仮 面 舞 踏 【 月 影 の ジ ル バ 】
第 3 曲
2・花より団子で大騒動

 魔力も回復し、無事にマグナが目を覚ました翌日。エドスの唐突な思い付きによって、キールたちの歓迎会も兼ねた花見をすることになった。
 突然決まったイベントだが、フラットメンバーには慣れたことなのか、てきぱきと準備は整えられた。
「よし、みんな。忘れ物はないなぁ?」
 いざ出発という、妙に張り切った様子のエドスに小首を傾げつつ、アヤは他の者へと視線を巡らせる。エドスの勢いに押された形なのと、あまりの手際のいい準備とに呆気にとられているのは自分だけなのだろうか――と。気になったからだ。
 子供たちは普通にはしゃいでいるし、彼らを見ているリプレやレイドの顔も穏やかで、特に負の色は窺えない。ハヤトやマグナたちも楽しんでいるように見える。
 やはり自分だけ……気にしすぎだろうか、と。そう結論を出した時、近くにソルの姿を見つけた。
 フラットに来てから、ずっと部屋に籠りっ放しだった彼は、今日のことをどう思っているのだろう。
 ふと浮かんだ疑問に、アヤは彼の側へと近づき、並んで歩きながら聞いてみることにした。
「ソルさんは、お花見に行ったことありますよね?」
「いや、ない」
「そうですか……」
 実に端的な答えに、一瞬次の言葉が浮かんでこなかった。けれど、よく考えればいい機会だということだろう。
「それじゃあ、思いっきり楽しみましょうね?」
 アヤ自身、久し振りの花見に対する期待が大きくなっているのを自覚し、そのまま形にしてソルへと向けた笑顔だったが……
「え? 俺はもう楽しんでるぜ」
「……え、はい……」
 見事に凍りつく結果となってしまった。
 花見は初めてだと言っていたが、ひょっとして『花見』というもの自体を知らないのかもしれない。そんな考えが頭をよぎったが――それはそれで、いいのかもしれない。
 皆で過ごすこの時間を楽しんでくれているのなら……そう思い直し、アヤは彼の隣で笑った。

 アルク川の河川敷。そこにあるはずのアルサックの木は、全てテントに囲まれており上部が僅かに見えるだけとなっていた。
 昨日まではなかったはずのテント。どうやらそれは、城の貴族によって張られたものらしく、今日の花見はどう頑張っても不可能となってしまった。
「こんなの、オレは納得できねえぞ! そうだろ、エドス!?」
 準備も、ここへ来るまであった期待感も、すべてを台無しにされた理不尽さを露にするガゼルの問い。その気持ちはきっと全員同じだろう。けれど、一番楽しみにしていた発案者は沈黙している。
 代わりにレイドが、大人らしい見解を述べた。――即ち、現実を。
「私だって納得したわけじゃない。しかし、どうしようもないだろう?」
「……そうだな」
 示された現実に、沈黙していたエドスが静かに同意した。そして振り返って、笑みを向けてくる。
「なに、単なる思い付きで決めたことだ。こういう事情ならば、諦めもつくよ。色々と準備をしてくれたリプレやガゼルにはすまんがな」
「――っ」
 彼の笑顔が、言葉が。却ってその無念さを表していて、余計に増したやりきれない想いをガゼルが全員に代わって代言する。
「くそっ! ここの花はあいつらの持ち物じゃねえだろうがよ!! なんで貴族連中の都合で、オレたちが遠慮をしなくちゃなんねえんだよ……っ」
 どうにもならないとわかっていても、諦めきれない。貴族に対する反感の表れでもあるのだろうが、その想いは、大人の理不尽さに納得できない子供の苛立ちのようにも思えた。
 それはきっと、誰にでも覚えのある感情。けれど、どうしようもない、仕方のないことだ――と。割り切ってきた……割り切ることが大人になることだと、身につけてしまった不発弾……
 アヤだってそうだ。少なからず、そうしてきた部分は確かにある。――けれど。
「待ってください!」
 このまま終りたくはなかった。
「みなさん、大事なことを忘れていませんか?」
 あんなに楽しみにしていたエドスのためにも、誰もが押し込めてきた想いを素直に表してくれたガゼルに報いるためにも。
「大事なこと?」
 そして、何より――
「今日ここに来たのは、ソルさんたちの歓迎会をするためでもあったじゃないですか」
 折角、部屋から出てきてくれて、皆と過ごす時間を楽しんでくれているソルのためにも……
 この機会を――時間を、潰してしまいたくはなくて。意気消沈していた皆の気持ちを取り戻すために、アヤが告げたもうひとつの目的は。
「……そうね。アヤの言う通りだわ。お花見ができないのは残念だけど、だからってさっさと帰る必要はないじゃない。折角だもの、ここでお弁当食べて、のんびりしていこうよ」
「……そうだな……オレも、それなら賛成だ!」
 無事に果たせることとなって。
 事の成り行きをただ見守っていたソルと目が合い、アヤは嬉しさをそのまま――少し照れたような――笑顔に変えた。


「んー、美味しかったぁ」
 両手を高く上げ、大きく欠伸(のび)をしたマグナの口から満足げな呟きがこぼれる。
 アルク川のほとりにて、皆でお弁当を食べたあとのこと。それぞれが思い思いに時を過ごす中、マグナはのんびりと歩くことにした。
 川面を渡るひんやりとしたそよ風。天から降り注ぐあたたかな陽射し。適度に腹も満たされた、穏やかな午後のひととき。
「昼寝したら、すんごい気持ちよさそうだよなー……」
 蒼の派閥にいた頃の習慣から、ついつい昼寝に良さそうな木陰を探しながら歩いていることに気付き、苦笑が漏れた。
 しかし、すぐに鳴りを潜める。それらの行動の根底にあるものが、人を避けようとする『逃げ』の気持ちだと気付いたからだ。
「……まだ、ダメだなぁ、俺……」
 のお陰で、過去や欠点しか見えていなかった目を未来や希望、理想へと向けることができたはずだったのに。現実には、何も変わっていない……未だ心は過去に縛られたままで。
 それはただ、自分自身の問題――弱さ。弱い故の、恐れが。根強く残っているためだった。
 マグナは、人を――大人を、信用、しきれていなかった。
 そうなって当然と思える生い立ちであるのは事実だが、それを言い訳にしたり、まして開き直ってしまうのは逃避以外の何物でもない。
 だって、信用できる人物も確かにいたのだから。
 それは、ここ『フラット』に集う者たちも同じだ。信用できると思っているはず、なのに……恐れる心がそれを確かめることを拒み、昨晩は意識が戻った後も狸寝入りを決め込むことで人と話すことを拒絶してしまったのだ。
 そんなささやかな逃避行動を続けるわけにもいかなくなった今朝、恐れていたようなことは何もなかった。誰もマグナを責めることも原因について問い質すこともなく、ただ体調を気遣い心配してくれただけだった。
 特に、フィズが何の躊躇いもなく手を握って笑いかけてくれたことには、本当に救われたような気さえした。――なのに。
「意気地なし、だなぁ……」
 皆の気遣いを本当に嬉しく感じる反面、心の一部でそれを信じず否定する思いがくすぶっている。だから、彼らの思いに応えようとせずに避けたりしているのだと思う。
 人を助けられる人間になりたい、と。確かに願ったはずなのに、何という矛盾だろう。
「駄目だよな、このままじゃ……」
 右手に視線を落とし手の平をじっと見つめた後、きつく握り締める。
 やっと未来に目を向けられたのだ。いつまでも留まっていては意味がない。理想を実現するために、一歩を踏み出さなくては。
 恐れる心から抜け出し、疑う心に背を向けて、彼らを信じよう。そして、彼らの気遣いに応えるために、二度と暴走召喚をせずに、出来る限り彼らを守りその力になれるよう努力しよう。
 決意を固めたマグナは、青空を仰いで深く息を吸い込んだ。
「お、マグナ」
 耳に飛び込んできた自分を呼ぶ声で、閉じていた目を開く。きょろきょろと声の出所を探す視界に、緩やかな土手を登る途中の斜面に座って手を振っている人影が映った。
 その、瞬間。心臓のあたりが、何か言いようのない嫌な反応をした。
 決意を固めたばかりだというのに、弱い自分が逃げ出したいと叫んでいるのだ。
 ぐっと拳を握り締めてそれを黙らせ、深呼吸によって宥めすかした上で、悟られないように笑顔の仮面を着けてから足を向けた。
「ガゼル、ハヤト」
 片手を挙げて人影の名を呼べば、二人も同じようにして答えた。そしてその手で自分たちの隣を示す。
 尚、逃げたい、逃げようと訴える己の心を抑え込んで近付き、示されるままハヤトの隣に腰を下ろした。
 マグナの挙動を片やさり気なく、片や見るからに心配そうな表情で観察していた二人は、落ち着いたのを見計らい口を開く。
「えっと……本当に、もう大丈夫、なのか?」
 控えめに問いかけてきたハヤトからは、恐怖や嫌悪といった負の感情は微塵も感じられない。あるのは、心からマグナの体調を心配する気遣いだけ。
 逃げたいと叫んでいた弱い自分が、抑え込む必要もなく大人しくなるのを感じる。恐れることは何もないのだ、と。頭ではなく心が納得した瞬間、心から心配されていることが何だかくすぐったい感じがして、マグナは仮面じゃなく本心から苦笑していた。
「ああ。ごめんな、危険な目に遭わせて。それと、止めてくれてありがとう」
 正直な話、あの瞬間のことはよく覚えていなかった。『トリスを』取り戻す――その思いに囚われていたから。そのためだけにただ魔力を解放し、その結果がどうなるかすら考えられる状態ではなかったから。
 それでも、ハヤトの声を聞いた気がして自然と出てきた感謝の言葉に、向けられた当人は緩く頭を振る。
「いや、おれ一人の力じゃないし……マグナだって、つらかったんだろ?」
 気になってはいるだろうに、それでも具体的に追求してはこないその気遣いが、マグナの心をあたたかくする。ほんの少しの勇気を、与えてくれる。
 前へ進むと――人を信じてみると決めた。ならば、少しは話すべきだろう。彼らの気遣いに甘えるのではなく、応えるために。今、確かに、そう思わせてくれた彼らだからこそ。
 瞑目したあと青空を仰いで、マグナは口を開いた。
「昔……トリスが……妹が、あんなふうに野盗に捕まって、殺されそうになったことがあってさ……」
 暴走召喚を起こす原因となった過去を口にしたマグナへと、少し驚いたように二人が視線を向けてきたのがわかった。顔を向けてみると案の定、驚きと、そして心配を刻んだ顔がふたつあって。マグナは大丈夫だと伝えるために、小さく笑ってみせた。
 すると二人は揃って安堵の息をこぼし、今度はガゼルが口を開いた。
「孤児院にいた頃、か?」
「ああ」
 確認の意味の問いに、素直に頷く。そのまま視線は下がり、光を反射して流れる川面を映す。
「……あの瞬間まで、そのこと忘れてたんだけどな……」
「似たような光景見ちまったせいで思い出しちまったってことか……」
「うん」
 やっと全てが繋がり納得した声音のガゼル。やはり責めることなく、また、深く追求してもこないその優しさは確かに本物だと。ようやくマグナの弱い部分も心の底から信じられた気がした。
 勇気を出して、話してみてよかった、と。
「トラウマってことかぁ……」
 安堵していたマグナの耳に入り込んだ小さな呟きに、ガゼルと共に頭に疑問符を飾って、呟いたハヤトを見る。
「とらうま、って?」
「え?」
 素直に尋ねると、ハヤトまできょとんとした。ややあって、リィンバウムにはない単語だと気付いたらしく、言い直してくれる。
「ああ、心の傷――ってことかな?」
 わかりやすく言い直してくれた言葉に得心がいったマグナは、少しの間自分の心と向き合ってみた。
 前へ進むと決めて乗り越えたつもりでも、思い出せばすぐに痛みが蘇ってくる。その痛みが弱さを刺激し、逃げるという選択肢を示してくる。確かに――傷だ。
「……うん、そうだな……俺は、多分忘れていたかったんだと思う。全ての始まりとなった元凶が自分だってことを……守りたかったはずのトリスを傷つけたのが、自分の力だってことを……」
「マグナ……」
 心配そうな声音で呼ばれ、いつの間にか閉じていた目を開ける。声音の示すまま不安げな表情を見せているガゼルへと、マグナは笑顔を向けた。仮面ではなく、本心から。もう平気だと示すために。
 その心が伝わってくれたのか、ガゼルも小さく笑い返してくれて、それ以上何も言うことはなかった。
「忘れていたい、心の傷……」
 代わりに声を出したのはハヤトだ。
 どこかぼんやりとした表情で一点を見つめ、感情のこもらない無機質な声音で呟いたのだ。
 あまりにも彼らしくないその様子に、ガゼルと顔を見合わせる。二人で首を傾げてから、呼びかけてみた。
「ハヤト?」
「……え?」
 反応するまでに僅かな間。まばたき数回繰り返してからこちらを向いたハヤトの表情はひどく不思議そうなもの。
 だが不思議でならないのはマグナのほうで。
「どうかしたのか?」
「え、何が?」
「一瞬、ぼんやりしてたけど」
 理由を問いかけても、ハヤトの反応に変化はない。むしろ、ぼんやりしていた自覚すらないようで、首を捻っていて。
「あー、うん……なんでもない」
 本人ですらわからないなら聞くだけ無駄かと、切り上げることにした。
「まあ、辛気臭え話はここまでにして――」
 マグナの意向を汲んだのか、声のトーンをいつもの調子に戻したガゼルの言葉で、ハヤトもそちらへと注意を向けた。
 注目が集まったのを確認したガゼルは、にんっ、と。企み顔で川上――例のテントで囲まれた方向を指差して言った。
「マグナの回復祝いも兼ねてよ、ちょーっち、つまみ食いに行かね?」
「え゛っ!?」
 驚きの声をこぼして固まったハヤトの横で、マグナはガゼルと似たような表情を浮かべた。
「なんだよ、俺をダシにする気か?」
 言葉は不満を訴えていても、そこに本心は含まれていない。ガゼルもそれは充分わかっているようで、気にした様子は微塵もなく答えを返す。
「オレらの花見を台無しにしてくれた礼だよ。マグナだって、折角回復したってのにアレっぽっちじゃ物足りねえだろ?」
「まあな」
 マグナとガゼル。二人顔を見合わせたあと、同時にニヤリと笑みを浮かべた。それは、悪戯を思いついた子供がする企み顔そのもので。
「え、ちょ、マジか二人共!?」
 ひくり、と。口許をひきつらせたハヤトの問いに、二人は全く同じ表情で振り向いて。
「マジマジ」
「なーに、バレなきゃいいんだって」
「行くぜー」
 逃げ腰になっていたハヤトの両脇をそれぞれ固めて、ガゼルとマグナは立ち上がった。そしてそのままテントへ向けて歩き出す。
「ちょ、バレなきゃって……向こうじゃなくって、こっちにバレたらまずいんだってー!!」
 引きずられながらの必死のハヤトの制止も、マグナの耳には入ってこなかった。
 受け入れられたことが、たった一歩でも確かに前進できた事実が本当に嬉しくて。そして、こうやって悪ふざけできることが楽しくて、かなり本気で浮かれていたから。
 ハヤトの制止に従っていればよかった、と。後悔先に立たずという言葉をまさしく体験することになろうなどとは、この時は微塵も思えなかったのである。


 マグナの魔力も完全に回復し、いつもの調子に戻れたは、オルドレイクの手の者と交流を深めるつもりなど更々なく、近くの木の上に避難していた。
 昼食後の午後のひととき。眠気が起こるのは人類共通のメカニズム。
 川を渡る涼しい風に歌う木の葉の囁きを子守唄にして、うとうととしていた頃のこと。
 懐かしい、魔力を、感じた。
 あれは……まだ、この世界に来たばかりの頃だった……上手く動くことすらできずに、ふわふわと宙を漂っていた頃から感じていた魔力……
 自由に動けるようになったあと、何故か今度は逆に漂うことができなくなって、そして――

 ――ビシャアァンッ!!
 ――ドンッ!

 夢現に漂っていた思い出を引き裂いた、突然の落雷と爆音。ビクッと反応した体に引きずられ、瞬時に意識も現実へと戻った。
「へっ!? って、ぎゃ――――――す!!」
 その瞬間、襲い掛かった落下感。師匠であるキュウマに叩き込まれた条件反射で、何を考えるより先にまず受け身をとった。
 当然そのような状態で華麗に着地など決められるはずがなく、木の根元に無様に転がる結果となる。
!?」
「うー……」
 キュウマに知られたら、絶対特別訓練メニューを突きつけられてみっちり鍛え直されるような失態に泣けてきた。
 だが、ここは聖王国。キュウマは近くにはいない。にも拘らず島にいる感覚に戻ってしまっているのは、夢の形で見た島の風景と――それを引き起こさせた、今尚感じ取れるこの魔力の所為だろう。
 そして、その魔力と対抗しているとしか思えない、もうひとつのよく知る魔力……思い出に引きずられている場合じゃないのは明白だ。
 深く溜息を吐くことで気持ちを切り替え、仮面装着。それを見計らったかのように、目の前に手が差し出された。
「いないと思ってたら……大丈夫?」
 ナツミだ。わかっていて合わせてくれる彼女に胸中で感謝しつつ、その手を取って立ち上がる。
「なんとか……それより、マグナの魔力なんだけど、この爆音の元」
 思い思いの場所でのんびり過ごしていた仲間たちが、緊張感を持って集まってきている中告げたその言葉は、更に彼らの不安を煽った模様。誰からともなく視線を巡らせて、人数確認。
「ガゼルとハヤトの姿も見えないわ」
 逸早く終わらせたリプレの不安げな声で、皆の視線は音の出所――テントのほうを向く。
 丁度その時、再び落雷が。しかし、上空は快晴。雷をもたらすような雨雲は見当たらず、自然現象ではないのは明らかだ。しかも、何やら騒々しい気配まで見て取れるとなれば――
「何か、あったようだな」
 誰が考えてもそうとしか思えない。
 レイドの呟きに同意を示す溜息を落としたのは、だけではなかった。
「まったく、あのご主人様は、今度は一体何をしでかしてくれてるのかしらね」
 マグナとガゼルは孤児という共通点からか、どうも気が合うらしい。仲が良いというのは悪いことではないが、悪巧み的に騒動を起こすのはいただけない。
 愚痴にも似た呟きに込められたその思いを察したのか、レイドとエドスの苦笑いが視界の端に映った。ついでに、じっと睨むように見てくるキールの姿も。
 何か言いたげな……否、観察しているような様子だ。だが関わり合いになるのはなるべく避けたいので、こちらから目を合わせるようなことはしない。すると、ふいっと顔を背けて皆と同じ川上へと視線を移した。
「とにかく、行ってみよう」
 トウヤの号令に否を唱える者はなく、リプレと子供たちに見送られながら戦える者は皆、騒動の元へと駆け出した。


「な・に・を・しでかしとるかぁーっ!!」
「ぐはぁっ!?」

 突然の乱入者による予想外の展開に、乱入者以外の全員が事態を飲み込めずにぽかんとして動きを止めた。
 然も有りなん。
 貴族の花見会場の一角。警備兵と、どう見ても何か悪さをしでかした三人の平民の少年との争いの現場。同じく平民である二人の少女が、身内であるはずの少年二人に手加減もなく飛び蹴りを食らわせて吹き飛ばしたのだから。
 敵対していた兵士たちはもちろんのこと、早々に少年たちを救出して連れ帰ろうと意気込んでいたレイドたちすら呆気にとられてしまったとしても無理はなかろう。
 かくいうキールとて、その一人。だがまだ他の者に比べれば幾分か冷静でいられたのは、監視者という己の役目を弁えていたからだろう。
 それ故、ハヤトたちの姿が見えるや否や猛ダッシュで自分たちを追い越し、その勢いのまま飛び蹴りを繰り出すという所業に出たナツミとを、注意深く観察する。
 吹き飛ばされた挙句に兵士に激突し、諸共地に倒れ伏す事態に陥ったハヤトとマグナ。ナツミはハヤトの、はマグナの首根っこを掴んでまるで荷物でも扱うかの如く引き起こすと、呆気にとられたままの兵士たちのほうを向いて。
「それじゃ、お騒がせしましたー」
「このおバカ共は、こちらでしっかりおしおきしておきますんでー。では、御機嫌ようー」
 さらりと何事もなかったかのように笑顔で爽やかに告げて手を振り、二人の少年をそれぞれ引きずりながらこちらへと歩いてきて――
「待たんか平民どもー!!」
 ハッと我に返った召喚師だと思われる貴族の怒声によって、二人の足は止められてしまった。
 混乱の内に早々に逃げて事態を有耶無耶にする算段だったのか、失敗に終わった途端に笑顔を消したナツミはあからさまに舌打ちした。……ガラが悪い。
 変わり身が早いとも言い表せる態度の変化は、普段の明るく前向きな姿との差を際立たせている。勉強中の姿を見ても、まるで二面性を持っているかのようだ。それが元からのことであれ、危惧すべき要素といえる。
 己らが行なった召喚儀式の失敗によって、予想外に呼ばれた存在。通常、繋がるはずのない世界から呼び出せたことは事故として処理できるとしても、元の世界で持っていなかった力を行使したということについてはただの事故では片付けられない。
 あの儀式で呼ぼうとしていたものは、通常の儀式では召喚不可能なほどの強大な力を持った存在だ。儀式自体も特殊で大掛かりであったがため、その失敗によって予想もしなかった事態が起きたとしても不思議はない。
 予定外に呼び出され、本来持ち得ない力を行使してみせたのは――四人全員。それに関して最も可能性が高いのは、本来召喚するはずだった存在の力だけが四人に分散して宿ったのではないかということ。
 その、中で。ナツミだけが二面性を持っているとすれば――『本体』と呼ぶべき『力の主』が彼女の内に宿る形で召喚された可能性が疑われるのだ。
 『ソレ』を見極めるために彼らに近付いたキールにとって、他の三人にも増して要注意すべきだと判断せざるを得ない事態だった。
 キールが問題視したナツミの悪態。彼女の背後に位置する召喚師風の貴族にも聞こえたのか、それとも雰囲気の変化を感じ取ったのか。怒りを煽られたらしく、握り拳を作った腕を小刻みに震わせて憎々しげに呟く。
「サイジェントの政務を取り仕切るこのイムラン・マーン様をおっさん呼ばわりするわ、平民の分際で生意気にも召喚術を使うわ、どこまでも愚弄しおってからに……っ」
「何それ、特権意識ってヤツ? 召喚術が貴族だけのものなんて、あんたたちが勝手に作ったルールでしょ。自分たちが特別のままでいたいからって独り占めした結果じゃん」
 やはり召喚師だったイムラン・マーンというらしい貴族の様子から、周囲の兵士たちも次々と我に返って再び戦意を露にしている。にも拘らず、先程の爽やかさはどこへやら、深々と溜息までつき呆れ果てた様子でナツミは正論を吐いた。
 危機感など全く感じさせず泰然としているナツミのほうが、余程場慣れした召喚師に見える。大人気などという言葉とは無縁なイムランの態度が、尚そう思わせるのかもしれない。――否。この泰然さは内に宿しているモノの影響と見るべきか……だが、断定するにはまだ弱い……
 判断に困り思考の海に沈みかけた時だった。
「まあ。そんな風に言ってはいけませんわよ?」
 イムランを弁護するかのような言葉が意外な所から割って入り、流れが止まった。
 自然と集まる視線の先には、己より大きな少年の首根っこを掴んで引きずっている少女――。その所行に似合わぬ口調に怪訝さが増す。
 近付いてくる彼女へと、ナツミもまた訝しげな目を向けて。
「どういうことですの?」
 何のスイッチが入ったのか、彼女も同様に口調が変わったではないか。
 予測不能な変化をこうも立て続けに見せたれて混乱しないほうがおかしい。困惑に染まる周囲などお構いなしに――むしろ、先程の悪態からは、それこそが狙いだとも疑われる――二人は互いだけを見て会話する。
「お金を沢山持っている人ほど心が狭くて、既に沢山持っているにも拘らず貪欲に求め続けて持っていない人々から搾り取っていくという原理をご存じではありませんの? そうやって、お金と一緒に人々の恨みをも沢山溜め込んでいくのが、貴族という存在なんですのよ」
「あら、まあ。そういうことでしたの。普段は考えないようにしているけれど、頭の隅では恨まれていることがわかっているから、負の言葉に過剰に反応してしまっただけでしたのね。それだって原因は自業自得ですのに、それを認めようとはせずに相手に責任転嫁をし続けて肥大させた被害者意識の表われだったのですわね」
「ええ、そういうことですわ。そのような心の貧しさをお金で満たそうとしても無駄ですのに、使わずに溜め込んで、満たされないから更に集めて溜め込んで……その行為が世界経済そのものを破綻に導いていることも悟れずに、物質的な貧しさも自ら引き寄せている憐れな存在なんですから労わってあげなくてはいけませんわ」
「そうですわね。お金で命は買えませんのに、本来の価値を見失って文字通り『宝の持ち腐れ』を体現することに人生を捧げてしまっている可哀相な方なのですものね」
「まったくもって、その通りですわ。力や富は、人を惑わし狂わせる魔力を秘めていることも悟れず、惑わされていることにも気付けずに、自ら進んで恨みを買い集めているとってもとっても不憫な存在なのですから、いじめたりしてはいけませんわよ」
 ……恐らく、正論、なのだろう。彼女たちのこの言い分は。
 しかし正論を正論として認められる人間がどれだけいるのだろう。
 まして、明らかに蔑むような言われ方をされては――
「ぐぎぎぎ……っ、黙って聞いておれば、平民の俄召喚師風情が好き放題言いおって……っ」
 怒らせるだけの上、持たざる者のひがみとしか受け取られないのは必至というもの。
 けれど少女たちから余裕が消えることはなく、やはりそれが狙いであるかのように悠々と構えたままで。
「だって、正しい道を歩み人から慕われる主人にこそ、下で働く者は誇りを持って仕えることができるものでしょ? だから自分が仕える主人には人に慕われる人物であってほしいと願うのが当然の心理じゃないの?」
 言葉遣いを元に戻し微笑を伴って向けられた言葉は、少なくとも兵士たちの心には届いたようで、ハッと顔を向ける者が見受けられた。
 けれど、彼女がその言葉を送ったのは彼ら宛てではないということが、続く呼び掛けで判明する。
「ねえ? ゲレっちょ?」
「……ゲレレ?」
 理解不能な言葉の意味を推測するまでもなく、応えた存在――それは、イムランの傍らに浮くサプレスの召喚獣である魔精タケシーだった。
 疑問系の響きで応えたタケシーへと、は軽く片手を振って――それこそ、本当に理解できない『音』をその口から発したではないか。
 その途端、タケシーが彼女へ向けて勢いよく突進してきた。咄嗟に身構える者を尻目には両手を広げてタケシーを迎え、ぎゅっと熱く抱擁を交わす。その後、手を繋いでくるくるとその場で回る姿は実に楽しげだった。
 立場としては敵同士であるはずの両者の間に、どんな変化が起こったのか理解できる者はこの場には一人として存在しない。
 故に、召喚主であるイムランが、当然の怒声を上げる。
「何をしているのだ! おまえは私の召喚獣ではないか!! 遊んでいないでその小娘を攻撃しろ!!」
「ゲレ、ゲレレ~」
 召喚主の命令に、けれどタケシーは困ったように鳴いただけで従おうとはしない。に目を向けて――彼女がまた何かの『音』を発し、タケシーは嬉しそうに鳴き声で応じて頬ずりをした。
 会話を、交わしているような、その様子。キールの中で疑惑が生まれ、育っていく。
「きぃーっ! 憎い憎い憎いっ! あーっ憎らしいっ!!」
「……我々に構うよりも、お客様に弁明するほうが先なのではないかな、イムラン殿?」
「レイド!?」
 癇癪を起こす大人気ない召喚師に溜息と共にレイドが話しかけ、ようやくその存在に気付いたらしいイムラン。驚愕の声はすぐにまた憎々しげなものに変わる。
 顔見知りらしいその二人の会話は、既にキールの耳には入っていなかった。
 視界に捉えているのは、とタケシー。神経を研ぎ澄ませて拾うのは、彼女が発する『音』……耳に馴染みのない音……意思疎通できているらしい魔精……サプレスに精通しているからこそわかる……これは、恐らく天使たちが使う言語だ。
 その推測は見当違いではない、と。兵士や使用人へ指示を出し始めていたイムランへ向けられたの言葉が告げる。
「イムラン・マーン?」
「なんだ!? 呼び捨てにするな、平民が!!」
「この子があなたにお礼を言っているよ。あなたが召喚してくれたお陰で、またサプレスに帰ることができたって」
「は!? 何をわけのわからんことを言っている貴様!?」
「わからなくていいよ。ただ、この子が感謝してるってことだけ知っててくれれば」
 いくら怒鳴っても、微笑んだまま態度を変えないに毒気を抜かれたのか、イムランはくるりと背を向けて。
「ふんっ、感謝する気があるなら命令に従え!!」
 タケシーへと言葉を投げつけて、足音荒く去っていった。タケシーは最後にと手を振り合って別れ、召喚主の後を追った。
 一部始終を観察していたキールは、胸の奥を迫り上がってくるじりじりとした嫌なものを感じていた。
 彼女は、一体、何者だ――?
 マグナの護衛獣であることは、バノッサへの台詞でわかっている。戦い慣れた様子などからもこちらへ来て大分経つようだから、召喚術が使えることに関して疑問はない。護衛獣でありながら主人を本気で足蹴にする所行も、ナツミたちと同郷であることを思えば、召喚事故によって正式な誓約がかけられていない可能性故、不思議もない。
 しかし、サプレスに住まう天使たちの言語を操り、他人の召喚獣と意思を通わせることの説明には、そのどれもが当てはまらない。
 それに何より、キールは見たのだ。
 あの爆音が轟く直前、木の枝の上にいた彼女の体が白い魔力に包まれ、浮いていたのを――……
 自分たちが知らない、得体の知れない何かを秘めているという存在……あの儀式で呼ばれたわけではないが、警戒すべきであるのは間違いない。
 障害となりうるのか、否か。ナツミ同様、注意深く観察、及び警戒することを心に決め、マグナを引きずって歩く彼女の後を、キールは静かについて行った。


 フラットに戻ってすぐに、騒動を起こしたガゼル、ハヤト、マグナの三人は、広間にて正座させられた。周囲を呆れた眼差しを注ぐ人間に固められ逃げ場のない彼らの前に立ったのは、ここの保護者代表であるレイド。
「さて、三人共。何か言い訳はあるか?」
「……ねえよ」
 そっぽを向き、ぶっきらぼうに答えたのはガゼル。下手な言い訳をしないあたりは潔いといえるが……単に叱られ慣れているだけだろうか。
「反省はしているか?」
「はい……」
 今度はガゼルは答えず、代わりにハヤトとマグナが揃って頷いて。
「それならいいんだ。次からはあんな無茶はしないようにな」
 あっさりと、釘だけ刺して締め括ったレイドに、彼らは思わずといった体で顔を上げた。
「って、それだけですか?」
 てっきりこっぴどく叱られるものと思っていたのだろう。疑問を投げかけてきたマグナに対し、レイドはふっと笑みを浮かべて。
「ああ。本人が反省しているのなら、余計な説教は必要ないからな」
 正論を、至極当然のように口にした。
 正論、だが……一体どれだけの大人がこれを理解しているだろう。逆効果にしかならないなどと考えもしないで叱ればいいと思っている者ばかりではないだろうか。
 それどころか、自分の苛立ちをぶつけることを正当化して相手を言葉で殴るだけの者さえいると思う。
 他人が自分の思い通りになどなるわけがないのに、規範を盾に取り、恥や迷惑をかけたことへの報復という本心を隠して、叱るという体裁を整える者の何と多いことか。
 そのような自分の鬱憤を晴らすための恨み言ではなく、本当に相手のことを思い相手のために叱る――そんな理想的な大人の姿をレイドに見たトウヤは、知らず笑みを浮かべていた。……が。
「私からは以上だ。――が、おまえたちの行動に対して、私よりも腹を立てている人物がいる」
 この一言で、何やら不穏な流れが生まれた。
「彼女たちは私みたいに甘くはないぞ?」
 一見すると優しいだけの笑顔で告げられたのは、三人にとっては地獄の入り口への案内に等しい。場所を譲ったレイドに代わってそこに立った者の姿が、それを決定付けた。
「あーなーたーたーちー?」
 見事なまでに笑みを貼り付けたリプレとの姿に、何となく先が読めたトウヤはさり気なく二人から目を逸らす。
「リ、リプレ……っ」
……っ」
 目を逸らすことの叶わない三人は、口許を引きつらせ上ずった声で名を呼ぶ。明らかに怯えた様子だが、それで許してくれるほど甘くはない――とレイドが言った通りのようで。
「貴族のお花見にわざわざつまみ食いに出かけるなんて、そんなに私のお弁当はお気に召さなかったのかしら~?」
「い、いや、ちがっ」
「量が欲しいって、引きずって行かれマシタ」
「って、テメ、ハヤト!?」
「裏切者ー!!」
「言い訳しない!!」
 先程とは打って変わって、事実か言い訳かはトウヤの知るところではない内容をぼそりと呟くように口にしたハヤト。途端に騒がしくなったガゼルとマグナも、ようやく感情と表情とが一致したリプレの厳しい一喝によって瞬時に大人しくなった。
 被告が静まったところで、裁判官から判決が下される。
「三人共、つまみ食いでお腹いっぱいでしょうから、今夜の夕食はいらないわよね?」
「ちょ、待てリプレ!」
「いらないわよね?」
 笑顔で同意を強制されて、逆らえる者は多分この場には誰もいないだろう。不服を申し立てることもできずに追従の意を示す中、ハヤトだけが悪足掻きのように愚痴をこぼす。
「だからバレたらマズイって止めたじゃないか~」
「でも、ハヤトも食べたんでしょ?」
 それまでリプレの少し後ろで黙って成り行きを見守っていたが、ハヤトの愚痴を拾って口を開いた。
 いくら事前に止めようとしていたとしても、結局彼らと同じことをしたのなら同罪だ――と。そう言外に告げられ、ハヤトは言葉を詰まらせて目を泳がせる。
 そう、レイドは『彼女たち』と言ったではないか。つまり、からもおしおきがあるということだ。
 それに思い至りピシリと固まったマグナとガゼルへと向けられたのは――
「リプレからのおしおきは夕食抜きで決定として、あたしからはスペシャルな戦闘訓練の実施ということで~♪」
「え゛えっ!? い、今から!?」
「モチのロンで今から。召喚師にケンカ売りに行くほど力あり余っているご様子ですから何も問題はございませんでしょう、マスター?」
「ぐ……っ」
「でも、スペシャルだからね。もしあたしに傷ひとつでも負わせられたら、ご褒美に夕食ありってのはどう、リプレ?」
「――へ、マジ?」
「三対一ってサービス付きで♪」
「サービスじゃないサービスじゃない!! 一対多数っての一番得意なパターンじゃないかー!?」
「あら、それはいいわね♪ じゃあ、に勝てたら夕食は食べさせてあげるわ」
「はい決定~。ほら、さっさと立って出かけるよー」
 鬼教官の微笑みに彩られた、地獄の宣告だった。
 その場限りの反省で何も学ばず同じ過ちを繰り返すようでは、当人たちのためにもならないし、周囲の者にも迷惑がかかる。だからこそ懲らしめは必要なことなのだ。
 それを理解しているのか誰も助け舟を出す者はいない。
 トウヤも、もちろんその一人。だが……
「トウヤ、どこ行くの?」
「スペシャルな戦闘訓練とやらに興味があるから見学に」
「あ、あたしも行くー!!」
 好奇心に促されナツミと共について行ったのだった。

 ちなみに、三人は当然にかすり傷一つ負わせることはできずに、一晩屍と化していたのである。

第3曲 おはなみでしんぼくかい・完