先週の日曜日は、午前中に一回除雪して、夕方風呂の前にも除雪してたはずなんですが。
本日は、アスファルトが出ていて、もう雪解けモードです。
雪はねからは解放されましたが、春眠暁を覚えずといいますか、寝ても寝ても眠い季節が来てしまったようで、朝が起きれません。ぐだぐだモードです。
テレホンメッセージより
「抵抗(対抗)」とは、外からの刺激や攻撃から、自分を守ろうとすることから生じます。あまりにも守りの姿勢が強いと、あなたの身体と精神の貴重なエネルギーは浪費します。
その浪費は、あなたの心のゆとりを奪い、心を委縮させます。すると、ため息がもれ、胸が苦しくなり、自分のすることに期待がなくなり、生きる張り合いが失われます。
そうなると「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか? もう耐えられない!」と、何もかも投げ出したくなる誘惑にかられるでしょう。
イザヤという神の預言者は、その歩みの中で「私は無駄な骨折りをして、いたずらに空しく自分の力を使い果たした」(旧約聖書 イザヤ49:4)と嘆きました。
彼は自分のエネルギーを無駄遣いしたのです。それは、彼が遭遇(直面)したさまざまな問題や困難を克服するために、自分のエネルギーを有効利用しなかったからです。
にもかかわらず、彼は自分のエネルギー浪費の原因に気づかされたのです。「それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、私の報酬は、私の神とともにある」(イザヤ49:4)
抵抗や攻撃を受けたとき、彼は自分のやり方で、できるだけ早く片をつけなければならないと思うあまり、いらいらを募らせ、強く抵抗したのです。
このような態度は、彼が神の預言者として自分の身にふりかかる問題や攻撃を、神によってではなく、預言者としての自分の立場と意志において対処しようとしたのです。
あなたは人間不信、また行き詰まりを経験してきましたか。今なお、経験中ですか。イザヤのように自分の意志によって、相手に対する不信や抵抗を治め、自分のガードを緩めなくてよいのです。
むしろ、あなたが全面的な信頼を神さまに置くことによって、神さまの力・愛・知恵をいただくことができます。神さまへの信頼が深まり、正しい関係が強くされるとき、あなたの抵抗感は和らぎ、つきまとう不信や疑いはあなたを離れます。
そのとき、神さまからのエネルギーによって、あなたの務め、役割を果たすことができ、神さまからの良い報酬を手にし、神さまの栄光を現す人になるでしょう!
『そして、(主は)私に言われた。「あなたはわたしのしもべ。イスラエル(選ばれた者)よ、わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。(イザヤ49:3)』
《今週のみことば》
・・・知識の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。(旧約聖書 伝道者7:12)
幸いなことよ、知恵を見出す人、英知をいただく人は。
知恵で得るものは金で得るものにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。
知恵の道は楽しい道。その通り道はみな平安である。
知恵は、これを握りしめる者にはいのちの木。これをつかんでいる者は幸いである。(旧約聖書 箴言3:13~14、17~18)
仕事で苛立ちモードが続いて、余計にお疲れモード。否定的な考えが止められない自分にもうんざり。すべてが嫌になってます。何もしたくありません。
《招詞》
主はこう言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたがわたしのために建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。
これらすべては、わたしの手が造った。それで、これらすべては存在するのだ。――主のことば――わたしが目を留める者、それは、貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。
主のことばにおののく者たちよ、主のことばを聞け。「あなたがたを憎み、わたしの名のゆえにあなたがたを押しのける、あなたがたの同胞は言った。『主の栄光を現させよ。おまえたちの楽しみを見てやろう』と。しかし、彼らは恥を見る」
都から騒ぎが、宮から声が聞こえる。敵に復讐する主の御声が。(旧約聖書 イザヤ66:1~2、5~6)
《今週のみことば》
・・・霊(天)の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。
すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。(新約聖書 ヘブル12:10~11)
今年は雪解けも早くて、まだタイヤ交換はできませんが、すっかり春モードになってる感じではあります。
でも、やることがあったりで、書き作業は全く進んでおりません。
すべてが半端なこのサイト。いつ完成できるものやら。
テレホンメッセージより
私たちが行動を起こすときには、「動機」と言われるものがあります。動機とは何でしょうか? それは「人の行動を決定し方向づける直接の原因」です。
その原因には、大きく分けて二種類あります。一つは「安心と信頼」、もう一つは「不安と恐れ」です。前者の「安心」は肯定的で希望を与えますが、後者の「不安」は否定的で失望につながります。
実は、人はだれでも自分の心の思いの中で「安心・信頼」、または「不安・恐れ」のどちらかを選択しています。もしあなたが、心の平和と健康を手に入れたいと願うなら、心に生じる恐れや不安、思い煩いを正しく取り扱い、処理しなければなりません。
実は、不安や怖れは、そのほとんどがまちがって方向づけられたエネルギーだからです。そこで、心の中心の思いを、不安から安心に切り換えて、正しく方向づける必要があります。
『人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。
支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし、人をさばくのは主である。(旧約聖書 箴言29:25~26)』
人を恐れると、うわべだけの仕え方をするようになります。しかし、主なる神さまに全面的に信頼するなら、誠実をもって人との関係をつなぐようになるでしょう。
また、あなたの心配や恐れは細菌や病気に対するものですか。その恐れによって心を乱されるなら注意しましょう。なぜなら、免疫が下がると細菌や病気に侵されるリスクが高くなるからです。
人の心と身体とは密接に繋がっています。『穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。(箴言14:30)』『喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた心は骨を枯らす。(箴言17:22)』
主なる神さまに信頼する人は、害悪や恐ろしい疫病さえも、あなたを滅ぼすことはできません。ですから、あなたの行動の動機を恐れから、神様への全面的な信頼にしませんか。
『私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、救い出されるからである。(旧約聖書 詩篇91:2~3)』
《今週のみことば》
すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから」 ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」
その人は言った。「あなたの名は何というのか」 彼は言った。「ヤコブです」
その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ」(旧約聖書 創世記32:26~28)
やっと少し眠気が去り始めた感じではありますが、まだまだ本調子には程遠いまま、3月も終わりですか……
ホント、いつ更新できるんでしょうね、このサイト。
テレホンメッセージより
「そとからの期待」と「自分の実力」がともなわず、ジレンマ、すなわち、その板挟みに陥って、やる気を失ったことはありませんか。
だれも自分の弱みを人に知られたくありません。そのため、ついつい見せかけの勢いに走ってしまうことがありませんか。見せかけの勢いであっても、それを保っている間はいいでしょう。
しかし、知られたくない自分の姿が表面化したときは、はりつめた風船の空気が抜けたように、勢いは弱くなり、やる気を失ってしまうかもしれません。
私たちのまわりには、そこで出会う人や物には、「本物」と「にせもの」があります。しかし、この両方を識別する力がなければ、期待は裏切られ、みじめな思いにさせられます。
「本物」とは、そのもの自体がそのままの姿で存在していることです。そこにはみせびらかし(自慢そうに見せること)や周囲に自分を無理に合わせようとする不自然さはありません。
「にせもの」は、認めさせようとして自分を売り込もうとします。その不自然さが、それ自身が持つ美しさや魅力を損ねてしまいます。
どんなに立派なものでも、持つ人の心に自慢そうに人に見せようとする思いがあるときには、そのものの魅力や輝きは陰って(さえぎられて)しまいます。
世の中には、地位や肩書、財産や権力を笠に着て、それがあたかも自分自身でもあるかのように思い違いして、わがもの顔に自慢して、威張る人がいます。
そういう人にかぎって、弱い人には偉そうにし、無礼な態度で接し、強い人の機嫌を取ろうとします。それは、その人の心の奥底に、価値がないと感じている自分の姿を意識させられることへの恐れが隠されているのではないでしょうか?
政治、経済、宗教、文化のあらゆる分野でニセモノが横行しています。このような世の中では、いつのまにか私たちも巻き込まれ、本物の存在を見失いがちです。ですから、本物を見分ける目を養い、にせものに惑わされず、確かな歩みをしましょう。
『私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
あなたがたが大切なことを見分けることができますように。・・・(新約聖書 ピリピ1:9~10)』
《今週のみことば》
すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。
まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。(新約聖書 ヨハネ12:23~25)