4月 2日 (日)

 何もしないまま今年も4分の1が過ぎてしまいましたな……
 眠気再び……いーい青空だなぁ……(逃避)

【 キリストの苦難と十字架の死 】

テレホンメッセージより

 今年は4月2日(日)から始まる一週間、8日の土曜日までが「受難週パッションウィーク」となり、イエス・キリストが苦しみを受けられた記念すべき一週間です。
 イエス・キリストがロバに乗ってエルサレムに入られた月曜日をもって始まり、木曜日の夕方に弟子たちと最後の晩餐をし、その後にゲッセマネの園で祈られました。
 この園で捕らえられ、耐え難いほどの辱しめと苦しみを受けられた後、金曜日の朝9時に十字架につけられ、その日の午後3時に息を引き取られました。
 なぜイエス・キリストはそれほどまでに苦しみを受け、十字架に死ななければならなかったのでしょうか。それはイエスご自身が「わたしが来たのは、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためです」(新約聖書 マルコ10:45)と言われました。
 ご自分を贖いの代価(身代わり)とされたのは、あなたがこの世に人間として誕生したことの、真の目的と価値を見出すことができるためです。
 人はだれでも、心の奥底に自分という人間はかけがえのない一人ではなく、大勢ある中の一つの歯車にすぎないという思いを抱えています。
 それは機械の歯車がすり減ると容赦なく取り外され、新しい歯車がはめこまれるように、自分は本当のところは物や道具のような消耗品の価値しかないのではないか? と。
 実は(ほんとうは)、人はだれであっても、目的ものなく、意味もなくこの世に誕生したのではありません。その背後に、あなたをこの世に誕生させた創造主なる神さまがおられます。
 神さまは、あなたが人間として自分の本来の価値を見出し、確信を希望に満ちた人生を送るためにイエス・キリストを遣わしてくださったのです。
『・・・あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
 背きの中に死んでいた私たちを、キリストともに生かしてくださいました。・・・(新約聖書 エペソ2:4~5)』
『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。・・・(新約聖書 Ⅰヨハネ4:9)』

 イエス・キリストによって与えられる「いのち」こそ、永遠に価値あるもので、あなたに真の生きがいと希望を与えます。

《今週のみことば》
 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
 キリストは自ら十字架の上で私たちの罪をその身に負われた。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。(新約聖書 Ⅰペテロ2:22~24)

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4月 9日 (日)

 タイヤ交換……今回は弟君がやってくれたので助かりました。
 眠くて朝が起きれません。

【 キリストの復活と生ける望み 】

テレホンメッセージより

 今年は、4月9日(日)がイースター(キリストの復活日)です。この日はイエス・キリストが十字架に死なれ、墓に葬られた後、三日目に復活されたことをお祝いする大いなる祝日です。
 クリスマス(キリストの誕生日)は、毎年、世界中で盛大にお祝いされています。それに対して、イースター(キリストの復活日)はそれほどではありません。どうしてなのでしょう?
 それは「誕生」というのは現実的なことで、それにたいして「復活」は非現実的で、信じられないことだと思われているからではないでしょうか。
 そのように思っている人々は、死はすべての生命の営みの終着点としか考えられないため、失望感が心に深く根づいているのではないでしょうか。
 そういうわけで、キリストの誕生日(クリスマス)は喜んでお祝いできても、キリストの復活日(イースター)には関心が向けられず、片隅に置かれています。
 そのため、人々の希望は「誕生という喜びの朝」があっても、「死という悲しみの夜」が来ることによって失望に変わってしまうのです。
 ところが、創造主なる神さまは、その全能の偉大な御力をもって、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせました。それは、私たちに永遠のいのちの希望を与えるためです。
『・・・神はご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(新約聖書 Ⅰペテロ1:3)』
 人間の常識では決して信じられません。それなのに信じるようになるのは、超常識の世界、すなわし天地の創造主である、全能者(超越者)なるお方との出会いによるのです。この出会いはあなたの人生を希望に満ちたものに変えます。
 ですから、死があなたに迫って来ても、あなたは死という闇の力に支配されることはありません。なぜならキリストが死の力を滅ぼして復活されたからです。
 クリスマスが盛大にお祝いされるように、キリストの復活を記念するイースターはそれにもまさる大いなる祝日です。この日を祝い、大いなる神さまを喜び、讃えましょう。

《今週のみことば》
 私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、
 仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
 イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、というのです。(新約聖書 ルカ24:21~23)

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4月16日 (日)

 春眠暁を覚えず……爆裂眠いです。

招詞まねきのことば
 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
 『わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを、あなたがたは喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
 今わたしは、それが起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。(新約聖書 ヨハネ14:27~29)


《今週のみことば》
 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように」
 こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。(ヨハネ20:19~20)

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4月23日 (日)

 『転スラ』……よく聞くけど、どんな話なんだろう、と。
 たまたま古本屋でコミック版1巻を見つけて立ち読みしてみたところ、納得。確かに面白いわ、と。今更ながらにはまりかけている状態かと。

【 死の間際にあっても 】

テレホンメッセージより

 ホスピス医療に携わっているある医師は、その職業上いろいろな人々の臨終の場面に数多く立ち会った経験から次のように述べました。
 「神を信じていると言いながらも『自分は天国に行けるのだろうか』と疑いながら死んでいく人。死を受け入れながらも『仕方ない』とあきらめながら死んでいく人。『死にたくない、死にたくない』と未練を残して死んでいく人など、いろいろあります。しかし人生の最期を、確かな希望を抱いて迎える人はごくわずかしかいません」と。
 多くの人の臨終に立ち会った彼は、クリスチャンドクターとして、今死にゆく人々に、いかに確かな希望をもって最期を迎えてもらうかが、大きなテーマとなりました。
 「望む」という言葉には、「遠くを見渡す」という意味があります。そこで本当の望みは、単に「お金持ちになりたい」「楽がしたい」「有名になりたい」という以上の、もっと遠くを見渡した永遠のものでなければなりません。
 もしあなたの望みが一時的で、地上的な望みでしかないとしたら、失望することは避けられないでしょう。
 「失望に終わらない、永遠の望み」について考えるとき、とても大事なことがあります。それは望みの根拠をどこに置くかということです。
 聖書は、生けるまことの神さまによって与えられる希望はどんな時にも、失望に終わることがないと述べています。なぜなら、天地の主である神さまは、何もないところからこの世界を創造された全能者です。
 ですから、このお方に全く信頼するとき、その人の希望は死によって、失望に終わることは決してありません。実は、私たちには、さらに、永遠の望みの決定的な証拠が与えられています。それはイエス・キリストが十字架に死んで、三日目に、死を打ち破って復活されたという事実です。
 このように人知をはるかに超えた、神さまの偉大な御力によって、永遠のいのちの希望が確証されました。ですから、イエス・キリストに望みを置く人々は、死の間際(直前)にも決してあわてたり、あきらめたりすることはありません。
『・・・神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(新約聖書 Ⅰペテロ1:3)』
 ですから、あなたもイエス・キリストに対する信仰によって、永遠のいのちの希望をご自分のものとして受け取りませんか!

《今週のみことば》
 イエスは彼に答えられた。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」(新約聖書 ヨハネ13:7)
 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか」 イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます」(ヨハネ13:36)
 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。・・・」(ヨハネ20:17)

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4月30日 (日)

 茶色かった景色に緑が増え始め、桜も一気に満開になりましたな。
 つーか、サイトのアップができないような……つながりにくくなってるのは何でじゃ?

【 祈りが叶うために 】

テレホンメッセージより

 空港で離着陸する飛行機を見ながら、次のような会話が交わされました。「ついに人間は大空を征服しましたね!」それに対して「いいえ人間は大空を征服していません。将来もそんなことは決してできないでしょう!」という声が返ってきました。
 この会話が意図したことは何でしょうか。それは人間が長い間、空を飛べなかった理由は、実は、人間が大空を征服しようとしたことにありました。
 人間が空を飛べるようになったのは、大空を征服したからではなく、創造主である神さまが造られた大気の法則、すなわち真理を発見し、その法則(心理)にただ順応した結果なのです。
 聖書には次のように書かれています。『私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためなら何でもできるのです。(新約聖書 Ⅱコリント13:8)』
 このことは、あなたの祈りが叶うための大切な教訓を与えています。祈りの基本とは何でしょうか。それは「神を説得することではなく、神に順応する」ことです。
 あなたの祈りはどのようなものでしょうか? この基本に基づいていますか。それとも自分の願いだけを一方的に神さまに押しつけるようなことをしていませんか。
 もしそうであれば、それは飛行機が大空を飛ぶのを見て、「ついに人間は大空を征服しましたね!」と叫んだ人と同じような間違いをしてしまうことになります。
 その場合、あなたの願いは叶えられず、空しい思いをすることになります。実は、叶えられる祈りの条件は、まず自分の思い違いに気づき、それを改め、次に「神さまに聞き、従う」ことです。
 すなわち、神さまに順応することです。それが身につくようになれば、飛行機が大空を飛ぶように、あなたは、あなたを押しつぶす境遇にあっても、高く舞い上がる信仰の翼を得るでしょう。
『神は仰せられた。「・・・鳥は地の上、天の大空を飛べ」(旧約聖書 創世記1:20)』
『何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。
 私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。(新約聖書 Ⅰヨハネ5:14~15)』

《今週のみことば》
 シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。
 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。・・・
 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね」 彼らは答えた。「ありません」
 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます」 そこで彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。(新約聖書 ヨハネ21:3~6)

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