もう3月ですか。それなのに、まだ降るかって感じですた。
まあ、降っても積もらずに済むようにはなってきてるので着実に春は近づいて来ているようですが。
そういえば、今季は-20℃を下回ることなく終わったようですね。これも温暖化ってやつですかね。
テレホンメッセージより
心の奥底に人を突き動かすものがあります。それは何でしょうか。「承認欲求」、「人に認められたいという欲求」です。そのために、人から拒絶され、また反対されることに敏感に反応します。
自分のことが陰で批判されていることを耳にするかもしれません。あるいは面と向かって批判されるかもしれません。もしそれがあなた自身に向けられたことであれば、どんな反応をするでしょうか。元気をなくし、ふさぎ込んで、勉強や仕事が手につかなくなりますか。あるいは自分を守ろうとして攻撃的になるでしょうか。
次のことばを聞いたことがありますか。「たいていの人は、批判されて向上するよりも、ほめられてだめになるほうを好む」 これは、甘いもの、ほめられることばかりを好み、苦いもの、批判されること、厳しい評価を嫌うという、心の偏りを指摘しています。
ただ単に、厳しければよいのではありません。ほめられることばかりを好み、批判されること、厳しい評価を嫌うような、バランスをくずした心の偏りの不健全さを指摘しています。
健康とは、バランスのとれた状態です。安定した精神とは、称賛と批判を正しく受け止めることによって得られるものです。もし一方に偏るなら、自分を不安定にします。ですから、ほめられることだけに依存するのでなく、批判も受け止められる寛容さ、自分の足りなさやいたらなさも認める心のゆとりを持つようにしましょう。
直接批判や苦情をぶつけてくれる人は多くはありません。ですから、そのような人たちをないがしろにしなようにしましょう。むしろ、自分を向上させる上手な苦情批判の受け止め方を心がけましょう。
『銀と金の純度はるつぼでテストされ、人は、ほめられた時にどのような態度をとるかでテストされます。(旧約聖書 箴言27:21/リビングバイブル)』
『また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。(新約聖書 Ⅱコリント6:8』
《今週のみことば》
主はシオンを選び それをご自分の住まいとして望まれた。
「これはとこしえに わたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。
そこにわたしはダビデのために 一つの角を生えさせる。わたしに油注がれた者のために ともしびを整える。
わたしは彼の敵に恥をまとわせる。しかし 彼の上には王冠が光り輝く」(旧約聖書 詩篇132:13~14、17~18)
大分雪が解けてきました。舗装が出てる部分が増え、氷もぱっかんぱっかん割れるようになりました。
春を感じるようになってきたからか、なんとなくうきうきしているというか、やる気が出てきているような気がします。
そろそろ書き作業が進んでくれればいいんですが……昨年一年放置して溜まったものを片付けるほうが先、かなぁ……
テレホンメッセージより
「タイミング」とは、「ちょうど良い時機・瞬間」という意味です。私たちの生活にはリズムがあります。リズムの切れ目には一瞬の「間」があります。「間」とは、次の動作に移る「休み」、すなわち「息継ぎ」です。
これは私たちの生活には欠かせないものです。なぜなら、この「間(息継ぎ)」がないと間が抜け、「間」がありすぎると間延びします。これは健全な状態ではありません。
吐くべき息は吐き、吸うべき息は吸う。言うべき時には言い、沈黙すべき時は沈黙する。動くべき時には動き、止まる時には止まる。これがタイミングです。このように時にかなった行動は好ましく、健康的です。
例えば、車と車との間に適度な距離がないと事故になる危険があります。人と人との間に「距離」がないと、トラブルが起きます。また、働きずくめで休息しないと、健康を損ねてしまいます。
あなたはどうでしょうか。勉強や仕事をやり続け、緊張が高まり、身体的にも、精神的にもひどく疲れを覚えていませんか。もしそうであれば、身体も心も息継ぎ(休息)が必要な状態でしょう。
ニュートンは、何もしないで静かにしている時に、リンゴが木から落ちるのを見て「引力の法則」を発見しました。ワットという人は、台所でのんびりしていた時、ヤカンのふたを押し上げている蒸気を見て、蒸気機関を考えつきました。
このことから、少しの時間でも緊張を和らげて、ゆったりする休息の時間を取るなら、良いアイデアが出てきます。しかし、あせりや、苛立ちは良いものを遠ざけてしまいます。
この世界と私たち人間をお造りになった神さまは言われます。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(旧約聖書 イザヤ30:15)
もしあなたが、この神さまに立ち返って静かにし、落ち着いて、信頼するなら、知恵と新たなエネルギーを与えられて、生き生きとされるでしょう。
《今週のみことば》
みことばによく通じた者は幸いを見出す。主に拠り頼む者は幸いである。
心に知恵のある者は、悟りのある者と呼ばれ、そのことばの心地よさは理解を増し加える。
賢明さは、これを持つ者にはいのちの泉。愚かさは、愚か者への懲らしめ。
知恵のある者の心はその口を賢くし、その唇に洞察を深める。(旧約聖書 箴言16:20~23)
たった1時間で冬景色に逆戻りな日があったり。
それでも翌日には溶けてなくなるあたり。大分春めいてきているのかと。
《今週のみことば》
そうして、西の方では主の御名が、日の昇る方では主の栄光が恐れられる。それは、主が激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっているからだ。
「しかし、シオンには贖い主としてくる。ヤコブの中の、背きから立ち返る者のところに。――主のことば」
目を上げて、あたりを見渡せ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来る。娘たちは脇に抱かれながら。(旧約聖書 イザヤ59:19~20、60:4)
また雪景色に戻ったり、融けたりを繰り返していたかと。
今季最後の雪遊び、として、歩道の雪山を崩して蒔いて融かしたりとか。
相変わらずの、のらりくらりさ加減でした。
テレホンメッセージより
ある時、イエスさまは人々に「あなたはどう思いますか?」と尋ねられました。この語りかけは、相手に考えることの大切さを促すものです。
これは正しいことだから、一方的にこうしなさいと命じるのとは違います。なぜなら人間には考える力があり、それを十分に用いてこそ人間としての本来の在り方を認識できるようになるからです。
現代は、勉強にしても遊びにしても、至れり尽くせりで、初めからメニューやコースがきちんと用意されています。そのため、それ以外の方法では勉強も遊びも成り立たないような思いにさせられてしまいます。
そのように何事も一つのパターンができ、平均や基準が生まれると、それにみんなが傾き、生活スタイルさえも一律(同じ調子)になってしまうでしょう。
しかも、それが最も進んだ生き方であるかのように思い込み、そういうパターンから外れることは時代遅れで、変人であるかのように思い、周囲と妥協し、自主性を失ってしまいます。
ところで私たちは、人に何かを教えようとするときに、ただ一つの型や方法に縛られていませんか。自分で考えることも省略して、他に依存し、その対応は画一化、すなわち個性や特色のないすべてが同じようになっていないでしょうか?
世間と比べて、風変わりで、みんなとは違っていると思えても、聖書に基づき、主イエスさまとの関係を拠り所として、「自分」が考え、「自分」が行い、さらに「自分」に属しているもの、これこそあなたが生きていく上でとても大切な土台となるものです。
これは利己的になることとは全く違います。本来の人間としての自己確立への心構えです。そのために、イエス・キリストは来られたのです。
『もしあなたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、・・・次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと・・・です。(新約聖書 Ⅰコリント15:2~4)』
《今週のみことば》
かっとなり、よく考えもせずに人を訴えてはいけません。引っ込みがつかなくなり、おまけに裁判にも負けたらどうするのですか。
そんな恥をかかないためにも、まず二人だけでよく話し合いなさい。
他人に話して名誉棄損で訴えられたら、謝っただけではすみません。
ほんとうに必要な時に忠告するのは、銀の器に金のりんごを盛るようなものです。
正しい批判を聞くのは、勲章をもらうようにありがたいものです。
使用人がよく言いつけを聞いてくれるのは、真夏のすずしい日のように気持ちの良いものです。(旧約聖書 箴言25:8~13/リビングバイブル)