4月 3日 (日)

 去年、グダグダして溜め込んだものの整理だけで、一年の四分の一が過ぎてしまいましたとさ。

【 たとえ問題が大きくても 】

テレホンメッセージより

 人生にはさまざまな問題が起こってきます。いやなことが起こると、人や環境のせいにして苛立つ人がいます。また良いことがあると自分の能力を過信して自慢する人もいます。実は、状況が良いとか悪いとかよりも、大切なことがあります。
 人はだれでも感情の波があるので、気分の良いときもあれば、悪いときもあります。そのとき「つらい」「嫌だ」「みじめだ」といったマイナスの感情に振り回されないことです。
 問題にぶつかると、ある人は心配し、恐れたりして、否定的なことに心をつないで、状態をさらに悪い方向に持って行こうとします。もし、あなたが問題を自分の内側で何倍にもふくらませてしまうなら、あなたは自分の可能性を生かすことができず、自分をみじめなものにしてしまうでしょう。
 この世に生きている以上、問題から完全に逃れることはだれにもできません。にもかかわらず、必ず逃れる道、問題の解決はあります。
 神さまはこう言われます。『あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(新約聖書 Ⅰコリント10:13)』
 問題がどんなに大きくても、神さまはあなたが直面する困難よりもはるかに大きなお方です。私たち人間にとって最大の問題である死を滅ぼされました。主イエスさまは、十字架に死んで、墓に葬られ、三日目に死を打ち破ってよみがえられました。
 不可能を可能にされた神さまは、あなたの救い主です。この大いなる神さまに立ち返り、イエスさまに頼りませんか。問題に心を奪われるのではなく、あなたを助け、守ることのできる全能なる神さまにあなたの心をつなぎましょう。
 そのときあなたは、さやかに神さまのことばを聞くことでしょう。
『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
 あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。(旧約聖書 箴言3:5~6)』

《今週のみことば》
 天を創造し、これを延べ広げ、地とその産物を押し広げ、その上にいる民に息を与え、そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主はこう言われる。
 「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。
 こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。
 わたしは主、これがわたしの名。・・・(旧約聖書 イザヤ42:5~8)

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4月10日 (日)

 いーい天気とぬくさです。午後からタイヤ交換&洗車な予定。

【 キリストの苦難と死 】

テレホンメッセージより

 年に一回、教会ではイエス・キリストの地上生涯における最後の一週を記念する「週間」が始まります。これはキリストが苦しみを受けられた一週間のことで、「受難週パッションウィーク」と呼ばれています。今年は、4月10日の日曜日から16日の土曜日までの一週間です。
 これはイエスさまがロバの子に乗ってエルサレムに入られた月曜日に始まり、木曜日の夕方に弟子たちと最後の晩餐をされ、その後にゲッセマネの園で祈られました。
 そしてイエスさまは、そのゲッセマネの園で捕らえられ、苦難を受けられた後、金曜日の朝に「十字架」にかけられました。その日は「十字架の金曜日」として知られています。
 なぜイエスさまは多くの苦しみを受け、十字架で死ななければならなかったのでしょうか。それは『人の子(イエス)も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来た(新約聖書 マルコ10:45)』からでした。
 イエスさまの苦難と死は、ご自分の罪のためではなく、「多くの人の贖いのため」でした。「贖い」とは「身代わり」という意味です。イエスさまは「多くの人々の身代わり」となって、苦難をその身に受け、十字架で死んでくださいました。
 人はだれであっても皆、天の神さまの御前で裁かれ、滅びに至る罪人です。人はその呪われた運命から救われるために、全く罪のないイエスさまの贖い(身代わり)が必要なのです。
 それゆえに、神さまはご自分の御子イエスさまをこの世に遣わし、苦難の後、十字架の死に至らせました。そこでイエスさまこそ、私の罪の身代わりとなってくださったお方と信じる者には、永遠のいのちが与えられるのです。
『罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(新約聖書 ローマ6:23)』
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世(あなた)を愛された。それは御子(イエス)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネ3:16)』

《今週のみことば》
 「彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているから わたしは彼を高く上げる。
 彼がわたしを呼び求めれば わたしは彼に答える。わたしは苦しみのときに彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える。
 わたしは 彼をとこしえのいのちで満ちたらせ わたしの救いを彼に見せる」(旧約聖書 詩篇91:14~16)

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4月17日 (日)

 去年からの放置品の片付け、ようやく一つ終了しました。
 そろそろ何か書き始められればいいんだけど……

招詞まねきのことば
 週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。
 見ると、石が墓からわきに転がされていた。
 そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。
 そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。
 彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。
 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。
 人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう」
 彼女たちはイエスのことばを思い出した。
 そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。
 この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。
 これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
 彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。
 そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。
 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります」
 こう言って、イエスは彼らに手と足を見せられた。
 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていたので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
 イエスはそれを取って、彼らの前で召し上がった。(新約聖書 ルカ24:1~9、11、36~43)

《今週のみことば》
 もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。
 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。(新約聖書 Ⅰコリント15:19~20、58)

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4月24日 (日)

 古い夢小説とか、夢ネタとか読み返していると、完結させたくなってしまうもので。
 でも、その気になるだけで、続きは全然思い浮かばないという、ジレンマ状態だったりします。
 まあ、半端で放置しているものが多すぎるのが悪いんでしょうけど。
 今、優先すべきは【闇(ざっくり)】遊戯編を完結させることだとは思うのですが、さてはて。

【 望み得ない時でさえ 】

テレホンメッセージより

 十字架にしに、墓に葬られたイエスは、三日目に復活され、弟子たちの前に、ご自分を現して言われました。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています」(新約聖書 ルカ24:39)
 このことばは、イエスは文字通り、からだを持ってよみがえられたことを証言しています。実は、このことは私たちの持つ信仰が、ただ単に精神世界や未来の事柄だけにとどまるものでないことを示しています。それはキリストの復活生命は、衰えて死にゆく私たちのからだにまで及ぶものだということです。
 聖書に『イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。(新約聖書 ローマ8:11)』とあります。
 神はイエスを死者の中からよみがえらせることによって、死の力を打ち破ってくださいました。最後は死という現実に失望して、すべてを投げ出すほかない私たちに永遠のいのちの望みを与えてくださいました。
 このことによって、神はイエスに現わされた復活生命を、私たちの死ぬべき身体からだや、困難や行き詰まりに直面する生活の中に現わしてくださるのです。今という現実を離れた未来に新しいからだの復活を、待ち望むだけではありません。
 イエスの復活は、未来を先取りして、私たちの死ぬべきこの身体を生き生きとした現実味を帯びたものとします。あなたの心を、今も生きて働かれる復活のイエス・キリストにつなぎませんか。
 そのことによって、神の大能の力が、あなたの身体と心に、さらにあなたの日々の歩みの中に現わされることを願いませんか。
『・・・神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。(新約聖書 エペソ1:19)』
『・・・私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。
 ・・・それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼るためだったのです。
 ・・・私たちはこの神に希望を置いています。(新約聖書 Ⅰコリント1:8~10)』

《今週のみことば》
 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、
 教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。(エペソ3:20~21)

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