ローウェン砦陥落を知らせるためにトライドラへ、何が何でも行くというシャムロックを送り届けようと、一行は騎士の街を目指した。
シャムロックの体調を考慮して休憩が多めとなったが、なるべく急いで進んだ。
やがて街道沿いに見えてきたその街。高い城壁に囲まれたその姿は、なるほど街自体が砦だということを素直に納得できる堂々たる風貌だった。
――ただし、それは外見だけ。
一歩中へと踏み込んだ途端に、はあからさまに顔をしかめた。
「どうした、?」
「……ねえ、フォルテ。ここって元からこうなの?」
見咎めたフォルテの問いに直接答えず、逆に問い返した。
今度はフォルテが怪訝な顔をして周囲へ目を向ける。
「こう、って……どうだ?」
わからなかったらしい彼への回答は、近くにいるバルレルを指差すことで示す。
ここからでも充分聞こえる彼の不満の声。
覇気がない。感情の起伏が感じられない。期待していた荒々しい雰囲気も殺気立った空気も、微塵もありはしない――と。
「確かに……元々、賑やかって言えるようなもんじゃなかったが、これは静か過ぎだな」
人影は、確かにある。騎士の街とはいっても、騎士だけが住んでいるわけではなく、街と呼ばれる以上、生活に必要な様々な職業の者、そして一般市民も存在している。
見える範囲にいる街人も、主にそういう一般市民。ただ他の街で見かけるような溌剌(はつらつ)さは全くなく、どこか人形を思わせる動きをしていた。――否。動き自体は普通だ。極普通に日々の生活を営んでいる。
ただ、そこにあるはずの『感情』が一切見られないから、人形のように思えるのだ。
そして、もうひとつの不審点。
の目に映る光景の矛盾。『見える』モノと『視える』モノの状況が、合致していなかった。
「お待たせしました。領主・リゴール様との謁見が適いそうです」
城へ報告へ行っていたシャムロックが戻り、彼の案内で城への道を進む。その間もずっとはふたつを見比べていたが、やはりどう考えても『普通』と定義付けられる状況には思えなかった。
そして、それは城の中においても同じだった。
人形のように表情がなく、こちらに無関心な兵士たち。その様子に対して異常を感じたのはレナード。
もうひとつの、が感じている異常を、同じく感じ取っている者が一人。
「何やら、胸騒ぎがして仕方がないのです。上手く言えませんが……そこかしこから悪意のようなものを感じるというか……」
巫女故の感覚なのだろう。カイナの言葉に、は心の中で同意する。
この状況、覚えがある。――そう、スルゼン砦の時と酷く似ている気がするのだ。だが、あの時とは全く別でもある。
どちらにしろ、何かが確実に起こる気がした。
それまで、もてばいいが――と。が長く息を吐き出した時、近衛楽隊のファンファーレが領主の来場を告げた。
ややあって現われた、貫禄のある男性。彼だけは他の者と違い普通に表情があった。
けれど――は眉をひそめる。
どうして、こんなことになっているのか……嫌な予感が膨らんでいく。一番人間らしい彼が、最も大きな異変を持っていた。
の目には、はっきりと映る。玉座に座る領主の周囲にまとわりつくように発生し、床を伝って流れてくる濃い黒靄が。
「……っ」
息が、詰まる。スルゼン砦の時以上だ、コレは……こんな状況では、バルレルに頼ることもできない。
早めに何か手を打たなければマズイ、と。そう思った時、領主の狂った笑い声が響き、そして玉座の陰から新たな人影が現われた。
「てめぇ……一体、何者だ!?」
「ワタクシはキュラー。貴公たちのことは同輩より耳にしております」
スルゼン砦でガレアノを倒し、ローウェン砦ではビーニャを退けたご活躍とのこと。
その言葉が、一行の中にあったひとつの可能性を完全に肯定した。即ち、このキュラーとガレアノ、ビーニャは間違いなくデグレアの手先である、と。
「仰せの通りで。しかし、ワタクシはあの二人より些か勤勉でしてな。貴公らがおいでになる前に、命じられた仕事を終えております。ほら……」
すい、と。領主に向かって手を伸ばしたキュラー。途端に領主は苦しみ出し――黒靄が彼の内へ吸い込まれた。
「ククク……さあ、解放なさいませ、貴方の黒き衝動を……いざや、鬼へと変じませいっ!!」
キュラーの言葉に従ったかの如く、領主の体が歪んで変色した。
褐色の肌。剥き出しの眼と歯茎。長く変形した耳と――額に生えた二本の角のような突起。
衣服と頭髪以外にそれまでの面影がほとんどなくなったその姿は――正に、鬼。
「鬼神憑依……貴方、この方に邪鬼を憑かせましたね!」
「クククク……いかにもいかにも。ワタクシは鬼神使いでして。人の心は脆いもの。トライドラに住む者のことごとくが、ワタクシがきっかけを与えるだけで簡単に鬼へと変じましたよ」
――ああ、だからか……この街の人々が人形のように思えたのも、その割に不釣合いな邪気を発していたのも……全ては憑かれた邪鬼のせい……
は、妙に納得した想いでキュラーの言葉を聞いた。
納得……そう、納得だ。お陰で、物凄く嫌なものを見た気分にもなってしまった。
「しゃアァァむろオぉぉぉっク!!」
――ドスン、と。重々しい音を立てて、領主が一歩踏み出してきた。
剥き出しの眼に歪んだ狂気を映し出し、ただシャムロックだけを見据えて。
「欲しイ、欲シいぞォ! 貴様の肉がァ、血ガぁ、魂がアァァァァッ!!」
ひび割れた声で、咆哮のように歪んだ欲望を叫ぶ。
ドスン、と。また一歩。
「あ、ああ……っ」
動かないシャムロックへ、領主は真っ直ぐに手を伸ばす。
まだ大分距離のある中でのその行動は、物理的な目的のものではない。
「嘘だ……」
うわ言のよう呟くシャムロックの周囲に、黒靄が集まる。
――ダメだ……
伸ばされた領主の手からも、黒靄がシャムロックへ向けて伸びてくる。
「嘘だぁっ!!」
頭を抱えて、力の限りシャムロックが叫んだ。その瞬間に周囲に取り巻いていたのも、領主から放たれたのも、全てシャムロックの中へと吸い込まれてしまった。
――ダメだ、このままでは……!
「シャムロック!!」
つらいとか弱音を吐いている場合ではない。
は覚悟を決めて、シャムロックの頭を腕に抱え込んだ。
「何も見ないで。何も考えないで。ただ、あたしの言葉だけを聞きなさい」
「――っ」
「、何を――!?」
「この人は! あたしが絶対に鬼になんかさせない!!」
行動にか、それともシャムロックへ囁いた言葉にか。批難を含んだフォルテの問い掛けに、真っ直ぐに彼を見つめて言い放った。
乱れそうになる呼吸を何とか抑えて、仲間たちを見る。
「だから、お願い……時間を、ちょうだい……っ」
時間が、どうしても必要だった。
シャムロックの中に入り込んでしまった大量の邪気を取り除くには。
放置すれば、必ず彼は鬼になってしまう。それだけの量を、抱え込んでしまったから。
だから――その間無防備になる自分たちを、守って欲しい。
「……絶対、だな?」
「ええ。絶対、よ」
「わかった……」
その願いは、言葉にはならなかったけれど、正しく伝わってくれた。
「シャムロックはお前に任せたぜ!!」
フォルテはこちらに背を向け、襲ってきた鬼に変じた兵士たちとの戦いへ、真っ先に向かった。
彼に続いて他の仲間たちも、とシャムロックを中心にして円陣を組み、兵士たちを迎え撃つ態勢に入る。
満足に説明も出来ないのに、わがままとしかいえない願いを聞き入れてくれた彼らにただただ感謝して、は己の役目を果たすべく意識を集中させた。
(嘘だ……)
目の前で、異形へと変わり果てた領主。人が鬼になるなど、有り得ないと思った。
だが、かつての荘厳さは欠片もなく、ただ狂気を表わすその姿は、間違いなく鬼であった。
(嘘だ)
己が彼に仕えていたのは、決して形だけではない。その心の在り方に……強さに憧れ、そして尊敬していたから。
だから、信じられなかった。鬼に憑かれるほどに心に隙を作ってしまったということが。
尊敬し、仕えていた領主が。共に戦い、苦難を乗り越えてきた同僚たちが。
その、心に……鬼を受け入れてしまったということが。
(嘘だッ!!)
信じたく、なかった。
だって、信じてしまえば――
ヒトリ、ノコサレタジブンハ、ドウスレバイイ……?
――簡単なことだ。おまえもこっちに来ればいい――
(……リゴール様?)
不意に聞こえた領主の声は、すんなりと心に染み込んだ。
――大いなる力を受け入れよ。さすれば、全ての柵(しがらみ)から解放されよう――
その声は、甘美に響き、魅惑的な音で心を捕らえた。
そして、すぐにわかった。領主の言う大いなる力が、すぐ手の届く場所にあることが。
それを手にすれば……
(私も、皆の許へ行ける?)
考え付いたことに、領主の声が肯定するように笑った。
そうだ、と。待っている、と。誘(いざな)う声。
誘われるままに力へと向かいかけた――刹那。
「何も見ないで。何も考えないで。ただ、あたしの言葉だけを聞きなさい」
静かな、けれど凛とした声が聞こえ、全ての感覚が閉ざされてしまった。
それまであった領主の声も聞こえず、すぐ傍らに感じていた大きな力も消え、真っ暗な空間に一人放り出されてしまったようだった。
シャムロックは途端に行き場を失い、不安に駆られた。
「あなたは誰? 何をしているの?」
先程の声が、静かに問うた。
「わ、たし、は……私の名は、シャムロック……騎士として、この国を、守ってい……た……」
絞り出すような声で返した答え。過去形になってしまったのは――思い出したからだ。自分が守っていた砦が落とされてしまったことを。部下を……死なせてしまった、ことを。
「シャムロック。騎士として歩んできたのね」
「は、はい……ですが……」
「じゃあ、どうして騎士になろうと思ったの?」
どこまでも静かな声。静かな問い掛け。それは、不安に揺らぐ心をゆっくりと鎮め、深く沈んでいた記憶を呼び起こした。
騎士の家に生まれた長子として、騎士になるよう育てられた。
始まりは強制的。けれど、騎士に対して憧れを抱き、目指した心は紛れもなく自分のものだ。
その、理由は……
「守り、たいと……思った、から……家族を、友人を……この街に暮らす、人々を……」
小さな世界だった。小さな世界を、守りたかった。
けれど出会いが変化を生んだ。
もっと大きなものを守りたいと思うようになっていった。
「そう……頑張ったのね。頑張って、それを果たしてきた。でも、それだけ?」
「――え……?」
「大切なものを守りたいという想いは、とても大切だわ。でも、あなたが頑張ってこれたのは本当にその想いだけなの? 他に、どうしても叶えたい願いはなかったの?」
(どうしても、叶えたい願い……)
そう、出会ってしまった。大きなものを守りたいと思った、きっかけ、その理由に……
「ある……そうだ、私は約束を守りたい……あの日、交わした約束を守るために、努力してきたのだ……あの方を……私の姫を迎えに行く……それに相応しい自分になるために……」
幼き日、ただ一夏の思い出。
けれどそれが、今の自分を支え、形作ってきたもの。
「もう、大丈夫ね。あなたはちゃんと、自分が為すべきこと、進むべき道を知っているもの」
静かだった声が、優しく笑って言った。
「さあ、目を開けなさい」
声に促され目を開けると、すぐそこで大きな黄金の瞳が笑っていた。
「あなたには叶えたい願いがある。前へ進む理由がある。ならば、現実を拒んではいけないわ」
「……はい。わかって、います」
力強く返すと、黄金の瞳の少女は笑って、こつんと一度額を合わせてきた。
それから、シャムロックの両頬に当てていた手を放して、一歩下がり、真正面から見据えて。
「行きなさい。現実を受け入れるために。そして、その先へ進むために」
優しく、けれど厳しく。
まるで母親のような笑みを見せて言った少女へ、シャムロックはもう一度頷いた。
「――はい!」
決意を新たにし、そして戦場へと踏み出した。
――己が道を進みゆくために。
「……はっ……っ」
シャムロックを見送ったは、乱れる呼吸を戻そうと努力していた。
体が重い。でも幸い、今は解消するのは容易だ。
槍を握る手に力を込め、炎をまとわせる。途端に、スーッ、と軽くなる体。そして整う呼吸。
玉座の横で一人傍観を決め込んでいるキュラーを睨み、は床を蹴る。段を駆け登り、一気に接近。槍を突き出した。
――ギィンッ、と。刀で逸らされ、そして弾かれる。着地、間合い。
キュラーは驚いた様子もなく目を細め、心持楽しげに――嬉しげに見つめてくる。
「……何を笑っているの?」
「いえ、美しいと思っただけです」
いきなり何を言い出すのか、この変態は。
「やはり貴女には、炎の赤が最もよく似合いますね」
「あなたなんかにそんなこと言われても嬉しくなんかないんだけど」
「それは非常に残念です。ですが、いくら貴女が否定しようとも、貴女の魂は炎にあってこそ最も美しく輝くのです」
ビーニャといい、キュラーといい、一体彼らは自分の何を知っているというのだろうか。
は非常に不快になり、思い切りしかめっ面でキュラーを睨みつけた。それでもキュラーは余裕の表情を崩すことはなく。
「それが、事実なのです」
を――その、先を、見つめて。
「 様」
唇の動きだけで、何かを――知らぬ名を呼んだ、気がした。
ふわり、と。何かが体を包んだような感覚。
懐かしいとも不快ともいえない奇妙なそれに、怪訝に目を細める。
「どうやら、戯れはここまでのようですね」
キュラーの言葉で我に返り背後を振り返れば、戦闘は丁度終了したところだった。
「キュラー! 今すぐ領主様たちを元に戻しなさい!!」
「無駄よ、トリス」
トリスの言葉を否定すると、キュラーが意外そうな眼差しを向けてきた。
は槍を力強く握り締め、睨みつける。
「鬼に憑かれた者は、時と共にその魂を食われていくのよ……つまり、彼はもう領主の抜け殻なの。元には、戻せない……絶対に」
だからこそ、シャムロックに鬼が憑かないようにしなければならなかった。一度でも憑かれてしまえば……例え戻せても、その魂に受けた傷は決して癒せはしないから。
そのことを、よく……知って、いたから。
「そんな……」
絶望の色を濃く映したアメルの呟き。
元に戻すことができると、信じていたのだろう。信じて、戦っていた。それ故に、その事実はより大きな絶望をもたらしたのだ。
それは、この事実を知っていたとカイナ以外の心を代弁したものだった。
けれど、もう一人。
「ならば、せめて……」
激しい怒りを孕んだ呟きは、今回最も深い傷を負いながらも、によって完全に邪気を取り除かれ立ち直っているシャムロックのもの。
「貴様だけは! このような非道をした貴様だけは、倒す!!」
剣を強く握り締め、真っ直ぐにキュラーへと向かうシャムロック。
「――ダメっ!!」
直感的に何かを感じ、自分の横を通り抜けようとした彼を引き戻して逆に前へと出る。そして槍を垂直に立て、炎を壁のように増や――
――ドオォンッ!
「――っ!!」
「……ぐっ!?」
炎の壁が出来上がるのが先か、それとも相手が先だったのか。召喚術と思われる魔力の直撃は免れたものの、衝撃によってシャムロック共々その場から吹き飛ばされてしまった。
「シャムロック!?」
「ぁ!?」
宙で体を捻り身軽に着地したとは違い、重い鎧を身につけていたシャムロックは段の下で倒れてしまった。……まあ、流石に受身は取ったようだが。
の立ち位置も、玉座から随分離され仲間たちの近くになってしまっている。
その、段下から。見上げた玉座付近には、キュラーの他に見覚えのある人影が。
「いつまで遊んでるつもりだ、キュラーよ」
「てめえは、ガレアノ!」
レナードが憎々しげに叫んだ通り、そこにいたのはスルゼン砦で死んだと思われていた屍人使い・ガレアノ。
横手から召喚術で、とシャムロックを吹き飛ばしてくれた張本人。
「ルヴァイドのヤツがお呼びだ。さっさと戻らねば、あの御方に迷惑がかかる。再会を楽しむのはそのくらいにしておけ。そのうち、心行くまでできるだろうさ」
スッ、と。ガレアノの目が、の姿を捉えた。
その眼差しに、その言葉に。こいつもか、と。は思った。
「……そうですね。今は貴公とワタクシが忠実な兵士へと作り替えた、トライドラの者たちを連れて行くのが先決でしょうな」
「カカカカッ! 鬼と屍人からなる悪夢の軍隊をなァ!?」
「テメエらァァァっ!!」
フォルテの怒りが二人の外道へと向かった。
だが二人は彼が自分たちの前へ着くよりも早く身を翻し、不快な笑い声だけを残して去ってしまった。
残されたのは聖女一行と、倒した鬼に憑かれた兵士たち。
またしても、やられてしまったという苦い思いが満ちていた、その只中。
――ゴンッ。
重苦しい雰囲気を砕くような、鈍い音が響く。二度、三度と、立て続けに。
苛立ちを表すように徐々に感覚の短くなるそれは、が槍の石突部分で床を突いている音だ。
「、……?」
近くにいたトリスが恐る恐る声を掛けてきたが、的には構っている余裕はなかった。
とにもかくにも――
「腹が立つムカつくスッキリしない。やっぱりルヴァイドよね、今度戦う時は問答無用でぶっ倒してくれるわ。待ってやがれこんちくしょうめが」
低く小さく呟く言葉は、半分は八つ当たりだった。
思い切り戦えないのも確かにスッキリしないのだが、それよりもあのキュラーたちの態度が気に食わない。
色々理由はあれども、とにかく気分が悪かったのだ。
「あとであたいが稽古相手になるからさ、とりあえず落ち着きなよ」
「ありがとー♪ 姐さん大好きー♪」
手に負えないと思ったのか近付けない面々の中、唯一声を掛けてきたモーリンに苛立ちモードを切り替えて抱きついた。
その変わり身の早さに、今度は呆れた雰囲気が支配した。
そこへ――ごそり、と。何かが動く音。そして。
「しャむ……ろク、よ……」
ひび割れた、呼び声。
「領主様!?」
「すマ……ぬ……わシわ、ワしは……」
駆け寄るシャムロックへ、正気を取り戻したらしい領主の言葉が紡がれる。
震えながら力なく持ち上げられた手を、シャムロックはしっかりと両手で握った。
「しっかりなさいませ! リゴール様っ!?」
体は鬼へと変わったまま。けれど、その瞳には確かに理性の色が戻っていた。
――ああ、なんて残酷なのだろう。正気を失ったまま果てていたほうが、彼にとっては幸せだったろうに。
「あなたの力で何とか元に戻してやれないの、カイナ!?」
「もう、手遅れです。ここまで鬼に侵食されてしまっていては、命を絶つより他にこの方を救う方法はないのです……!」
もう少し早かったなら、邪鬼だけを祓い人間に戻せた。その力があったが故に、時間という壁に阻まれた現実に、唇を噛み締めるしかないカイナ。
そして。
「下手に癒したところでそれは、憑いているモノを蘇らせることにもなってしまう。わかって、アメル」
「ルウ、さぁん……」
その体を、その心を。癒す力があるのに、本当の意味で救うことはできない。聖女と呼ばれても何もできない己の無力さを、ただ突きつけられたアメル。
助からないと、断言されたほうも、したほうも、ただつらい。
だから、だからこそ残酷だと思った。
――でも。
「アメル。癒す以外にもできることは、まだあるよ」
「、さん……?」
アメルの手を祈るような形に組ませ、それを自分の両手で包み込み、は小さく微笑みを向ける。
「祈って、あげましょう? 迷いなく新たな世界に生まれ変われるように。次の生では、自由に生きていけるように」
例えそれが、生きている者の自己満足だとしても。慰めを、得られるのならば。前へ、進めるのならば。
「……はい」
悲しげに、それでも頷くアメルに倣うように、トリスを始めとする女性陣も静かに手を組んで領主とシャムロックを見守った。
シャムロックは、己の剣を領主の胸の上で逆手に持つ。
「……リゴール様……お許しくださいっ!!」
ぎゅっ、と。目を閉じて、真っ直ぐに剣を突き刺したシャムロック。
肉を裂く嫌な音と、断末魔の叫び。そして――
「しャむ、ロ……感謝……する……ぞ……っ」
恨み言を口にすることなく逝った領主の顔は、鬼に侵されているとは思えない程に安らかだった。
やりきれない思いを抱えつつ、は一枚の紙を取り出す。
「灼熱の炎に仮初の生命を宿せしものよ……」
そうして、スルゼン砦の時と同じ言霊を、紡いだ。
が出現させた焔鳥によって骨も残さず火葬される兵たちを見送った後、皆は無言のまま城を後にした。
誰もが皆、苦い思いを抱えて町を歩いていた。
街中には、人影は全くなくなっていた。キュラーが言っていた通り、一人残らず連れて行かれてしまったのだろう。
静かな街並みは、余計につらい思いを増長させた。
そのまま城門前まで来た時、シャムロックは足を止めた。外へ向いていた体を、町のほうへ向けて剣を抜き放ち、高く掲げる。
「今、この時より、私はこの剣に賭けて誓います……っ」
一同が見守る中、シャムロックははっきりと宣言する。
「無残に散った兵たちのために、守ることすらできなかったこの街の人々のために……トライドラ最後の騎士として、デグレアと戦い続けると!!」
力強く絶望から立ち上がったその背を、それぞれの想いを抱えて、一向は見つめていた。