5月 7日 (日)

 すっかり緑が増えました。新緑の季節は心地好いですね。
 ただ、風を浴びると何故かものすごく疲れますが。
 えー、先週は、何故かサーバーにつながらず更新できませんでしたが、今日は問題なく繋がったようです。
 【闇(ざっくり)】20、ほんのちみっと進みました。まだまだ冒頭部分ですが。今年こそ更新したい……と思うのは低すぎる目標でしょうか。

招詞まねきのことば
 神と人の前に好意を得、聡明であれ。
 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
 あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。
 自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。(旧約聖書 箴言3:4~7)


《今週のみことば》
 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
 ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(新約聖書 ヨハネ21:20~22)

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5月14日 (日)

 シバザクラが満開で、通るたびに甘い香りが漂ってます。
 やっと、風も穏やかで窓を開けてても心地よい気温にもなりました。
 【闇(ざっくり)】20も、じりじりと進んでおります。

【 視点を変えて見る 】

テレホンメッセージより

 「視点」とは「見る立場」ということで、立場とは「見方・考え方の拠り所」を意味しています。そこで、自分の視点とは「自分の見方・考え方の拠り所」となります。
 あなたは次の二つの視点のどちらを望みますか。「何事も自分のやり方に従って、神さまにしてもらいたい」それとも「何事も神さまのやり方に従って、自分は行いたい」
 このように、人は自分自身を中心にした生き方と、それとは反対に主なる神さまを中心にした生き方の、二つの立場を選択することができます。

 もし自分を中心にした物の見方にこだわると、人生を「自分という小さな枠の中に」閉じ込め、いつの間にか視野が狭くなってしまうでしょう。
 そのために、見ているつもりでも大切なものを見落としてしまいます。視野の狭さは、自分の体験や自己評価を拠り所とするため、自分にできること、できないことを安易に決めつけてしまうことにもつながります。
 何かに挑戦しているとき、自分にはとてもできそうにないと思うことはありませんか。そんなときに、自分の視点を神さまに置き換えることによって、大丈夫、自分はできるという確信を得ることができるようになります。
 また反対に、自分は大丈夫だと思っていても、実際は困難で、とても危険な状況に置かれている場合があります。しかし、あなたの視点を神さまに置き換えることで困難に対処し、危険を回避することができるようになります。
 そのように、あなたの将来が希望と喜びに満ちたものとなるために、自分を中心にした視点に片寄らず、天の神さまの力と愛と知恵に拠り頼むことを身につけませんか。
『あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。(新約聖書 Ⅰペテロ1:21)』

《今週のみことば》
 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです」
 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」
 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように」 彼女の娘は、すぐに癒やされた。(新約聖書 マタイ15:26~28)

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5月21日 (日)

 窓を開けているとい~い風が入ってきて、実に心地好い一週間でした。
 ただ、目がかゆくなって鼻水が出るのはいただけませんが。
 【闇(ざっくり)】20、じりじり進んでおります。

招詞まねきのことば
 神は、アブラハムに約束する際、ご自分より大いなるものにかけて誓うことができなかったので、ご自分にかけて誓い、
 「確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたを大いに増やす」と言われました。
 このようにして、アブラハムは忍耐の末に約束のものを得たのです。
 確かに、人間は自分より大いなるものにかけて誓います。そして、誓いはすべての論争を終わらせる保証となります。
 そこで神は、約束の相続者たちに、ご自分の計画が変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されました。
 それは、前に置かれている希望を捕らえようとして逃れてきた私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはあり得ません。(新約聖書 ヘブル6:13~18)


《今週のみことば》
 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです」
 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。・・・
 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。(新約聖書 使徒1:4、5、13、14)

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5月28日 (日)

 【闇(ざっくり)】20、やっと調査一日目が終了したところまで書けました。
 時間が流れるのが早い気がします。あっという間に一週間が過ぎた感じです。
 大したことは何もできてないのに……

【 考え過ぎないこと 】

テレホンメッセージより

 「考える」ということはとても大切なことです。人間が他の生きものと異なるのは、人間は「考える」ことができるということにあります。
 とはいっても、「考え過ぎる」ことはプラスよりは、かえってマイナスになります。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」のことわざがあります。それは「度が過ぎるとかえって足りないのと同じである」という意味です。
 例えば、レストランへ行って、メニューを見て何を食べようか、飲もうかと迷った末に、注文したあとで、やっぱり別のものにすればよかった言う人がいます。
 それは考え過ぎる癖がついているかもしれません。もし考え過ぎることのリスクに気づかなければ、それをくり返し、くつろぎ、食事を楽しむことはできないでしょう。
 なぜ考え過ぎるのでしょう。それは考え過ぎることによって、良いものが選択できると思うからでしょうか? 実は、それは思い違いです。
 その思い違いに気づかず、そのことを続けていると、些細なことなのに過敏に反応し、気は休まらず、落ち込んだりすることになりかねません。
 「考える」ということは、迷うためではなく、けじめ(区別)をつけるためです。両手に何かを持ったまま、その手で他のものを掴みたいと思うなら、どちらかの手を空っぽにしなければなりません。
 あれもこれも手に入れたいと思うために迷い、悩みが生じます。「卵を割らずにオムレツは作れない!」 あなたは、そんなことは言うまでもなく、当たり前のことだと思うでしょう。
 あなたが卵を割りたくないなら、オムレツは作れません。オムレツが食べたいなら、卵を割らなければなりません。決めるのはあなた自身です。
 このことが分別できるようになれば、あなたは心の貴重なエネルギーを無駄にせず、思い煩いや欲求不満から解放され、穏やかな気持ちになるでしょう。
『・・・マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。・・・
 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選んだのです。・・・」(新約聖書 ルカ10:40~42)』

《今週のみことば》
 何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。
 曲がったことを言う口をあなたから取り除き、ゆがんだことを言う唇をあなたから遠ざけよ。(旧約聖書 箴言4:23~24)
 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、・・・話し始めた。(新約聖書 使徒2:1~4)

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