「お兄ちゃん! ここ出てくって本当なの!?」
扉を勢いよく開け放ち、トリスは開口一番そう言った。
室内では、ばたばたと旅支度をしているマグナとが一度だけ視線を投げかけてきて、そして再び手を進める。
「別に俺が自主的に出て行こうとしてるわけじゃないって。任務だよ」
「いなくなるなら同じことじゃない!!」
サラリ、と。何でもないように言うのが信じられなかった。
生まれたときからずっと二人で生きてきたのに……二人だけの兄妹なのに……
今まで、一度たりとも離れ離れになったことなんてなかった。これからもずっと一緒だと、そう思っていた。それなのに、今、こんな形で別れさせられることになるなんて……
「……嫌だよ……お兄ちゃんと離れるなんてイヤ……」
俯いて、今にもこぼれ落ちそうになる涙を必死にこらえて。トリスは体全体で兄に訴える。
――離れるのは嫌だ、と。
けれど。
「任務だから、仕方がないよ」
マグナはあっさりと切り捨てた。
それはトリスの知るマグナの姿ではなかった。トリスにとってマグナは、絶対的に甘えられる相手で。いつでも自分と一緒にいて、望みを聞き届けてくれていたのに。
「ほい、マグナ。地図は一番上に入れておきなよ」
「ぅわっと……了解。ホント、がいてくれて心強いよ」
地図を投げ渡すと、落としそうになりながら受け取るマグナ。
自分以外に向けるその笑顔が、何だかすごく苛立たしく思えて。
「お兄ちゃん! 任務任務って言って、あんなの――」
「それ以上は言うな、トリス」
苛立つ心のまま怒鳴ったトリスの言葉を遮ったのは、マグナではなくいつの間にかやって来ていたネスティで。
「どこで誰が聞いているとも知れないんだぞ。ドアぐらい閉めて話したらどうだ?」
呆れ半分苦々しさ半分に言ってくる彼もまた、いつも通りの様子。
それもまたトリスの癇に障った。
「何でそんなに冷静なのよ!! やっぱりネスもあたしたちが邪魔だって思ってるから!? お兄ちゃんがいなくなって清々するとでも言うの!?」
ほとんど八つ当たりのように怒鳴っても、ネスティは微動だにしない。ただ普段通りの冷静な瞳を向けてくるだけで。
――自分だけが取り乱している。
逆に言えば、他の者は皆冷静で普段と変わりない。
その理由が、トリスにはわからなかった。
「君のように騒ぎ立てたからといって、どうにかなるわけでもあるまい? 大体、今生の別れというわけではないのだから――」
「そんなのわかんないわよ!!」
無期限の修行を兼ねた見識を深めるための旅――それがマグナに与えられた任務。
だが、そんなもの任務の名を借りた実質追放命令だ。マグナが再びこの場所に戻ってくる確立などゼロに等しい。
それはマグナにもネスティにもわかっているはずなのに……
「トリス」
呼びかけと共にぽん、と頭に手を置かれた。
為した主を振り仰げば、困ったように笑っていて。
「悪いほうにばっかり考えないでくれよ。まるで死出の旅に行くみたいじゃないか」
「だって……」
「ちゃんと戻ってくるよ。トリス、一年後この街で会おう」
マグナは言った。自信に満ちた笑みで。
「……ホントに?」
「ああ。だからさ、それまでにトリスもちゃんと一人前になっててくれよ? それで、もし俺と同じように旅に出ることになったらさ、色々と教えてやれるだろ?」
自分と同じ任務を受けてしまった時のためにも、先に行って世界を見てくる――と。
兄の目は、そう言っていた。
優しく頭を撫でてくれながら、いつも通りの笑顔で。
トリスはぎゅっと自分の服の裾を握って……意を決したように顔を上げた。
「わかった……あたし、待ってるから……ちゃんと一人前になってるから、絶対帰ってきてよね!」
「ああ、必ず!」
トリスが拳を突き出して、マグナがそれを手の平で受ける。昔からやっていた、二人だけの約束のしるし。
ようやくトリスは笑顔を向けることができた。
それを見て安堵の表情を浮かべたマグナは、ネスティへと向き直って言った。
「それじゃあ、ネス。トリスのこと、頼むな」
「ああ。気をつけてな」
ネスティの言葉を受けて、マグナは笑って頷くと、用意した荷物を肩に背負って部屋を出た。
彼に続いて出て行こうとするに、二人は目を留めて。
「マグナのこと、くれぐれもよろしく頼むぞ」
「お兄ちゃんを傷つけたら許さないから」
――彼女のことは信用していない。けれど、自分たちにはもう、彼を守ることはできないから。
苦々しい想いで告げると、はふっと口の端だけで笑んだ。
「言われるまでもなく。我が全ての力を以って守りますよ」
そう言い残して、彼女はマグナの後を追っていった。
小さくなっていくふたつの背を見ながら、ネスティは先刻フリップから告げられた言葉を思い出していた。
マグナだけが試験を受けると聞かされた時から、何を企んでいるのかと不安を覚えていた。それが、こんな形になろうとは……
――魔力が既に安定期に入っており、これ以上の能力開花の見込みはない。
それがフリップの――否。派閥の判断だった。
フリップの言葉を借りるならば、出来損ないのクレスメントには監視の必要すらない、と。一切の監視役がつくこともなく、マグナは完全な追放処分となったのである。
ようやく自由になった――と、言えなくもないが。
派閥が危険視したのはトリスのほうだった。未だに魔力は不安定で制御しきれておらず、暴発の危険性が非常に高い……これは、彼らに基礎を教えているネスティ自身、痛いほどわかっていただけに納得せざるを得なかった。
――おそらく、二人が派閥へつれてこられる原因ともなった暴発も、妹が起こしたのだろう。
当事者たちの記憶があやふやになってしまっていて確認が取れない中、出した結論はネスティも派閥も全く同じだったから。
二人の姿が完全に見えなくなってから、ネスティは溜息をついて頭を切り替えた。
「戻るぞ、トリス。今日やったことの復習テストがまだ終わっていない」
今、自分がやらなければならないことは、小さな体に多大な危険性を秘めた妹弟子を一人前に育て上げること。そして、彼女が望んでいる一年後の再会を果たさせてやること。
今回のマグナへの派閥の対応を見れば、トリスが一人前になった時のことなど想像に難しくない。
「わかってるわよ……」
流石に今日は反論もなく、トリスはくるりと踵を返した。
そのまま本部へと向かう姿に、しばらくはサボることもないだろうと。一種の安堵を僅かばかり抱きつつその後を追った。
トリスを教えると同時に、自分自身も鍛えなければならない必要性を多大に感じながら……
「ごめん! !!」
「……今度は何に対する謝罪?」
派閥を出て然して間もなく導きの庭園に着くなり、つい数時間前と同じやり取りをする二人がいた。まあ、前例があるだけに、今回は双方驚いた様子は微塵もないが。
マグナは顔を上げずに言い募る。
「いきなり当てのない旅に出ることになって……嫌になったらすぐ言ってくれよ。無理に付き合ってくれなくてもい――いッ!?」
言葉は途中で悲鳴にも似た声に変わった。
ビシッという音と共に、上げかけていた額に激痛とはいかないまでも、かなりの痛みが走ったからだ。
「やっぱりバカだね、マグナ」
涙目になって額を押さえつつ見ると、水平に手を構えた心底呆れ顔のがいて。
「あたしは同じことは二度も言いたくないんだけど。付け加えるなら、あんな所でじっとしてろって言われるほうが、あたしにとっては地獄だよ」
やれやれといった感じで言うと、今度はジト目で見てきた。
何故かそれが妙に迫力があって、マグナは冷や汗が流れるのを感じつつ少し引く。
「大体、マグナだって旅に出られること、嫌だなんて思ってないんでしょ?」
「な、なんで……」
「思ってるわけないよね~? だって、ずっと旅に出たかったんでしょ。じゃなきゃ、引き出しの一番奥に旅人用の地図なんか、隠し持ってるわけないし?」
「うぁ……」
が地図を投げ渡してきた時からなんとなく気になってはいたが、まさか本当に己の心内を読まれているとは……
片手で顔を覆って項垂れたあと、降参だと示すために両手を軽く挙げた。
「の言う通りデス。俺はずっと旅に出たいと思ってましタ」
言葉でも白旗を上げると、は満足そうに笑って見せて。
「素直が一番♪ 今度バカなこと言ったら、またデコチョップかますからね♪」
極上の笑顔で地獄の宣告。
未だ痛みの引ききらぬ額を両手で押さえて、一歩といわず二、三歩後退る。
「い、言わない! 絶対言わないから!! それはもう勘弁!!」
「よろしい♪ それじゃ、とりあえず不足品買い足して……何か食べない?」
「――へ?」
突然の提案に目を丸くしてを見れば、彼女は苦笑して空を指差していて。
「もう、とっくにお昼過ぎてるみたいだし」
彼女の言葉通り、太陽は中天を少し過ぎた位置にあって。
時間を自覚した途端に空腹を覚えたマグナは、反対する理由もなくその提案を呑んだのだった。
不足品……主に回復アイテムや携帯食糧などの買い足しを終える頃には昼を大分過ぎていたが、選んだ場所が場所だったのか、入った飲食店は旅人でそれなりに賑わっていた。
それでも待つこともなく席につくことができ、二人は各々好きなメニューで腹を満たした。
ちなみに、何の気兼ねもなく好きなものを頼めたのは、前回こちらへ来た際に入手した金銭をが持っていたためである。
――その量、なんと数万バーム。
召喚されたときから肩にかけていたリュックがなんだか重そうで気になっていたのだが、中身はほとんど金銭だったらしい。
一体、前回はどういう生活をしたのか。
かなり興味を惹かれて、食後のコーヒーを飲みながら当人を眺めていると、地図から顔を上げたと目が合った。そのまま凝視するように見つめられ、気恥ずかしく思ったのだが何故か目が逸らせなくて。
見つめ合うことしばし。
「ねえ、マグナ」
「な、なに?」
「あたしの前でまで仮面をつけてる必要はないよ」
気恥ずかしさも何も一気に吹っ飛んだ。
真っ白になった頭で微かに警笛が鳴っているのに、「何のこと?」とただ一言、そう言ってとぼければいいだけなのに……それが、できない。
彼女の瞳が――真っ直ぐに自分を見る真剣な眼差しが、させてくれない。
「あたしにそれは無駄なことだよ」
――何故。
どうして勘付かれたのか。彼女の前では一度たりとも仮面を――己の本心を隠すための半偽の顔をはずしたことなどない。むしろ彼女のほうが、様々な仮面を付け替えていたのに……
マグナは目を瞠った。
「どう……して……?」
震える声で理由を問う。それは、思い至った答えの正否を確かめるため。
そして、与えられるものは。
「あたしも、そうやって生きてきた人間だからね」
やはり、と思う。
他の者は騙せても、同じ場所、同じ道に立つものには、どう足掻いてもわかってしまう。それは、マグナがの素顔と仮面を見分けられたように、彼女にも同じことが言える――ということ。
気が抜けたようにテーブルに両肘を突いて、長く息を吐き出した。
「……で?」
「ん?」
「それを知って、何がしたいんだ?」
組んだ手の間から、睨むようにを見る。
冷たく言い放つ姿は、今までの明るい青年の面影は微塵もない。ただ、これも素顔ではなかったが。
それを知ってか知らずか、はカップへと手を伸ばし口を開く。
「マグナは特にトリスに対して『優しい兄』の仮面をつけてるみたいだったし、あとは『何も知らない落ちこぼれ』が標準装備だったのは派閥を出るためと見た。で、素顔にしろ仮面にしろあたしを離れさせる気はないようだから、今のうちに腹割って話とこうかと思ったのよ」
コーヒーを飲んで一息つくを、目をすがめて見やる。
本当に全部知られている。こちらは彼女の仮面の理由など全く知り得ないのに、向こうは自分がやりたかったことまで知っている。
出会ったばかりというのは同じなのに……環境のせいか。
自分の手の内だけ知られていることに、少し癪に障りながらも黙って続きを待つ。
「これから行動を共にするっていうのに、四六時中仮面つけっぱなしじゃ疲れるでしょ。一人でも素顔をさらせる相手がいると、かなり気が楽だしね」
「……それは、君がそうだっただけじゃないのか?」
「そうだよ」
少々嫌味をこめて言った言葉に、けれどあっさりと肯定されて面食らう。
普通はもう少しギクシャクするものではないのか? 仮面ならいざ知らず、素顔では。
マグナの驚きを他所に、は続ける。
「仮面をつけるのは、大抵自分を守るためでしょ? 害なす者から本当の自分を隠し、守るため……でも、そうやって他人を拒絶しながら、どこかで素顔をさらけ出せる相手を求めているものなんだよ」
じゃないと、自分が必要とされない人間だって、そう思えてしまうからね。
そう呟いたは、複雑な表情をしていた。悲しみ、怒り、憎しみ、恨み、淋しさ、自嘲……それらが混ざったような、苦しみに満ちたカオ。
そしてそれは、自分の姿を見ているようで……
マグナは、視線を落とす。
「あたしは、この世界でそれに気付かされた。あの島のみんなが教えてくれた。あの島のみんながあたしにくれたモノ……今度はあたしが与えたいって思ってた。だからね、マグナにあの解放感を知ってほしいのよ」
「それは、君を召喚したのがたまたま俺だったからか?」
偶然、召喚された相手が同じような生き方をしていたからなのか。今、自分に差し伸べられている手は、もし彼女を召喚した者が別の人間だったなら、その相手へと伸ばされたものだったのか。
そうと問うと、は笑った。
「ねえ、マグナ。いいこと教えてあげようか?」
「いいこと?」
「そ。あたしの出身地」
突然の……先程の自分の問いの答えにすらなっていない質問に、苛立ち紛れに怪訝に眉根を寄せて彼女を見る。
「シルターンだろ?」
確かに己は鬼属性である赤いサモナイト石でを召喚した。彼女の姿を見ても、シルターンの者と相違ない。シルターンの地名など言われてもわかるはずもない。
一体何が言いたいのか。
「違うよ」
質問の意図が見えず訝しんでいたマグナに、はあっさりと否定して。
「あたしの出身地はね、『名も無き世界』だよ」
爆弾発言投下。
「はあ!?」
思わずガタリッと大きな音を立てて立ち上がってしまい、店内の注目を集めてしまった。だが、そんなことは問題ではない。――いや、問題はあるのだが、はっきり言ってそれどころではなかったのだ。
「じゃあ、何か? 俺、召喚に失敗したってことなのか!?」
属性の違う召喚石で誓約が掛けられたとは考えにくい。正しい誓約が成されていなければ送還もできない。
――それはつまり、を『はぐれ』にしてしまった、ということ。
「ん~……失敗はしてないんじゃない? 誓約はきちんと掛けられてるみたいだし」
何がわかるのか、自分の手をかざして見ながら言うに、マグナも彼女を呼んだ召喚石を見る。
未誓約のものと違い、向こう側が見える程に透明度を増した赤い石は、確かに誓約済みサモナイト石の証。何よりも、光に透かすと浮かび上がってくる真名。リィンバウムのものではなくシルターン文字で示された『』という文字が、彼女との誓約が正しく成されたことを物語っていた。
「誓約、されてるでしょ?」
「されてる……けど……コレ、シルターン文字に見えるんだけど?」
「あははは~、ソレね。名も無き世界――っていうか、あたしのいた国の文字がシルターン文字とほとんど同じだからさ」
シルターン文字は覚えるの楽だったなぁ~……他はかなり苦労したけど。
けらけらと笑って言うを見てると、なんだかどっと疲れるような気がしてならない。
未だ実感はないけれど、とりあえず名も無き世界出身というのは信じることにして、テーブルに突っ伏したまま先を促す。
「名も無き世界への路って偶発的にしか開かないんだよね」
「やっぱり偶然ってことか……」
「話は最後まで聞け」
早々に結論付けたマグナに叱責が飛ぶ。それすら聞いているのか、いないのか。突っ伏したままそっぽを向いて、けれど口は開かずに一応聞くほうに意識を傾けた。
それをわかってか、は続きを口にした。
曰く、自分が初めてこの世界へ来た時はその『偶発的』の基準からすら外れた、かなり特殊な事象であったこと。それ故、戻るのも強制的で再来の見込みはないに等しかったこと。半ば諦めかけていた時に、たったひとつ、希望を見つけたこと……
「希望?」
「そう。本来なら持って来れるはずのなかった、リィンバウムで手に入れた品々がね、あったのよ。その中のひとつは……サモナイト石」
召喚術も習っていたは、それを応用できないかと考えたという。召喚術にしろ送還術にしろ共通しているのは、異界への路を一時的に開き固定すること。自ら作った路に飛び込むことはできないが、途中まで――つまり、偶発的にしか開かないリィンバウムへの路を自分で作り、その先は召喚術で引っ張ってもらえないか、と。
「随分とまた、無茶なこと考えたものだな……」
「それだけ、ココへ来たかったってコトよ♪」
結果をいうなら無事成功を治めたわけだが、この方法の最大の利点は召喚主を選べたことだった。
とりあえず、本当に路を作れるのか試して、成功しそうだったので色々と準備を済ませてから実行に移したらしい。準備とは、両親への手紙だったりリュックの中身だったりシルターン風の衣装だったり……がまとう衣装、実はお手製と聞いてかなり驚いたのは余談だが。
「自分で路を開いたあと、召喚術によって開かれた路を――つまり『呼び声』を探したんだけどさ、一番最初に聞こえてきたのはいかにも召喚獣は道具だ! って思ってますみたいな傲慢くさい声でね……『テメーなんぞの道具になるのは御免だ!!』って思ったら、ぶっつりと路は途絶えたのよ。そんなことを何度か繰り返している時に聞こえてきたのが、他とは全く違ったマグナの声だったの」
「違うって、どんな?」
「聞きたい?」
「うっ……」
いつの間にか自分でも気付かぬうちに上体を起こして話に聞き入っていたマグナは、意地の悪い含みのある笑顔で問い返されてたじろぐ。
「聞いたら激しく後悔しそうな気がしてならないけど、聞かなかったら気になって仕方がないから――聞く」
かなり迷ったが、結局探究心と好奇心に負けて、聞くほうを選んだ。
その返答には満足そうに笑って。
「『助けて』」
言われた言葉に、マグナは固まる。
「『誰か気付いて。俺はここにいる。助けてくれ……誰か……俺を見つけてくれ!』――そう、聞いたよ」
もう何度目になるのだろう。再びテーブルに沈んだマグナの耳に、くすくすと笑う少女の声が届いて、なんとも言い難い気分になった。
「ひょっとして、自覚アリ?」
の楽しそうな問いに、心の中でだけ肯定した。――否。正確には、言われてから自覚したのだが。
召喚時の状況から見ても、彼女が聞いたソレは、マグナの心の奥底にあった想い……魂が発した救いを求める叫びだったのだろう。
道理で、初めから仮面のことを見破れたわけだ。
「……それで?」
「無意識下の救いを求める声っていうのはね、それを与えられる者にしか届かないんだって聞いたの。だから、マグナの声が聞こえたときは本当に嬉しかった。あたしに救える人がいるってコトがね……迷いなんてなかったわ。あたしは、自分の意思でマグナを主に選んだのよ」
偶然ではなく必然だと。
その言葉を聞いた時の気持ちをなんと言おう。
まるで一気に霧が晴れていくような……そんな思いに、自然と笑い声がこぼれ出て。
「おーい、マグりーん?」
「ホント、の言った通りだね」
怪訝な問いかけにマグナは体を起こす。そして――
「俺、今、すっごい自由な感じ」
笑った。
もう何年ぶりになるのか、心からの笑顔で……
「――え? あっ、ちょ、ストップストップ! マグナ!!」
「ぅあ?」
不意に目に留まった建物に反射的に前を歩いていたマグナの手を引くと、少し吃驚したような疑問の声が返ってきた。
あの後、店を出た二人は、今後一年は戻ってこないためとの願いもあって、ゼラムの街を見て回っていた。粗方回って、そろそろ出発かと思っていた時の出来事。
目の前にあるのは、明らかに周囲の建物とは仕様の違う、一際異彩を放つ建物。
赤を基調とするそれは、にとってはものすごく見覚えのありすぎるモノ。
「? どうかした?」
「ここ! ここ入ろう!!」
建物を見るの様子が尋常ではないことに気付いたのだろうマグナの問いも、半ば無視するように言ってその建物の扉をくぐった。――答えている余裕も自信もなかった、ともいえるが。
それはそうだろう。
あの島は帝国領内にあると聞いたし、ここは聖王国の首都だ。あまりにも離れすぎている。確かにあの時、あの人は彼の無色の女暗殺者を連れて先に島を出たし、何があってもおかしくはない人ではあるけれど……でも、まさか……
期待と不安が入り混じったまま早足で進んだ先……内装もほぼ記憶にあるままのそこにいたのは……
「あらぁ~? 随分と懐かしい顔ねぇ」
赤いチャイナ系シルターン衣装を身にまとい、長い耳とそのすぐ上のお団子からひょっこりと伸びる角のようなモノを持つ、灰褐色の髪と瞳を持つ女性。何よりも、酒気を帯びて朱に染まった顔が印象的な彼女は、まさしくの知る人物で。
「やっぱり! メイメイさぁ~ん!!」
「久し振りねぇ、ちゃん♪」
思わずタックルかます勢いで抱きついたを、店主であるメイメイはあっさりと抱き止めてくれた。
「ちゃんと戻ってこれたのね」
「はい! メイメイさんにもらったこの鈴のおかげです!」
「鈴が貴女を選んだのよ。そして、それを使いこなせたのは貴女自身の力……私は何もしていないわ」
礼を遮るように言われた言葉をさらに抑え、はかぶりを振る。
「いいえ、この鈴と引き合わせてくださったのはメイメイさんです。ありがとうございました」
ありったけの感謝を満面の笑顔に乗せて伝えると、メイメイも優しく笑み返してきて。
訪れた、あたたかく穏やかな時間――それは、すぐに鳴りを潜める。
ある意味二人の世界にいたメイメイが、ぐりんと首を動かしてもう一人の訪問者を初めてその目に映したから。
「――で、そこの若人はぁ、誰なのかしらぁ~?」
いつも通りの妙に間延びした喋り方で問うメイメイ。も意地の悪い笑みを浮かべて。
「マグナはね~、あたしの召喚主サマで~ス♪」
「あらあら~、ちゃんをこの世界へ戻す手伝いをしてくれた人ってコトかしらぁ~?」
「そうそう、その通りなのデスよ」
「それはそれはぁ~……メイメイさんからも、お礼をしなくちゃねぇ?」
当人を目の前に交わされる悪い意味で楽しげな会話に、マグナが引きつっているのを知ってかしらずか――否。気付いていてこその意地悪なのだろうが。
メイメイはいそいそと奥へと引っ込むと、何やらガタゴトと大きな音を立てて探し物を始めた模様。
しばらくそれが続いて……何かが崩れ落ちたような大きな音を最後に、メイメイは咳き込みながら埃舞う部屋から戻ってきた。
その手に抱えていた、ひとつの大き目の箱をマグナへと差し出す。
「はぁ~い、メイメイさんからのプレゼント♪」
恐る恐るといった体で受け取り、そのふたを開けてみるマグナ。も横手から興味津々に覗き込む。
浅めの箱の中にあったのは、綺麗にたたまさった布で……取り出し、広げて全容を現したモノは――
「シルターンの――服?」
のものとは違った――むしろ、メイメイのものに近いシルターン衣装。白と青を基調に黄色で縁取りされていて、赤い帯がアクセントになるそれは、動きやすさが重視された、それでいて少し上品な印象を受ける衣装だった。
「今着ているのはぁ~、蒼の派閥の見習いの制服でしょ? 護衛獣同伴で外にいるってことは、一人前になった証拠ぉ……だからぁ、新しい服なのねぇ♪」
部外者が何でそんなに詳しいんだ。
マグナは呆れ気味に、は苦笑して見ていると、いつもの如く彼女は笑って。
「にゃは♪ 派閥には、古い友人がいるからね~。にゃはははは♪」
相変わらず謎な人物は、またも謎な発言をしてくれる。
「魔法防御にも優れているからぁ、これから旅立つ貴方にはピッタリってね♪ ――あ、行き先は決まってたりするのかしらぁ~?」
「い、いえ……まだ、決めては、いません……けど……」
「じゃ、ついでに占いもしてあげちゃいましょー♪」
鼻歌混じりに用意を進めるメイメイに向けられる視線には、驚嘆・感嘆・疑問等が多大に含まれていた。
具体的には――
――俺、旅に出るって言ったっけ?
――言ってないね。旅支度してるからじゃない?
――派閥のことといい、一瞬で見抜いたってこと?
――それがメイメイさんだから。
――謎な人だね……
――うん、謎。
このような会話が、マグナとの間で、思考の中だけで交わされていたとか。
「さて、と。ほらほら若人ぉ、こっちいらっしゃ~い♪」
「――あ、はい!」
遠い目をしていたマグナは、メイメイに呼ばれて我に返る。慌てて用意された椅子に座る彼の姿を楽しげに眺めながら、もマグナの後ろに控えるように立って占いを見守ることにした。
メイメイが好んで使う占い道具は、水晶球。何でも、未来を文字通り『視(み)る』には最適なんだと、以前教えてもらった。
そして、今回もやはり水晶球で――占いの時にだけ見せる、彼女の神秘的な表情が既に表れていた。
滑らかに、舞うように動く白い手と、淡く光り始める水晶球。その光に照らされて、より一層神秘性の増した灰褐色の瞳にだけ、今――あるひとつの未来が、映し出された。それは……
「――西、ね……」
ぽつり、と。呟くようにこぼれ出た、旅先を導く方向。
「聖王国の西の果て、サイジェント。そこで、二人にとって、良くも悪くも大きな出会いと再会があるわ」
続くは、はっきりと告げられる地名と、未来の一端。
二人は顔を見合わせる。
「サイジェント、か……」
「良くも悪くも大きな出会いと再会だって。さて、どうします? ご主人様?」
「だっ、だから、っ!!」
「はいはい。で、マグナ。どうするの?」
また『ご主人様』発言に赤面するマグナを軽くあしらって、は決定を促す。
マグナはひとつ深呼吸して自分を落ち着かせてから、言った。
「一年間、時間はあるし、サイジェントから戻ってくる感じで旅していこうかな」
決定権所持者の言葉で、白紙だった旅程に大まかな色付けがなされた。
それは、不思議とやる気と期待感を与えてくれるもので。
二人はまた互いに顔を見合わせ、笑い合った。
その様子を見ていたメイメイはいつもの調子に戻って、口を開く。
「行き先も決まったところでぇ、今日はこのまま泊まっていきなさいな。もう夕方が近いしね。久々にちゃんの手料理が食べたいわ~♪」
この提案とリクエストに、マグナが頷いてくれたのを見て、は腕をまくって。
「まっかせて! オウキーニ直伝シルターン料理、腕によりをかけて作らせていただきまっス♪」
高らかに宣言した。
こうして、旅立ち初日はゼラムから出ることはなく、けれどマグナにとってもにとっても、とても充実した一日となったのである。