできずに。
 いつしか、深い眠りに囚われていった……

「う……」
 夢の中と同じ、だけど違う、まぶしい光の中でシャムロックは目を覚ました。
 小さな呻き声を聞いてか、すぐ側にいた人物が振り返り、喜色をその顔に刻んだのを見た――刹那。
「おお、シャムロック! 心配させやがって!!」
「あつっ……!?」
 室内に躍った大声は、シャムロックの脳内にも遠慮なく響いて、反射的に頭を抱えた。それを見て、声を出した人物・フォルテを、赤と白で統一された不思議な衣服を身にまとった女性が窘めた。
 二人とは別の方向から、紫紺の髪の少女が心配そうに覗きこんでくる。
「大丈夫ですか、シャムロックさん?」
「ああ、大丈夫……ちょっと頭に響いただけだから」
 それより、ここは?
 身体を起こしながら訊いたことには、すぐに答えが返ってきた。
「ルウの家のベッドよ。気絶した貴方をみんなでここに運んできたの」
 浅黒い肌の女性が現状と経緯を。
「勝手だとは思ったけど、あの場所じゃ安心して休んでもらえないと思ったから」
 先程の紫紺の髪の少女が、その理由を。
「僕たちの疲労も相当のものだったからな。戦場に留まることは無理だったろう」
 そして眼鏡をかけた青年が自分たちの状況を説明した。
 その、『戦場』という言葉で、急速に思考回路が動き出した。
 思い出す――思い出した。ローウェン砦は、落とされたのだ。守れなかった。部下たちも――たった一人の少女によって、殺された。
 それでも一縷の望みをかけて生存者の存在を問い掛ける――が、沈黙が無情な現実を告げ知らせた。
 わかって、いたことではあるが。
 それでも、ショックは大きいものだ。辛いという言葉だけでは表わせない……複雑な、気持ち。
 だがそれを表面には出さずに、彼らに礼を言おうとしたのだが……何故かひどく焦ったフォルテにどつかれた挙句、彼が他の者たちを部屋から閉め出してしまった。
 そうして二人きりになった部屋で、彼の口から聞かされた真実。
「そういう、ことでしたか……」
 そう、言うことしか、できなかった。
 時間は無情に全てを変えていく。人も、環境も、想いも……不変なものなど、この世にはないのだと――思い知らされた気分だった。
 けれど、フォルテは言った。
「んなシケたツラすんなよ。オレはオレだ。オレとしては、現状に満足してるんだぜ?」
 昔と変わらぬ笑顔で。変わらないものだってある――と。
 変わっていくものの中にあっても、変わらずにいられるものも確かにあるんだと。
 その言葉は――笑顔は、少なからず今のシャムロックに勇気を与えてくれた。今がどんなに最悪に思える状況でも、前へ進んでいくことはできる、と。
 そう思った時――

 ――せめて……この傷を、背負えるようになるまでは……――

 不意に蘇ってきた言葉――声は、聞き覚えのあるもので。けれど、砦で聞いたものとは全く雰囲気の違うそれに、戸惑う。何故、とも思う。
「シャムロック? どうした?」
「……フォルテ様。あの赤い髪の少女はなんなのですか?」
「妙にルヴァイドの野郎と親しげに見えた――か?」
 そういう意味で聞いたのではないのだが、それも確かに気になることのひとつなのであえて否定はせずに続きを待った。
 フォルテは疲れた顔で溜息をつき、口を開く。
はな、オレらん中で唯一ルヴァイドと互角に戦えるヤツなんだよ」
「まさか……女性――しかもまだ少女と呼べる年齢なのではないのですか!?」
「あー、まあな。でも実際、おまえとルヴァイドとの間に割って入っただろうが」
 全力でぶつかり合っている者の間に入り、双方を止めるということは容易なことではない。
 ぶつかり合っている相手と同等以上の力と高い技術がなければ、下手をすると命すら落としかねない。
 それほどに危険な行為をいとも簡単にやってのけたは、それだけで充分にその実力を示していた。
「でな、本人曰く強い奴と戦うのが好きな戦闘狂なんだとよ。だからっつーか、ルヴァイドとの戦いはかなり楽しんでる節があるのは確かだ。その気持ちはわからんでもないが……オレよりは騎士であるおまえのほうがわかるんじゃねえか?」
「……ええ。わかります……わかりますが……」
「なんでかは知らんがルヴァイドのヤツな、自分からに名乗りをあげたくせに未だにあいつと本気では戦えてないらしい。それがには不満で、早く本気で相手してほしいみたいなんだよ」
「敵……ですよね?」
「ああ、敵だ。敵だからこそ、遠慮もなく戦り合えるのかもしれねえ。まあ、の感覚としては好敵手っぽいのも事実だが……けどな、あいつがオレらの仲間であることは確かだ」
 疲れたような、呆れたような表情が一変。真顔でフォルテは断言した。
はな、オレらを何よりも大切に想ってくれてるよ。オレらを守るために、どれだけ無茶したかしれねえ。あいつは、色んなものを背負ってるが故に、他人の痛みに敏感なヤツだ」
 少女に想いを馳せて目を閉じたフォルテの顔は、穏やかだった。
 その表情が、彼がどれだけを信頼しているかを、何よりも雄弁に語っていた。
「きっと、自分が傷付けられてきたからこそ、放っておけねえんだろうな」
 ……夢の、中で聞いたのは、確かにの声だと……今ならはっきりとわかる。はじめは、厳しい声やふざけた感じしか知らなかったから、気付けなかったけれど。
 あまりに穏やかで、優しくて、あたたかくて……そう、少女と呼べる年齢の出せる声にはとても思えなかったから。
 でも、その理由がわかった。
 深みのある声音は、即ち彼女が歩んできた人生の深み。は、同年代の少女たちよりもずっと険しい道を歩んできたのだろう。それでも尚、恨むことなく、歪むことなく、真っ直ぐに進んできた。
 その、強さの――表れ。
 そしてその強さに、きっとフォルテたちは救われてきたのだ。
 自分も……その一人。
「彼女に……いえ、フォルテ様方にも本来ならばお礼をしなければならないのですが、何分私には時間がありません」
「……シャムロック?」
「急いでトライドラに、砦の陥落を知らせに走らねばならないのです」
 怪訝な顔はすぐに驚愕へと変わった。
 言葉通り、ベッドから下りて鎧に手をかけたから。
「バ……ッ、無茶だ! まだ怪我完治したわけじゃねえんだぞ!?」
「わかっています。ですが、行かねばならないのです……っ。それが、生き残った私の果たすべき責務なのです!」
「だからってそんな身体で行くなんて、死に急ぐようなもんだろ!?」
「死にません!!」
 思わず張り上げてしまった声。たったそれだけで傷に響いた。
 顔をしかめても、それでも真っ直ぐにフォルテを見据えて。
「貴方様方に救っていただいたこの命、決して無駄にはいたしません! ですから……どうかご承知ください……っ」
 深く、頭を下げた。
 どうしても、引くわけにはいかなかった。
 死に急いでいるわけではなく、自分が自分として……矜持を持ってこれから先を生きていくために、逃げるわけにはいかない。
 生きるために、行くのだ――と。
「……わかった」
 その想いは、確かに伝わった。
「けど、オレらも行くぜ」
「え――ですが……」
「あいつらも、きっとそう言う。オレの仲間は、そういう奴らなんだよ」
 確信は、その笑顔にも表れている。
 まぶしいくらいの笑顔が、フォルテが歩んできた日々の証。
 それをもたらした、彼の仲間の下へと、シャムロックは一歩踏み出した。
 が与えてくれた、傷を抱え続ける勇気と共に……