ふわふわと、体を包む浮遊感。
懐かしいそれは、今はもう感じることの出来ない、あの日の――思い出……
――ゴン。
「うきゅっ!?」
突然頭部を襲った衝撃が、それまであったはずの浮遊感を完全に消し去った。
「!?」
「だ、大丈夫ですか、さん?」
「う~……うっ?」
前にも同じことがあった気がする、と。未だまともに働かない思考回路がそんな言葉を導き出した頃、己を呼ぶ声に目を上げて見る。
逆光のためかぼんやりとしか見えないが、二人の人物が自分を覗き込んでいるのはわかった。
一人は敬語、一人は親しげに愛称で呼んでくれる者。
その組み合わせから引き出された答え。それは……
「ファル……と、フレイズ?」
「……違うよ」
呆れが含まれた声音で否定されてしまった。
間違い、ということを、かなりの時間をかけて理解し、改めて答えを探す。
そう、逆光……瞑想の祠なら周囲にあるクリスタルから淡い光が発しているので、あまり逆光になることはない。よくよく見てみれば、背後にあるのは硬質な自然物ではなく、暖か味のある木目の人工物だ。
そして、己を覗き込んでいる二人の内の一人は――よく知っている相手……
「あ~……ナツミ、と……アヤ?」
「当たり。現実へようこそ」
呆れた様子のまま差し出された手を条件反射で掴むと、その手を引いて体を起こされた。そうして初めて、自分が逆さになっていたことを知った。
「珍しいね。が寝坊するのも寝惚けるのもベッドから落ちるのも」
「ん~……昨日、話した所為かなぁ……狭間の領域にいた頃の夢見ててさぁ……」
「それは、あの、魂のみで宙に浮いていたという……?」
「そー……初めて実体化した時も今みたいな感じだったから……」
本気で時間の経過がわからなくなってしまった。
大きな欠伸をひとつして、後頭部をさする。それから改めて二人へと目を向けて――
「……あれ? 制服じゃない……」
着ている服が、昨日までのものと違うことにようやく気付いた。
のように自らこちらに来るつもりで準備していたわけではない彼女たちは、着の身着のままでこの世界に来ていた。
一昨日の買い物では、武器と最低限の生活必需品しか買ってはいない。
とするならば、今二人が着ている服はどこから出てきたのか。
「あ、コレね。リプレがね、あたしたちが来ていた制服を元にして作ってくれたの」
言われてみれば、確かに制服の名残がある。けれど、どこから見てもこの世界に馴染む形だ。流石は家事全般を一手に担う『お母さん』。リフォームもお手の物のようだ。
「どう? 似合う?」
「似合う似合う。二人共、すごく可愛い♪」
「そ、そうですか?」
「えへへ、照れるなぁ」
くるりと一回転して見せるナツミに、拍手つきで素直な感想を返した。その言葉に少し頬を染める二人の姿を、もう一度まじまじと見比べてみる。
ナツミは活発さを表すようにミニスカート、とロングブーツ。上着も動きやすい形の長袖だ。元の制服の形がかなり残っている服。
対してアヤは、元がほとんどない。中に着ているシャツと襟元のリボンくらいで、残りは完全に新たに作られたと見える。大人しめの彼女の性格を表すようにロングスカートに、上着の袖口も広くなっていてあまり動きやすそうな作りではない。
確かに二人によく似合っている――けれど。
「ん~……でも……」
「でも?」
「なんで胸ないナツミのほうが露出多いんだろうねえ……」
「一言多いわ!!」
――バシッ、と。
今度の素直な感想には、間髪入れずにナツミの手が飛んできた。
ベッドから落ちてぶつけてたところに、続けての衝撃は流石に痛かった。ちょっと涙目になりながらナツミを見上げる。
「なによぅ、本当のことじゃない」
「うるさいよ!! ってか、それ言うなら、だって胸あるほうじゃないのに胸元あいている服自分で作ってるじゃない!!」
「暑さ寒さにある程度対応できて動きやすくてシルターン系でって考えたら、あの形になっただけだよ。それに、ナツミよりは胸あるもん」
「アヤよりはないでしょ!!」
「ん~……どれ?」
「――きゃっ!?」
弾丸トークとまではいかないものの、目の前で繰り広げられる言葉のラリーに呆然としていたアヤの無防備だった胸に、しっかりと手を当てた。
かなりの弾力が返ってきたその手応えに、指をわきわきと動かしつつ視線を上へと投げて。
「う~ん……確かにあたしの負けだあねぇ」
「って、あんたは何朝からセクハラしてんのよ!!」
――ベシッ、と。頭部に平手再び。
ハリセンがあれば見事に炸裂してそうだ。
これ以上叩かれるのもなんなので、悪ふざけはここまでにしておく。
「話の流れで何となく~♪ では、あたしはマグナを起こしに行ってくるのです♪」
スチャッ、と。敬礼を残して早々に部屋を出る。――と、その背にかかるのは、まあ当然なナツミの声で。
「ちょっ、支度ぐらいしてから行きなさいよ――!!」
その言葉にくすくすと笑い声をこぼしつつ、は洗面所へ向けて歩き出したのだった。
「どーするよ、これ……」
「どうにもならないんじゃないのかな」
困り果てたハヤトの言葉に、トウヤはあっさりと返した。
二人の視線は全く同じ位置に固定されている。それは、シングルベッドの上のカタマリ。周辺にはバケツや木片、草などが散乱していた。
それらは全て、努力の跡。
ベッドの上のカタマリ――もとい、爆睡中のマグナを起こすべく草で顔をくすぐってみたり、バケツを木片で叩いて大きな音を出したりとしたのだが……全く起きる気配もないどころか、完全に毛布にくるまってしまって、毛布を押さえている指先しか見えなくなっている始末。
「本っ当ーに、ナツミ以上だよ……」
「ああ、従姉弟だったね。彼女もなかなか起きないタイプなのかい?」
「起きる時は自力で起きてくるけど、起きない時は本当に起きないな。まあ、ナツミの場合は『音』で大抵は起こせるけど」
言葉と同時に指で示したのは、例のバケツだ。
まあ、あの音を耳元で鳴らされれば、大抵の人は起きざるを得ないだろう。
つまるところ、今、目の前で爆睡を続けるマグナが異常なのだが。
「が来るのを待つのが一番だと思うけど?」
先程の問いとしての色も含まれていた言葉に対する答えを告げると、ハヤトは大きな溜息をついて。
「そーだな……っていうかさ、これを一発で起こせるもすごいってことだよな……」
「ああ。果たしてどんな方法なのやら」
こうして実際にマグナの寝穢(いぎたな)さを目の当たりにすると、ものすごく興味が湧いてくる。
横目でハヤトを見る。彼も同じように己を見ていて。
同時に、口端を持ち上げ、笑みを作った。――考えは同じらしい。
「見物といきますか」
「そうだな」
ふふっ、と。笑い声をこぼした丁度その時、室内にノックが響いて。
「おっはよー、ハヤト、トウヤ」
ひょっこり顔を覗かせた、話題の人物。噂をすればなんとやら、である。
「おはよう、」
「あ、二人も新しい服になってる。うん、似合う似合う。二人はぴったりだね♪」
拍手つきの賛辞に、聞き流せない部分を拾い上げて眉根を寄せたのは――ハヤトも同じだったらしい。
「二人『は』って……」
「彼女たちも似合っていたと思うけど?」
「似合ってることは似合ってたけどさぁ、胸ないナツミのほうが露出多いのはなんでかなぁって……」
――なんてことを言い出すのだろうか、彼女は……
確かに彼女と同じことを考えなかったわけではないが、こう、さらっと言えてしまうのは、同性故の気安さからなのだろうか。
「それは、まあ、そうだけどさ……だからって、アヤがあのナツミの服を着るっていうのもどうかと思うよ、おれは……」
男としては、目のやり場に困る。
そんなこちらの心情を知ってか知らずか、は意味ありげに笑って「まぁね」と同意を返してから、ベッドへと歩み寄った。
「これはまた、すごい状況ね」
一通り努力の跡に目をやり、その全てを無効化している主を眺める。
「完全に籠城態勢に入っちゃったら、手間なのよねえ」
「……起こせるのかい?」
「起こせるよ~。起こせるようにしたもん。ちょっとメンドーなだけ」
「起こせるように『した』って……」
彼女の言葉の端々には、時折さらっと聞き流せないものが含まれる。その理由がまた、聞けば呆れる内容だったりするのだ。
わざとやっているのか、それとも元からなのか。
彼女の人となりも気になるところだが、今はマグナを起こす方法が知りたい。
そう思っての動きを見ていると、不意に彼女は振り返ってきて。
「……見たい?」
「見たいな」
「かなり興味があるよ」
「そ。じゃあ、二段ベッドの下段に入っちゃって。ちゃんと足もね」
確認のような問いに素直に答えると、彼女は何故か見る場所を指定してきた。
二段ベッドとシングルベッドは壁伝いにL字型に並んでいるので、見るのには支障ない。
首を傾げつつも、ハヤトと共に素直に従う。
靴を脱ぎ完全にベッド内におさまったところで、が悪戯を仕掛ける子供のような笑みを向けてきた。
「何があってもそこから出ないでね。じゃないと、身の安全は保証できないから♪」
「――は?」
「それじゃ、いっきまーす♪」
「ちょ……な……え……?」
まともな形にならないハヤトの呟きは、次の瞬間、呼気と共に飲み込まれてしまった。
――リン、と。いつかも聞いた鈴の音が聴覚をくすぐったと思ったら、一気に室内の空気が冷たく張り詰めたものに変わった。――そう、思えた時にはもう、それは始まっていた。
宙を舞う毛布。硬質な物同士がぶつかり合う音。素早く動く人影。
何が起きたのか理解するよりも先に、ダンッ、と。結構な音をさせて、一連の動きは終了した。
音の原因は……ベッドの上に立つマグナが、壁に背をぶつけたものだと思われる。その彼の喉元には、が構えている金属の棒が逆手に握られた形でぴったりと当てられていて――彼女のもう一方の手にあるのは、鞘に入ったままのマグナの剣。
この状況……一体何が起きたのだろう。
「おはよう、マグナ」
「……おはよう、」
マグナの喉元に棒を当てたまま、はにっこりと笑って挨拶した。対するマグナは……ようやく目が覚めたのか、強張らせていた体から力を抜いて、気が抜けたように返した。
挨拶が返ってきたのを確認してから、はマグナから体を離してベッドから降りる。マグナはずるずると壁に背を付けたまま座り込んで。
「この方法で起こすのも、出来ればやめて欲しいよ……心臓に悪すぎる……」
疲れきった声音の懇願は、けれど相手に届くことはなく。
「何言ってるのよ。爆睡したまま魔獣のエサになりかけたのは誰?」
「……俺です」
「だから殺気に対してすぐに反応できるように訓練したんでしょ?」
「その通りです」
「なら、感覚が鈍らせないためにも、たまには訓練しなきゃね♪」
「で、でも……」
「望んだのは貴方ですよ、マスター?」
「うぐっ」
図星を突かれたためか、それともその呼称にか。顔を赤くさせてベッドに沈むマグナを眺め、ああ、なるほど――と。トウヤは思った。
あの冷たく張り詰めた空気が殺気と呼ばれるもので、それに反応した結果、飛び起きたということなのだろう。
「それに、コレ、あたしだって苦労してるんだからね。室内に被害出さないようにするの。なので、鞘から抜かなかったことと、側にいる全ての生物に斬りかからなかったのは、状況判断が大分身についてきているということで合格としましょう」
「って、そんな危険な状況だったのか、おれたち!?」
「だから動いたら安全は保証しないって言ったでしょ?」
「動いたらとは言ってなかったよ」
「気にしな~い気にしない♪」
ケラケラと笑いながら、恐ろしいことをさらっと言ってのける。……マグナの心労を計り知るには充分かもしれない……
「ってコトで、この方法真似したら確実に返り討ちにあうから、しないよーに♪」
「しないって……というか、できないし」
ハヤトの言葉は、そのままトウヤの心でもあった。
殺気の出し方など知らないし、出来たとしても彼女の言う通り返り討ちは確実だ。今の二人がどういう動きで斬り結んで――鞘と棒だから、正確には打ち合って、だろうか――いたのかも、全くわからなかったのだから。
「あはは♪ それはそーだねェ。んでも起こしてみたいなら、マグナの腹部目掛けて思いっきりダイブしてみるといいかも♪」
「俺、起きる前に永眠する……」
「肘落とされるわけじゃないんだからしない、しない♪ それに、毎回それで起こされてたら、そのうち気配察して先に起きれるようになるカモだし♪ そうしたら、殺気に反応するよりは平和な目覚めになるよ♪」
「気配察せるようになるまでが平和じゃない……」
「何ごとにも苦労は付き物だ! んじゃ、二度寝したらヒドイよ~♪」
実に楽しそうな笑顔を残して、は部屋から出て行った。
残ったのは、部屋の主の男三人。
マグナはうつ伏せにベッドに沈んだまま微動だにしない。ハヤトとトウヤも――二段ベッドに並んで座ったまま、動く気になれなかった。
とはいえ、このまま無為に時間を浪費するわけにもいかない。
トウヤは靴を履いてベッドから下り、マグナを見る。
「マグナ、起きてるかい?」
「起きてるよ……」
呼びかけてみると、くぐもった返答が返って来て、ようやくもそもそと起き上がった。
「二度寝したら、今度はどんな目に遭うのか聞いても?」
眠いのか疲れなのか判別は出来ないが、ぼーっとしている彼に問い掛けてみた。すると、眉間に皺が寄って。
「同じ方法で起こされて、この後の戦闘訓練でがいつもの倍は鬼教官になる……」
うんざりしたとうな……それできて、どこか恐ろしさを含んだような表情が、『鬼教官』の授業のすごさを物語っている。
なんというか……ご愁傷様としか言えない。否、寝坊をするマグナの自業自得でもあるのか。
掛ける言葉もないトウヤの代わりに、ハヤトが口を開いた。……慰めるどころか、追い討ちを掛けるような内容だったが。
「なあ、マグナ。明日の朝、さっき言ってたの試してみてもいいか?」
「もう、好きにしてくれよ……」
いじけと自棄とが混じった言葉が、所在なさげに室内に現われて。マグナの憐れさを浮き彫りにしてから、消えていった。
「さて、と……どうしよっかなぁ……」
ほてほてと孤児院内を歩きながら、ナツミは呟いた。
フラットの人たちは揃って気にしなくてもいいと言ってくれたが、居候の身分でその言葉に甘えるわけにはいかない。
昨日は一日、召喚術の知識と実践、そして魔力制御の訓練に時間を費やした。そのお陰か、誓約は無事に出来たし、魔力についても何となくだがコツはわかった。誓約済みの石を使った召喚も問題なしと、及第点をもらったし。
とくれば、次は武術を身につけてオプテュス襲来に備えておきたいところなのだが……肝心の教師役が二人ともいなくなってしまっていた。
はマグナを起こしに行ったまま戻ってこないし、男部屋を覗きに行けばもぬけの殻だし、そのうちにアヤもいなくなってしまったのだ。
手持ち無沙汰になってしまったので、何か役に立てることはないかと歩いているところなのだ。
「ん~……やっぱ聞いたほうが早いかな」
丁度通りかかったガゼルの部屋の扉をノックして、中へとお邪魔した。
「よぉ、どうした?」
「なんか、あたしにもできることない?」
明るく出迎えてくれた彼に単刀直入に聞くと、ガゼルは人差し指を左右に揺らしながら「わかってねえなぁ」と呟いて。
「おまえの仕事は、ここで留守を守るってことだろうが!?」
「でもさ……」
オプテュスが毎日毎日喧嘩を吹っかけてくるわけでもないのに、何もせずにいるというのは違う気がするのだ。
がこの世界にいる以上、ナツミも元の世界に帰る気はない。いつまでここに世話になるかはわからないが、戦う以外にもできることはあるはずだから。
なるべく、負担にはなりたくない……
「言いたいことはわかる。オレだって、仕事に就けなくてブラブラしてる身分だしな……」
考えていることを上手く言葉にできずに黙っていると、ガゼルのほうが察してくれた。
それは、同じ想いを抱いていたから。
この、言いようのないモヤモヤした気持ちは、何も自分だけではないのだ。ガゼルも、同じ。この世界に生まれた者も、持っているものだ、と。
そう思うと、何だか楽になれた気がする。
更にその気持ちを助ける言葉を、ガゼルはくれた。
「どうしても気まずいと思うんなら、リプレの仕事を手伝ってやるのはどうだ? チビどもと遊んでやるとかよ……」
自分にも、出来ることがあった。そのことが何より嬉しくて。
「うん、そうするよ! ありがとね、ガゼル!」
笑顔で礼を伝え、ナツミは子供部屋へと向かった。
マグナを起こした後、は庭へと足を運んでいた。
空いているようなら、また戦闘訓練に使わせてもらおうと思ったのだが……生憎と先客がいた。
掛け声と共に木刀で素振りを繰り返している少年・アルバだ。
「アールバ。剣術の訓練中?」
「おう! 今度悪いヤツが来たら、オイラも姉ちゃんたちと一緒に戦う!! そのための訓練だい!」
真っ直ぐに人の目を見て話す彼は、なかなかに勇敢で芯の強い子のようだ。――幼さ故の無鉄砲と、言えなくもないが。
でも、これはいい機会かもしれない。
「ねえ、それってレイドさんから習ったの?」
「そうだよ」
「ん~……まだ続けるよね?」
「おう!」
「んじゃ、ちょっと待ってて!」
言うが早いか、はもと来た道を走って戻った。
「ハーヤートっ、発見!!」
――ドカッ。
「ぐはぁっ!!」
レイドの部屋から出るなり、ハヤトは背中から衝撃を受けて吹き飛ばされてしまった。
見事に床の上でスライディングする羽目になったハヤトの上に、愉快そうな声が降り注ぐ。
「うわぁ♪ 出会った頃のマグナみたいに見事なコケっぷりだね!」
振り返るまでもなくわかる、襲撃犯・。
「なんなんだよ、一体……何か用事か?」
痛みを堪えて起き上がり訊ねると、彼女はずいっと顔を近付けてきて。
「そう! 用事よ用事! レイドさんの部屋で何してたの?」
「何って……レイドさん、剣の手入れしてたから少しだけ話しただけだけど……」
「よっしゃ! ばっちぐぅ! 剣を持ってるなら丁度いい! 行くよ!!」
「ちょ、な、どこへ――ってか、自分で歩けるから!!」
質問も苦情も一切受け流され、ハヤトは後ろ襟を掴まれてそのまま台所まで引きずられた。
……この破天荒なパワーは、どこから出るのだろうか。
「……何をやっているんだい?」
されるがままだったハヤトにとっての天の声は、台所にいたトウヤのもの。
彼の声での手が離れ、ようやく引きずりから解放された。
「ハヤトを連行中~♪」
「連行しなくても逃げないと思うけど……」
「こっちの言うこと一切聞かなかったんだよ……トウヤはここで何してるんだ?」
「リプレに頼まれて、夕食の食材調達のために釣りに行くところなんだ」
言葉通り彼の手にはバケツと釣竿。
居候の身分の自分たち。戦いがない時に役に立てることを、トウヤは見つけたらしい。
「あ、それいいな。二人で釣れば量も増えるかもしれないし、おれも……」
お金を稼げなくても自分が食べる分は賄(まかな)える――と。トウヤに便乗しようとしたのだが――
「ハヤトはこっち! 用があるって言ったでしょ!」
台所横にある扉から庭へと、問答無用で引っ張り出されてしまった。そしてまたも――今度は流石に引きずられはしなかったが、引っ張っていかれた庭の中央には、アルバがいて。
「アルバ、おっまたせ~♪」
「あれ? 兄ちゃんたち?」
アルバの疑問の声で振り返り、トウヤもいることに気付いた。
「釣りに行くんじゃなかったのか?」
「釣りには行くよ。でも、彼女の行動にも興味があってね」
行く前に見物することにしたらしい。
ハヤトは溜息をこぼして、話題の中心人物を見た。
「……で、何をするんだ?」
「武術訓練入門編ってことで、素振りだよ♪」
――ああ、それで、剣を持ってるなら丁度いいって言ったのか。
「んじゃ、アルバ! ハヤトにやり方教えてあげてくれる?」
「――はあっ!?」
思わず声をあげたのも、無理はないかと。
かマグナが教えてくれるのだろうと思っていたし、そうじゃなくてもレイドだと思う。――なのに何故(なにゆえ)、戦闘経験のない子供が教師役なのか。
「かマグナじゃないのか!?」
「マグナに剣術仕込んで『いる』のはあたしで、あたしが知っているのは帝国式なの。マグナにはそれでもいいんだけど、ハヤトには向かないと思うから」
「向かないって……」
「うーん……わかりやすく言うと利き腕みたいなモノかなぁ? 利き腕じゃないほうって使いにくいでしょ? そんな感じで、ハヤトは帝国式よりも聖王国式のほうが覚えやすいと思うのよ」
詳しいことは多分、聞いてもわからないだろう。でも、この言葉で型の問題は納得できた。
残りは――
「それで、アルバが先生なのはなんで?」
「まずは真剣の重さに慣れなきゃね。剣に振り回されるようじゃ、話にならないもの。手に馴染むくらいの感覚で素振りができるようになって、それからよ、型を覚えるのは」
素振りだけなら、アルバでも充分教えられる。
「それに、二人いれば切磋琢磨! 互いに競い合うことで成長も早まるしね!」
「おーっ、姉ちゃんスゲー!」
パチパチと拍手を送るアルバ。ハヤトは――頷きかねている。
の言っていることは充分にわかる。わかるのだが……やはり、その……プライドの問題というか……
悩んでいたハヤトの目に、もう一人武術訓練を必要とする者の姿が映った。
「そうだ! トウヤはどうなんだ!?」
矛先が向いた当人は余裕を崩さず、視線を向けてくるを見つめている。
はというと、少し唸ったあと。
「トウヤさ、剣道やってなかった?」
「ああ、小学生の頃から道場に通っているよ」
「でさ、『面』より『胴』とか『小手』のほうが得意だったでしょ?」
「よくわかるね」
「うん……以上!」
「いや、わかんないから!」
一人質問を繰り返し完結されても、わかるわけがない。
素直に返すと、は一瞬面倒くさそうな顔をして――それでも答えてくれた。
「剣道を習ってたんだから基本は既に出来てるってこと。ハヤトと同じく真剣の重さに慣れる必要はあっても、一から教える必要はないの。で、トウヤはあたしと同じく横斬りタイプだから、あとであたしが実戦用の型を教えるわ」
「ああ、頼むよ」
トウヤへ向けられた言葉に、彼は素直に頷き、も満足げにそれを見て。――にぱっ、と。笑みを咲かせた。
「んじゃ、そゆコトで♪ あたしはこれからマグナひっ連れて戦闘訓練行ってきます! アルバ! あとヨロシクね~♪」
「おう!」
すたこらさっさ~という言葉がぴったり合いそうな風体で去っていってしまった。
「僕は釣りに行くよ。ハヤト、しっかりな」
トウヤもまた、そう言い残して行ってしまって。
仕方なく……ハヤトはアルバと向き合ったのだった。
「よお、ナツミ。おまえ、さっき何か仕事がしたいって言ってたよなぁ?」
子供部屋でラミと本を読んだりフィズと話をしたりしたあと、台所でリプレのパン作りを少しだけ見学した。その際、今まで食卓に載っていたパンが手作りであったことを知り、素直に感嘆の声を洩らしたのだが、照れたリプレがどこかへ行ってしまったりした。
その彼女を探して玄関に差し掛かった時、外へ出ようとしていたらしいガゼルに声を掛けられたのだ。
「うん、なになに、なんか手伝えることあるの?」
「ああ、薪が切れたんで取りに行くんだ。付き合うよなっ?」
「行く――!! ……ケド」
「『けど』?」
「それってさ、やっぱ男手があったほうがいいよね?」
「あー、まあな。そのほうが効率はいいだろうな」
「んじゃ、ハヤトかトウヤ呼んでくるよ!」
くるっと方向転換。院内をぐるっと見てこようと駆け出しかけた時――
「僕がどうかしたのかい?」
目的の人物が一人、なんと玄関を開けて現われた。
「トウヤ!? どこ行ってたの?」
「アルク川まで魚釣りに。今日の夕食の食材だよ」
彼の手にしたバケツには、いっぱいの魚が跳ねている。
「うわっ♪ すっごい楽しみ~♪」
「ああ、だったら尚のこと、薪拾いに行かなきゃな」
「そういうことか……わかった。これ置いてくるから、少し待っててくれ」
男手であるトウヤが台所から戻るのを待って、三人で町の外へと向かった。
外へと出るのに使った道は、門ではなく、街を囲む壁が壊れてできた穴だった。
昔、戦争の時に壊されたものが放置され、それ故にその周辺がスラム街になっているのだと。薪を拾いながら、ガゼルが教えてくれた。
「あたしたちも多分、あの穴から入ったんだ……」
「間違いねえだろうな。……ほれ、こっちに来てみな?」
呟きを聞いた彼は集めた薪をひとまとめにして置き、森の外れへと手招きした。
本当に、すぐそこ。茂みを抜けたその先には、今までの緑が嘘のように茶色い荒涼とした大地が広がっていて。
「どうだ? 見覚えあるか?」
「ああ。確かに、走ってきた場所とよく似ているよ」
答えたのは、トウヤ。
ナツミは……どこをどう走ったのかは勿論、景色など全く覚えていなかった。……ただ、逃げ出すので精一杯だったから。
「ここから南は全部、こういう荒野さ。街の工場が流してる毒の水のせいでな」
「……工業排水の処理設備は、まだないんだな……」
若しくは、あってもあえて作っていないか。
孤児院を潰して子供を放置するような社会状勢だ、充分にありえることだろう。
日本で生きていた時は、整えられた街並みしか知らなかった。話には聞いていても、自然破壊とかの問題は自分とは遠い位置にあるように感じていた。
けれど、こうして目の当たりにすると――自分の愚かさを思い知らされる。
そうだ……決して遠い問題ではなく、すぐ身近にもあったのに……忘れていた。忘れて、いたかったのだ……
「この荒野のどこかに、僕たちが最初に呼ばれた場所があるのか……」
物思いにふけっていたナツミは、トウヤの呟きで現実に意識を戻した。
「……なぁ、行ってみっか?」
トウヤの呟きと――恐らく暗い表情をしていただろう己を見て勘違いしたのだろうガゼルが、気遣うように言った。
「明日にでもみんなに声掛けてよ。何か手掛かりがあるかもしれねえだろ?」
「……そう、だな」
僅かに期待を滲ませて、トウヤが頷く。
その姿を眺めて――ナツミは目を逸らした。刹那。
――ドンッ。
大きな音が響いて。
「な、なんだ!?」
「……あれ」
ガゼルの叫びに、逸早く音の出所を見つけたナツミはその場所を指差した。
舞い上がる煙と幾度も光る魔力の輝き。そして、響いてくる金属音と――素早く動く人影。それは――
「あ、ああ……マグナとか」
「あれ? アヤもいるね」
こんな場所で訓練をしていたらしい二人の近くに、彼らの戦いを見ているアヤの姿を見つけて、彼女のもとへと行ってみた。
近付いて、気付いた。アヤの手にある杖の存在に。
「アヤ、ひょっとして武術習ってたの?」
「あ……はい。とりあえず、重さと扱いに慣れることが先ということで、振り方と回し方を……けれど……」
言葉を区切り、アヤは戦闘訓練中の二人へと目を向ける。
「お二人の戦いが始まってしまったら、ついそちらに目を奪われてしまって……」
彼女の言葉には、納得できる。すごい、の一言しか出ない。
「確かに、明らかにレベルが違うからね」
トウヤもそう感想をこぼして、同じように見入った。
剣術だけではなく、斬り結びながらも召喚術を使用する、その集中力と技術。とても一朝一夕に出来るとは思えない。
更に周囲にも気を配る洞察力・動体視力。力の配分も……全てが、すごいの一言。
「……あたしたちも、あのくらいにならなきゃ、何かを守ることなんて出来ないのかな……」
ぽつり、と。こぼれた呟きは、同じ力を抱いている二人の中に、共鳴を呼んだ。
「そうなんだろうね。僕たちは、まだ入口に立ったばかりなんだ」
「これから、ですよね。何をするにも」
新たに決意を持った。
ナツミは二人を見、二人もまた見てきて――ひとつ、頷く。
「ほら、ガゼル! さっさと薪拾っちゃお!」
「お、おう!」
きょとんとしているガゼルより先に、森へと戻る。
ナツミとトウヤの思いは、きっと同じ。明日、荒野へ行くのなら尚のこと何もしないわけにはいかない。
――薪拾いを早々に済ませて、最低限武器の扱い方だけは覚えなければ。
その想いを形にするため、ナツミはトウヤと共に急いで薪を集め始めたのだった。