12月 4日 (日)

 なんでか家でも会社でも、些細なことで苛立ってしまうような状態だったもんで、書き作業なんか進むわけがなく。
 たった一晩で一気に根雪になるほどの降雪があり、その翌日には除雪車が走って道路の路肩がこんもりするような季節になり、雪はねで肩腰がだる痛くなりと。やはり書き作業は進まない季節が来たような気がします。
 メモリーカードの日付見たらちょうど2000年という、20年以上やってなかったゲーム、ミンサガも久々にやってみたりな現実逃避っぷりです。あまりにもやってなかったので、コントローラーの扱い方すら忘れてました。
 そんな感じの12月初週です。今年もわずかな自覚は全くありません。

【 見せかけでない本当の強さ 】

テレホンメッセージより

 「弱さと強さ」のどちらかを選択しなさいと言われたら、あなたはどちらを選びますか? 多くの人は、ためらわず「強さ」を選ぶでしょう。それは「強さ」が、自分の人生を勝利に導き、幸福の条件であると考えているからでしょう。
 ところが「強さ」を選び取って事態が好転すると思っていたのに、期待かなわず、さらに悪い状態になったということはありませんか。それは、あなたが選んだ強さは、「強気」また「強がり」と言われる「一時的な、見せかけの強さ」だったのではありませんか?
 では、見せかけでない本当の強さはどうしたら得られるのでしょうか? そのためにはまず、強がるのではなく、自分の弱さを認める素直さが必要です。
 しかしある人は自分の弱さを認めることはプライドが決して赦していません。それは人生の敗北者になることだと思っているので、強い抵抗感を抱くのでしょう。
 実は強がりや強気というのは、砂を土台とした家を建てるようなもので、とても危なっかしいことです。
ですから、自分の弱さとその限界を素直に認め、受け入れることは、あなたが本当の強さを得て、揺るがされない人生の重要な手がかりとなります。
 ですから、自分の弱さをカバーするための「強気」や「強がり」によらず、むしろ自分の弱さをありのままに認め、素直に受け入れましょう。これはとても賢い選択です!
 「雨上がりの道を歩いていた小さな子どもが、水たまりのところに来たとき、ひとりでは危ないと思い、母親の手にすがって通り過ぎました」
 本当に強い人は、自分の限界を見きわめているので、弱さを隠して強がる人ではありません。弱さを感じ、自分の力の足りなさを覚えるとき、自分の存在の原点である造り主なる神様、また救い主なるイエス様に幼子のように信頼の手を伸ばしましょう!
 主イエス様は「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。それを聞いたパウロは、「それなら私は、キリストの力が私に宿るために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言いました。
 「見せかけでない本当の強さ」を手にしませんか!

《今週のみことば》
 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう(喜びなさい)、恵まれた方。主があなたとともにおられます」
 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
 「神にとって不可能なことはありません」
 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」 すると、御使いは彼女から去って行った。(新約聖書 ルカ1:28~29、37~38)

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12月11日 (日)

 除雪と仕事に追われていた一週間。疲れました。

【 すばらしい贈り物 】

テレホンメッセージより

 昔、ヨーロッパのある町に、クリスチャンのお金持ちが住んでいました。ある夜、寂しい道を歩いていると、一軒の家から泣き声が聞こえてきました。
 そっとドアに近寄って中の様子を見ると、借金の返済に困って、三人の娘を奴隷として売り飛ばさなければならないということでした。
 そのお金持ちは、かわいそうに思って、その夜、お金の包みを密かにその家の玄関に差し入れました。でも「あれだけでは困るだろう」と思って、次の夜も、また次の夜もやって来ては同じようにしました。
 そのようにして、このお金持ちは自分の財産のすべてを貧しい人々に与え、自分の一生を天の神様にささげ、神様と人とに仕えるしもべになりました。
 この人の名前はニコラス。後にセント・ニコラス・サンタクロースと呼ばれるようになりました。日本でもクリスマスの前の夜に、枕元にそっと贈り物をする習慣があります。これはニコラスにならったものです。
 なぜニコラスは、貧しく困っている人々のためにそれほどまでしたのでしょうか。それは、彼が神様から「ことばに言い表せないほどの贈り物をいただいた」からです。
 神様からの贈り物とは、神の御子イエス様です。クリスマスとは御子イエス様の誕生日です。それは神様からの大きな愛の贈り物です。

 人の心の奥底には、この地上の何によっても満たすことのできない大きな空洞があり、そこから心のむなしさ、不平不満、欲求不満が出てきます。
 人が羨むような富や名声、才能や地位、たとえ全世界を手に入れたとしても、人の心の空洞を満たすことはできません。しかし、そんな心の空洞を満たすことができるお方がいます。それは、あなたの存在の原因である創造主なる天の神様です。
『神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに世(あなた)を愛された。それは御子(キリスト)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネ3:16)』
『ことばに表せないほどの賜物(贈り物)のゆえに、神に感謝します。(新約聖書 Ⅱコリント9:15)』

 この永遠のいのちは、決して飢え、また渇くことがないいのちです。このいのちは、イエス様を信じる人の心に満ちて、その心の奥底から流れ出てたましいをいやし、満たします。

《今週のみことば》
 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で踊り、エリサベツは聖霊に満たされた。
 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。・・・
 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです」(新約聖書 ルカ1:41~42、45)
 ・・・信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
 昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。
 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。・・・(新約聖書 ヘブル11:1~2、6)

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12月18日 (日)

 雪はね(除雪)に追われた一週間。
 今もすごい降ってる。風で回ってる。つまり、明日も朝一で雪はね出勤ですた。

【 世界で最初のクリスマス 】

テレホンメッセージより

 世界で最初のクリスマスは、今から約2000年前、ユダヤの田舎のベツレヘムで、野宿で夜番をしていた羊飼いたちによってお祝いされました。
 それは天の神様の彼らに対する大きなあわれみでした。というのは、当時、羊飼いは身分の低い人たちで、だれからも相手にされませんでした。彼らが育てた羊は重宝されましたが、彼らは疎外され、物のように扱われました。
 疎外とは取り替えがきくという意味があります。それは、機械の歯車が摩耗して使えなくなると、ためらうことなく捨て、新しいものに取り換えるということです。
 このことは当時の羊飼いたちだけの問題でしょうか? 実は、現代も同じ問題を抱えています。私たちも当時の羊飼いたちが抱いていたのと同じ疎外感を心に抱いているということです。
 私が必要とされているのは、役に立っている時だけで、役に立たなくなれば価値が認められなくなり、自分の替わりはいくらでもいると感じています。
 そこで、ある人々は疎外感を取り去るために、実績(成績)を上げ、また功績を積むことにエネルギーを注ぎ込もうとします。しかし、その努力の甲斐ききめもありません。
 しかし、私たちの造り主なる天の神様は、御子イエス様を「家畜小屋に生まれさせ、布にくるんで、飼い葉桶に寝かせ」ました。「なぜそんな所に・・・?」
 それは、人間としての権利も認められず、除け者にされ、生きる希望もない羊飼いたちのところに、最初に天の神様が訪れてくださったというすばらしい良き知らせです。
 天の御使いの知らせを聞いた羊飼いたちは、急いでベツレヘムに行って、マリアとヨセフと、飼い葉桶に寝ているみどり子を捜し当てました。
 この神の御子イエス様を捜し当てた(出会った)ことによって、羊飼いたちは人間としての本来の価値を発見したのです。互いの優劣比較によってではなく、神のかたちに似せて造られた人間としての真の価値を発見したのです。
 彼らは見聞きしたことがすべて、神の御使いが告げたことばの通りであったので、神様をあがめ、賛美しながら帰って行きました。
 25日(日)のクリスマスを迎えるにあたって、あなたも自分自身の本来の価値を発見されますように。
『わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたし(神)はあなたを愛している。・・・(旧約聖書 イザヤ43:4)』

《今週のみことば》
 「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」
 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(新約聖書 マタイ1:21~23)

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12月25日 (日)

 時間的余裕はないまま一週間が過ぎ、そして残りも一週間とか。
 やはり今年の更新は無理なようです。
 年末の実感はありませんが、今年も一年このような停滞したままのサイトにお越しいただきありがとうございました。皆様はお年をお迎えください。

【 なお期待し続けよ! 】

テレホンメッセージより

 アメリカに一人の農夫がいました。着々と築き上げてきた農場は、もう少しですべての返済が終わろうとしていました。ある美しい夕暮れのことでした。西の空にこぶしほどの小さな黒いかたまりが見えました。
 農夫は「竜巻が来るぞ、逃げろ」と叫びました。家族の者はただちに車に乗ると一目散に逃げました。後ろを振り向いたとき、自分たちの農場の上を、大竜巻が通り過ぎるところでした。
 やがて彼らは、自分たちの農場に戻ってきましたが、その有様はあまりにも無惨でした。彼は「何ということだ。この年まで頑張ってきたというのに。すべてが水の泡だ」とつぶやきながら、その辺りの地面を棒で突っつきました。
 そのとき、何か硬いものが、棒の先に当たりました。それは、いつも台所に掛けてあった石膏の壁掛けで、半分壊れていましたが、文字ははっきり読み取ることができました。
 それは「なお期待し続けよ!」という文字でした。それを見た瞬間、彼はそれが天からのメッセージであると受け取りました。近隣の農夫たちが土地を手放し、去って行く中で、彼はそこに留まったのです。
 そして借金だけが残った農場の再建に着手したのです。彼はそのとき60歳を超えていました。そして5年後、周りが不作続きであるにもかかわらず、彼の農場は豊作となり、彼は借金のすべてを返済しました。
 さて、あなたにとってこの一年はどのような年でしたか。何かにつけ試練に見舞われ、苦労の絶えない年だったでしょうか。たとえそうであっても、あなたは失望落胆することはありません。
 なぜなら、どんな場合でもあなたは「期待し続ける」ことができるからです。というのは、天の神さまは十字架に死なれたキリストを、三日目によみがえらせ、キリストを「すべてのものの主」とされたからです。
 ですから、あなたがイエス・キリストは「すべてのものの主」であると心に置いて信じ、口で告白することによって、あなたはどのような困難の中でも「期待し続ける」ことができます。
『・・・私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。
 ・・・それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。
 ・・・私たちはこの神に望みを置いています。(新約聖書 Ⅱコリント1:8~11)』

《今週のみことば》
 博士たちは・・・聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(新約聖書 マタイ2:9~11)

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