何か聞こえた気がして、ファリエルは振り返った。
けれど、そこには誰もいない。耳を澄ましてみても、魔力を探ってみても、特に何も聞こえはしなかった。
気のせい――と思うこともできたけれど……何故か気になった。
「フレイズ? フレイズーっ!」
祠を出て、己の参謀を務めてくれている天使を呼んだ。すると、すぐに純白の翼を広げた金髪の青年天使が目の前へと降り立つ。
「どうなさいました?」
「今、何か聞こえなかった?」
「え――いえ……私は何も……」
質問の意味がわからないといった体のフレイズ。
やはり気のせいだったか――と。思った、まさにその時だった。
――わからない――
確かに、聞こえた。少女の、声。
耳に、ではない。頭に、でもない。
どこからか、聞こえたその――声。
――何のために、ここにいるの――
――誰も、知らない。知ろうともしない――
――いつまでこうしていればいいの――
――いつからこうなってしまったっけ……――
――わからない……わからないよ……――
苦しげに、自問自答をするような声は、どこから聞こえてくるのだろう。
遠く……でも近い。
声の出所を探してきょろきょろするファリエルに、フレイズは怪訝顔。でも、説明している余裕は――ない気がした。
――どこに行けばいい? 何をすればいい?――
――何のためにコレはあるの? どうすることが正しいの?――
――わからない……考えても、答えは見つからない……――
――ねえ、誰か教えてよ――
――あたし、ここにいていいの?――
――生きていて……いいの?――
「――ッ、いいに決まってるでしょ!?」
「ファリエル様!?」
思わず叫んだ声は、はたして相手に届いているのだろうか。
とりあえず、目の前のフレイズはかなり吃驚しているけれど、構ってなどいられなかった。
「生まれてきたのなら、最後まで生き抜くべきでしょ! 理由なんて探せばいいの! 見つからないなら、探し続けることを理由にすればいいだけよ!! 何もしないで逃げるのはズルイだけなんだから!! ――生きなさいッ!!」
どこにいるかもわからない相手に向かって、力の限りに言い放った。
何だか、無性に腹が立つ。
この島の住人は皆、生きたいと望んで生きている。たとえこの地が、いたい場所ではなくとも。
そのために、戦った。そして、死んでいった仲間や――家族。
そうだ……だから、腹が立つ。生きることを放棄しようとしているような、その言葉が。
ならば、肉体を失くしてまで生きたいと願った自分は何なのか――と。
「ファリエル様……」
心配そうなフレイズの声に気付いて、ファリエルは目元を拭った。
流れる前に、浮かんだ涙を拭い去る。
深呼吸をして――高ぶっていた気を静めた。
声は……答えなかった。ファリエルの想いに、何も。
それどころか、一切聞こえなくなってしまって。
「行くあてがないのなら、ここにいればいいじゃない……」
高く空を見上げて、ポツリと呟いた。
「ここは――この島は、この世界で居場所をもらえなかった人たちが暮らす場所だもの……ここに、いればいいの……ここで、探せばいいわ。あなたの望む答えを……」
腹は、立っていた。でも、放ってもおけなかった。
それは、聞こえた声があまりにも切なかったからというだけではなくて……きっと、少しだけその気持ちがわかるから。
自分で望んで選び取った道でも、本当にこれでよかったのかと思う時がある。本当の自分を隠したまま、かつての仲間たちに偽り続けていることが苦痛になることだってある。
そんな時はいつもフレイズがいてくれた。
だからこそファリエルは今までの長い……永い時間を耐えてこられたのだから。
このままでは壊れてしまいそうに感じたその声を、放ってはおけなかったのだ。
――けれど。
声は、やはり何も答えてはこなくて。
何も、変えることはできなかったのか、と。落胆した――刹那。
ふわり、と。一粒の光が、泉の中心に降ってきた。
「……あれは……」
ふわり、ふわり。光はゆっくりと降り続け、泉の上で徐々に大きくなっていく。
ファリエルはフレイズと顔を見合わせて、そして光の元へと飛んだ。
その間にも降り続け集まった光は、丁度人一人分ほどの大きさになっていた。
そして、降り始めた時のように、今度は逆に降る光の量が少しずつ減っていって。最後の一粒が、泉の上の光へと集まった、その瞬間。
――ファシュウゥゥ……
幾つもの筋になって、光は四方へと飛び散ってしまった。
その、中に。残っていたのは、一人の少女。
(これは……誰……?)
ファリエルは思った。それはきっとフレイズも同じだったろう。
どの世界のものとも違う衣服を身にまとった、漆黒の髪の少女。彼女は、召喚術によってこの世界に来たのではないことは確かだった。
召喚術が発動する際に発する光は独特のもので、対象属性と同じ色をした魔力の塊だ。そして、一塊の形で発現し、対象を喚び出す。
けれど先程の光景は、それらとは全く異なっていた。
光は小さな粒子となって空から降り注ぎ形になったし、その色はどの世界にも――名も無き世界へ通じると言われている無属性のものとも違う、純白だった。
そして、何よりも驚いたのは――
「「 ――っ!? 」」
二人は同時に息を呑んだ。
固く閉ざされていた少女の瞼が、微かに震えたからだ。
見守る二人の前で、ゆっくりと少女の目が開く。茶色の瞳がぼんやりと夜空を見上げ、それから何かを探すようにゆっくりと動いて――二人の姿を捉えた。
二人……というよりは、フレイズの姿をじっと見つめて。
「……天使……?」
「あ――はい……私は天使ですが……あの、貴女は……?」
フレイズの問いが、少女に届いているのかは謎だった。
彼女は何も答えずにフレイズを見つめ続け、やがてきゅっと目を細める。
「やっぱり、死んじゃったのかぁ……」
微笑んでいるのに、泣いているような。不思議な少女の呟きに、違うとはどちらも言えなかった。
何故なら、淡い光に包まれて水上約1メートルの場所に横たわるように浮いている彼女が、ファリエルと同じく肉体を持たない魂だけの存在であることは明白だったから。
フレイズの疑問に何も答えないまま、またファリエルたちも何も声を掛けれぬまま時は過ぎ、再び茶色の瞳は姿を隠してしまった。
ふわふわと、水上に漂うように浮いている少女へ、ファリエルは手を伸ばした。そして、そっと少女の髪に触れてみる。
「……っ、何て……儚い……」
フレイズの吃驚した呟き。それは、ファリエルの手によって少女の毛先が消えたためのもの。
ファリエルは、何もしていない。特に力も入れていない。ただ、触れただけ。
たったそれだけのことで、ファリエルが触れた毛先は消滅してしまったのだ。
それも、当然のことではあるけれど。
精神生命体として生まれたサプレスの住人ならいざ知らず、魂というものは元来脆く繊細なものなのだ。
肉体という器を失ってしまった魂は、生前の形を現わすことすらできないはず。
ファリエルは――フレイズの魂の半分を与えられ、精神生命体となったからこそ、その姿を保っていられる。
では、この少女は……?
肉体は、確かにない。また、魂殻(シェル)と呼ばれる魂を守る魔力の膜すらない状態。それなのに、人の姿を顕現させている。
本来なら有り得ない状況を作り出している少女は、またひとつそれを増やした。
「これは……っ!?」
ファリエルが触れたために消滅した毛先が、周囲の光を集めるようにして再生したのだ。
信じ難い光景。
ファリエルはもう一度、今度は少し多めに少女の髪に触れた。
先程と同じようにあっけなく消滅した髪は、やがて同様に再生した。
「ファリエル様……この少女は、一体……」
「わからないわ……でも、確かめてみる」
脳裏に浮かんだひとつの仮説を立証させるため、魔力をまといつかせた手を近付けてみた。
案の定、というべきだろうか。
ファリエルの手にあった魔力は少女の体へと移動し、少女を包む光がその強さを増した。
その変化を見てフレイズは目を瞠り、ファリエルは逆に目を細める。
「この子は、周囲にある魔力を――マナを吸収することで、存在を保っているんだわ」
「そんな、ことが……」
「私だって信じられないけど……でも事実なんだもの」
その性質は、サプレスの住人に近しいモノ。
けれどこの少女は、確かに人間。
「ファリエル様。この少女を、どうするのですか?」
召喚術で――遺跡の力で呼ばれたのではない少女。それでも確かにこの島に――自分が守る集落へと現われた人間。
ファリエルは全身を魔力で覆って、慎重に少女の体を抱え上げた。
触れた瞬間、襲ってきた疲労感――魔力を奪われる感覚に顔をしかめつつも、少女の体が消滅していないことを確かめて、フレイズを真っ直ぐに見つめる。
「祠に運んで安定するまで待ちます。意識が戻って、きちんと話をして――決めるのは、それからです」
集落を守る護人としての決断を下し、ファリエルは祠へ向かって飛んだ。
腕に抱える少女と共に、不思議な想いを胸に抱きながら。