が『狭間の領域』で暮らし始めて5日目。
一通りこの世界とこの島のことを学びつつ、フレイズに飛行訓練を受けてきて、ようやく浮遊状態に慣れてきた様子の頃のこと。
「ねえ、何でファルゼンは女の子なのに男のフリをしてるの?」
月明かりの水面の上、心底不思議そうなの質問に、ファルゼン――もとい、ファリエルは見事に固まってしまった。
何故、わかったのだろう。彼女にはまだ明かしていないのに。
ただ疑問に思ったファリエルとは対照的に、焦ったのはフレイズ。
「あ、貴女は、急に何を言い出すのですか。何の根拠があって、そのような脈絡のないことを……ッ」
「え……女の勘?」
「そのような不確かなものは、根拠とは認められませんっ」
「でも、事実でしょ?」
「――違います」
「そんな散々焦って食い下がったあとに否定されても、信じられるわけないじゃん」
「ぐ……っ」
見事に言葉を詰まらせたその姿がまた、彼女の言い分が正しいと告げているようなものだ。
昔からそうだった。天使という性質の故なのか、それとも元々の性格なのかは知らないが、フレイズは真面目すぎて融通が利かないことが多々あるのだ。
そしてそれが墓穴となることもまた、多かったのである。
今回も然り。
ファリエルは溜息をこぼして、鎧の中から出た。
「いいよ、フレイズ」
「――っ!? ですが……」
「『狭間の領域』の住人たちは知っていることだもの。今は彼女もここの仲間――でしょ?」
「……わかりました」
渋々了承を返し、フレイズは身を引いてファリエルとの間を空けた。
壁のように立っていた彼が避けたことで、ファリエルは初めて真正面からと向き合った。
は――軽く目を瞠るようにこちらを見ていて……次いで、拍手が送られてきた。
「おー、すっごい可愛い女の子だー」
「えっ!? そ、そんなことはないと思うけど……っ!?」
「そんなことあるって。可愛い可愛いー」
「あ、あんまりおだてないでっ!」
「あははは♪ ――でも、余計に不思議。何でこんなに可愛い女の子なのに、ごつい鎧着て男のフリしてるの?」
最初の疑問に戻った話。の目には、ただ不思議しか映っていない。
ファリエルは、そっと目を伏せて口を開いた。
「理由はふたつあるわ。ひとつは昼間の魔力消耗を抑えるため、そしてもうひとつは……私はかつてこの島で召喚術を研究していた人間だから」
「それって……えーっと、遺跡を造った無色の派閥とかいう……?」
「ええ……そして、この島で起こった戦いで死んだ人間……だから、隠さなければならないの……本当の私は、知られてはいけないの……」
この島の住人たちに対して、迷惑という言葉では済まされないことをした人間の一人だから。
償いの気持ちもあるのかもしれない。けれど、今はただこの平穏を守りたくて護人になっているのは確かだ。でも……その、想いを。否定されてしまうのが……怖いから。
だから、言えない。隠さなければ、ならない。
「理由はわかりました! でも、さらに疑問がひとつ! 質問してもよろしくて?」
「え――あ、はい……どうぞ」
「何であたしには正直に話してくれたの?」
「え……なんで、って……」
「貴女が訊いてきたのではありませんか」
「うん、まあ、そうなんだけどね。他の集落の人に知られたくないなら、何で誤魔化したり嘘ついたりしなかったのかなぁ、って。だってあたし、他の集落にも遊びに行く予定だって最初の時に意思表示したし、メガネのお姉さんも承諾してくれたっぽかったけど?」
「あ――」
「あたしがバラしちゃう可能性って、考えなかったの?」
言われてみれば確かにその通りだ。
まだ彼女とはそんなに話もしていない。親しいといえる間柄ではない。というより、彼女のことだってほとんど知らないままなのに。
「そんなこと、考えつかなかったわ……」
「まさか貴女、このことを他の集落の方に話すつもりなのですか!?」
「そんな気ないよ~。そこまで悪趣味じゃないもん。ただ聞いてみただけ」
あっさりと告げられた言葉で、あからさまに安堵を表したフレイズ。
けれど、ファリエルの中にはそのような感情は湧いてきてはいない。むしろ、はじめからの思いが変わらずにあるだけ。
それが何なのか、何故なのか。疑問は残ったまま。
「自分に疑惑の目を向けさせて相手を驚かせるのは、悪趣味じゃないの?」
「え、これって悪趣味なこと?」
「わざとやってるならそう言えると思うわ」
「ん~……人をからかうのは割と好きだけど」
「充分悪趣味です!!」
「今回のは別にわざとじゃないよ?」
言葉の途中できっぱり断言したフレイズに、けれどは構うことなく続きを口にして。
しばし言葉を止めたフレイズの口から、やがて溜息がこぼれ出た。
「どうやら貴女は、性格的に少々歪んでいるようですね……」
「あれ? 何? 最初の時に気付いてなかったの?」
「やはり貴女は悪趣味です!!」
確信犯的笑みを含んだ言葉は、真面目なフレイズにダメージを与えるには充分だった。
生真面目一徹に役目を果たしてきた彼が、完全に遊ばれている。初めて見るかもしれないその姿に、ファリエルは笑いを堪えることができなくて。
「ファリエル様……笑わないでください」
「ご、ごめんなさい……っ。でも、滅多に見られない姿だから、つい……っ」
「ファリエル?」
居たたまれない様子のフレイズもまた、ファリエルの笑いのツボを刺激してしまった。
悪いとは思いつつも止まらなかった笑いは、の不思議そうな声が終止符となってくれた。
「私の本当の名前よ。呼んでくれるのは、今はもう、フレイズだけだけど……」
「ん~……鎧さんの時がファルゼンで、女の子の時がファリエルってこと――だよね?」
「ええ、そうよ」
答えると、正体を隠している理由を話したあとと同じようにの手が勢いよく上がった。
二度目ということで少し慣れたファリエルも、静かに行動を待つ。
「はい! あたしも本当の名前で呼びたいです!」
「はい、私も呼んでほしいです!」
「でも、こんがらがってうっかりミスしそうな予感がバリバリします!」
「あ――……」
言われて気付く、二度目の事実。
にその気はなくても遊びに行った先で、呼び間違えてしまう可能性は確かにある。
それを防ぐには『ファルゼン』だけで統一しておくのが一番――なの、だけど……
何故だろう……彼女には、本当の名前で呼んでほしいと思っているのは……
こんなに、楽しいと感じることができたのが、久し振りな所為――?
そんなファリエルの想いを知らないはずのは、けれど何やら考え込んでいて。
「あっ! じゃあ、『ファル』っていうのはどう?」
「ファル?」
「うん。それならファルゼンとファリエル、どっちにとっても略称になるから怪しまれないし、愛称呼びは仲いい友達! ――って感じで好きなんだ」
「友達……」
それは久し振りに――否。初めて言われた単語だった。『無色の派閥』という中では決して存在しないもの。
足枷と言われ、不要とされた関係――それ故、憧れていたもの……
「……イヤ?」
「ううん、イヤじゃないよ……嬉しいの……っ」
目頭が、熱くなった。ただ、嬉しくて。
今はもう、ただの亡霊なのに……こんな姿になって、それでも得ることが出来た友という存在が、ただ嬉しくて。
「ねえ、それじゃあ私は、あなたのことを何て呼べばいい?」
「『』! あたしの一番の親友がつけてくれた愛称でね、お気に入りなんだよね!」
「うん……じゃあ、……これから、よろしくね?」
「おっけです! 幽霊仲間ってことで、よろしく、ファル!」
初めてできた友人。
強く交わした握手――同じ霊体であるが故のその感触に、その存在を確かに心に刻んだのだった。