明けましておめでとうございます。今年も当サイトを宜しくお願い致します。
テレホンメッセージより
年が改まるとき大切なことがあります。カレンダーが変わることでしょうか? いいえ、それは「今日から新しい年が始まる!」という、新しい始まりに対する私たちの心構えです。
「心構えを新たにする」ということは、この一年、私たちの歩みのすべてを心に留めておられる造り主なる神さまとの関係を新たにすることです。このことは、今、あなたが迎えている新しい年を、さらに希望に満ちたものにする揺るがない土台となります。
かつて、アブラハムは、天地の造り主なる神さまから御告げを受けました。『「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを祝福し、あなたを大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる」そこで彼は、主がお告げになったとおりに出かけた。(旧約聖書 創世記12:1~2、4)』
このことはまず、私たちが優先すべきことは、私たち自身の存在の始まりである神さまとの関係であり、その呼びかけに応答するということです。それは、人間としての本来の在り方だからです。
カレンダーが変わったとしても、それが新たな心構え、すなわち祝福を得る心構えに代わるものではありません。アブラハムが天の神さまの呼びかけに応答し、自分の心構えを新たにし、神さまの御声に従うことによって、彼は祝福され、大いなる者とされました。
そのように、あなたもイエス・キリストを通して、あなた自身の存在の始まりである神さまとのつながりを第一にし、心構えを新たにされるなら祝福を手にするでしょう。そして、今年の終わりは、初めにまさったものとなります。
『あなたの始まりは小さくても、あなたの終わりは、きわめて大きなものとなる。
主はヨブの後の半生を前の半生に増して祝福された。・・・(旧約聖書 ヨブ8:7、42:12)』
さあ、あなたの存在の始まりであり、祝福の基である神さまの呼びかけに応えて、希望と期待をもって、新しい年をスタートしましょう!
《今週のみことば》
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
神は仰せられた。「光、あれ」すると光があった。
神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。(創世記1:2~5)
あまり、年が改まったという実感のないままなのですが、とりあえず、精神状態は悪くありません。
聖書箇所=旧約聖書 創世記1:1~8
大空を「天」と名づけたのは、人間ではなく、天地万物を創造された神ご自身であることが〔創世記〕にはっきりと記されています。
何もない絶望のような闇の中に神は光を造り、恐怖の象徴のような大水を分けて大空を造られました。〔創世記〕1章には「大空」ということばが何度も出てきます。それは、神の力の偉大さを象徴するものだからです。
第一の天である大気圏、第二の天である宇宙を見てもその力の偉大さが十分にわかりますが、もうひとつ、第三の天である天の御国こそその偉大さの満ちるものです。
その第三の天を見ることを許された使徒パウロは、その啓示のすばらしさの故に高慢にならないようにと肉体にひとつのとげを与えられました。パウロが三度もこのとげを取り除かれることを願いましたが、主からの答えは「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(新約聖書 Ⅰコリント12:9)というものでした。
物事が順調に進んでいる時は、誰でも希望が持てるものです。しかし、順調に進まない時こそ、神に出会うチャンスなのです。弱いからこそ、絶望の中にあるからこそ、闇の中に光を造り、大水を分けて大空を造られた神の偉大な力を体験することができるのです。
神の力を体験し、一年の終わりには神をほめたたえることができる、恵みにあふれた一年となりますように。
《今週のみことば》
神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水との間を分けるものとなれ」
神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。
神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。(創世記1:6~8)
除雪モード! シャキーン!!
な、一週間だったかと。
テレホンメッセージより
ぐずぐずして、スタートしなければ、いつまでたっても何も動きません。また、せっかく与えられている能力、才能も生かされず、埋もれてしまいます。
とにかく始めることが能力を開花させ、成果(良い結果)をあげる秘訣です。「いつかきっと」と思って、ぐずぐずしていると、時間だけが過ぎて、期待はしても成果を得ることはできません。
ですから、あまり気が乗らないと思っても、とにかく始めることです。「思い立つ日が吉日」という言葉があります。それは何かを始めようと思い立ったら、その日を吉日(良い日)としてすぐ実行するという意味です。
良い日が来るのを待ってばかりいるなら、その間にチャンスを見過ごし、また気持ちが変わったりして何の成果にもつながりません。ですから思い立つ日が吉日と思って取りかかりましょう。
何事も始めるときには、優先順位を定めて、そこにエネルギーを集中させましょう。優先順位が明確でないと、あれも、これもしなければという思いが入り込んで、エネルギーが分散し、どっちつかずになります。
私たちが何かを始めようとするとき、よけいなことをあれこれと考えているものです。例えば、テレビの面白いドラマに気を取られると勉強に集中できなくなるように。
ですから、今のこのとき、あなたがしなければならない一つのことに焦点を絞り、始めましょう! 優先順位を定め、すぐに取りかかる習慣を身につけるなら、新しい年は、あなたにとって充実したものとなるでしょう。
『・・・茨の中に種を蒔かれたものとは、・・・
この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結ぶことができません。
良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。(新約聖書 マルコ4:18~20)』
良い収穫は、良い土づくりから始まります。主イエスさまのみことばを素直に受け入れましょう。
聖書箇所=旧約聖書 創世記1:9~13
闇の中に光を生み昼と夜とを分けられ、水を分けて大空という空間を造られた神は、次に下の水を一つの所にまとめて海とし、乾いた所を地としました。上の水は水蒸気となって紫外線などの有害なものを完全に防ぎ、ノアの時代の大洪水によってすべて地に落ちる時まですべての生き物が安全に生きていける環境を保っていました。
このような〔創世記〕1章の創造のわざは、聖書全体を包んでいます。海の中から乾いた地が現れる場面は〔出エジプト記〕14章で、イスラエルがファラオ率いるエジプト軍から逃れるときにも出てきます。絶体絶命の状況を切り開く大いなる力、どんなに道がないと思える所にも道が造られるということを示しているのです。
神様を信じたらすべてが順調に行くと、多くの人は思います。しかし、大抵は順調にはいきません。状況に圧倒されて信仰どころではなくなってしまうことが出てきます。けれど、そういう時こそ、信仰を働かせる場面なのです。
『あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。(旧約聖書 イザヤ30:21)』
道がないと不平不満や愚痴を呟いても、自分の心が振り回されるだけでなんの解決にもなりません。神が成ると言われたことは必ず成ると信じて、約束のことばを求めていくのです。
『あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に伸ばし、海を分けなさい。そうすれば、イスラエルの子らは海の真ん中の乾いた地面を行くことができる。(旧約聖書 出エジプト14:16)』
みことばという杖が与えられ、それを掲げるなら、道のない所に道が造られる奇跡を経験していくことでしょう。神のことばには、本当に力がある。そのことを経験していくのが信仰生活だからです。
《今週のみことば》
神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ」 すると、そのようになった。
神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。(創世記1:9~10)
神よ 水はあなたを見ました。水はあなたを見て わななきました。大いなる水も震え上がりました。
あなたの道は 海の中。その通り道は大水の中。・・・(旧約聖書 詩篇77:16、19)
雪片付けモード! シュピーン!!
な、一週間だったかと。
テレホンメッセージより
聖書に『きよい心を愛し、良いことを語る人は、王のほうから友だちになってくれる(旧約聖書 箴言22:11/リビングバイブル訳)』とあります。
王とは、高貴な者、または偉大なお方、すなわち王の王、主の主である天の神さまです。王である神さまの友になれるということは何と名誉なことでしょう!
王が自分の友にしたいと思う人は、きよい心を愛し、良いことを語る人です。なぜなら、人はうわべで評価しますが、王である神さまは人の心の思いを評価されるからです。
もし人をうわべだけで評価するなら、あなたは心の手入れを怠り、自分を偽善者にしてしまうでしょう。『燃えるくちびるも、心が悪いと、銀の上薬を塗った土の器のようだ。憎む者は、くちびるで身を装い、心のうちでは欺きを図っている。(箴言26:23~24)』だれが、このような人を自分の友にしたいと思うでしょうか?
車の運転はスピードよりも、普段の心がけが大事です。そのように、普段から自分の心のきよさを愛し、良いこと、思いやりのあることを語るようにしましょう。
私たちの思いのすべてをご存知である神さまの御前においては、幼子のように素直で、包み隠さず、正直に自分の過ちを告白しましょう。
『もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。(新約聖書 Ⅰヨハネ1:9)』
心がきよいとされ、この心を大事にすることによって、あなたは良いことを語るようになり、王なる神さまはあなたを「友よ!」と呼んでくださいます。
そのことによって、あなたの人生は決して揺るがされないものとなるでしょう。なぜなら、王の王、主の主である天の神さまが、あなたの友となってくださるからです。
『だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。
手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。
その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。
これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、・・・。(旧約聖書 詩篇24:3~6)』
《今週のみことば》
しかし シオンについては こう言われている。「この者もあの者も この都で生まれた。いと高き方ご自身が シオンを堅く建てられる」と。
主が「この者は この都で生まれた」と記して 国々の民を登録される。
歌う者も 踊る者も 「私の泉はみな あなたにあります」と言う。(詩篇87:5~7)
続・雪片付けモード! ジャコーン!!
な感じではあったんですが、とうとう腰を痛めてしまいました。曲げると痛い。年には勝てませんか。ふぃー……
《今週のみことば》
しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。
公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。
義が平和をつくり出し、義がとこしえの平穏と安心をもたらすとき、
私の民は、平和な住まい、安全な家、安らかな憩いの場に住む。(旧約聖書 イザヤ32:15~18)