雲一つない青空ですた。
※召天者合同記念礼拝
《招詞》
私たちの国籍は天にある。「見よ。神の幕屋が人と共にある。神ご自身が彼らと共におられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら以前のものがもはや過ぎ去ったからである」- 新約聖書 -
《聖餐式》
パンとは イエスのおからだ = 永遠のいのちのパン
私は主から受けたこと、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、
感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい」(新約聖書 Ⅰコリント11:23~24)
「よく言っておきます。わたし(イエス・キリスト)を信じている人はだれでも、すでに永遠のいのちを得ているのです。
そうです。わたしが、いのちのパンなのです。
あなたがたの先祖は荒野でマナ(パン)を食べましたが、結局はみな死んでしまいました。
けれども、天から下ってきたパンは違います。それを食べる(信じる)人はだれでも、永遠に生きます。
このパンは、人類の救いのためにささげる、わたしの体なのです」(新約聖書 ヨハネ6:47~51)
杯とは イエスの血の契約 = 永遠に変わらない契約
食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい」(Ⅰコリント11:25)
イエス様は、私たちの罪を赦し、きよめるために、十字架で血を流し、死んでくださいました。イエス様の血は、天の父なる神様の決して変わらない真実の契約を示しています。私たちは不真実であっても、天の父なる神様はとこしえに真実なお方です。ですから、イエス様を信じる人たちの希望は、決して失望に終わることがありません。イエス様はお話しになりました。「よく言っておきます。・・・わたしの血を飲む人はみな、永遠のいのちがあります。わたしの終わりの日に、その人を復活させます」(ヨハネ6:53~54)
この朝、クリスチャンはイエス様に現わされた父なる神様の豊かな恵みとあわれみ、そして決して変わることのない真実を覚えましょう。感謝と喜びを持っていただきましょう。ひとりでも多くの方々が聖餐の恵みにあずかり、イエス様にある永遠のいのちの希望を持って生きることができますように。
たった一日だけ、出勤時、どえらい数のつなぎトンボが飛んでましたな。田んぼに囲まれた田舎道並みか、それ以上か。
とりあえず、2年ほど放置していた片付けがようやく終わりました。
ので、今日から、まずはリハビリに入りたいと思います。一年も何もしてきませんでしたのでね。今年中に何とか一回は更新したいところですが、さてはて。本命は【闇(ざっくり)】なんですが。
テレホンメッセージより
聖書に、エサウとヤコブという双子の兄弟が登場します。当時、長男のエサウには父親の財産のすべてを相続できるという長子の権利が与えられていました。ところが次男のヤコブは、自分がタッチの差で後に生まれたため、その権利を手にすることができず悔しく思うようになりました。
父親は年老いて、目がかすみ、からだを横たえることが多くなりました。これを機に、弟ヤコブは、兄エサウが留守のとき、兄に成りすまして、父親を騙し、長子の権利を手に入れました。
実は、彼はそのような不正な手段を使って、長子の権利を手に入れる必要はありませんでした。なぜなら、母親は彼らがまだ胎内にいるときに「兄エサウは弟ヤコブに仕える」という神様からの約束のことばを受け取っていたからです。
それなのにヤコブは、母親を味方につけて、不正な方法で長子の権利を自分のものにしました。そのことを知った兄エサウは怒り狂い、弟を殺そうと機会をうかがうようになりました。
ヤコブの身の危険を知った両親は、彼に母方の親戚のところに身を隠すように促すと、彼は逃げるようにして我が家を後にしました。
目的が良くても、不正な方法によって手に入れるなら後味の悪さは避けられません。ヤコブはその後、何度も騙され、苦しめられました。彼は自分が蒔いた不正の種を刈り取らされたのです。
ですから、今あなたが、自分の立場や身分、また能力が他の人に比べて劣るようでも、決して自分をみじめに思ったり、また人をねたましく思って、相手と争うことを避けるのが賢明です。
むしろ、今のあなたの現状は、あなたをこの世に誕生させ、生かしてくださっている天の神さまの御手を離れてあるものではありません。ですから「すべてのことを益にしてくださる神さまに信頼し、お任せして」あなたの心を静めましょう。
そうするなら、後味の悪い思いや、無益なトラブルに巻き込まれることも、さらに自分の身をむやみに危険にさらすこともなく、あなたの願いはやがてかなえられるでしょう。
『主に信頼し 善を行え。地に住み 誠実を養え。
主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いを叶えてくださる。(旧約聖書 詩篇37:3~4)』
《今週のみことば》
主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。
主の御声が都に向かって叫ぶ。――あなたの御名を恐れることは英知だ――・・・(旧約聖書 ミカ6:8~9)
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。(旧約聖書 箴言9:10)
季節外れの暑さが、ようやく去って、一気に秋が深まってきました。
リハビリができているのかは、未だ謎。実感無し。
テレホンメッセージより
セーターのボタンを掛け間違った経験はありますか。それに気づいたとき、あなたはどうしましたか? そのままにしておきましたか。ボタンを正しく掛け直したのではないでしょうか。
実は、人を赦すということにおいても、同じようなことが言えます。もし、赦し、赦されるという、心のボタンの掛け間違いに気づかずにいると、やがてみじめな思いをすることになるでしょう。
みじめな思いとは、相手を赦そうと思いながら、赦すことができず、かえって相手が嫌になり、憎しみさえ抱くことです。はじめのうちは、そのような自分はみじめで、情けなく思われて、自分自身が嫌になることもあるでしょう。
どうして、そんな気持ちになるのでしょう。それは心のボタンの掛け間違いにあります。すなわち、自分の赦しの必要に気づかず、それを後回しにして、まず相手を赦さなければならないことを優先することにあります。
人はだれでも、いつまでも自分自身の至らなさ、また無力さを受容できません。結局は、自分が人を赦せないのは相手のせいだと、一転して相手を裁くようになります。
ですから、人を赦すことの幸い、すなわち自分自身の心の安定を得るためには、掛け間違ったボタンを掛け直すように、あなたの心のボタンを掛け直すことです。
私たちは相手の愚かさや間違いには気づいても、自分の愚かさや間違いは見過ごしやすいものです。ですから、人を赦そうとする思いは後回しにして、まず自分自身が赦しを必要としている者であることに気づき、自分が赦されることの幸いを経験しましょう。
天の神さまはあなたの過ちを赦してくださいます。ですから自分自身に正直に、素直になる勇気が必要です。イエスさまの十字架における死は、あなたを赦し、いやし、生かすための神さまの大きな愛のしるしです。
ですから、あなたがイエスさまによる赦しの恵みを知って、その赦しを隣人と共有することによって、あなたの心の思いは満たされるようになるでしょう。
『お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(新約聖書 エペソ4:32)』
《今週のみことば》
私を癒してください、主よ。そうすれば、私は癒されます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ私の賛美だからです。(旧約聖書 エレミヤ17:14)
・・・あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。(旧約聖書 詩篇22:3、5)
また一ヶ月、何もせずに過ぎてしまったという気しかしません。
テレホンメッセージより
私たちが何かの計画を立てるとき、ゆとりのないガチガチの計画を立てることはできる限り避けたほうが賢明でしょう。何故なら、ゆとりのない計画を立てると、途中で、強いストレスを生じ、落ち着きを失い、イライラし、人に穏やかに接することができなくなるからです。
車のハンドルに遊びがあるのを知っていますか。その遊びとは、固定しないで少しの範囲を動く状態にしてあることです。それは、ゆとりをもって運転できるためです。
ですから、一つのことに、かたくなに固執してゆとりのない状態よりも、融通性を持たせたほうが、すなわち臨機応変にうまく処理するほうが、能率も上がるからです。
実は、私たちがいったん何かを計画すると、その計画を変更せざるを得ないことがしばしば生じてきます。例えば、予定がキャンセルされたり、人がやると言ったことを実行しなかったりなどと予定外のことが起こってきます。
このような変化を嫌い、柔軟に対応することを学ばないで、常に融通の利かない状態に固執するなら、心に葛藤を覚え、さまざまなトラブルを抱え、計画実現もかなわぬ夢となってしまうでしょう。
ですから、変化の多い人生を生きるための大切なことは、まずどんな計画にも多少の変更は避けられないので、ゆとりを持たせておくことです。
そうすれば、いざという時に慌てず、心配しない分だけ、そのエネルギーを計画実現に向けられます。ですから、まずゆとりをもって計画を立てましょう。
実は、あなたがゆとりを持つためにとても大切なことがあります。それはあなたの人生の水先案内人である創造主なる神さまに、あなたの計画をいったん明け渡し、神さまの指示に従うことです。そうすれば、主なる神さまはあなたの道を真っ直ぐにしてくださいます。
『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主によって 人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
その人は転んでも 倒れ伏すことはない。 主が その人の腕を支えておられるからだ。(旧約聖書 詩篇37:5、23~24)』
《今週のみことば》
神は一度告げられた。二度私はそれを聞いた。力は神のものであることを。
主よ 恵みもあなたのものです。あなたは その行いに応じて人に報いられます。(詩篇62:11~12)
イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」・・・(旧約聖書 イザヤ30:15)