第 21 話
在るべき理由

「ほら、みんな。ファナンの街が見えてきたよっ」
 ミニスの明るい声が、目的地の存在を告げる。
 壁のように右手にあった岩山が切れ、水平線と浜辺の街が眼下に見えた。
 今まで戦場や森の中といった、どこか暗い印象の場所が続いていたからか、真っ青に広がる海と鼻をくすぐる潮の香りが凄く新鮮に、そして懐かしく感じた。
 自然と軽くなる足取り。そのまま戻ってきたファナンの街中は、何故かそこかしこに飾り付けがさなれ、賑やかな様相になっていて。
 何事だろう、と。誰ともなしに小首を傾げた時。
「……あーっ!?」
 モーリンが急に大声を上げた。
「なによ、モーリン。いきなり大声出して」
「どうかしたの?」
「すっかり忘れてたよ。そういや、もうすぐ豊漁祭だったんだ」
 不覚――と。ありありと伝わる様相で独り言のように言った彼女の言葉に、カイナがきょとんと聞き返す。
「お祭り、ですか?」
「ああ、そうだよ。漁師たちが海の恵みを感謝する祭りさ。夕暮れから夜遅くまで、街いっぱいに灯りをともして騒ぐんだ」
「街の祭りってのは、随分と大掛かりなんだな」
 己の知るものと違うのだろう。カイナの不思議そうな確認を、モーリンは得意げに笑って説明した。
 漁師の祭りということは、古くからファナンに伝わってきたものなのだろう。祭りのことを話すモーリンの顔は、得意げというより誇らしげといったほうが正しいかもしれない。
 地元民のそんな様子を気にした風もなく、カイナとはまた別の角度から、自分の知る祭りとの違いの感想をこぼしたリューグ。
「お祭り……ねえ……」
 そしてまた、もっと別の意味で言葉を洩らしたのはだ。
 その呟きをどう受け取ったのか、近くにいたミニスが上目遣いに覗き込んできて。
「ねえ、はお祭り行ったことってあるの?」
「あることはあるけど、あまりじっくり楽しんだことはないわね」
「え、なんで?」
「……人込み、避けてたから」
「何それ?」
って、ひょっとして人酔いするタイプ?」
 ミニスとの会話のはずが、横からマグナが加わってきた。よくよく見れば、他の者もこちらに注目してきていて――どうしたものか、と。そう思った時。
「例の体質があるからじゃないのか?」
 ネスティが助け舟を出してくれた。――が。
「いえ、お祭りというものは、本来、神を『祀る』神聖な儀式のことです。モーリンさんが仰ったように地域や……世界によって形は様々ですが、基本は感謝を捧げるものですので、邪気――つまり、負の感情に触れる機会は多くはないと思いますが……」
 助け舟、カイナにより撃沈。
 疑問を訴えてくる瞳が更に増えてしまった。
「ねえ、『体質』とかって、何のこと?」
 他とは違う疑問を投げかけてきたのは、昨夜のお休み組代表・ミニス。
「わかりやすく言うとね、怒ってたり不安だったり不機嫌だったりっていうイヤ~な気持ちが、あたしの側にいるといつの間にかなくなっちゃうってことなのよ」
「それが『体質』ってことなの?」
「そういうことね」
「それで、どうしてお祭りダメってことになるの?」
「う~ん……と、ねえ~……」
 別に隠したいわけではない。ただ、多分言ったら気にしてしまうだろうから。そう思うと、どうしても口が重くなってしまうのだが……
 今更か、と。溜息をひとつついてから、口を開いた。
「人込みって、動きも注意も制限されちゃうからね。すれ違いざまに刃物が埋め込まれてたこと、一度や二度じゃないもの」
「あ……」
 幼い頃は、その家系柄、祭りは遊びに行くものではなくて、滞りなく行なうために様々な手伝いをさせられていた。最も、人前に出るようなことはなかったが。
 家を出てからは、暗殺者に常に狙われていたから。単独でいること以上に、人込みを移動するのは要注意。一人なら、近づく全てを警戒できるが、人込みはそれができないから。
 祭りに限らず、ショッピングモールや乗り物もできるだけ避けていたのだ。
 以前話した、名も無き世界で置かれていた現状を思い出してくれたらしい者たちの表情が曇る。
 案の定なその反応を変えようと、が口を開きかけた――刹那。
「でもさ、今はそんな心配ないわけだし。ゆっくり楽しめるってことだよな?」
「え……ええ……そうね……」
 言おうとしていたことをマグナに先に言われ、少々面食らいながら頷く。すると、マグナはにぱっと笑みを咲かせた。
「じゃあ、お祭り行けるようなら、俺、と回りたい!!」
「あ――!! まぐにぃ、ずるい!! あたしだってと一緒がいい!!」
「マグナさんもトリスさんも、抜け駆けはダメですよ?」
「そうよそうよ! 私だって、とお祭り見て回りたいんだから!!」
 嬉々としたマグナの言葉に、トリス、アメル、ミニスと次々に反応し、一気に賑やかになった。
 返事をするにできずにいるの耳には、抑えた笑い声が届いて。
「嬢ちゃん、大人気だな」
「……そうですね。この世界だと、何故か人に好かれるみたいです」
「ん? 向こうじゃ友達いなかったのか?」
「悪目立ちしかしませんでしたし……作らないようにしてましたから」
「あー……そりゃ、そうか……」
 刑事という職業故か、先に得た情報から推測してくれるので、としてはレナードと話すのは楽でよかった。その上、あまり深刻に受け返さないし。
「こっちこれてよかったな?」
「ええ、全くです」
 冗談めかして向けられた本気の言葉に、同じように返す。
 見上げた先で目が合い、どちらからともなく笑い出して。
 穏やかな雰囲気をまとったまま、懐かしささえ感じるモーリン宅へと辿り着いた。

さん!」
「はーいー?」
 モーリン宅の廊下を歩いていたは、背後から呼びかけられてゆるりと振り返った。
 いたのは、鎧を身に着けたままのシャムロック。……まあ、到着してからそんなに時間は経っていないし、これからきっとファミィないし領主あたりに会いに行くのだろうから、当然ではあるか。
 しかし、そんな時に自分に一体何の用だろう――と。小首を傾げる。
「何か用?」
「あ、はい。あの、お礼を……きちんと、言えてませんでしたから……」
「お礼、って……」
「トライドラでのことです。鬼に憑かれそうになった私を、救ってくださったのでしょう?」
 ああ、そのことか――と。得心がいった。
 問いの形なのは、はっきりと覚えていないためだろう。それでも、いくらか残る記憶と昨夜の昔語りから推測したことが、真実なのか確かめるため。
 答えを待っている姿に、は溜息をついた。
「……あなたが、自分で選んだのよ。偽りの力を受け楽になるよりも、苦しくても自らの夢のために自分の力で生き抜く道を」
 確かには、その体質によって彼の内から邪気を取り除いた。けれど、できたのはそれだけだ。いくら邪気を取り除いても、彼自身が誘惑に負け鬼を受け入れることを選んでしまっては、どうすることもできなかった。
 は、ただ悪い方向へと進んでしまう確率を下げただけ。
 あの時、フォルテに絶対鬼にさせないなどと偉そうなことを言ってしまったが、結局己にできるのはその程度のことだけなのだ。
 だから、あれはの力というよりも、シャムロック自身の強さが鬼に打ち勝っただけのこと。
 ――けれど。
「ですが、私がその道を選ぶことができたのは、貴女がそれを思い出させてくださったからです」
 シャムロックは、引かない。
 こちらの言い分を認め、受け入れて尚、それでも礼を言えるだけのことをしてくれたのだ――と。
「貴女のお陰で私は、自分を失わずに済みました。本当に、ありがとうございました」
 それは……その言葉は、小さな期待を生んだ。
 己も、誰かの救いとなれたのだろうか、と。『禍巫女』とされた、ただ奪うことしかできないこの力で、それでも誰かを守れたのだろうか――と。
 そうだとするなら、すごく嬉しい……の、だけれども。
 ふっ、と。は口許に笑みをはいた。
「ねえ、シャムロックさん。あの時のあの状況、ちゃんとわかってて言ってるの?」
「え……ですから、鬼から私を遠ざけてくださったんですよね?」
 伝えた礼を受け取るでもなく問い返され、シャムロックはきょとんと聞き返してきた。
 は笑顔のまま、上目遣いに彼へと近づく。
「夕べのあたしの話、聞いてたから方法は知ってるわよね?」
「あ、はい。確か、相手に触れている状態が良い――とか……」
「そう。その触れる部分っていうのは、なるべく素肌の場所が好ましいの。こんな鎧の上からじゃ、触れないのと同じなのよね」
「はあ……」
 コンコン、と。鎧を軽く叩きながら説明するを、まだ理解できていない風体で見てくるシャムロック。
 それでいい。そうでなくては――面白くない。
「えーと……つまり?」
「つまり――こういうこと♪」
 素早く両手を伸ばし、あの時より強引に、いつぞやのリューグと同じ状態にする。
 硬直、十秒。
「――なっ、何をッ!?」
 やっと状況把握が済み動き出した彼の頭を、ぱっと放す。距離をとって見下ろしてくる精悍な顔は、見事に真っ赤に染まっていて――うん、やはりこうでなくては。
「清廉な騎士さまは、女性が苦手……ね?」
 くすくすと笑いながら揶揄すると、彼は金魚のように口をぱくつかせ、ようやくといった体で声を出してきた。
「かっ、からかわないで、ください……っ」
「あら、だって、その反応が見たかったのよ」
「な、なん……」
「人をからかう醍醐味は、普段なら絶対見れないような可愛い反応が見れることじゃない。鬼に憑かれちゃったら、そんなのなくなっちゃうからね」
 それが助けた理由だ――と。かなり遠まわしな言い方に気付いたらしいシャムロックの表情は、赤みが消えていつもの状態へと戻った。
 それでもまだ、言葉が出ないでいる彼へと、追い討ちのように言ったのは。
「だから、あたしにお礼なんて、言うだけ無駄だよ」
 彼が伝えてきた感謝の気持ちを、拒否するモノ。
 軽く目を瞠って見つめてくる灰茶の瞳にもう一度笑って見せてから、踵を返して歩き出す。少し進んで追ってくる気配がないのを確かめて、くるっと振り返った。
「あ、あの方法はホントのことだからね♪」
 ちょいちょいと己の胸を指差して言えば、再びシャムロックの顔は朱に染まって。
「――っ、さん!!」
「あはははっ♪ じゃあね~♪」
 怒声にも似た叫びを背に、は街へと向かっていったのだった。


「やられたな、シャムロック?」
「フォルテさま……」
 思いがけず掛けられたよく知る声。うっかり以前のように呼んでしまい、声を掛けてきた人物・フォルテの眉間に皺が刻まれた。
「その呼び方すんなって言っただろーが」
「あ、すみません……」
 素直に謝罪を口にしても消えない気まずさ。それは、今の失態のことよりも、むしろ――
「見て、いらしたのですか?」
「おうよ。いや~、実にうらやましいことだぜ♪」
 ……案の定。先程のとの遣り取りを見られていたためのものだ。
 絶対にからかわれる、と。そうわかりきっていたから。
「お願いですから、貴方までからかわないでください……」
「これがからかわずにいられるかって。おまえのそんな顔見れるの、滅多にねえだろ!」
 ばんばん背中を叩かれ、顔を覗きこまれる。付き合いが長い分、遠慮がないこちらのほうが、ある意味性質が悪い気がする。
 とはいえ、彼には言うだけ無駄であることも事実。そして、先程のの言葉が本当ならば、取り乱せば取り乱した分だけ相手を喜ばせてしまう。
 大きく深呼吸をして、シャムロックは無理矢理心を落ち着かせ、動揺を押し込めた。
 そうして、注意を逸らすためにも、気になっていたことを口にする。
「フォルテさん……彼女は……先程のあれは、照れ隠しの行動なんかじゃありませんでしたよね?」
 感謝の言葉を伝えた時、彼女の顔は嬉しそうな、期待を含んだような、そんな表情になった。けれどそれは一瞬で、はっきりとその顔に刻まれた笑みは、悪戯を企む子供のそれだった。
 からかわれたとわかった時には照れ隠しなのかとも思ったのだが……何かが引っかかるのだ。
 そんな単純なものではない。あれは、そんなに簡単なものではなく、もっと深い何か――それは。
「彼女は、自分の能力を……自分自身を、まだ許せないでいるのですか?」
 感謝の言葉を受け取らないのは、そう言われる資格がないと思っているからだろうか。
 幼い頃から存在を蔑まれ、否定され、その否定された存在の示すままに最も大切な者を殺めてしまった自分自身を――許すことが、できないままでいるからなのだろうか。
「……あの話を聞いた後じゃ、そうとしか思えないわな」
 気になっていた先程のの言動。口にしてしまえば深刻にならざるを得ない、真面目な話題。
 流石のフォルテも、からかうのはやめて真顔で答えてくれた。
「その気持ちは、オレにも多少はわかるさ。おまえだってそうだろ?」
「……はい」
 自由を選ぶことで、己が負うべき責務をすべて妹へと押し付ける形になってしまったフォルテ。守るべき部下を、任地を、故郷を守りきれなかったシャムロック。
 どちらも自分自身の配慮が、また力が足りなかったがために、何かを犠牲とし、失ってしまった経験がある。
 だから、わかるのだ。己を許せないという、その気持ちは。
 特にシャムロックは、つい先日のことだから……
「前へ、進むことを……最後まで戦い続ける覚悟を決めました。それは私の騎士としての誇りからのことですが……やはり、己の無力さを責めずにはいられません。己を許せないからこそ、償いのために戦い続ける……そういう思いがあることも、確かに事実なんです」
「シャムロック……」
「今のままでは、あの方の許へなど……行けるはずもありませんしね」
 幼き日の思い出、あの時交わした約束と現状とを比べ、ふっと苦笑を浮かべた。
 約束を守るために今まで努力してきたはずなのに、一気に実現が遠のいてしまった気がしてならないのだ。あまりに不甲斐ない自分……笑わずには、いられない。
 ――と、不意に背を叩かれた。
 先程のからかうためのものではないそれに顔を上げると、同じように苦笑を浮かべたフォルテの顔がこちらを向いていて。
「おまえが諦めなけりゃ、必ず叶うさ。あいつは、ずっとそれを信じてるぜ?」
 かけられた慰めの言葉は、約束のことを、約束を交わした相手の心を知るが故のもの。
 それが何よりも、今のシャムロックには力となって――
「――……はい……っ」
 力強く、頷くことができた。
 今はまだ、償いのため。けれどいつか必ず、自分の夢を叶えるために変えていこう――と。決意を新たにして。
 そして思った、の存在。
さんも、いつか自分を許せる時が来るのでしょうか?」
 今の自分が、フォルテの力を借りて希望を抱けたように。
「そりゃあ、あれだろ? 償いでもなく、誰かのためでもなく、自分のために生きれる何かを見つけられた時なんじゃねえのか?」
 彼女にも、その時が来てほしい、と。そう願いながら。
「そう、ですね……その日が、近付くといいですね」
「ああ……そうだな」
 の去った先を見つめ、二人は静かに頷き合った。


 街へ出て、武器屋で愛用の槍を前回同様、穂先だけ新調した後、は目的もなくその辺を歩いていた。
 別に街を見ているわけでも、人を観察しているわけでもない。
 強いて言えば、考え事をしていたから。歩きながらのほうがいいという理由ではなく、向こうにいた五年間で見についてしまった癖だった。――即ち、自分を狙う者たちに照準を定めさせないため。
 考え事をしていると、どうしても周囲への警戒が疎かになってしまう。一ヶ所に留まっていてはあからさまに隙だらけだが、ある程度動いていれば相手にとってはやりにくいものだから。
 隙を隠し、身を守るための癖。それが出ている今、には周囲の状況はほとんど見えていなかった。
 だから。
「おや、あの時のお嬢さんではないですか?」
 そんな声に呼び止められた時は、本当に驚いたのだ。ビクッ、と肩を震わせ勢いよく振り返った――自分のその反応にも驚く。
 以前なら、こんなことはなかった。考え事中に知人に声をかけられても、平静を装うことができた。例えどんなに驚いていても、己の動揺はおくびにも出さなかったのに。
 自分に襲いかかる暗殺者のいない世界。独りではなく、仲間と共に過ごし、戦う日常。それが、このような油断を生んだということなのだろうか。
「……お嬢さん? どうかしましたか?」
「あ……いえ、なんでも……」
「ひょっとして、覚えていらっしゃいませんか、私のこと」
 怪訝な呼び掛けで我に返るも、上手く対応することができない。思った以上に己の変化がショックだったようだ。
 それをどう受け取ったのか。その人物は苦笑を浮かべて小首を傾げ、訊いてきた。
 動作に合わせ、肩口からこぼれ落ちる銀の髪。奇抜な柄の服と、小脇に抱える竪琴。――その姿は、確かに見た覚えがある。
「以前、街道でお会いした……吟遊詩人の方――ですよね?」
 記憶の中から探り当てた答えに、その人は満足げな笑みに変えて。
「はい、レイムと申します」
、です」
 名乗った彼に倣い、も名を告げる。けれど、一定の距離は保ったまま……警戒、しているのは、以前のことを思い出したためだ。彼に魔力を奪われ、一瞬とはいえ前後不覚に陥ってしまったことを。
 彼に自覚があっての出来事だったのかはの知るところではないが、どちらにしろ仲間のいない今の状態であの時のようになることは避けたかった。ただでさえ、魔力というもの自体、未だ理解すらできていない、扱いきれないモノなのだし。
 それに……レイムという人物自体も……バルレルが言ったからという理由だけではなく、何か――上手く表現できないのだが、とにかく『危険』な気がして。
 警戒してしまっているに気付いていないのか、それとも気にしていないのか。レイムは笑みを浮かべたまま口を開いた。
さんは、ご自分の存在理由をご存知ですか?」
 向けられたのは、突拍子もない問いかけ。
 自分の存在理由を、はっきり認識して生きている者など、一体どれだけいるというのだろうか。
「――え……?」
「私はね、自分だけの歌を探しているところなんですよ。私にしか語れない、真実の歌を、ね。それを完成させて歌うことが、私が今在る理由なんです」
 竪琴を爪弾きながら話すレイムを、はただ見つめることしかできなかった。
 頭の中が、真っ白だった。そうなったのは、彼のように自分の存在理由を知らないからではない。それが、先程まで考えていた内容そのものだったからだ。
 己の存在理由など、にはわからない。ここに来てから、かつて願ったことのいくつかが叶ったりしているが、それとはまた別なのだ。
 五年前のあの日から、生きる目的はただ親友との約束を果たすこと。マグナたちと共にいるのも、ルヴァイドとの戦いのこだわるのも、全てそのため。
 けれど、これもまた少しずれていると思う。
 『目的』と『理由』は、別物だ。少なくとも、にとってはそう。『目的』は自分の意志で定めるものだが、『理由』は意志に基づくものではない――と、思っているから。
 言い換えるなら、存在理由とは、生まれた理由。その生命を以って割り当てられた役割――……
 それは――何……?
「……さん?」
「あ……」
 怪訝な呼び掛けで我に返ると、いつの間にかレイムが近くまで来ていた。
 手を伸ばせば届く――そんな距離。
 あの時の二の舞は避けたい。だが、今更離れるのは不自然すぎるし、その理由を訊かれても困るだけ。
 それ以前の問題として――体が、動かなかった。
 確かに自分は彼を『危険』と認識しているのに。離れたいと……離れなければと、警笛すら頭に響いているのに。
 体が、動かない。彼の紫銀の瞳から、目が逸らせない。
 不思議なその色の瞳に、全ての思考がまるで奪われたように消えていく。
 そして、代わりに湧きあがってくる『何か』……胸を締め付けるような、この『想い』は――何?
「ご存知ではありませんか?」
「……っ」
 声が、耳に響く。
 冷たいのに、あたたかいような……ただ、胸が苦しくなる、そんな声音。
「知りたいとは、思いませんか? 貴女が今、ここにある理由を」
 聞きたくない。でも、聞かせてほしい。
 相反するふたつの思いが思考を、そして動きを奪う。
「ねえ――」
 竪琴から離れ、己へと伸ばされた白い手。
 ダメだ――と。触れられたら駄目だ、と。警笛が一瞬で思考力を取り戻させた。
 けれど、体は動かない。ただ、近付く手を見つめることしかできなくて……レイムの手が、頬に触れる――刹那。

!!」

 強く呼ばれた名で、呪縛が解けた。
 瞬時に身を引き、レイムと距離をとって声の主を確認する。
「よかった……やっと、見つかった……」
 仔犬よろしく駆け寄ってきたのは、マグナ。の側まで来ると呼吸を整えながら、いつものわんこスマイルを見せて呟いた。
 先程までの己の異変を何も知らない笑顔。普段通りのあたたかなそれに、は心が落ち着いていくのを自覚し、それと気付かれない程度に息をついて。
「どうかした? マグナ」
「あ、うん。ちょっと面倒なことになっちゃってさ……一度戻ってくれないかな? 俺、他の人も捜してくるから」
「ええ、わかったわ」
 こちらの返事を確認するとマグナは再び笑顔を見せ、今度は隣へと顔を向ける。
「レイムさん、こんにちわ! 折角会えたのに申し訳ないんですが、急ぎますんで!」
 律儀にもそう声を掛けてから踵を返し、どこかへと走っていってしまった。
 その背を見送ってから、再びはレイムに向き合う。
 ふたつの紫銀の瞳が、真っ直ぐにの姿を捉えていた。けれど、あの不思議な感覚は――もう、ない。
 大きく息を吸い込み、は口を開いた。
「レイムさん。あたしは、あたしの存在理由を知りません。何を為すためにここに在るのか、知りません。けれど、探している……求めている。今はわからなくても、必ずそれを見つけ出します」
 断言。
 それは、見つけ出せる自信があるからではない。己の存在理由を知ることが、親友との約束を果たす近道になる――そう、思えたからだ。
 だからこそ、決意を込めて断言した。
 それを聞いたレイムは、目を細め優しげな笑みを浮かべて。
「そうですか。その日が近付くことを祈っています」
 ただ、そう言った。
 ようやく会話が終了したことに安堵を覚えつつ、は彼に一礼して道場への道を急いだ。
 マグナが慌てていたからではなく、ただ一刻も早くレイムから離れたかった。その思いが、足を急がせていたのだった。


「そう……それでいいのですよ……」
 走る去るを見送っていたレイムは、既に見えなくなった背に愛しげな眼差しを向けて呟く。
「求め続けている限り、それは貴女のものです。――けれど」
 不意に、口許にはいた笑み。
「本当に、それを手にしてしまったなら……貴女は」
 それは昏く、残虐さを滲ませたモノで。
「どうなって、しまうのでしょうね……?」
 喉を鳴らして笑ったあと、空を見上げたレイムは一度だけ、竪琴の弦を弾いた。


 ――パリィイィンッ。
「――ッ」
「メイメイっ!?」

 弦を弾いた吟遊詩人の姿を映した瞬間、砕け散った水晶。
 静かだった店内に鋭い子供の声が響き、緊迫した空気が満ちた。
「大丈夫、メイメイ!?」
「ええ……平気よ、エクス……」
 破片で切れた頬を手で拭いつつ返したメイメイだが、その顔は険しい。
 エクスもまた厳しい表情で、砕けた水晶に目を落としていて。
「とうとう、全てのピースが出会ってしまった……」
 ぽつり、と。言葉をこぼしたのはメイメイ。
 彼女の言わんとしていることを知っているエクスが、その先を続ける。
「調律者、融機人、天使、大悪魔……」
「魔臣と、そして――紅蓮姫」
「彼の事件に関わった者たちが、再びこの地に集った」
「運命の歯車は動き出している。もう――止まることはないわ。歴史は、繰り返される」
 星の巡りを読み解く鬼界の占い師。人間ではなく、それよりももっと強い龍神である彼女の宣言に、重い沈黙が降りる。
 聞いたエクスだけではない。言ったメイメイもまた、望まぬ未来であるからだ。
「けれど……だからこそ、どうか――同じ結末にはならないで……」
「メイメイ……」
 だからこそ、願わずにはいられない。
 メイメイは静かに瞑目した。

「貴女を守る小さな星は、いつも側にある。それを忘れないで……」



 それは、予感めいた胸騒ぎ。
 いつか聞いた占いの言葉が、頭によぎって――消えなかった。

第一部 もとめたるはそんざいりゆう・完